宗教生活  文学博士 医学博士  富士川游述  東京中山文化研究所 はしがき 一。この小冊子「宗教生活」と題するものは、昭和九年八月以降東京中山文化研究所に於ける婦人精神文化研究會の席上にて、余が十数回に渉りて講演せるを筆記したものを本として、これを一冊の単行本としたものである。 二。講演は書籍の体裁にて所見を筆録したるものと異なりて、演述の中途不意に考へつきたることをも漏すことがないから、講演の筆記には普通の筆とは別の意味に興味があることを信ずる。それ故に、講演筆記のまま、故らに文章のに修正を加ふることなく、ただ字句を修正したのみで印刷に附したのである。 三。講演の筆記は中山文化研究所の秋山不二、菊池弘爾女史の手を煩はしたのである。前半は秋山子、後半は菊池子、爾女史の筆記には多少、その特色をあらはして居るが、しかし大体に於て忠実に余の所述を筆記せられたのである上に、余自からそれに筆を加へたのであるから一人の筆記になつたものと思はれるほどである。ここに謹んで爾女史の勞を謝する。 四。思ふに我々の精神生活は貧欲・瞋恚・愚痴の三毒に満ちたるものである。この三毒の煩悩を除きて我々の心の中には何物をも存せざるのである。さうして、我々がこの煩悩を有しながら、いろいろ環境に応じて生活するがためには無論智慧をはたらかせねばならぬ。しかも我々の智慧のはたらきは此の如き煩悩の心にて苦しめらるるところの矛盾から脱することが出来ぬ。智慧のはたらきとして尊重すべき道徳も、それが実践不能と知らるれば更に苦悩を加ふるのである。我々はどうしても智慧の範囲を出でて感情の世界に生活せねばならぬ。我々がこの煩悩具足の身を持ちながら自由平安の道を進み行くことの出来るのはただ宗教の心の世界のみである。余が此小冊子はこの辺の意味を明かにするがために親鸞聖人の宗教的生活の姿を、「歎異鈔」の記述によりて説明したものである。 五。さきに、「宗教生活」第一及び第二として、世に公にしたのはこの書の原稿で、その刊行部数も僅少であつた。今その原稿に訂正を加へ、これを世に公にすることになつたのは一に厚徳書院長宗氏の厚意による。謹で一言を附してその厚意を謝する。  昭和十二年二月下院  東京中山文化研究所にて  富士川游記す  改修宗教生活目次  人間の世界  宗教の生活  親鸞聖人の生涯  関東滯在  京都隠棲  貧苦忍受  念仏の真義  邪義の問題  率直の性格  諍論を避く  平和の状態  歎異抄  弥陀の本願(一)  弥陀の本願(二)  弥陀の本願(三)  宇宙精神  真如  阿弥陀仏  如来  往生  念仏  即得往生  法性の都  名號  信ずる  阿弥陀仏の心  成仏の道  現相の否定  修行生活  人間性を離る  智慧のはたらき  現相の肯定  物に使はれる生活  地獄一定  念仏生活  本願信順  摂取不捨  念仏の邪義  往生極楽の道  往生の要  念仏往生  信心と念仏  金剛不壞  宗教上の信  善人と悪人  人間悪性  悪人往生  善人往生  熊谷直実  法と機と  教訓の態度  自力作善  他力の意義  往生の根機  本願と念仏  悪人成仏  不思議の世界  慈愛  真の愛  愛を受けず  慈悲  聖道の慈悲  慈善の行為  殺身為仁  浄土の慈悲  自力の慈悲  孝養  世間の孝  孝経  孝養のための念仏  自力の善  六道四生  師匠と弟子  真の師弟  三の髯  人師を好む  弟子の争奪  信樂房  四海兄弟  縁あれば附く  師の恩   自由の生活  無碍の一道  念仏の法  信心の行者  罪悪と念仏  他力をたのむ悪人  自然の大道  非行非善  自力の計度  往生の不審  自責の念  開法不十分  信心歡喜  歓喜と信心  暗黒と光明  人間性  断除煩惱  現実に生きる  無義を義とす  念仏の異義  雑信の法  誓願と名號  ただ不思議  南無阿弥陀仏  自行の念仏  他力念仏  名號不思議  凡夫の宗教  放逸無慚  不学に誇る  学問の要  知と信  受教と発心  難行と易行  法論  最上の法  学問の功  内省と宿業  善悪の宿業  宿業と宿命  業の説  善に誇る  悪を畏る  罪業深重  念仏と滅罪  滅罪の思想  懺悔と祈祷  報恩の念仏  減罪と往生  罪は障らず  平生業成  人間の苦悩  未来に期す  即身成仏  六根清淨  観念成就  来生開覚  理想の実現  現在と未来  心光照護  廻心  断悪の心  廻心と本願  願力を疑ふ  自然  釈迦教と弥陀教  報土の往生  辺地の往生  辺地往生の排斥  淨土三経往生  方便化土  三願転入  同一信心  信心の表現  機の信心  自力計度  人間虚仮  真実の生活  宗教生活  富士川游述  人間の世界  わたくしども人間が住むで居るところは物質の世界であります。物質の世界は限られたるものでありまして、決してわたくしどもの欲望を満足することが出来ぬものでありますが、わたくしどもはそれをば満足するやうにと念願して止まぬのであります。世の中は無常でありますが、それが常でありたい。中にも生命は常でありたい。死にたくない。永く生きて居りたい。出来ることならば何時までも生きて居て死ぬることのないやうにと願ふのであります。その次には楽しく暮したい。窮屈なる生活をせず、貧乏や災難に苦しめられず、いつも楽に暮したいことを願ふのであります。それから何でも自己の存分にしたい。我を通ほしたい。我を張りたい。どこまでも自分といふものを拡大することがわたくしどもの大きなる望であります。それから気持よく生きたい。かやうに人間には種々の欲望が有りまして、わたくしどもは常にこれを物質の世界に求めて居るのであります。しかしながら物質の世界は人間の種々の欲望を満足せしむることが出来ぬのであります。いくら死にたくないと願ふても、人間の身体は漸次に老衰して必ず死ぬものであります。生といふ始がある以上は死といふ終がなければなりませぬ。樂しく暮したいと願ふことは山々でありますが、実際人間の生活には波瀾がありまして、何時でも楽しいといふわけには行きませぬ。気持よく生きたいのは自己の利欲を満たすことの十分であることを願ふのでありますが、これも出来ぬことであります。自分の勝手のよいやうに、より多くのものを所有せむと願ひ、巳に得たるものをば失はぬやうに願ふのであります。名聞と利養とを専一として、すべての欲望を物質の世界に求めるのであります。さうして、かういふ欲望を有せるものが世の中にうじうじして居るのでありますから、我と他とを別ち、彼と此とを分けて、互にその欲望を達せむとうごめいて居るのであります。互に闘争して喧嘩がたえることはありませぬ。負ければ腹が立ち、勝てば人から怨まれる。まことに苦を飲み、毒を食い、心を勞し、形を困しめ、ひとへに欲望が達するやうにと願ふのでありますが、物質の世界はかやうに人間の欲望を達することが出来ぬのであります。  宗教の生活  かやうな人間の生活は、まことに煩雑の甚しきものでありますが、約めて言へば貧欲と瞋恚と愚痴の三毒の煩悩から成り立つて居るものでありまして、それを外にしては、わたくしどもの心には何物もないのであります。しかしながら、人間は我執の甚しきものでありまして、「我」といふものを中心として、「我」に都合の善いやうにと、得手勝手にその心をはたらかすものであります。それ故に、わたくしどもはすべてのものを自分の方に引き取らうとして常に貧ぼりの心を起してやまぬものであります。周囲のものが気に入らねばこれを排斥するのでありますが、若し自分の気に入ればこれを取り込みて飽くことがない。若し周囲のものが自分の思ふやうにならぬときには腹を立てる。さうして、周囲の一切の事が明瞭にわからぬために常に顛倒の心をあらはすのであります。まことに煩はしく、悩みをあらはすものでありますからこれを煩悩と名づけてつねに排斥せらるべきものであります。しかしながら、これを排斥し去ればわたくしどもの心は全く無くならねばなりませぬ。