俗信と迷信とを論ず  東京 中山文化研究所  文学博士・医学博士 富士川游  俗信  国民が宗教的に考へること及びそれに本づきて種々の作業するところをすべて概括してこれを俗信と名づけるのである。それ故に民間信仰又は民俗信仰と称してもよいことと思ふ。固よりそれは制限せられたる意味にて言ふもので、神仏とか、霊魂とか、死後の世界とか及び祈願とかといふやうな宗教的の事項に関して広く国民が説いて居るか、若しくは考へて居るか、又それに従ふて実際に行動することなどを指して俗信とすふのである。(秋山氏論文第一頁及び第二頁参照)。独逸の書物の中には俗信といふ言葉が「フォルクスグラウス」(Volkylaube)とせられて、それが迷信(Aberglaube)と混同して用ひられて居る場合が多いのであるが、俗信にありては当該の事項につきで主観的の判断がせられず、又その多数のものは単に所見に止まつて真正の意味にて信仰とは名づくべからざるものであるから、俗信と迷信とは全然これを区別せねばならぬのである。しかるに、今これを俗信と名づくるのは国民の多数が宗教的に思考し、若しくは説き、若しくは行動することが少なくともその表面に於て、体系的・組織的の宗教に於けるものと類似して居り、しかもこれを区別せねばならぬのでそれに対して俗信の称呼を附するのである。  神仏  神仏の思考は、未開の人間から巳に文化の進みたるものに至るまで、その精神機能の進歩と共に漸次に発展するものである。我邦の上古のことにつきて、文籍的に研究をすることの出来るほどの資料を存するは奈良朝以来であるが、中にも「萬葉集」は歌集でありながら、諸般の方面に渉りて幾多の研究資料を供給して居る。しかし、この書の中には宗教に関する事項は割合に少ない。「萬葉集」に併びて「日本靈異記」が有りてこれには奈良朝時代の宗教に関する事実が伝へられて居る。「日本靈異記」は平安朝初期弘仁年間に奈良薬師寺の僧景戒が著はしたもので、此書の中には奈良朝時代にあつた事として種々の話が載せられて居る。その話の中に、神仏のことに関するものが多い。ここにその二三のものを抄録する。  (一)聖武天皇の御世に奈良の葛木の尼寺の前の幕原に半夜、痛い痛いと哭き叫ぶ事がしたので、不審に思ふてその所に往つて見ると、盗人が弥勒菩薩の銅像を捕へて石を以て之を破つて居つた。  (二)同じく聖武天皇の御世に和泉国日根郡の晝恵寺の仏の銅像が盗人に捕へられた。ところが寺の北路に痛い痛いといふ声がするので不審を起し、寺院の内に入りて仏像を見るに、手足がもぎ取られ錠を以て頭が締めてあつたと。  (三)東武天皇の御世に、奈良の下毛野の金堂の東の脇土の観音の頂が故なくして断落した。檀主これを見て明日継がむと志して、一日一夜を経て朝にこれを見れば其頭自然に故の如くに継がれてあつたと。  (四)天平寶字二年の頃、遠江の鵜田里の河辺の砂の中に声ありて『我を取れ、我を取れ」といふ。或僧これを聞きて、砂の中に死人が埋めてあつたのが蘇生したのではないかと思ふて掘て見たところが六尺五寸の薬師仏の木像で、左右の耳が欠けて居つたと。  (五)大真山継といふものが観音の木像を造り妻と共にこれを尊敬して居つた。天平寶字八年、仲麿の事に坐して他の十二人と死刑に処せられることになり、十二人の刑が終つて山継が刑せられむとするに及びて、予て尊敬せる観音の木像が呵責していふやう「咄汝何ぞこの穢れたる地に居るぞ」といふと、勅使来りて山継の死刑を免じ信濃国に流さるることになつたと。  (六)紀伊名草郡の貴志の里に貴志寺といふ道場があつた。一人の行者がその堂門に泊つたところが、しきりに病人の呻く声が聞える。しかも堂内には病人は居らぬ。翌日朝起きて見れば丈六の弥勒仏の像の頭が落ちて大蟻が沢山に集りてその顎を噛むで居つたと。  (七)同じ紀伊の仁嗜の濱の近傍に玉坂といふ山道があつた。その里の児童等が戯れに木を刻みて仏像を造り石をかさねて塔となし、仏像を其上に安置した。ところがその辺の何某といふ男がその仏像を見て笑ひ、斧を以て破壊した。ところがその男は間もなく地に倒れ、口鼻より血を流し、その兩眼が抜けて忽ち絶命したと。  (八)聖武天皇の御代に広達といふもの吉野金峯に入りて仏道を求めむとして秋河を渡りたるに、「痛いから踰えること勿れ」といふ声がする。よく見れば仏像を造りかけて来たる木であつたと。  (九)奈良の大安寺の西の里に一女人が居つた。極めて貧乏で生活に困難して居つた。大安寺の釈迦仏の衆生の願ふところをかなへさせられると聞いて花香燈を献じて祈願してその家に帰つた。翌朝門の前に錢四貫ありてそれに大安寺大修多羅供錢という小札がつけてあつた。女人驚いてこれを寺に送つた。寺僧錢を入れたる蔵に入りて見るに封印はもとのままにて、ただ錢四貫ほど無くなつて居つた。それから女人は又釈迦丈六の像に参向して花香燈を献じて祈願した。その翌日又錢四貫が門前にありて大安寺常修多羅供錢の小札がついて居つた。それを寺に送つたところが、又同じやうに錢四貫ほど門前にあつた。あまり度々のことで衆僧これを怪しみ、女子に問て曰く「汝何の行をかするぞ」と。答へて曰く「何の行をも致さぬ、ただ貧困で生活に苦しむあまり、釈迦仏に花香燈を献じて福分を願ふたのみである」と言つた。衆僧これを聞いて商量して、これは仏の賜はる錢であるからとしてその女人に返賜した。女人はそれが縁となりて遂に富裕の身となつたと。  (一〇)聖武天皇の頃、和泉国和泉郡の珍努の上の山寺に正観世音菩薩の木像を置て敬供して居つた。あるとき失火して仏殿は焼けたが菩薩の木像は自から仏殿を二丈ばかり出て、損することがなかつたと。  (一一)河内国安宿郡に信天原寺といふがあり、そこに妙見菩薩を祀つてあつた。ある人が菩薩並に室主に錢を布施したその中を五貫ほど弟子が盗みて帰した。後にその錢を取りにいつたところが錢がなく、鹿が?を負て負れ仆れ死んで居つた。よりて鹿を馬にのせて河内の市辺の里にかへりて、これを見れば鹿でなく、ただ錢五貫であつた。それで益むだということが露顕したと。  (一二)奈良の某所に二目の盲したる女があつた。そこで子供に手をひかせて某堂の薬師仏の像に向て目を願ふた。すると二日の後に、仏像の底から桃の脂の如きものが忽然と出た。女これを口に入れて食ふに甚だ甜く、その両眼が忽ち開いたと。  かういふ話はこの他に幾つも挙げてありて、それに著者の景戒が一々単簡なる説明を附して居る。たとへば「理法身の仏は血肉の身に非ず、何ぞ痛むところあらむ、ただ常住不変を示す、これ亦奇異のことなり」「仏身は肉身にあらず、何ぞ痛むことあらむ。誠に知る聖心の示現、仏滅の後と雖も法身常に存し、常住易らず、更に之を疑ふこと勿れ」「木は是れ心なし、何ぞ声を出さむ、ただ聖靈の示、更に凝なかるべし」「釈迦丈六、不思議の力、女人至信、奇異の事なり』『理智の法身、常住無にあらず、不信の衆生と知らしめむがために示すところなり」「至心発願すれば願はこれを得ざることなし、是れ奇異の事なり」と解釈的に記述してある。