仏教の神髄  富士川游著  序  一概に仏教と言つても、その内には宗教の外に哲学の部門もあり、又道徳の方面もあるからその範囲は甚だ広い、從て知識的にこれを攻究するにはそれそれ專門の学識を要するものであるが、宗教としての仏教は左ほど多岐に渉るものでは無い。  私は固より哲学や道徳や乃至は仏教各派の伝統的論説などを攻究しようと思ふのでなく、ただ宗教としての仏教の神髄であらうと私が味得したところを叙述してこの小篇を成したのである。  まことにつまらぬものであるが、しかしながら私が大膽にもこれを世に公にするは真実の宗教を体驗することが現代の人々にありて緊切のことであるといふことを信じてその資料としてこの書を提供したいためである。  一昨年の秋私が播州伊藤長次郎君の招きにより同君が主宰せらるるところの与仁會の講演會に臨みたるとき同君の一方ならぬ厚意によりて我が正信協會の主張を宣布するために、その費用の一部として金五百円を寄贈せられた、それを基本として新に法爾社を興し、有志者相集りて各自醵金せる外に篤志者の寄贈を得て逐次文書を刊行せむことを企図し、ここに第一著手としてこの書を公にすることを得たのである。このことを特記して諸君の厚意を謝する次第である。  大正十二年六月三十日  法爾社にて  富士川游記す。  仏教の神髄目次  宗教の意義  自然的宗教  精神的宗教  道徳と宗教(上)  道徳と宗教(中)  道徳と宗教(下)  哲学より宗教へ  仏教の創始  仏教の神髄  仏教の教理(上)  仏教の教理(中)  仏教の教理(下)  釈迦教  即身成仏  見性成仏  弥陀教(上)  弥陀教(中)  弥陀教(下)  称名念仏  機法一体  法性の都  即得往生  現生の利益  結論  仏教の神髄  富士川游  宗教の意義  むかし、江戸にある医師、学問もあり名声も高かつたが、すこしも仏法に志がなかつた。あるとき、美濃の実光寺の住職の達空師に向ひて、「私は生涯よく嗜みて悪事はしないから、地獄に落ることはない」と言つた。  そこで達空師はその医師に、「そのもとは酒を嗜まるるや」と問はれた。医師はそれに答へて「一向の下戸で酒店の門を過ぎても巳に酔ふ位である」と言つた。  そこで達宏師の言はるるには「然らば酒狂すべきかといふ心配は毛頭あるまじ、悪は為さじと嗜むは嗜まねばならぬ悪事のある故ではないか」とさとされて、さすがは学問もあり、見識もあつた医師のことなれば、この一言に忽ち悟るところがあつて、それよりして仏法に入つた。  今の世にも、この医師のやうな心持で道徳さへあれば宗教は入らぬといふ人が少なくない。道徳さへあれば宗教は入らぬといふ考が果して正しいものであるかどうかこれを判決するためには、我々は先づ宗教とは何ぞやといふことをしらべて見ねばならぬ。  しかしながら、一口に宗教といふても、宗教と概称せらるるものの中には、下は限制せられたる迷信から、上はシュライエルマッヘル氏が言ふやうな神秘的宗教までを包含して居るから、その意義は極めて複雑のもので、簡単にこれを説明することは決して容易のことではない。  若しすべての宗教に通じてその本態を説明しようと思ふときは米国の心理学者のウィリアム、ゼームス氏がいふやうに「宗教とは見えざる摂理(Order)の存在を信仰することと、その摂理によりて我々自身を統制することが我々に取りて最高善であると信仰することである」としてよろしからう。  又は独逸のシュライエルマッヘル氏が説くやうに「宗教は人間の心の奧底に深くかくれて居るところの神秘的経驗でしかもそれは心の自発的の活動ではなくして宇宙即ち無限者の作用に対する直観及び感情であつて全く受働的のものである、人間がこれによりて宇宙即ち無限者に帰依するところに宗教と名づけられるものが現はれる」といつてもよろしからう。  その他にも、宗教につきては諸家の定義が行はれて居るが、いづれにしても、複雑なる宗教をば簡単の言葉にて説明せむとするのは容易の業でない。それ故に宗教の定義を下すことは、やめて置いて、宗教といふものがいかやうに現はれるものであるかといふことを調べて見るに、大体に於て、宗教には自然に現はれたるものと精神的に造られたるものとの二種があるといふことが出来る。  自然に現はれたる宗教(自然的宗教)は普通動物的の人類の生活欲求として現はれるもので法律、政治、芸術などのやうに独立の存在をなすものではなく、他の自然的の生活の現象と結合して、その生活を保証するものである。  それ故にこれを宗教といふよりも、宗教的の思想といふ方が適当である。精神的に造られたる宗教(精神的宗教)は自然的宗教に反して、生活欲求を否定して、人類をしてその競争より脱却して自由の境地に入らしむるものである。  自然的宗教  人類には生活の欲求がある。しかしながら人類の知識と能力とには限度があるから一定の程度以上には達することが出来ないのみならず、知識の進むと共に外方より来たるところの束縛が強く感じられ、而かる自己の能力を知ればますます人類には何事でも出来るといふ訳は行かぬ。  從つて生活の欲求が妨げられるといふことに気がつくのである。そこで、自己の智力の少なきことと能力に制限があることに対する不快活動の十分なることを得ざるための不安、強者に圧迫せらるる悲痛などに対して、先づこれを防止せむとすることの欲求があらはれる。  すなはち此等の生活を威嚇するところの事件に対して相当の方法を講じて、その生活を保証せむとする。知識の極めて幼稚なる時代にありては、人々の考は自己を以て二種の実体であるとするのであるが、その一は身体、その一は精神で、生きて居る間には、この二個の実体は互に相結合して居るが、死するときにはこの二個のものは互に相離れて精神は何処にか行くものであると信じて居る。  更にこの概念を転入せしめて、天地の間のすべてのものに、人類に於けると同樣に精神があると考え、しかもその精神は人類の精神より遙かに優さりたる精霊であると信ずる。  知識の幼稚なるものが、斯く考へるのは実際上の利益を得るがためで、すなはち事物の関係につきて自己が有するところの幼稚の知識によりて事物を左右せむとするがためである。  それがために、事物をば人類化して、丁度人類に対して偽すやうに、或は歎願し、或は追従し、時にはこれを脅迫してまでも、自己の目的を達することをつとめるのである。  この場合にありて、精靈は必ず存在せねばならぬもので、若しこれなければその欲求を満足せしむることが出来ぬのである。從つてこの場合における精霊は人類の知識に相応し、知識の程度低くして恐怖の感情の強き場合には悪魔となり、又観察の力が少しく発達して一種の自得と希望とをあらはすやうになれば、善神があらはれる。  つまり、人々の欲求に応じて、自然及び自然力が神仏として尊崇せられるので、この精靈に対して自己の欲求の充たされむことを望むために、精靈をば人類と同じやうに見てそれに対して哀願したり、その機嫌を取つたり阿誤追從したり、又時々はこれを脅迫するのである。  又その欲求が充たされたるときには返禮をせねばならぬ。服從すべき約束をせねばならぬ。時としては祈祷、供養等の手段を用ひねばならぬ。それによりて自己の欲求が満足に充たされたる場合には神仏の恩恵として喜び、若し祈祈、供養等の結果が期待に背くやうなことがあつたときは、自己が正当の道を履まざりしがためであるとして、その罪を謝し祈祈、供養がその当を得ざりしがためであると考へて、かかる場合には自己が試練せられるものとして満足する。  むかしから苦しいときの神だのみといひて、恐怖と窮迫とに際してその苦悶より免れむとして神仏が崇拝せられたり、疫病神が祭られたり又は健康や幸運を祈る人々のために種々の神仏が繁昌するのは全くこの原始的なる宗教的思想のあらはれたるもので、これを自然的宗教と名づけるのである。  精神的宗教  自然的宗教の場合にありては、それが全く功利的のもので、事物の関係につきて、自己が所有するところの幼稚の知識によりて事物を左右せむとするのであるから、その欲求の全部に心をくばらねばならず、又事物が一定の法則によりて互に相関係するものであるといふことを知らぬがために全体が秩序の無い雑然たるものであると見るので、神仏も雑多で、山でも、木でも、石でも、動物でも、甚しきは陰具のやうなものでも神仏として尊崇せらるるのである。  しかるに人類の知識が発達して、宇宙の間に一定の法則がありて、すべての事物が統一せられて居るといふことが知られ、又道徳的意識が発展して、理想として真、善、美の最上のものを求めるときに、その極点のところあらはれて、その神仏は道徳的の性質を帯び、その本性は深遠にして内面的のものとなる。この場合にありて、神仏は人間が造つた殿堂の中には居らず、又人間の如くに視たり、聴いたりすることなく、純乎たる霊性のものとなりて人類の形態を離れ、祈祈、供養等の儀式は必要でなく、神仏の好めるものは純潔にして善事をなすの心なりとせられ、すべての人類に通ずる神仏として雑多性を失ひて単一のものとなる。  此の如くにして、神仏の概念の中には、主観的の道徳的理想が客観化せられて投影せられて居るから、それが倫理的であるといふことを特?とする。これを名づけて精神的宗教といふのである。  しかしながら、概念の上より見て、自然的宗教と精神的宗教を区別することは此の如く容易であるが、実際にありて、この兩種のものを根本的に区別することは不可能である。  そうして、自然的宗教は精神的宗教なしに、人々の心の中にあらはれるものであるが精神的宗教は自然的宗教を予備とし、自然的宗教なしにあらはれることは無い。  自然的宗教は常にその内容をそれ自身よりして造ることなく、生活の欲求によりて動かされて、その生活領域よりしてその内容を得るのであるから、簡単に言ふときは生活の領域にあるところのすべてのものが絶対化せられるのである。  しかしながら生活の領域にありては、一定の動機によりて、これを絶対化することを得ざるものがあるから、この場合には宗教といふものは現はれることが無い。  それ故に、この自然的宗教は人類の智識の進歩すると共にある。また自然的宗教は人類の生活の絶対化であるから、その未来世界といふものも、その実は現実世界で、ただこれを絶対化するために、ただこの世を未来化するだけのことで、早く言へば現実の生活の延長を未来に希望するに過ぎぬのである。  これ全く知識の十分ならざるがために、認識の誤謬と論理の不当とに気がつかぬためで、ここに気がつくときは、此の如き宗教的思想は破壊せられて、生活そのものの中に突入するによりてフェルドケルレル氏が言ふやうに絶対を人格化するやうになりて、ここに精神的宗教があらはれるのである。  道徳と宗教(上)  自然的宗教はケャード氏が言ふところの客観教で、社會知識の?