(巻の1)1・1「都鄙問答の段」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8-27      1・2「孝の道を問うの段」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27-38      1・3「武士の道を問うの段」 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 38-44      1・4「商人の道を問うの段」 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 44-49      1・5「播州の人 学問の事を問うの段」 ・・・・・・・・・・・・ 49-62 (巻の2)2・1「鬼神を遠うざくという事を問うの段」 ・・・・・・・・・ 62-69      2・2「禅僧 俗家の殺生を譏るの段」・・・・・・・・・・・・・・ 69-76      2・3「或る人 親への仕るの事を問うの段」 ・・・・・・・・・  76-88      2・4「或る学者 商人の学問を譏るの段」 ・・・・・・・・・・ ・ 89-125 (巻の3)3・1「性理問答の段」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 125-167 (巻の4)4・1「学者行状心得難きを問うの段」 ・・・・・・・・・・・・ 167-171      4・2「浄土宗の僧 念仏を勧めるの段」 ・・・・・・・・・・・ 171-178      4・3「或る人 神詣でを問うの段」 ・・・・・・・・・・・・・ 178-179      4・4「医の志を問うの段」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 179-182      4・5「或る人 主人の行状の是非を問うの段」 ・・・・・・・・ 182-211      4・6「或る人 天地開闢の説を譏るの段」 ・・・・・・・・・・・211-218 「都鄙問答」<巻の1> 1・1・都鄙問答の段 大哉乾元、万物資始, 乃統天、雲行雨施、品物流形、乾道変化、各正性命也(「易経」乾之卦彖伝)。天の与うる楽しみは、実に面白きありさま哉。何を以てかこれに加えん。 或時故郷の者來りて曰く。頃日出京致し、親類ども方に罷在候ところ、或学者參られ物語の上、汝の噂出申候。夫れにつき、尋度子細有りて來り。是まで在所にての噂には小学などを講ぜられ、少々宛は門人も聚らるゝと聞き、影ながらも喜しく思ひ侍し所、彼の学者申されけるは、彼は異端の流れにて儒者にては無しといえり。よってその異端と云うは、如何なる義ぞと問いければ、異端と云うは聖人の道にあらず、その者が別に私意を以て教えを立て、世上の愚かなる者を誣くらませて、性を知るの心を知るのと、向上の論議を為し、人を惑わすことなり。性を知ると云うは、古の聖人賢人のことにて、後世の人及ぶべき所に非ずといえり。我此を聞くより思へば、人を惑わすことは、山賊強盜を為すよりは、その罪は甚しからん。あまりに笑止に思はれ如此云うなり。汝故郷へ帰り居らるゝ共、ただ口を養うことは、心易きことなり。口一つ養なわんとて人を迷わすは 哀しきことなり、如何心得られ候や。 (梅岩の)答。厚き志過分の至りなり。先今日教えをなす志を語らん。孟子曰 人之有道也。飽食煖衣 逸居而無教 則近於禽獣。聖人有憂之 使契為司徒。教以人倫 父子有親 君臣有義、夫婦有別 長幼有序 朋友有信(「孟子」滕文公上篇)。此五の者を能くするを学問の功とす。これにて古人の学と云う者を知るべし。 論語學而の篇にも、大抵皆 本を務むることを多くせり。人倫の大原は天に出て、仁義礼智の良心よりなす。孟子又曰、学問之道無他、求其放心而已。此心を知て後に、聖人の行を見て法を取るべし。君の道を尽し玉うは堯にあり。孝の道を尽し玉うは舜にあり。臣の道を尽し玉うは周公にあり。学問の道を尽し玉うは大聖孔子なり。 此皆孟子の所謂、性のまゝにして、上下天地と流れを同じくす。聖人は人倫の至りなり。如是君子大德の行跡を見、此を法として、五倫の道を教え、天の命ぜる職分を知らせ、力行ときは、身修て家斉、国治て天下平なり。孟子曰。遵先王之法而過者未之有(「孟子」離婁上篇、詩曰)。又曰 天下言性故而已。故以利為本(「孟子」離婁下篇、朱註)。其性と言うは人より禽獸草木まで、天に受け得て以て生ずる理なり。 松は緑に桜は花、羽ある物は空を飛び、鱗ある物は水を泳り、日月の天に懸るも皆一理なり。去年の四季の行なわるゝを見て今年を知り、昨日の事を見て今日を知る。これ即所謂 故を見て、天下の性を知ると言う所なり。 性を知る時は、五常五倫の道は其中に備れり。中庸に所謂 天命之謂性 率性之謂道、性を知らずして、性に率うことは得らるべきにあらず。性を知るは学問の綱領なり。我怪しきことを語るにあらず。堯舜万世の法となり玉ふも、是率性而已。故に心を知るを学問の初じめと云う。然るを心性の沙汰を除き、外に至極の学問有ることを知らず。万事は皆心よりなす。心は身の主なり、主なき身とならば、山野に捨つる死人に同じ。其主を知らする教えなるを、異端と云うは如何なることぞや。 (同郷の人)曰。彼学者の云る而已に非ず。其座に禅僧居られけるが此僧の云えるは、拙僧も自性を見たしと思ひ、十五年程坐禅致すといえども、今に此ぞと見性せず、見性すれば、飛び揚るほど嬉しきこと有りと聞く、然に心易知らるゝと云うは、紛れ者に違いはなしといへり。且汝の云える如なれば、知り易きことなり。 我ら如きは、心のつかぬことなれども、心を付けて見るならば、春は花咲き、秋は実り、冬は藏り、人は人の道を行ひ、夫にて知れたることを毎日毎日講釈し、家業の忙しき者を寄せ聚め、隙を費さしむるは如何なることぞ。且汝は故を見て知ると云う、彼禅僧十五年の間、心を尽しても、性を知り得ること難しと云う。然るを汝不学の身として、知ること安しと云う。彼此以て疑ひ多し。此訳は如何。 (梅岩の)答。汝物語の僧は、未徹の僧なれば云うに不足。定て妙を見ることありと思ふならん。釈尊は暁の明星を見て大悟し玉ひ、唐土の霊雲は桃花を見て悟られしにあらずや。悟りて後は星を月と見るべきや。又悟らざる前には桃を桜と見るべきや。如何ぞ括溌端的の所を知らざる。信心不及の所より、無益のことに十五年の間、精神を費やすは惜哉。又汝我を不学と云えるは、文字に疎きと云うことか。 (同郷の人)曰。然り。 (梅岩の)答。唐土の六祖は、一字を不学とかや承る。然れども達磨より六代の祖となり、禅を今日まで継ぎ來るは、六祖の力に有るとかや。然れども是は禅宗のことなり。又我儒にて云わば、子夏曰、賢賢易色 事父母 能竭其力 事君能致其身 与朋友交 言而有信 雖曰未学吾必謂之学矣。聖人の道は心よりなす。文字を知らずしても親の孝も成り、君の忠も成り、友の交りも成り、文字無世なれ共 伏羲神農は聖人なり。只心を尽して五倫の道を能くすれば、一字不学といふ共 是を実の学者と云う。且文学ある者は 文質彬彬の君子とは云うべけれど、常体の者の至るべきことに非ず。如何となれば、家業忙しく記臆薄き者多ければなり。子曰、行有余力則以学文。聖人の学問は行を本として、文学は枝葉なることを知るべきことなり。 曰。汝の云える如くなれば、文学は末なること明らかなれども、彼儒者に一言にて、身の修るべきことありやと問えば、汝が如き四書の素読もせざる者に、聖人の道何を云い聞かせんや。俗に聾に囁くと云うが如し。耳に入ることなかるべしと云われたり。又世間の人も斯思えり。然れば汝の云える所は誤りなり。文学なくては知らるべきことには非ず。何程に云われても、疑いなきこと不能。又汝は何方にて学び、世間の学者に替りたる教えを弘むるぞや。 答。替りたる教えに非ず。汝不審の所を語るべし。我何方を師家とも定めず、一年或は半季聞き巡るといへども、我初心と愚昧の病より、此ぞと心定らず、心に合える所もなく、年月これを歎きしに、或所に隱遁の学者あり。 此人に出会い物語の上、心の沙汰に及びし所、一言の上にて先には、早速聞き取りて、汝は心を知れりと思うらめど、未知。学びし所 雲泥の違いあり。心を知らずして聖人の書を見るならば、毫釐の差千里の謬と成るべしと云えり。然れども我云うこと、先方へ聞えざるゆへに、斯申さるゝと心得て、幾度も論議に及ぶといえども、肯う気色見えず。我益々合点いかず。或時彼人の云う、汝何の為に学問致し候や。 答えて云う。五倫五常の道を以て、我より以下の人に、教えんことを志すと云う。彼人の云う、道は道心と云うて心なり。子曰 溫故而知新 可以為師矣(「論語」爲政篇)。故とは師より聞く所、新とは我 発明する所なり、発明して後は学ぶ所我に在りて、人に応ること窮りなし。此を以て師と成るべし。然るを汝 心を知ざれば、自ら迷い居て、且他も迷わせ度候や。心は一身の主なり。身の主を知らざれば、風來者にて宿なし同前なり。我宿なくして、他を救わんと云うは覚束なしと云えり。 我見識を云わんとすれども、卵を以て大石に当るが如し。言句吐くこと不能、此に於いて茫然として疑いを生ず。実に得たることは疑いなき者なり。然るに疑いの発るはいまだ得ざると決定し、夫より他事心に不入、明暮、如何如何と心を尽くし身も労れ、日を過すこと一年半計りなり。 折節 愚母病気に附き、廿曰余り看病せしに、其坐を立ち出けるが、其時忽然として疑い晴れ、煙を風の散らすよりも早し。堯舜の道は孝弟而己。魚は水を泳り、鳥は空を飛ぶ。詩にいう、鳶飛戻天、魚躍干淵(「中庸」十二章)と云えり、道は上下に察なり。何をか疑はん。人は孝悌忠信、此外子細なきことを会得して、二十年來の疑いを解く。これ文字のする所にあらず。修行のする所なり。 曰。其子細なしと会得せるとは、如何なることぞ。 答。此 会得せしことは言い難し。然れども譬えを以て其趣を語らん。或は証文、印判抔の類、入用の時、器を視共不見、又外を尋れども不見。今曰も尋ね、明日も尋ね 又余日も尋ぬれども不見、見えぬに附き疑い起り、取られはせぬか、証文などは、反古にまぎれて遣いはせぬか、落しはせぬかと、種々に疑い起るものなり。余り見えねば 最早是非なしと思ひ、他の用事あつて取りまぎれ居る時、忽然と思い出すことあり。思ひ出すはこれも文学の及ばざる所なり。其時にこそ、前に盜まれやせん、落しやせんと思いし疑いも、忽に晴るなり。心を知るも其如く、闇夜の忽に明け、一天照然として明らかなるが如し。 (同郷の人)曰。然らば心を知る時は、直に賢人にて候や。 答。否。身に行わざれは賢人にあらず。知る心は一なれども、力と功とは違いあり。聖賢は力強くして功あり。中庸に所謂、安んじて行ふは聖人なり、利して行ふは賢人なり(「中庸」二十章)と云うこれなり。我等如きは力弱くして功なし。或は勉強して行ふ是なり。然れども心を知る故に、行はれざることを困しむ。困しむと言えども行ひおほせ、功をなすに及んでは一なり。 曰。道は楽しむべきことなるを、困しむことを学ぶとは如何なることぞ。 答。譬えば 批に相駕籠舁二人の者あらん。一人は力強く一人は力弱し。強は苦まず、弱は苦しむ。苦しめども駕籠を舁ゆへ 飢ることを免る。駕籠に出ざれば、乞食と成りて路道に立つなり。道を行ふことも如此。我ら如きは力弱き駕龍舁に同じ。苦しみながらも行う故に、不義に陥いらず。是を以て心安し。又心を不知者は、常に苦しみ有りて言葉の上に見る。然れ共 その恥を不知故に 学ぶ志立たざるなり。 曰。汝の云える行いと云うは、礼儀三千三百を習ひ、威儀を正しくすることに候や(「中庸」二十七章)。左様のことなれば、我ら如き農人などの行うことは叶わざる所なり。彼学者の云うごとく、不学者の及ぶべきことに非ずと云わるも断なり。 答。否、左にはあらず。汝の云えるは、孔子子張を謂て、師は辟なり(「論語」先進篇)との玉ふ所なり。辟との玉ふは、威儀に習いて実の少なきを云う。行いのことを 汝が聞き易き所にて語らん。行いと云うは農人ならば、朝は未明より農に出て、夕には星を見て家に入る。我身を労して人を使ひ、春は耕し、夏は芸、秋の蔵るに至るまで、田畠より五穀一粒なりとも、多く作り出ことを忘れず、御年貢に不足なきやうにと思ひ、其余にて父母の衣食を足し、安楽に養い、諸事油断なく勉むる時は 身は苦勞すといへども、邪なき故に心は安楽なり。身を肆にし、年貢不足する時は、心の苦しみと成る。我教所は心を知りて、身を苦労し勉むれば、日々に安楽に至ることを知らしむ。心を知りて行うときは、自ら威儀正しくなり、安きを知ることなれば何をか疑わんや。 曰。知る者の善なることは、聞こえ侍りき。然れば少しにても聞こえたる者は弥進むべきことなるに、前方は汝の方へ進み來れども、今は少し緩者有ると云うことは如何。 答。左様なる人も有り。其人最初に思うようは、今まで遊興を好む心も、利欲に耽る心も、柔弱も忽に止み、心清淨にして、楽しむべしと思ひし所に、忠孝と家業を情に入れ、身を敬まざれば、安楽になられず。旧染の人欲出て行い難し。行なわざれば心を欺むき、道心と人心と戰うゆへに中を苦しむ。後は善からんと思へども、当分が窮屈故に、進まざる者あり。子曰、困而不学民斯為下矣(「論語」季子篇)との玉ふこれなり。 曰。然らば知るといえども、悦び來らざる者は、益なきことに候や。 答。其者当分には、不義は行うまじきと思へども、修行の功なきゆへに、人心と道心と雜りて分かれず。然れども一度道を聞て、不義を惡むことを知れば、此れ程の益なり。不義を嫌うは善なり。急々に進まざるは柔弱の致す処なり。又曽子孟子の如きは行い課せて上達し玉へり。依て仁以為己任又養浩然気に至れり。今云所は、性を知るを先とす。性を知れば行ひ至り易きの道なり。 孟子も人を導き玉うは“性を知るを先”として教え玉う。依て最初より“性は善なり”との玉う。此れ孟子発明し玉う所にして、前聖のいまだ発せざるところ(「孟子」序、程子曰)なり。知りて行いに至ることは早し。行いおおせて至ることは遅し。故に性を知るを先とし玉う。今教えを立つるも此れに効えり。法なき道を弘むるにあらず。我因所は孟子の、尽心知性 則知天(「孟子」盡心篇)と説き玉う。我心に合ひ疑いなきを以て、教えを立つる本とす。求観聖人之道者 必自孟子始と、序說にも見えたり。 曰。彼儒の云う、汝は詩作文章に疎き由を聞く。若し儒者たるもの諸侯方へ召出さるゝこと有りて、詩文などを好ませたまはゞ、如何すべき。文学なくして儒者とは云れまじと云う、如何。 答。然り。我等如きは文字を正しては、手紙一通も書き得ざる者、何方へ出ずべきや、拙きを知りて出でざれば恥を受ること少なかるべし。元來儒者は政に従う者なり。論語にも仁を問い政を問うこと多し。詩作文章に及ぶこと少なり。孔子は德に至り仁を全することを教え玉う。孟子は其の仁を知ることを教え玉う。依て心を尽し性を知ると説き玉えり。文学は末なること明らかなり。然るに詩作文章ばかりを儒者の業と思えるは辟なり。 子曰 誦詩三百授之、以政不達、使四方不能専対 雖多亦奚以為(「論語」子路篇)と。専対るは心なり。詩三百を誦するは文なり。和漢ともに小事を見て、大事を見る者 少なり。陋哉 文学に伐。文芸も道の助けとなれば、舍ることにはあらず。愚 文学拙きを以て悔ゆといへども、民間に産れ家貧して、学ぶべき暇なく、四十余の比より此の道に志す。如何して文学までに至るべき。只恥ずべきは何方へ一簡の饋るとも、文字に於て誤ることぞ多かるべし。見る人これを用捨有らんことを願う。 1・2・孝の道を問の段 或問曰、我若年の比は、前後の弁もなきことなれば、親へ不孝のこともあるべけれども、最早壯年の比よりは、孝行の心付けも有るゆへに、何の不孝もいたさず、随分心一盃につとめ候えども、是ほどの孝行は、世間にも有ることなれば、天下に誰と、名を呼るゝほどの、孝行を勤見申度候。如何様に致し然るべく候や。 (梅岩)答。父母の心に逆らわず、我顔色温和にして親の心を痛めざるやうに事らば孝行とも云うべきか。 (或る人)曰。父母の心に逆らわざると、顔色温和にすることは、軽きことにて勤まり易きことなり。たとひ能くすればとて、内証のことなれば、世に呼るゝ程のことは有るまじく候。我云う所は他人の目にも、発知と立つほどのことを勉見申度候。 (梅岩)答。汝の云るる所は、名聞にて真実を以て父母に事と云うものにあらず。其名聞あれば、利欲も甚多からん。名利の勝つ者は、必ず仁義の心薄し。孝行は仁義の心よりなす者なり。有子曰、君子務本、本立而道生(「論語」學而篇)と。 根本既に立つときは、其道自生。本との玉うは親に事るのことなり、名を求るは誉を喜ぶなり。我名に著する者、豈孝を知るべき。汝は父母の心に逆らうことなしと云う。然るに去暮伯父の方より、少々の銀子借用に來りし所、兩親は用立て遣わすべきよし申されけるに、汝不得心にて少しも不借ゆへ、親達難義に思われ、向後外の事は、倹約も致すべく間、此度は用立て遣わすべきよし、再三申されしかども、汝聞き分けなく終に借さざるよし、其の爭う時も顔色温和に候や。人に爭うときは、温和ならざる者なり。夫にても逆らわざると温和との二つ、心易く勉むると云うは如何なることぞや。 (或る人)曰。孝経に父有爭子 則身不陷於不義 故当不義 則子不可以不爭於父と。爭うときには如何ぞ温和なるべき。父母に不義あるとき爭うことは、聖人といへども有ることなり。我爭いも是に効えり。去冬伯父が方より銀子借用に來たりしとき、親ども貸し度思うことはこれ不義なり。伯父も前方とは違い勝手も貧しく、何返すとたしかに心当なきことなり。其返す覚えもなき所へ、積なく貸せと云うは前後の弁なきことなり。加様なる不義を云わるゝときは、親といへども爭わずば有るべからず。 たとひ父母如何様に云えばとて、家の害あることは成難候。我貸さざるは後々に至りて、親に不自由をさせまじき為なり。手前に損あることを、堪忍し面前に従うは、父母に甘き毒を食せるが如し。其の毒を与えざるは実の孝と云うべし。其のうえ衣類食物は、望みの通りにいたさせ、遊興 物參等、心任せに致すことなれば、大概の孝行は致し候。但し雪中に笋を抜く(支那二十四孝中の孟宗の故事)程のことなければ、孝行の至りとは云わざることに候や。 (梅岩)答。汝も少しは学問を致されしと見えて孝経を引用うと言えども尽く本意に違えり。父有爭子 則身不陷於不義との玉うは 親無道にして、欲惡甚しく、或は君を殺し、国を奪い、下たる者が盜みなどをなす、大なる不義ある時は 善に遷らしめん為の爭いなり。汝は親に仁義の心有りて人を救うを、我不仁不義を以て、拒爭うと云うものなり。子としては親を善に導びくべきを、反て惡道へ陷しいれしむること有るべきや。汝の如く書を見なす者も、学問せし者と云わば、世の人学問は不仁の本なりと思うべし。然る時は学問を廃る罪人なり。 元來世間に書を読む而已を学問と思ひ、書の心を知らざる故に汝が如く見誤ること多し。総て経書は聖人の心なり。聖人の心も我心も心は古今一なり。其心を知りて、書を見る時は、書の意味は掌を見るが如し。汝が義と云うは尽く不義なり。兩親の心は義に合えり。兄弟を舍ざる志、左も有るべき事なり。伯父は親同前の事なれば、仮令兩親共に、貸すこと成り難しと云わるとも、兩親へ願い、少しのことは合力にても致すべきことなるに、反て親の志に背くは、親を無する罪人なり。其罪を知らずして、孝行をなすと云う、其愚昧は論ずるに不足。 (或る人)曰。汝が云わる所、心得難きことあり。世間を見るに、吝くして家業に情を入れ金銀を持ち、父母に不自由をさせぬやうに養わば、仮令親類へ届かざる仕方ありとも、不孝者とは云わず、身持よき者なりと云う。然るを汝は彼らも皆惡人にて、不孝者と云うべきや。 (梅岩)答。かくのごとき者を、世間並みの人と思うべけれど、親へつかふる道は曽て知らざる者なり。汝は書を読みながら、書を読まざる愚昧の者を法とするゆえに、父母に事る道を不知。昔公明宣、学於曽子、三年不読書。曽子曰、宣居參之門三年、不学何也。公明宣曰、安敢不学。宣見夫子居庭、親在叱咤之声 未嘗至於犬馬、宣説之 学而未能(「小学」・明倫篇)と云えり。 曽子の如きは 親の前にては犬や馬さへ怒りて叱り玉わず。然るに汝は、只養うを孝と思へり。子曰今之孝者 是謂能養、至於犬馬 皆能有養 不敬何以別乎(「論語」爲政篇)と。如是なる時は父母に事る道は、愛と敬との二つなり。愛はいつくしみ愛する心なり。敬はつゝしみうやまう心なり。然るに汝は、父母の命を用いずして心を痛ましむ。心を痛ましむるは愛心なきが故也。命を不用は敬心なきが故なり。愛敬の心なきは鳥獣に同じ。汝は世に呼ばるゝほどの孝を問う。聖賢の孝を聞かんと思わば、早く愛敬の心を知るべし。愛敬の心を知らば、聖賢の孝にも到るべし。 (或る人)曰。我問う所は、親に事のことなり。其急なることを差し置き、只一通りに心を知れとは如何なることぞ。 (梅岩)答。汝は、損ある事には従い難しと云えり。従がわざれば逆らうなり。親に逆らうより大なる不孝あらんや。然るに費有ることに従うは、義に合わざると思えり。これ心の暗きより是非分れざる所なり。我云う所は悉く親に事る道なれども 汝聞き得ることあたわず。是心を知らざるゆへなり。因て心を知る事を急務とす。 (或る人)曰。損ある事に従えば、先祖の家を破る道あり。是れ是非善惡分るゝ故なり。然るを是非知らずとは如何なることぞ。 (梅岩)答。汝の云わるる所、一つとして是非分れず。是非を論ずるは他人の事なり。父母に對して是非を論ずるものにあらず。况汝の父母世間に對して惡舗ことあるにあらず。親類を救う仁愛有ることを知らずして、却て親を不義の人と云うは哀しきことなり。今汝の家財は親よりの讓りか、但し自身稼ぎ出し其財を以て父母を養なわれ候や。 (或る人)曰。兼て汝も知るゝ如く、親の讓りの外、我が財宝と云うはなし。 (梅岩)答。左程の家財を讓られしは 父母少々費えあればとて、家の立たざる程のこと有べきや。親の財宝なれば、仮令つかい舍らるゝとも心まかせなるべし。財宝尽きなば、如何様の賤しき働きをして成りとも養うべし。若又此に人有りて、身を舍て苦勞し得たる宝なれば、父母を養うことならずと云うて飢凍者あらば、これは尤なりと汝が心に許すべきや。 (或る人)曰。否。我宝にて養う事はならずと云うて、父母を飢え凍やす者、夫れを人とは云われまじ。 (梅岩)答。汝も人の是非を知ることは明らかなり。然るに親の宝を親の心にまかせざるは、如何なることぞ。唐土舜王は大孝の君なり。親の為には天下を棄ること、蔽れたる蹤の如くに思召すと。加様なることを知るべし。財宝は言うに及ばず。元我身は親の身なれば遣いたき様につかい、売りたくば売りて遣わるゝとも、汝が言分はなき筈なり。 親の財宝を以て父母を養い、其余りを我身の養いの期にせる心あらば、父母の短命を待つに似たり。其機内に動くときは、必す外に発して父母の気を痛むること多かるべし。医書に百病は気より生ずと云えり。これを以て見れば、父母の心を痛ましむるほどの不孝はなかるべし。 昔衞に宣公と云う君あり。其嫡子を伋と云う。