固より「日本靈異記」の著者景戒は学識のあつた僧侶であるから、かやうに仏の威力とその功徳とを説明して居る。しかしそれはその方の知識を備へたる景戒の所説で、実際その時代の人々の大多数は素朴的に仏像が我々人間と同じやうに精神的活動をなすものであると考へたのであらう。木に刻したる仏像又は金にて鋳たる仏像をばそれ自身生きたる仏であるとしてそれを隠し、又それに祈願して自身の徳を得やうとしたのであらう。「万葉集』の歌に見えたる神仏の思考も、巳に秋山氏が記述せるが如く(第三〇頁参照)当時の人々が萬物靈活の考に本づき一切の事物の中に一種の「力」があるとしたのであるが、「日本靈異記」に挙げられたるものもこれと同じやうな考である。それは言ふまでもなく、自然の現象を観察し、又はこれを説明することが極めて単簡にして、恰かも児童の想像の作用に於けると同じく、目前に存する事物に対して個人的に反射して、その実在性が直接に認められるためである。さうして、それは単に目視し又は接触することの出来るもののみでなく、我々の感覚のはたらきにては把握することが出来ず、秘密に留まつて居るところの周囲のすべてのものに対しても同じやうに実在性が直接に認められるので、すこしにても奇異の現象があらはれるときには、それが秘密の力のためであるとの思考があらはれ、この思考がその事物と結合して、「魔」の思考を生ずるのである。元来此の如きことは原始的の哲学に属し、自然の現象に対して智能的の解釈をなし、又体系を作るものであるとすべきもので、これを神秘の思考とすべきものであるが、真実の宗教の心のはたらきに属すべきものではない。この神秘は理性の方面に属し、感情の方面に於ける宗教の心のはたらきとは別のものである。神秘はどこまでも思考にして全く原始的科学の智能の作用であると言はねばならぬ。  「日本靈異記」の話や「萬葉集」の歌の中に見えたる神仏も、かやうな人間の神秘的思考が神とか仏とかといふ言葉によりて客観的に表現せられたるものであると言はねばならぬ。これがすなはち俗信に属するものである。その中に、真に宗教的信仰と称せらるべきものがどの位有つたか、今よりしてこれを確認することは容易でない。これを要するに、人々の精神の作用の上に、此の如き神秘的思考が巳に存して居るところへ、歴史的に発達した仏教の経典の所説が伝はりて「日本靈異記」に見えるやうな俗信が行はれるやうになつたのであらう。「萬葉集」の歌に見えたる俗信もまた同じやうな状態の下にあらはれたものと信ぜられるのである。  経典  奈良朝時代から平安朝時代にかけて、仏法興隆の勢が隆昌であつた頃に、読経と写経とが盛に行はれたことは史乗の上に明かであるが、それも経典そのものに靈妙不思議の威力があるといふ思考が根本となりて、それに頼りて自身の安寧と幸福とを祈るがためにせられたのである。  (一)百済の僧義覚来朝して難波の百済寺に住す。身の丈七尺、広く仏教を学び、心般若経を念誦す。同寺の僧恵義、夜半その宝の中を見れば光明照す、怪しみて窓の紙を穿ちて窺ひ看れば、法師端坐して経を誦す。光口より出づと。  (二)山城国に一人の自度の沙弥あり、他の一人と碁をなせるとき、乞者来りて法華経を読て物を乞ふ。沙弥これを聞て、嘲笑せしかば、忽ちに口?斜し治療するも終に直らずと。  (三)奈良の薬師寺の僧長義といふもの、眼盲す、衆僧を屈請して三日三夜金剛般若経を読誦せしに便ち目開きたりと。  (四)聖武天皇の御世に利苅優婆夷夜寝ねて病まずして死し、閻魔王の許に至りしに、汝は心経を誦すと聞く、強くは誦せよという。即ちその請に応じて心経を誦せしに王随喜して優婆夷を此世に返したりと。  (五)永与禅師といふもの、常に法華経を読誦した功徳によりて死後三年を経て髑髏に至りしもなほその舌は腐らず、生きたままであつたと。  (六)大伴連忍勝が大般若経六百巻を写さむとの願を立てて、いまだ書写し了らざるに人に讒せられて殺された。それが五日にして蘇生した。大般若経六百巻を写さむとの願を挙らしめるためであつたと。  かやうに、仏教の経典を書写し又は読誦せるにつき善悪の果報のあらはれたといふ話は、この外にも少なくないが、それは敬虔《けいけん》の態度を以て経典を取扱はねばならぬことを戒めたことよりも、経典が一種の魔力を有し、それを尊崇するものには福徳を与へ、これに反してそれを軽侮するものには悪報を与ふることが多くの人々によりて考へられたからである。元来、真実の宗教の心は此の如く徒らに自身の福徳を欲望するやうな所謂煩悩の心から離れることを期するのである。仏教などは現にこの煩悩の心を断つために修行すべきことを教ふるのであるが、その所説を聞くものが、自身の煩悩の心そのままにこれを受け入れるがために、体系的・組織的の仏教の精神から離れて、かやうな俗信となり了つたのであらう。  靈魂  一切の事物の中に精靈が存在するものと考へたために、生物は勿論、無生物でも、我々人間と同じやうにタマシヒを有するものであるとの俗信が奈良朝時代に広く行はれて居つたことは秋山氏の論文(三乃至三八頁)に詳述せられた通ほりであるが、「日本靈異記」の中にもそれをすべき事例が挙げられて居る。  (一)雄略天皇の随身の小子部栖軽が勅によりて雷神を請じやうと、馬に乗りて出で行きしに、豊浦と飯岡との間に雷が落ちて居つたのを見た。そこで栖軽はそれを籠に入れて大宮に来たのであるが、雷は光を放ちて眼がくらむほどであつたので、天皇はこれを落処に還さしめたまふた。間もなく栖軽は死亡した。天皇勅して雷の落ちた処に栖軽の墓を作り雷を取る栖軽の墓と書いた碑を立てさせられた。さうすると雷が忿て鳴落して碑を破壊したと。  (二)欽明天皇の御世に三野国大野郡の人が?野の中にて美女に遇ひ、これを妻として一男子を生むだ。しかるに、犬の吠るに恐れて野干となりて家を去つたが、その夫の謂に応じて時々来たりて寝たと。  (三)敏達天皇の御世、尾張国のある所に農夫が田を作り水を引くときに雨が降り雷が鳴つた。農夫は恐れて木の影にかくれたが、雷は丁度その人の前に落ちて小さい人間となつた。その時、雷はその農夫に向つて、汝に寄せて子を胎しめ報はむと言つたが、果してその人は強力の子を得たと。  (四)ある法師が亀を貰ふで放生した。後にこの法師が海賊に遇ふて海の中に擲げ入れられたときに放生した亀が来て助けて呉れたと。  元来、仏教にありては我々人間の現実の精神を分析して六識となし、それによりて現前の事象を精神の内界に受け入れると説くのであるが、その六識といふは眼・耳・鼻・舌・身・意の識で、今日の心理学が感覚・観念・知覚・感情及び意識を説くのと同じやうな説明をするのである。さうしてその根本から見ればこの六識は色・受・想・行・識の五?が集積するによりてあらはれるもので、五?の集積によりて「生」があらはれ、それが離散するときに「死」があらはれるとするのである。その五?の中にて、色?といふのは物質、他の四?はすべて精神の機能を指すのであるから人間が「死」するときには五?