物として自然にあらはれるもので、これを指して正しき宗教とすることは出来ぬ。正しき宗教とすべきものは、この自然的宗教の破壊せられたる上に起るところの精神的宗教で、それは全く道徳的意識の発達によりて現はれるものである。  それ故に、自然的宗教は別として精神的宗教は常に道徳的意識の上に築かれるものであると言つて差支ない。元来道徳といふものは社会的生活の円滿を期するためにするところの我々の精神的態度で虚仮原罪を離れて真実の理想に向ふことを期するところに遂に我々の生活の外的規範となつて仕舞つたのである。  それ故に、今日、道徳といふときには仁、義、忠、孝、悌、信といふやうな道徳的規範を知りてこれを実行せむとすることを指すのであるから、これ等の規範を知ることは容易であつても、それを実行することは困難であるといふ悲酸なる事実が存する。仏教にては最も簡単の道徳的法則を五戒としてあるが、それは不殺生戒、不倫盜戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒の五箇條である。  酒を飲まぬといふことは容易に行はれるかも知れぬ。若し酒を好まぬものであつたならば、この戒を持つことは苦痛ではないであろう。しかしながら精進料理に肉の形を模して食ふやうな人の心に果たして不飲酒戒の精神が存するか否かは疑問である。  自分は決して妄語をしたことが無いといふ人は多くあるが、それが既に妄語である。心と口と相異なるは我々の常であるから、不妄語の戒を持つことは容易のことでない。嘘をいはねば商売が出来ぬと言つて、つとめて妄語をする人もある。  平気でいふ嘘も随分多いが、故らにいふところの嘘も甚だ少なくない。若しそれを口にすれば世間を騒がすやうなことを心の中に考えて居ながらこれを口にせざるのも一種の妄語である。不妄語戒を持つことは容易の業でない。絵盗の代なるものは頼まれても出来るものではない。  しかしながら、他人の心をぬすみたることはないか、他人の時をぬすみたることはないか、履善師は人の妻の容貌の美なるを見て心にこれを奪ふことも不倫盗戒に背くものであると言つて居られる。  まことにそうであらう。不邪婬戒もこれを厳密の意味にて実行することは困難であるといはねばならぬ。不殺生戒に至りては、これを犯かさねば生活を続けることが出来ぬといふ矛盾がある。  牛や馬のやうな大きな動物を殺すといふことは我々の為し能はぬことであるが、蚤や蚊や蠅などの小虫は常にこれを殺して居る。生きたものを殺すことが戒められてありとすれば、米や麥や大根や豆なども皆生きて居るものである。若しこれ等一切のものを殺すといふことが戒められてあれば我々は生活することが出来ぬ訳である。  若し不殺生戒が此の如き厳密の意味でないとすればこの戒は甚だ不徹底のものであるといはねばならぬ。「大無量寿経」の中にも此の如きの人縁冥抵突にして経法を信ぜず心に遠慮なし、各々快意を欲す。愛欲に疑惑し、道徳に達せず、瞋怒に迷没し、財色を貪狼す、これに坐して道を得ず、まさに、悪趣の苦にかへり、生死究己なかるべし云云、道徳を敬語すれど心開明ならず恩好を思想して情欲を離れず昏談閉塞して思惑に覆ははれ、深思熟計して心自から端正に、専精に道を行して世事を決断すること能はず、年壽終尽すれども得道すること能はず、奈何ともすべきなし、総猥情優にして皆愛欲を貪ぼる。  「道に惑へるものは多く、これを悟るものは少なし」と説いてある通ほりに我々の心には道徳といふものが徹底してあらはれぬのである。  道徳と宗教(中)  自修自律の規範として、道徳が我々の社會的生活の上に極めて重要のものであるといふことは固より論の無い次第である。元来、我々は自己意識の発達によりて自己と周囲との関係を明にして自覚の有樣にいたるものであるが、この自覚には種々の程度がありて、その始は自己の身体と、その身体のはたらきとして現はるるところの精神とを併せてこれを自己と意識するのである。  この程度の自覚にありては自己をば他と区別し、その他より区別したる自己を何処までも維持し、又これを擁大せむに欲するによりて、衣食住の十分ならむことを求め、衣食住の十分ならむことを求むるがためには財産の多からむことを望み、名譽の高からむことを欲し、門閥を貴び、地位を求むるなど、約めてこれを言へば、物質的生活の満足を得ることにつとめるのである。  この場合にありて意識せられたる自己は全く他と区別せられたるものであるから、自己さへよくば他はどうでもよい、自己のみが善くて他のものはすべて善くない、自己が賢くて、他は愚であるといふやうな身びいきの考が盛で欲望が劇しくなつたときには他人をつきのけてでも自己の欲望を満足せしめねば巳まぬといふ心の有樣である。  この如き心の様子であるものは、たとへば病気の全快を望みて、神や仏に祈り、幸福を得むとして神を拝し、安全を求めむとして仏を念ずるなど、すべてが自己のために都合のよいことを希望して止まぬのである。  それ故に、若しその欲望にして達せられざるときは神仏の威力を疑ひ、或はその利益のないことを難じ、或はその無慈悲をうらみ、或は天道果して是か非かといふやうな言葉を発して、何処までも自己の勝手なる欲望を満足せしめやうとするために、物毎に苦慮の種を生じ、事毎に煩悶の数を揩オて、時には親子相争ひ、骨肉相はむやうな悲酸の状態をあらはすに至るのである。  しかるに自覚の程度が更に一歩を進めて此の如き物質的享樂に耽るといふことは人間として実に劣等のものであるといふことに気がつき、かやうなる現実の浅間敷姿より離れて、真実の境に進むとする心のはたらきが現はれて、ここに一定の規範が立てられるやうになり、その規範に従ふことが善とせられ、それに背くことが悪とせられるやうになるのである。  人間には人間たるべき道がある、人間にして若し人間の道を忘れたりとすればそれは人面にして獸心のものである。ここに道徳といふものがあらはれて、それを守ることによりて理想の境に向ひて進むといふ努力が起る。  此の如くにしてあらはれたる道徳は固より心の内にあるべき筈のものであるが、いつしかそれが心の外のものとなり現実を忘れて理想に走り、自己の心が果してどうであるかといふことは、すこしも考へずに、その内面的生活を美くしやうとのみをつとむるがために、その極、常に形式に走り、概念に囚はれて、内容は全く空虚になるのである。  「何々の事はなすべし、何々の事はなすべからず」といへる規範を心の外に置てそれによりてその心を律せむとするのであるが、しづかに自己の心の内面を見れば、常に此等の規範に背くことのみであるから、真に道徳的に自覚したる場合には苦痛は更に一層劇しきを加ふる筈である。  ここに於て我々の心は道徳の境を出でて更に一歩を進めて宗教の境に入らざるを得ぬのである。  道徳と宗教(下)  「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神は守らむ」といふ歌がある。その心が誠の道にかなつて居つたなら、神が守つてくださるといふことは当然のことである。  しかしながら、どこまでも誠の道にはかなはない自己の心をその儘にして、誠の道にかなつたりするやうな傲慢のものを、どうして神が守られやう。  世の中には往々、実例のあることであるが誤まつて親がその可愛小児を殺すことがある。現に私の知つた例でも一とつや二つではない。  私の生まれた村に一人の母親が、包丁を用ひて仕事をして居つた所が、中途便意が催うしたために包丁をその儘にして便所に這入つて、用がすみて便所より出でんとして内より戸を押したはづみに、その戸の外に遊んで居つた小児が倒れた。その小児が包丁を持つていたづらをして居つたので、倒れたはづみにその包丁が腹につきたちて、腸が出たために死亡した。誠に可愛さうな話である。  この場合、いづれの人も先づその親の不注意を責めるのである。すなはち道徳的に考へていかにも親の不注意をせめねばならぬ。頑是のない小児の前に危険至極なる刃物を置くといふことはまことに不注意の至である。  しかしながら、それが不注意であつたといふことは母親も知つて居る。自己の不注意のために最愛の小児を殺したといふことも自覚して道徳的に苦しみて居る。傍の人がいたづらに道徳上の責任を八釜敷いふよりも、尚ほ強く、その母親は道徳上の責任を感じて、自己の不注意に対して後悔して居る。  それ故に今は巳に道徳の世界ではなくして、道徳的の過失によりて現はれたる悲酸なる事実の世界である。そうして、この悲酸なる事実をどうして解決するかといふことが当面の問題である。  多くの人々は此の如きときに「過失は到底人間に免かれ難いことである。又いくら後悔したところが詮のないことである。いくら嘆いても巳に死んだものは再び還るものでないから、不運と諦めることが大切である」といふのが常であるが、これは第三者として、冷静に理性をはたらかして言ふことであつて、現にその局に当つた母親の心としては、さう容易に諦めることが出来るものではない。さう簡単に諦めることが出来るのならば愛情が極めて乏しかつたものであるといはねばならぬ。  誤まりて可愛小児を殺すといふことも運命であるといふことは畢竟するに、自己の過失のために可愛小児を殺したといふことにつきて自己の責任を感じながら、なほその責任をば運命といふやうなものに讓らうとする心である。又此の場合に諦めよといふことと同じく道徳の心であつて、それが徹底してあらはれぬといふところにますます苦しみを生ずる訳である。  それ故に、この苦しみは道徳によりてこれを除くことは出来ぬものである。道徳的に自覚して、しかもその道徳が十分に徹底して行はれ難いといふことが知られて、その苦しみから免れるのが当面の問題である。この当面の問題を解決するがために、道徳を超越して宗教といふ名の附く心の作用があらはれるのである。道徳的に自覚することがいよいよ深ければ、どうしても宗教といふ心の作用のあらはれることが無ければ、その精神生活が十分満足なることを得ぬのである。  哲学より宗教へ  此の如く考ふるときは宗教といふものは、苟《いやしく》も精神のはたらきのある人々にとりて、道徳的自覚に次ぎて当然あらはるべきもので、有つてもよいが、無くてもよいといふやうな性質のものでは無い。  道徳的に自覚したる人々が、道徳につまづきてそれから進むで行く方向は必ず思惟の方面で、それはすなはち哲学的である。まづ自己といふものに就ての考を進めて自己が自然界の一個のものであるといふことを認め、又自然界が統一的のものであるといふことを考ふるとき、自己は自然の精神の実現せるものであると見ることが出来る。  