後に又 宣公斉国より宣姜を妻り。宜姜二人の子を産り。兄を寿と云い、弟を朔と云う。宜姜と朔と二人して、伋がことを宣公に讒に言なしければ宣公、宣姜に溺れて 伋を惡み斉の国につかはし、賊をして路に待ちうけて、殺しめんとす。寿これは母と朔とが惡事なりと知りて、兄の伋に告げ 命を助けんと思へり。伋が曰、父の命なり。逃るべきにあらずと云いて聞入れず。寿せんかたなく 伋が斉に使いする験の旌を竊執て兄の身に代り、死せん為に先へゆく。賊あやまつてこれを殺す。後より伋至りて曰、父の命なり。我を殺せ、寿に何の罪やあらん。賊又伋を殺す。 伋は父の命を守り、又宣姜の惡事を見さず、我身を亡うても逆うことなし。汝は少々の金銀にて父母の命にさからい、己が欲心を以て、親の心を傷む。聖賢の孝行より、汝が仕形を見る時は、木石に不異。退いて工夫せらるべし。 1・3・武士の道を問の段 (或る人)問曰、我世忰 今度武家方へ奉公に出し申候。士の道如何申し聞かせ、然べく候や。 (梅岩)答。我、農圃に生れ武の事委からずといえども、書物にて見たる上を以て告べし。先ず君に事る者は凡て臣と云う。臣は牽なりと註し、心常に君に牽るゝなり。又 世間君より奉禄を得んが為に、牽るゝ如くに見ゆる者あり。子曰 鄙夫可与事君也与哉、其未得之也患得之。既得之患失之、苟患失之 無所不至矣(「論語」陽貨篇)と。 毫釐ほども禄を望むに心あらば、君を害う本となるべし。古より不忠をなす者は、禄を貪る、心よりなす所なり。臣の君に牽れし道を見んとならば、舜の堯王に事え、伊尹の湯王太甲に事え、周公旦は武王 成王に事え玉うを見るべし。今君に仕る者も欲心を離れ、古人を見て法を取るべし。其外殷の王子比干、これ等の旁は皆、義を尽くして心常に君に牽れ玉い、今に至て臣を正す法となり玉う。 (或る人)曰。我学問なければ、六ケ鋪ことを問うには非ず。只心得やすきように語らるべし。我一年參宮致し、御師へ大神宮の御教えを示し玉えと云ければ、此の神の御教えは只正直を以て善とす。親への孝、君への忠、直さまにして家業に情に入れ、心に掛ることなく、其上に罪咎あらば、其罪咎は某が受けんと云われけり。扨心易き御教え哉と思い、今少し六ケ舗教えもあらば示し玉えと云ければ、御師の云う、此のこと心易く勤りなば、重ねて告げんと云われけり。 心易く思い勤め見れども、先ず正直が勤まらず。孝と忠とは猶往ず。其上家業を情に入れ、心に掛らぬ様に勤むること、此身の一生にては、勤まるべきとは思われず。思えば思うほど、高大なることかなと、感心致し待るなり。只加様に心易く告げられよと云う。 (梅岩)答。実左もあるべきことかな。樊遅問仁。子曰愛人、問知知人(「論語」顔淵篇)。仁知は大なりといへども、此二語を以て尽くし玉ふ。文字によらずして、人の暁し易きこそよからん。愚元來不学なれば、幸なる哉心易く、汝が身にも備りたることを以て語べし。 先手足は口のために使るゝなり。如何となれば口が物を食ねば 手足安穏なること不能。この故に手足が苦勞して一代口の爲に使わるゝと云えども、少しも不肖らしきことなく、口に忠を尽くして能く事まつるものなり。君に事まつる道も、手足の口に使わるるゝことを法とすべし。臣下の飯と汁は君より給る奉禄なり。其禄なくして何を以て命をつぐべきや。この故に我身を委て、君の身に代り、露塵ほども我身を顧ざるは臣の道なり。常に手足が口に使わるゝと、我身の君に事ると違うことあらば此れは不忠なりと知るべし。此れを法とせば、何国にて仕るとも、臣の道を離るゝことあるべからず。 扨臣は政に従ふものなり。下を使うは君の道を以て治むべし。古聖人の御代には君としては、万民を子の如く思召し、民の心を以て御心となし玉う。伝云 民所好好之、民所惡惡之、此之謂民父母(「大學」傅十章)。此のゆへに 聖人は世を没し玉へども、民思ひ慕て忘れずと云えり。此の味を知るべし。 忠義の臣は、名を後世に残し、天下の人これを愛す。礼(曲礼)曰、士四十志強立、不奪於利害不牀於禍福 可以出仕と見へたり。士の道は先心を知て志を定むべし。 孟子曰 尚志、何謂尚志 仁義而已。殺一無罪 非仁也、非其有取之 非義。居惡有仁是也、路惡有義是也(「孟子」盡心上篇)。又曰 舍生而取義者、此以患有 所不辟也(「孟子」告子上篇)。 士たる者は これを味うべき所なり。 又世に誤って、武芸ばかりを以て、士の道と心得る者あり。実の志無きは士の中に入るべきにあらず。子曰 如有周公之才之美、使驕且吝、其余不足観也而已(「論語」泰伯篇)と。心正しく直らば、他に不足ありとも猶 士と云べし。孔子又曰 邦有道穀 邦無道穀恥也(「論語」憲問篇)と。然れば治世に幸を以て禄を得、無役にして食うは恥ずべきことなり。况や君無道にて国治らず。然るに君を正すことあたはず。禄を貪り身を退かざるは、此又大いなる恥なり。能々味うべき所なり。此志の大略を云う。事は士の家に入りて聞るべし。 1・4・商人の道を問うの段 ある商人問うて曰く。売買は常に我身の所作としながら、商人の道にかなう所の意味何とも心得がたし。如何なる所を主として、売買渡世を致ししかるべくそうろうや。 (梅岩)答。商人の其始を云わば古は、其の余りあるものを以て、その不足ものに易て、互に通用するを以て本とするとかや。商人は勘定委しくして、今日の渡世を致す者なれば、一銭軽しと云うべきに非ず。是を重て富をなすは商人の道なり。 富の主は天下の人々なり。主の心も我が心と同き故に 我一銭を惜しむ心を推して、売物に念を入れ、少しも麁相にせずして、売渡さば、買人の心も初は金銀惜しと思えども、代物の能を以て、その惜しむ心自ら止むべし。惜しむ心を止め、善に化するの外あらんや。 且天下の財宝を通用して、万民の心を安むるなれば、天地四時流行し、万物育わるゝと同じく相合ん。如此して富山の如くに至るとも、欲心とは言うべからず。欲心なくして一銭の費を惜しみ、青戸左衛門が五拾錢を散して、十錢を天下の為に惜まれし心を味わうべし。如此ならば天下公の倹約にもかない、天命に合い福を得べし。 福を得て万民の心を安んずるなれば、天下の百姓というものにて、常に天下大平を祈るに同じ。且御法を守り我身を敬しむべし。商人というとも聖人の道を不知ば、同じ金銀を設けながら不義の金銀を設け、子孫の絶ゆる理に至るべし。実に子孫を愛せば、道を学びて栄うることを致すべし。 1・5・播州の人 學問の事を問の段 或時播州の者上京致し、宿の主同道にて來り物語して曰。某こと忰一人持ち候ところに、学問を望何とぞ少しの問京都へ罷り出で、せめては「小学」や「大学」の講釈なりとも承り度よし、度々願い候。汝に対して物語を致すこと、少し遠慮に候えども、物語を致すべし。姫路近辺にも内福にて田地高も多く持ちたる者などは、学問をも致させ候処に、後に至って難儀のすぢも出來申すよしを承る。一人の忰のぞみ申す事と云う、又少しは目も明けてとらせ度候えども、人柄悪しく成るべきやと心元なく存、得登申さず候。 (梅岩)答。学問に困て、難儀ありとは如何なる事ぞや。 (播州の人)曰。学問をさせ候者ども、十人が七八人も商売,農業を疎略にし、且帯刀を望み、我をたかぶり他の人を見下し、親にも面前の不孝はいたさねども、事によりて親をも文盲に思うようなる顔色見ゆ。然れども他人の聞き惡くき様に、反り返答せぬことは学問の德かと思えども、親には默然とだまり居る者ぞと云うようなる顔つき見へ、又少しにても学問致したる者なれば、親達も遠慮せらるゝ躰に相見え申し候。夫ゆへ手前の忰も若 左様に成り候へば、迷惑に存じ得登申さず候。如何いたし然るべく候や。 (梅岩)答。学問と云ふ者は 左様なることを直者にて候。実は御城下辺とは申しながら田舍ゆへにても候や。 (播州の人)曰。左にはあらず。其中七八分ほどは、京都にても名ある衆中にて学べる者どもにて候。 (梅岩)答。汝の物語を聞くに、其学びし人は悉く人倫に違えり。教えの道は人倫を明らかにするのみ。師たる者、仮令敵に教うればとて聖人の道に背きて教うべきや。学問の道は、第一に身を敬しみ、義を以て君を貴び、仁愛を以て父母に事り、信を以て友に交わり、広く人を愛し、貧窮の人を愍み、功あれども不伐、衣類諸道具等に至るまで、約を守て美麗をなさず、家業に疎からず、財宝は入るを量りて出すことを知り、法を守りて家を治む、学問の道有増しかくの如し。 (播州の人)曰。其中に心得がたきことあり。衣類に美麗をなさずと云えり。先父母は我子に、他よりよき物を着せたく思ふは親の心なり。それに麁相なる衣類を着せては、父母の心を害ゆへ不孝にあらずや。 (梅岩)答。人に背き麁相にせよと云うにはあらず。我言う所は約を守ることを云う。道に明らかなる父母ならば、如何ぞ礼に背き、奢ることを喜ぶべきや。孔子も礼与其奢寧倹(「論語」・八佾篇)との玉う。然れば礼に少し欠くる所ありとも、奢りの害は大なりと知らるべし。又道に疎く奢りを好む父母に、尽く心に合うことばかりは成り難し。成り難しことを譬えて云わゞ、父母盜みが好きなればとて盜みをせられんや。内証にて此を止めるは、真実の心よりなす所なり。心を知る時は孝の道をそこなわず、父母の惡事をも止め、父母を道に向しむ。又道ある父母ならば 心自ら合うべし。是学問の力なり。 (播州の人)曰。汝の云える如くなれば、忰に学問させても、大なる疵とも成るまじ。然れども或人の云えるは、かやうに学者の風俗惡鋪なるは、弟子の難にはあらず。儒者たる人、聖賢の心を知らずして教うる故に、己に克ち礼に復ることを知らず。且我身に禄の望み有るゆへ、礼を以て進み、義を見て退くこと能わず。其無礼を学ぶゆへ、己が文学に伐り、他人を慢る、これ学問の害なり。其發りを原ぬれば、師たる者の名聞と利欲の心、自然に遷りたる者なり。弟子の難にはあらず。師の難なりと云う人有り。如何なることぞや。 (梅岩)答。 汝左様のことは云わざるものぞや。子貢謂子禽曰 君子一言以為知、一言以為不知言不可不愼(「論語」子張篇)と。凡て諸方に儒者の数 何程有ることは知らざれども、論語を読まざる儒者有るべからず。論語の序に、孔子及長 為委吏 料量平なりと。孔子大聖の德有りて薪蒭材木などを、取聚る役目を掌り玉えども 不足に思召ことなきゆへ、料量平らかに勘定合り。此則天命に任せ玉う所なり。 又、為司職吏、其時には役目なれば、牛羊を畜い玉う。莊長と盛んに長じ、蕃く生るばかりなり。此れ時の天命に安んじ玉う。これを法として士農工商共に、我家業にて足ることを知るべし。論語を読者、かほどのことを知らざらんや。凡て道を知ると云うは、此身このまゝにて足ることを知りて、外に望むことなきを、学問の德とす。 汝の云える諸生は此の訳さえ知らずして、帯刀を望み、教えの道を聞き得ずして、却って師の難となすは誤りなり。儒者たる者も聖賢に至らざれば、禄のことを曽思わざるにはあらず。思うといえども禄に志有りては、仕うる者にあらずと知る。是を以て望む心を抑えて、不義の禄は受けず。今日我身のある所則天命としる。此孔子を法に取るゆへなり。此の義を知らば、我職分を疎かにする心有らんや。 且國主より召すことあらば、我 器量の拙きことを申し立てて先ず辞退すべし。豈仕うると仕えざるとに心を動かさんや。孔子曰 沽之哉 我待賈者也(「論語」・子罕篇)。待賈との玉うは、士たる者は礼を以て、招るゝこと無ければ、飢えて死すとも、此方より出て仕うる者には非ずとの玉うことなり。此程明らかに説き玉うことを知らずして、論語を読むと云わるべきや。 総て仕官となる者は、君を正し国を治むる為なり。少しにても禄を求心にて仕うる者は、必ず得たる禄を失うことを恐るゝものなり。禄に心有りて君を諫め正すことは思いもよらぬことなり。仮令何程の書を読み、世に博学と召るゝ共、君を不義に陷いるゝ者を学者と云わるべきや。既に冉求季氏に仕え、柔弱なる所より季氏を諫むる事あたはず。却て附け益すことをなす。これに依て孔子、冉求を深く責め玉えり。 若し又禄に望み有る者 君に仕えなば、我身を害い恥を受くべし。扨又汝は儒者たる人、聖人の心を知らずというは如何なることぞ。心は身の主なり。且儒は濡と云て“うるおす”と云うことなり(「礼記」儒行篇)。身をうるおすは、心よりうるおすことを知るべし。孟子の一書も、心上より説き來る。心を知る時は志強く義理照らかにして以て上達すべし。此心を知らずば、昏昧と暗く放にして、学問に従うと云うとも発明する所あるべからず。 医書に以手足痿痺 爲不仁。仁者は天地万物を以て一体の心となす。己に非ずと云うことなし。天地万物を己とすれば至らざる所なし。若し心を知らずば、天地と己と別々にして気已不貫、手足の痿え痺るゝ病人の如し。聖人は我が心を以て天地万物を貫く。凡て師たるもの此の心を知らずば、何を法として教え、人の心を正さんや。然るを師家に立つ人、心を知らずと云う。 夫は汝の在所などにて、書物を能く読み、文字を知りて教ゆれば、是も儒者と思ふならん。若し又聖賢の心を知らずして教ゆる儒者あらば、小人の儒にして人の書物箱と成るべし。君子の儒は心を正し德に至るの外 他事あらんや。我文才に伐ず、利欲名聞を離れ、道に志有るを君子の儒とは云うなり。   然るに心を知るは古へ聖賢のことにして、今の世の者知らるゝことに非ずと云うは、仏氏の末法万年と云う教えなり。一方にては仏氏を非り、我勝手に合えば末世は衰うと云う教えばかり是として、取り用ゆるは如何なることぞ。聖人は百世も変らずとの玉う(「論語」・為政篇)にあらずや。此理を不知して、書を講じ、人を教ゆること成るべけんや。 (播州の人)又問。然らば汝も 心を知って教られ候や。其の心を知ると云うは 如何なることぞや。 (梅岩)答。心は言句を以て伝えらるゝ所にあらず。心は体を以て言う者あり。譬えば玉の鏡の如し。四方上下を照らす。程子所謂 明鏡止水 是なり。又用を以て言う者あり。孟子所謂、心の官は思うことを司る(「孟子」告子上篇)。飢えては食を思い、渇しては飮を思う。子曰視思明、聴思総、貌思恭(「論語」季氏篇)是なり。凡て云へば、聖人は天地万物を以て心とし玉う。口伝にて知らるゝ所にあらず。我に於て会得する所なり。 蒸民の詩曰。有物有則と。父子の間にて云わゞ、父の慈愛有るは父の心、子の孝行有るは子の心、万事にわたりて如此。是は聞へ易きが如し。然れども一度決定し、疑い晴るゝことなき時は正しく聞き得ることあたわず。此決定は信心堅固にして致す所なり。親より伝えて子に讓ること能わず。師も弟子に伝うることあたはず。我知れば師の肯う所なり。こゝが孔子孟子も言句の絶えたる所なり。然れども天何言哉、四時行焉百物生(「論語」陽貨篇)との玉へば、道は隱るゝ所にあらず。 加様に説き顕わし玉えども、此の四時行焉百物生と、の玉うは如何なることぞと、心を附る人少なり。莊子(天道篇)に所謂 聖人の意を知らずして、書をよむは糟粕にして実の味はなく、皆糟なりと云えり。実の味は、桶大工が輪を斲るごとく、徐則甘而不固、 疾則苦而不入。不徐不疾。得是手応之心。口不能言と云うも面白し。心を知らずして法を説くは 桶大工のことを伝え聞きて輪を斲るが如し。心に得ざれば桶と成りて、水を有つの用をなさず。教えの道も斯のごとし。この故に心を知るを要とする。子曰七十而従心所欲不踰矩(「論語」爲政篇)と。 如是心の欲する通りを行い玉い、天下の法と成り玉うことは、賢人も及ばざる所なり。然れ共心を知る時は一なり。譬て云わば水のごとし。聖人は四海の水大船を浮べて天下の財を通用し、万民を養うがごとし。賢人は大河の水、一ケ国の財を通し、一国を養うがごとし。我等ごとき小人は、小川の水五町か七町の、田地を浸し育うがごとし。世を助くる上には違いあれども、漸くにして四海に到るときは一なり。心を知るも如是聖賢に至るまでは、上中下の替わりあれども、学びて止ざる時は終には聖賢に到って一なり。我等ごときは、欲する心を抑え、惡を懲し困しんで勉れは、漸くにして至るゝことを知る所なり。客退く。 或人問て曰。今客に告らるゝ如くならば、書を講じて弟子を集むる、世間の儒者は尽く聖人の心を識て教え候や。 (梅岩)答。否しからず。書を講ずる而己にて眞の儒者とは云うべからず。性を知りて身を濡すを儒者と 云う。仮令牛に汗し、棟に充る程の書を読むとも、性理にくらき者は、朱子の所謂、記誦詞章の俗儒にして真儒にあらず。汝も何方にて儒を聞かるゝとも、其目利をせらるべし。目利せざれば、客の云える如くに、学問に依って家業疎末に成り、不孝の本を習うて、身の害をなすべし。心を求め得て教ゆるは真儒なり。孟子の所謂、欲貴者 人の同じき心也。人々有貴於己者、弗思耳。此の味わいを知らるべし。                                       一之巻・終 都鄙問答巻之二 2・1・鬼神を遠ざくと云う事を問うの段 或人問曰。我朝の神の道と唐土の儒道とは異なる所あり。孔子告樊遲曰、敬鬼神而遠之可謂知(「論語」雍也篇)とあり。我朝の神の道は左にあらず。然るに神と云う名は同じゅうして加様に替りあることは如何。 (梅岩)答。汝は我朝の神明は、いかゞ心得られ候や。 (或る人)曰。我國の神明は馴れ親しみ、近づくを以て本とす。遠ざくを以て不敬となす。因て或は物に願ひ望むことあれば、願狀を以て神明を祈る。其の願い成就する時は始めの願狀の如く、鳥居をたて社の修復などをすることなり。加様に人の願いなどを受入れ玉う。然るに聖人は敬して遠ざくとの玉えば雲泥の違いあり、是を以て見れば、儒学などを好む者は、我朝の神の道に背く、罪人となるべし。 (梅岩)答。敬して遠ざくとの玉うは左にはあらず。外神を祭るは敬愼而已を主とす。此故に道ならぬ穢しき願いを遠ざけ、又先祖祭るは孝を主とす(程子曰、祭先主於孝 祭神主於敬)。是遠ざくにあらず。扨敬して遠ざくとの玉うに、大いに取違い有ることなり。神は非礼を受け玉わず。然れば非礼の願いを以て近づくを不敬とす。敬いを遠ざくとの玉うにはあらず。汝のいえる如くなれば、我朝の神は願狀を籠めて成就に至る時には、願文の通りに鳥居を立て、或は社の修覆など致すを、敬いと思われ候や。 (或る人)曰。然り (梅岩)答。然らば今此に人あっていわん。汝が隣りの娘を忰に妻わせ度候。媒いたし呉られよ、礼金をやらんと云わゞ、身の辱めを不顧媒せられんや。 (或る人)曰。夫は人を賤めたる待なり。金に目呉れて爭媒の成るべきや。 (梅岩)答。汝も羞惡の心有りて身の辱めは受けざるなり。况んや貴人に對して何にても御願ひ申す時に此事成就なし被下なば、是程の金銀を進めんと云わるべきや。 (或る人)曰。貴人を軽ずるに似たり、何とて左様のことのいわるべきや。 (梅岩)答。貴人に云われざる不義を以て、清淨の神明に祈りを爲し、願いの通りに成し下されなば、鳥居や社の修覆致し奉らんと云う時、鳥居や修覆に迷い玉う、あさましき神有るべきや。然るを非礼の物を推して捧さげ、神明を穢し奉り、終には神罰を受べし 恐るべきことなり。心だにまことの道にかなひなば、いのらずとても神や守らん、との御神詠もあるぞかし。子路孔子の病を禱ることを請う。子曰。丘之禱久(論語・述而篇)と。 祈るとの玉うは、誠の道に合えることなり。誠に合わば何ぞ祈ることあらんや。然るを我朝の神道に違うとは如何なることぞ。凡て聖人の書は、箇様の迷いを解くべき爲の書なり。書に依りて迷わば書の無きこそ勝らん。古より神国の相に儒道を用い玉うことを知るべし。我朝の神も、非礼非義の賂いを好ませ玉うべきや。清淨潔白の水上なる故に、神明ともうし奉る。凡て神信仰する者は、心を清淨にする爲なり。然るに種々様々の、非礼非義の願いを以て朝暮に社參し、色々の賂いを以って神に祈る。これ不淨を以て神の清淨を無する者なれば、これぞ実の罪人にて、神罰を受くべし。子曰獲罪於天無所祈也(「論語」八佾篇)と。 聖人は天命の外に望むことは、皆罪なりとの玉う。願いと云うは多くは手前の勝手づくなり。手前の勝手づくをすれば、他の為に惡し、他を苦しむるは大なる罪なり。罪人となつて爭神の御心に合うべきや。万民に隔なきこそ神なるべけれ。それに一方は惡しくとも、一方の善きやうに願いをかなへ玉わば贔負の沙汰なり。 願ひ叶うと叶わざるとを、譬て云わば、親より子に家督を讓る如し。子よりの願いはいらず。身持ち正しければ家督を受く。又身持ち放埓なれば、家督を受くることあたはず。願いの成就するもせざるも此に同じ。天命の我身にあることを知るべし。神の御心は鏡の如し。何ぞ贔屓の私有らんや。それに成れること有れば神の納受と云う、是を他人は聞きて、誰は何を神に捧られしゆへに彼の願い叶えりと云う。如比取沙汰すれば、終には神明を賂い取りの神と成し、穢し奉ること哀しきにあらずや。是天命を知らざるゆへなり。 又問 或人云、子曰非其鬼而祭之諂也(「論語」・為政篇)祭るべからずとの玉う。我朝には土地の神、又大神宮といへども、御恩の為に五穀の出來初穗や或は神楽などを捧げ奉ることなれば、兎角唐土とは違い有ると云えり。然るに汝神は一列の如くに云えるは、如何なることぞ。 (梅岩)答。中庸(十六章)に所謂、鬼神為德 其盛矣乎。体物而不可遺と云えり。鬼神とは天地陰陽の神を云う。体物不可遺とは造化は鬼神の功用にして、鬼神は万物を総べ主れるを云う。又我朝の神明も、伊弉諾尊伊弉册尊より受け玉い、日月星辰より、万物に至るまで総べ主り玉い、残る所なきゆへに唯一にして神国とは云えり。 こゝは工夫あるべき所なり。然れども唐土に替り我朝には、太神宮の御末を継がせ玉い御位に立たせ玉う。依て天照皇太神宮を宗廟とあがめ奉り、一天の君の御先祖にてわたらせ玉えば、下万民に至るまで參宮と云うて、尽く參詣するなり。唐土には此の例なし。 此の国には宗廟と尊ぶ故に、神楽初穗を捧げ奉る。今日天下の万民より君へ貢物を捧るが如し。然れども御祭礼を其者自身に行うことは不能。国主といえども天子の御神事は行われざることなり。其位にあらざれば祭らず。祭らざれば唐土と違はなし。語曰三家者以雍徹。子曰相維辟公 天子穆々奚取於三家之堂(「論語」八佾篇)と。魯国の三家は太夫の身として、天子宗廟の祭に歌わさせ玉う、雍の詩を歌うて己が先祖を祭り、又泰山に旅りせんとす。加様なる分を譛え理に背くことをなせば、せまじき事をするゆへに、其鬼に非ずしてこれを祭るは諂いなりとの玉う。 且 孟子も社稷の神は、民の為に立つ(「孟子」盡心下篇)との玉うことなれば、出來初穗を捧る如きは唐土にも有るべし。我朝にも初穗や神楽を捧るを祭とは云われまじ、譬えば祇園会 御霊祭なども其神の祭なり。其土地に住み障りなきことを喜びて、我身を祝うと云うものなり。又下々に何程さわりありとても、御神事は行なわるゝなり。これにて我祭りにあらざること明なり。俗説に不拘、本を推して工夫有るべき所なり。 2・2・禅僧 俗家の殺生を譏るの段 或禅僧 來りて云う、今日去方へ參りしに子息の婚礼有りとて、魚類等をつかい生物を殺し殺生戒を破り目出度ことに物の命を取る。実に俗家はあさましきことを爲し、是を嘉儀とする哀哉と云えり。 (梅岩)答。汝仏法を学ぶといへども、小乗を知りて、仏の大乗を知らざるは惜哉。 (或る禅僧)曰。知らざるにはあらず。如何と云うに仏法は先ず五戎を有つを第一とす。其中に殺生戒を重き戒とす。