が離散して、跡に残るものはただ「業」のみである。「業」といふは我々人間の行為で、その行為の結果が「業報」として何時までも消滅することがないために我々は生死の苦界を流転するのである。しかしそれは我々自身の行為の結果で、別にタマシヒと名づくべき独立のものがある訳ではない。仏法以前の印度の宗教にて説いた「我」といふものはタマシヒに相異ないが、仏教はこの「我」を無いものとして説を立てたのである。かやうな仏教の所説が伝へられて居つたにしても、タマシヒの存在が俗信として盛に行はれたことは、俗信といはるるものが宗教的の信仰と異なりて、人々が自身の思考を本として、それが仏教の所説に動かされて一定の表現をなすに過ぎないということを証明するものであると思ふ。  転生  「日本靈異記」には人間が竊盗其他の悪事をなしたる報として畜生に生れかはりて世に出でたといふ話が多く載せてある。  (一)聖武天皇の世、紀伊の名草郡櫻の村の物部麻呂といふものが居つたが、薬王寺の酒二斗を借り未だ償はずして死亡した。それが犢牛となりて使役せられてその債を償ふたと。  (二)近江国野洲郡御上の嶺の神社に大安寺の僧恵勝が修行して居つたところが小さき白猪が来て自分のために法華経を読みて下されと乞ふ。その故を問へば曰く、我れ嘗て天竺国大王たりしとき修行の人を妨げたる罪によりて後生にこの身を受けたり云々。  (三)天平勝寶元年十二月十九日に大伴赤麻呂といふ武蔵多摩郡の大領が死亡した。翌二年五月七日に其家に黒斑犢が生れたが、その背に文字があらはれて「赤麻呂が寺の物を借用して、これを報納せずして死亡した。それを償はむがために牛の身を受けた」と読まれたと。  (四)大和国添上郡山村中里のある家の家長が禅師に乞ふて読経供養した。その僧被服を盗みて出でんと考へたとき、その被服を盗むこと勿れといふものがある。よく見れば牛である。その牛がいふやうに「自分はこの家長の父なり、先世に吾子に告けずして稲十束を取りて人に与へた。その債を償ふために牛の身を受けた云々」  「日本靈異記」の著者景戒は「成寶論」を引て「若し人債を負ふて償はざれば牛羊座鹿遊馬等の中に堕してその債を償ふ」のであると説明して居る。又「出鹽経」を引て「他の一錢の鹽の債を負ふ。故に牛に堕して鹽を負て駈けりて以て主の力を償ふ」とはそれ斯を言ふかと記述して居る。  此の如く、人間が畜生に生れかはるのみでなく、又人間が人間に再び生れ出づることも信ぜられた。  (五)行基菩薩が難波にありて法を説いて居られたとき、一人の女が子を携へて法會に參つたがその子が哭きて法を聞かしめず、その子十余歳に至りてその脚が立たぬ、行基菩薩その女人に対してその子を淵に捨てよと言はれた。その女巳むことを得ずしてその子を淵に捨つ。その子更に水の上に浮び出て、目を開き、手足を動かして「惻いかな、今三年食を微せねばならぬ」と怒哭した。女人その事を行基菩薩に申したところが行基菩薩の曰く「汝昔し先世に彼が物を負て償はなかつた。それ故に、今子の形になりてを債して食するのである」と。  (六)善珠禅師といふもの願の右の方に大なる靈あつた。延暦十七年に死亡したが、命終の時飯占を問ひしに、神靈卜者に託て「我れ必ず日本国王の夫人丹治比の嬢女の胎に宿りて王子と生れむとす、我が面の靈をつけて生まるるによりて虚実を知れ」と言つた。翌十八年丹治比の夫人一子を誕生す、その願の右方に靈のつくこと善珠法師の面の靈の如くなりしと。  現在世に生きて居る人が、非常に学徳の高い人である場合に、それは前の世に学徳の高かつた人の生れかはりであると言はれることもあるが、それは精神的にさう言ふので、具体的の事実とするのではない。しかるに、さういふ精神的のものをば、その思考のはたらきが低いために、それを具体的のものとして、ここに挙ぐるやうな再生の俗信があらはれるやうになつたのであらう。  死後の世界  靈魂の思考及び靈魂が滅亡せぬものであるとの思考は、必然的に死後の世界につきて考へるべきであるが、「萬葉集」の歌の中に見えて居るのは高天原、天宮、ヨミ(黄泉)、ヨモツクニ或はヨミノクニ(黄泉国)、アマヂ(天道)などの称呼にて示されたる死後の世界である。これには仏教の思想も影響を及ぼして居ることは明かで、現にアマヂ(天道)とあるは仏教にていふところの天上道である。  「日本靈異記」に載せられたる話の中に、  (一)聖武天皇の御世に利苅優婆衣といふものが居つて、常に『心経」を誦持して道俗のために愛樂せられた。一夜寝ねて病まずして卒爾に死亡し、関羅王の所に到つた。ところが常に「心経」を読誦したる功によりて許されて国に帰つた。  (二)聖武天皇の御代に磐島といふものが、商業のために遠国に赴き、忽然病を得て馬を借りて家に帰らむとする途中、三人追来るものがある。何人ぞやと問へば閻魔王の使として磐島を迎へに行くのであるといふ。磐島これに牛肉を興へて追捕を免れた。  (三)讃岐国山田郡の衣女といふものが、閻魔王の使の鬼に饗応してその罪を免れた。  (四)大和国添上郡に不孝の子がありて母親を苦しめて飢渇して死亡した。これは必ず地獄に堕つたのである。父母に孝養すれば浄土に往生すると経に書いてある。  (五)智光とい僧学識に富むで居つた。時に行基といふ沙弥がありて人々のために賞賛せらるるを嫉みてこれを誹る、終に痢病に罹りて一旦絶命して地獄に至り、苦惨の状を目撃した。  (六)和泉国に常に島卵を煮て食ふものがありて地獄に堕ちたと、「因果経」を引て「今身に鶏の子を焼煮するものは死して灰河地獄に堕つ」といふことの例にしてある。  かやうに「日本靈異記」には死後の世界を地獄と記しており、それは閻魔王の国としてある。平安朝時代の「今昔物語」には橘敏行、大伴忍勝、利荊女などが冥途から此国に還つて来た話が載せられて居るが、これは支那の「十王経」に本づきて我邦にて偽作せられたる「地蔵菩薩発心因縁十王経」にその根本を有する俗信で、奈良朝時代にはまだ冥途の俗信はなかつたものであらう。  信仰  此の如くに俗信を解釈して、更に進みて迷信の説明に移らむとするに方りて、その意義を明瞭にするがためにここに信仰といふことにつきて略述しやう。  元来、我々人間の精神作用は、太だ複雑なるものであるが、今試みに分析して言へば、先づ外物が直接に感覚器官を刺戟するによりて外物につきての意識が生ずる。これを知覚と名づけるのであるが、かやうに外物からの直接の刺戟によりて知覚が生ずるのみでなく、精神の過程として前の知覚が再生することによりて内的知覚があらはれるのである。この兩個の知覚は何れも単に感覚から成立するところの精神過程で、それが多数に集まり観念(一に表象と名づける)を生ずるのである。さうして、この観念が聯合し、それに感情のはたらきが加はりて思考と意志とがあらはれるのである。思考は観念に論理的の価値を附けるもので、これによりて意識の内容が革新せられ、分離せられ、結合せられ、判断と結論とのはたらきがこれによりて成立するのである。