斉家論・序 子曰、予欲無言。天何言哉。四時行われ百物生る。天何言哉。聖人さえかくの玉う。況や余如き娑婆ふさげ,言句を吐くこそおかしけれ。不肖のものは四十に足らで死なんこそ めやすかるべけれども,徒然草に譏られしが、死なぬ命は是非もなし。門弟より養いを受け,腹ふくらし、寝てもいられず,腹すかしの為,同志の人の斉家便りともならんかと、いやしき倹約ごとを書散らすは すきに赤えぼしというものか。 延享甲子のとしの五月上旬                    石田勘平・自序  斉家論・上 まことに年月の過ぐる早きことは、たけき用水の流るるが如く,止まることなし。われ講釈を初めんと志し、「何月何日より開講、無縁の方々にても遠慮なく聞かるべし」と書き付けを出せしも,はや十五年に成りぬ。そのころ書き付けを見て「殊勝なり」と言う人もあり。また「あの不学にて何を説くや」と譏るもあり。或いは面向きは誉むれども、影にて笑う人もあり。その他 評判まちまちなりと聞く。 われ晩学のことなれば 何を覚えしこともなく、行跡もよき人に似ることあらば然るべきに、それもいよいよ及び難し。然るに何を教ゆと思うべきが,吾教えを立つる志は 数年心を尽くし聖賢の意味彷彿と得る者に似たる所あり。此の心を知らしむる時は 生死は言うに及ばず,名聞利欲も離れ易きことあり。是を導かんが為なり。 もっとも文学に拙き講釈なれば聴衆も少なからん。もし聞く人なくば、たとえ辻立ちして成りとも 吾が志を述べんと思えり。願う所は一人なりとも五倫の交わりを知り,君に事うる者ならば 己を忘れ身をゆだね,苦労をかえり見ず,勤むべきことを先とし,得ることを後にするの忠を尽くす人いで、また父母に事うるに親しく愛しまいらせ,常々喜べる顔色あって,身のとりまわしは 柳の風になびくが如く,むつまじく事うるの孝を尽くす人いできたらば,これ生涯の楽しみなり。たとえ千万人に笑われ, 恥を受くとも,厭うことなき志なり。 そのころ 実儀あって諂いなき朋友のありしが,それがしに謂わるゝは,汝は我に比すれば学者なり。然れども推出し儒者とは謂れまじ。又世間に沙汰なき人にも出会いて見れば 経書は云うに及ばず、詩作文章達者なる能き学者あり。又儒者ならねども少し心掛けある人には、汝くらいの学者は町並みにもあるべし。其の中にて無縁の講釈すると口広きことは言われまじ。夫れをも構わず 書き付けを出されなば,聴く人もあるべけれども,一度聞いては「素読同然の講釈なり」と言い、又口の悪しき者は「あの学問にて講釈するは 笑うに足らず」と譏るべし。 たとえ十日二十日入り代わり聴衆ありとも続くまじ。其の時に至りしまわんよりは 今七八年も学問し出られなば本望もとげ,恥を受けくること少なからんと、言われし人も過ぎ去り昔語りになりぬ。或る人の言える如く われ不学なれば四書五経にさえ仮名して読み来れり。然るに幸いなるかな。今日迄入り替わり聴衆も絶たず,其の中に親しき門弟もあり。今々の門弟には文学を好める人もあれど 親しき門弟は文質彬々は所詮及び難しと思うより,それがし言う所に同心し,他をも誘い集まることこそ殊勝なれ。 寛保元年秋のころ 門弟のうち来たりて云う、「武蔵国に薪木売り長五郎という孝心なる者あり。江戸表はこれ沙汰にて,則ちその趣き板行にあらわれし」と見せられけり。曰く、武蔵国多摩郡府中領 押立村に 長五郎という小百姓あり。其の身貧しく妻にも離れ,八十八歳になる母を養い,そのほか子供にもせがまれながら,母を大切に養い孝をつくせし故 公の御恵にもあずかりしとなり。此の長五郎、貧しき百姓、薪売りのことなれば 学問の徳にて孝行したりとも見えざれども、天下万民聞き知る程にはなれり。門弟中にも是迄は 文学なくては学問の甲斐なきなどと思いし者も 長五郎がことを聞き、いよいよ“吾が言う所”に同心するこそ有り難き。 又去る年 門弟一書を持ち来り見せらりけり。題号は越後孝婦伝とあり。曰く、越後国 三嶋郡出雲崎尼瀬の大工、作大夫が女房は姑に孝行なる者なり。夫 作大夫も孝心なる者なれど,世の営みのやるせなくて,他国稼ぎに出る故 女房一人、七十に余る姑を介抱し孝行をなし、是も御恵にあずかりしよし。板行にあらわれ普く天下に広まるは 有り難きにあらずや。元来仮名ものなれば,講釈するに及ばざれども 京・大坂・大和・河内にて講釈の上にて読み聞かせり。其の意はかく孝行すれば 天下に知られ好きことと思い,名聞に成りとも孝行がさせたく思う所なり。「天子より己下、庶人に至るまで孝終始なき時は患い及ばざる者は未だこれあらじ」。又「地の利に因り身を慎しみ,用を節にして以て父母を養うは諸人の孝」と孝経に説き給えり。 それゆえ常に倹約のことを説き聞かせ,門弟へは月次の会に折々倹約の題を出し,得心ありやと試みれども,是迄は志も立たざりしが,五六年より十四五年の従えるしるしにや、去秋 町家の門弟 志を起し来て曰く、「我々年来教えを受くると言えども、家を治むる上に心得たがいあり。