すべての人々は皆「我」といふ言葉で自己をあらはして居るが、それは身体といふ外廓があるために互に相別れたる「我」で、この外廓を取り去れば皆同一の「我」であるべき筈である。  自己も他人も同じく自然界の精神の実現に外ならぬものである。以上、他人も自己と全然別種のものではないといふことが思惟せられる。ここに於て、他人の悲みはすなはち自己の悲みであり、他人の喜びはすなはち自己のよろこびである。それ故に、他人の欠ぐるところある部分に対して自己の心が強くはたらくがために、同情の心が起り、それが所謂慈悲となりてあらはれる。  しかしながら、この場合にありては、自己と他人とを区別せずして、それを同じものと思惟するのみで現実には自己は他人と区別せられて居るから、その思惟の上にあらはれたる自己は理性の面を被ぶり、道徳の衣を纏ひたるまでのものである。  それ故に、慈悲といふことも、自己を中心として、交換的にあらはれるもので、たとへば「陰徳あれば陽報あり」といふやうに、又「なさけは人の為ならず」といふやうに慈悲の行には必ず何等かの報酬があるものと期待するのである。どこまでも功利的のものである。  それに論理的に思惟するといふことはこれを体得することによりて始めて我々の心のはたらきとしてあらはれるもので、ただこれを思惟したるのみでは何の役にも立たぬ。  それ故に、更に進みて自己よりして衣を去り、食を去り、住を去り、財産を去り、門閥を去り、地位を去り、学門を去り、その他の一切のものを去りて、内面的に自己を考へて、独り生じ独り死し、独り来り、独り去るところの自己の真実の相につきて考へて、いかにも自己が小さくして力なきことを知つたとき、そこに始めて真実の自己があらはれて、概念的に考へたる自己が沒却せられるのである。  前に挙げたやうに、哲学的に自己を見る場合にも、もとより自己を沒却せむとすることは同樣であるが、しかしながらなほ十分に自己を考へて居らぬために、自己を沒却せむとしてこれを沒却することを得ざるの悲痛がある。  宗教的に自己を考ふるに至りて、始めてここに自己の真実の相を知ることが出来て、ここに概念的に考へたる自己を没却することを得るのである。それ故に我々は道徳的に苦しみを感じたるとき、道徳を超越して宗教に入るのであるが、それには先づ思惟によりてこれを解決せむことをつとめ、思惟によりてそれを解決することの不可能なることが知られて而して後に始めて宗教に入るのである。  過失によりて最愛の小児を殺したる母親が、道徳的に自覚して後悔の情に堪えず、それを運命と認めよといはれても諦めることが出来ざる心の上に宗教が現はれ始めて安心を得るのである。  仏教の創始  此の如くにして、宗教は自然的に我々の心にあらはれるものであるが、この自然的宗教は、いはば、各人各個の宗教的思想で、これによりて宗教として価値を十分に発揮することは不可能である。  宗教として十分の価値を発揮するものは、この自然的宗教より興りて、それを統一的に組織したるものでなければならぬ。すなはち、当代に於ける人々の宗教的思想を集めて、これを整理し、その芽を抜きたるものでなければならぬ。  自然的宗教が漸次に発達して精神的宗教となりて、始めて宗教としての価値が十分にあらはれる。仏教は釈尊によりて創始されたる精神的宗教で、それが始めて興つたのは今から約三千年の前のことであるが、その時印度には巳に一種の宗教が行はれて居つた。  その一は多数人民が信奉して居つたところの教で、多数の神があつて、しかもその間には何等の系統がなく、一の神を崇拝して満腔の熱誠を捧ぐるかと思ふ間に、又他の神に帰依してそれを唯一至上のものとして渇仰するといふ風で、宗教としては事実上、精神なき形骸に過ぎなかつた。  これに反して、他の一方、教養ある少数の人々の間には、合理的に認めらたところの哲学的の教があつた。その教に拠ると、宇宙の本体は梵(ブラーマ)で、それが唯一至上のものである。  それに我(アートマン)の観念を加へて個人我としては、霊魂として常一主宰のものであり宇宙我としは、宇宙の根源であると説く。それ故に、梵即我(宇宙即我)といふやうな思想に到達して宇宙は唯一至上の神の顕現に外ならぬ。  日、月、星、辰を始めとして宇宙の萬物は成、住、壊、空の四相を流転して、まことに変遷窮まりなきものであるが、しかも唯一至上の本体はこの生滅の間に常住遍在して変転することの無きものであると説いた。  此の如くにして人々は我(アートマン)を物質的の限局から免れしめ、又非物質の我の本性を知ることによりて罪悪と生死とを解脱して、遂に唯一至上の本体に帰入すべきことが教へられたのである。  此の如くにして、仏教以前の印度の宗教にありては我(アートマン)の信仰を重要のものとなし、神我(ブルシャ)と自性(ブラクリト)とを対立せしめ、神我は無為自然にして自立自存のものであるが、自性が流出したる物体と結合するによりて心のはたらきが現はれるものとして靈魂の実有を論じ、從て常一主宰の我(靈魂)と、我の作法行為のために生ずるところの業(カルマ)とが重く見られ、我をば自己の行為の責任者としてその報償を受けねばならぬとして、輪廻転生の説があらはれた。  しかるに、その教の精神は暫次に消失して、徒らにその形骸のみが伝へられて、欲情を制し、感覚を抑へて、劇烈なる苦行をすることが道を修むるものの唯一の方法となるに至つた。  釈尊が人生の無常を観じて、遂に出家して、道を求められた始は、その頃の数論学派の高僧につきて法を聴き、又その苦行に入れたのであるが、しかしながら、それ等の方法によりては真正の解脱の道を知ることが出来なかつた。  釈尊はここに気がついて、断然として、苦行生活を止め、去つて菩提樹の下に到りて默想反省の道に入られた。そうして一夜、深く禅定に入られたときに、忽然として真実なる智見が開けて、その時代に広く行はれて居つた信仰が誤謬であるといふことを悟られた。  苦悩因の原は生命に対する利己的執著に存するといふことを明にし、この苦悩から免れるには、道徳の心を深くし、心の動乱をしづめ、智慧を研くといふことが大切であるとして八正道を説かれた。  そうして、この八正道を歩むことによりて、我々は遂に涅槃の境に到りて菩提を獲得することを得ると説かれた。菩提を獲得するといふのは無上正偏智を得ることである。  釈尊はこの大なる真理の認識と、それを生活の上に実現することによりて菩提を獲得せられた。世間一切の人々も、同じ道によりて苦悩から解脱することを得べしと説かれたのが、後に仏教と名づけられたものである。  仏教の神髄  釈尊は当時の人々が信仰して居つたところの霊魂実有の説に、反対して無我といふことを唱へられた。その説に拠ると、諸行は無常である。從て諸法は無我でなければならぬ。  世の中の一切のものは常に変遷して一刻も同じ相をとどむるものはない。我々は我々の心に感覚及び観念等が前後連続して起ること、猶ほ燈火の燃ゆるが如くなるから、それをば常に存在するところの自巳として考へるのであるが、実際「我」と名づくべき常一主宰のものが存在するのではない。  それ故に、我々は第一に「我」といふ自己の心の有様を詮索せねばならぬ。この自己の心の相が明かになればすなはちそこに菩提を獲得するの道が発見せられる。すべての人々は各々自己の救世主となるべきもので、決して主宰神の力を待つべきものではない。  自覚が十分であれば、それによりて菩提は獲得せらるべきものであると、教へられたのである。それ故に釈尊の教は当時の印度の宗教界に対して、明かに無神論を標榜して立たれたものである。  その主とするところは自己の智見であつて、決して超自然的の天啓ではなかつた。されば仏教の原始の教団には教主としての釈尊があつたばかりで、釈尊の人格を中心として当時の教団は統一せられて居つたのである。  歴史の伝ふるところに拠ると、釈尊の日常生活は極めて簡単であつて、いつも朝早く起きて、人手を借ることなしに洗面著衣し、それから托鉢に巡る時が来るまで、ひとりで坐禅された。  やがて時刻になると、単身又は弟子を連れて、近傍の村又は町を訪ひ、それぞれの機根に応じて法を説き、午後には講堂に集まつて来る人々のために、場所に適し、機根に応じたる説教をせられた。  学者との議論には多少形式的の跡もあつたやうであるが、普通聴衆に対しての説法は、譬喩や、寓話や、伝説などを交へたるもので極めて懇切丁寧であつた。  実に釈尊の教は、婆羅門の教が形式で思想を現はすのに反して、その教をば萬人に対して理解し易からしむるやうに平易に説き、又懇切にこれを論された。早く言へば伝道主義のものであつた。  婆羅門の教が宗教としての精神を失ひて徒らに形骸のみを伝へ、その教義が形式に拘泥して、煩悩を究めたるに相違して、釈尊の教は簡単にして、別に儀禮なく、神咒なく、神通なく、又神祈も無かつた。  釈尊は常に人々の機根に応じて、先づ布施の功徳を説き、道徳の義務を説き、欲情の危険を説き、斯くて聴くものの精神の態度が略ぼ安定したと思はれたときに、人生の苦悩と、その苦悩の由りて来たる所以と、それを解説べきことと、その方法とを説かれた。  その説教は固より広遠のもので雑多の方面に渉つて居つたが、これを要するに、釈尊の教では、萬物の創造者であり、又その主宰者であるといふやうな不可知的の超自然的の或物を崇拝して、その意思に從ふことをつとめるのでは無く、何処までも、我々が現に生活して居るところの世界の存在の事実に、推論の基礎を置きて、精細なる観察と、攻究とによりて、宇宙と人生との真相を知り、それに基づきて全然、自己の精神の内部の改造を成し遂げて、理性的及び、道徳的生活の完全なる境地、すなはち涅槃寂静の境に達せむとするのであつた。  此の如くにして釈尊の宗教はその崇高なる人格と、厳粛なる生活とにより、又その熱誠なる傅道の方法によりて、多数の人々をして相率ひてこれに赴かしめたのである。  釈尊は王族の家に生れながら、自から出でて平民の生活をせられた。釈尊は人間であつた。人の親であり、夫であり、子であり、又誠実なる友であつた。独り人間であつたばかりでなく、人間以上のものであるとは決して言はれなかつた。  神の子の化身であるとも言はれなかつた。釈尊は何処までも人間として、同じ仲間の人間を苦悩から解脱せしめ、単に世間的なる幸福よりも更に高き理想を、全ての人間に得さしめむと努力せられたのである。釈尊が超自然的の天啓を世に伝へるために説法せられたのでは無いといふことは特に挙ぐべきことである。  仏教の教理(上)  釈尊はその有名なるベナレスの説法の中に、教理の要点を示された。それに拠ると、生存の欲望は人々を導いて、再生より再生に至らしめ、それに伴なふに快樂と貪欲とを以てして、三界を通じて、それを滿足せしめむことにつとむる。  生存の欲、快樂の欲、權威の欲はもろもろの悪の根源である。