さうして、思考のはたらきによりて思考内容の現実を確認するときにはこれを認識といふのであるが、それが知覚に関したものならば、これを経験と名づけ、それが直接に知覚に関せざるものを思考と名づけるのである。かやうにして形成せられる思考が、観念するものの思考の外に存在する客観的の現実と一致するときにこれを真実とするのであるが、若しさうでない場合には主観的の思考に一致する客体が存在するといふことを証明して、それが現実であることを確認せねばならぬ。ここに客観的に正確であり、主観的にこれを確認することによりて認識のはたらきが成立するのである。  客観的の真実は認識のはたらきによりてこれを確認することが出来るが、主観的の真実はこれを信ずることによりて証明せねばならぬ。認識はすなはち認識せらるべきものの知識であるが、この知識の客観的なるに対して、主観的に、それにつきて考へることを固持する心のはたらきを信仰のといふのである。それ故に信仰は意見であり、或は推定に外ならざるもので、それは認識のはたらきによりて知ることの出来ぬ場合に、主観的にそれを信ずるのである。言葉を換へて言へば、我々が経験せることの相互の関聯が証明せられてその可能が明かに認識せられるのが知ることであるが、ゆずることはこれに対して、認識のはたらきの足らざるところを補ふものである。知ることは固より知覚のはたらきによりで経験せる事物の真実を客観的に確認せものであるが、信することはこれに反して、経驗に支持せられまして、主観的にそれを真実であるか非真実であるかにつきて思考して、この思考を固持する心のはたらきである。ただ普通の思考に異なりて、その根柢に動くところの感情が甚だ強くして、さう思考するところに愉快の感情があらはれるによりて、さう信ぜられるのである。  かやうな次第であるから、経驗が漸次に増加し、知識の範囲が広くなるに従ふて信仰の区域は狭くなるのであるが、しかし信仰の心のはたらきは尚ほ持続してやまぬのである。それに自分の思考が他の人の心と一致することが感ぜられるときはその思考が強くなりて、それによりて信仰の心のはたらきが著しくあらはれるのである。実際、印象の深さ、語勢の強き、又は十分に反復せられたる主張によりて起されたる観念にして、直接にそれに相当する経験に矛盾せざるものであれば、容易にそれが信ぜられるのである。この場合、経験に矛盾せるものでも信ぜられることが稀有でない。これは権威によりて信ずるものでエッビングハウスが言ふところの権威的信仰であるが、この種の信仰の心は多くの場合にあらはれるものであるから、團体、友人、同僚の信仰は、声を大にして再反復せらるる宜伝と同じやうに多くの人々に信ぜられるものである。俗信と言はるるものは概ねかやうな心のはたらきによりてあらはれるものであるから、その信仰と見られるものは或は知識であり、或は是認であり、或は仮定であり、或は真実を固持するはたらきであり、或は意志に属するものであることがある。さうして、此の如き信仰の最下等の階段としてあらはれるものは信頼の心である。さうして、この程度の信頼の心があらはれたのを指してこれを真実の宗教の心とする学者もあるが、宗教といふべき場合には信頼が最も深くあらはれて最内的の肯定となり神や仏と精料的に、又生活的にも同一となるまでに信仰の程度が進歩せねばならぬのである。  独逸の言葉にては信仰のことを「グラウベ」(Gutube)といふが、この言葉は通俗的の意味にて、宗教(Religion)と略ぼ同様に用ひられて居るのである。「カトリック」教の所説にては信仰とは、我々が神の恩恵の下に神から啓示せられたことを真実なりと固持することである。「プロテスタント」教の所説にては、それよりも我々の感情及び意志の上に神の理會を実現するといふことが信仰とせられて居る。固よりその教説につきて深く論ずることは、今のこの小篇の目的とするところでないから、省略に附するが、これを要するに、「クリスト」教にて信仰と言はるることはクリストにあらはれて居るところの神に対して絶対に信頼することで、寸毫も価値のない自己の内省を深くして我を救ふ神の恩恵を受け入れることが信仰と称せられるのである。我邦にても近来、信仰といふ言葉は宗教といふことと殆ど同じ意味に用ひられて居るやうで、信仰といへばすなはち宗教上の神や仏を信ずることにきまつたやうに考へられて居るかの如くに見える。  仏教の書物の中にても「華厳経」には「信は道の元と為す、功徳の母なり。一切の諸の善法を長養し、疑網を断除し、愛流を出で涅槃無上道を開示す。信は垢濁の心なし。清浄にして驕慢を減除す。恭敬の本なり。亦法蔵第一の財と為す、云云」とあり、又「智度論」には「仏法の大海には信を以て能入となし、智を以て態度となす」とある。さうしてここに信といふは仏法を信ずるのであるが、くわしくこれを言へば「信心を説くに四種あり。一には根本を信ず。所謂真如の法を楽念するなり。二には仏に無量の功徳ありと信じ、常に念じて親近し、供養し、恭敬し、善根を発起して一切智を願ひ求む。三には法に大利益ありと信じ、常に念じて波羅密を修行す。四には僧能く自利利他を修行すと信じて常に楽しみて諸の菩薩衆に親近して如実の行を求め学ぶ」と「大衆起信論」に説いてある通ほりに、仏教にありて信ずるといふことは宇宙の根本たる真如を信じ、その真如より形をあらはしたる仏を信じ、その仏によりて示さるるところの法を信じ、又これを体得したる僧を信ずることである。それ故に、これを文字通ほりに解釈すれば、さういふ信仰は知識であり、承認であり、仮定であり、さう考へることが愉快であるがために、さう信ずるに過ぎぬのであるから、これを真実の意味にて言ふところの宗教上の信仰とすべきではない。巳に前にも言つたやうに、奈良朝時代の俗信の中に、どの位、真に宗教的信仰と目すべきものがあつたか、固より今日にありてこれを明かにすることは出来ぬが、記録の上にあらはれたる事実に本づきて推考するときは、「その俗信の大部分が常時の人々の単なる所見若しくは知識であつたやうである。今日の世に行はるるところの俗信も大抵この類に属することは明かである。真に宗教的信仰と称すべきものは、信仰の根柢に、自己の価値を否定する感情が強くはたらきて、知識も、是認も、仮定も、すべて無くなりて、全く自己を開放し、全人格をば神仏に信託して、それに帰依することである。普通の信仰の場合に於けるやうに、自己の価値を肯定して、そのはたらきによりて、神仏を信ずるのではなく、さういふ自己の心のはたらきを止めて、そこにあらはれるところの一種特別の感情によりて、神仏を感知するのである。」  迷信  此の如く、俗信が真の宗教的信仰と称すべきものでなくして、普通の思考に本づくところの信仰であるとすれば、その中に逃信の要素を存して居ることは言ふまでもない。西洋の学者の中には宗教はすべて迷信に属するものであると説く人もあるが、これは真の宗教的信仰の本質を辨へざるがために起るところの誤診の所見である。  