このたび家を治るは倹約が本となることを得心せり。その本立つ時は、奢りも止み,家も斉うべし。家斉うれば自ずから 親の心を養う孝行となり、そのほか出入りの者も心安く恵まるべき理あり。他の奢り筋にて 当分親の心を慰むことも有るべけれど 約を守らざれば段々内証に不足立ち,諸事の回り悪しくなりて借金せば、ついには親の心を苦しむるに至るべし。もっとも是までも内証のことは 約を守る志あれば 勤め来たりしこともあれど 衣類等は表向きの物にて 世間並みの物なれば 心付きなくうかうかと暮らせし所,よくよく考うれば,分に過ぎたる衣裳を 是非に着よと言うものはなきことなり。そのほか倹約筋諸事、親しき門弟示し合わせ,きっと改め,家内にて行うべし。」と言われけり。 殷の紂王,始め象の箸をつくる時、箕子慨嘆して「彼 象の箸をつくり玉わば、必ず玉の杯をつくるべし。玉の杯をつくらば,必ず遠方珍怪の物を思うて是を用い,輿馬宮室の漸 自此始不可振」と言えり。君子の眼違わずして,遂に不振して亡びたり。天下の主として象の箸 僅かなれど,高山も微塵よりなる如く,終には民を暴虐し,殷の天下を亡ぼすに至る。高下ありと言えども 家を興し家を亡ぼす理は一なり。奢りは日に長じやすし。恐れ慎しむべきことなり。子曰く「礼は其の奢らんよりは むしろ倹せよ」と。又「約を以て是を失するものは少なし」と。聖人の意味は深長にして格別のことなり。然れども先ず倹約に思い付かるゝことこそ殊勝なれ。 或る学者、某門弟専ら倹約を用ゆることを聞く。或る時来たりて物語の上,問うて曰く,聖人の道は争うことなきを善しとする。然るに近ごろ,汝は争うことを教しゆと聞けり。如何なることぞや。 答え、某教しゆるは聖賢の口真似なり。争うことを教ゆるとは 何を以て言われ候や。 曰く、汝が門弟の中,俄に倹約を用いるゝにより,若しは身上のもつれにてもあらんやと 心もとなく「如何なることぞ」と問いしかば「師が好む所なり」と言えり。学者の上にて 約を守るは常の事なり。然るを 人にかわり慌ただしく行う故に争い起る。予が思うは世間と一同にするが善かるべし。既に聖人は 民の心を以て心とし,民の好む所を好み,民の憎む所を憎み,民と心を一にし給う故 民の父母とも言う。 今民の好む所は,衣裳に美を尽くし、純子・縮緬・綾・錦・鹿子・縫薄類、着飾ることを喜べり。そのほか普請等を綺麗に作り,諸道具には,蒔絵・鈖梨子地を用いたり。又喰物は常々魚類鳥類 多く使い,振る舞い等には珍味珍物を取り集め,賑やかに暮らすことを喜ぶ。もっとも是等は法に適うと言うにはあらず。然れども如斯なり来りし世上なれば 急々に改まること能わず。聖人の民を治め玉うは 親の子を養育如く漸々を以て治め玉うべし。一軒の家にて言わば 妻子より小者に至るまで 吾が民なり。其の民を次第に易く治むるが主人の職分なり。先ず人間の楽しみは衣食住の三つなり。衣類等を拵えるは着て楽しむが為なり。然るに自身着ざるのみならず、妻子小者に至るまで,抑え止めて着せざるよし。女童の身にしては さぞ迷惑に思うべし。是不便のことにあらずや。 又振る舞いは是までは一汁三菜、二汁五菜の料理にて客もてなししたるをば 倹約を言い立て一汁一菜か二菜の料理で済ますとあり。客人も是までとは 切れ変わりたる不馳走なれば 興なくて苦々しく思うべし。妻子家内の者どもは 不興なる体を見て心を痛め,さも気の毒に思うべし。門弟中人に背き,にわかに倹約を為す故 親しむべき親類、また家内の者まで争いに至るは 悲しきに非ずや。これみな欲心より為す所なり。前に言う如く倹約は 常の如く心得るが学者に非ずや。 (梅岩)答曰、汝の言う如く倹約は学者に於いて常の事なり。それがし嘗って著わす都鄙問答、「或る人主人行状 是非を問うの段」に言い置きしは、始終倹約を行うことなれど、それと題号なき故、門弟も心付きなかりしに 倹約が常なることを得心し,このたび改め行えり。其れ故 家内の者も珍しきことと思えるなり。向後 身分相応を知れば 倹約が常となるなり。 又汝人間の楽しみは 衣食住の三つと言えり。尤も衣食住の三つを楽しめども,今日の如く驕りたかぶるを以て 楽しみにするにあらず。此の三つ,人の身に止む事を得ずして営むことなり。只不飢、寒からずして、心安らかに過ごすを楽しみとす。周礼に曰く「室は高きにあらざれども 漏れざれば便ちよし。衣服は綾羅にあらざれども 和暖なれば便ちよし。飲食は珍しき供えにあらざれども 一度飽けば便ちよし」と言う。叉論語にも「君子は食飽かんことを求むることなく、居安からんことを 求むることなし」との給えり。此の味わいを知らるべし。 さて妻子や家内の者に争い、思う様にせざるを不便のことなりと言う。是大いに過まてり。