この煩悩生活を外にして人間生活は無いのでありますから、この煩惱を排斥すべきでなく、むしろこれが浄化せられて、貧欲の心が清められるやうに、瞋恚の思ひかやはらぐやうに、愚癡の暗が晴れるやうにとなることを期すべきであります。さうして、これはわたくしどもが正しい宗教生活を営むことによりて成就せらるべきことであります。私はこれにつきて、親鸞聖人の生活を想ひ出すのであります。まことに親鸞聖人の生活こそは、煩悩を有しながら、正しく貧ぼりの心が清められ、瞋りの思が和らぎ、愚癡の暗が消えた生活でありました。私はそれを正しい宗教生活であつたと考へるのであります。それ故に、私は次下に親鸞聖人の生活にあらはれたる宗教の心を挙げて、宗教生活の意義を示さうと思ふのであります。  親鸞聖人の生涯  親鸞聖人の宗教生活につきて、これから叙述しやうとするに先ちて親鸞聖人の生涯につきて大略のことを記して置かねばなりませぬ。宗教といひましても別に特別のものが、日常生活の外に存するのではありませぬ。日常の生活が宗教の心の上に行はれるのでありますから、その人の平生の生活のありさまを知ることは、その宗教生活を見る上に欠ぐべからざることであるためであります。  それもこれまで世間に行はれて居るやうな有難い物語をするのではありませぬ。親鸞聖人が宗教の生活を営まれた、その何十年の生涯の間に、公に知れ渡つた事実をばそのまま何の飾りもなく率直に申し上げるのであります。親鸞聖人の俗姓は本当には分つて居りませぬ。貴族藤原氏の出であると言はれて居りますが、それもよく分りませぬ。何処で生れられたかといふこともまた十分に分らないのであります。本願寺の第三世の覚如上人が書かれた「親鸞伝繪」――普通に「御伝鈔」と言はれて居るものは親鸞聖人を尊崇して浄土真宗の教義を説かれたものでありますから、実際の伝記といふべきものではありませぬが、その「御伝鈔」を見ますると  「与法の因うちに萠し、利生の縁ほかにもよほしし依りて、九歳の春のころ、阿伯従三位範綱卿干時従四位上前若狭守後白河の上皇の近臣なり。上人の養父。前大僧正悲円慈鑑和尚是也。法性寺殿御息月輪殿長兄の貴坊へ相具奉りて饗髪を剃除し給ひき」  まだ九歳の聖人が、すでに早く、自から、宗教の心を起して出家せられたやうであります。これは恐らくは事実に違いものでありませう。普通の人間が宗教の心として見らるべき敬虔の情をあらはすのは大抵十歳頃でありますが、固より宗教の上でいふところの発心の程度ではありませぬ。九歳位の子供が自から発心して出家するといふことは異例であります。それに、弟の尋有といふ人も、兼有といふ人も皆出家して居られるのであります。兄弟が三人揃つて出家して居られることから考へると何か出家せねばならぬ事情が家庭にあつたのでありませう。四歳の頃父に別れ、八歳の頃に母に別れられたといふことでありますから、親戚の家に生長せられたのでありませうが、結局出家して叡山に上ぼらねばならなくなつたのでありませう。叡山に上ぼられてから、堂僧をつとめて居られたといふことであります。これまで伝へられたやうに、叡山で多くの人々の目につくやうな華やかな学生の生活をせられたのではありませぬ。僅に堂衆の一人でありました。しかしながら、聖人の精神は外の僧侶とは違つて居りました。それまで行はれて居つた形式的で、さうして因襲的な仏教には好感を持つて居られなかつたので、一生懸命に仏教の学問をして自分が進むべき道を明かにしやうと力められたのでありませう。二十九歳の時には、とてもこれでは仕方がないと考へて叡山を降りられました。この時、親鸞聖人が叡山を降られたのを「御伝鈔」には隠遁といつてありますが、それ位に当時仏教といふものが本当の意味を失つて、僧侶はただ祈祷をしたり、読経をしたり、衣服を美麗にして朝廷や貴族の家などに出入することを榮譽と心得て居たのであります。親鸞聖人はかやうな情勢を厭はれまして、叡山を降りて黒谷の法然上人の許に行つて専修念仏の教を聞かれたのであります。法然上人の専修念仏は舊仏教に対する新仏教の唱道でありまして、世間の議論が八釜敷かつたのでありますが、到頭念仏は停止せられ、法然上人を始め数人の門弟は流罪に処せられることになりました。法然上人は専修念仏の頭目でありますから流罪になつたことは当然であるとしても、親鸞聖人がそれに巻添を喰はれる筈はないやうに思はれますが、どういふ訳か親鸞聖人も越後に流されました。それは承元元年、聖人の御齢が三十五歳の頃でありました。その時聖人には奥方がありまして、其間に子供が二人居られました。一人は今御前と申す女の子で、一人は即生房といふ男の子でありました。この奥方のことはよく分りませぬが、聖人が関東から京都に帰られた時にも生きて居られまして、聖人の御消息に今御前の母が病身であるから同情して貰ひたい、又即生房をよろしくたのむ旨のことが書いてあります。兎も角も親鸞聖人は此時巳に妻帯して居られたのでありますが、官の沙汰によりて涙と共に妻子と別れて越後の配処に赴かれたのでありませう。一説には妻帯の故に聖人が流罪となつたといふことでありますが、その点ならば聖人の先輩で法然上人の高弟たる聖覚法印も妻帯して居られたのでありますが、法印は流罪にはならなかつたのであります。  関東滞在  親鸞聖人が越後に居られました時に、恵信尼といふ奥方が居られまして、この奥方との間に五人の子供がありました。それは小里女房と、信蓮房と、益方入道道性と、覚信尼と、高野禅尼とでありました。この外に慈信房善鸞といふお方もありましたが、それは恵信尼より外の奥方の子でありました。この善鸞といふお方は後に常陸に行つて居られましたが異議を申し立てられたといふので聖人から勘当をされてしまいました。聖人は流罪放免の後四年の建保二年に、この六人の子供と奥方とを引き連れて越後から常陸へ赴かれました。信州から上野、武蔵の北部から下総を経て常陸に赴かれたのであります。伝には諸国教化のためとありますが、事実は巡教でなく、越後から直接に常陸に赴かれたのであります。何故に聖人が常陸に赴かれたかはわかりませぬが、恐らくは恵信尼の関係の人が常陸の稻田に居られたので、その因縁をたどりて、それに身を寄せやうとせられたのでありませう。何れにしても、聖人は稻田に著かれて、ここに草庵を立て説法せられたのであります。聖人が稻田に行かれたのは建保二年でありますが、この一時、聖人は人々の功徳のために三部経を千遍読まうと思ひ立ちてそれを始められたのでありました。それから十八年ほどの後寛喜三年に「念仏の外何ほどのことか心にかかるべき」と考へがつきまして、お経を読ことよりも、念仏が大切であるといふことにその考を改められたといふことが、後に恵信尼から息女の覚信尼に贈られた手紙に記されて居ります。これは、此頃、聖人が始めて読まれた「唯信鈔」の影響であつたかと思はれます。「唯信鈔」は聖人が尊敬して居られました聖覚法師が作つて聖人に贈られたものでありまして寛喜二年に聖人が自から写された本が伝はつて居るのであります。それから後、聖人は稻田を中心として、その地方に専修念仏の教を弘められました。それから約三十年近くの間稻田に居られましたが、どういふものか又妻子と別れて恵信尼は小供を連れて行かれ、聖人は弥女といふ末の娘の子と慈信房とを連れて京都に帰られました。この時その御齢は少くとも六十五歳であつたかと思はれます。  京都隠棲  親鸞聖人が京都に帰られましてから、始終お側について居た人に蓮位房といふ人がありますが、この人は下妻あたりの生れで、稻田にて聖人のお弟子となり京都に随従したものであります。聖人が京都に帰られて間もなく、息子さんの即生房といふ方と、そのおつかさんとは常陸の国に行かれまして、そこで死なれました。聖人は一定の住所もなく、或は五條西洞院の辺に居られたり、或は三條富小路の令弟の善法房(尋有)の持つて居た坊舎に居られたやうであります。七十五・六歳から始められまして、澤山のお経の講釈を書かれましたが八十六歳の幕の頃から少しく老衰の傾きが見えまして、著述もせられなくなりました。