儒家にて云わば五常の仁の如し。儒家に於て仁を害う者を善とすることありや。汝は儒を説くと言えども、いまだ仁の意を知らざれは、聖賢の本意に闇し。 (梅岩)答。仁は慈愛の德有りて 私心なきを云う。汝如き私心を以て、仁を知らるゝ所に非ず。汝は禅家を学ぶと言えども、其の家の本意を知らざると見えたり。既に南船和尚は猫を殺し、蜆子和尚は海老を釣りてこれを喰う。所作に依りて見ば、此等の僧は殺生戎を破る惡僧と云うて尽く舍んや。又汝日々の殺生挙げて数え難し。先ず今朝より喰う所の米の数 幾粒と云うことを知れりや。 (或る禅僧)曰。五穀は非情なり 殺生にはあらず。 (梅岩)答。大乗の法に、有情非情とへだて見ることありや。隔ありと云わば艸木國土に仏性なしと云うべきか。神代巻に曰伊弉册尊曰我千首をくびりころさんと曰、伊弉諾尊曰我千首あまり五百首を生しめんとの玉う。此兩神は陰陽の御神にて御座、天地の間は自然に生むと殺すとの二つ有ることを知るべし。今日物を用ゆるもこれに効えり。万物一理にして軽重あり。其次第違わざるを以て善とす。此理を以て 天地の行なわるゝことを見るべし。 強き者は勝ち 弱き者の負るは自然の理なり、近く知らんと思わば鳥獸にても見るべし。鷲鵰は諸鳥や畜類までを取り喰う。又鵜や鷺は魚類等を取り喰う。雀や其外小鳥は蜘昧や菜虫などを喰う。犬狼は鹿猿等を取り喰う。此等の類は殺生とせんか、天道流行とせんか。戒律も天理を不知しては有たれざることを告べし。 夏に至りて土用の時節などには、米を舂置くこと一兩曰にして、糠虫を生ず。此の糠虫至りて微塵の如くにして見え難し。米の中へ手を入れし時、其手が痒き者なり。其かゆき時に黑塗りの器に米を入れ、其米を取て其跡を白日に能く見れば、動く形見ゆる者なり。定てこれを糠虫というならん。殺生戒仮令五穀は非情なりと云うとも 糠虫あれば殺生戒を破るなり。戒律の僧は 夏に至りては五穀も食らうことはなるまじ。不食忽に死すべし。 こゝに至り喰うて全く有つことを知るべし。仏の教に従って戒を有たんと思わば 先ず我を離るることを修行すべし。此身このまゝにて地水火風空なりと、一度見性する時は 我も世界の一物なり。其時に人と糠虫とはいづれが貴からん。至りて賤しき糠虫を助けて、至りて貴き人を殺すことはなるまじ。仏は無心にして不可思議を体となす。其釈迦も糠虫のある五穀を食し玉う。然れば貴き者の為に賤しき者を殺すことは遁れ玉わず。殺生戒の源も如是。天理を知れば戒は易く有つべし。神仏聖人は何れが師にも弟子にもあらず。皆心の欲する儘なれども自ら天道なり。天理を知らずしては何れの道にも合うべからず。默して工夫せらるべし。 天道は万物を生じて 其の生じたる者を以て 其の生じたる物を養う、其の生じたる物が 其の生じたるを喰う。万物に天の賦し与うる理は同じといへども、形に貴賤あり、貴きが賤しきを食ふは天の道なり。又仏氏には 艸木国土悉皆成佛といへば、万物皆仏なり。然れども形に貴賤あり、貴き人間仏が、賤しき五穀仏果仏より水火仏までを喰うて、世界は立つものなり。此理を知らば聖人の物を用い玉うは、貴きと賤しきとは 礼を以て分つ。貴き者の爲に賤しき者を用ゆることを知るべし。 証を以ていわば君は貴く臣は賤し。賤しき臣、貴き君にかわり死することを聞く。貴き君の賤しき臣下の身に代り死したる者を未聞。此賤しきが貴きにかわるは、天地の道にして全く君の私にあらず。聖人物を用ゆるに、礼を以てし玉ふは即ち此所なり。此の故に臣として君を棄つる者を賊臣と云う。汝も今朝より幾万とも数知らず、五穀仏と、果仏を殺し喰うて身を育う。然れども此の理を知らず。知らざれども、暗に賤しきを以て貴きを育う理に合えり。 汝小乗に拘りて我は殺生はせず、非情の物を喰うと云うなれば、草木国士皆仏と説き玉ふ仏語は詐りとするや。是を詐りとせば、仏経は皆破り舍つべし。舍ずして用うと云わゞ 汝も大仏が小仏を喰うて殺生するに違いはなし。我は幾くの殺生し、身命をつなぎ居ながら、俗家は目出度く嘉儀に生物を殺し、浅間敷きことゝ云う。仏の本意をしらずして 他を譏ること大なる罪ならん。汝如き法に昧き僧多き故に、徒然草に僧に法有りて、法を以て身を賊ひ、又君子に仁義有りて、仁義を以て身を賊ふと譏れり。君子は仁義あるに由りて、君子といふに、如何なる事ぞと、眼をつけて見ば、孟子の…舜は由仁義行,非行仁義也,との玉うこと明らかならん。無極の眞を体とし玉う(「太極圖説」)外に、仁義と云う名目あらんや。無我の舜 なんぞ仁義を期にして行ひ玉うべき。 聖人の道は、一理渾然たる所より行なわるゝことを知り、仏氏も亦、本來は無法なりと会得せば、兼好に譏らるゝこともなかるべし。汝禅家を学ぶといえども、本來の面目は不会なり。依って俗家に目出度く嘉儀に殺生するは、あさましきことなりと云う。汝も自性を知らば五戒はいうに不及、百戒二百戒にても有つべし。忽せにすべきことにあらず。急々に会得あるべきことなり。此の理を得ば、其時にこそ出家は出家にて、殺生戒をたもつと知らるべし。 俗家は俗家にて目出度ことに魚鳥を用ひて善なることを知らるべし。何をか疑い、何をかあやしまん。俗と出家と混雜する者にあらず。我心易ことを以て喩えん。先ず四体は一つなれども 首は上に有りて足の代わりにはならず、足は又手の代わりには遣われず、口は体を養なう入口なれど 目の代わりにならず、耳は鼻の代わりに香をきかず。凡て天地の形は照然たり。 因って物々此の形替わるに困りて法あり 其物に困りて法は替わるなり。然らば何ぞ仏の法を以て、俗家に混雜して用いんや。心を清すには仏法も然るべし。身に行い家を齊え、国天下を治る法には、儒道を以て善とせん。海川を渡るには船を以て善とす、陸地を行くには馬駕籠を以て善とす。仏法を以て世法を治めんとするは、馬駕籠にて海川をわたるに同じ。五戒を有つ身として政を行ひ罪人を殺すことは如何。又不殺は政道立つべからず。刑罰なくば政は如何。汝のいえる所は水火を一致にせんというが如し。一致にせば水は湯と成り火は消ゆべし。水火は水火と分れざれば爭世を助けん。此の理如何。 2・3・或人 親へ仕之事を問うの段 或人問曰。私祖父の時分に相勤候手代、只今にては仏体致し居り申し候。この者毎々私を、不孝者の様に云いなし、孝行いたせと度ゝ申し候えども、私さのみ不孝の覚えこれなく候。分けて孝行とは、如何様に致し然るべく候や。 (梅岩)答。孝行と云うは、只志を養うを本とす。昔曽子と云える人 その父を養うに必ず酒肉あり。食し終って膳を除き去らんとするとき、父に請うて曰、此余り者は誰にか与へ申さんと問い、若し又あまり有りや否やと問へば、必ずありと答う。親の意に誰にか与えんと思召さんことを恐れ玉ふ。如是志を養い,親に事うるを孝行とは云う。 (或る人)曰。我父母を養うに、衣服食物など如何やうにいたしても、其の善惡を申すことなければ、父母の志を害することは有るまじく存じ候。 (梅岩)答。汝は父母の体を養うを孝行と思う故に、禅門が忠義有りて言えることを聞きたがえり。我は志を養うことを云う。我思ひ当たる所を以て問うべし。先ず汝は折々遊興に參られ、夜更に帰えらるゝと聞けり。まことに左様に候や。 (或る人)曰。我も前方は度々出で申し候ところ、親ども甚不屈の由を申し、当分禁足致すべき旨申し渡し候ゆへ、私も迷惑仕り、禁足の請合い致しかね候ところ 右の禅門挨拶いたし、若き者のことなれば、氣晴しの爲に、月に一兩度づゝの遊興は、ゆるさるべき由申し、兩親ともに得心いたし免しにて出で申し候。 又夜更帰り候ことは、邂逅のことゆへ緩りと慰み帰り候。然れども父母の志を、害うほどのことは御座なく候。元來親ども少氣ゆへ、家來の者を起し置くことを氣の毒に存じ、門を叩かせまじき爲に、八ツ時分まで相待ち居り申し候へども 数度のことにあらず。月に一兩度のことにて その代わりに翌曰は 勝手次第寢られ候えば、是も傷みにはなり申さず候。 (梅岩)答。汝遊興に出ること、邂逅のことゆへ、父母を夜更まで、待せ置きても苦しからずと云えり。先ず親に事まつる者は、夕には遅く寢、朝には早く起きて、父母の安否を問うは子の道なり。それに汝は身の遊興の爲に 寒暑の苦しみもかまわず、夜更るまで兩親を待せ置き、快く遊興せられ候や。総じて待つことは退屈なるものなり。それは待つ計りのこと也。 兩親は汝の帰られし顔を見るまでは、洒などが過ぎはせぬか、喧嘩にてもしわせぬか、寒くは無きか、風ひきはせまいかと、色々品々に思い煩う。且に内徒の者の心までを推しはかり、是ほど夜更しせらるゝを、兩親はいうことは成らぬかと、思うべきとの心遣い、又下女や小者は草臥れて 最早八ツも過ぐるなど、つぶやくを聞く時は心を傷むること多かるべし。其の苦しみ傷まるゝことを不知、父母を夜更けるまで待せおき、翌日は勝手に寢らるゝとは、いかに愚なればとて、左様の不孝をなし父母の志を害うことぞや。扨又 汝は家業のことは、如何心得いられ候や。 (或る人)曰。家業のことは、いまだ心懸けもなく候。子細は只今にては朋友の交わり多く、謡鼓茶湯なども、心懸けなくては交わりあしく候ゆへ、右の稽古ごとに取り紛れ、家業の儀は、さして心がけもこれなく候。これは手代どもの役目なれば、致さずとも相勤まり候。然るに右の禅門 親どもへ申し候は、総じて家業のことは、子供の時より見習わせ置かるべき由姦しく申し候。それゆへに、親父も禅門が手前を思ひ、商売のことも見習えよとは申し候へども、母など内証にては、彼の禅門が云うことを、甚だ腹立し、主人の子を沢山そうに我子や孫を云うやうに いわれざる世話をして、人に嫌われ、長命するものかなと言えども、親父は又恐るゝことがあるかして、禅門が云うことには、一言の返答もせず、聞いてばかり居り申し候。 (梅岩)答。家業のことは、手代に任せ遊芸に閙しきと云う。汝今安樂に暮すは、家業の影にあらずや。職分を知らざるものは、禽獸にも劣れり。犬は門を守り、鶏は時を告ぐる。先ず武士方に、馬を繋がるゝほどの人、騎ることを知らざるはあるべからず。書翰は人に書かせてもすむ。我代りに家來を馬には騎せられまじ。商人とても、我が職分を知らずは、先祖より讓られし家を亡すに近かるべし。禅門のいえるも此れなるべし。 其の忠ある者を母の腹立せらるゝは、金言の耳に逆らうと云うものなり。臣の諌めを受入るを眞の君と云うべし。然るに彼が長命を嫌うは、忠臣を殺さんことを願うなり。是桀紂に替わりはなし。不忠の者ばかり残りなば、家の滅亡を待つものなり。傅曰 小人之使爲國家 災害竝至 雖有善者亦無如之何矣(「大學」傅十章)と云えり。又親父も家業のことを云わるゝは、禅門が云わせることゝ思へるは、汝大いに過てり。禅門がこと、理にあたるゆへ、義に責められて云わるゝなり。孟子曰家必自害而後人是害(「孟子」離婁上篇)と。今汝も職を忘れ、身を害ることをなす。此のこと得心なくは、家売り果して後に思いしらるべし。又汝は短氣にて毎々、兩親心遣いせらるゝと聞。いかなることぞや。 (或る人)曰。私生質短氣に御座候。これはなおし申し度く候えども、生質ゆへ是非なく候。然れども兩親世話に成りしことは、只一度田舍の小者を拘え置きしに、不調法者ゆへ、或時打擲いたし候ところ、疵附き泣きくるしむを漸くしづめ、其の疵愈ざる内に在所へ帰らんと云う。夫ゆへ兩親も手代共も是には迷惑いたし候。その後は左様のことは御座なく候。 (梅岩)答。汝生質にて短氣なりと云えり。生質に短氣と云うことあるべからず。此れ気随の為すところなり。貴人に對し気随出るものにあらず。慎しみ直おさば、直らざる事いかでかあるべき。已にその小者を打擲せしに、小者怒り恨むことあるまじきや。甚だうらみ怒るといへども、主人のことなれば、忍びこらえ居るなり。その小者を他人打擲せんに、汝に打たるゝ如く、堪忍いたし居るべきや。他人には是非に讎をなさん。然れども主人の事ゆへ、手向いせざるは 慎しみのいたす所なり。是を以って見よ。慎しんで直らざること有るべからず。まして父母へ 此のつゝしみなくば、畜類に替わることあるまじ。 又兩親の世話に成りしは、たゞ一度なりと云えり。一度軽ろきにあらず。小者を打擲し血を出す時、兩親の心を察せよ。人の子に疵をつくれば、その疵を恐るゝのみならず、若し死するときは、汝の命を取られんことを恐れて苦しむなり。喩ば魏の文帝の時、凌雲臺を築かれ額を書かせん為、韋誕と云う者を籠に入れ引上げられし、其の高さ地を去ること二十五丈なり。既に下れば黑かりし髪も、忽に白髪となれり(三國史)と。只此れ一事の恐れなれども、時の間に白髪となる。汝の兩親もをそれ傷むこと、身に釘をうたるゝが如し。五年のとしも一度に寄らん。老は即ち死の本なり。刃を以って弑さずとも、弑すになんぞ替りあらん。其小者直に死することあらば 汝が身に及ぶべし。左あらば一朝の忿にその身を忘れて以って、其の親に及ぼす。不孝是より大なるはなし。 (或る人)曰。前に申す如く、短氣は宜しからず存じ候まゝ、是は何卒直し申し度く候。親の気を傷むることは、左程までには存ぜず候。知らざる所は是非なし。又親切に致すところは、心一盃つくし申し候。常に親どもは酒を好み、給べ過すこと御座候。その節はうたうたと、長咄しをし寢ることを知らず、母なども難儀に存じ候。且二日酔を致し苦み候ゆへ、身を知らぬ酒の飮みようと存じ、以後は控えられ候ように諌め申し候。加様の類は親を思う所なれば、孝行にては有まじく候や。 (梅岩)答。汝の云へる所 子たる者の道に背むけり。易に家人に厳君あり(「易經」・家人之卦・彖傅)と云えり。妻子より云わば、家の主は君の如し。然れば母も汝も家來に同じ。家來の身として我退屈するを以て、主人の慰みを止むること、法に於いて有るべからず。且母の難儀と云う。我れ道にそむくのみならず、母までを女の道に背むかしむ。重々の不孝あげて數えがたし。己が身治まらずして、人に及ぶべきことにあらず。况や親に於いてをや。扨又 汝の遣わるゝ金は、何方より出で申し候や。 (或る人)曰。親ども方より、小遣金として渡し候へども、是は一ケ月にも足り申さず候ゆへ、不足の所は手代共を頼み、請い取り申し候。然れども色々のことを申し、思ふ程渡し申さざるゆへ、又母に申し、五兩三兩宛もらひ、其上の不足は 此彼にて五兩十兩借用致し候。然れども二三年の中に親共隱居いたし候えば、早速に濟し申し候。他人も是を存ずる故、五十兩百兩借り候ことは 心易きことにて、何の世話もこれなく候。 (梅岩)答。汝の云える所を聞くに 既に家を亡ぼす前表あり。その子細は先ず親より渡さるゝ小遣金は、天の与うる汝が禄なり。その禄を十分の一にもつかい不足というは、法を不知奢者なり。奢る者は天これをゆるし玉わず。又不足の所は手代を頼み、請け取るよし。その金銀は手代の物か汝の物か。我物を自由に得せずして手をつかね、手代に求むることは有るべからず。我令を出し、彼より持ち來て渡すべき筈なり。それを此方より、手をつかね求むるは逆なり。此れ汝終には宝を失ない、手代の家に養われん兆し見われたり。 其上の不足は母の方より、内證金を貰うとや。母は此方より与えて 養うものなるを、反ってせぶり受く。女は多く金銀の貯えなきものなり。母も定めて親兄弟の方にて、借り調え与えられん。加様なる苦勞をかけ、其の弁えを不知は、哀しきことなり。その外不足は、他人より借り用ゆるとや。自らの財宝ありながら、他人の心を伺う、これ汝が威い衰える前表なり。他より家屋敷に、心を附けて貸すなれば、終には他の物とならん。是天汝が財宝を、くつがえさんとする兆し既に見わる。詩曰天之方蹶無然泄々(「孟子」離婁上篇)と云う、これなり。扨又、月に一兩度の遊びに何とて左様に金銀入り申し候や。 (或る人)曰。いかさま是の不審は尤に候。一事を擧げて云わば、芝居の顔見世毎に、桟鋪二三軒も借り候えば、相應の雜用かゝり申し候。委細は申すに及ばず、思召の外入用これあり候。此の味わいは学知の及ぶ所にては此れなく候。 (梅岩)答。芝居顔見世一度に桟鋪二三軒も借ると云えり。其の客と云うは振舞の雜用のみならず、其の上悉く金銀を出す客ならん。其の金銀の出る客を、二三軒の桟鋪に一杯おかば、親の渡さるゝ小遣にて足らざること聞えたり。いかさま世に稀なる薬袋なしとは汝がことなり。家内の手代は、一分二分五厘三厘を爭いて、商売をなし、汗を流し設うくる金銀を、一度に遣い費やすこと、家内の人の血肉を吸いからすに同じ。殷の紂王の比干が胸をさく(史記)、に異ならず。如何となれは、紂王は我を助け諌むる者の胸をさく。汝は家を思ふ手代の心を痛めり。是忠義の者を害うこと、紂王になんぞ替わりあらん。恐べきことなり。 人たる道を以って云わば 其一日遣い費やす金銀を、家内の者に恵まば、汝が志を神の如くに思ふべし。家内の者に神の如くに思われなば 主人の法と成るべきに、汝ごとき者は、必ず内にては吝きものなり。兩親は是を見て、あの細かさにては多分の金は、遣うまじと思ひ居て津波に値たる如く、家屋鋪一度に取らるゝ時のいたましさよ。扨又 右のことを供の小者や男どもは、家内にて物語りは致さず候や。 (或る人)曰。其所にはぬかりなく、小者や男どもには心づけを致し、堅く口を閉じおき候ゆへ、家内には露塵存じ申さず候。 (梅岩)答。小者下男まで、口を閉じて置くゆへ、家内には少しも知らずと思へるは甚だ愚かなり。汝が惡事は、我よりいわざる先に天下に明らかなり。中庸(第一章)に莫見乎隱と説き玉えり、未形とへども、幾は已に動く。動けばこれ明なり。人は知らずと思ふとも、汝が心に惡事と知る。しるゆへに口をとづ。惡事と知らばなんぞ速やかに止めざる。子曰 見義不爲無勇也(「論語」爲政篇)と。 其の上小者、惡所金のつかいやうを見覚へ、叉偽りを聞き習い、成人の上へ汝の教えし通りを守り、金銀を盜みつかいて、引負する手代ばかりに成るべし。これ我導びきに依って、人を害うものなれば、加様の手代出來るとも、汝いゝぶんは無きはづなり。然るに引負せし手代あらば、請人にあづけ、難儀をさすべし。如此主従ともに、放埒にて惡事をなさば汝の家を亡ぼすことも目下なるべし。 子言衛霊公之無道也、康子曰夫如是奚而不喪、孔子曰仲叔圉治賓客祝鴕治宗廟王孫賈治軍旅如是奚其喪との玉ふ。霊公無道なれども、三人の臣を用ゆるゆへに、國を有てり。汝が家に禪門あるは衛に三人の臣あるが如し。然るに禪門死せんことを願ふ、禪門死せば、專ら汝が令に従ひ終には家を亡ぼすべし。 然れども心は是変易なり。汝今までの過ちを得心して改むるときは忽ち変じて善となり、孝となるべし。語曰不恒其德 或承之羞 子曰不占而己矣(「論語」子路篇)と説き玉へり。汝が占い、此の所にて有るべし。これまでの所作を占い変えるものならば、人の進むる羞じを免れ、子たる道に入りて家栄え長久なるべし。 2・4・或学者 商人の学問を譏るの段 問曰。我も学問を好む。汝は表に学問を云い立て、教えを弘む道は聖人の道なれば替わること有るまじ。然れども宋儒は孔孟の心に違い老莊禅學に似て甚理を高く説く。此故に略心得がたきこと有り。汝宋儒の註は用うとも、定めて孔孟の本意を弘ると思うらん。汝が教えとする所 物語り有れ。不得心の所に不審をいうべし。我不審を開かるれば是即学問なり。先ず他を導かるゝ所は何れの所を至極とせらるゝことぞ。 (梅岩)答。学問の至極というは、心を尽し性を知り、性を知れば天を知る(「孟子」盡心上篇)、天を知れば、天即孔孟の心なり。孔孟の心を知れば宋儒の心も一なり。一なるゆへに註も自ら合う。心を知るときは天理は其中に備わる。其命に違わざる様に行う外 他事なかるべし。 (或る学者)曰。汝は理を直に命と云う。是大に誤れり。理は玉の理なり。叉惣て物の理なれば、通るまでのことにて死物なり(「語孟字義」に若理字本死字、従玉里声謂玉石之文理。可以形容事物之條理、而不足以形容天地生々化々之妙也)。命は書經(康詰篇)にも惟命不干常と云えり。天の降せる命なれば活物の性なり。斯のごとく別なり。然るを死活を以て一致とするは如何なることぞ。 (梅岩)答。汝のいえる所は枝葉にかゝわり、文字の沙汰にて本を失せり、君子は本を務むと云い、萬事に渉りてかくのごとし。先ず初学の者は本末を知るを先務とすべし、末に至りては繁多にして分れ難し。天地有りて物を生じ(「易經」序卦傅)物生じて後に名あり。名有りて後文字を加えて名を書す。文字は伏羲の後、倉頡が作ると云うに非ずや。いまだ名も附けず、文字も無前より天道あり。天道と言えども人有りて付けたる名なり。  我云所を名を離れて聞るべし。既に聖人(孔子を指す)は仁を本となし、老子は大道を以て仁の本となし、道と仁と名は二つなり、文字に依て何れが本と論議分るべきや。無声無臭して万物の体と成る物を暫く名づけて乾とも,天とも,道とも,理とも,命とも,性とも,仁とも云う。惣て言えば一物なり。乾は元亨利貞(「易經」乾卦)というが如し。乾は理なり、元亨利貞は命なり。体・用の謂なり、文字を離れて察よ。 理と命と名は二つあれども一なることを知るべし。譬えば川と淵との如し、流るゝ所にては川といゝ溜る所にては淵と云う。理は淵の如く、命は川の如し。動静有てーなり。公伯寮子路季孫愬 子曰道之將行也與命也、道之將廢也命也(「論語」憲問篇)、孟子曰莫非命(「孟子」盡心篇)と。 孔子孟子ともに道の行わるゝも廢るも、治乱ともに皆命なりとの玉えば、命は天の行るゝ總名なり、理は其の体なること決せり。昔者聖人之作易、將以順性命之理、是以立天之道、曰陰與陽、立地之道曰剛與柔、立人之道曰仁與義、兼三才而兩之(「易經」説卦傅・第二章)。陰陽剛柔仁義と分れども、天地人の三つを窮め盡す時は一箇の理なり。此の性命の理を尽し玉うは聖人なり。この故に無為にして治る。天道に同じ。 子曰、無為而治者其舜也与(「論語」衞靈公篇)。しかれば天理に順う外に道あらんや。書経の意も理に逆う時は天命変じて亡ぶべしとの教えなり。依て惟命不干常といえり。此を法として今時も理に順えば天命に合ふ。理と云うは天地より人間畜類艸木まで行わるゝ道それぞれに分れ備わりたる体を假りに名付けて理と云う。又文字は天地開闢よりいわゞ、数億万歳の後に作り初めしものなり。これを以て天の為し作す無量の物に合わすとも、万分の一にも不足此の理を知るべし。文字に泥むは糟粕を味うに同じ。色々理窟をつくるとも、爭で文字にて尽すべきや。 元來、天地の体は文字を離れて死活無き故に 古今変らず。命は用なるゆへに動きて変るなり。理は体なるゆへに動かずして常なり。其の変らざる物を理と名づけたると知るべし。文字は事を天下に通す器の如し。理は其の主なり。子曰謹權量と稱錘や斗斛も天下の通用を以て宝とす。学問の道も亦如是、理を極め天道聖人の心通用するを以て宝とす。聖人窮理盡性以至於命玉うに依て、古今に通用して宝となる。此理を知るを 学問の本と決定すべし。理明なれば万事、時の宜しきに合べし。 又問。性理を知れば“時の人宜しきに合う”と云う。其の時に宜しきと云うは 行い難きことなり。然るを汝は易きが如く云へり。夫は我が為に宜しきか、人の為に宜しきか。 (梅岩)答。宜しきと云うは、其座 双方ともに宣しきを云う。 (或る学者)曰。双方ともによろしきこと有るべからず。譬えて云うべし。先ずこゝに木綿一疋買い汝と是を半疋づゝ分けて取らんに、汝も織かけのよき所を望む、我も織かけの能き所をのぞむ。