それ故に、苦痛を除却するの法は欲を殺して己に克ち、情に処をかさずして、諸願諸望をば、一切撲滅し、以てその煩悩の根を絶つべきであると説かれた。(オルデンブルグ氏著「仏陀」に拠る)。  釈尊自からは、此の如き解脱の精神を以て、比丘(僧侶)となり、最も厳肅なる生活の方法をとりて、これを実践躬行せられた。言葉を換て言へば、釈尊は純潔なる意思と純潔なる行為と、純潔なる言語と純潔なる職務とを以てその身を処せられた。  これ釈尊が、婆羅門教を奉ずるところの人々のいふやうな外部の力(神)を籍らずして自から自己の救済を成就するところの人間の能力の本具の偉大なることを正しく認識せられたるに基づくもので、この理由によりて仏教は正しく思考の宗教であると称せられるものである。  あるとき釈尊が雷鷲山にありて、数多の弟子に対して居られたとき、釈尊の気色うるはしく、御姿いときよらかに、御顏は喜びの色に輝き、いと厳かに拝せられた。  そこで十大弟子の一人で、多聞第一といはれたところの阿難陀は自から坐を起ちて恭しく釈尊に向ひ、「今日世尊の御気色うるはしく、御威徳の勝れたまふことは世にたとへるべきものが無い。これはそもそも何の瑞相であるか」と驚き怪しみて質問したところが釈尊は阿難陀に向はせられて「阿難陀よ、諸天が汝に教へ、来たりて仏に問はしむるか、自から慧見を以て咸顔を問ひたてまつるか」と問はせられた。  阿難陀は答へて「諸天の来たりて我に教ふるものあること無し。自から所見を以て斯の義を問ひたてまつるのみ」といつた。ここに於て釈尊は「善いかな、阿難陀の問ふところ甚だ快し、深き智慧真妙の辨才を発して、衆生を愍念して、この義を問へり」とのたまひて、ここに如来出世の本懐を説き、他力本顔の妙法を示された。  これがすなはち「大無量壽経」であるが、この場合に於ける釈尊の「態度によりて明かに知らるるが如く、釈尊は各個の人々が菩提を獲得するためには自己の内部に有する光明に信頼すること、すなはち自覚といふことを重く見られたのである。  此の如くにして、釈尊の教はどこまでも哲学的の根拠の上に立つもので、理論的には信ずべからざるものを、ただ盲目的に信ずべしと言ふのでは無い。それ故に仏教の教理といふものは自然的宗教として当時の印度人の間に存して居つたところの個人的の宗教的思想が、釈尊の人格を通じて哲学的思索の結果と結合したことによりて成立したものであると言ふべきである。  そうして釈尊在世の間に、隨從したる弟子は、直接に釈尊の偉大なる人格に接することが出来たから、教主として釈尊を渇仰し、又その教を崇拝して居つたのである。しかるに、釈尊の入滅後、月を経、年を過ぐる内に漸次に教主の人格の光が薄くなり、遂に教団の統一は教法を以てせねばならぬやうになり、ここに教法の結集が行はれた。  更に釈尊の世を距ること遠き時代になりては、勿論直接に釈尊の人格に接することが出来ないから、釈尊の言行を伝へたる経典によりて釈尊の教の真理窺はねばならぬやうになり、徒らにその教理に就きて、哲学的思索を専にするために、遂には哲学的思索が仏教の本領で、それによりて解脱の目的が達せられるやうに思はれ、多数の人々から悟道知見といふことが仏教にありて最も価値があるものとせらるるに至つた。  仏教の教理(中)  仏教の経典に記されたるところに拠りて、考ふるに仏教の宇宙観は無我論である。宇宙の間に於けるすべてのものは無始久遠のむかしよりして、因縁によりて、継続せる転変の結果でありて、常住不変のものは一としてこれあることは無い。  常住不変のものが無いとすれば、従て常一主宰の我といふものがあるべき筈はないから、霊魂と名づくべき特別のものが存在する訳も無い。しかるに人々には人格的自覚があらはれて個性といふものを生ずる。  個性のあるところに、必ず制限がある。制限のあるところに必ず苦しみがある。生・病・老・死といふものは畢竟ずるに、分立せる個性の本性である。  それ故に、釈尊は四諦といふことを説かれた。すなはち苦諦、集諦、滅諦、道諦の四種の真理であるが、これを平易の言葉にて説明すれば、意識生活は苦を生ずる(苦諦)、その苦を生ずる原因は人々の生きむとする熱望に本づくもので、人々がそれそれ独特の我があるものと誤まり信ずるがために虚偽の生活をなすがために苦を生ずる(集諦)。  我々にして若し自己中心の欲望を絶つことを得ればここに始めて苦悩を免れることが出来る(滅諦)。そうして、自己中心の欲望を絶ちて苦悩より免れるには八正道を歩むことを要する(道諦)。  八正道を歩むことによりて、狭小なる自己独特の個性の障壁を除きて、自他一切の人類、生物全体、更に一切萬有と同一であるといふ咸を十分に起して如何なる個性的苦悩も決して近づくことを得ざる底の境地に至るべきである。  この境地を名づけて涅槃寂静といふのであるが、涅槃寂静と言つても、決して虚無絶滅を意味するのではない。又決してすべての心理学的生活を否定するのではない。  簡単に言へば、精神の静穏平寂なる状態を指すので、婆羅門教が説くところの輪廻転生を否定するために斯く言はれたものと見るべきである。  此の如くにして、仏教の宇宙観たる無我の思想は、遂に涅槃論に到達して、ここに、宗教の形式を備ふるに至つたのである。更に仏教の道徳の原理としては業(カルマ)の説が立てられた。  業とは人々の欲望より迷妄を生じてその迷妄よりあらはれるところの身、口、意の行為の結果に外ならぬものである。我々の感覚器官(耳、目、口、鼻、皮、骨筋、内臓)が外来の刺戟に遇ふて感覚が起る。  この感覚よりして、自己の欠乏を補はむとするの願望が起る(渇愛)。この渇愛よりして巳に得たところのものを堅く執つて捨てない(執著)といふ心があらはれる。そこに業(カルマ)といふものがあらはれて、それがために新しい五蘊の結合を生ずるから、我々は我々自身の業(カルマ)のために生死の苦界を流転するものである。  実に我々は一個の個体として、独立に存在するものではないが、我々が迷妄のために為すところの行為は決して消滅することが無く、その力によりて我々の現在の五蘊は離散しても、更に新しき五蘊の結合を成すものである。  要するに、我々の生前の行偽即はち業(カルマ)のために、直ちに苦樂の後身を生ずるものである。業といふものは我々自身が蒔いた種である。その種よりして生ずるところの結果を我々は獲得するのである。  若し「我」といふ独立のものが有りとすれば、それが圧迫せられたる場合、それを運命と諦めるべきであらうが、「我」といふ独立のものは無く、生前に於ける行為の結果として、現にこの身を享けて、尚ほ迷妄を離るることが出来ないといふことを知るときに、我々は善悪の行為に対して善悪の報恩があるといふことを痛切に考へねばならぬ。  仏教の教理(下)  此の如くにして、釈尊の教説の外面のみを見て判断するときは、仏教は哲学と実践道徳とにより成れるものであるといふ考の起るは無理からぬことである。  それ故に、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧を主として自己の心の内面を改造することによりて煩悩を断絶することが仏教の要旨であることを知りて、それを念願するの余りに、釈尊の厳粛なる生活の外形を模倣して、それによりて菩提を獲得するの目的を達しやうと期待する。  しかも釈尊が精細なる観察と緻密なる思索とによりて、宇宙と人生との真如を明にし、その苦悩から解脱するには自克と自制とによりて菩提を獲得することを要すと説かれたる、その心の内面には熱烈なる真如の理法(仏陀)の信仰があるといふことを悟らず、釈尊の厳粛なる修行も獲得せらるべき菩提の信仰に基づいて居ることを忘却して、単に外面的にその教説を見るがために、いかにも苦悩の本源を窮むべき智慧の観察と、功徳としての修行とが、最も価値のあるものと思はれる結果、釈尊の教法は漸次にその真実の精神から離れて、遂に他律的の法則を立てて、それを信條として以てその目的を達せむことを期図するやうになり、一方にありては哲学的思索を事とし、一方にありては修行を必要としたるがために、それがますます煩悩的のものとなり、その結果として現はれたるものが他律的の法則であるから、此の如き他律的の法則は、いつでも抽象的の真理として取扱はれるのみで、それが我々の精神生活の上に具体的に実現として、宗教としての真実の価値をあらはすことは無い。  仏教の中には固より哲学がある。哲学は我々をして真理を認めしむるものであるが、それがすなはち宗教では無い。真理は常に冷かに我々の心の外に立つものである。我々にして若しこの冷かなる真理を優得して、それに信頼するの心を起したるとき、そこにすなはち宗教と名づけられるものがあらはれるのである。  それ故に、哲学としての仏教は、宗教としての仏教に入るの門戸であつて、どこまでも、哲学と宗教とは分離せらるべきものである。しかるに、仏教の教理を聴て、これをその心の外面に置て考ふるときは、それが常に哲学的思索となるに止まりて、宗教となるまでには至らぬのである。  釈尊の生活が厳粛にして道徳的であつたといふことは疑ひの無い次第であり、又釈尊が道徳的の行為を勧められたことも異議の無いことであるが、道徳はどこまでも道徳であつて、宗教は更にそれよりも一歩を進めたものでなければならぬ。  釈尊の教説に從ふときは道徳は涅槃に達するための努力として、精神的の練習をなすの方法である。「法句経」の中に「諸仏は忍辱を第一とし、涅槃を最善とす」といひ、「欲情にまさる火なし、憎悪にまさる罪なし、五蘊の身あるに勝さる福なし。平安にまさる幸福なし、飢渇は最悪の病なり。身は最極の苦なり。この実相を知るを涅槃とす」といひ、「心常に覚悟し、日夜精進する人は涅槃に入るべし」といへるを見ても道徳が宗教に入るの門戸であると示されたことがわかる。哲学と道徳との方面を除きて、宗教としての仏教は結局、涅槃寂静の境地に至ることを期するといふ点にある。  釈迦教  釈尊の教説は、機に応じ、相手に従ひて、種々に説かれて居るからそれを聴て、直ちにその真実の精神を窺ひ知るといふことは容易でないが段々と後の人が、相関で出でてその精神を探求し来たりて、釈尊入滅の後、六百年、馬鳴菩薩の「大乗起信論」に到りて遂に明かに、釈迦教の精神が組識的に説明せらるるに至つた。  その説に拠ると、衆生の心には真如の方面と、生滅の方面との二個がある。これを心真如門と心生滅門と名づける。その心真如門といふのは、心の本体たる真如の方面を指すので、すなはち平等一如の実体に外ならぬものである。  すべて我々が認識するところの世の中の一切のものは固より不変の実在でなく、単一なる現象に過ぎないもので、その差別の現象は我々の主観によりて、客観的に写し出されたる虚仮のものである。