汝の言う如く,家内の者は我が民なり。我が民故に真実に愛するなり。愛する故に 争うことを喩えて言わば,我が子に灸するが如し。逃げ回るを騙し捕えて灸すれば 跳りつはね反り返り「ああ,熱や、最早悪いことしますまい、父様母様、堪忍して下さりませ」と泣き叫ぶ。親は涙を流し,歯を食いしばっても灸するなり。是も争いに似たれども、其の子の病いを治め,無事に養育んが為なり。妻子兄弟に押さえ留めてきせざるも、叉如斯。 国天下も治まらざる時は、争いなくんば有るべからず。既に殷の紂王、不仁を以て万民を苦しめ天下を乱す。周の武王これを歎き,天下を治めん為に,仁徳を以て争い玉う。争うは仁と不仁の二つなれど 遂には不仁を誅し玉う。此処に於いて天下一統、仁に帰す。 今世間の奢り者を見るに 自ら美服を着るのみか、召し連れる女まで 紗綾・綸子に縫薄して着するなり。田舎者は是を見て御所方か武家方か、侍のつかぬは不審なりと疑えり。賎しき町家の者として斯様なる奢りをなし、道理に背く罪人となる。女や子供は智の昧き者なれば 結構なるものさえ着れば善きことと思い,見るを見真似に我知らずして奢りに長じ,貴賎尊卑の礼を乱る。是を止めん其の為に,止むことを得ず争うなり。すべて世の有様を見来たるに、町家ほど衰え安きものはなし。其の根源を尋ぬれば、愚痴という病いなり。其の愚痴がたちまち変じて奢りとなる。愚痴と奢りと二つなれど 分け難きことを語るべし。 或る富家の町人,姑・嫁を同道にて参宮す。上下三十人ばかりありとかや。小畑の宿にて休み、支配手代は先だって大夫殿へ案内す。彼思うは,恐らく此の大夫にて金持ちの一旦那は 我親方にて有るべしと、慢心顏にて居たりしが、大夫殿出られければ かの手代曰く「此の度 後室奥方両人共に参宮致し候、万事宜しくお世話頼み存ずる」と仔細らしく口上述べければ、大夫の曰く「其許は当地不案内と見ゆ。京大阪には町家にても姑や嫁を 後室の奥のと称えられ候や。左様なる上を犯し,奢りがましきことは 皇大神宮の辺にては大いなる非礼なり。神は非礼を受け玉わず。此の度参宮せらるるも、神の恵みを受けん為なるに はるばる参宮せられても、神慮に叶わぬは笑止なることなり。大切なる旦那のこと故 如斯言うなり。 忝くも茅葺きの宮作り,三杵米の御供物を受けさせ給う,其の神慮に叶う礼法を以て参宮案内致すべし。斯様の事を知らずして,今の世には奢りに長じ,分を知らず仕合せよく、十軒口か廿軒口の家を持ち,三十人か五十人も暮らせば 大きなことと思うより 嫁を御新造の,奥の、と称えさす。すべて農工商は下賎なり、其の卑しき者として、歴々の武家方と同じ様に思わるるこそ 愚かなれ。其の奢りたかぶり、上を犯す心にて参宮せば 神罰を受けらるべし。是まで知らざるは是非なし。向後はきっと慎しまるべきことなり。 また旦那名寄せ帳を見れば 三四十年以前まで京大坂にて 大金持と言われたる隠れなき町人も 往く方知れぬ者もあり。又身上衰え自炊して暮らすもあり。十軒に七八軒は如斯。其の時に奥あしらい誰にして貰わんや。「遠慮なき時は必ず近き憂いあり」とは斯様の類なるべし。それを笑止に思われて物語するぞかし。 すべて貴きは貴く賎しきは賎しく、町家ならば町家相応の名を呼ばるべし。相応の名を呼ぶが、則ち「正直なる故,皇大神宮も受けさせ玉うなり」と竹割るように言われければ、文盲至極の手代なれど、御師の辞に恥じ入りて、誇る勢い失せはてて これぞ実に宝勅ならんと感心せりと聞きおけり。 其の手代忽ちに善に化せられ、愚は変じて智にかえり、奢りは変じて倹となる。有り難き御師の徳ならずや。身は正直の神明に捧げ,旦那には心を尽くす所より、露塵も諂い曲がる欲心なく 離れ切ったる警めは 大丈夫とも云いつべし。 すべて物に相応あり。長刀を振らせ、黒縁の乗り物にて内玄関より出入りある歴々ならば 御新造の、奥の、とも言うべし。それより以下には 似合わぬことなり。況や下賎の者に於いてをや。 古えも名の奢りにて 聖人に罪を受けし者あり。楚国の子西これなり。子西は政を糺す賢大夫なり。楚は一国の君なれば 昭侯と称うべきを、王号を僭し昭王と称えさす。是を以て他によきことあれど孔子、彼をや、彼をや、子西が事を論ずるに不足との玉う。世上に 名に奢りあることを知らざる者多し。すべて分に過るは皆 奢りなり。何程奢り飾るとも 農人は農人,町人は町人にて等の躐らるゝものにあらず。夫れを知らざるは愚痴なり。「鸚鵡能く言えども飛鳥を離れず。猩々能く言えども禽獣を離れず」。可恐可慎。 或る人叉曰、今の世の人 聖賢には比べ難し。然れども 汝が口より禽獣と同じく賎しむるは 如何なることぞや。 (梅岩)答う、我不肖の身にて儒を業とす。心あらん人には 賎しめらるゝこと多かるべしと常々恥じ恐るゝことなり。然れども 聖賢の道を説く上よりは、自ら昧らきとて用捨のならざる所なり。