この理は木綿のことに限らず万事にわたるべし。又奉公人を抱え、或は役目等の事に附きても、同日に來る者、同じ役目を云いつくる時に、凡て一方を上に立て一方を下に立る。其の上に立つ人は宜しからん。下に立つ人は快からず、不足あるべし。是を以てれ見れば 兎角双方ともに宜しき事はならざることなり。 (梅岩)答。其の所に時に宜しきこと有りて一々に事分るゝなり。 (或る学者)曰。其の一々事の分ると云うは、如何なることぞ。 (梅岩)答。其の奉公人、双方同じ器量ならば 門口を先へ入りたるを上に立べし。凡て門口をならびて出入はせず。器量に甲乙有らば器量の勝れたるを上とすべし。又役目の上にて云う時は、先に進むは同日と云うとも是を上とすべし。是れ皆天の為す所にして私にあらず。こゝを以て時に宜しきと云う。 (或る学者)曰。我云ふ所の木綿のこと、是は斯細なることなれども汝が心に濟まず、それ故に返答せざるか。 (梅岩)答。是は云うまでに及ばざることなり。こゝを以て返答せず。 (或る学者)曰。其の返答に不及とは 如何なることぞ。 (梅岩)答。孔子も己所不欲勿施人(「論語」顔淵篇)との玉う。我否と思うことは人も嫌うものなり。我より其の木綿を分るならば、汝に能き方を渡さん。汝より分るならば 我に能き方を渡すべし。又汝の方へ織りかけを取り、奧の惡鋪所を我に渡さば、汝の世話にせらるゝ故にその筈なりと思う。加様にさばき置く時は悉く宜しからん。汝に能き物を渡さば、汝は喜び 我は義を以て 仁を養う。是宜しきにあらずや。 (或る学者)曰。夫にては汝の爲に損なるが、損の往くを喜び、是を“義”と云うは如何。 (梅岩)答。否損にあらず、大に“利”あり。 (或る学者)曰。忽ちに損の見えたるを“利”と云うは如何なることぞ。 (梅岩)答。孟子も君子舍生而取義者なり(「孟子」告子上篇)との玉う。君子は命をすて義を取る。木綿は軽きことなり。仮令一国を得、万金を得るとも、道に違わば何ぞ不義を行わん。外物の損を爲し心を養うて利を得る、此外に勝ること何か有らん。 (或る学者)曰。汝は財寶を舍て唯義を上と云う。然らば不義を嫌うて、利ありとも決してせざるか。 (梅岩)答。其の不義を行へば心の苦しみとなる。苦を離るゝ爲にする学問なれば 奚不義を以て心を苦しむることをせん。 (或る学者)曰。商人などは毎々に、詐りを以て 利を得ることを 所作とす。然らば学問などは決して成るまじきことなるに、汝が方へは多く商売人相見へ候由、汝は此にては此に合せ、彼にては彼に合せて教ゆるなれば、孔子の玉う、郷原にて德の賊とは汝がことなり(「孟子」盡心下篇)。学者にあらずして流れを同うし、汚世にかなうて世に媚びへつらい、人を誣ませ己が心を欺く小人なり。門人は是を知らず。汝も學者の中と思わるゝは恥しきにあらずや。 (梅岩)答。君子於其所不知 蓋闕如也(「論語」子路篇)と孔子もの玉う。凡て知らざることは闕き置くべきことなり。此の理を知らずして言い散らすは野卑しきことにあらずや。扨汝の云える所は、世の人も疑う所なり。総ていえば道は一なり、然れども士農工商ともに、各行う道あり。商人は云うに不及、四民の外乞食までに道あり。                                                                                                                                   (或る学者)曰。然らば乞食にも又道ありや。 (梅岩)答。嘗聞く或人江州へ行き待りしに一の非人村あり。其の所に橋の渡り初有りしを、立止りて見待りしに非人頭とおぼしき者、円座に座して有りけり。村の者ども橋の渡り初の祝儀を持ち來る。其の中より痩せて色惡しき男一人、茄子三つ持ち來りて頭の前に進む。頭たる者是を見て、汝は頃日相煩らい居ると聞きしに、何とて此の茄子を持ち來るやと聞きければ、左様に候。永々の病氣なんぎ仕候所に、此の度橋の渡り初めにつき、頭殿へ祝儀を致すべき由、小頭より申し渡し候ゆへ、夜前他所の畠へ往き盜み申候と云う。 頭の云う、乞食は盜みをせまじき爲なり。盜みをなせば乞食はせず。汝は村の住居は成るまじきと云うて、小頭を召んで彼れが快氣次第、村を拂ふべし。病氣の中は番を致すべしと云いわたしけるとかや。飢て死すとも盜まんは乞食の道なり。子曰君子固窮小人窮斯濫矣(「論語」衞靈公篇)。困窮しても正しきを守らば君子なり。困窮して放濫は小人なり。小人となつて乞食に劣るは哀しきにあらずや。 (或る学者)曰。扨商人は貪欲多く、毎々に貪ることを所作となす。夫に無欲の教えをなすは、猫に鰹の番をさするに同じ。彼に学問を進るは、前後つまらぬことなり。其の濟まぬことを合点して教ゆる汝は曲者にあらずや。 (梅岩)答。商人の道を知らざる者は、貪ることを勉めて家を亡す、商人の道を知れは、欲心を離れ仁心を以て勉め、道に合うて栄ゆるを学問の德とす。 (或る学者)曰。然らば賣物に利を取らず、元金に賣り渡すことを教ゆるや。習ふ者外には利を取らぬことを學び、内證にては利を取れば實の教えにあらずして、反て詐りを教ゆると云者なり。如何となれば元來ならぬことを強るによりて、加様に前後合ざることあり。商人利欲なくしてすむことは、終聞かざることなり。 (梅岩)答。詐りにあらず。詐りにあらぎる子細を告べし。是に君に仕うる者あらん、奉禄を受ずして仕うる者有るべきや。 (或る学者)曰。それは無筈のことなり。孔子孟子といへども禄を受けざるは、礼に非ずとの玉う如何ぞ有るべき。是は受くる道に因て受くるなり。受くる道にて受くるを欲心とはいわず。 (梅岩)答。賣利を得るは商人の道なり。元銀に売るを道ということを聞かず。売利を欲と云うて道にあらずといわば先ず孔子の子貢を何とて御弟子にはなされ候や。子貢は孔子の道を以て売買の上に用いられたり。子貢も売買の利無くば富むること有るべからず。商人の買利は士の禄に同じ。買利なくば士の禄無して事るが如し。 或る所に屋鋪へ出入する用達し二人あり。又外より出入りを望む者在りしが、買物方の役人申されけるは、二人の用達より入る物は殊外に高直に相見ゆると云うて、彼の出入りを望む者の絹と見合有りける時、過分の値違いあれば役人殊外に機嫌あしく、二人の用達を一人宛呼びて、汝が方より差上候呉服、殊外高直につき、外をも見合候所、格別の相違不屈の由申されければ、一人の出入の者の云う、拙者ども御用踈末に仕ること少しも是なく候。初めて御出入り願い申すものは損銀を致してなりとも、最初には差上げ申し候へども 後の続かざる者に候と云う。其口書をとりて帰さる。 又一人を招びて不屈きのよし申し渡されければ、仰せ御尤に候、拙者儀、去年までは愚父存生にて御用達し申す所に、愚父相果候て後、御用拙者に仰つけさせられ候ところ、拙者こと不調法にして勝手困窮仕候ゆへ、買物調いかね先方より高直に売り申し候や。心もと無く存じたてまつり候。且御調へなされ候呉服が証拠にて候。高直なる物をさしあげ申す事、殿様の御高恩を忘るゝと申すものにて御座候。今暫下しおかれ候御扶持にて渡世仕り、一兩年の中家屋鋪諸道具等売り払い 借銀相すまし、其上にて御用相勤め申し度候と云う。然らば其の口書せよと云て、口書をとりて帰さる。 其後評議ありて一人の用達は身上不如意なる者を手本とし、高利をとり其上役人を云い掠むる咎ありとて、用事を取りあげられしとかや。又一人は正直なる申しぶんなり。其上彼れが貧乏は 亡父が奢りの為す所、彼が咎にはあらず。亡父が咎を身に受くる孝心、殿への忠義彼此後々に至りても、為に成べき者なりとて、古借を聞き届け合力致し、用向きをこれまでの通りに云附よと有り。此れ正直によつて幸いを得たり。 これは是 殿様の高恩を忘れず、高直なる者を差し上げまじきと思ふ実と、父の奢りを隱す孝と、我正直なる所より役人を言い掠むる心なきと、此三つの德より我身の幸いとなる。 又一人の用達は全く御用踈末に仕らず、又初めての者は損を致し差し上るなどゝ云うことは、世間一等の口上なるが、其を聞く者の身に替わりて見よ。目にあまるほど 過分の違いあらは実尤と聞くべきや。扨も座遁れの偽りをいうと思うべし。 弥其弁舌を能云いまわすほど聞人これを惡む。世の人賢きやうなれども実の道を学ざるゆへ我過の益ことを知らず、こゝを能味ひ見ば、眞実なくては叶わざることを知るべし。多葉粉入一つ、幾世留一本買とても、善惡はみゆる物なるに、色々と云いまわすは宜しからざる者なり。有りべかゝりに言うことは善者なり。 我より人の実不実をみる如く、他よりも又、我実不実を見ることを知らず。伝曰人視己如見其肺肝(「大學」傅六章)と。此理を知れば辞を飾ずありべかゝりに云うゆへに、正直ものなりと、何事も任せ頼るゝゆへに、世話なしに人一倍も売ものなり。商人は正直に思はれ打解たるは、互に善者と知るべし、此味は学問の力なくては知れざる所なり。然るを商人は学問はいらぬものと云うて嫌ひ、用ざることは如何なることぞや。 (或る学者)曰。然れども世俗に、商人と屏風とは直にては不立といえるは、如何なることぞや。 (梅岩)答。世俗の言に加様なる聞誤り多し。先ず屏風は少しにても ゆがみあれば疊まれず。此故に地面平かならざれば立たず。商人もその如く自然の正直なくしては、人と並び立ちて通用なり難し。これを屏風の直にたとへたるものなり。屏風と商人とは直なれば立つ、曲めば立たぬと云うことを取り違へて云えり。古の伯夷の直(「孟子」萬章下篇)も、屏風の直に勝ることあるべからず。 商人の屏風に並ぶほどの直と言うこと、如何なることぞや。 (梅岩)答。凡て鬻貨曰商。然れば貨を売中に禄あることを知るべし。この故に商人は左の物を右へ取り渡しても、直に利を取るなり、曲て取るにあらず。口入ばかりする商人を問屋と云う、問屋の口銭を取るは、書き付けを出し置けば人皆これを見る。鏡に物を移すが如し。隱す処にあらず、直に利を取る証なり。商人は直に利を取るに由て立つ。直に利を取るは商人の正直なり。利を取らざるは商人の道にあらず。こゝを以て正しき士は、此売物は損銀たち候え共、負けて売らんと云う時は不買。我買うてやるは 汝に利を得させんが為なり。汝が合力は不受と云えり。利を取ざるは商人の道にあらず。 (或る学者)曰。然らば天下一等に 元銀は是ほど、利は是程と、極めあらば然るべし。それに偽りを云い負て売るは如何なることぞ。 (梅岩)答。売物は時の相場により、百目に買いたる物、九十目ならでは売れざることあり。是にては元銀に損あり、困て百目の物、百二三拾目にも売ることもあり。相場の高時は強氣になり、下る時は弱氣になる。是は天のなす所、商人の私にあらず。天下の御定の物の外は時々にくるいあり。狂あるは常なり。 今朝まで金一兩に一石売れし米も九斗に成り、小判は下り、米は高、又小判は高、米は下りするものなり。天下第一の売買物是なり。其外何に限らず日々相場に狂いあり。其の公を欠いて私の成るべきことにあらず。それに一人天下の商人に背き、元銀は是、利は是とは分けがたきことなり。偽りにはあらず。是を偽りと云わば売買なるまじ。 売買ならずば 買人は事を欠、売人は売れまじ。左様になりゆかば、商人は渡世なくなり農工と成らん。商人皆 農工とならば財宝を通わす者なくして、万民の難儀とならん。士農工商は天下の治まる相となる。四民欠けては助け無かるべし。四民を治め玉うは君の職なり。 君を相るは四民の職分なり。士は元來 位ある臣なり。農人は草奔の臣なり。商工は市井の臣なり。臣として君を相るは臣の道なり。商人の売買するは天下の相なり。細工人に作料を給るは工の禄なり。農人に作間を下さるゝことは 是も士の禄に同じ。天下万民 産業なくして何を以て立つべきや。 商人の買利も天下御免しの禄なり。夫を汝独り 売買の利ばかりを欲心にて道なしと云い、商人を惡んで断絶せんとす。何を以て商人計りを賤め嫌うことぞや。汝今にても売買の利は渡さずと云うて、利を引て渡さば、天下の法破りとなるべし。上より御用仰せ付けらるゝにも利を下さるゝなり。然らば商人の利は御免し有る禄の如し。然れども田地の作得と、細工人の作料と、商人の利とは、士の如くに定めて幾百石、幾拾石とは云うべからず。 日本唐土にても売買に利を得ることは定りなり。定りの利を得て職分を勉れば自から天下の用をなす。商人の利を受けずしては家業勉らず。吾禄は売買の利なるゆえに買人あれば受るなり。呼ぶに従って往くは、役目に応じて往くが如し、欲心にあらず。士の道も君より禄を受けずしては勉らず。君より禄を受くるを欲心と云うて、道にあらずと云わば, 孔子孟子を始として、天下に道を知る人あるべからず。然るを士農工にはづれて、商人の禄を受くるを欲心と云い、道を知るに及ばざる者と云うは如何なることぞや。我教ゆる所は商人に 商人の道あることを 教ゆるなり。全く士農工のことを教ゆるにあらず。 (或る学者)曰。然らば商人の売買にて、利を得ることは有るべきことなり。其外に曲げて非なること候や。 (梅岩)答。今日世間のありさまに、曲て非なること多し、こゝを以て教えあるなり。実の商人は敬しみ為ざること有り。譬えを以て告ん。我幼年の時分に聞しこと有り。昔或国に中頃より水入になり、農作ならぬ田地あり。其の昔 水も入らざりし時、年貢をかけられし例により、今も少々宛年貢をかけられしに、其田地に果を植え、稲作より増しによこものなり揚りければ、其の果に先君の時より、又運上をかけらるゝとかや。君これを難儀に思召、是新法を止め、民の害わるゝことを救わはんと志し玉えども、親殿の時より始められしことなれば、子の身として改め変ることを歎き玉い、自ら止べきことを思召。 或時臣を召て曰、見れば城下に二階作りの家を立つる者あり。二階作りの家は尽く運上を取るべしと仰せ有りければ、臣是を難儀に思いて相談示し合わせ、君に申しあげらるゝは、先達て二階作りの運上を取るべしと仰せ付けられ候こと、昔より其例なきことに御座候。御免下され候ようにと申し上げらるれば、君聞召 昔より例なきことかや。我は其例を以て言い付くることなり。彼の水入の田地は下にては年貢を取り果にても運上を取るなれば、二階作りの運上に同じ。例なきことにあらずとの玉う。 それより果に運上取ることを止め、田地の年貢ばかりに成りけるとかや。御仁愛及ぶ所、実に民を子の如くに思召す政、世にありがたきこと哉と申しき。商人も加様なることを法となすべきことなり。二重の利を取り、甘き毒を喰い自死するやうなること多かるべし。 一二を挙げて云わば、こゝに絹一疋、帯一筋にても、寸尺二寸も短かき物あらんに、織屋の方にては短かきを言いたて値段を引くべし。然れども一寸二寸のことなれば 疵にもならず、絹は一疋帶は一筋にて、一疋一筋の札を付けて売るべきが、尺引に利を取り、又尺の足る者と同く利を取るなれば、是二重の利にて、天下御法度の二升を遣うに似たる者なり。 又染物杯は染め違ひ有れば、少しのことを大きに云たて値引し、職人を傷め、誂たる人よりは染代を請け取り、職人方へは渡さゞることも有り。これ又二重の利に越えたる惡事なり。総て箇様の類多かるべし。又身上不調につき、買懸り借金の方へ、三分五分の割銀を以て、託言致し済ますこともありとかや。其負方の中に売高多きもの、又猿賢き者は託人より礼銀を蜜々に請け取り、同じく損銀ある体に見せかけて、我は損せざる者ありときく。箇様の紛わしき盜みをなす者を非と云う。 (或る学者)曰。其の詫人より礼銀を受けとり 事を取り持つは商人計にて候や。商人の外にも此類あるべきことなり。 (梅岩)答。商人多くは道を聞かざる故、加様の類有り。又道を知りて事を取捌者は、左様の不義はせざることなり。仮令御領家領の庄屋年寄にても、上の正しき御政道を受けて、事を取持身として、小百姓より礼銀などを請け取ること有るべきに非ず。元來士と云わるゝ身が下々より蜜々に礼銀などを請くることあらば、定めて贔負の沙汰に至るべし。 下々と並で何ごとにても、取持人を士と云うべきか。其は盜人と云う者にて士にはあらず。上にたつ人、下より賂などを受けて、政道たつべきや。仮令当分は知れずとも、天知る、地知る、我知る、人知る、なれば、終には顕れて天の罰を受くべし。天罰を知らざる者、天下静謐の世に有るべからず。然れ共 売人は士にあらざれば 加様なる不義有るなり。毫釐ほども道に志あらばなすべきことに非ず。 (或る学者)曰。其託人が礼銀を出し、垨明を頼むが惡しきか、又礼銀を取り事を頼まるゝ者が悪しきか。 (梅岩)答。其時は頼む人は下なり。頼まるゝ者は上なり。頼む者も頼まるゝ者も罪あり。然れども、七分の罪は上にあり三分の罪は下にあり。昔より知ある者は 上に立ち下を治む。無知なる者は 下に立ち力を勞して上を食しなう、と孟子もの玉う(「孟子」滕文公篇。孟子曰云々)。上の清潔を法とするは古よりの道なり。其正しきをまもらずして託人と比びて不義の礼銀を取り、これも財と思うは、あさましきことなり。 下々に生るればとて人に替の有るべきや。身上不如意の者は是非なく、金銀を減少して託るなり。負方は身分相應の損あり。其中にて取持顔つきして礼銀を取るは、盜人に同じ。加様なることをなす者は、甘き毒を喰いて自死するに同じ。又人の手代にもかゝる邪しまをなす者多し。是は主人の思い寄りなき惡を迎え、主人に甘き毒を喰わせて家を絶やす者に同じ。 孟子の所謂 逢君之惡其罪大(「孟子」告子下篇)と。然るを主人は金銀の損さへ少ければ忠ある者と思いて、我身を亡ぼさるゝことを知らずして、是を喜ぶ。其根を尋ぬるに商人は学問はいらぬものなりと云いて、聞くことをせず、反て聞く人を笑う。実に一疋の鼻のある猿が、九疋の鼻欠猿に笑ひ殺るゝと云うに同じ。我賢しこしと思うより不善の道に陥れば、其家終には禍來ることを知らず哀哉。 易に曰。積善家必有餘慶 積不善家必有餘殃。臣弑其君 子殺其父(「易經」文言傅)と是れ教えの眼なり。聖人の仁心能々味ふべき所なり。聖人斯のごとく不善を悪み玉う、味わいを知らば二重の利を取り、二升の似をし、密々の礼を請ること杯は危うして、浮る雲の如くに思うべし。是を能々つゝしむは只 学問の力なり。世間のありさまを見れば、商人のように見えて盜人あり、実の商人は先も立ち、我も立つことを思うなり。紛れものは人をだまして其座を済ます。是を一列に云うべきにはあらず。 (或る学者)曰。商人の道は是にて有增事足り候や。 (梅岩)答。此はこれ売買の道を云う。此上は中々事多くして尽し難し。 (或る学者)曰。此外にも何ぞ難しき教えありや。 (梅岩)答。難しき教えにはあらず。然れ共 五常五倫の道は、天下國家を治むるも一列なり。此故に小家といえども教えあり。譬えて云わん。田舍にて大仏殿を見度と云う老衰の人有り。其子孝行なる者にて、在所に大工有りけるゆへ、大仏堂の雛形を建呉られよ、親に見せたき由云いければ、大工の云う、我は大仏堂の雛形は、得建申さず候と云う。否少く只 四五尺計りに建くれられよと云えば、大工の云う。凡て本堂作りは、法を知らざれば雛形も得建て申さず候。堂には大小あれども 仕用に替わること無き故なりと云う。天下を治むるは大仏殿を建つるが如し、小家を治むるは雛形の小堂を建つるが如し。 家一軒には君臣有り、夫婦有り、兄弟有り、朋友の交わり有り、人倫の道なくば、小家と云えども如何して治むるべき。小家を治むるも仁、国天下を治むるも仁、仁に二品の替あらんや。商人の仁愛も間に合ばこそ、先年飢饉の救い米を出したる者は、悉く御褒美を下し玉えり。飢人を救うて人を不殺は人の道なり。 (或る学者)曰。然らば 商人の心得は如何致して善からんや。 (梅岩)答。最前に云わる如くに、一事に因って万事を知るを第一とす。一を擧げて云わば、武士たる者、君の為に命を惜しまば士とは云われまじ。商人も是を知らば我道は明らかかなり。我身を養しなわるゝうり先を疎末にせずして眞実にすれば、十が八つは、売り先の心に合者なり。売り先の心に合ように商売に精を入れ勤めなば 渡世に何んぞ案ずることの有るべき。且第一に儉約を守り、是まで一貫目の入用を七百目にて賄、是迄一貫目有りし利を九百目あるやうにすべし。売高拾貫目の内にて利銀百目減少し、九百目取らんと思えば、売物が高直なりと尤らるゝ氣遣いなし。無きゆへに心易し。 且前に云う尺違の二重の利を取らず、染物屋の染違に無理せず、倒たる人とうなづき合て礼銀を受け、負方中間の取口を盜まず、算用極めの外に無理をせず、奢りを止め、道具好をせず、遊興を止め普請好をせず。斯のごとき類盡愼止る時は、一貫目設る所へ九百目の利を得ても、家は心易く持るゝ者也。 扨 利を百目少くとれば、売買の上に不義は有增なき者なり。 譬へば一升の水に油一滴入る時は、其の一升の水一面に油の如くに見ゆ。此を以て此の水用にたゝず、売買の利も如是。百目の不義の金が、九百目の金を皆不義の金にするなり。百目の不義の金を設け增、九百目の金を不義の金となすは、油一滴によりて、一升の水を捨る如くに、子孫の亡び往ことを知らざる者多し。二重の利や倒者の礼銀や、払のしかけなどの無理尽く合わせ聚て見たりとも、それにて世帶が持るゝ者には非ず。此理は万事にわたるべし。 然れども欲心勝て、百目の所が離れ難きゆへに、不義の金を設け、可愛子孫の絶へ亡ることを知らざるは哀しきことにあらずや。前に云う如くに兎角 今曰の上は何事も清潔の鏡には士を法とすべし。孟子曰、無恒産而有恒心者惟士爲能(「孟子」梁恵王篇)と。昔鎌倉最明寺殿、天下の政を皆相摸守殿へ讓り玉ひ、諸国を巡り玉ふは天下の邪正を正んためなり。これ下の訴え上へ通ぜざることを歎き玉うゆへなり。上仁なれば下、義ならざることなし。 此に青砥左衛門尉誠賢 鎌倉に於て訴を分る時、相摸守殿家人と公文と相論有しが、相摸守殿家人の無理なれども、評定の面々時の權威に恐れて、理非を分ざる所に、青砥是を分明に分る。此時公文大に悦び、其の夜半に鳥目三百貫文、青砥が屋舗へ後の山より落し入れぬ。青砥是を見て喜びずして、残らず反し遣して言ふ様は、相摸守殿よりこそ、褒美をば受べき所なり。公事を分明に分るは相摸守殿を思いたてまつるゆへなり。天下の理非正きは、相摸守殿喜び玉ふべき所なりとぞ言ける。 かくの如き者は士の中に入べし。才知は青砥に劣る人も有るべし。不義の物を受ざるほどの事、青砥に劣らば士とは云はれまじ。こゝを以て見れば、世の人の鏡と成るべき者は士なり。子曰蓋有之矣我未之見(「論語」里仁篇)との玉ふ。世界は広きことなれば、鼻を塞で不義の物を受る士も有べし。若し有らば 士に似て刀を指す盜人にて有ん。 事を頼む者より賂をとるは 壁を穿盜人に同じ。青砥が公事を分明に分ることは、相摸守殿を思ひたてまつると云なれば、我身を修め、役目を正く勉め、邪なきは君への忠臣なり。今治世に何ぞ不忠の士あらんや。商人も二重の利蜜々の金を取るは、先祖への不孝不忠なりと知り、心は士にも劣るまじと思ふべし。商人の道と云うとも 何ぞ士農工の道に替ること有らんや。孟子も道は一なりとの玉ふ。士農工商ともに 天の一物なり、天に二つの道有らんや。                                     