九十歳で大往生を遂げられたのであります。その時には越後に居られた実子の益方入道が病床を見舞はれ、臨終に侍せられましたので母親の恵信尼がそれを喜ばれて娘の覚信尼のところへ深切な手紙を贈られたのでありまして、この手紙にいろいろの様子が書いてあります。恵信尼はその時八十余歳でありまして越後に居られましたが聖人の臨終には遇はれなかつたのであります。同じ日本の国に生きて居りながら百里を離れて、夫は京都に、妻は越後に、別々の生活をして居られ、八十余歳の母親と、さうして京都に居る末の娘とは三十余年も面會することが出来ず、その娘御も巳に四十歳位になられて、理解がなかつたと思はれる夫にかしづき、小供の養育にも手がかかりて遠方の越後には赴くことも出来ず、僅かに同じ京都に居られて九十歳の高齢で今や往生せられむとする父親の病床に侍することが出来たのでありました。普通の人情から言へばまことに悲惨のことでありました。  貧苦忍受  かやうに親鸞聖人の一生はまことに波瀾の多かつた生活であると言はねばなりませぬ。四つの時に父親に別れ、八歳の頃に母に別れ、頼るべきものなく、兄弟三人ともに門に入られたのであります。世間で言へばまことに不幸なる孤児でありました。二十九歳の時に法然上人のもとに行かれまして専修念を修められたのでありますが、妻子を捨てて越後に流され、五年間も配処に蟄居して居られました。それから妻子を連れて稻田に赴かれまして三十年近くも念仏弘通に努力せられましたが、又京都に帰られたのであります。京都に帰られまして後の生活も普通の人々のいふやうな安樂ではなかつたやうであります。関東のお弟子から少々の金をおくられて非常に喜んだ禮状を出して居られるのを見ましても物質的に苦しい生活であつたことと思はれるのであります。だれにしても貧乏で食ふに困つた方がよいと負け惜しみを言ふことはありましても、心から貧苦を望むものはありませぬ。親鸞聖人でもさうであつたでありませう。しかし孔子の言葉が「論語」に  「君子は道を譲つて食を喋らず、耕すやその中にあり、学ぶや禄その中にあり、君子は道を憂へて貧しきを憂へず」 とあります。田畑を耕すのはその目的とするところ、食物を獲るためでありますが、しかし耕しても食が得られぬことがあります。餒といふのは飢であります。耕しても食ふに困ることがあります。学ぶといふことは道を謀るためで食ふためではありませぬ。道を謀ることであるから、食物は自からその中にあると言はれるのであります。親鸞聖人の心持もさうであつたのでありませう。固より貧乏することが好きではないが、貧乏することもまた巳むを得ざることである。貧乏はやむを得ぬが、しかしながら、そのために心を動かされないのが君子であります。君子は道を憂ひて貧を憂へざるのであります。聖人は貧苦を忍受してその心を二三にせられなかつたのでありませう。  念仏の真義  聖人が法然上人について始めて専修念仏の教を聞かれたのは二十九歳の時でありましたが、「念仏の信心より外に何事か心にかかるべき」と申されて念仏そのものが自分のものになつたのは五十九歳の時でありました。そこで親鸞聖人は自身に念仏の意義會得して、それが全然他力であることを信じ、念仏の信心より外心に掛ることはないと考られて、自分と同じ心掛のものを集めて念仏をすすめられたのであります。しかし、念仏をすすめると言ひましても他の人々に強いて念仏せしめられたのではありませぬ。固より親鸞聖人の念仏は新しい仏教でありましたから、古い仏教の方からは、反抗を受けたことも想像せられるのであります。殊に常陸は修験者の多いところでありまして、同じく天台の流を汲みながら、修験者は現世利益を主として、病気などに際して祈祷を主とするのでありました。この祈祷仏教に対してただ仏の名を称へて往生すべしと唱へられたる親鸞聖人の新仏教が衝突したことは当然でありませう。修験者の中には弁円といふものが主となりて親鸞聖人を殺さうとまでに仇敵視したといふことでありますが、しかしながら、親鸞聖人自身はそれに対して何等抗争をせられなかつた。又すこしも閉口もせられなかつた。自分は自分の信ずる道を進みて行く。若し同じ心の人があれば誰とでも一緒に行かうといふ、まことにやわらかな、さうして心の開けた態度でありました。それ故に、修験者の辨円もその態度に感伏して遂に志を翻してその門に入つたといふことであります。どこまでも相手を説き伏せて自分と同じやうにしてやらうといふやうな態度は親鸞聖人には毫も見ることが出来ませぬ。常に非妥協的でありましたが、しかしながらそれがどうでもよいと捨てて置かれたのではありませぬ。自分の御子息の慈信房善鸞が自分の親が自分にだけ伝へたものであるとて、念仏の秘義と称するものを振舞はして多くの人々を迷はしたといふので、聖人は慈信房を勘当されたのでありますが、その時の消息に  「あさましさ申す限なければ親とおもふことあるべからず、子とおもふことおもひきりたり」  とありまして実に厳格なる態度であります。義のためには親を滅すといふ語もありますが、親鸞聖人が道のためには決して志を枉げたまはざりしことはこの通ほりでありました。法然上人は其性穏和で妥協の傾きの多い人のやうでありましたが、親鸞聖人は全くそれと反対で、自分の信ずるところは確くこれを守りて、決して他と妥協せられなかつたやうであります。法然上人は、叡山の僧徒などが八釜敷言へばすぐに詫状のやうなものを書いて、その志を枉げても、その問題が平穏に解決するやうにつとめられたやうであります。又その教を弘むるためには権門にも出入して懇々とその教を説かれたやうであります。親鸞聖人の態度は全くこれに反して、すこしも妥協的の態度がなかつたやうであります。しかしながら、聖人は自から進むで他と闘争を構るやうなこともせられなかつたのであります。それ故に、非妥協的の態度ではありましたが、それによりて自から求めて敵を作るといふやうなことは毛頭見られなかつたのであります。修験者辨円の反抗に対しても決して妥協はせられなかつたのでありますが、それかといふて、進むでそれと抗争するといふやうな態度はなく、却て反抗するものをして自からその矛を納めしめられたのであります。  邪義の問題  親鸞聖人が越後に居られました時に一念の邪義といふ宗教上の騒動がありました。それは光明房といふ法然上人の弟子が居りまして、この光明房が近頃越後の方に邪義を申立てて居るものが居る。それは「信心をいただく一念に往生するのであるから念仏は一度申せばよい」といふ邪義であるといふことを法然上人に報告しました。当時、法然上人は讃岐から帰られて摂津の勝尾寺に居られたのでありますが、光明房のこの報告を見られまして大に立腹せられ、劇烈なる返書を光明房に送られました。この返書は漢文でありますが、その意味をいふと、未だ半巻の書を読まず、漢文を解する力なく、文義を曲解して一時を瞞著する横着坊主である、その人が「信知弥陀本願一念名號、即必得往生極樂、淨土之業、乃於是満足」といふは以の外である。かやうなものは附仏法の外道、獅子身中の虫である。かやうなものが弟子の内にありてはその迷惑が自分にまで及ぶと言つて甚しく罵倒して居られるのであります。この返書が果して法然上人の手に成つたものであるかどうかもわかりませぬが、しかし、法然上人の謹厳でしかも妥協的なる性格としてさうありさうなこととも思はれます。光明房の報告にある邪義の主張者といふは親鸞聖人を指したものであるといふ説があります。真宗の一派ではそれは親鸞聖人ではないといふことになつて居るやうでありますが、いろいろの点から見て親鸞聖人であつたかと思はれるのであります。多分光明房はよく聖人の所説をも知らず、ただ間接にこれを聞いたのみで、いい加減なことを法然上人に報告したのでありませう。法然上人はこの光明の報告を聞いて、腹を立てられて一も二もなく、此の如き過劇の返書を送られたのであるかと想像せられるのであります。しかしながら親鸞聖人はそれに対して極めて冷静なる態度を取られまして、かういふ騒動が起つて見れば此地に居ることは困難である。