全体、我々の知識は真実つかむことを以て最高の目的とするのであるが、真実の概念は複雑のものでただ個々の知識の内容を評価することに於てのみでなく、又真実と判定するの根拠とすべき標準が変易して一定せざるがために真実の概念は単簡に片づけられないのである。さうして真実をつかむといふ、それは絶対の真実でなければならぬのであるからそれはすべての主観的の涸渇を免かれたる純情の知識でなければならぬ。一切の対象をば人格的及び社会学的の制約に関係することなく、その現実の状態に於てこれをつかまねばならぬ。結局、主観的の認識と客観的の対象とが全然同一のものであることを要するのであるが、これは決して容易の事でない。我々の主観は実際その能力が限定せられ、空間的にも又時間的にも種々の制約を受くるものである。対象も亦同じく限定せられ、又種々の影響を外方から受けるものである。それ故に、主観にしても又客観にしても共に絶対的と見らるべきものはない。幼稚なる実在論の見地から言へば、我々の認識は客観そのものをつかむのである。感覚器管のはたらきによりて認識したるところを証拠として、かやうにして得たる認識を客観化し、又これを絶対化して以て絶対的の真実をつかむことが出来ると信ぜられるのである。しかしながら、此の如き認識は我々人間の感覚や、知覚や、観念や、思考や、感情などのために著しく涸渇せられて居るのであるから、少なくともそれは主観的体験の範囲を出づることは出来ぬとせねばならぬ。固よりこの場合にありては客観も亦主観の意識よりしてあらはれたもので、元来が主観的の認識の中に存するものを思考の上にて分離し、これを客観のものとするのであるから、現実とはいふべきも、決して絶対的の真実のとすべきものではない。  若し一とつの知識が特殊の価値意識を伴ない、錯誤、疑惑、虚偽、単なる感想及び是認から離れて、真実意識があらはれたときにはその知識は固より真実である。客観的に言へば一とつの知識が、客観に何れかの基礎を置き、さうして、それが客観的に正常であるとせられるときに始めてその知識が真実であるとせられる。さうして、我々が具体的に真実の判断をなすに方りては第一に直接の覚官的経験によりてこれを証明することをつとめるのであるが、この感覚器官によりての証明は多くは浅表に止まるのみでなく、決して純精のものではないから、更に論理的の証明をなして、覚官的経験に形式を与へ、又これを序列することを要するのである。かやうにして、論理的に証明せられたるものは固より巳に覚官的経驗そのものではなく、それに他の或物が添加せられたものである。たとへて言へば、光線や、音響や、香臭などの場合にありて、主観と客観とが直接に関係することは固よりであるが、しかし同一の色と形とを有する物質が必しも同一の化学的成分のものでないことがある。又二個の植物の外形が類似して居るときでもそれが同一種属の植物であるといふ説明にはならぬ。二個の言葉の発音が同じやうに聞えてもそれが語原的に相互に関係せるものであるとすることは出来ぬ。実際我々の経験は単なる覚官的証明ではなくして、主観のはたらきによりて訂正が加へられたる覚官的印象より成立するものである。  覚官的の経験と証明とは真実をつかむがために重要のものであるといふことは疑を容れぬところであるが、しかしそれはただ具体的の対象に対して用ひられるもので、決して絶対的の真実を保証するものではない。それに具体的の対象をば覚覚器官のはたらきによりて認識することは、動もすれば真実を離れるもので、たとへば錯覚や、幻覚のやうなものがあらはれて、現に見たり、聴いたりすることが必しも真実のものでないことが多いのである。論理的証明はこれに異なりて、感覚器官によりて認識したるものをば抽象の作用に移し、一定の判断の性質をあらはすのであるから、これによりて覚官的証明は更に改めて説明せられるのである。しかもこれには先天性の区別能力が我々の精神のはたらきが存して、それによりて真実と非真実とを区別するものであるということをも考へねばならぬ。  かやうに、我々の精神のはたらきが、真実をつかむがために、覚官的認識と論理的証明とをつとめることによりて、我々は知識を獲得することが出来るのである。さうして、この知識が思考となりて我々の精神が種々のはたらきをなすことが出来るので、若しこの知識が十分でないか、又は正確でないときには誤りが生ずるのである。若し真実をつかむために十分なる知識の準備がなく、ただ既に存するところの一定の思考だけに本づきで急速に概括するか又は偽の推論をなすときはその思考は独断的のものでこれを偏見と名づけるのである。若しこの偏見が強烈なる感情を根柢としてあらはれるときにこれを迷信と称するのである。既に上章にも言つた通ほりに、我々の精神のはたらきにありて、分析して言へば思考の如き智能の部分に属する部分でも、実際には感情と離れて居るのではなくして、我々の思考及び行為の根柢には感情のはたらきが共に存するのであるから、たとへば科学の如き客観的に真実をつかまむとする場合に方りて重要なる予感も、亦推定も亦、感情のはたらきを要するものである。実際、真実をつかむだとの見解があらはれる前に、その認識の真実を感ずることが重要で、普通にそれを直観的・本能的の予感と称するのである。この感情のはたらきが真実の評価の上に著しい影響を及ぼすことは疑のない事実である。自然科学者が知識の真実をつかまむとして熱心にその事にあたり、又自負の心が強くあらはれたときには、客観的に認めらるべき非難に対しても全然盲目的であることは常に見られることである。科学的の知識の真実を主とする場合でも、さうであるから、まして偏見の根柢に強烈の感情がはたらいて居るところの迷信が、誤診の所見に異なりて、その人を盲目的ならしめることはむしろ当然であると言はねばならね。ステウフェンは偏見と迷信とを区別して『偏見とは巳に存するところの観念又は判断を固守してたとひ経驗と論理とがそれを捨てさせやうとしてもそれを捨てることが出来ぬ」のをいひ、「迷信とは科学的の研究及び批判によりて信ずることの価値ある経験に本づくことなくして何物かが客観的に実在するものであると信ずるのである」と説いて居る。しかし、科学上の現在の知識に矛盾して、その存在が認められず、又その存在が不可能であるか、若しくはその存在が疑はしいと見られるものを存在して居るとするのは御断的の思考で、すなはち偏見と言はれるのである。その偏見の根柢に強烈の感情がはたらきて、観念の聯合が緊密となり、容易にこれを離すことの出来ぬのが迷信であるから、迷信と偏見とはその観念の結合の度によりて僅かに区別せらるべきもので、精神のはたらきの上から見れば同一のものであるとせねばならぬ。  元来、迷信と呼ばれて居るところの精神のはたらきはそれが現象として外面にあらはれるときは、まことに種々雑多のものであるから、それに対して一定の定義を下すことは容易でない。カントは迷信を以て一とつの偏見であるとして、それは悟性がその固有の本質的法則によりて基礎を造るところの規則に従はぬものとして自然を観念するところの偏見であると説いて居る。