それ故に真実のものはこの主観と客観との差別を離れたるところにこれを求めねばならぬ。  言葉を換へて言へば、一切の諸法は悉くみな、これ一心の顕現に外ならぬもので、その根本とするところは、平等一如の実体に帰するものである。この諸法の実体たるところの一心を名づけて真如門といふのである。  しかしながら、若し眼を転じて差別的現象の方面を見るときは一切の諸法は実際にありて差別の相を呈して居り、その間にありて互に因果の関係を有して居る。  それ故に、この方面よりして見れば、一切の差別的現象は生滅しつつ、しかも一心を離るることが無い。それを生滅門と名づける。我々の心には此の如くにして、実体的方面と現象的方面との別がありて、実体的方面は考も及ばず、言葉も絶えたるものであるが、現象的方面はこの実体方面(真如)の上にそなはるもので、この二個のものは固より相離れたるものではない。  しかるに、我々はこの一心の真性を知らずして、徒らに差別の現象に執著するがために、無明となり、主観と客観とを対立し、種々に差別せる客観に対して種々の煩悩を生じ、動乱の苦悩に沈むのである。  しかも、この苦悩は遂に我々をしてそれを厭ふの志を起さしめ、道を求め、法を聞く等によりて、真如の内薫力を増長して、到頭無明の闇を破つて、始めて真如本来の面目を現はさしむるに至る。  この境地に進むだものが、すなはち仏陀と名づけられるのである。この場合、主とせられるものは真如であるから、仏陀は理想となり、我々はその理想を実現せむがために努力してそれに向つて進まねばならぬ。  その法は、実現せらるべき仏陀の性質を表はすもので、実現せられたる仏陀は、我々が真如本来の相をあらはしめたものである。釈迦教と名づけらるるところの諸派(華厳、真言、天台、日蓮、禅等の諸宗)の教法はすべてこの趣旨に拠るものである。  これを内面的に考へて見れば、自己の真実の生命とするところの真如に帰るのであるが、これを外面的に考へて見れば、所謂修行といふところの手段によりて惑を断ち、理を証りて、その理想とするところの仏陀に向つて進むのであるから、容易のことでは無い。  もとより聖者で無ければ此の如き難行を修むることが、出来ぬから、この宗派を名づけて、聖道の教ともいふのである。又自己の力によりて仏陀になるといふやうな意味から、これを自力の教とも名づけるのであるが、これ等の名称は動もすれば誤解を致すの恐があるから、私はこれを釈迦教と称した方がよいと思ふ。  即身成仏  馬鳴菩薩の思想を推し究めて見るに、萬法はすなはち真如の顕現である。山でも、川でも、木でも、水でも、石でも、何でも、すべて真如よりして現はれないものは無い。  そうして、真如は常住不変の実在で、又萬有を生起せしめる力であり、これを活動せしむるところの力であるから、単一なる真理では無くして、生ける理法(仏陀)であるとすれば、世の中のすべてのものが、仏陀であるといふことを認めねばならぬ。  かういふ心の様子になりて真如と我と一とつのものであるといふことが真実に悟られたときは、そこに即身成仏といふことが出来る。  源信和尚(慧心僧都)の「真如観」の中にこのことを説きて「疾く仏にならむと思はば、我心即真如の理なりと思ふべし、法界に遍する真如即我体なりと思はば、即ち我は法界にして、此の外にこのものと思ふべからず、悟れば十方法界の諸仏、一切の菩薩も皆我身の中にまします。我身を離れて外に別の仏を求めむは、我身即真如なりと知らざるときのことなり、真如と我と一とつ物なりと知りぬれば、諸仏も皆我身を離れ給へるものにあらず、此思をなすとき、萬法は心が所作なりければ萬行を一心に具し、一念に一切の法を知る。此を捨てずして仏になれば此を即身成仏といふ」と述べてあるが、しかしながら、真如と我と一とつものであるといふことは、衆生と仏陀とが同じものであるといふことで、極樂も地獄も共に真如の顕現であるといふのであるから、理論的に考ふるときは、実にさうであると承知せられても、此の如き哲学的の思索を体得することは実際にありて容易でない。  たとひ我心即真如の理なりと観ずることが出来たにしても、我々はそれによりて頓悟涅槃して、すなはち仏陀となることは出来ない。穢土を厭離して菩提を欣求しながらも、なほ愛欲の雲が深くこれをとざして、遂に菩提を獲得するの境地に至ることが出来ぬのが我々の心の実際の有様である。  何人でも若し深く自巳の心の内面に入りて考へて見るときは虚仮の部分が多くして、真実の部分の少きことを感ずる筈であらう。その真実の部分が仏陀となることは認められても虚仮の部分が仏陀になるべしとは信ぜられぬ。  しかもその虚仮の部分が甚だ多大であるといふことを感じたるとき、自己の周囲の一切のものが仏陀でありとすれば、発心によりて人々は一切の萬物より遠ざからねばならぬことになる。  それ故に、即身成仏を願ふ人々の多くは動もすれば逃避の方法を取るのである。しかしながら迷妄の自己をその儘にしては、何処へ赴くにしても無明の妄念を絶つことは出来ない筈である。  されば、真言宗の如き真言の行者に対して、即身成仏、頓悟涅槃をすすむる宗派にありても「即身成仏は上根、上智、宿福深厚の人、機と教と相応するにあらざればかなひがたし、されば、如来入滅後、天竺、支那、日本にて、諸宗の祖師の中に、即身成仏したまへるは弘法大師一人のみなり」と説くものもある(「秘密安心往生集」巻一)位で、何人でも即身成仏が出来るといふ訳ではない。  それが徒に概念だけに止まりて心の内にあらはれざるときは、宗教としては何等の価値も無いといはねばならぬ。  見性成仏  釈迦教にありては、即身成仏に併びて見性成仏が説かれる。すなはち禅宗にありて、公案を手段として用ひ、注意を公案に集中せしめて意識に現はれ来るものを殺し、努力の結果、無差別の心境に入る。  しかるときは尋常の概念の過程は全くその跡を絶ちて、感覚的の印象は認識の反応を呈することなく、普通の観念及び概念があらはれざるによりて、意識の根本的内容をなすところのものがあらはれる。  たとへていへば、現象界の生滅の現象は水面の波動の如きものである。波動静まるとき、水面は玻璃の如くになる。意馬心猿の観念的過程止みて、現象界の生滅現象が有の儘に心の鏡に映写せられる。  心理学的に言ふときは、普通の観念の過程を遮へざるときは、喜怒哀楽に拘泥せず、清浄無垢であるところの真実の感情があらはれる。これを見性と名づける。  この感情は決して他より移入したものではなく、又俄かに作製したるものでもないから、これを本来面目と名づける。  「六祖法実壇経」に「汝虚空を見るや否や、対て曰く、汝の本性猶ほ虚空の如し、物の見るべき無きを了す。これを正見と名づく。一物の知るべきなしこれを真知と名づく。青黄長短あることなし、ただ本源の清浄覚体の円明なるを見る。即ち見性成仏と名づく。亦如来知見と名づく」と説いてあるが、人間の知慧の一切を捨てて善にもあらず、悪にもあらず。  人間の知惑にては何ともいふことの出来ざる意識状態があらはれるのを本来の面目といひ、この境地に至るとき見性成仏が出来ると説くのである。此の如くにして見性成仏の主要とするところは自己の心の中に仏性を発見することにあるが、巳にこれを発見するときは自己を神聖なるものとして、釈迦何人ぞといふやうな自尊の心があらはれる。  この自尊の心は指導十分ならざれば弊害が生ずる。それ故に、見性成仏といふことには無念無想をば理想として、これまで慣れ来たりれる、理性の作用を排斥するに拘らず。理性の指導なくして進むことは暗夜に燈火なくして歩行するが如きであるから、常に理性の作用を重く見ねばならぬ。  この事由によりて、禅にありて、日常の行為は理性と意思と合一して作用することを必要とし、意識の流れを流暢にして停滞せしめざるやうにつとめる。若し人間経験の事実を無視して、それがために好みて奇矯の行為を敢てするが如きことあれば、これ決して真実の宗教では無い。  これを要するに見性成仏といふことにつきては、通例人々はその感覚によりて経験せるものを観念及び概念にて整理して、それによりて各自の世界を造りて、宇宙及び人生をながめるものであるが、この精神的生活を一変して観念及び概念の手段を用ひずして、直ちに事物の真相を直観するのである。  それ故に不立文字を標榜して智力の排斥を主とすれども、実際にありて、それが徹底して行はれるといふことは容易のことでなく。從て多くの人々にありて、禅の修行が宗教としての価値をあらはすまでに達することは至難である。  弥陀教(上)  真如は不生不滅のものである。不可称不可説のものである。それがすなはち法性であり、それがすなはち如来である。  それ故に釈迦教にありては此の如くに、菩提を獲得せむとするものは、無明の妄念を断滅することによりて、我が心の中に存するところの真如の面目をあらはすことをつとむべしと説くのである。  我々が此の如くにして生滅の心を離れ、真如の心に到達することを得たるときがすなはち菩提を獲得したのであるから、この場合にありて仏陀理想であり、我々はこの理想を実現せむがために努力修行すべきである。  從てここに説かるるところの法は実現せらるべきところの仏陀の性質を表はすものであるから、真言宗で阿字不生と説き、華厳宗で三界只一心といふ法相宗で萬法唯識と示し、天台宗で一念三千諸法実相と説き、禅宗で直指単伝といふのも畢竟するに、この理想に向ひて進む道を示すものに過ぎぬので、たとへば、月を指すところの手指の如きものである。  しかしながら釈尊が如何にして菩提を獲得せられたかといふことを深く考へて見れば、内面的に熱烈なる求道の念があつたといふことを知らねばならぬ。  釈尊が菩提を獲得せむとして妻子を捨てて王宮を去りて修行に向はれたるは、人生の無常を観じ、その苦情から免れむとして熱烈に菩提を獲得せむと欲し、瞑想の結果、遂に精神の改造によりてそれを成し得べきことを堅く信ずるに至られたのである。  馬鳴菩薩の説明に拠れば、苦悩のために菩提を欣求するの心が起り、それによりて真如の内薫力を増長するがために、無明の妄念を消滅して真如の面目をあらはすことが出来るのである。釈尊が成道せられたのは正にこの方法によられたのであるから、我々にして釈尊の教説を奉じて、菩提を獲得せむとするならば、その内面的経驗がどうであるかといふことを第一に考経ねばならぬ。  我々にして、若し釈尊と同じやうに内面的苦悩を痛切に感ずることが出来たならば、菩提を獲得することは疑の無いことであらうが、内面的思索が釈尊の如くに徹底せぬものが、徒らに釈尊の教説を聴て理想に向ひて進むにしても、それによりて、実際に、菩提を獲得することが出来ぬのは明かなることである。  