越後には緑があつてとどまらうと思つても、これでは居ることは出来ぬ。まことに厄介なことが出来て来た。多くの縁ある人々と別れて止むなくここを立たねばならぬと覚悟せられたのでありませう。しかしながら、世間の人々がよく言ふやうに、ここだけ日が照すわけではない、どこに行つても生活することは出来る、さつさつとここを逃げやうと捨鉢に出られたのではないやうに思はれます。さうして、それほどまでに罵倒せられた法然上人に対して、どこまでも、上人を師匠と仰ぎて「よき人の仰を蒙りて信ずる外に別の子細なきなり」と感謝して居られるのであります。故らに弁明することをせず、又敢て抗議をすることもせず、たださういふ場合に遭遇した自身の宿業に泣いて忍従するのみであるとせられた親鸞聖人の態度はまことに美しいものであります。真に宗教生活そのものでありました。  率直の性格  親鸞聖人は智慧者と許されるやうな人ではなかつたのであります。法然上人は智慧第一の法然房といはれたほどの智慧者でありました。さうして、極めて才子肌の人でありました。親鸞聖人の性格は法然上人と異なりて、頗ぶる率直でありました。その言行は誠意に満ちて自分が信じて居るその心持を腹の底から出して相手の心の中に入れるといふ態度でありました。自分の心を其儘に言葉に出されたやうでありました。自分は念仏の教を信じて弥陀の誓願不思議にたすけられることを喜んで居るのである、若しそれが得心出来れば共に喜ばう若し得心が出来ぬとあれば致方がないといつたやうに、自分の正直なる心をば少しも飾らずに相手の胸の中に置くといふ態度でありました。誰にしても野心があれば世渡り上手にせねばなりませぬが、親鸞聖人は名利に執著せられなかつた、野心もなかつた。それ故に八方美人といふやうなことをば毛頭せられなかつた。「何を教へて弟子といふべきか」といふやうなことを言つて、人の師と名乗ることを避けられました。しかも「名利に人師を好むなり」と痛く自からを誡めて居られたのであります。法然上人はしばしば弟子といふことを言つて居られますが、親鸞聖人は弟子一人も持たずと断言して居られるのであります。親鸞聖人にとりては世の中の一切の人々が皆同一の対手でありました。誰人でも志を同じふするものは同朋でありました。喜びを同じふするものは同行でありました。それ故に、安心を傾けて少しもおそるるところはなかつたと言つて差支ありませぬ。たとひ自分に随従して居つたものから異解者が出やうとも、少しも腹を立てられたやうなことはありませぬ。関東の教団への御消息に  「念仏を誇る人を憎まずして念像を人々申して助けむとおもひあはせたまへとへとこそ覚え候へ云云」 とありますが、これを見ても、いかにも親鸞聖人は一切の人を包容して、これを捨てられなかつたといふことがよくいはれるのであります。  諍論を避く  親鸞聖人が令息の慈信房に宛てて送られたる御消息の中に、次のやうなことを書かれたものがあります。  「真仏房、性信房、入信房、此の人々のこと承り候、かへすがへす歎き覚え候ども力及ばず候、又余の人々の同じ心ならず候らんも力及ばず、人々の同じ心ならず候へば、兎角申すに及ばず、今は人の上も申すべきにあらず候、よく心得たまふべし」  これは察するに、慈信房から聖人に向けて真仏房たちのことを何かわるく申し上げたのでありませう。普通の人であれば最愛の息子の言ふことでありますから、かやうな讒言をば取り上げて、その人々との間の仲が割かれるものでありますが、親鸞聖人はすこしも相手とせず、まことに慨嘆の至であるが、如何ともしがたい、自分の力に及ばぬと軽く取扱つて居られるのであります。いつでもかういふ場合に人と人との間に感情の衝突が起り、それからそれと、もつれて行くものでありますが、親鸞聖人は此の如き場合でも平然として人の事を申すべきでないと言つて居られるのであります。又かやうにして銘々が得手勝手を言ひつのるそこに諍論といふものが起るのでありますが、親鸞聖人は諍論のところにはもろもろの煩悩が起るものであるから、これを遠慮すべきであると、経文を引いて人をも誡めて居られるほどでありますから、御自身にも、その言と行とに於て、常に諍論を避けることをつとめられたのでありませう。  平和の状態  かやうに、親鸞聖人の生涯を考へて見ますと、まことに平和なる精神の状態であつたといふより外はありませぬ。家庭の事情を始めとし、何十年琉寓の間に、周囲との関係に於て、さぞ自分の気に入らぬことが多かつたでありませうが、聖人はすこしも苦情がましいことを申しては居られませぬ。波瀾の多い生活であつたにもかかはらず、不平の言葉がひとつもなかつたのであります。自分をゑらいものにして自から起つて人の師とならむといふやうな驕慢の態度もなく、ただ己れを空しうして、如来の大悲にすがり、念仏して往生しやうとせられたのであります。その譲慮の心は何れの方面にもあらはれて、和らかに静かに浮世の波のまにまに何十年の生活をせられたのであります。これは固より聖人の性格にもよることであらうと思はれますが、しかし、聖人にしても凡夫の迷情を離れられたのではありませぬから、名利愛欲の迷の心が全く無かつたのではなく、ただ時々に起るところの名利愛欲の迷の心をば如来の慈悲の前に慚愧せられたのでありませう。約めて言へば、真実の意味に於て念仏生活をして居られたために、かやうな平和の状態をあらはされたものでありませう。これまことに我執を離れたる生活であります。我執を離れたといひましてもそれは固より我執を除き去つたといふことではありませぬ、我執は人間の本性であるからこれを除き去ることは出来ませぬ。ただ善くその我執を始末して、我執のために頑惱が増上することを止めて、貪ぼりの心が和らぎ、瞑の思が静かになり、物の道理が辨へられるやうになるのであります。  嘆異鈔  親鸞聖人の宗教生活が、かやうに平和なる精神状態であつたことに就て、くわしく、その心持を考へて見るために、これから「嘆異鈔」にあらはれたる聖人の言葉を挙げて、それにつきて深く考へて見やうと思ふのでありますが、先づ「嘆異鈔」と申す書物のことに就て一応の説明を致して置きませう。「嘆異鈔」は本派本願寺の「真宗法要」には巻八に収めてありまして、四十一葉ばかりの小冊子でありますが、しかしながら、その内に、親鸞聖人の念仏につきての心が十分明かに説明してあります。その本文の前に小序がありまして、それに次のやうなことが書いてあります。漢文で書いてありますが、読み易いやうに、仮名交りの文章に直して見ると、次の通ほりであります。  「竊《ひそ》かに愚案をめぐらして粗ぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思ふに、幸に有縁の知識によらずば、いかでか易行の一門に入ることを得むや、全く自見の覚悟を以て他力の宗旨を乱ることなかれ、よりて故親鸞聖人の御物語の趣き耳の底に留まるところ、聊《いささ》かこれをしるす、偏に同心行者の不審を散ぜむがためなりと、云云」  これによりて見ますると、「嘆異鈔」は親鸞聖人がおなくなりになつてから、異見異解が盛にあらはれたることを嘆き、直接に聖人に聞きたるところによりて、その念仏の意義を明にして、同行の疑を散ぜむとすることを目的として造られた書物であることは明かであります。さうして、この「異鈔鈔」を造つた人はよくわかりませぬが、或は如信上人であると言はれ、或は如信上人であると言はれ、或は唯円坊の作であるとも言はれて居るのであります。何れにしても親鸞聖人に面接して、直接にその教を聴いた人が、その聴聞したことを本として書いたものであります。これだけの事実さへ分つて居れば、著者の詮索はどうでもよいと言はねばなりませぬ。  弥陀の本願(一)  「嘆異鈔」の第一節には先づ弥陀の本願につきて、次のやうに説いてあります。  