けだし人々己に貴きものあり。教えを導く時は自ずから聖賢の道にも入り,礼儀を弁うべし。弁えざる時は禽獣に同じ。是を教えんと思わば、先ず貴賎の分ちと 天下太平の御高恩を知らしむべし。此の有り難きことを告げんとならば、乱世の悲しきことを説きて、治政の安楽なることを知らすべし。乱世の悲しみに比すれば 百分の一にも足るまじけれど、近く世に知る所なれば 大坂大火のことを語るべし。 予先年、大和巡りし、それより大坂へ出しは三月二十一日午の刻ばかりなり。千日寺の茶店に休みしに堀江辺より出火すという。焼け出しとは見えながら凄まじき火なり。折節 未申の風激しく,勢い強く丑寅へ吹き付け,黒煙りの中より此所かしこに火煙見ゆ。その勢いたとうべきにあらず。此の風にてはたまるまじとて備後町 油や何某という、常宿へ行き見れば,うろたゆる体なり。馴染みのことなれば 見捨て難く連れのうち両人は跡に残る。某は荷物を持たせ,八軒屋にて待つべしと言い,別れぬ。 八軒屋の浜へ往て見れば もはや西本願寺御堂に火かかり、大風ゆえ外の煙は逆巻く波の如くなれど,御堂の煙は二三十間ばかりも立ちのぼり,凄まじき勢いなり。火に追われ我先にと逃げ走るは、蜘蛛の子散らす如くにて,老人や子供は,負うたり抱いたり,手を引いたり,跡を見返り泣きもって逃ぐるものもあり。分けて笑止に見えけるは、廿歳あまりの卑しからぬ女,走り疲れて目を回し,船の乗り場へ連れ行き、水を飲ませているもあり。 又三十計の女、紫の小袖着て,男の様に帯刀し,長刀を持ち,素足に草鞋にて、足より血を流し,下女は風呂敷包みを負い,中間と見えし者は、葛籠をかたぎたれば、助くることもならずと見ゆ。そのほか難儀そうなる者数を知らず。七つ時までに天満も一面の火となり、難波橋も焼け,天神橋へも火かかれりと見る所へ,連れの者も来たれり。二人とも何なりとも食わねば行かれぬと言えり。さりながら、飯と金とつりがえにても、売る人なければ是非なくて、往かれ次第 往くべしと、京橋を渡り片町にて,ようやく、しんこを見あたる。かかる折とも言わずして、二文のしんこは二文に売る。げに天下太平一統に治まる御代の徳なれや。其のしんこに助けられて足軽く,守口の宿に着き,一夜を明かすも有り難き。其の時分には,大坂に親しき者もなかりし故,未明に立ちて帰京せり。 後に聞けば、西の御堂にても数十人焼死す。船場の中も此所かしこへ飛び火して一面に火が回り,焼きたてられ逃ぐる者は 風に木の葉を散らすが如し。財宝は取り次第,落とせし物は拾い次第,只命を惜しむばかりにて 我先へと逃げ行く。京橋は人集いして夥しき人死にあり。そのほか四方八方へ逃ぐる者、橋の落ちたる所は舟にて渡らんとすれど、舟には諸道具を積み置きたり。その上船頭なければ渡すべき自由もならず。渡らんとすれば 流れて死する者もありと。数の知れざる死人なれば,子が死し親は残り、親が死し子は残り,夫が死し妻は残り,妻は死し夫は残り、主人は死し家来は残るもあるべし。また其の中には、知音近づきなければ 貸し借りもならず、せんかたなく故郷などへ立ち退き、さぞ難儀なる者も有るべし。如斯物語すといえども,我が見聞く所ばかりなれば 十分の一にもあるまじ。 また戦国の昔物語を聞かば、押入 強盗 徘徊し、己が住居もなり難く,他国へ逃げんとすれば、道にて剥ぎ取り,財宝所持して逃げることもならず、着のまま逃げても,所々にて弓鉄砲を構え辞を掛け、「裸に成りて行け」と言う。「着のままなり、免」と言えば聞き入れず。「裸になればよし、否と言わば打ち放す」と言えり。命の代わる衣類はなしとて、裸になりて往きし者 数知らずと聞き置けり。 戦国の時、食物や着物が撰み分けていらるべきや。虱だらけの物ならで、着ることはなるまじ。其の時,木綿布子は重いなどと 理屈が言うていられようか。押し頂いて着るべきぞ。また食物に乏しく,多くは疲れいるべし。其の時に麦飯や白粥は嫌いなりと言うべきや。食いくるゝ者あらば、神仏のように思うべし。忝くも今の御代、天下一統に養わるゝは 有り難きことにあらずや。 孟子の曰く、牛羊を野飼いする地を牧地という。人に頼まれ,牛や羊を牧う者あらんに、必ず野飼いの地と草を求めん。其の地と草とを求め得れば、牛羊は 自ずから 養わるゝなり。又、民を養う君を人牧という。今,天下治まる時なれば己々が職分さへ勤めれば,自ずから養わるゝは 牛羊を野飼の地に放ち置けば,自ずから養わるゝが如し。此の味わいを知らず,安楽に暮らせば,己が力と思えるは愚かなること甚だし。 暖かに着、飽くまで喰らい、逸居をして人の道を知らざるは 禽獣に近きぞと 孟子も戒しめ玉うなり。今,治まる御代の広大なる御高恩報じ奉つることを思うべし。下賎の者,如何して広大の御高恩報じ奉るべき。報じ奉ることはならずとも 家内一統和合して,一人の如く治むるならば、それ程の御恩を報じ奉るとも言うべきか。