それ故に、真如の内薫の力あらはれたにしても、その力が弱くして退失するやうでは菩提を獲得することが出来ぬから、このときには信心を摂護したまふところの如来があるからその仏を念じて、その願に随て他方の仏土に往生して永く悪道を離るることが出来るといふことが、釈尊の言説を伝へたる経典に示されてある。  馬鳴菩薩もこれを勤めて、「若し人ありて専ら西方極楽世界の阿弥陀仏を念じて、修するところの善根を悉く回向して彼の世界に往生しやうと願ひ求むれば必ず往生することが出来る」と説いて居る。  此の如くにして念仏といふことは内薫の力の足らざるところを補ふといふやうな意味で、釈迦教の人々も、むかしからこれを行ふた。  たとへば、法相宗の昌海が「西方念仏集」を著はし、三論宗の珍海が「決定往生集」を著はし、天台宗の勝範が「西方集」を著はしたのを始として、念仏といふことは真言宗にも、華厳宗にも、法相宗にも、その他の宗派にも行はれ、禅宗の高僧にも念仏した人が少かず有つた。  しかしながら、これ等は皆、いはゆる観念の念仏で、如来の恩徳を観念して、信心に安住し、常に光明の世界に居りて極楽の風光に憧憬するためであつた。  それにしても、真如の内薫力を増長することによりて光明の妄念を断滅し、それによりて菩提を獲得することを得べしと努力するところの釈迦教にありて、或は即身成仏を標榜し、或は見性成仏を唱道し内薫力によりて真如に到達することを説きながらも、なほ仏陀の力に頼る心のあらはれて、念仏するといふことは、仏教が哲学的思索より進みて宗教となるの順序として、当然の次第である。  弥陀教(中)  更に少しく理論的に言うと、真如は唯一絶対の真実であるが、この真如を真如と認めざるところに無明(生滅)があらはれる。  それ故に、無明といふものは、我々が差別の心にてさういふまでのもので、決して無明をいふ独立の存在があるのではない。真如に対して真如を真如なりと、真実に悟ることの出来ない心の有様を無明と名づくるのである。  固より迷妄の心で、本体の無いものであるが、しかしながら我々の現実の心は真如の理に迷ふて、この迷妄の心が優勢を占めるから、我々はそれがために種々の苦悩を生じ、暗黒の世界を免れることが出来ない。  我々にして若し真実を求め、迷妄を離れやうとするならば、どうしてもこの迷妄の根原たる無明を打ち破らなければならぬ。この無明とは此の如くに、真如に対しての迷妄としてのみ存在するものであるから、我々にして真如の理に覚醒すると同時に、無明といふものは消滅する。  そうしてこの真如と無明は互に影響するもので、これを薫習といふのであるが、たとへば麝香の香が衣服に薫じたといふやうなもので、真如は本より清浄の法であるが、無明の妄法が真如に影響して、差別の迷執があらはれる。  これに反して無明は本より迷妄の法であるが、若しそれに真如が薫習するときは無明も清浄の作用をあらはすものである。いうまでもなく、真如は不生不滅、常住不変の真実であるから、迷妄の現象の中にありても何等の損失もなく不断に存在して居るものであるから、若しこの真如を刺戟するものがあつたならば、直ちにその薫習の作用をあらはして無明を破ぶらむとするのである。  巳に真如が無明に薫習するときは迷妄の心をして生死の苦を厭ひて涅槃寂静の境地に至らむとするの念を起さしめる。この苦を厭ひ樂を求むるの心は猶迷妄の心でありながら、それが真如に作用して、ますますその薫習の力を増長せしむる。  此の如くにして、我々は遂に迷妄の世界を離れて菩提を獲得することを得るので、釈迦教はそれを教法として、人々に菩提を獲得するの道を説くものである。  しかしながら、いかにも我々の心の中に真如の薫習の力がある。ということは疑が無いとしても、真如の薫習の力が、自発的に作用を起すといふことは考へられぬ。少なくとも我々の心の中の真如の薫習の力はさう強いものでは無いと認めねばならぬ。  それ故に馬鳴菩薩はこれを木の中の火性に譬へて、いかに木の中に火性があるからといつても、人がそれを知らずに居て、外縁の力によりて点火するといふことをしなかつた場合には木は到底燃ゆることは出来ない。  今も丁度、それと同じやうに、いかに衆生の心の中に真如の薫習があるからといつて、若し諸仏菩薩、善知識等の外縁といふものが無かつたならば、我々は到底自から煩悩を断じて涅槃の証に入ることは出来ない。  それ故に内に真如の薫習の力があり、外に諸仏菩薩等の慈悲の願力があつて、始めて生死の苦を厭ふの心を起し、涅槃寂靜の境のあることを信じて、善根功徳を修めるやうになり、それが成熟してますます涅槃の道に進むのであると説いて居る。  これはどこまでも哲学的の思索であつて、道理としてはまことに、真如の内薫の力によりて菩薩を獲得すべきであるがしかも実際にありて、我々をして涅槃寂静の道に向はしむるものは外縁の力によるものである。  我々にして菩提を獲得せむとするの心を起すといふことがすなはち諸仏菩薩等の教を聴いたためである。  これを馬鳴菩薩の用語によりて説明すれば、真如の理が、そのまま実現して、作用をあらはして、或は衆生の機根に応じて身形をあらはしてこれを示し、或は法の功徳を説いてこれを観念せしめ、或は時には衆生の父母眷属となりて互に相親しみ、或は給使のやうな卑しい身分となりて、これを助け、或は知友となりてこれを奨励し、或は仇敵となりてこれを発憤せしめるなど、その他さまざまの善巧方便を用ひて、見聞等の一切の縁によりて衆生に利益を得せしめむとする(馬鳴菩薩はこれを用薫習と名づけて居る)、これによりて我々は、此の如き外薫の力がありて、我々に対して大慈大悲の心を起して薫習の作用をあらはすものであることを知り、それあるがために、我々はその外縁に触れて、聴聞思惟等によりて、菩薩を獲得するの道に進まむとするの心を起すものあるといはねばならぬ。  さうしてこの外縁の力の中にて、最も重要のものは阿弥陀仏の本願であるといふことを感知するところに、釈迦教に対して弥陀教といふものが成立するのである。  弥陀教(下)  阿弥陀仏といふのは「大無量壽経」「観無量壽経」等に記載せられてあるところに拠ると、浄土の教主である。浄土といふのは阿弥陀仏がその本願(願望)によりて成就したまひたる国土で、阿弥陀仏はそこにましまして、現に法を説きたまふのである。  阿弥陀は梵語の「アミダユース」(無量壽と訳辞す)又は「アミダーブハ」(無量光と訳す)で、仏とは梵語の「ブッドハ」覚者と訳す)であるから、阿弥陀仏とは無量の壽命と無量の光明とを有する覚者といふ意味である。  覚者といふものは自から真如の理を覚悟し、又能く一切の衆生をして覚悟せしむるものをいふのである。それを略して弥陀と名づけるのである『大無量壽経」に記載せらるるところに拠ると、久遠の昔に、如来が世にあらはれた。  その如来の名を世自在王仏(一に饒王仏と名づける)と申した。その時、ある国王がありてその如来の説法を聞きて、王位を捨てて法蔵菩薩と名乗り、世自在王仏の許に到りて、仏となりて一切の迷妄を解脱したいといふ希望を述べ、その指導を乞はれた。  これによりて世自在王仏は、法蔵菩薩のために広く二百一十億の諸仏の国土を示して、此等諸仏の国土の優劣と、その国に住む人々の善悪とを説きたまふた。  法蔵菩薩はこれを聞きて、長時の間、思惟して諸仏の国士の中の勝れたものだけを選び取りて、四十八箇條の本願(願望)を建てられた。四十八箇條本願(願望)というものは、これを要すに、我々の精神の奧底に潜める純真実の要求を十分に言ひ現はしたもので、自身に真如の理を悟りて菩提を獲得し、又衆生をしてそれと同一の境地に到らしめむとするの願望に外ならぬものである。  法蔵菩薩はこの願望を成就せねば仏陀にならぬと誓ひたまふた。そうして、法蔵菩薩はこの願望を成就せむがために精進努力して倦むことなく、長い間の観難辛苦を経て、遂にその願望を成就して仏陀となられた。  それがすなはち阿弥陀仏である。此の如くに、「大無量壽経」に説かれたるところは、素模的の言葉にて我々の宗教的の感情を述べたものであるから、我々は現代の知識に相応して、その真実の意味を理解せねばならぬ。  要するに、法蔵菩薩といふのは衆生が菩提を欣求するの心で、それは真如の理のはたらきである。それ故に、親鸞聖人は「一念多念証文」の中に「この一如法界よりかたちをあらはして法蔵菩薩となのりたまひて、無碍のちかひをおこしたまふをたねとして阿弥陀仏になりたまふがゆへに報身如来とまうすなり」と説いて居られる。  真如の理がその位に作用をあらはして法蔵菩薩と名づけられたる人格の上にあらはれたものと見るべきである。法基菩薩といふものが歴史上の人格で有つても、無くても、少しも差支は無い。  真如の理がその儘にはたらきを起して、法蔵菩薩と名が附けられて、それが聞法の外縁によりて心の奥底に存せる純真の要求を告白したのが、此の如く四十八箇條の本願(願望)であつた。  法蔵菩薩としての真如のはたらきはこの願望を成就せしめむとしてまずその薫習の力を増長して、遂にその願望を達するに至らしめた。それがすなはち阿弥陀仏と名づけられるものであるから阿弥陀仏はその本質より言へば、真如の理を悟りて、差別の迷妄を離れたる覚者であるが、我々はその本質でなく、その本質よりして現はれるところの大慈大悲の本願の力を感知することによりて阿弥陀仏に信頼するのである。  如来の本願の力を感知して、阿弥陀仏に信頼するといふことは、一寸考へると、力の弱い凡夫を誘引するための方便のものであるやうに思はれるが、決してさうでは無い。釈尊の教説をば段々と深く詮索して哲学的の思索と、道徳的の修行とより進みて宗教の領域に入るときはどうしても我々の心の中に於ける真の薫習の力は外縁としての真如の活動に頼るにあらざれば十分にその作用をあらはすことが出来ないといふことを悟りて、我々は迷妄の心のはからひを止めて一意専念に阿弥陀仏の法を聴いて、それに信順するところに涅槃に進むの道が開かれるのである。  既に前にも説いた通ほりに、我々の心の中に存するところの真如は固より宇宙に遍満するところの真如と同一のものであるから迷妄の心を厭ふて、苦悩から離れむとするところに、真如の理が、その儘に作用を起して、それが諸仏菩薩の人格を通じて我々の心にあらはれて薫習の外縁となり我々はこの外縁の催されて、真如の理の活動をば慈悲として感知するのである。弥陀教の神髄とするところは実にこの点に存するのである。  称名念仏  此の如き如来の慈悲の心を我々の言葉にて表現すれば、すなはち南無阿弥陀仏である。これを支那の言葉にて言へば帰命無量壽如来である。世親菩薩がいふところの帰命尽十方無碍光如来である。  それ故に南無阿弥陀仏といふ六字の中には真如の理が何故に活動するか、又その活動によりて我々は如何なる利益を受くるものであるかといふことが示さるるものであるから、これを称ふることによりて我々は、ここに力の強い外縁を得て、薫習の力を増長することを得るのである。  