「弥陀誓願不思議ニ、タスケラレマヒラセテ、往生ヲバトグルナリト、信ジテ、念仏マフサント、オモヒタツココロノオコルトキ、スナハチ摂取不捨ノ利益ニアヅッケシメタマフナリ、弥陀ノ本願ニハ老少善悪ノヒトヲエラバレズ、タダ信心ヲ要トストシルベシ、ソノユヘハ、罪悪深重、煩惱熾盛《シシヤウ》ノ衆生ヲタスケンガタメノ願ニマシマス、シカレバ、本願ヲ信ゼンニハ、他ノ善モ要ニアラズ、念仏ニマサルベキ善ナキユヘニ、悪ヲモオソルベカラズ、弥陀ノ本願ヲサマタグルホドノ悪ナキユヘニト云云」  これは、その文句の上から見るに、弥陀の本願を信じて念仏まふすことが、我々の生活を進めて行く上に最も大切であるといふことを第一に説かれたものであります。前にも言つたやうに、我々の平生の生活は貪欲・瞋恚・愚癡の三毒の煩惱から出来て居るものでありまして、我々はいつも、この三毒の煩悩に使はれて苦しみ悩みながら迷の世界を離れることが出来ぬのであります。それ故に教に従ふて仏道を修行して、貪欲の心を無くし、瞋恚の情を鎮め、智慧を研いて物の道理をさとることをつとむれば、その迷の心から離れて生活することが出来る筈であります。しかしながら実際に於て教の通ほり修行することの出来ぬ我々のことでありますから致方がありませぬ。さういふ内観が十分に徹底すると、「自分をたのめ、必ず真実の国へ生れしめるぞ」といふ声が聞えて、それによりすがりて、その仏をたのむより外はありませぬ。仏をたのむ方から言へば、自分の心のはたらきでありますが、その心があらはれて来るのは阿弥陀仏の本願であるとせねばならぬのであります。  弥陀の本願(二)  阿弥陀仏の本願とは阿弥陀仏の本因の誓願といふ意味であります。阿弥陀仏がまだ仏となられぬ前に菩薩であつたときに起したまへる志願を指していふのであります。すべての菩薩は先づ一の志願を起して修行して後に仏となりたまふのであります。それを本願といふのは仏になることを期して修行を始めたる菩薩(それを因位の菩薩といふのであります)が、その因位の菩薩が修行の本因として起したまふた誓願であるといふ意味であります。そこで阿弥陀仏の本願、略して弥陀の本願といふことの説明をここで致さうと思ふのでありますが、全体、この阿弥陀仏の本願といふことは「大無量壽経」にくわしく出て居るものであります。それを約めて説明するときは、大略次の通ほりであります。  「むかし、今から何萬年か何億年かわからぬほどのむかしに、世自在王(又は饒王仏)と名づくる仏がありまして、ところがその時、ある国王がこの仏の説法を聞きまして、道心を起し、国王の位を棄てて沙門となり、法蔵と名乗り、世自在王仏に就て教を請ふたのであります。そこで世自在王仏は法蔵菩薩のために、十方諸仏の国土を説き聞かされました。法蔵菩薩はこれを聞きまして、それから永いあいだ深く考へまして、四十八通ほりの志願を立て、その志願を達するために修行して遂にそれが成就して阿弥陀仏となられました。さうして、この四十八通ほりの志願が一々細々と説いてありますが、しかしながらその主なるものは第十八番目の志願でありまして、それは「願はくは、自分が仏になつたとき、一切の衆生が至心に信樂して真実の国に生れたいといふ心を起して自分の名を念ずれば、自分はその衆生をして真実の国に往生しめるであらう、若しそれが出来ぬならば自分は仏にならぬ」  かういふ意味の志願であります。これがここに弥陀の本願と申されて居るものであります。  弥陀の本願(三)  かやうに「大無量壽経」に説いてある阿弥陀仏の本願のことは、釈尊が王舎城外の耆闍崛山の中で、多くの人々を前に置いて阿難に向つて話されたといふことでありますが、年代も何時のことかわからず、その話の中に出て来る人々の歴史もすべて明かでありませぬから、無論、さういふ歴史上の事実があつた訳でなく、それかと言つて、それが神話とか伝説とかといふやうなものであるとも言はれませぬ。何れにしても、宗教の心のはたらきといふものは現実の我々の心の状態の上にあらはれるものでありますから、この阿弥陀仏の本願も我々の宗教の心のありさまとして考へらるべきものでありませう。親鸞聖人はそれをば全く宗教の心持に受け取られまして「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて往生をばとぐるなりと信じて」と申して居られるのであります。まことに阿弥陀仏の本願は不思議であると申すより外はありませぬ。我々がいかやうに思議しやうとしても、思議することの出来ぬ不思議の本願でありますから、我々はただその不思議にたすけられて往生をとぐるのであると信ずべきことでありませう。さうして、さう信ずることの出来る心のはたらきがすなはち宗教の心と言はるるのであります。しかしながら、さういふことが果して事実であるかどうかといふことを思慮詮索することによりて、宗教の心があらはれるのではありませぬが、宗教の道へと進まふとする人々にありて、さういふ宗教の心のあらはれる筋道を知ることは大切のことでありますから、そのことにつきて少しばかり理論的に説明致しませう。  宇宙精神  「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて往生をばとぐるなりと信ずる」ことの出来るやうな宗教の心の強いものに取りては別に何もいふべきことはありませぬが、宗教の心がさういふやうにあらはれて居ない人々にありては、阿弥陀仏の本願といふこと、それ自体が理解出来ない事柄でありませうから、少しく理屈にわたるやうでありますが、一と通ほり、そのことにつきて説明することが必要であらうと思ひます。一体、宇宙の一切の現象は種々雑多でありますが、その現象のすべてのものは「靈」を有するものであると信じ、それは我々人間と同じやうに考へたり、行つたりするものであると考へるのが幼稚なる精神を有する人間の常であります。今日でもその精神の発達が幼稚であるところの児童はこれと同じやうな考を持つて居るものであります。それが少しく進歩すると、宇宙の現象から「靈」を除き、そのすべてをば器械的に説明しやうとするやうになるのであります。それから更に進歩して今日の自然科学の知識にては理学とか、化学とか或は数学などの力によりて宇宙の一切の現象の間に行はれて居るところの自然法則が認められることが重なることとなるのでありまして、「靈」といふやうな考は全く無くなるのであります。そこで、我々人間の身体を分析して見れば炭素とか窒素とかといふやうないろいろの原案に分れてしまふのでありますが、しかしながらその原素を集めて見たところで生きた人間は出来ぬのであります。それ故に、我々人間が生きて行くといふことは、どうしても普遍的の自然の因子がなくてはなりませぬ。精神もまた身体の一部分でありますが、それを精神と分けて考へるときは、どうしても普遍的の精神といふものが本となりて、それから一切の精神をあらはすものと信ぜねばなりませぬ。かやうに、我々はいろいろの方面から考へて、どうしても、宇宙に精神といふものがあると信ぜねばならぬのでありますが、それを名づけて宇宙精神といふのであります。  真如  仏教にて真如と名づけられるものは、哲学の上から見れば宇宙の根本で、一切の現象の基礎であるとせられて居るのでありますが、しかしながら、これを宗教の意味から見れば、ここに私が言ふところの宇宙精神に外ならぬものであります。前にも一寸言つたやうに、宇宙には普遍的の精神といふものがありまして、我々の精神はこの宇宙精神の一分をば宇宙より受けたるものであると考へねばなりませぬ。勿論、これは「靈」といふやうな限局的のものではありませぬ。幼稚なる精神を有する人々が考へるやうな「靈」が独立して、しかもそれが限局して、たとへば幽霊とか、靈魂とかといふやうなものにて存在するといふ意味ではありませぬ。ここに私が精神と申すのは全く精神的にいふのでありまして、我々の精神のはたらきは、全く宇宙の精神のはたらきであると申すのと同じことであります。我々の精神は言ふまでもなく、我々の身体のはたらきとしあらはれて来るのでありますが、しかしながら、それがどうしてあらはれて来るかといふと、どうしても、それは宇宙精神が我々の身体を通じて発露したものであるとせねばなりませぬ。