世人これを思わるべし。 斉家論・下 或る人叉問う。汝儒書の講釈に袴を着せざるも 倹約の含みある故,前方より許し置かれしと見えたり。然れども某思うは 袴は礼服なり。それを許すは 礼を捨つると言うものなり。礼を捨て聖人の道は説かれまじ。天下のこと一物として 礼にあらざることなし。曲礼に曰く、「道徳仁義 礼にあらざればならず。教訓て俗を正するも、礼にあらざれば備わらず。争いを分ち訴えを弁うることも、礼にあらざれば決せず。君臣・上下・父子・兄弟も礼にあらざれば定まらず」と見えたり。其の弁えを教ゆるに 礼を捨て何を教えられ候や。 (梅岩が)答う。曲礼を引かるゝは面白きことなり。さりながら、汝の言えるは 表一通りにて、袴さえ着れば,礼は調うと思わるゝと聞こゆ。我いう所は左にあらず。聖人の教えを有り難く思う実あって、袴を着るは礼なり。実なくして袴を着るばかりは 礼にあらず。子曰く「絵のことは素より後にす」、子夏曰く「礼は後乎」。言は 礼は必ず忠信を以て質と為す。是を以て見れば,実は本なり、礼は末なり。我許せしは、信心有りても袴着ては、講釈に出がたき人の為なり。豈倹約にかかわるゝべき。隙暇は有りながら,農工商の身として、毎日袴着て徘徊すれば、隣近所の人々が子細らしく思う故,遠慮せねばならぬなり。遠慮の要らぬ旁々に、袴無用というべきや。兎角一人なりとも多く聞かせたきが 我願いなり。 固より人は性善なれば 皆君子の筈なり。然れども聖賢以下は私欲有り。私欲ある者は常人なり。其の中に甚だ溺るゝ者は悪人ともなる。この故に教えなくんば 有るべからず。能く教ゆる時は善人となる。又甚だ溺るゝ者も 刑罰を逃るゝ常人までには 成り易き所なり。これ皆 性善の徳ならずや。 故に孝経・小学などを説き,其の意味を知らせ 心を和らげ、上を貴び、下を憐れみ、家業の事に怠りなきように教えたき志ゆえ、和らぎ説き候まま、老若男女共に望みあらば,無縁の旁々にても聞かるべしと、又書付を出せり。或る学者これを見て「儒書が女の耳へ入るものか,めずらしき書付かな」と譏られしと告ぐる人あり。其の時某答に「古の紫式部・清少納言・赤染衛門などを、其の学者は男と思われ候や」といいければ,告げし人、我言う所に同心しておかしがられき。 か様のことを言わるゝも、近世の学問多くは詩作文章に流れ,聖学の本を失せる故なり。論語・学而篇に「行(こう)に余力ある時は文を学べ」と孔子既に のたまえり。文学は末なり。身の行いは本なり。すべて学問は,本末を知るを肝要とす。 叉「国を治るには、用を節にして民を愛す」とのたまう。財宝を用ゆること倹約にする中に、人の愛するの理備われり。人を愛せんと欲すとも、財用足らざれば不能。然れば家・国を治むるには、倹約は本なること明らかなり。是まで物語すと言えども 汝いまだ不得心と見ゆ。幸い今般 門弟倹約 示し合わせの書付を認め,其の序を予に請われけれど、先ず何もの存じより述べられよ、と言えば、如斯とて書付見せられけり。趣意 予が心に合う。これ約にして見やすかるべし。此の序を見て倹約の意味を考え知らるべし。 倹約序 伏して惟に、御代の泰平 目出度く治まること、上は貴く下は賎しく,尊卑の位ましまし、有りがたくも孝を鬼神に致(きわめ)、飲食・衣服・宮室の類は薄く為し,倹を用いたまい,恵みを万邦に垂れんと,御力を尽くし玉う。至徳光輝、普くあらわれ、末が末まで安穏に,照らし玉わぬ里もなし。 実に徒然草にも「世を治る道は,倹約を本とす」と言えり。蓋し倹約と云事、世に多く誤り、吝きことと心得たる人あり。左にはあらず。倹約は財宝を節く用い,我分限に応じ,過不及なく,物の費え捨つることを厭い、時にあたり法にかなう様に 用ゆること成るべし。 それ天下安穏に治まり,有り難く忝きこと一をあげて言わば,財宝は数千里のあなたより、数千里のこなたへ取り通わし,舟路・陸路・海賊・山賊の患いも知らず。近くは閭巷の区々まで、我家々々に安居して、士農工商己々が業に心を入るれば、何の不自由なきようにとの御仁政、上は申すも恐れあり。夫々所々に司位にましまして、日々夜々に怠らず,是を治めたまわり, 叉家業の隙ある折々は、月花の楽しみも心にまかせ、且志あれば、聖人の道を学び,貧福ともに天命なれば,此の身このままにて足ることの教えを聞く。此の国恩の大なること、天地の如くにして 中々筆にも尽くすまじ。下として無道放逸を為し,上を犯し,我分限を知らず身を奢り,人のいたみを知らざるは、悲しきことかな。さある人は天罰逃るゝことあるまじ。今誠に目覚むる心地して,国恩を仰ぎ奉り先非を悔いぬ。これ教えを受くる益ならんか。 さて、此の御高恩を如何して報じ奉つるべきや。明らかには知らねども,我が身を治め、上を犯すことなき様に慎しみ,父子・夫婦・親類・縁者、家の小者に至るまで、互いに睦まじく打ち和らぎ,吝きことなく倹約を守り,一人の小者,叉は出入り従う者を憐れみ助けたき志なり。 