又宗教的の迷信は妄想であるとして、それは崇拝の宗教的行為によりて、何か神の前に是認の証明をしやうとするのであると言つて居る。しかしながらこれは巳にネゲラインが指摘せるやうに、迷信的の行為を見ての所説で、その根本をなすところの観念に本づきて立てられたものではない。ホフマンは迷信とは理性及び啓示に抵触し、自然法則を無視して超感覚的の力と作用との因果関係をば誤まりて信ずるものであると説明して居る。ストリユムベルは迷信とは人々がその外界に実在して居り、又現実に現はれるものをばその主観的感情状態によりて正常であると決することによりてこれを真実であると確信することをいふのであると説いて居る。シェフォルドは迷信を以て、世に認められたる宗教に於て正当とせられず、又最新の科事的結果に矛盾するところの所見を是認するところの精神作用の連鎖といふべきものであると言つて居る。共他諸家が迷信の定義として説いたものは種々であるが、その多くは主観的・宗教的の見地よりして迷信の定義が下され、又価値判断の上から迷信を見たるがために、大幅に於て迷信は錯誤の信仰であるとか或は妄想であるとせられて居るのであるが、近時ホツフマン、クライエルは迷信の定義を下して「自然法則的に説明することの出来ぬ力の作用を信じ、又それを知覚することが出来ることを信ずるのである。但しそれが宗教学の根拠を有せぬものであるといふことを條件とする」といふ意味のことを説いて居る。固よりこの場合にありて宗教と目せられるものは神を崇拝し、又それに奉仕するところの一定の寺院的体系を指すのではなく、人々が一切な愛し又これを導くところの威力を信じてそれにその身を献ずる心のはたらきをいふのである。  しかし、迷信の現象は種々雑多であるばかりでなく、これを見る人の見方も一様でないがために、その現象のすべてに通ずるやうな定義を下すことは固より困難である。更にすべての人々から承認せられるやうな定義を下すことは容易でない。むしろそれは不可能であると言うべきであらう。今若し客観的に迷信の現象を見て、迷信とは如何なる精神のはたらきに属するものであるかと言へば、巳に余が前にも言つたやうに、偏見の根柢に強烈の感情がはたらいて居るものであるとすべきである。さうして、その偏見は自然法則によつて説明することの出来ぬところの力が存することを独断的に信じ、又その力をば知覚することが出来ると独断的に信ずることであると言べきである。しかるに、かやうな定義に対してネゲラインの如きは批判を加へて「若し自然法則的に説明するところの出来ぬ力を信ずることが迷信であるならば、地磁気、引力、電気などを信ずることも迷信でなければならぬ。その故は、すべてこれ等の力は証明せられざるものであり、又宗教上の根拠を有せぬものであるからと抗議して居る。しかしながらこれは強辨に過ぎたと言はねばならぬ。電気や引力などのやうに、直接には証明すべからざるものでも、その作用は間接にこれを認識することが出来るのであるから仮説(Hypathese)として、これを立て又これを信ずることは決して偏見とすべきものではない。又、決して独断的のものでもない。自然法則的に説明することが出来ぬといふのは、自然科学の知識に本づきて、予想することも、推定することも、又是認することも出来ぬことを指すので、実際的に言へば魔力の存在を信ずるといふことが迷信の本領であるが、その魔力と呼ばるるものは、自然法則的に説明せらるべきものでなく、又科学上の知識に本づきて仮定せらるべきでなく、又是認せらるべきものでない。(本冊坂井氏論文。五九乃至六一頁参照)  勿論、迷信を以て偏見なりとし、錯誤の信仰なりとすることは、人々が論理的に思考するがためで、迷信者そのものは、その迷信せるものを正常のものと信じ、その作用につきて些も疑を容れぬのである。上古蒙昧の人民は眼前にあらはるるところの現象を見て、何等かの結論を下すに方りて、固より根本の観念に本づくのでなく、自然法則の知識と、それに本づくところの思考とが欠げて居るがために、著しき出来事に遇ふて先づ驚異し、さうしてその意味につて考へた結果、そこに不思議なる魔力が存するものと信ずるやうになり、かやうにして固定したる見解が、生活の過程の上にも応用せられるのである。固より思考としては独断的のものであり、錯誤せるものであるが、その当人にありてはそれが正常の思考とせられるのである。しかるに、此の如き原始的の思考が、その儘に今日の時代にあらはれて、自然法則を無視し、又我々の科学的知識によりては正常と認められざることを正当と信じ、その偏見たることに気がつかぬ場合にはすなはちすこれを迷信と名づけるべきである。  今日にありても迷信が新に生ずる場合は常に此の如き原始的の思考を本とするもので、これを原発的迷信(DerprimireAberglaube)と称するのである。さうして、この原発的迷信が一旦固定するに至るときは、直接にこれを体驗せざる他人に傅はりて、次で人から人へと広がるものである。これを二次的迷信(DersekundireAberglaube)と名づける。この二次的迷信はその初起の観念とは離れて、甲から乙へと伝はる間に、記憶の錯誤や、人々の論理的思考の混淆などがあるために漸次に転化するものである。世間に普通に迷信と言つて居るものは多くはこの二次的のものに属する。  迷信の種類  迷信は人間の日常の生活にありて何れの方面にもあらはるるものである。従つてその種類は雑多である。ネゲラインが科典的迷信・宗教的迷信・動物学的迷信・理学的迷信・宇宙観的迷信の各種を挙げて居るが如きは迷信が生ずるところ範囲を区別して示したものに過ぎぬ。オー・ストルが迷信を区別して攻撃的・防禦的及び熱望的のものとして居るのは、迷信の目的及び方法を主としてこれを類別せるものである。ホフマン・クライエルは此等諸家に異なりて迷信の内容を主として、これを類別して居るが、その分類は次の通ほりである。  第一 未知のものの予知或は探究(前兆。徴候。予告。託宣)  (甲)受働的人間の力を加ふることなもの)  (乙)能働的(人間の行為によりて)  第二 災禍の防止或は加被。若しくは幸福の誘致或は防止  (甲)客の為になる方法   (イ)災禍の防止   (ロ)幸福の誘致  (乙)客体の為にならぬ方法   (イ)災禍の加被   (ロ)幸福の防止  第三 純粋迷信(前兆或は託宣及び災禍の防止或は加被、幸福の誘致或は防止に関係なき所見及び行為)  (甲)人間、自然、人間の施設に関する所見及び行為  (乙)超自然の本質に関する所見及び行為  此の如く、迷信の種類を三類に別つても、その間に、鋭どき限界はなく、一種の迷信にしてその何れの部類にも算せらるべきものの存することは勿論である。この事につきてはホフマン・クライエルもよくこれを断つて居るのであるが、何れにしても、明かに区画して迷信を分類することは困難であると言はねばならぬ。  