かやうに、宗教の上から考へられたる宇宙精神は仏数で真如と名づけられて居るものでありまして、真如といふ文字にても示されて居るやうに全く「マコト」の心であると考ふべきであります。ただし、「マコト」と申しましても、普通に我々が「ウソ」に対していふところの「マコト」ではありませぬ。普通に我々が「ウソ」とか、「マコト」とかといふ相対の考を離れたるものであります。それ故に真如とは我々の言語や思慮を離れたるものであるとまで説明せられて居るのであります。  阿弥陀仏  宇宙精神たる「マコト」は宇宙に充ち満ちて居るのであります。宇宙の現象は種々雑多でありますが、その一切のものは皆、この「マコト」の一部分に外ならぬものでありますから、宇宙精神の方から言へば、宇宙の一切のものは皆その中に取り込まねばならぬのでおります。その一部分たる個々の現象の方から言へは宇宙の個々の現象はすべて宇宙精神の中に取り込められねばならぬのであります。卑近なる譬喩を挙げて言へば、父母の両親から数人の小供が産れ出でまして一個の家族が造られた場合を考へて見ますると、その人の小供は皆、親の身体から分かれた部分でありますから、親はその一部分たる小供をばどうしてもその中に取り込まねばならぬのであります。若しその小供が病気でもしますと、それは自分の一部分が病気をするのでありますから、親は苦悩を感ずるのであります。若しその小供が生長して素行がよくないといふやうなときにも親は苦悩を感ずるのであります。これは言ふまでもなく、親はその一部分であるところの小供をばその中に取り込みて一個の全き家族をつくらねばならぬからであります。しからざれば家族が成り立たず、従つて親もその自分が成り立たぬからであります。ここに自分の中に取り込むと申したことを仏教の言葉にて摂取不捨といふのでありますが、親としてはその小供を摂取して捨てないやうにと一生懸命につとむるのであります。宇宙精神をば我々の親とすれば、我々はその一部分であるところの小供に外ならぬものであります。この真如すなはち宇宙精神たる「マコト」が我々の心をその中に取り込まふとして動き出したのが、すなはち報身の如来とせられるのであります。  如来  如来といぶ言葉は、更にこの意味を明かにしたものでありまして、それは真如より来生するといふことを示すものであります。宇宙精神の一部分たる我々の心を取り込まふとして宇宙精神が動き出したのでありますから、それは宇宙精神たる真如から来たりて此世に生ずるといふ意味に取られるのであります。仏教の学者の説明によりますと阿弥陀仏といふ印度の言葉は阿弥陀と仏との二個の言葉から成り立つものでありまして、阿弥陀とは「アミタユース」(無量壽)又「アミターブハ」(無量光)といふことを意味し、仏は仏陀(ブットハ)の略字で覚者といふことを意味するものであると言はれて居ります。何れにしても阿弥陀といふことは時間的にも又空間的にも無限であることを示すもので、広大無辺の力を有する覚者といふほどの意味でありますが、しかしながら、それはさう理解するのでありまして、全く智慧のはたらきであります。それに対して、宇宙精神の一部分たる我々が、我々を目あてとして動き出したる宇宙精神の力を感じて、まことにそれは不思議である、ありがたいことであるといふ宗教的の感情があらはれたときには、その宇宙精神の一部分たる阿弥陀仏を如来として尊崇するのであります。  往生  「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて往生をとぐるなりと信じて」とあります文句の内で、阿弥陀仏の本願のことは、今まで大略これを説明いたしましたから、これから「往生をとぐるなり」といふことにつきて説明して置きませうと思ひます。往生といふ文字は往いて生れるといふ意味でありますから、どこへ往くのであるかといふことが第一の問題であります。「大無量壽経」に記してある誓願の文句には「我国に生れむと欲するもの」とありますから、阿弥陀仏が自から言はれる我国すなはち阿弥陀仏の国へ往くべきでありませう。「大無量壽経」に釈尊が阿難に向つて法蔵菩薩が成仏せられたことを説かれたところに「法蔵菩薩今すでに成仏して現に西方にましますここを去ること十萬億の刹なり、その仏の国土を名づけて安楽といふ」とありまして、阿弥陀仏の国は安楽と名づけるとことわつてあります。安樂世界は普通に浄土と申されて居るところでありまして、それは西方に位して、ここを去ること十萬億の刹とあります。刹とは仏土のことで、一仏土とは三千世界のことで、それが十萬億でありますから、はかり知られない遠方といふほどの意味でありませう。しかしながら、そのことにつきましては専門家の中にはいろいろの議論もあるやうでありますが、宗教の心から申せば、それは阿弥陀仏の世界であると申すより外はありませぬ。さうして、宗教の上にて考ふべきことは我々の心でありますから、世界といつても、それは我々の心のことであります。それで、実際、我々はそれぞれ自分の心の世界を造つてその内に生活して居るのであります。娑婆世界と申されるのはすなはちそれでありまして、世界とはいひましても其実は我々の心の有様をいふのであります。勿論、山や川や街や人や鳥などの澤山に存して居る世界もありますが、それは地理的の物質世界でありまして、宗教の上で考へるところの心の世界ではありませぬ。宗教の上で考へるところの心の世界は全く主観的のものでありまして、自分の心の内のものであります。大体にかういふ根本のことをよく承知して置いてから、阿弥陀仏の国のことを考へねば、その真実の様子を知ることが出来ませぬ。たとひ自分の心の外に、いかやうな客観の世界がありましても、それが自分との関係を生ずるには、自分の心の中にあらはれたる場合であります。それを普通の物質の世界と同じやうに、地理的に考へて、ここから十萬億土の西方に阿弥陀仏の国があるとしてこれを自分の心の外に置いて考へるときは、その阿弥陀仏の国が極樂安易であると聞かさるれば、すなはちそこへ往きたいといふ希望が起るでありませうが、しかしながら、それは事実の宗教の心のあらはれたのではありませぬ。阿弥陀仏の国は阿弥陀仏の心の世界でありますから、その阿弥陀仏の心の世界へ往くといふ意味は、我々が銘々の自分の心の世界を離れて阿弥陀仏の心の世界へ入るといふことに外ならぬのであります。それが、宗教の意味にていふところの往生であります。  念仏  弥陀の本願はいふまでもなく阿弥陀仏の心のはたらきであります。その本願を不思議と仰いで、その本願のままにたすけられて阿弥陀仏の国へ往くのであると信ずるところに、我々の心は阿弥陀仏の心の中に這入つたものと考へらるべきであります。念仏といふことにも永い歴史がありまして、その心持も一様ではありませぬが、親鸞聖人の念仏は、阿弥陀仏がその本願を成就して得られたる名前(名號)を称ふるのであります。さうして、それは畢竟ずるに阿弥陀仏の本願が自分の心の上にあらはれたことを表現するものでありますから、念仏まふす心の起ることは取も直さず阿弥陀仏の本願が自分の心に到達したのであると感ずるによりて阿弥陀仏の心が自分の心にあらはれたといふことが信知せられるのであります。もつと、くわしく申せば、さういふ感じの起ることがすなはち阿弥陀仏の心のあらはれでありまして、自分はその阿弥陀仏の心のままに念仏まふすのであります。それ故に親鸞聖人は「念仏まふさむとおもふこころのおこるとき、すなはち摂取不拾の利益にあづけしめたまふなり」と説明して居られるのでありませう。  即得往生  親鸞聖人は、さういふ心の有様を「即得往生」と名づけて居られるのであります。それにつきて「一念多念証文」に次のやうな説明がしてあります。  