これまでも,一家親しみ また人を恵むこと、元来嫌うにはあらねども、第一自身の奢り強く,費え多き故,人を恵む仁愛の心も外に成り行きぬ。親しき親類の疎かになるも、彼の奢り故、一家の出会いも物毎造作に、料理などもおもくなり、度々の出会いもなく、遠々しくなりぬ。これを以て見れば奢りは不仁の本となる。恐れ慎しむべし。 今より後、常の出会いは,茶漬け飯・したし物などにて、木綿衣類なれば、自ずから心やすく度々出会い、親しき上にも親しくなり,且親類は言うに及ばず,宿持ち手代 出入りの人々まで,若し身上不如意なる者あらば、その訳を聞き届け,不実ならざることならば、何分力を合わせ救うべし。 又家内を恵むにも、先ず木綿衣類なれば新しく仕替えるにも心やすく,古き物は仕着せの外に見合てつかわし,仕着せの新しき物は、貯えを隠す様に仕なし、又半季一季の者は、纔かの給銀を取り,布子一重を拵ゆれば、残り少なになり、鼻紙代も不自由にて、甚だ不便のことなり。たとえ盆正月に,百二百の銭,叉履物などつかわしても、これらにて足るべしとも思われず。もっとも家により,奉公人により,高下次第も有るべけれど、すべて是に准ずべし。それ故 たまかに勤むる者には、折々の心付け致すべきことなり。 さて叉,世間に人をつかうに 定まりの仕着せや給銀さえ渡しぬれば、事済む様に思い,そのほかに心を付くる人まれなり。奉公に出る人,親もと不自由ならざる人もあれど、多くは親里貧しき故、奉公にも出す。親もと豊かなれど乳母をも添え,養い育つることなり。然れども貧しき故、親の手を離し、はるばる奉公に出すものなれば、さぞ悲しく不便に思うべけれど、是は助けたきとて如何がすべき。又助くならば助けられることは、助けたきことなり。 すべて田舎出の奉公人は、布子一つ、帷子一重あれば、事足りぬと思えり。然れども半季か一季過ぐれば、傍輩の衣類多くあるを見て,羨ましく思い不自由なる親本へ言いやれば、親は聞くより不便に思い,借金してなるとも一つづゝも拵え登せ、最早能きかと思えば、叉足らぬものを言いやれば、拵ゆることはなり難く,登さねば子供が不便なり。如何してなるとも登したく思い,悩み煩う者多く,痛ましきことなり。斯様の類は心を付け,助くればなることなり。それ故貧しき親兄弟に,其の苦労をさせざる様に致したき志なり。 元来今般の倹約は、上を恐れ己が賎しきことを知り、約を守り万分の一なりとも礼儀を守らば,自ずから親類はいよいよ睦まじく,家内の者には親兄弟の労を逃れさせ,出入りの人々には恵みの端ともなり、子としては先祖父母への孝となり、自ずから上を恐るゝ恭順の道ともならんか。 或人曰、門人方 倹約の序文を見れば,町家相応にては面白し。然れども町家ばかりの倹約にて、大道の用に立たず。同じくは世間一同に用ゆる様に教えらるゝがよかるべしと思えり。汝の門人には武士方もありと聞けり。此れ等の教えは如何。 (梅岩の言葉)答、汝は町家のことは瑣細にて、大道には用いられず言う。それがし思うはさにあらず。上より下に至り,職分は異なれども 理は一なり。倹約のことを得心し行う時は,家斉い、国治まり 天下平らかなり。これ大道にあらずや。倹約を言うは畢竟 身を修め家を斉えん為なり。大学にいわゆる 「天子より庶人に至るまで,一に是 身を修むるを以て本とす」」と。 身を修むるに 何ぞ 士農工商のかわりあらん。身を修むる主となるは如何。これ心なり。此の身の微なるを喩えて言わば,大倉に稊米一粒あるが如し。然れども天地人の三才となるは ただ心のみ。古今誰か此の心なからん。然れども是を知る者は稀なり。知ると言えども,其の通りを行う者,甚だかたし。ひとり君子は誠を存し,克く思い克く敬し,天君泰然にして百体令に従う。 不学者は見聞く所の欲にひかれ、固有せし仁心を見失い、これを求むることを知らず。知らざればことごとく不仁となる。不仁となるものを 放心と言う。 もっとも色心は愛より来ると言えども、過ぐれば忽ち不仁となる。先ず放心の一二を挙げて言わば,名聞と利欲と色欲なり。 衆人はたとへ少々の善事を為せども,己を他より誉められたく思う心よりする善事なれば、実の善事にあらず。そのほか身上のこと、氏系図のこと、或いは芸能、智恵に至るまで,己相応より宜しく思われたき心あるは皆、名聞なり。 又利欲というは,道なくして金銀財宝を増やすことを好むより、心が闇くなりて、金銀あるが上にも溜めたく思い,種々の謀を為し,世の苦しみをかえり見ず,剰え親子・兄弟・親類まで不和になり,互いに恨みを含むに至る。 又色欲と言うは,若き時は前後の弁えもなく、品形にのみ愛で、此所かと思えば彼処にわたり,流れの女にさえ心を見透かさるれど、それも知らず、親の許さぬ金銀を遣う。