巻之二・終 都鄙問答巻之三 3・1・性理問答の段 (或學者問曰) 大聖孔子は、三綱・五常の道を説き、性理の沙汰には及び玉わず。孟子に至りて人の性は善なりと云う(「孟子」滕文公上篇)。又我浩然の氣を養うとの玉う(「孟子」公孫丑上篇)。告子は生之謂性(「孟子」告子上篇)、又曰 性無善無不善(同前)。或性猶杞柳性猶檜湍水と云い(同前)、又韓退之は性有三品と云う(「韓文」第十一原性云)。荀子は人の性惡、其善者僞也と云う(「荀子」性惡篇)。楊子は善惡混ぜりと云い(「楊子法言」)且老莊佛氏の説(老莊虛無、佛氏寂滅)彼此その數擧げてかぞえ難し。 何を是とし何を非とせん。是に因って我朝の儒者も、或は孟子を是とし告子・韓子を是とし、又は孟子を非とし、又孔子以下を皆非の如く云う者あり。その論議一として難定。然るを 汝宋儒を是とし、孟子を尊信し、人の性は善と云う。我思うに兎角決定しがたし。元來人に替わりなければ、汝も決定は有るまじけれども、孟子に與する儒者も多く、且世の俗語にも、孟子を善と思う者多きゆへ、汝が心にも實に 孟子の性善を得心致し、背う心にはあらねども、先ず性は善なりと云いて居らるゝと見へたり。それは學者の正直とはいわれまじ。我云う如くに 疑しきは疑いありというこそ正直なるべけれ。尤世渡りの勝手をいわば惡からん。然れども心に咎はあるまじと思えり。汝頸を押えて問うならば、性善には是ぞと證はなかるべし、證はなけれども 先ず孟子に寄り因みて、性善と説き觸れられ候や。 (梅岩)答。否,しからず。さりながら汝は いかやうとも思はるべし、所詮 我云う所は聞えまじ。 (或る学者)曰。汝が思ふ所に當る故の返答かや。 (梅岩)答。左には非ず。子曰、朽木不可彫也 糞土之牆不可杇(「論語」公冶長篇)と。汝が如く我躰を見失ないて、其を不知者は朽木に彫り物する如く、相手無ければ死人に同じ。誰に向って語らんや。性善と云うは我性を知りて、孟子の善との玉うは是か非か、我性に合うか不合かと、手前に法を求て後の詮議なり。先ず性善のことは差し置く。孔子一貫(「論語」里仁篇)との玉うは いかゞ得心せられ候や。 (或る学者)曰。それは 曾子曰、忠恕而己、何ぞ疑わん。 (梅岩)答。曾子の忠恕は至りて善なり。後世の性理に昧き者も、忠恕を一貫のことなりと云うは可也。一貫を忠恕のことゝ云うは不可なること必せり。如何となれば 今時にては和漢ともに忠恕と計り云うては、聖人の道統と思わず。思わざる故に道統を無する罪あり。然るを汝 性善を知らずして一貫を以て忠恕と云うは、曾子の粕を食うなり。 一貫と云うは性善至妙の理にて、聖人の心なれば、言句を離れ獨り得る所なり。曾子は是を聞き事理察らかなれば、其の旨に契い疑い無き故に 唯と對え玉う。外の門人中もー列に聞かるれ共、聞こえざるに依て 孔子出で玉いて後に何と云うことぞと問われたり。一貫にては聞こえざるにより 曾子曰忠恕而己と説きかえ玉えども、其心を覺らず。既に子貢にも一貫と告げ玉えども、子貢いまだ達せざるゆへ對えなきなり(「論語」衞靈公篇)。 曾子は道統を得玉う故に、忠恕を以て至誠一貫の理を説き玉う。得たる者は自由にして、一貫を忠恕と説けども合えり。合うと不合とは得ると得ざるとにあり。汝 忠恕と説けども性善を知らざれば、曾子の忠恕と違えること決せり。只 忠恕のことゝ押つけ置くとも彼是濟まぬこと多かるべし。師たる者は此理を説かるべし。汝は性理に昧き故 聞こえざると見えたり。 (或る学者)曰。其所は師たる人も、さっぱりとは濟まねども、此は聖人のことにて、今の學者の知るべき所に非ず。忠恕のことなりと云うて、此の上のことは決して 沙汰なきことなり。 (梅岩)答。汝は今の學者の可知所に非ずと云う。聖人の教えは古今に通じて変わることなし。今と古とを分るは、佛氏の末世と云う教えなり、混雜すべからず。扨 孔子無適無莫(「論語」里仁篇)との玉い、又顔淵の在前忽焉在後(「論語」子窄篇)との玉ひ、孟子道一而已との玉ふ(「孟子」滕文公上篇、世子自楚云々)。加様の類多し。汝は如何心得居られ候や。 (或る学者)曰。加様の類は 深く詮議せざることなれば、早速は返答なりがたし。 (梅岩)答。此の三言は 皆我心のことなるが、其れを急々に返答ならずといわば、書を見ること多しというとも、何の益あらん。論語の書は皆 聖人の心なるに、其心を不知して、何を法として身を修め、人を教えられ候や。 (或る学者)曰。孔子の道は、五倫五常の外はなし。何ぞ疑いあらん。 (梅岩)答。汝は一而己の一を知らねば、道を不知。孔子曰人能弘道非道弘人と。心能盡性、人能弘道 人の外に無道、道の外に無人 人の心は覺ることあり。此を以て道を弘む、覺る心は体なり、人の大倫は用なり。体立ちて用行なわる。其の用は君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の交わりなり。仁義礼智の良心は、其の五倫を行なわする心なり。汝は此の心の一なることを不知。 (或る学者)曰。汝のいえる所も一理あるなれば 何れを学ぶも外ならず。我も向後は心のことをも工夫すべきが、然れども孟子の性善は愈濟みがたし。聖人は知・仁・勇の三德全くして善なるべし。最早賢人さへ全からず。况や衆人は又劣れり、それを一列に善といふは如何なることぞや。 (梅岩)答。孔子易に 一陰一陽之謂道 繼之者善也 成之者性也(「易経」繫辞上篇)との玉う。天地は一陰一陽なり。陰陽の外に他物有りや。 (或る学者)曰。五行といへども、陰・陽なれば他物はなし。 (梅岩)答。然らば此の陰・陽は二つか一つか。 (或る学者)曰。二つとも分けがたし。又一つかと思へば動・静の二つなり。 (梅岩)答。動静の二つなり。其動は何方より來り、静かになるは何方に帰えるぞや。 (或る学者)曰。無極大極といえども、畢竟なきものに名を付けたるにや。聢と落著なりがたし。 (梅岩)答。無きものにあらず。大極というは、天・地・人の体なり。先ず 汝が鼻の息と口の息とは二つか一つか。 (或る学者)曰。是も分けがたし。 (梅岩)答。其の口と鼻との息は、直に天地の陰陽なり。天地に吐いて天地に吸う。其の吸うと吐くとを暫も止め置かれ候や。 (或る学者)曰。止むること不能。 (梅岩)答。呼吸は天地の陰陽にして、汝が息には非ず。因て汝も天地の陰陽と一致にならざれば、忽に死するなり。陰陽の外に汝が命なきこと明白なり。吸う息は陰なり 吐く息は陽なり。継之者は善なり。身の動くも静かなるも天地の陰陽なり。易と何ぞ替わることあらん。孔子は天地を以て道の体を説明し玉う。孟子は人を以て道の体を説明し玉う。天人一なれば道も亦一なり。周子曰五行一陰陽也陰陽一太極也 太極本無極也(太極図説)。此の無極を一とやいわん、二とやいわん。己に實知せずは何を以て道を説かん。酔の中に夢をとき、世を惑わすこと哀しきにあらずや。早く孔孟の一を可知。孔子孟子は割符の如し。 孔子を是とせば孟子も是なり。孟子の性善を貴び、糟を食い与するには非ず、我心に合うゆへなり。加様に説く時は、甚知り易きに似たれども、此上を味い得ることかたし。味い得ば、生死は一致なり。是故に、朝聞道夕死可矣(「論語」里仁篇)と、孔子もの玉えり。扨、孔孟の曰所の善を世に見誤ること多し。性が善ならば世の中は皆善人にて、惡人はなき筈なり。然るに惡人も多ければ、定めて虚名ならんと疑う者多し。是以て味い得る者少なり。如何となれば今日の上、此は善、彼は惡と善惡對々の善と見るゆへに、聖人の宗を失して、大なる謬出る所なり。 (或る学者)曰。其の大なる誤り出る所を、聞くことを得らるべきや。 (梅岩)答。然らば天地の道を以ていうべし。今此に田地二反あらん。百姓の力を用ゆること同じく糞等も同じく、其の植ゆる所の苗も同じく、植ゆる時も同じ。然るに一反には米三石あり、一反には一石五斗有る時は、纔に一反の中にて米一石五斗違いあらば、其の田に 惡心ありといわんや。又三石ある田を、善心ありといわんや。 (或る学者)曰。田に心なければ、惡心とはいわれまじ。然れども上田下田とはいうべし。 (梅岩)答。然らば土に替わりはなく同じ土なれども、上田下田の替わりあるなり。是地に肥えたると磽せたるとありといえども、土の理に替わることなし。然れば土は同じ土にてありながら、上田と下田とあり。然りといえども、土に具わる所の理は同じ。同じきゆへに漸々に糞を入れ土を入れゝば、下田は中田となる、中田は上田となる。是を人に喩えていわば下田は小人なり 中田は賢人なり 上田は聖人なり。 聖人と賢人と小人と替わりあれども、元性善は同じき故に学べば漸々を以て、小人は賢人となり賢人は聖人となる。是性は一なる証なり。扨聖人も賢人も小人も、今日活きて動くは呼吸の二つなり。此二つを継ぐものを見得すれば、形なきものにして、万物の体となるものなり。是を名づけて善なりとの玉う。此の性の善なることは私慮を以て窺い可知にあらず。孟子の性善は前にいう如く、惡に對する善に非ず。誤るべからず。 (或る学者)曰。孟子の性善と、告子が性に無善無不善と云うは同じかるべし。如何となれば、無善不善所は空々寂々としたる所なり。孟子は 其の空々寂々たる所に名を蒙らしめて性善といえり。告子はありのまゝに、無善無不善と云う辞に替わりあれども実は虚名なり。夫に孟子は是とし 告子は非とするは如何なることぞ。 (梅岩)答。是汝が不得の所なり。先ず告子が無善不善と云うは、是思慮なり。如何となれば我性と云う者を尋ね見れども、善とも不善とも分かれず。然れば善も不善も無き者なりと思慮を以て見たる所なり。孟子の性善は直に天地なり。如何となれば人の寢入りたる時にても、無心にして動くは呼吸の息なり。其の呼吸は我息には非ず。天地の陰陽が我体に出入りし、形の動くは天地浩然の気なり。我と天地と渾然たる一物なりと貫通する所より、人の性は善なりと説き玉う。自然にして易に合えり。 扨此所は前後ともに聞き分けがたき所なり。默して工夫せらるべし。易は天地の上にて説き玉えば、凡て無心の所なり。其の無心の陰陽が一たび動き、一たび静なり、是を継ぐ者が善なりとの玉うことなり。此微妙の所と、告子が云う思慮と、一列にいわるべきや、大に異る所なり。孟子の性善は生死を離れて天道なり、いかんぞ告子が念々生滅する者と一列なるべきや。此は易に似て難知所なり。思慮を以て知らるゝ所にあらず。 信心堅固にして、憤りを發し、孔子斉に在りて楽を学び三月、肉の味わいを知り玉わざる如くにして可知。世の人書物を読みながら、此の性善を知らず。不知して書を読む者を喩えていわば、病人の如し。無事の人は食の美き味わいを知りこゝを以って喜ぶ。熱病人も食は喰えども、美き味わいを知らず。この故に不喜。性善を不知者も斯の如し。書は読めども、書の意味を知らず。却て孟子の性善を非と見るなり。孟子の性善も天なり。孔子の易の性善も天なり。 天地と人と別々といわば汝、口と鼻とを塞ぎ活きて見よ。天地の陰陽を受ずして、活きられなば孟子は非なり。死すべしといわば、孟子は是にして天地の性善と一致なること決せり。是端的の証なり。其継ぐ物を不知によつて迷うなり。其の迷うよりして告子が説を実尤と請合なり。告子がいえる如く、性に何ぞ善不善あらんやといわば、人挙って是に寄るべきが、退いて工夫すべき所なり。善不善なしと思ふ一念は、毫釐の差なれども遂る所にては千里の謬となる。 聖人の道は天地而己、天地は見えたる通りに清と濁と有りて、天は清り地は濁れり。清る天も濁れる地も、何方を見ればとて、物を生じ育うべきとも不見。無心なれども、萬物生々して古今違わず。其の生々を継ぐ物を善と云う。分けていわば天は形のうして心の如し。地は形有りて物の如し。其の生々する所は活物の如し、無心なる所は死物の如し。天地は死活の二を兼ねたる物なり、死活の二を兼ねすぶるゆへに萬物の体となる。 其物を暫く名づけて、理とも性とも善とも云う。然るに私意を用ゆる者は、天地は活物なりと、一方を知りて、死活を攝ねて一理なることを不知。因て害をなすこと甚し。是故に孔子攻乎異端斯害也已(「論語」爲政篇)との玉うことなり。天地を人の上にていわば、心は虚にして天なり、形はふさがつて地なり。呼吸は陰陽なり。これを継ぐ者は善なり。用を爲す所を主る体は性なり。是を以て見よ。 人は全体一箇の小天地なり。我も一箇の天地と知らば、何に不足の有るべきや。告子は是を不知。生滅にあづかる思慮を以て我性と思う。思ふ所は性に非ず。いかんとなれば、思慮なき天理に異なる故なり。此の味わいを不知者は、天道に不合ゆへに異端と云う。渾然たる一理の性に至れる孟子には異る所なり。 (或る学者)曰。天人は一とは聞けども、我も天地と一致なること落着しがたし。汝は此の理を知れりや。曽って不得心のことはいわれまじきが如何なることぞや。 (梅岩)答。書経大誓(泰書中第二)に曰、天視自我民視 天聴自我民聴とあり。天の心は人なり、人の心は天なり。此故に古今に通りて一なり、汝今物語の相手は誰ぞや。 (或る学者)曰。対していうは 汝なり。 (梅岩)答。我は万物の一なり、万物は天より生まるゝ子なり。汝万物に対せずして、何によつて心を生ずべきや。是万物は心なる所なり。寒來れば身屈し、暑來れば身伸ぶ。寒暑は直に心なり。熟して工夫あるべし。 (或る学者)曰。段々の説にて天人一致と性善のことは、耳には聞けども 心には得ずして、少しも面白き味わいの不出は 如何なることぞや。 (梅岩)答。能き問い哉。徒然草(三十八段)に、伝え聞き学んで知るは眞の知にあらずと云う。今汝如斯き聞こえたるやうに思わるゝとも、未だ実知にあらず、是を以て味わいなし。性を知りたしと修行する者は得ざる所を苦しみ、是はいかにこれは如何にと、日夜朝暮に困しむうちに忽然として開けたる、其時の嬉しさを喩えていわば、死たる親の蘇生、再び来り玉うとも其の楽しみにも劣るまじ。 昔より重荷を持ちし山賤の息杖懸けて休みたるを、安楽の至極なりと、画き伝えし其人は 豁然と開たる、此楽しみを不知者にて有りつらん。我に至極の楽しみを画けと望む人あらば、豁然とひらけつゝ、手の舞い足の蹈む所を忘れし者を画くべし。此所を伝(「大学」伝五章)に曰豁然貫通焉則衆物之表裏精粗無不到と。扨この所は、我心を尽すほどほどに嬉しさ違うなり。 年久しく如何如何と思う所より、忽然として疑い晴るゝことあり。然るに 一ケ月や二ケ月に疑いを起し、是に於いても彷彿と開くことあり、といえども喜こぶこと少し。少なきゆへに勇氣出でず。又信心堅固にして入り立つ時は、仮令辻に立ってなりとも、此の味わいを 世に伝へ残さんと思う勇氣も出るなり。我文学の拙なき恥を知らずして、如斯謂い散らすは実に鄙夫というべけれど我志を述べんためなり。 (或る学者)曰。性理は第一の事とは思えり。然れども兎角、聞き得ることかたし。雲泥の違いある、告子が非を得心せば、孟子を是としらるべきや。 (梅岩)答。孟子の性善を得れば、白昼に黑白を分くる如し。他の非は聞かずして明らかに分かるゝなり。何ぞ非を知ることあらん。性善を知れば、定木を以て曲直を正すが如し。孟子の性善との玉うは、心を尽して性を知り、性を知る時は天を知る、天を知るを学問の初じめとす。天を知れば事理自ら明白なり。此を以て私なく公にして、日月の普く照らし玉うがごとし。 告子が言える所は、生れながらの性を見失ない、私知を用ゆれば白昼に日輪の光を借らずして、戸を閉じて燈火を用ゆるが如し。照す所如斯違いあるなり。因て雲泥の違いと云う。天地は照々と明らかなり。何ぞ力を用ゆることあらん。力を不用行なわるゝ故に、安楽にして然も明らかなり。是故に天地の霊となる。此を不知昏々と暗らうして、私知を以て苦しむは告子が説なり。 孟子は性理に明らかなる故に、積義浩然の氣を養い、至大至剛にして天地に充るの德に至り玉う。告子は此理を不知、己が私知を以て、定て此筋にてあらんと思うては問い、又決定なき所より、品を変えて問うゆへに、論義の度々に変わるなり。吾に決斷して云う言葉は変わらざる者なり。然るに告子は不得於言勿求於心(「孟子」公孫丑上篇)と云い、於言有所不言其言を舍て置くべし、其理を心に反えし求むるは惡と云う。 心に求むることを嫌いなば 何の世にかは覚る所あらんや。今日一番の軽ろきことさへ、心を尽して知るにあらずや。且告子が湍水のたとへ(「孟子」告子上篇)にて明らかに可知。告子が思うようは 心は種々の思いを生ずれども、何をと云うて可取ようなければ、性は水の流れて淵にぐるぐる回るごとき者と思えり。 夫れ天は忽寒暑雲霧風雨を生じ(「易経」象傅)平旦清明の気より、仁義礼智の良心を生ずることを不知。色々品々に穿鑿し思慮するゆへに、只紙一重ほどの違いも天地懸隔と はるかなる隔たりとなる。譬えば犬の己が尾を食わんとすれば 身の回るに随いて尾も巡る故、喰いつくこと不能。告子も色々思慮する故に、性善に及ぶこと不能。惜しい哉 哀しい哉。 孟子は知を不用、義を行い玉うに因て、平旦清明の気を養うことを得玉う。 然れども独り得る所にして、形容しがたきを以て難言との玉う。程子曰、観此一言 則孟子之実有是気可知矣(「孟子」公孫丑上篇)。又程子の此一言を観れば、程子も此気を養へること明らかなり。知音の人は是を可知。性善を会得すれば、気も亦清明にして、仁義の良心を発す。常に仁義の良心起らば、人事は此に越ゆることあらんや。 (或る学者)曰。性善を知るは、至極のことにて有るべけれど、我等ごときは何程聞きても得らるべきにあらず。孟子の如き器量あらば善ならん。後世の者所詮及び難し。又世界数万億の中に纔に二十人三十人、仮令九十百に至り、得心する人ありとも、いわば少しのことなり。只心易く云うて、世渡りを能くするこそ善かるべけれ。仏者ならば極楽へ往生すと云うて悦ばせ、儒者ならば天地に升り降ると云うこそ勝らんと思えり。仮令覚ればとて、同じ天地なれば、苦しんで益なきことにあらずや。 (梅岩)答。汝も益あると思えばこそ、苦しんで学ぶにあらずや。不学ば郷人となる。郷人となる恥を嫌うゆへに学ぶなり。学問第一の所は、聖賢に至ることなり。性善を知るは聖賢に至るの門なり。門戸無くは如何ぞ聖人の道に入るべき。孟子曰堯舜之道孝弟而已(「孟子」告子下篇)。苦しんでなりとも是を能くするを益とす。孝弟を舍れば禽獣となる。心禽獣に陷りて不孝不弟をなし、親兄弟心を阻つる程、世に悲しきことあらんや。 此故に孝経に子曰自天子已下至于庶人 孝無終始 而患不及者 未之有也と。因て五刑之属三千、罪莫大於不孝との玉う。加様に罪人となり、人倫を破れども恐るゝことなく、孝弟は行ひ損と思ひ、死すれば君子小人ともに天地へ散々て、一列なりと思われ候や。 (或る学者)曰。何んぞ人倫を可舍。又天地に散々と決定するにもあらず。然れども 地獄極楽へ往くべきとも不思。三世のことは定めて無き者にてあらんと思えり。これは我ばかりにも非ず。世間にも決せぬ人もあるやらん。或所に儒者を專一に致し、仏法を譏り、且神社仏閣へ友に誘なわれ參りても、曽て拜などもせずして居られしが、時節來りて病気づき、最早九死一生と相見えし時に、日頃縁類ゆへ來たり因む僧ありければ、臥しながら手を合わせ、涙を流し後世のこと返々頼み入ると申されけり。自身にも最期に望んでは、何とやら気味あしく、日頃の血気に任せて云う時とは 替わるものにや。又我も実はさつぱりとはせねども、仏者に聞くも口惜しく、其上仏者にも、正しく悟道の僧も見あたらず。 或時田舍の禅僧に出合い 幸い哉と思い、仏家には生死の一大事を説明せりと承る、如何なることぞ、今宵は心閑かに、御物語候えといえば、彼の僧払子を立てて見せられけれども、何とも心得難き故に、暫く他の物語をし、後に又最前の生死のこと、今一度唯心易く、耳に入りよきように示し玉えと云いければ、今宵は茶が濃うて、寢苦しからんといわれける故、聞こえざるかと思いて、最前の生死のこと、今一度示し玉えと反して云いければ、彼の僧 最早四の柝が鳴ると大声にて云い、又いわるゝようは、汝は学問もありそうなるが、笑止や聾そうな、といわれけり。加様なることなれば、問うても済まず、不問猶決定せず。如何して疑いなく、末期に至りて不泣ようになるべきや。 (梅岩)答。彼僧最初に、払子を立て見せられしを、汝是を見て不知、盲というべきを、又品を替え説て聾といえるは 愛に溺れし教えなり。孔子は吾爾に隱すことなしと、只一言に尽し玉う。又 季路問死曰未知生焉知死(「論語」先進篇)との玉う。今此身を知れば、死の道は目前に明らかなり。何ぞ他に因て求めんや。生死のことは論語に明らかなり。是をも残さず教ゆるを 実の儒者と云う。 汝も秘密せずして教ゆる方にて学び、早く生死の疑いを晴らさるべし。足下の近かきことを不知、聖賢の教えに違い、心を苦しめ、夫れにても、世渡り勝手よきと思うて己が心を欺き、我こそ孔子の弟子にて眞の儒者なりと云うて居らるゝは、如何なることぞ。 (或る学者)曰。古歌に、心の問わば如何こたえん、と有る如く、心に問えばやすきには非ず。人が問えば、儒者などは奉禄渡世のことを思う者にてもなし。元來天より來りて天に帰ると潔白に言えども、実は潔白ならず。心は糞土に蓋をして置くやうにて不安苦しむなり。然りといえども如何ともすべきようなし。是は儒者計りにてもなく、仏者も前にいえる如くなれば、世間並みなりと思う。尤仏者は広ろきことなれば、千人に一人得心の僧もあるべけれど、儒者は数も少なけれま弥罕れなるべし。 (梅岩)答。我思うは、左には非ず。仏者には少なるべし。儒者には数も多かるべし。儒者というは学者のことなれども、儒は濡にて身を濡すと云うことなれば、此身にて滿足したる者を儒者というべし。孟子曰 人々己貴き者あり。己に貴きは心なり。心を得て滿足し、身を濡す者は儒者なり。何ほどに出家多しというとも、俗人の十分の一にも及ばず。人数少なき故に 悟道の人罕れなるべし。俗は数万のことなれば、身を濡す人も多からん。 (或る学者)曰。然らば修行の功を積み、心を得て道の無疑ほどに至り、何程の勝れたること候や。 (梅岩)答。孟子の曰。我四十而心不動(「孟子」公孫丑上篇)と。国天下のことに預りて、恐れ疑うことなく、身を修むるを勝れたりと云う。然るに世の中に、道を教ゆる為に弟子を取り、教ゆることを不知して、弟子に養なわるゝは逆なり。これを譬えていわば、男たる者 我女房を養うことを得せずして反って女房に養なわるゝ如し。心を不知教ゆるときは如斯逆に至る。大学道 明明德為本、新民為末(「大學」首章)。学者たる者心を知るを先とすべし。心を知れば身を慎しむ、身を敬しむ故に礼に合う。故に心安し。心安きは是 仁なり。 仁は天の一元気なり。天の一元気は万物を生じ育なう。此心を得るを学問の始じめとし終わりとす。呼吸存する間は、心を以て性を養ふを 我任とすることなり。少しにても仁愛を行い、義に合えば安楽なり。我心の安楽になるより外に教えの道あらんや。我心に不得ことを、偽りを以て得たる顔つきしたりとも、それは偽りなりと、受つけぬ心有る故に苦しむなり。是前に汝が云える古歌の如く、偽りも人には言いてやみなまし 心の問わばいかゞ答えん、と云う所なり。孔子曰 君子不憂不懼、又曰内省不疾夫何憂何懼と、我云う所他にはあらず。平日不憂不懼 内に省みて不疾 心静々として、安楽ならば これに勝ることあらんや。 (或る学者)曰。聖人は生れながらにして知り玉う。汝等如きの窺い可知所にあらず。然るに心易く聖知の私知のと判斷せるは、如何なることぞや。 (梅岩)答。汝も黑白は心易く分かるべし。聖知と私知とを分かるも如是。禹の水を治め玉う時に、彼は高し此は下と、知り玉うばかりのことにて、替わりたること有るに非ず。私知とは品々の了簡を加ゆる故に、自然の知にあらず、此聖知に異り。聖知を近く知らんと思わば、程子曰、今人羈靮以 御馬、而不以制牛。人皆知羈靮之作在乎人 而不知羈靮之生由於馬、聖人之化も亦猶是。 聖人馬を見て後に羈を作りて、馬にはませて使い玉う。此母の胎内より知りて、生まれ玉うには非ず。向い視る物を則心と為し玉う。是聖知の勝れたる所なり。向う物を移し曲げざるは、明鏡止水の如し。人たる者元來 心は替わらざれども七情に蔽い昧まされて、聖人の知を外に替わりたることあるやうに思うより、昧くなつて種々に疑い発るなり。 元來 形ある者は形を直に心とも可知。譬えば夜寢入りたるとき、寢掻し、おぼえず形を相く。是形直に心なる所なり。又孑ゝ水中に有りては人を不螫。蚊と變じて忽に人を螫す。これ形に由るの心なり。鳥類畜類の上にも心をつけて見よ。蛙は自然に蛇を恐る。親蛙が子蛙に蛇は汝をとり食ふ、畏ろしきものぞと教へ、蛙子も学び習うて、段々に伝え來りし者ならんや。蛙の形に生るれば 蛇を恐るゝは形が直に心なる所なり。 其外近く見んと思わば、蛋は夏に至れば、すべて人の身に従って出ずるものなり。是も蚤の親が人を食ふて渡世をせよと教えんや。人の手の行く時は心得て早く飛ぶべし。飛ばずば命をとらるゝと教えんや。飛び逃ぐるは此 不習して皆 形によつて爲す所なり。孟子曰 形色天性也 惟聖人然後可以踐形(「孟子」盡心上篇)。形を踐むとは、五倫の道を明らかに行うを云う。形を踐んで行うこと不能は小人なり。畜類鳥類は私心なし。反て形を踐む。皆自然の理なり。聖人は是を知り玉う。 曰本記(第二神代巻・下巻の第七)に云う、夫大已貴命與と少彦名命命 戮力一心經營天下。復爲顯見蒼生 及畜産 則定其療病之方 又爲攘鳥獸昆虫之灾異 則定其禁厭之法是以百姓至今咸蒙恩頼と見えたり。何国にも道は同じゅうして、唐土にも伏羲能く犧牲を馴れ伏すと、史記に見へたり。 第一に人と畜類とは、類異なる故に鳥獣共に人を懼れて近づくことなきを、聖神は私心なき故に、彼が懼るゝことを見て此れを心とし玉う。夫故に牛は此れを好む、羊は彼を好む、豕は此を好む、馬は彼を好む、此は強し彼は弱し、此れは厲し、彼は静なりと向ふ所の物を、自らの心として彼が気質の性の儘を、能く知り玉いて、人に馴れ伏するようにし玉うにより、多くの獣を馴れしたがへて、後世鬼神に、諸肉をすゝめ、又老人を養うことを教え玉う。然れば天地に生を受くる、物は自ら弱きものゝ強き者に従うは是天之道なり。 聖神其德在すに因て、無益の物を不殺、理を尽くして、祭祀賓客老人の養い等には已むことを不得して、時の入用に従い、殺して是を用い玉う。無用の時は虫一疋も殺し玉わず。又万草の中に於て、五穀は勝れたることを知り玉い、麥は夏出來るものなれば、何蒔えたるが実登がよき、稻はいつごろ種おろすが善き、それより大豆小豆小角豆は何が善きと、時候を考え玉い、五穀を植え芸うることを教え玉う。 其外に草木の多き中に食うて 能く人を養う者を知らせ玉う。且土を見分け それはそこ、此はこゝと、田畠の植うる所を知り教え玉うによりて、人たる者飢え餓ゆることを免るほどのことを 知る世となりぬらん。此れ皆大已貴命、少彦名命、唐土にては伏羲神農黄帝 御仁德の功なり。天は萬物を生じ、生ずるもの自ら育わる、日本紀(神代巻四十一)に云う、保食神乃廻首嚮國 則自口出飯。又嚮海 則鰭廣鰭狹 亦自口出 又嚮山 則毛麁毛柔 亦自口出 と見えたり。保食神の口とは、如何なる口ぞと工夫すべし。 天神地祇は如斯、自由なる御神なり。その自由の口より生ずる故に、生ずる物も又自由なり。譬えば蟬は口に声なくして、脇の下に声ある者なりともいえり。口もあるべけれども 何方とも見分けがたし。春夏 空に飛ぶ小虫などを見れば、何を食うとも見えずして、飢ゆることなく、虚空に生じて虚空に死すや。出所を不知もの多し。此類を推して保食神の口を味うべし。是を以て見れば、今日の万民世渡りのことは定りある者なり。衆人はこれ有ることを不知。然るを万物の上について、万物の迹を見て教えを立て玉う。 其教え直に天に有るゆへに、古今変わらず、天は物を生じ与えて、其心を聖神をして民に知らしめ玉う。聖人は天の如くこしらへ出すこと不能。天の力に不屈所を教え、世を救い玉う聖人なくば天德見われず。天德なくば爭聖人の功を立て玉わん。譬えば日本武尊の武勇なくば、天の叢雲の御劍も、草薙の御剣と云う名は見われじ。宝の德も皆持つ人による。聖人なくとも天の道朽ちはせず。然れども世に見われ不行。世の人德を明らかかにせんと眼を開くべき所なり。天の道を知りて世に教え施し玉うを、聖知とはいえり。 (或る学者)又問。儒者より仏法を異端と云うて嫌うは、いかなる違い有ることに候や。 (梅岩)答。異端とは端を異にすということなり。儒には仁義礼智信の五常、君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の五倫とを天の道とし天人一致とす。仏家には五常五倫の道を不立。此儒と帰を不同。因って異端と云う。仮令儒者にて儒経を説くとも我心を不知は、聖人の心に不通。我私心を以て教えを立つれば、私心は直に異端なり。然れども聖人の弟子に似たれば押出し異端とはいわず。不言とも異端の方に近き者なり。時節至りて心を知れば、我儒と一致となる。 扨 儒仏の二道を枝葉にかゝり論ぜば 事多くして分れ難し。互に根本の所は、性理を会得するを要とす。先ず仏氏にていわば、天台宗は止觀と云う。眞言宗は阿字本不生と云う。禅宗は本來面目と云う。念仏宗には入我我入機法一体などゝ云う。日蓮宗には妙法と云う。加様に名目には替わりあれども、修行熟して至る所は一なり。一事を擧ていわば、寿量無辺經に曰。仏告文殊言。無心無念本仏以不思議為体無本去來 無三身性 無十界性と云う。然れども 有に對する無には非ず。是を以て法性とはいうべし。然らば其の法性を覚るより外はなかるべし。悟れば生死の迷いを離る。生死の迷いを離れざれば、宗旨の法燈と成ること不能。 扨儒には、性理の至極の所に至りては、上天の載は無声無臭と説き玉う。即ち易)に所謂窮理尽性以至於命との玉う所にて聖人の心なり。如斯は渺然として主とする所なきに似たり。然れども聖人理を窮め玉えば、義有りて存せり。喩えば雪中に梅の香を知るが如し。形見われずして、而明らかなり。然れば聖人の心は天道に至り玉い、天地あらん限りは在し玉う。聖人没し玉うに心ばかり残れること、如何と可思が、世に在す時も心は天道なり。 詩(大雅文王篇)曰。文王在於上昭干天といえり。此心を知らば、德行は至らずとも、儒者ともいうべきが、其心を不知者を、聖人の弟子とはいうべからず。扨て儒仏共に理の所は近うして分れがたし。又行いの上は見えたる通りに雲泥の違いあり。出家は五戒を有ち、俗は五倫の道を行う。是又まぎるゝことはなし。其出家の真似を、俗がするに因て流れに費え有り。唐土にも梁の武帝の如くに終日一食蔬素宗廟以麪爲犧牲。斷死刑必爲之涕泣。天下知其慈仁、然るに武帝之末、江南大いに乱る。 仏の心を悟らずして法に泥む時は害あり。害あることを譬えていわば 飢者に金を與うる如し。天下第一の宝と喜べども、此を懷いて死するに同じ。聖人の教えは飢者に一飯を与うる如し。一飯は金の喜こびには劣る如くなれども、命をつなぐより勝ることあらじ。武帝の如く、死罪の者見て 泣く君あれば、其の慈仁は金を得し如く、民喜べども、政道不正して、江南の乱れは金を懷き、飢えて死するに同じ。是害ある所なり。聖人天下を治め玉うは、敬を主として、孝弟忠信を行い玉い、是を教えとなし玉えば、只一飯を与へ、命を助る如くなれども、天下の民尽く孝弟を行う故に、及ぶ所広大にして利益ある所なり。 事を以て論ぜば、仏氏たる人 罪咎ある者なればとて死罪に行うべきや。罪咎ある者にても、弟子にせんと云うて 上より貰い助け度く思うは出家なり。慈愛の心ばかりにて、聖人の法なくして政道を行わば、反て事の乱れとならん。武帝の如き君あらば、異端と譏るも宜なる哉。 (或る学者)曰。手前には儒道にて、身を修むる志なれば、我為に問うにはあらず。然れども上より下に至るまで、仏法を信仰のことなり。雜る時に害あることならば、上には用い玉わざる筈なり。如何なることぞや。 (梅岩)答。汝の如く、聞き得ざる者あれば害をなす。聞き得し人には何ぞ害有らん。 (或る学者)曰。汝は交わり用ゆるときは、害ありといわるゝ故に問うことなり。 (梅岩)答。我いふ所は左には非ず。仏法の用い様を知らざれば 害あることを云う。 (或る学者)曰。知ると不知と用いやうに二品あるは、いかなることぞや。 (梅岩)答。仏法の表一通りを聞きて、悟ること不能ば 武帝に刑罰の者を訴えるが如し。助くることを知りて正すことを不知。如何ぞ政行われんや。 (或る学者)曰。左あれば忽に害あり。又悟道して行うとも、仏法を用いば殺生はなるまじ。殺生はならずと云いて、可殺咎ある者を助けなば 害あること明白なり。 (梅岩)答。仏法も人を助くる法なり。藥も亦病を助くる物なり。然れども法を弘ろめ藥を施し、人を助くるは其人によるべし。世に医者多き中に、附子熊膽を遣ひ覚えて療治する医者もあり。又人參を第一に用いて療治する医者もあり。熱病に眞桑瓜や、水を用いて病を愈やせし医者もあり。如斯生冷の物は毒なりと云いて、多くは医者の用いざるものなり。仮令大人參の如き、能き藥ばかり用ゆとも、病愈えざれば何の益あらん。是を以て見よ、人參を勝れたりといわんや。附子と熊膽を劣れりといわんや。 名医は何にても、病の可愈ものを用いて疾を愈し、諸藥を尽く遣い覚えて、療治するこそ善かるべけれ。古えより藥種として出し置かるゝ物 何ぞ棄つることあらんや。一も舍てず一に泥まず、能く用ゆるは名医なるべし。一方に泥み滯りて、時の変を不知、名医とはいうべからず。天下国家の治むる道も如斯。古より有り來る法を一として舍てず。一に泥まざるは、名医の諸藥を舍てずして病を治するに同じ。天下国家を治むるに儒道は善しというとも、心闇くして泥むことあらば必ず害あらん。是庸医の人參を以て人を殺すが如し。金屑眼に入る時は忽ち翳となる。 又仏法信仰するは、心を悟るためなり。仏法を以て得る心と儒道を以て得たる心と、心に二品の替わりあらんや。何の道にて心を得るとも 其心を以て仁政を行い、天下国家を治め玉うに何を以て害あらん。自ら惡を爲し、刑罰にて死する者は 君の私を以て殺し玉うに非ず。何ぞ刑罰に心あらんや。書(太甲篇)曰自作災不活。聖人の政は天のごとし。無爲にして治まる。刑鞭蒲朽螢空去、諌鼓苔深鳥不驚、といえり。 (或る学者)曰。汝がいえる如くならば心を得る爲には、仏法を雜え用ゆるも然るべきと聞こゆ。然れども仏法は我業にあらざれば、同くは儒にて知り得度候。仏法を除き得ることは成りがたきことにて候や。 (梅岩)答。孟子曰 無惻隱之心非人也 無羞惡之心非人也(「孟子」公孫丑上篇)と。汝最前より心を不得を苦しんで赤面し、不善を恥るは即ち羞惡の心なり。其羞惡の心を推して知らば、仁義の良心に至るべし。何ぞ仏法によることあらん。我心を得れば儒仏の名を離れたるものなり。譬えば此に一人の鏡を磨ぐ者あらん。上手ならば鏡を磨ぎに可遣。磨ぎ種になにを用ゆと可問や。儒仏の法を用ゆるも如斯。我心を琢く磨ぎ種なり。 琢きて後に磨ぎ種に泥むこそおかしけれ。仮令儒家にて学ぶというとも、学び得ざれば益なし。仏家を学ぶとも、我心を正しく得るならば善かるべし。心に二つの替わりあらんや。仏家に習えば、心が外に替わる者と思う者は笑うにも又絶えたり。仏家も最初は儒学より入る僧多し。儒書が妨げになりて、仏意を得ること成り難きことを聞かず。儒者も其如くに仏法を以て心の磨ぎ種にして、心を得て、何ぞ儒家の妨げとなるべきや。既に仏氏儒氏の方にて発明しても用ゆる所は仏法に用ゆるなり。 又經論に因て見れば 佛は覚なり、覚は一切衆生の迷い解くるなり(佛地論)とあり、迷い解くれば、本に帰るゆへに、三界唯一心と云う、迷いの解けたる体を名付けて仏性と云う。仏性と云うは天地人の体なり。至極の所は性を知る外に仏法あらんや。仏より二十八世、達磨大師見性成仏と説けり。又儒に道の大原は天に出ず(漢の董仲舒云う)。依て天の命これを性と云う、性に率うは人の道なりと説き玉う。 性と云うも天・地・人の体なり。神・儒・仏ともに悟る心は一なり。何れの法にて得るとも、皆我心を得るなり。又禅家の僧などは、天地は大豆粒のようなる小さき者なるを、己とし止まらんやと云う。此は法性不思善不思惡の地位に至れば、天地の名を離れたる者なる故に、此仮の名に泥み止まらぬことを云うなり。然れども天地の外へ去るということには非ず。又性理にくらき儒学者などは、此事を聞き驚いて これは禅 家のこと格別なりと云いて 除き置くなり。是を除き置かば、告子が弟子に成りて不得言 忽求心という者にして、儒者にてはなし。何ぞ告子に替わることあらんや。 中庸(六章)に子曰 舜其大知与、舜好問而察邇言、隱惡而揚善、執其兩端、用其中民、其斯以爲舜乎、舜は天下の善惡を受け容れ、惡を去りて善を用い玉う。今世の人は我心に済ぬことあれば、善惡を択ず除け置くなり。孔子舜を大知との玉うは、何にても問い尋ることを好み、近き言葉の中にても、能く察し明からめ、惡しきことは隱しおき、其中にて、能き言葉を執り用いて、其善の中にて、又兩の端を択び、其中にて能き言をとりて、民の上に用い玉うは舜なり。是を以て大知・聖人なりとの玉えり。 実の学問と云うは 毫釐も私心なき所に至ることなり。孔子の如く、德御座共巧言令色足恭左丘明恥之(「論語」公冶長篇)との玉い、又 述而不作信好古竊比於我老彭(「論語」述而篇)との玉うことを知らるべし。其の德は古今の聖人に勝れ玉えども、此等の賢人にも一事の德あれば慕玉ふ。無我の所を法とすべし。况や心を得度思う者、私心有りては得らるべき所にあらず。心は彼にては得られず、此にては得らるゝとは定めがたし。孔子在川上曰、逝者如斯 夫不舍晝夜(「論語」子罕篇)と。 道の体を指して、見易かるべきは、川の流れに如わなしと示し玉う。滄浪の水濁らば足を濯うの歌を聞き玉い(「孟子」離婁上篇)、小子これを聞き、自ら心に不善あれば、他より侮りを受くると示し玉う。聖人は見聞くことを心とし玉うこと如斯。道に信仰あるこそ、聖人の学問とはいうべけれ。我前方に、一物一大極のことを疑いしに、或書を見待るに、天地一面の神国といわゞ博くして狹まし。微塵の中にも神の国ありといわば 狹くして博しと云うことを見て、一物一大極の疑いを解く。他の書を見て解くといえども全く儒の害をなすにあらず。 儒を学びし道を出て、御神託を拜するに、少も疑わしきこともなし。且仏老莊の教えも、いわば心をみがく磨ぎ種なれば、舍つべきにも非ず。一度琢きて後は、仏老莊より、百家衆技の類を寄せ聚つめ見ても、心は鏡の如し。物來るときは即應じ、物さるときは即霊々として一物を止めず。此心を得て後に聖人の教えに向わば、明鏡に對して我形を見る如し。天地万物の上を見るも、惟一理にして我掌を見るに同じ。皆我一体なり。 日本記(神代下)に云う。天照太神 手持宝鏡 授天忍穗耳尊 而祝之曰、吾児視此宝鏡 当猶視吾 可与同床共殿 以為斎鏡と。 此れ天照太神は、 神璽御德 宝鏡宝剣御德 見御神也。中庸に所謂 自誠明謂之性者にして 天道なり。天忍穗耳尊は中庸(二十一章)に所謂、自明誠謂之教者にして、由教、神璽御德に入り玉う所なり。神璽の御德に至り玉えば、宝鏡宝劍の御德に入り玉う所なり。神璽の御徳に至り玉えば、宝鏡宝劍の御德は、其中に籠り玉えり。 此宝鏡を視ますこと、吾を視る如くすべしとの玉えば、宝鏡を直に、天照太神宮とも拜むべし。床を同じくし殿を共にすとの玉うは 宝鏡の御德を離れ玉わずば、代々の君天下を平らかに治め玉うべしとの御宝勅なりと拜すべし。此理を不知して事を行わば、君としては国を亡し、臣としては家を乱し、政道正しからずして 無益の物を殺し、人欲肆にして無道を行い、五倫五常の道に背むき、出家は五戒を破り、仏の道に背むくべし。 世法を治むるには、聖人の道にあらずして 何を以て治めんや。故に 儒道・仏道・老子・莊子に至るまで、尽々く此国の相とするやうに用ゆることを可思。日本宗廟天照皇太神宮を、宗源と貴び奉り、皇大神宮御宝勅に任せ、万くだくだしきを払らい舍て一心の定まれる法を尋ねて、天の神の命に合う惟一を相るに、儒・仏の法を執り用ゆべし。こゝを以て一法を舍てず、一法に泥まず、天地に不逆を要とす。 (或る人)曰。客の問う所、未だ尽さざる所あり。汝が答えを聞くに、学問の道無他、其の放心を求むる而已とも云い、又聖人の心は無心なりとも説く。無心ならば心を求むることは有るまじ。実に心を求むると思わば無心と説くは非なり。何が是、何が非と、一に定めずして加様に紛わはしく説くはいかなることぞ。 (梅岩)答。教えの道は 一定の中に膠して 変を不知、一を取りて百を舍る、如きには非ず。喩ていわば一本の丸木桴に乗るが如し。よく乗り馴れし者は 何を踐んでも踐む所直に中と成てり乗ることやすし。乗り馴れざる者は丸木ゆへに、ぐれぐれとし、踐む所を知らずして乗ること難し。学間の道も如斯。心を知らざれば聞けども不聞。又心を知る者は 何を聞きても一理なれば、皆我心に合えり。其放心を求ると説くも、聖人の心は無心なりと説くも 二つには非ず、一致なり。天地は物を生ずるを以て心とす。 其の生ずる所の物、各天地物を生ずる心を得て心となす。然れども人欲に掩われて此の心を失す。故に心を尽くして、天地の心に還える所にていう時は、放心を求むると説き、又求めうれば天地の心となる。天地の心になる所にて説くときは 無心と云う。天地は無心なれども四季行れて万物生る。聖人も天地の心を得て、私心なく無心の如くなれども、仁義礼智 行なわる。一旦豁然として貫通する時は、疑いは晴るるものなり。聖学を論ずるというは 此心を知りて後のことゝ思わるべし。                                        巻之三・終    都鄙問答・巻之四 4・1・学者の行状 心得難きを問うの段 或人問曰。或所に幼年より學問し、四書五經は云うに及ばず、何にても書物諳んずる程の德有る人あり。然れども心得がたきこと多し。一事を擧げて云わば、金銀借用等に、不埓なること多し。夫ともに手前にも儉約を守らるゝ上にて、是非なく不足あらば他の了簡も有るべけれど、手前は取じめなく他人に不埓をなし、且親への事も何とやら惡舗ところ有りて、親の心に合わざれば、先ずは不孝と云うべきか。 扨 身の行作を見れば物知り顔に 我をたかぶり、辯舌は鮮やかなれども 聞きなれぬ挨拶にて 兎角耳に入りにくし。なにとやら寄りそい難き風俗有りて、十人が九人までは嫌うなり。是を以て見れば、親の 氣に入らぬも尤なりと云う者多し。博學の德有りて 加様なる身持あるは、如何なることぞ。 (梅岩)答。汝は德と云うことを曾て知らずと見えたり。加様なる疑わしきことを、問い定めらるゝは左もあるべきことなり。其學者は德に至るの學問にはあらず、文字藝者と云う者なり。 (或人)曰。然らば 書物を讀む外に學問と云うことありや。 (梅岩)答。いかにも書物を読むことにて候。然れども書物を讀みて、書の心を知らざれば學問とはいわず。聖人の書は自ら心を含め玉う。其心を知るを學問と云う。然るに文字ばかりを知るは、一芸なるゆへに文字芸者と云う。 (或人)曰。書を読むは同うして、汝今分けて二つとするは証あることに候や。 (梅岩)答。孔子謂子貢曰女器也(「論語」公冶長篇)。子貢の学は記臆能くして記すこと多けれ共、いまだ德に至らず。志あれ共 仁に至らざる中は器なりとの玉う。器とは一品の役をなし万事に通ぜざることなり。子貢は志しあるゆへに 終には性と天道とを聞きて、君子の德に至り玉えり。汝の云える学者は、親には不孝をなし 他人には偽りを云う。是皆不仁のことなり。文学ばかりにて一芸なるゆへに文字芸者と云うなり。德とは心に得て身に行うを云う。 我心を得れば父母には孝行をなし、他人には偽りをいわず。詐りをいわざれは、出入等に不埓はなさず。返す覚えなきものは不借。飢えて死すとも不義の物を受けず。己が欲せざる所を人に施さず。我才能を以て人に伐らず。他人の善事を身にうつし、人の惡事を見ては、我にもこの惡事あらんかと恐れ、己を顧て仁義の志有りて止まざるを聖人の学問と云う。 子曰有顔囘者好学。不遷怒不弐過不幸短命死矣。今也則亡未聞好学者(「論語」雍也篇)と。顔囘の心は鏡の物を照らすが如し。 右の怒を左に遷さず。前に過つことを後に復せずと。如是心に得て 身に行うを“德”に至ると云う。故に文学に長じたる子夏・子游を好学とはの玉わず。詩書六芸七十子習うて通ぜざるに非ず。通ずれども文学は用なり、“德”とはいわず。汝の云える学者は 年久しく文字を数えても、書の心を得ざる故に、不孝にして世の交わりあしく不義の類多し。然れども文字さへ読めば“德”ありと思いて、世間に取り違える所なり、誤るべからず。 4・2・淨土宗之僧 念仏を勧るの段 或 淨土宗の僧、毎々參られしが 或時來て曰。汝は儒者の事なれば、仏法を勧むるにはあらねども、無常変易のならいなれば、又徒然の折からは、百遍二百遍づゝ成るとも、念仏を勉められなば後世の便りとも成るべし。且儒にて終に聞き及ばざるの大事也。仏法にはこれあれば申すことなり。 (梅岩)答。思召よられ、斯く申さるゝこと過分の至りに候。扨 其儒になき大事とは如何なることに候や。 (僧)曰。先ず儒仏道ともに勧善懲悪の教えはしれたることなれば、相い替わることもなかるべし。如何としても儒には教えの届かざることあり。 (梅岩)答。教えて届かぬは 孔子の玉う「下愚の不徒もの」と云うことにて候や。 (僧)曰。その下愚は、目も見へ、耳も聞へ、口にも言う者なれば、教えの届くことあり。下愚のものにても仏前や神前に向い、これは神、これは仏ぞといえば名は聞くなり。然れば是程の教え届く所あり。如何しても教えの届かぬ者に届かする伝受あり。その伝受といふは 啞と聾と盲と此三色を身に具えたる者は、先ず聾ゆへに法を聞くことならず、盲なれば見ることならず、啞なれば言うことならず, 如是三重病人にても救い、往生さすることを伝受するなり。此を以て見れば、儒には闕けたる所あり。今世のこと計りにて、後世を救うこと不能。 (梅岩)答。其 救わるゝ罪は、何に因て出來申し候や。 (僧)曰。その罪と云うは、物を見ては見るに附き、着念を發し、聞くにつきては喜び怒り、言ふに附きては他を譏り人に怒らせ、其外種々の罪を作る、挙げて数えがたし。如是罪咎を救い助くることなり。 (梅岩)答。然らば此に君を弑し、親を弑したる者あらん。その罪逃るゝこと不能。これをも助くべきや。 これを助けなば 届かぬ所を届かすと云うものなり。助くること不能といわば 三重病人も助くること 不能證しなり。