それ故に親鸞聖人は「教行信証」の中に、「しかれば、称名は能く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切志願を満てたまふ、称名は則ち是れ最勝典妙の正業なり、正業は則ち、念仏なり、念仏は則ち是れ南無阿弥陀仏なり、南無阿弥陀仏は則ち是れ正念なりと知るべし」と述べて居られる。  又「安心決定鈔」には「念仏といふは、かならずしもくちに南無阿弥陀仏ととなふるのみにあらず、阿弥陀仏の功徳、われらが南無の機において十劫正覚の刹那より感じいりたまひけるものをといふ信心のおこるを念仏といふなり。さてこの領海をことはりあらはせば無阿弥陀仏といふにてあるなり」といひ、念仏三昧といふは報仏弥陀の大悲の願行はもとよりまよひの衆生の心想のうちにいりたまへり。しらずして仏体より機法一体の南無阿弥陀仏の正覚に成じたまふことなりと信知するなり、願行みな仏体より成ずることなるがゆへに、おがむ手、となふるくち、信ずるこころ、みな他力なりといふなり」と説いてある。  これ等の説明に拠りて考へて見ると南無阿弥陀といふものは、我々が我々の迷妄の心が、純真なる真如の理の中にあるといふことを発見したときに、口に出づるところの歓喜の声であると言つた方が適当であらう。我々の心の中に真如を発見せむとするものも、その力の足らざることを知つた場合には同じく念仏するが、それは前にも言つた通ほり、観念の念仏で、称名念仏では無い。  すなはち釈迦教を奉ずる人々は、自己の心の中に真如を発見せむとして、いはゆる己心の浄土、唯心の弥陀といふものを求むるがために、如来の恩徳を観念して、信心に安住しやうと思ふて、念仏するので、それも弥勒の浄土を欣求するところの弥勒念仏である場合が多かつた。  それから浄土教と名づけられる宗派を奉ずるものにありて、自己の暗黒の方面に気がつきて、自己は煩悩具足罪悪深重のものであると知り、到底自己の心の中に真如を発見することの出来ぬといふことを認めたるものは、自己の心の外に如来を求める。  それ故に念仏をば手段として苦悩を去りて安樂に就かむとする。すなはち念仏の功徳によりて地獄に堕つることを免れて極楽に往かむことを求める。  この場合、念仏は第二義のもので「安心決定鈔」に「自力のひとの念仏は、仏をばさしのけて、西方におき、わが身をばしらしらとある凡夫にて、ときどきこころに仏の他力をおもひ、名號をとなふるゆへに仏と衆生とうとうとしくして、いささか道心おこりたるときは往生もちかくおぼへ、念仏もものうく、道心もさめたるときは往生もきはめて不定なり。  凡夫のこころとしては道心をおこすこともまれなれば、つねには往生不定の身なり、もしやもしやとまてども往生は臨終までおもひさだむることなきゆへに、くちにときどき名號をとなふれども、たのみがたき往生なり、たとへばときどきひとに見参みやつかひするににたり、そのゆへは、いかにしてか、仏の御こころにかなはんずるとおもひ、仏に追従して往生の御恩をもかふらんずるやうにおもふほどに、機の安心と、仏の大悲とが、はなればなれにて、つねに仏にうとき身なり、このくらゐにては、まことにきはめて往生は不定なり」と説くが如くに、心に浄土を観念して口に称名するときばかり念仏があるやうに思はれて、称名念仏しつつもなほ不安の念に堪えず、どうかして極楽に赴かむとの願望のために常に迷はされて居る。  此の如き有樣にありて、自己の煩悩具足、罪悪深重に対しては如来の大悲の同情が注がるることを期待し、その結果として苦痛に悩むところの道徳の心は麻痺するやうになり、自己の罪悪に対する責任をば如来に譲りて平気で居るといふやうな有樣になる。  真実の称名念仏は決して此の如きものでは無い。真実の称名念仏は、自己の煩悩具足、罪悪深重の心が、真如の理の中に存するといふことが、発見せられたるときに口に出づるところの歓喜の声である。  これを他の言葉にて言へば、すなはち真如の理(如来の智慧)によりて自覚せられたる「我」の全体である。それによりてどうしようとか、又はこの上は、それに頼る外は無いとかといふやうな附加的のものでは無い。  たとひ念仏が地獄に堕つるたねであつても、念仏せねば居られぬのである。釈迦教の念仏は実にこの種の念仏である。  機法一体  此の如くに考ふるときは南無阿弥陀仏は我々の信心を表現するもので、我々の信心を表現するところの念仏はすなはち阿弥陀仏の本願を表現するものである。我々が阿弥陀仏の本願を信ずるところの心は、阿弥陀仏の本願の力によりて現はれるもので、我々の信心の上に現はれたる阿弥陀仏の本願の力はただ信心によりてのみ感知せらるべきものである。  それ故に、我々の信心は畢竟ずるに阿弥陀仏の本願の力が我々の心の中にあらはれたるものに外ならぬのである。機法一体の南無阿弥陀仏とは正にこの意味を指すもので、機は衆生に属し、法は阿弥陀仏であるから、南無(帰命)は衆生よりしてなすべきものであるべき筈のものを阿弥陀仏の法の力によりてなされるものである。  元来、我々は自己の罪悪に対して責任を免れむとして煩悶するもので、或はこれを運命に帰し、或はこれを時世の罪とし、或はこれを他人のために然るものとし、どうにかして、その責任を免れむとする。  若し自己の罪悪に対して責任を負ふとき、ここに我々の意識を破りて出づるところの不可思議の力が感ぜられる。この不可思議の力は我々の心を離れて存ずるところの深広なる智慧で、それをば自己の力なりとすることは出来ぬのである。  しかるに若しそれを自己の力なりとするときは、その力は直ちに隠れて仕舞ふのである。我々にしてこの不可思議の力を不可思議の力として感知するとき、その不可思議の智慧は念仏として現はれるのであるが、それがすなはち、信心と名づけられるのである。  それ故に信心は我々が不可思議の知慧を獲得したのである。言葉を換ていへば如来の心を賜はつたのである。此の如くにして、我々は我々の自己の全体を表現したる念仏は如来の本願であると知りたるとき、我々は常に地獄にありて無碍の一道を歩むことが出来るのである。  この意味よりして言へば、如来は我々をして我々たらしめるところの力である。しかしながら、我々には又我々をして我々たらしめざるところの力があるから、それに刺戟せられてますます我々をして我々たらしめるところの力が強くはたらく。  ここに念仏の心があらはれる。如来はこの一心の中よりあらはれて我々を招喚する。我々はこの招喚の声に導かれて涅槃の境地に進むべきである。  親鸞聖人が「この名號をとなへんものをむかへとらんと、御約束あることなれば、まづ弥陀の大慈大顧の不思議にたすけられまひらせて生死をいづべしと信じて、念仏を申さるるるも如来の御はからひなりとおもへば、すこしも自らのはからひまじはらざるゆへに、本願に相応して真実報土に往生するなり」と述べたまひ、更に「安心決定鈔」に「念仏三昧にをいて、信心決定せんひとは身も南無阿弥陀仏、こころも南無阿弥陀仏なりとおもふべきなり、ひとの身をば地水火風の四大よりあひて成す。  小乗には極微の所成といへり。身を極微にくだきて見るとも報仏の功徳のそまぬところはあるべからす。これは機法一体の身も南無阿弥陀仏なり、こころは煩悩随煩悩等具足せり。刹那々々に生滅す。こころを刹那にちはりてみるとも弥陀の願行の遍せぬところなければ、機法一体にして、こころも南無阿弥陀仏なり。弥陀の大悲のむねのうちに、かの常没の衆生みちみちたるゆへに、機法一体にして、南無阿弥陀仏なり」と説いてあるのをよく味ふて見ると、この意味が十分に会得せられるであろう。  釈迦教に於けるが如くに我々の心の中に真如を求むることをせず、又浄土教に於けるが如くに我々の心の外に真如を求むることをせず。弥陀教にありては我々の心がその儘に真如の理の中に包擁せられて居るといふことを感知すべしと説くのである。  真如の理は巳に前にも言つた通ほりに無量の光明(智慧)を以て十方の世界を照らすことを本願として居るが、この本願は南無阿弥陀仏の名號によりて、我々に知らしめられるものであるから、我々は如来の光明に照されて始めて名號の意味が領解せられ、その領解が言葉にあらはれて南無阿弥陀仏となるのであるから、どこまでも機法一体である。  法性の都  親鸞聖人は此の如き、弥陀教の意味をば別の言葉にて説明して「願海に入りぬるによりてかならず大涅繁にいたるを法性の都へかへるとまうすなり。法性のみやこといふは法身とまうす如来のさとりを自然にひらくなり。さとりひらくときを法性の都へかへるとまうすなり」(唯信鈔文意)と言つて居られる。  ここに法性といふのは法界一如の真理で、すなはち真如である。最も平易に説明すれば宇宙萬有の奥底に存するところの普通の生命である。如来はこの法性の都より衆生を済度するためにこの世界に来たりたまふものであり、我々も如来に、むかへとられて法性の都にかへるべきである。  法性の都へかへるといふは「これを真如実相を証すともいふ、無為法身ともいふ。滅度にいたるともいふ。法性の常樂を証すとも言いふ。無上覚にいたるともまうすなり。このさとりをうれば、すなはち大慈大悲きはまりて生死海にかへりいりて、よろづの有情をたすくるを普賢の徳に帰せしむといふなり、この利益におもむくを来といふ。  これを法性の都へかへるといふなり。迎といふはむかへたまふといふ。まつといふこころなり。選択不思議の本願の尊號、無上知慧の信心をききて、一念もうたがふこころなければ真実信心といふ。この信心をうれば等正覚にいたりて補処の弥勒におなじくして無上覚をなるべしといへり。  すなはち正定聚のくらゐにさだまるなり。このゆへに信心やぶれず、かたぶかず、みだれぬこと金剛のごとくなり。しかれば金剛の信心といふなり」(「唯信鈔文意」)。まことに真如法性はすなはち如来である。「この如来は微塵世界にみちみちてまします。すなはち一切群生海の心にみちたまへるなり。草木国土ことごとくみな成仏する」ものであるから我々にして若し如来の光明(知慧)に照らされて宇宙萬有の上に、普遍に存するところの生命を発見することが出来たれば、この普遍の生命はすなはち我々の心の上にあらはれて、それが人格的の阿弥陀仏(方便根身の如来)となる真如より形をあらはしてといふのは、畢竟ずるに我々の心を照すところの光明であり、我々の心をさますところの智慧である。  我々がその光明(智慧)を如来の本願の力として感知するときに、南無阿弥陀仏の名號があらはれる。すなはち我々の心にあらはれたる人格的の南無阿弥陀仏が、その名號を以て我々に示されるのであるから、我々が南無阿弥陀仏に帰命するは、結局、法性の都へかへらむとするのである。