又老いたる人も夫婦諸共,道に入るべき時,腰元や下女に手を掛け,叉は若き女を抱え寵愛し,親しむべき女房には疎くなり,頭には白髪を頂くことを知らず。栄耀栄花の驕りの為に,心を悩ますこと甚だし。 そのほか万事不義無道を為し,心を煩わすは皆、放心を以てなり。此の味わいを知らず、仁に心を尽くさざるは 哀しきことかな。聖賢これを歎き給い「学問の道他なし、その放心を求むるのみ」と孟子も既に説きたまえり。予教ゆる所もこれによれり。孟子開き示す所,至って重きことなれば、容易ことにあらず。然れども,執行の功により、放心を求め得ることあり。求むる時は,心の一致なることを知る。 故に士農工商各々職分異なれども,一理を会得する故,士の道を言えば農工商に通い,農工商を言えば士に通う。なんぞ四民の倹約を 別々に説くべきや。倹約を言うは他の儀にあらず、生まれながらの正直に還したき為なり。天より生民を降すなれば、万民はことごとく 天の子なり。故に 人は一個の小天地なり。小天地ゆえ、本私欲なきものなり。この故に 我が物は我が物,人の物は人の物、貸したる物は受け取り、借りたる物は返し,毛筋ほども私なく、ありべかかりにするは正直なる所なり。この正直行わるれば、世間一同に和合し、四海の中 皆 兄弟の如し。我願う所は,人々ここに至らしめん為なり。 分けて士は政のたすけをなし,農工商の頭なれば、清潔にして正直なるべし。もし私欲あらば,其の所は常闇なり。又農工商も家の主は家内の頭なり。もし私欲あらば 家内が常闇となる。すべて物の頭となる者は可慎事なり。然るに欲心に覆われ,此の正直を行わずして,浅ましき交わりになり行くは悲しきことなり。 かるがゆえに十五年このかた,其の私欲を離るゝことを説き来れり。私欲ほど世に害を為すものはあらじ。此の味わいを知らずして為す倹約は,皆吝きに至り,害をなすこと甚だし。我言う所は正直より為す倹約なれば,人を助くるに至る。子曰「人の生るは直なり。罔て生るは幸いにして免れたり。」とのたまえり。是を以て見れば,不直にして生けると言えども 死人に同じ。おそるべきことなり。其れにつき去春、或る人関東の洪水のことに依って問われしことあり。わが返答せし趣き,物語りすべし。 或人の問に曰く、何の方は際の払いも例年の通り首尾よく仕舞い、正月を祝はる。それがしも人に遇えば先もって御慶と言えば 先方よりも御無事に重年目出度しと言う。然れども我が心苦しければ 一切目出度うなし。所以は去年関東の洪水に 我が蔵の如くに思いし、三軒の得意は,家財より田畑まで流され身柄ほうほう、命を助けられしばかりなり。依りて当分の見舞いに 金三十両余り遣わしければ ようようと飢えは助かり居らるゝなり。然れども売り場もことごとく流れたれば,中々商いの段にてはなく、これまでの売り掛けを取り集め、のぼさるゝは今年とも来年とも 其の限りは知り難し。 此の仕合せ故に際払いもならず、借金を済まさんとすれば 家財まで売り払い赤裸に成るなれば、是も叉成り難きことなり。日比汝の物語りを聞くに 難儀の所にて心を悩まさぬが 学問の力なりと言えり。かかる時如何して心を悩まさず、御慶目出度く祝はるべきや。 (梅岩が)答う、それがしの言う通り背かず用いらるゝならば、いと心安きことなり。望みの通り万々歳を祝うべし。祝うというは他の儀にあらず。正直を守ることなり。正直を守らんと思わば,先ず名聞利欲を離るべし。然れども柔弱にては離れ難く,名利の心は発るべし。発るとも一生行なわざれば、さても正直者なりと、天下の人悦ぶべし。天下の人に悦ばるるほど 目出度きことはあるまじと思えり。如何。 或る人、曰く、正直者と言わるるは 誰も望む所なり。然れども借方を済ますことは 如何すべき。 (梅岩が)答う、汝世間の者に悦ばるゝは 誰も望む所という。悦ばるゝが望みならば 家財残らず売り払い赤裸になり、借金を済まさるべし。悉く済まされなば、今の世にたぐい稀なる正直者と 世挙って悦ぶべし。其の正直と叉 神の正直と二品あるべきや。其の正直が通るならば 汝も直に大神宮の末社同然なり。既にひめ大明神のご託宣に「天にならい地に受けたりし人心 曲がらざりせばすなわちの神」とあり、此の意味を得心せば身上有切売り払い、借金皆済せらるべし。其の時負せ方の心を推して言わば 誰もかくさっぱりと裸には成り難きことなるに、さても正直なる仕方かなと、汝が心を感ずべし。例えて言わば人の生まれし時は裸なり。然れども裸で凍えし赤子もなし。無智無欲なるものなれど 先ず産着とて着せるなり。親が着するのみならず、親類まで持ち寄り着せるなり。人の心は自然に慈悲・正直なる所あれば 汝の裸になられし其の日より、感心せし負せ方が寄り集まりて着すべし。 さは言えど 何程の財宝が集まるべしとは知り難し。正直より集まる財宝なれば,神に捧ぐる散銭の如し。