「即得往生トイフハ、即ハスナハチトイフ、トキヲヘズ、日ヲモヘダチヌナリ、マタ即ハツクトイフ、ソノクライニサダマリツクトイフコトバナリ、得ハウベキコトヲエタリトイフ、真実信心ヲウレバスナハチ無碍光仏ノ御ココロノウチニ摂取シテステタマハザルナリ、摂ハオサメタマフ取ハムカルトマウスナリ、オサメトリタマフトキ、スナハチ、トキ日ヲモヘダテズ、正定聚ノクライニツキサダマルヲ往生ヲウトハノタマヘルナリ」  「唯信鈔文意」の中にも即得往生の説明があります。すなはち  「即得信心ウレバスナチ往生ストイフ、スナハチ往生ストイフハ、不退転ニ住スルヲイフ、不退転ニ住ストイフハスナハチ正定聚ノクライニサダマルナリ、成等正覚トモイヘリ、コレヲ即得往生トイフナリ、即ハスナチトイフ、スナハチトイフハトキヲヘズ、ヒヲヘダテヌヲイフナリ」  親鸞聖人の説明によりますと、不思議の本願を聞きて一念もうたがふところなければ、真実信心といふ、この信心をうれば往生することの出来る地位、すなはち正定聚の位に定まることが出来る、それを即得往生と名づくるのであると申されるのであります。これによりて見ましても、阿弥陀仏の国へ往くといふことも、全く我々の心の世界の上にて言はれるのであることは明かであります。地理上の甲の国から乙の国へ往くといふやうな意味に取るべきものではありませぬ。  法性の都  親鸞聖人は阿弥陀仏の国を指して、又法性のみやこと言つて居られるのでありますが、極楽とか、浄土とかといふやうな言葉に比すれば、意味が判然として居ると私は考へます。法性といふのは真如のことでありますから、それは真如の世界であります。すなはち「マコト」の世界であります。それを譬喩的にしかも我々人間の普通の心持にて例を挙げていひますと、法性の都は本と我々の生れたところであります。しかるに我々はこの法性の都を迷ひ出でてこの娑婆世界に苦悩して居るのであります。哲学的にいへば、我々人間は他の一切のものと同じく、みな法性すなはち真如から出て来たものと考へられるべきであります。阿弥陀仏はそれをあはれみたまひて、我々に呼びかけて本国の法性の都へかへれと仰せられるのであります。さうして、我々をしてその本国の法性の都へかへらしめることが阿弥陀仏の本願であります。それ故に物の道理のわからない我々でも、阿弥陀仏がかやうな本願を成就して得られたる名前(名號)を聞いて、そのいはれを知るときは、阿弥陀仏の本願のままに法性の都へかへることを喜ばねばならぬことであります。「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて往生をばとぐるなりと信じて念仏まふさむとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふ」と申される親鸞聖人の心の有様はまさしくかやうであつたと思はれるのであります。それが真実の宗教の心に外ならぬものでありませう。  名號  更に又、名號といふことにつきて少しく説明せねばなりませぬが、それは弥陀の誓願とあるのがすなはち名號であるといふことを申し上げて置きたいためであります。誓願不思議にたすけられるといふことは名號不思議にたすけられるといふことに外ならぬのであります。名號とは前にも一寸言つた通ほりに、阿弥陀仏がその本願を成就して得られたる名前でありまして、南無阿弥陀仏の六字がすなはちそれであります。文字からいひますと、南無とは帰命の義でありまして、平たく言へば仰せに従ふといふ意味でありますから、南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏の仰せに従ふといふことを意味するものであります。さうして、それが一とつの名前となつたのでありますから、この名號の中には一切の衆生をたすけるといふ本願を含むで居ると言はねばなりませぬ。たとへば「オツカサム(母親)といふ名號の内にはその小供を愛育するといふ本願を含むで居ると同じことであります。それ故に「オツカサム」と呼ぶところの自分の小供を見ては母親はこれをたすけずには居られぬのであります。これと同じやうに、南無阿弥陀仏は阿弥陀仏の名號でありますから、その名號を称へるものを見てはそれをたすけずには居られぬのか阿弥陀仏の心であります。さうして、かやうに、南無阿弥陀仏の名號を称ふることが親鸞聖人の言はれる念仏でありませう。かやうに、弥陀の本願のいはれを聞き聞きて、それを疑はぬのが「誓願不思議にたすけられまひらせて往生をばとぐるなりと信じて念仏まふすこころのおこる」と申される心の有様であります。  信ずる  「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて、往生をばとぐるなりと信じて」とありますが、これは要するに、ただ不思議と信ずるより外はないといふことであります。しかし、その信ずるといふことにつきては誤解もありますから、それにつきて一寸説明をして置く必要があります。不思議と信ずるといふからには信ずるとか信ぜぬとか、たのむとか、たのまぬとかといふやうな我々の思慮分別を離れて、心も言葉も絶えはてて、阿弥陀仏の本願の海に投入するばかりであるといふやうな考をする人もありませうが、それは法性の阿弥陀仏に対する考でありまして、阿弥陀仏の本願を信ずるといふのとは相異したものであります。法性の阿弥陀仏は固より色もなく形もなく我々の心も言葉も及ばぬ真如でありますが、その真如から来たりてこの娑婆世界にあらはれた阿弥陀仏はさういふ理仏ではありませぬ。ここに不思議といふのは阿弥陀仏の本願は我々の心に及ばず言葉にたえたものである。さうして、その不思議によりてたすかるわけはわからぬからそれにつきて彼や此やと思議すべきではないといふ意味であります。我々がたのむのをあてにしてたすからうと信ずるのではなく、念仏もふすものをたすけると信じて名號をとなへるも、自分がとなへるのをあてにして信ずるのではありませぬ。我が名號をとなふるものをたすけられる本願の不思議を疑はぬのであります。又これに対して自分の方をば極悪のものと思ふばかりにて、たすかるとかたすからぬとかと詮議するのははからひとなるとして、たださう案じづめにするのが信ずることのやうに思ふものもありませうが、決してさうではなく、たすかるまじき自分であるけれども誓願の不思議によりてたすけられることを聞きてただありがたさよと、いよいよ決定する心を指して阿弥陀仏の本願を信ずるといふのであります。それ故に阿弥陀仏の本願を信ずるといふのは本願を聞いて疑はぬことであります。  阿弥陀仏の心  かやうに説明してまゐりますと、「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて往生をばとぐるなりと信じて念仏まふさんと思ひ立つ心のおこる」といふことは、これを一面から言へば、我々の心が阿弥陀仏の心に取り巻かれて居るといふことを感知することに外ならぬのであります。我々の心もその根本を言へば宇宙精神たる「マコト」から出たものでありますが、うかうかとして深く内省しない間は、それが自分のひとりの心のやうに思はれるのであります。しかるに、我々にして若し深く自分の心につきて考へて、我々の心が「マコト」から出でで、しかも「マコト」でないことを知るとき、我々の心の周囲には「マコト」の心が充ち満ちて居ることが感知せられるのであります。さうして、その「マコト」はすべてをその内に摂取しやうとするものでありますから、さういふことが感知せられたときに、我々は自分の心が「マコト」の心に照らされてそれが暗黒のものであるといふことがますますはつきりと知らされるのであります。それが、すなはち摂取不拾の利益にあづかることのありがたさが感ぜられると言はれるのであります。  成仏の道  元来仏教には、小乗の法といはれるものと、大衆の法といはれるものとの二種がありますが、その小乗といはれるものは小さい乗物といふほどの意味で、多くの人が乗れぬ、ただ少数の人々のみが乗れるといふのであります。釈尊に親灸して親しくその教を聞いたといはれる人々の説いたものがそれでありまして、その教の大略を言へば「我々には肉体があるために煩悩が起るのである。