且三重病人は見、聞き、言うこと、なければ罪なし。罪なき者に助けはいらず。其外に助ること有りや。 (僧)曰。否猶大事あり。三重病人と生ることは過去の因縁なり。此を助くる伝あり。三世を攝ねて救うことは、儒道にはなきにあらずや。 (梅岩)答。左様の教えは、伝え來ることなし。天地の間に生るゝ者は、天を父とし、地を母とし自ら生ず。朱子曰 自天降生民 則既莫不与之 以仁義礼智之性矣。然其気質之禀或不能斎(「大學」序)と。今日 人に生れたる者には五常五倫の教えあり。君臣の義、父子の親、夫婦の別、兄弟の序、朋友の信、これを能く行い 仁義礼智の性を全うし 天命に至らしむる教えなり。草木は天に違わざるに因て教えは不入。人は喜怒哀樂の情に因て、天命に背く。故に教えをなして人の道に入れしむ。 固り啞なればいわず、聾なれば聞かす、盲なれば見ず。見聞言わざれば咎なし。咎なき者は赤子に同じ。赤子は教えざれども無知の聖人なり。抑聖人は見るに心なく、聞くに心なく、言うに心なき故に、不失赤子之心者は聖人なりと、孟子の玉えり。是又 三重病人に似たり。聖人の教えは咎ある者はこれを正す。咎なき者を何ぞ正さん。 扨 汝に問わん。所々に庚申と云うを見れば見ざる聞かざる言わざるの猿なり。これを三疋合わすれば、三重病人なるをこれは仏菩薩として人に拜す。然れば三重病人も、仏菩薩に近きものを伝授なくては救いがたしと云うは、如何なることぞや。且円光大師は念仏の外に奧深きことを存んぜば、二尊の愍みにはづれ、本願にもれ候べしと、一枚起請にありとかや。一枚起請にては奧深きことはなしと云い、今汝が云える所にては伝にて大事を伝うと云う。これ大師の教えに違うべし。儒には左様の箱伝授はいらず。 (僧)曰。然らば汝は 段々伝え來る大事をみな偽りと云い、非法するはいかなることぞ。 (梅岩)答。何ぞ理なく他を非法すべき。念仏宗に云うは、西方極樂へ往生し、彼国に至りて、如來の説法を聞きて、悟りを開らき成仏するとの教えなり。汝如き、人の導師と成る者は、此所を能々工夫して開くべき所なり。仏氏にて云うときは迷うが故に三界城、悟るが故に十方空。本來無東西。何処有南北矣。 如此なれば、彼国と云うは、唯 心の淨土と云うことに決定せり。淨土と云うも我心のことなり。 普広菩薩白仏言 世尊十方仏土皆為厳淨、何故諸経中 偏歎西方阿彌陀仏国勧往生、 仏告普広菩薩、一切衆生濁乱者多 正念者小 欲令衆生専心有在 是故讃歎彼国 為別異耳、若能依頼修業、莫不獲益矣と。 これに因って見れば、一切衆生に心の濁り乱らるゝ者多く、正念の者は少き故に、衆生の心を一筋に向わしめん爲に、西方を極樂と指して教ゆ、との玉うこと明白なり。然れば極樂を西方と教え玉うは、愚痴の者に説き玉う法にて、上知の教えは十方佛土なること明らかなり。師範と成る者は別して味わうべき所なり。愚痴なれば先ず我往くべき道を知らず、我往生を知らずして、他を導びくべき所にあらず。 扨如來の説法と云うは、直に南無阿彌陀仏と知るべし。如何となれば口に唱える南無阿彌陀仏が耳に入り、一遍の念仏にては一念の惡を消し、二遍の念仏にては二念の惡を消す。惡念死して善心生るなれば、これ即往生なり。往生に三義を立つる中に一を挙げて云わば、往は猶 此のごとし此に生るなり。自心より生ずるを以て、故に不往往くを名て往生となすなり。念仏の行者も初じめには火宅を厭い離れんことを思うて、極樂往生を願い、弥陀を念ずるなり。 夫より年月を経て、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱うれば 念仏にくせづきて、終には余念他念なく後には南無阿弥陀仏になれば 我と云うものあるべきや。我なければ虚空の如し、虚空に南無阿弥陀仏の声有りて、唱うれば此れ即阿弥陀仏なり。阿弥陀仏 直に御名を唱え玉うは説法にあらずや。此説法の功德に依りて、弥陀を念ずる行者も念ぜらるゝ方の仏も、双方ともに一体と成り、苦樂の二つを離れ終るなり。離れ終わって無心無念の不可思議と成る。是を名付けて自然悟道とも云い、能所不二 機法一体とも云うにあらずや。 大原問答(上巻)に曰、自有相修因 直入無相樂果、抑往生見 令体達無生理、これ等の所は如何得心せられ候や。阿弥陀経に曰。従是西方過十万億仏土 有世界 名曰極樂。其土有仏、号阿弥陀。今現在説法。現在は目前のことなり。唯心の淨土、己心の弥陀なれば、婆婆即寂光なり。然れば現在の説法と云うは 草木國土悉皆成仏にて、森羅万象悉く一仏なれば、柳は緑 花は紅と分かれて、己々が法を説くなり。 一心不乱の修行を以て此に至り、九品の淨土を目前に拝むべし。これ即諸法実相の所なり。光明遍照十方世界念仏衆生攝取不舍。他宗は修行の功を積み、観念座禅等を以て、此理を悟るなり。然るに難行をせずして悟り開らかるゝ故に、念仏宗旨は諸宗に勝れりと、汝も口眞似するにあらずや。釋尊の法性を悟り、一仏成道し玉うと、念仏にて法性に至り、自然悟道したると二つの替わりありや。法性に二つ無くば、南無阿弥陀仏にて、淨土宗門は事足るべし。然れども伝授なくては不足と云わば、大師の起請は偽りと云う破り舍てんや如何。 4・3・或人神詣を問うの段 或人問曰。吾頃日 親の年忌につき、国本へ參り候所、産神へは参り申さず候。子細は此度墓參り第一に存じ、最初に墓まいり致し身汚れ候ゆへ、産神へは參詣いたさず候。又神へ先に參りては、親を踈末になすやうに存じ候。かやうのことは如何。 (梅岩)答。親の心に適うやうにせらるべし。 (或人)曰。親はなき故に 問うこともならず、親の心いかゞしてしるべきや。 (梅岩)答。都て親の心は、子の身の上能きことを願うものなり。親の心は子を思うに致らざる所なし。然れば身の汚れなき以前に、産神へ參らるべし、親存生の時に、汝在所へ往かれなば、先ず産神へ參るべしといわるゝに非ずや。然らば先ず社參して神を敬まわば 是親の心に合うといふものなり。父母の心に合うほど宜しきことあらんや。 范氏曰 子能以父母之心 為心則孝矣、中庸に、事死如事生といえり。今は父母なしといへども、此意味を得心して事らば“孝行”と成るべきことなり。 4・4・医の志を問うの段 (或人)曰。吾忰の内一人は、医者に致し度候。渡世の爲には、如何なるものにて有るべきや。 (梅岩)答。吾 医之道は学ばざれば、委しからずといへども、暫く志す所を以て告げん。先ず第一医学に心を尽くすべきことなり。医書の意味得心なくして、人の命あづかることは恐るべし。いかんとなれば我一命の惜しきことを顧み、他人に推し及ぼす。かゝる時は病人を預りて、一時も心ゆるやかなるべからず。譬えば我身に頭痛し腹痛む時は、少しの間にても堪忍なるまじ。其の堪忍ならぬことを知らば人の病を見ては我病の如く思い、心を尽くし療治せば、一夜にてもゆるやかに寢ることはなるまじ。人の命を惜しみ薬を施し、施すを以て心とし、病気快然を以て樂しみとし、薬礼の事を思わず、療治すべきことなり。薬礼を思わずといえども病家よりは、一命を頼むことなれば身分相応の謝礼は有ることなり。 或人云えることあり。渡世の為ならば、医者はすべき者にあらずといえり。薬をほどこすと云う所より見れば 左も有るべきこと哉。渡世の為にせば、薬礼の滯る所へは、往きがたき心も出ずべきことなり。追付き見舞わんと云うて、延引致し其の病人若し死にも至らば、天命とは云いながら、其医の心に成りて見れば、我より不仁の私欲を以て、かくなし行い、天命と片づけては置きがたかるべし。孟子曰殺人以刃与政 有以異乎 曰無以異也(「孟子」梁恵王上篇)と。殺す品は替わるとも、罪にかはりは有るべからす、恐るべきことなり。心一杯つくし、人の命を惜しむ仁心ありて、薬をほどこし、且病治せざるは是非なしとも云うべし。子曰 人無恒不可以作巫医 善哉(「論語」子路篇)と。 医は 人の生死を寄せ頼むものなり。人の命を惜しむを以て 我心とせざれば、過ちの不仁多かるべし。我命を惜しむ心を以て、病人を愛せば、過ちすくなからん。斯のごとくせば 実に仁愛の医者と成るべし。其の仁愛を失なわざれば、これ医の恒と云うべきか。これを味い見ば、治しがたき病人あらば、何ほども医書に眼をさらし工夫すべし。博学の為にはあらねども、病人を実に愛憐する所より、終に博学の名医と成るべし。博学と云うは、詩作文章を事とするには非ず。此医の志すべき所の大略を云う。 (或人)曰。然れば博学の名医と云えるは 医学ばかりのことにて候や。他の文学なく挨拶等 常体のことばかり云わば、軽々鋪文盲に見ゆべし。文盲に見へては他の信仰も薄く、信仰なき所にては療治なども成難かるべし。身の飾りをなす為には、詩作文章をも兼ねて博学なるが宜しきにあらずや。 (梅岩)答。博学は我も好む所なり捨るにあらず。然れ共医学熟して後のことなり。本末を正すときは医学は本と知るべし。有子曰 本立而道生と。本末の違えるは君子の道にあらず。扨 汝は世俗の聞なれぬことを云うを、博学と思われ候や。それは麁相なる了簡なり。良医は聞きなれぬことを 云うものに非ず。医書に 望聞問切と云うことあり。先ず病人に望み、容体を見るを望と云う。様子を聞きて病を知るを聞と云う。不審を問うて察するを問と云う。脉を診みて病を定むるを切と云う。 然れば病人に望み 其の容体を観て後に病いのことを言わせて聞き 又、委細のことは看病の者に問い、且脉を診みて、我意に合えるか不合かと得心して、薬を用ゆべきことなり。それに人の聞きなれぬことを云い、先方へ聞えざれば又先よりの返答も違うものなり。互にきこえずは望聞問切と違い、病根を察して 薬を用ひ療治することは成るまじきことなり。 子曰 辞達而已と。辞達已とは我云うこと先へ聞ゆれば已、聞こえざれば聞こえて通ずるまで云うべし、との玉うことなり。言ても聞こえざることを云う者は狂人なり。狂人が爭で療治すべき。京都に住める医者、医書と論語を見ざるほどの者有るべきや。聞こえ難きことを云うて喜ぶは 辺土に居て仮名双子を見 療治する者は、世間より何も知らぬ医者なりと侮らるゝことを嫌いて 色々の聞きなれぬことを覚て云いたがる者なり。良医たる者箇様のことあるべきや。 4・5・或人主人行状の是非を問うの段 或人來て物語して云う。汝の知れる如く、我親方は今日にては内福なる者にて、財宝何に不足のこともなし。然れども金銀を溜るばかりにて、何を楽しむこともなく、只金銀の番をする而已にて貧乏人に同じ。親の代には相応の楽しみもせられ、少しは奢も有し故に借金も有りといえども、定りの家督有るゆへ、是非乞う者も無ければ財宝有るに同じ。申さば沢山に遣得と云う者なり。一生それにて相済み、果報人にて終れり。加様のことは双方の是非如何。 (梅岩)答。総じて重も軽も人に事る者は臣なり。臣たる者は善惡是非 少は弁えあるべきことなり。先ず第一に 天下の御政道に奢りはかたき御禁なり。奢者久からずと俗語にも云い伝え、又奢りに因て流罪追放せらるゝ者、其の数を知らず。高家にて国天下を亡す者を云わば、中古には平の清盛を始め、相摸入道其外 奢りに因て国家を亡す者、其の数少なからず。唐土にも秦の始皇は奢りに因て天下を失ふ。汝の先の親方も奢りあれば、天下の御法にもそむき、且定りたる家督ありと云う。是奢りの第一なり。 上の命を受るは、民の常なり。仮令御用達する身なればとて、手前よりて定ること有るべからず。况や其以下市井の臣と生れ、君の命を不知して、此方より定りたる家督ありと思えるは、上を無する罪人なり。又借銀を乞う者もなしというは辟ことなり。如何となれば汝今親方に仕うるに、最早何年ほどは勤たればいつごろは宿持せてくれられんと、定めて期にせらるべし。然るを時來りても暇を乞わざれば、宿を持せず、何までつかわるゝとも 親方の遣い得と云つて、すまして置かれんや。 我身を推して知らるべし。汝が時節を待つ如く、貸したる者も日限來れば利足を添えて返さるゝを待つは常なり。其を乞う者なければとて、反えさぬと云う法ありや。然るに子が先の親方は、借銀を返さずして死去せしを、汝は幸なりと思えりや。此は僥倖と云う倖なり、此僥倖と云うさいわいは、人の物を盜みても、人を殺しても其罪不知して遁れたるものゝ幸なり。此幸は望むべき所にあらず。然るを果報人にて終ると云うは如何なることぞ。推取してはすまざることの証あり、善惡の二を挙げて告ぐべし。 先唐土の堯舜は天下を治め玉い、仁と孝との法となり、大聖孔子は至德を以て、其道を後世へ伝え玉い、今に至りて唐土は云うに及ばず、我朝までを照らし玉う。又盜跖は大盜にて其惡名今に不絶。天下の人これを惡む。聖人は不義の物は一芥をも受玉わず。盜跖は人の物を推取し盜人の名は朽ざるなり。此も同じことにて相済と云わんや。 借たる物は戻し、貸したる物を請取るは人の道なり。且孝弟忠信の德あつて、家業に疎からず、加様の類を善事と云う。道は天地に昭然たり、然るを汝が先の親方は奢りをなし、他借を乞う者なしとて反さず、反さずして死するは推取なり。其推取せしは聖人に近きや盜跖に近きや。其不義を行いし人を一生事済み、果報人ぞと思う汝は、盜跖に与する者なり。今の親方は身を約かにして親の借銀を済し、惡名を雪ぐ、これ人の道なり。范氏 所謂子改父之過 変惡以為美 則可謂孝矣(「論語」)雍也篇)と云、これなり。 (或人)曰。扨今の親方の致し方は、前に云う如く、今時の日傭取にも劣りたる仕方なり。親の代には衣類も花美を好まれしに、今の親方は木綿布子に生布の帷子、小倉帶に高宮羽織、加様に各別なる事を好む、是等は如何。 (梅岩)答。先 汝が心に大なる奢りあり。如何となれば同じ下々にて、我と日傭取とは格別なりと思う。此即彼をいやしめ、我をたかぶるの奢りなり。農工商は一列に下々なり。然るに日傭取と我等如きと何程違い有んらや。其を賤しきと見るは心せばし。今の親方は知有りて、我をたかぶらず上を恐れ身を下り、世に罕なる者なり、貴きと賤しきとの分れを知るは礼なり。凡て衣服に羽二重より上はなし。其より木綿まで何程の品あらん。貴賤の次第を以て云わば、上より地下に至るまで、其品何程と量るべきや。 衣類は細かに分けても、十段計りならでは無きものなり。位の段を以て品を立てば、下々は薦をきても善るべし。左もならざれば木綿を常の衣類となし、手前豊かなる者は祝日などには、衣類に絹紬までは農工商共に用ゆるなり。其法式を有りがたしと思うて背むかず、急度執り守りて、我身の賤しきを知り、其わかちを立てらるゝは頼母敷ことなり。汝も親方が木綿着らるゝならば、常は洗布子のつぎのあたりたるを着らるべし。汝は是を異形の衣服と云う。孟子は加様なる法に合える衣服を大聖堯王の服となし、法に背むき分を僭ゆるを大惡無道の桀が服となし玉う、異哉汝が云わること。 (或人)曰。折々は普請の手伝や、手代の代わりを勉めらるゝ、加様なること如何。 (梅岩)答。問うによつて見れば、親方の心入 実尤至極せり。汝は常を知りて変を不知。格式定れる武の家を以て見るべし。治世といへども軍旅のことを舍ざるは士の常なり。唐土には田獵をして武の事を習う。我家の業を習うは人の常なり。何程手代あればとて頼とはならず。若し手代なくならば其時は家業を舍んや。家業のことを不知して、何を以て商売取続、家を立つべき。孟子曰 禹八年於外三過其門兩不入(「孟子」離婁下篇)。禹是時に当りて天下の洪水を治め玉う。我職分を勉め玉うこと如斯。親方は我職分に疎からず。聖人の道を能く聞き得たる人なり。 (或人)曰。算盤細かに聚むることを好み、散らすことは嫌いにて、奉公人も綺羅やる者は気に不入。倹約者の見苦舗者を好きて、其者の給金にても下直なるかと云えば 其も不替。かやうなる前後揃わぬこと如何。 (梅岩)答。扨 汝の親方は世の法と成るべき人哉。凡て下々の者は云うに及ばず。仮令二万騎三万騎の大将とても、算術疎きては馳引備えだて成りがたからん。元來商売人として、算盤不知して何を以て勘定致すべき。奉公人を抱るにも此手代は拾枚、或は五枚 下男は百目 彼は又五十目と、人別に替わり有り。其者の働らきを見て、功有る者には給銀を増すべし。其目利あらば 我手代に成るべきもの 幾人も出來らん。 中庸に忠信重禄 所以勤士也。これ君誠有りて臣を養なう道なり、背くべきにあらず。何を以てなれば、唐土項羽人をつかうに功有る者には国を封ずべきを吝しみ、忍んで禄をあたえず。卒に漢の高祖の為に亡ぼさる、是臣より君に怨みあるゆへ、心替わりて高祖に往き、却て我敵となる、此其功と禄と算用知ざる所より発れり。仮令項羽に無礼有りとも高祖に往くは、臣の道にあらず。不忠の者も仁を以て忠臣の如く使ひなすは君の道なり。 この故に 汝が親方は義理有りて出すべき給銀抔はこれを出し、聚べき物は能聚、散しては聚め、聚めては散らす、些二つ義に合わば 仮令 家、国を治むとも何の難きことあらん。奉公人も、儉約者は給銀を溜て主人の恩を知る。奢者は給銀や鼻紙代にて遣いたらず。不足所は盜し遣いながら、我旦那は幾年勤めても勤甲斐なしと云う、汝が親方は此を知る。こゝを以て給銀をねぎらず、見苦しきを反て喜ぶ。是誠の道を以て人を遣うなれば、忠あるものを求得ること多からん。子曰以約失之者鮮矣と。倹約者を好むは尤なり。国家を治むるも 約を本とするにあらずや。仮令財宝ありとも、善人を得ずは何を以家を治めんや。 (或人)曰。先年の困窮の年に、親類中其外 宿もち手代どもへ、米穀の調え金銀を貸し、明年より取りかえさんと云う。借り方の中より手前勝手に相成り候まゝ、今日よりは利足を出し、借り度きよし云うものあれども 聞き不入して取り反えし、内に積み置き番をせらる、加様なる費を知らざることは如何。 (梅岩)答。是一入面白し。親類手代中も、先旦那は人の物を反えさずして奢れしを見習いて、奢ることを知りて まさかの時の貯えをすることを不知。其を教えん為に 急々に取り立てらるゝと見ゆ。且借したるものを取り反えすは古今の定法なり。孟子曰非其道也一介不以与人 一介不以取諸人(「孟子」萬章上篇)と。心正しき親方、貸し取ることに心あらんや。人を不義に陷し入れずして、且救わん為なるべし。 (或人)曰。左様なるかと思えば、出入の働人などの何の好みもなき者には、多くの米穀を施し、其は又 遣舍にせらるゝ、然れども誰が一人として礼にも來らざれば、格別に喜ぶ体も見へず。畢竟遣り損なりという者あれば、否、物を施すは礼を受くる為にはあらず。其筈のことなりといわるゝ。又吝いことは、虱の皮を千枚にへぐようにせらるゝ、これらは如何。 (梅岩)答。扨 此に至りて一入感心致す所なり。何を以てなれば金銀は天下の御宝なり。銘々は世を互にし、救い助くる役人なりと知らるゝと見えたり。此故に困窮に至りて多くの人を救い、又救われし者どもより恭けなしと染々礼をいう者もなけれども、其厭いなきは聖人といへども、此上も有るまじきかと思えり。孟子所謂 若民則無恒産 因無恒心(「孟子」梁恵王上篇)と。民の知るなきは常なり。其愚なる処を知りて、其者より我慈悲を知らざれども、其厭いなく他の憂いを救い自らこれを任とす。能く貯え能く施す今の親方は 学問を好まるゝとも聞かざりしが 仮令一字も学ばずといへども、此ぞ実の学者ならん。 先ず人は 天地物を生ずるの心を得て 心とするなれば、人物をはぐくみ育うを以て要とす。孟子所謂君子所性 雖大行不加 雖窮居不損 分定故なり(「孟子」盡心上篇)と。是を以て見れば人は貴賤に不限 尽く天の霊なり。貧窮の人といえども一人飢ゆる時は直に天の霊を絶つに同じ、此故に聖人は民を養うを以て本とし玉う。此を以て飢饉年には御上より、飢えた者を救わせ玉う御事なれば、子の親方も御法を能くも用い尽くされたり。その志し誰も斯は有り度ものなり。 (或人)曰。親類一家 祝儀の音物は取り遣りともに三分一に減らし、七日の法事は三日に減らし、一日の齊は三曰に増し、齊非時も五十人の僧を二十人に減らし、一石の施行は三石に増す。此等は如何。 (梅岩)答。我分を能く知りて天を恐るゝ志し有り難きことなり。音物を減らし法事の日數を減らし、僧を聚むることを減ずるは、分限を知らるゝが故なり。法事に齊し、敬しむは礼なり。施行米を增し人を救うは仁の施しなり。凡て増減を知るは智なり。実に智仁の心を能く用いたるありさま、左も有るべきこと哉。孔子も礼与奢也寧倹 喪与其易也寧戚(「論語」八佾篇)との玉う。扨 五十人の僧を二十人に減ずること定て疑いあるべし。 (或人)曰。法事は少にても増すを善事と云うべし。減らすを善と云うは如何なることぞや。 (梅岩)答。不似事ながら汝心得やすきやうに 事を設けて語るべし。汝も生し時は赤子と云う。次いで名を付して次郎とか太郎とか云うべし。成長して汝今の名を付けり、又年寄らば法体して法名を付くべし、其時々の名を召べば答えるなり。其名は実の者か仮の者か。 (或人)曰。名は付して生まるゝものには非ず。先ず仮のものなり。 (梅岩)答。汝を盜人と云わはゞ如何。 (或人)曰。盜人と云われては身分立たず、この故に怒るなり。 (梅岩)曰。善人と云わば如何。 (或人)曰。我に善事はなけれども 誉めらるゝはあしからず。 (梅岩)答。盜人と云い善人と云う、これ仮の者にて外より付けたる名なり、其に何とて怒り喜ぶことぞや。 (或人)曰。仮の者とは思いしが、名も我に添いたる者なれば これも実物に同じ。盜人と云われては思わずして怒なり。 (梅岩)答。今汝が爪を切り舍つるに、爪の中に爪と云う名ありや。又汝が身を切り裁いて見ば 汝が名あらんや。 (或人)曰。爪を切り、身を切るとても名はあるまじ。 (梅岩)答。爪を切り、身を切るとても名はなし。形は土なり、名は則汝なり。神と云う名は直に神なり。名の外に神仏はなし。因て先祖親祖も法名を付して召べば直に親祖なり。扨又汝 祭や節に召れて往かんに 先の夫婦機嫌の好きが善からんや、機嫌は惡鋪とも料理のよきが善からんや。 (或人)曰。料理は麁相なりとも 亭主機嫌の好きが勝るべし。 (梅岩)答。先の親方は大業なる法事など致されしとあり実に然りや。 (或人)曰。信心者ゆへ仏のことは 大業に致され候。 (梅岩)答。法事の時何も機嫌能く喜んで勉められ候や。 (或人)曰。大勢の客を踈末にせぬ心ゆへに、下々の廻り惡ければ、勝手の者は呵りまわされ候。 (梅岩)答。傭い人などにも 法事の心付けをもせられ候や。 (或人)曰。大勢の出家なれば、布施までのことにて 外の心付けは致し申されず候。今の親方は異ものにて、布施は前の格式より仕過し世間に替わりて、出入働きの者にも傭いの外に 心付けを致し無益の費え御座候。 答。然れば先の親方は呵りまわすと、我腹立つるとを法事にせられ候や。 曰。左にはあらず、出家さへ五六十人も招かれ候へば、勝手には人足らぬ故に気をせき、自ら怒られ候。然れども結構なる法事は致され候。 (梅岩)答。法事に仏前の供物は自から備えられ候や。 (或人)曰。外の世話多く それまでは手が届き申さず候。 (梅岩)答。座敷の膳や 引菓子抔は自からせられ候や。 (或人)曰。それは丁寧なる者ゆへ、重客の分は是非共自からせられ候。 (梅岩)答。汝は最前に主機嫌惡敷所へ召ばれ往くは否と云うにあらずや。我身を推して万事を知るべし。法事の上客は親祖なり。然るに親祖先の所へは顔出しもせず 配膳も他人に任かせおき、相伴人を馳走する礼法はあるまじ。