我が中山文化研究所にありて坂井氏が調査したる「児童に関する迷信」(本冊五九乃至一五四五頁所載)につきて見るに、特殊的に児童に対してのみあらはるべき迷信の二三種を除くの外は、すべての迷信に通じてあらはるべきもので、その内容の主なるものによりて、これを数種に区別することが出来るのである。  迷信の内容(目的若しくは方法)によりての分類  其一 身体及び精神の現在の状態はその由来を示すものであるとするもの其例  (イ)小児が成長後最も厭怖する動物は、その胞衣を埋めたる上を始めて通過せるものである。  (ロ)赤坊の手の何処かに節があると珠数かけとて、先の世の人間であつた印である。  (ハ)変生児が男と女との兩性であるときは前生に心中したものの生れ換りである。  (ニ)胞衣に前生のことが記されて居る。  その他、たとへば妊婦が兎肉を食へば生れる子が欠唇であるとするの類の迷信は、これを反対に見れば欠唇の児はその母親が妊娠中に兎肉を食つた結果であるとせられる。この類の迷信は甚だ多い。  其二 身体の現在の状態それ自身にその将来の吉凶禍福を示されて居るとするもの 其例  (イ)臍の緒を首にかけて生れたる小児には仏の加護がある。  (ロ)生後三ヶ月目位にて歯の生える児は鬼児と名づけて、不吉のものとする。  (ハ)小児の手掌の紋がマスカケであるときは出世する。  (ニ)小児の足指の関節部の皮膚の溝線が三本あるものは出世する。  (ホ)手首のくびれが一廻はり一本の溝をなしてるもの(地蔵くびれは)早死をする。  (ヘ)見えぬ所に疣があると出世をする。  (ト)胞衣を被ふりて生れる子は幸運である。  (チ)庚申の日に生れたる子は盗賊となる。  (リ)歯の生える時上の方から生え初めるとその子の将来に禍がある。  (ヌ)誕生日までにあるく子は親に早く別れる。  (ル)幼年のときより白髪のあるものは将来幸福である。  (ヲ)小児の足の親指より次の指の方が長ければ親より出世する。  其三 人為の方法によりて吉凶禍福が予知せらるるとするもの 其例  (イ)鳥居の額の上に石を投げてその上に石が乗ると男児が生まれ、乗らねば女児が生まれる。  (ロ)子持岩に背面してその股の下から石を投げてその石が岩に達するか否かによりて来生の児の性を予知することが出来る。  其四 人為の方法によりて吉凶・禍福が転ぜられるとするもの 其例  (イ)生れる子が度々天折するときにアグリといふ名をつけるとその児が丈夫に育つ。  (ロ)庚申の日に生れる子は盗賊になるとてこれを忌みカネをかたどつて金吉、お金などと命名する。  (ハ)双生児には六歳まで同じ着物をきせる。さうしないと成長してから商売のことで争ふ。  (ニ)厄年の親から生れたる厄児はこれを捨る真似をし、捨つた人を親になつて貰ふ。或は女児をば五歳まで頭を坊主にしてく。  其五 幸福の誘致を目的とするもの 其例  (イ)胞衣をすてるときに笑ふて捨てればその子は一生愛敬ありて人に憎れぬ。  (ロ)産飯を多勢で食ふて貰ふとその子が大暮をするやうになる。  (ハ)喰物の膳の上に小石を乗せると歯が丈夫になる。  (ニ)速者な子の衣類の小切を三十三軒から一枚宛貰つてつぎ合せて衣に縫て着せると小児が丈夫に育つ。  (ホ)男児は生后三十一日目、女児は三十二日目に氏神に参詣して幸福を祈る。  其六 災禍の防止を目的とするもの 其例  (イ)小児の名に丸の字を用ふ。丸は不浄を容るる器で、不浄は鬼魔が嫌ふによりてこれによりて鬼魔の近づかざる心を祝してつくるのであると。  (ロ)臍の緒を裁るために使用せる鋏を幼児の蒲団の下に七日間入れて置きて魔除にする。  (ハ)幼児の一つ身は縫目がなくて不浄であるから背紋をつけてまじなひとする。  其七 自然に関する所見の迷妄に本づくもの 其例  (イ)産衣着初につきて忌む日と忌む時とあり、大かた辰巳の日よし、男の児は申のときよし、女児は酉のときよし。  (ロ)小児の衣服を裁つ日に吉凶あり。一月十二日、子になげきあり。二月七日、子になげきありとするの類。  (ハ)初生児は生後三日までは粋のもので、三日命名後初めて人間となる。  (ニ)幼児宮参り前は穢れて居るから、直接日にあてるとお天とうさまを汚す。  其八 超自然的の魔力を信ずることに本づくもの 其例  (イ)小児あるの家に、夜間衣服を露すべからず、産婦が死して鳥となつたもの(姑獲鳥)が飛び血を以てしるしをつけ、その児をして驚癇及び疳状を起さしむ。  (ロ)まだ歯の生えぬ百日以内の赤坊を外出させるときはその額に鍋墨をぬりて魔除とする。  (ハ)二十一日未満の赤坊を戸外に連れ出すときには額に犬の字を書く、狐にまよはされぬ為である。 以上記するところは、児童に関してあらはれたる種々の迷信をばその内容によりて分類して、その二三の例を列記したものである。しかしながら、巳に上章にも言つた通ほりに、一個の迷信にして、その目的とするところが多般に渉りて居るものが少なくないために、判然と、これを区別することが困難であることは言うまでもないことである。  迷信と魔術  アルフレッド・レーマンは迷信を解釈して一定の宗教にありて正当とせられず、或は一定の時代に於ける科学上の所見に矛盾するところの各個の普汎的の推定であるとして居る。すなはち当該時代の宗教的の真実と科学的の真実と合致せざる虚偽をば信ずることを迷信とするのである。さうしてレーマンは魔術をこれと区別して、魔術とは超感覚的或は感覚的世界に感作を及ぼすことを目的としての各例の行為にして、しかもそれは禮拝行為にも属せず、又伎術的の動作にも算すべからざるものであるとして居る。かやうにしてレーマンの所説は迷信をば単に理論的の方面に限りてこれを宗教及び科学と限劃し、魔術をば実際的の行動に属するものとしてこれを禮拝及び伎術と区別しやうとするのである。しかしながら実際にありて、魔術の多数のものが迷信を本とすることは疑を容れざるところであるばかりでなく、所謂魔術的、神と自称するところの手相学や占星学の如き、又所謂秘密的と言はるるところの神秘学や降神術的の如きものの所説が迷信の中に存することが極めて多いのである。それ故に、迷信は単に一個の偏見を固持するといふのみでなく、進むでこれを行為の上にも種々の現象をあらはすものであると言はなければならぬ。  宗教と迷信  既に前にも言つたやうに、太古蒙昧の人間が外界の現象を見たときに、「より自然法則につきての知識もなく、又明確に論理的の思考をなすことも出来ず。萬有靈法などの根本観念もまだ起らなかつたので、ただ稀有珍奇のものに接して強い印象を起し、それにつきて驚愕し、或は恐怖する結果、その現象が果してどういふものであるか、殊にそれが自分に対して如何なる感作をなすものであるかを考へるやうになりて、ここに魔力の存在とその作用とを信ずるに至つたものである。迷信が無形及び有形の世界に存するところの魔力を信ずることに本づくと言はれるのは要するに、此の如き原始的人間の思考を文化の進みたる人間がその儘に信ずることに外ならぬのである。  