然るに世間に 此の貴まるゝことを嫌い、私欲を持って邪知者を頼み相談せば、何程の借金有るとも、二三歩通りより扱いかけ、弁舌を以て言い回わさば、四五歩通りにては済むべし。少し成りとも多く残すを手柄とし、其の残る金銀を 我が物と思い 人を騙すことを所作とするは 俗にいう騙り盗人という者なり。「謀計は眼前の利潤たりと言えども,必ず神明の罰と当たる。正直は一旦の依怙にあらずと言えども 終に日月の憐れみを蒙る」とは皇大神宮の宝勅なり。神の罪人とならば居所はあるまじ。広き世界に住み得ずして 狭き住居するは悲しきことなり。広き世界に住み得ずして 狭き住居すると言うは、土地のことにてはなし。広大なる心を 微塵の如くなして苦しむことを言う。また正直を行い,心に恥ずることなければ、限りなき天下の広居に居て,深長なる楽しみあることなり。我教ゆる所は其の騙り盗人の難を遁れさせ、正直者と言わせ,鏡の如き神明の御心にかなうようにならるゝは 目出度い祝いにあらずやと言う。 或る人又 曰く、汝言う所の倹約は 正直が本なることを言い、そのうえ常にも正直を第一に教えらるゝにつき、或る人へ答えられし物語一通り聞こえたり。汝所存の通り、赤裸となりても 正直を用ゆる志に候や。然れば論語に「葉公 孔子に言って曰く、吾党に躬を直くする者あり。其の父 羊を盗む。然るを 子是を証す」とあり。父が悪事にても 隠さず現わすは ありべかかりの正直なり。また前に引かるゝご神託に「天にならい 地に受けたりし人心 曲がらざりせば すなわちの神」とあり、天地は見えし通り明らかにして隠す所なし。汝が言う所も隠すことなく ありべかかりの正直なれば ご神託に同じうして真っ直ぐなり。然れば汝が言う所は 神道の上のことなるべし。 某思うはさにあらず。全て世間のこと 汝が言う如く さっぱりと裸になり難き所あり。故に 孔子も葉公に答えて曰く「我が党の直き者は これに異なり、父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の中にあり」とのたまえり。汝も我も同じく儒書を学び、斯様に相違あるは如何。 (梅岩が)答う。此の御歌は 人々天地に受けたる心を 直に用いる時は、即ち神なることを知らせ玉う所なり。汝は父が悪事を証す悪人を 反って正直者と思い ご神託と同じ様に見なすは 理に闇らき故 是非わかれず。彼が不善を知らんと思わば、実情を知るべし。実情の発る処を言わば ここに人あらんに其の父 人を殺さばハッと驚くは子の常なり。また父が羊を盗みしと聞く時も ハッと驚く情 発るは、鏡に物の移り 形に影の添うが如く、間に髪を入れず。此の所にて豈 直・不直を論ぜんや。 これ惻隠の情にて実情なり。常人は勝手に引かれて思慮多く、其の意に思うは 此の事人が知るべきか、定めて知るべし、隠し課することはなるまじ。迚も隠されぬことならば 人に言われぬ前に 我より言うが 罪も軽くて然るべしと思い、父の悪事を現わすは 己を思う所より、父を捨つるに至る不孝者にて大悪人なり。汝 博学なれども理に闇らき故、思慮と実情分かれ難く、もとより論語が解けぬ所より 神道儒道に高下を見なすは 笑止なることなり。 既に孟子に言う「上世嘗て其の親を葬らざる時あり。其の親死する時 挙げて是を壑に委。他日これを過ぐる時 狐狸これを喰らい、蝿・虻もこれを喰らう。子が額より汗流れ、睨に見て不視。それ汗すること人の為に汗するに非ず。中心より面目に達す」と。 是即ち惻隠の心なり。予はこの惻隠の心の発る所を 直に行うを 正直という。舜の大聖人と言えども、瞽瞍人を殺さば 善悪を選ばず 負うて遁れて隠れ給うべしと、孟子ものたまう所なり。 聖賢の説き給う惻隠の情は 直に真心なり。思うて得るにあらず、勉めて中にあらず、天理の自然なり。程子の所謂 聖人の心は明鏡止水のごとく四方八方を照らし給う。また神道にて 八咫鏡と申し奉るは、直に天照大神宮の御心にて 天が下あらんかぎりを照らさせ給う。神聖の御心如斯。一塵もとどめぬ御心にて乾坤を貫き給う。これ明らかなりといわんや、直なりといわんや、また正しきといわんや。年月を重ね黙して識るべき所なり。予言う倹約は ただ衣服・財器のことのみにあらず。全て私曲なく、心を正しうする様に教えたき志なり。退いて工夫あるべし。もっとも言う所は質朴にして野鄙ならん。然れども文質相かぬることは 大賢以上のことにて、天に楷て升るが如し。言うも中々愚かなり。 斉家論・下 終               門人蔵板 延亨元年・甲子・9月                         平安弘所書宬                                小川新兵衛                                小川源兵衛                                     <完>