法性の都へかへるといふのは「法身とまうす如来のさとりを自然にひらく」ときである。  それがすなはち我々の心が到達すべき理想の妙境である。この妙境にありては生せず、滅せず、寂静無為にして、有無を離れ、苦樂善悪の束縛なく、永久の光明を以て一切の差別を照すことを得るのである。  善導大師の「法事讃」に「仏にしたがひて道遥して自然に帰す。自然はすなはちこれ弥陀経なり。無漏無生かへりてすなはち真なり。行来進止に、つねに仏にしたがふて無為法性身を証得す」と説いてあるのは明かにこの意味をあらはすものである。  法性の都とか、弥陀の国とか、或は極楽浄土とかといふことを聞くときは直ちに我々が迷妄の心にあらはれたる地理学の国土を思ひ、それにつきて種々の想像を逞しくするが我々の常であるが、我々の心にあらはれたる有様からいへば、真実の証といふことも、法性のみやこ若しくは極浄土といふことも、皆同一のもので、同一の境地をば、衆生よりしていふときに真実の証となり、如来の方よりしていふときに法性の都又は極楽浄土となるのである。  即得往生  我々の心が現在に住して居るところは娑婆世界(忍土と訳す)である。苦樂善悪に縛ばられて如何ともすることの出来ぬ境界である。若し我々にして現実の自己の相に目が醒めて、罪悪深重、菩薩具足に気がつき、如来の本願の力を感知して、自然法爾の大道を進むときは遂に菩提を獲得して苦樂善悪の束縛から免れることが出来る。  この境地はすなはち涅槃寂静にして、我々が到達することを得べき理想の妙境である。この理想の妙境におもむくことを真実の報士(浄土)へ往生するといふのであるが、しかしながら真実の報土は不生不滅の法性の国士であるから、我々の心にて考へるやうな生死がそこにあるべき筈は無い。  それ故に存覚上人はその著「顕名抄」の中に、雲鸞大師の説を引て、「往生といふは凡夫の情量におほせて、これをいふことはなり。実の生死にはあらざるなり。他力の本願に乗じ、無生の名號を称して、一乗清浄の土に往生すればかの土は法性無生のさかひなるがゆへに、凡情には生ずとおもへば、自然に無生の理にかなふなり」と説いて居られる。  親鸞聖人も「教行信証」の真仏土の巻の中に「真土といふは大経には無量光明土とのたまへり。あるひは諸智土とのたまへり。論に究意、虚空のごとく、広大にして辺際なしといふ」と記して極楽浄土を以て我々がいふところの国土と同じやうに見るべきものでないといふことを示して居られる。  このことは玄智師の「考信録」にも注意がしてあつて、親鸞聖人の製作の書には「大無量壽経」に基づきてみな安楽安養とのみ称せられて、極楽の名を用ひてある場合はまことに少く且つそれが愚俗のものに通じやすからむことを期せられた場合であるといふことを挙げてあるが、現に親鸞聖人は大経往生を説ける場合には、真実報土の名を用ひて居られ、又「末燈鈔」の中にも「自力の御はからひにては真実の報土へ生ずべからざるなり、行者のをのをのの自力のみにては懈慢辺地の往生、胎生疑城の浄土までぞ往生せらるることにてあるべき」と述べて居られる。  これに拠りて見るに真実の報土といふは無為涅槃界で、現に我々が迷妄の心にて造りたる婆婆世界の外に存するところの理想の妙境であるといふことは明かである。善導大師の「般舟讃」に、凡夫が生死を貪ぼりて厭はず、弥陀の浄土を軽んじてよろこばざるの不可なることを説きて「厭へばすなはち娑婆ながく隔たり、忻こべばすなはち浄土に常に居せり」と述べてあるのを併せ考ふれば、浄土に往生するといふ言葉の意味はますます明瞭であらう。  それ故に、真言の報土へ往生するといふことは、これを我々の心の有様よりして言へば、真実の証をひらくことであり、真実の証をひらくといふことは真如法性の如来の心にて造られたる国に至りて始めて成就すべきものであるから、結局往生といふことは如来の本願の中に生きるといふことに帰著するのである。  親鸞聖人は「一念多念証文」の中に「即得往生といふは、即はすなはちといふ、時をへず、日をもへだてぬなり。また即はつくといふ。その位に定りつくといふことばなり。得はうべきことをえたりといふ。真実信心をうれば、すなはち無碍光仏の御心のうちに摂収してすてたまはざるなり。  摂はおさめたまふ。取はむかへとるまうすなり。おさめとりたまふとき、すなはち時日をもへだてず、正定聚の位につきさだまるを往生をうとはのたまへるなり。」と述べて、如来の本願を信受して、その本願の心の中に摂取せらるる場合にも往生の言葉を用ひて居られる。  現生の利益  此の如くにして往生といふことは、我々が常に考へて居るやうな意味のものとは相違して、如来の本願の心の中に摂取せられることをも往生といはれるのであるから、我々にして、如来の本願に信順して、金剛の真心を獲得することが出来たならば、即得往生の境地に入ることを得る。  ここに我々は現生の利益を得る。親鸞聖人は「教行信証」の信の巻の中に「金剛の真心を獲得するものは、横に五趣、八難の道をこえて、かならず現生に十種の益を得、なにものを十とする、一に冥泉護持の益、二には至徳具足の益、三には転悪成善の益、四には諸仏護念の益、五には諸仏称讃の益、六にば心光常護の益、七には心多歓喜の益、八には知恩報徳の益、九には常行大志の益、十には入正定聚の益なり」と説いて居られる。  五趣といふのは地獄、畜生、餓鬼、人、天の五道で、趣といふのは衆生が趣きて善悪業困の果を結ぶところであるといふ意味である。  八難といふのは苦悩を離るるところの正道を妨ぐる障難で、地獄に堕して苦を受ること。畜生となり、餓鬼となること。外道を修行すること。教化を受けざること。盲聾?唖であること。邪智なること、因縁の薄きことの八種が数へられて居る。  金剛の真心を獲得するものはこの五十種の苦報と八個の障難とを超へて、未来に涅槃の果を結ぶのであるから、現生にこの十種の利益の華が開くのである。あたかも日がまさに出でんとして東天の白きと同様である。  金剛の真心を獲得するときは、夢ほども知らずとも天神地祗は形に影の添ふが如くに護持したまふ(冥衆護持の益)、天神地祗は如来の分身又は化身又は応身であるから別に念ずるには及ばぬのである。  金剛の真心を獲得するときは求めざるに功徳がその身に充満する。功徳といふのは名號である。名號の中には萬の徳を備へて居る。如来の本願を信知するときはすなはちその人は知らず。  求めざる功徳がその身に充満する(至徳具足の益)。既に、その身の内に至徳が具はるるに至れば、名號の功徳内に薫じ神仏の威力外に護るによりて無善造悪の凡夫も、法の徳の故に自から悪を転じて善を成すに至る(転悪成善の益)、諸仏は金剛の真心を獲得せるものの前に立ちて、常にその放逸懈怠を監視するが故にその信心をして不退なるを得せしむ。  (諸仏譲念の益)、金剛の真心を獲得するものは如来の萬徳をその心の中に入るるものであるから、すなはち弥勒に同じとして諸仏の称讃を受ける(諸仏称讃の益)、我々は常に迷妄不実の心のために使はれて、念を累ね、慮を積みて、一時も安きことの無い身である。  しかるに金剛の真心を獲得するときは我々は如来の光明(智慧)の中に摂取せられて捨てられず。我々は煩悩に眼をさへぎられて、摂取の光明を見ることは出来ぬが、如来の大慈大悲の本願の力は倦むことなく、常に我々の心を照したまふといふことを感知して、安穩の生活をなすことが出来る(心光常護の益)。  我々にして、既に如来の心の光に照らさるるといふことを知れば、我々の慢心はそれがために角を折、瞋恚の心はそれがために焔を消し、思怖の念はそれがために跡を留めず、徒らに名利に汲々たらず、貧賎に成々たらず。常に如来の心に同化せられて歓喜の境地に住することが出来る。  親鸞聖人の「和讃」に「超世の悲願ききしより、我等は生死の凡夫かは、有漏の穢身はかはらねど、心は浄土にあそぶなり」とあるは正にこの境地を示すものである(心多歓喜の益)。  すなはち我々の迷妄の心も真如の理の中に包まれて居るといふことがわかれば、自然の道理にて柔和、忍辱の心が出て来るのであるから、一にこれを触光柔軟の益といはれて居る。  此の如くにして、我々が歓喜三昧に住することは、固より極楽はたのしむと聞いてそこへ参らむと望むのではない。地獄に堕つべきものの真実の生活が念仏の外にないといふことを知らしめられて、それを無明長夜の燈炬とするのである。  決して念仏によりて自己の罪悪に対する責任を避けむとするのではい。自己の心の真相に眼が醒めて、此の如き煩悩具足、罪悪深重のもののために如来の本願がはたらくといふことを知り、ここに飜然として自から省みて如来の恩徳の深きことを知り蕭然として自から譬めてその恩徳に酬ゆべきことを期するに至るのである(知恩報徳の益)我々は愚悪ながらもなほ人間に生まれたることを幸福とする。  君王、父母、社會、自然界等に対しては、その恩徳を感謝する。そうしてそこに如来の慈悲の心の表現を知るとき、我々は如来の恩徳の深く且つ大なることを成せずには居られぬ。この心を推し広め言へば、我々が君王、父母、兄弟、朋友等の恩徳を知るといふことは畢竟ずるに如来の慈悲の心に基づくものであるから、真実の忠、孝、和、悌、信は報恩謝徳のつとめである。  それ故に普通の場合にありては忠、孝、和、悌、信は単に抽象的の概念たるに止まれるに反して、金剛の信心を獲得したるものにありては、この抽象的概念に生命が与へられ、それによりて道徳的行為が徹底するのである。  既に自から如来の恩徳を知ることを得れば、人にすすめて念仏せしめて化他の大悲をつとめる。これ如来の慈悲の心が骨髄に徹するがためである。(常行大悲の益)、此の如くにして金剛の真心を獲得したるとき、すなはち正定聚の位益に入り、往生の心決定して退転せず、肉体亡びて後直ちに安樂の報土に至りて涅槃静寂の境地に住することを得べしとの信仰の上に立ちて安心的生活をなすことが出来る(入正定聚の益)。  結論  弥陀の大法は此の如く、我々をして我々の心の中に如来を求めしめず、又我々の心の外に如来を求めしめず、如来自から来りて我々の心の上にあらはれたまふものであるから、我々は煩悩具足、罪悪の心をその儘に、如来の心の中に摂取せられて、無碍の大道を進むことを得るのである。ここに最上乗の精神的宗教があらはれる。我々はこの宗教によりて、苦悩の中に安住の境地を発見することを得べく、不幸を転じて幸福とすることを得べく、貧賤の儘にして富貴なるを得べく、愚悪の身ながらにして妙好最勝の人たることを得べきである。我々は又これによりて敬虔と、慚愧と、真摯と、熱情と、親切と、寛容との心を得るのみでなく、更に進みて一層崇高にして善良なる生活を欣求するの念を起すに至るのである。 大正十一年七月七日印刷 大正十二年七月十五日発行