原始的人間が此の如く、周囲の現象につきて、驚愕若しくは恐怖したる結果、そのために自身が蒙むるべき害悪を免かれ、又はこれを予防するがために一定の魔力を禮拝し、又はそれに祈願するのが宗教の濫觴《らんしよう》であるとせられる。しかしながら此の如き精神のはたらきは真実の意味にて言はるべき宗教ではない。魔力の存在とその威力とを信じて、それに依頼して自己の災禍を免かれ、若しくは幸福を得やうとするのであるから、真実の宗教の要件として第一に挙ぐべき心の自由なる境地に達することが出来ぬのである。それ故に、若しこれを宗教とすればそれは自然的宗教として、今日我々が真実の宗教として考へて居るところの精神的宗教のとは区別すべきものである。  我々が今日、神とか仏とかと名づくるものは、哲学的の意味よりすれば、我々の感覚器官を通ほしてはこれを認むることの出来ぬ或物である。尋常の認識のはたらきによりては認識することの出来ぬ或物であるが、我々の感情のはたらきによりてそのはたらきを感知することの出来るものである。宗教の上にていうところの神仏はこの意味のものである。さうして、それは我々が自分を自分と知るところの意識が否定せられたときに自からあらはれるところの感情に本づくところの意識であるから、具体的の存在として考へられたる魔力とは全く別異のものである。その心のはたらの根柢に我々人間が生きて行かねばならぬといふ強い生命の力が存在して居つて、それに本づきであらはれるところの欲求が、神とか仏とかと名づくべき或物を感知せしめるのであるから、宗教は決して迷信に属すべきではない。しかるに、動もすれば宗教が迷信に属すると言はれるのは、宗教と言はれて居るそのものが真実の宗教でなく、魔力を以てその本質とするところの神仏とその作用とを信ずることが宗教であると誤解せられるがためであると思ふ。魔力の存在とその威力とを信じ、それに対して禮拝若しくは祈願することは、それ故に、多くは俗信に属し、又その中には迷信の要素を多量に存するもので、これを宗教上の信仰とは明かに区別すべきものであると言はればならぬ。  本報告を公にするに際し、余は中山文化研究所主中山太一氏が科学を尊重するの精神によりて、物質的に又精神的に多大の授助を賜はり、余等をして自由の研究に従事せしめられたる厚意に対して厚く感謝の意を表する。又研究所員諸子が所主の意を体しおのおのその任務を尽し、本所の事業を遂行することを得せしめられたることを感謝する。昭和十一年十一月下浣富士川游謹白。 クラブ化粧品本店中山太陽堂経営 中山文化研究所 事業概要 文化生活の第一義諦 内的には精神生活の信念確立 外的には科学智識の理解応用 現代社會の真摯なる要求は内的には精神生活の基本たる信念を確立して人格の完成に努め外的には科学智識を理解応用して生活諸般の改善を図り精神文化と科学文化との結合により充実せる真生活を実現するにあり。吾が中山太陽堂は大正十一年四月三日創業滿二十周年記念事業として如上の要求に応ぜんが為め中山文化研究所を創立せるが、更に第二期事業として東京市麹町区内山下町東洋ビルヂング四階に文化研究機関を新設し、昭和元年二月十一日を以てその事業を開始せり、蓋しこれによりて主観的及び客観的文化の向上促進に資し以て所期の理想に到達せむことを企画するなり。 東京中山文化研究所事業要項  (一)婦人文化講座 婦人の生活にとりて最も必要なる科学的知識の応用と、精神生活の向上とを期するために、諸般の範囲に渉れる講座を開設す。今日までに開催したるは児童教養講座、大乗起信論講座、原人論講座、中庸講座、実語教講座、童子教講座にして数月に渉りて連続これを開催し、目下、毎月一回菜根譚講座を開催して居る。  (二)婦人文化研究及び調査 婦人文化に関する問題、殊に家庭教養及び精神生活につきて研究及び調査をなし、その成績を種々の形式にて報告す。  (三)科学と宗教講座 人々の宗教意識を明瞭にしてその精神生活の向上を期するために宗教の科学的説明をなすことを目的として、毎月定期に講座を開き、随意聴講を許して居る。  (四)婦人精神文化研究會 婦人精神文化を促進する第一歩として、その根本たるべき宗教の研究をなすことを旨として、東京、京都、大阪の三処に於て、毎月定期に集會を開き、講話及び談話等を施行する。  (五)通俗展覧會 児童教養、家庭文化を始めとして精神文化の各方面に関する通俗科学展覧會を随時開設する。この通俗科学展覧會は当該問題に関する科学的知識の普及を図ることを目的とするものにして、多紀の表紀、企画、写真、標品等を分類陳列して、それによりて当該問題に関する現代の科学的知識を一目の下に瞭然たらしめるやうに計画してある。今日までにこの展覧會の催されたものは児童教養、学童保健、家庭文化及び迷信に関するもので、東京、京都、大阪その他の都市に於て我が研究所自からこれを開催したる外、名古屋、広島、神戸、岡山、呉、札幌、小樽、函館等各地に於ける各種団体又は学校等の希望に応じてこれを開催したること頻回であつた。さうしてこれは何時にても、希望によりて無償開催の依頼に応ずるのである。  (六)談話室 研究所内に談話室を設け、無料にて婦人の学術に関する集會の使用に提供する。  (七)教養相談 児童の教養殊に異常児童の取扱に関する相談の求めに応ずる。  (八)精神文化 婦人文化に関する諸般の事項を報告するの機関として本研究所に於て「婦人文化」と題する月刊雑誌を刊行せしが、昭和元年これを改めて「精神文化」と題し、爾来引き続き毎月一回定期にこれを刊行して居る。これは精神文化に関する知識の普及を図るを目的として、目下は宗教の通俗講話を誌上に掲げて居る。  (九)刊行物 本研究所に於ては右の定期刊行物の外に随時、小冊子を編纂刊行する。これまで公にしたる刊行物の主要なるものは次の通ほりである。  愛児の服装 釈尊の教 児童の教養 親鸞聖人の宗教 迷信の研究 婦人文化 真実の道 内観の法 弥陀教 倫理と宗教 新釈実語教 諸法童子教 宗教生活 東京市麹町区内山下町一丁目一番地東洋ビルデング四階 中山文化研究所 所主 中山太一 所長 文学博士 医学博士    富士川游 講話 宗教生活 文学博士 医学博士 富士川游   思ふに、我々の日常生活は貧欲・瞋恚・愚疑の三毒に満ちたもので、これを除いて我々の心の中には何物もないのである。我々はどうにかしてこの三毒の煩悩がなくなるやうにと念願せざるを得ないのであるが、それは、学問によりて得らるべきでなく、道徳によりて達せらるべきでなく、ただ我々が正しい宗教生活を営むことによりてのみ成就せらるべきことである。此書は講師が親鸞聖人の言行を伝へたるものとして知られたる「歎異抄」の成文に拠りて、婦人精神文化研究會に於て、宗教生活の方針を説かれたものを筆録したものである。講述は平易で、誰人にも理解せらるべきものである。この道に志す人々にとりて牌益があることと信ずる。 発行所 中山文化研究所