左様に不待の所へ料理の好味を喜こび、先祖は來らるべきや。若し來れることありとも、爭か快よからん。快からざることをなして、孝行の法事と云わるべきや。 (或人)曰。先祖は 最早仏なれば 其の構いはなきにあらずや。 (梅岩)答。汝は最前に名も実物と云う。仏前に法名あれば是 直に親祖なり。神仏も名を祭り、親祖も名を祭る。名は直に体なり、体即心なり。こゝを以て孔子も祭神如在 吾不与祭 如不祭(「論語」八佾篇)と。因て供物等も自進め、人をして代しむれば祭ざるが如しとの玉ふ。祭ると云うは今此国の法事のことなり。孔子大聖の德御座て、親祖の祭には沐浴し、心を齊え身を清め玉ふ。親祖を祭は、我誠あれば霊來て供物を受玉ふ。誠なければ霊來らず。祭と云ふとも何の益あらん。因て今日法事を行ふとも、只孝行を主とすべし。 然るに汝が先の親方は、多く出家を召集め 客あしらいに隙をとられ、且台所に人少ければ、廻りあしく、佛前の勉めは他人に任せおき、それにて先祖在すが如きの馳走成るべきや。分を不越、奢りにならずば 出家多きを惡しきと云うにはあらず。総じて今の世の法事を為すを見るに、名聞のみにて勝手は働らく者を倹約し 人少くして客は多きゆへに手廻し出來ず。主は腹立ていかること多し。其怒れる顔つきして親祖に向ひ、何の法事に成べきや。 実の法事と云うは 我心を散乱せず、安楽なる顔つきを親祖にも見せまいらせ、出家衆へも衣の損じ料も沢山にあるやうに、布施に心を付け、出入働らきする者にも、傭の外に心付けをなし、何方も快く喜こぶやうにするこそ実の法事とは云うべけれ。入用の金は心当を極め置き、名聞の為に出家を聚るゆへに、自ら布施は減じ其外 可為ことに不足あることなり。法事をするとて人を怒らせ我も腹立て、下々は手足捐紛木になるほど、つかひ苦めることこそ哀しけれ。天下に大法事など行わせ玉へば、諸国殺生禁断、罪人も御赦免なさるゝぞかし。かゝる実の御法事を法とし 身の分を僭ず 約にして、金の入用をへらさず、寄り集まる者尽く快く喜ぶやうにせば、親祖を吊う実の法事となるべし。 (或人)曰。兎角今の親方は貧乏人が好きかと思へば、又財宝を聚め、其聚めたる金銀にて、衣服にても拵へ、美食にても好むかと思へば、毎々は食と汁に香物菜、朔日十五日廿八日は鰹膾に香物、正月節は鰹膾に鰯の焼物、大根汁に香物、祭は瓜膾に焼物は鱪のせんば、茄子汁に香物、不図の客あれば、茶漬食に香物。有增如斯、夫ゆへに寄り集まる親類衆も、我家の格式とは大いに違う故に、箸を取りそむる計りにて、節や神事も淋しく、影口を聞けば餓鬼じゃの吝嗇のと、人のやうにはいわず。加様のことを聞くも気毒なり。是らのことは如何。 (梅岩)答。其一家一門の譏りは、皆々法を知らざるゆへなり。道有りて聚むる金銀は天命なり。天の賜る財を不舍、天の命にそむかず、約を以て礼の本を守れり。又道を行う者は他のそしりは有る習いなり。孟子曰 無傷 士憎茲多口 詩云 憂心悄悄 慍于群小孔子也(「孟子」盡心下篇)と、聖人の行いは小人の行いに違へる故、衆の口の為に孔子も譏りに逢い玉えり。又美食を好まざるは身の分限なり。二汁五菜七菜抔と云う、重き料理は下々のことにあらず。御上より品を分けて見ば、汝の親方の料理は、今少し奢りにても有るべし。それを一門衆は、箸を取り初る計りとは、分を知らざる奢り者なり。 先ず飢饉年には飯米の調え代を借り、汝の親方の惠みにより飢えに及ばず、それを忘れ身の分を不知、今手前豊かに暮らせばとて、左様の惡口を吐かるゝこと論ずるに不足。其人々にも、道を知らせんと思わるゝ親方は、中や不中を舍てざる、実に中才の人と孟子の玉うが如し。又其の一門衆の惡口を聞きて居ながら此を法とせよと、心一杯に勤め見せらるゝは 真実と云うべし。一家の衆、用いらるべきとは思わずして心を尽くさるゝ計りなり。魯国の季氏 泰山を旅せんとする時に冉有季氏が臣として、救い正だすことあたはざることを知りながら、孔子心を尽くし玉いて、女救うことあたわざるか、との玉う(「論語」八佾篇)に能く似たり。 (或人)曰。日外 二男、内証にて歌学せることを聞き、喜んで何ぞ褒美を遣らんとて、大算盤三面褒美として遣らるゝ。歌学の褒美に算盤とは、実に木に竹を継ぐごとく、文盲なることをせらるゝ 是らは如何。 (梅岩)答。其の褒美の心を不知して、笑う汝は扨々文盲なる者哉。其二男の身の行いを聞けば、家業の事は一として不勉。尤も色所の遊びはせられねども 諷鼓歌学に懸って居らるゝよし、其ゆへ前方には親父も折々異見せられしよし。然れども、汝らが思ふに 二男は惡所へは往かれず、旦那位の身上にて是ほどのことを急しく申されなば 反て心辟みて惡からんと、大勢口々に云わるゝゆへ、親父も其後はいわれぬよし。 君子は本を務むとあり、すべて家業に踈きほどの徒者何方に有るべきや。第一に不孝となる。不孝の罪は重うして、刑罰にも入れられずと、孝経にも説き玉えり。家業に踈きを悲しまれ、歌を詠むを喜ばるゝには非ず。歌学に事よせて此褒美に算盤は如何なることぞ と心を付けさせん為なるべし。それを汝等も同じく利口そうに、頭をふつて是を笑ふ。親の子を思ふ慈悲至らざる所なし。汝らが婦寺の忠を以って、及ぶべきにあらず。 (或人)曰。親類方や手代中より、金銀を借りに來る者あれば、貸す貸さぬは除け置き、何れも方の家督にては、幾人暮らし、持ち兼ねることはなき筈なり、と云うてかさず。又つもりが合えば彼は得帰えすまじと知りながらも貸さるゝ、利のあることを曽て知らざるに似たり。是らの是非いかん。 (梅岩)答。尤も此事は深き心有るべし。如何となれば世間にて金銀の出入するを見るに、仮令親類手代にても、先ず彼は此れほどの、金反えすか反えさぬかと金銀を貸さざる前に吟味するは毎なり、然るに汝の親方は、先方の身上往かぬる筋道あれば貸し、ゆくべき理あれば不貸とは、親の子を思う心と何ぞ替わりあらん。嗟 世の中の人十人に二三人程、加様なる人あらば、世に難儀する人少なかるべし。 我金銀と思わず 我は此事を治むる役人と思う志、世に稀なることなり。我一族の人を左様に深切に思う身には誰も成りたき者哉。孔子も周急不継富(「論語」雍也篇)との玉う。周急とは困窮の者の足ざる所を補い助くることなり。不継富とは富んで余りある者には、つぎ足すには及ばずとの玉うことなり。汝が親方の欲心を離れて、金銀を出し人を救わるゝは、聖人の御志に能く合えり。 或る田舍に其所にては内福なる人あり。此人親類中へ金銀を貸すに、借りに來る人あれば貸されけるが、戻す覚えあらば遣われよ、此方金貨しは家業にせず、因って利足は取らずと云うて貸されけり。是程の人さへ稀なるに、汝の親方は、先方の算用不足する訳を聞き届け、道理の立ちたる不足なれば何返すと云うことをかまわずして貸さるゝなれば、合力金と云う者にて取り反えすと云う心を離れたる仕方にて、天下に飢人を救い玉うに似たる者なり。 (或人)曰。宮寺の奉加や建立ごとは嫌いにて、死後には何に生まれんと思わるゝや、曽て後世の善事はせられず。兎角当世に異なり。 (梅岩)答。段々の問に因て見れば、汝の親方の信心に合う程の、德有る神主や、出家が無きゆへと見えたり。宮寺の建立ごと嫌わるゝとは不見。先ず古の様子を考え見れば、宮寺を建てたきと云うて奉加帳を旦那の家々へ持ち來り、いやがる旦那に奉加をすゝめて金銀を出させ、其金銀を持ちて建立せられたる、神主開山方は有るまじ。皆々德有る故に神道仏道の棟梁と成れり。神の御心を云わば、常に供し奉る者なく、金石を食する共、常に心の濁り穢れし人の捧る者は受けずと、八幡宮の御神託にあらずや。 其に氏子の志なき金銀を、慈悲正直の神、受けて喜こび玉うべきや。又吾もろもろの蒼人草いつはり謀りて、たとえ善しと思ふ共必天の尊の怒りを受けて 根の国におもむかん。正しき心を持ちて正に惡しく共必天の神の恵みあらんと、皇太神宮の宝勅なり。神の御納受無きことに、氏子を苦しめ金銀を出させなば、神の御心に背むくにあらずや。神主と成る者は御神託に因て神の御心を知るべし。何事も御心を知るの德による。 禹王の有苗を征せしも、師を班し德を敷くには如ざりき。物の成就致しがたきは 身の不德なりと、我を顧ば恥かしきことも多かるべし。心を明らかにする為に神に仕へ、反って心昧くば神罰を受くること速やかならん。扨 仏の道は五戒を有つに依て 仏の弟子にあらずや。其に 寺の修復と云えば内福の寺方にても、世間に習うて家々へ奉加帳を出すこと有りて、強く進むれば檀家迷惑し、出しかねる金銀を出させ、人を苦しめ傷むるは殺生と云う者なり。一戒を破れば五戒は尽く破るゝなり。証を以て言べし。 昆婆娑論に一の鄔波塞迦有り、性仁賢にして五戒を受持てり。專ら精しくしておかさず。後に一時に於て水に逼り、一の器を見れば酒有り、水の如し取りてこれを飮む。その時飮酒戒を破れり。時に隣りに雞有り來りて家に入る。盜み殺してこれを食ふ。殺生戒と偸盜戒を破り、隣の女雞を尋ねに來る、強い逼って是に交り邪淫戒を破り、隣より官所へ訴う。これを拒み爭うて妄語戒を破る。如是一戒をおかすに依て、五戒悉く破れて仏の罪人となる。 仏心を悟って後は、仮令奉加を勧むる共 勧る上直に教えと成るべし。神仏ともに如斯。古人は道德明らかなるゆへに、人是を感心して宮寺を建立せしことゝ相見ゆ。然れば 今日にても道德あきらかにして、人を教え導びき、旦那も此人の教えによりて心も安楽に成り、又生死疑いなくならば、其人奉加帳は出さずとも、如何やうの社堂にても建つべし。古今ともに人の心は天の命ずる所なり。何ぞ替わりあらんや。 又宮寺の奉加と云うとも毛筋ほども、人欲勝手あらば此不義の類なり。汝の親方の正しき心にて、其不義に与せんや。奉加につかざるにはあらず、只不義に与せざるなり。死後何に生まれんと思う心、なんぞ有らんや、今日の義を行い、明日のことは天命にまかす志しと見へたり。孟子曰 夭寿不弍修身以俟之と。來るも天に任せ帰えるも亦天に任す、此の間に私意を入れんや。当世に異なるにはあらず。当世の人が法式を越え聖人の教えに異なり、汝の今の親方は、聖人の教えを能く守れる人なり。 (或人)曰。中庸に所謂 聖人は素夷狄 行夷狄(「中庸」十四章)とあり。又君子は無所爭ともあり。然るに、親類一家中と尽く爭い逆う。これらは如何。 (梅岩)答。汝経書を見ても一も理を弁え知ることなし。程子曰 吾自十七八 読論語 当時已暁文義と。書をよむことは我に会得せんが為なり。聖人夷狄にては夷狄を行うとの玉うは、夷狄の法を背むかずして、而も道に合うようにすべしとの玉うことなり。又君子無所爭との玉うは、不義を以て人に爭わずとの玉うことにて、義を以て他の不義を正すことはあるべし。此故に湯王も義を以て桀を南巢に放ち、武王伐紂。是我に義有れば爭う所の証なり。 汝今の親方は天下の御法にそむかず、義を以て行うゆへに背むき奢れるの不義に爭う。然れ共親類より手代の末々に至るまで、一人として肯う気色も見えず。見えざれ共我宗領家のことなれば、本を正し奢りを退け約を守りて、礼義の本を知らしめんと思い末々までをすてず、世話にせらるゝは神妙の至りなり。其正しき人惣領家にあることは一家中の宝なり。此味を知らざるは、実に宝の山に入り、手を空しうして帰えるとは箇様のことなるべし。それ程の德ある者 世に露見せざるは如何なることぞや。 親類家内の人々は それを知らざる而已ならず、不義を以て義に勝らんと思うは辟なり。汝は賢德ある親方の仁愛を知らずして、辟云う者に徒党し親方を誹る。然れ共愚痴よりなす所なれば、親方は心寛くこれをも免し置かるゝなり。其心を会得し、これまでの誤りを改め忠義を尽くさるべきことなり。数多家來の其中に 左程德ある親方に与し、相くる者なきは惜哉 哀哉。 客退いて後 或人曰。最前より客との問答を聞くに 汝の云へる所 一通りは相い聞こえ、法式に背むことも有るまじ。然れども時を不知所あり、今日に違うては世間の交わりなるべからず。世の交わりをかきては人の道にあらず。大聖孔子も鳥獣には与に群を同じゅうすべからず、吾斯人の徒と与にするにあらずして、誰と与にせんとの玉い、人たる者の交わりを絶つことを悵み玉う。客の云わる先の親方の他借を返えさずして死す、夫れを果報人にて終われりと云うは極めて非なり。 又 今の親方の仕方 仮令法には不背とも、人に替わりたる行いにて世の交わりを絶つ、これは又是に似て非なり。中庸を以て見れば、過不及有りて双方ともに中らざることなり。二人の行いを合わて其中を取りて行わば可ならん。然れば木綿布子に生布の帷子,高宮羽織は不及なり。忽に今日の交わりすまず。其のすまぬことを尊ぶは 如何なることぞや。 (梅岩)答。汝のいえる如く、人倫を絶つこと大なる罪なり。我云う所も悉く人倫のみ。汝のいえる鳥獣と群を同じくすべからずとの玉う、聖人の意は道の廃る世なれども、此人と交わりて乱れたるを正し、古への道に反えさんとの玉うことなり。然るを汝は無道の人を正すこと能はずして、交わる而已をよしと思えるは非なり。礼あるを以て人とす、礼無きときは人倫にあらず。食のうて愛せざるは豕の交わりなり。愛して敬せざるは獣の畜なりと孟子の玉う。是 礼にあらざれば交わりても不交の証なり。 木綿布子生布の帷子は、上下の品分れて法に背むかず、尽く礼に合えり。譬えば此に君を打れし臣数多あらん。心を合わせて敵を伐つは士の道なり。然るに皆々不同心ならば、大勢には背むかれずと云うて、主君の敵を見遁しにし、武士の道を舍てんや。多分に背むくと云うとも、敵を打つは士の道なり。今日の交わりも斯のごとし、そしる人ありとも、なんぞ上下の礼を亂さんや。 喩えば加賀絹は羽二重に似たり、紬は木綿に似たり、よつて聖人の教えを聞き得たる者は上を恐れ、紬を著て貴賤を分るの礼を貴ぶ。教えを聞かざれば加賀絹を著て上を犯し、貴賤尊卑の礼を乱し、思わずして罪人となる。是教えを知らざるより致す所なり。教えを知る時は交わりも不絶して奢りをなさず、我を下るゆへに人に惡まれずして心易く交わるなり。又教えをしらざる者に財多ければ身の程を知らず、我をたかぶるゆへに世の人これを憎み、表向きは交わるといえども心は常に離なるゝなり。 子曰 君子泰不驕 小人驕不泰(「論語」子路篇)と。總じて奢る者 貧しき身となる時は 恥を不知。盜みをもなすに至る。又身の程を知りて約を守る時は 法に合うゆへに安かるべし。孔子又曰 麻冕礼也,今也純倹 吾従衆 拝下礼也。今拝乎上泰也 雖違衆吾従下(「論語」子罕篇)と、君子の世に処する事の 義に害なきことは世俗に従っても可なり、義に害あることは従うべからずとの玉う。奢りの害より大なるはなし。 又 天地の冬に至り枯れ槁れて屈するは、春に至り伸ぶる所の兆なり。聖人の約を本とし 奢りを退け玉うは、凶年などの時は 溜置ける財宝を国々へ布き施こさんと思召、民の為の倹約なることを知るべし。如斯類を法として 下々も一家の頭たる者は、親類中を我家の如く思い、難儀あれば救うことを、我役目と思う者ならば、平常倹約を思うより外に心は有るまじ。倹約と云うを 世に誤って吝わきことゝ思うは非なり。聖人の約との玉うは 侈りを退け法に従ふことなり。 客の云える今の親方の行いは 皆々法に合えり。聖人の行いに合わば 中庸とも云うべし。然るを汝は善惡を不択 二人の真中を執らんと云う。善惡を不択して中を執るは 一を挙げて百を廃つ、これ時の中を害す。孟子道を賊うと誹り玉う、子莫が中と云うはこれなり。客のいえる今の親方の行いを細かに心を付けて見るべし。一として私の勝手づくをなさず、親類より手代までを親の子を思う如くす。聖人 民を子のごとくに思召す政と、大小の替わりはあれども志しは同じ。それを知らずして世に異なる人と思えるは大なる辟ごとなり。世の中の有福なる者、我親類を銘々に引き請けて 世話に思わば、飢に及よぶ程の者はあるまじきに、反って道ある人を誹りあざけるは哀しきにあらずや。 4・6・或人天地開闢の説を譏るの段 或人問曰。日本紀・神代巻に天地未剖 陰陽不分 渾沌如雞子、溟涬而含芽 及其清陽者爲天重濁者為地 神聖生其中 干時天地の中 生一物、狀如葦牙 便化爲神 號國常達尊と見えたり。此れ奇怪き説なり。若し世に人有りて、天地未闢前に生まれ寿を得ること數百億万歳にして親しく視、これを後の人に伝えしや。伝えなく元來 跡形も知れざることなれば、実にこれ奇怪なる説にあらずや。汝は如何心得居られ候や。 (梅岩)答。汝の云える如く、此の説を世に疑う人多し。然れども此所は性理に昧らき者の、窺がい知るべき所にあらず。然るに是を奇怪の説と云えるは、聖德太子、舍人親王よりも、汝が器量がまされりと思われ候や。 (或人)曰。我ら如きが、此の旁に及ぶべきことに非ず。然れども天地開闢の説は、奇怪の説なり。 答。太子、親王は聖德御座し、世に賢しこく渡らせたまい、書き伝え我朝の記録となし玉うは如何なることぞと心を付くべし。此の御旁天地未開渾然たる時有って 其時にも人有りと思召し玉うべきや。今日短才の者にても箇程のことは知るぞかし。其れに心をつけざるは 愚昧の者にあらずや。 神聖生其中とある其の神は、今日に至りても在すや在ざるや、在さずば今は神国とは云われまじ。在さば何れに在すぞ。其の時には見われ在し、今は隱れ在すかと默して心を尽くさば夜の曉る時節あるべし。汝は自ら心のくらきことを不知して、心の明らかなる親王の筆記し玉う書を廃せんと思うは、暗夜に燈火を以て天を窺うが如し。 扨我も前つかたは、天地未闢の説を非として他を迷わせたることもありしに、今に至って見れば愚なる処より 古人を譏り侍りしも悔し。然れども猿賢しこき者は十人が九人までは、能く肯がう議論にて、汝が如く云う者を、反って知者のやうに思うものなり。汝も世間の少し学間ある者に云い聞かさば、是は発明なる見識なりと思い、汝を知者のやうに思ふべし。知者と思わるゝ汝の愚は、思う者より勝れる愚なり。今云う所に心をつけられなば、解ける時節もあるべし。 扨 易の画八卦伏羲より始まる。彖の辞は周に至りて文王始めて繫玉う。爻の辞は周公旦に始り、伝は孔子天地人を交えて釈き玉う。易は変易にして古今不変ものは理なり。理を以ていえば天人一致にして、今日に至り人間畜類まで、銘々継ぎ來る者は理なり。其の継ぐ者を知り得れば、忽に疑いは晴る者なり。天地未闢の説、又天は子に闢け、地は丑に闢け人は寅に生るなどの説も、怪しきに似たれども、皆々当る所あり。夫を辞に泥むこと有りては 書は見えざる者なり。 易の卦を以て配月して云う時は十月純陰なり、十一月冬至の日、一陽來復するといへども天地の間に何方を見ればとて、是に一陽來たれりとも見えず。初陽は潛みかくるゝゆへに見へずと云わば、正月には三陽生じて、花咲き鳥鳴くといえども其の体は見えず。又乾は龍となし、坤は牝馬となし、陰陽を龍と馬とに喩う。是も文字に泥み陰陽は、直に龍馬なりと云うべきや。周公旦の譬えは疑わず、親王の譬えに、状葦芽の如しと説き玉うことを、疑うは如何なることぞ。 皆象を仮りて義を顕わす。其の体は微妙の理にして、見るべきにあらず。見えざれば左にあらずと言て古人の書を破り舍てんや。天地未闢の説、又天は子に闢らくるの説、是皆 天地は自然の次第なることを、知らしめん爲なりと知らるべし。我性を知りて万事の説を見れば、掌を見る如く昭然として疑いなかるべし。今草木の生え出るを見れば、始じめは種、土中に有りて渾じて分れず。それより錐の先の如くに成るは、自然に陽の形にして皆葦牙の如くなり、二葉に分るは平らかにして陰の形なり。二葉の中より心の立ち出るは 陰より出るの陽なり。其の草木梢に至るまで、陰陽陰陽と生々す。 易の繋辞上伝に天一・地二・天三・地四・天五・地六・天七・地八・天九・地十と説き玉う。是にて陰陽陰陽と生成して、不止ことを知るべし。天は一、地は二、万物は三、天地有りて後の万物なり。人は万物の霊なるゆへに、万物を人に惣べ合わせ、三に生るゆへに、人は寅に生ずとも云うべし。又 人母の胎内に宿る時は一滴の水なり。是鶏の子の如くにして牙を含めり。其中に清み陽らかなる者、虚にして心となるは天の開らくるなり。重く濁れる者形となるは地の闢らくるなり。頭の形高くなるは葦牙の如しとも云うべし、如是見ば 天地開闢の理は 我一身にも具われり。 此を味わい見ば 天地の始終は古今共に同じ。それを今此上下の天地ひらけ、始ること有りとの玉いしこと一概に見なし、又天は子に闢くの、地は丑に闢くの、人は寅に生るのと、字面にかゝわり曲に泥むことあつては、書を見るとも不審ばかり出て 心を解くの楽しみとは成るまじ。滯りて困しむは我知の開けざる所なりと知るべし。子思曰 今夫天斯昭々多 及其無窮也 日月星辰繫焉 万物覆焉(「中庸」二十六章)此の味を見て知るべし。天は広大なれども耿耿と少しばかり明らかなる器の中の天を見て、其の高大の天を知るべし。聖人も天地の外を巡り見玉うにはあらず。 子曰 殷因於夏礼 所損益可知也(「論語」爲政篇)と。前を推して後を知り、今より推して始じめを知る。人と生るれば、仁義礼智の性は、古今相い続いて不変。是天地に有りては元亨利貞と云う。名は替われども、万物の理は一なり。一物を知り得れば、一物の中に万物の理はこもれり。然れ共此の微妙の理は、容易知るべき所にあらず。一度我に疑い晴るゝこと有りて、後に味わうべき所なり。然るに今の世の人、文字に泥み色々に作為するゆへに、昏々然と闇く、古人の心を不知ゆへに、和漢ともに文学他に勝れば、此れを德と思い、我を伐る者多し。文学に伐る者を喩えて云わば衆人の財宝をたくらべて、彼は劣れり、我は勝れりと伐るに同じ。学者に於いては恥ずべきことの第一なり。 如何となれば財宝もかせぎ設けて吝くすれば溜る者なり。文字も其如く、年を重ねて油断なく、学べば他より勝れる者なり。其中に記憶能くして多く記すは、衆人の中に仕合せ能く富めるが如し。又学者も文字を読むのみにては 聖人の意味、神書の奧深き所知らるべきに非ず。然るに文字を滯りなく読めば、此外も有まじと思ふべきが、推量とは雲泥違う所なり。 或る儒者 田舍へ通ふ商人と、親類にて互に因せられしに、儒者の曰、汝も少々は学問せられよかし、如何としても文盲なり、と云われければ商人の云う、我少しも文盲なること候わず。斯の如く絹布に札を付け、何国にて売るべき心当もなけれども、売買して父母妻子を養い、家内を治めり。汝が如く文字を効えば文字を読む。汝我に代わりて一日これを勉め見よ。売買のことは知らずと云わば 我に替わることなし。我職分を知れば事は足れり。汝 箇程の理を不知は、夫を学者と云うべきや。 彼儒者も中京にて、近代誰と世に知られし儒者なれども、彼れが理の明らかなるに 及ばざれば、答うべきことなし。文学なけれども、足ることを知る者はかくの如し。况や性理に明らかなる者、文学に達するならば、聖学の興ること速やかなるべし。孟子所謂七八月の間、旱苗稿 天油然雲作沛然雨下 則苗浡然興之矣(「孟子」梁恵王上篇)。かくの如く興り起りて聖学天下に遍からん。此故に博学豪傑の士、性理明らかなる者あらんことを幾う。汝も一理を明し得るならば、其時にこそ神聖生其中、国常立尊と号と、の玉うこと知覚し、天の与うる楽しみを得て実の道に入らるべし。 石田勘平・著都鄙問答・巻之四・<完>