それ故にこの煩惱を断つために先づ肉体のはたらきを断つことが必要であるとして、それがために言葉通りの苦行をする」のであります。しかし、それは小さい乗物でありまして、多くの人々には実行の出来ないことであります。それ故にそれは実際、宗教としては意味の軽いものでありますから、それは略しまして、大乗の教のことにつきてお話を致すのでありますが、大乗の仏教といはれるのは、むかしから我邦に行はれて居るところの仏教であります、大きな乗物で、多くの人々がこれに乗ることが出来るのであります。さうして、この大乗仏教にありて、その道を修行する目的は成仏でありまして、その何れの宗派でも皆ひとしく成仏といふことを目的として修行をつとめるのであります。  現相の否定  かやうに、大乗仏教にありて、その道を行ふことは成仏を目的とするのでありますが、成仏といふのは、我々人間が人間を離れて仏に成ることをいふのであります。そこで、我々のやうな虚偽に充ちた人間が虚偽のない仏になるのでありますから、第一に人間の現相を否定せねばならぬのであります。妄なる心と惑の心とを断じて正しき智慧を獲て、この世に聖者となることをつとめねばならぬのであります。従つて仏道に入りて修行するためには、家を捨て、欲を去り、さうして、一切の魔に打ち勝つことをつとめねばなりませぬ。それがためには、全く世間との交渉を断ち、妻子眷属を棄てて、自分ひとりで山中などに隠遁し専門に仏教を研究せねばならぬのであります。いはゆる出家をし仏門に入ることが必要とせられるのであります。しかしながら、それは実際、容易のことではありませぬ。  修行生活  かやうにして、大乗仏教の修行は、先づ戒を持することによりて禅定を得、それから禅定によりて智慧を得ることが期図せられるのでありますが、実際に於て最も貴ばれることは観念でありまして、それは哲学的思索によりて宇宙の真理をさとることをつとめるのであります。しかるに、親鸞聖人はそれを非難して、自性唯心に沈むものであると言つて居られるのであります。  「宋代の遺俗、近世の宗師、自性唯心に沈て浄土の真証を貶む、定散の自心に迷て金剛の真信に昏し」(教行信証信文類の序文)  理屈から言へば、我々の心も仏と同じやうに真如のあらはれでありますから、その本質質は仏性でありますから、我々の心の奥に潜める仏性をさとるために深遠なる観念を修行することが大切でありませう。しかしながら、実際に於ては、それは容易のことではありませぬ。又それによりて真実の宗教の心があらはれることもありませぬ。この場合、我々はただ彼れや此やとはからふのみでありますから、親鸞聖人が自性唯心に沈むものとして非難せられることは当然であります。  人間性を離る  大乗仏教にありて、修行生活が重く見られたために、観念によりて、宇宙の真理をさとることが主要とせられるのであります。真如は宇宙の根本として不生不滅のものであり、平等にして遍満のものであるが、我々の心は無明にして迷妄であるから生滅の相を免れることが出来ず、執著して事に迷へるが故に、この迷妄を離るることが修行の第一であるとせられるのであります。簡単に言へば人間性を離れることが重要とせられるのである。しかしながら、此の如き修行生活は要するに、人間の本性を無視したものである。人間の本性は、意識の作用の上に築かれたもので、さうしてその意識の作用が、仏教にて煩悩と名づけられるほどに醜悪の相をあらはして居るのであります。しかしそれは我々人間の本性でありますから、どうすることも出来ぬものであります。それにも拘らず、この現実の人間の相を無視して修行生活に進まむとする人々は、この結果として、現実を超越したる理想の郷に赴くことを企図し、自分ひとりを善くして、明浄の世界をつくらふとするに至るのであります。むかしから我邦にて名僧といはれた人々の中には此種のものが甚だ多いのであります。固より懈怠窮まりなき我々にとりては此の如き修行生活はたしかに、一杯の清涼剤たるに相違ありませぬが、しかしながらそれは到底、我々に実行の出来ることではありませぬから、その目的を達することは容易でないと言はねばなりませぬ。  智慧のはたらき  それに、深く考へて見ますと、かやうな修行生活をしやうとする心は、畢竟ずるに道徳の心でありまして、それは主に智慧のはたらきに属するものであります。道徳の心としては固よりかやうに勤めねばならぬのであります。肉的生活を軽んじて、その生活から離れるために禁欲の修行をすることが、いはゆる捨家業欲の目的とするところでありますが、さういふことは実際容易に出来ることではありませぬ、親鸞聖人はこのことにつきて、次のやうに言つて居られるのであります。  「常没の凡愚、安心修し難し、息慮凝心の故に、散心行じ難し、廃悪修善の故に、是を以て相を立て心を住むこと尚ほ成じ難し、故にたとひ千年の壽を尽すとも法眼未だ曾て開かずと言へり、何ぞ況や無相離念は誠に獲がたし」(教行信証)  智慧のはたらきでありますから、さうすることが善いと考へる。又さうせねばならぬと考へましても、親鸞聖人が言はれるやうに、我々には何れの行も及び難いのであります。いかに、現実の相を否定しやうとしても、内心の妄想はそれからそれへと起きて来るのを如何ともすることが出来ぬのであります。我々として妄惑を断ち正智を得ることは決して容易ではありませぬ。  現相の肯定  かやうな次第でありますから、大乗仏教でも、華厳・天台・真言・禪などの宗派にありましては、人間の現実の相を肯定し、それがその儘に功徳を具へたる妙体なりとして、即身成仏、すなはち父母所生の身を以てそのまま仏と成ると説き、或は是心是仏といひて、我々の煩惱の奥に仏性が存して居ると説くのであります。煩悩即菩提、生死即涅槃といふことは全くこの意味をあらはして居るものであります。しかしながら、我々はさういふ風に考へることは出来ても、事実は現にあらはれて居るところの妄想を征服せねば、それがその儘功徳を具へたものとはせられぬのであります。「煩惱は即ち菩提である」と聞けば煩悩にも価値のあるやうに思はれるが、しかし「生死は即ち涅槃である」と聞かされて、今すぐに死なふといふ心にはなれぬのが我々の心の常であります。  物に使はれる生活  我々の現在の生活は要するに心に物を思は思はせた心に使はれて自から身を苦しましめる生活であります。貧乏して居るものであれば常に財寶を得やうとして心配し、此があれば彼を欲して、種々の物を揃へて我物にしたいと思ふ、たまたま有つたと喜ぶも、それは夢の間で、すぐに無くなつて仕舞ふのであります。それがために、過去の事を思ひ、未来の事を考へて、いろいろと心を苦しませることは尊き人も卑しき人も、貧しき人も、富める人も皆同一であります。心に物思はせて、思はせた心に使はれて、一生涯少しも心の安まることはありませぬ。しかしながら、よくよく考へて見ますとかやうな我々の現在の生活は全く自分の心にて自分が造り出したものであります。我々が自分の心に使はれてさうして、世の中や、世の人々に対するがためにあらはれるところの心の世界であります。それ故に、理屈の上から申せば、我々は先づさういふ自分の心を改めねば、苦しみの世界から離れることは出来ぬ筈であります。大乗仏教にありて修行の道によりて現在の生活から離れるやうに、強く説かれて居るのもこの方面から見れば、当然のことでありませう。  地獄一定  此の如き、修行生活が仏教の掟であるとせられ、又釈尊の教であるとせられて、それを尊奉したる人々から見れば、親鸞聖人がその修行生活を排斥せられたることは釈尊の教に反し、仏教の掟に背くものとしてこれを非難せねばならぬことであつたと思はれます。修行生活が正統の仏教の道であると信ぜられたる時代に親鸞聖人の教は正に異端であつたとせられたのでありませう。しかし、我々にして若し人生の真相を直観して、法の如き修行生活が到底実行することの困難なることを知るときは修行生活は宗教の心をあらすためには意味のないものであります。若し又実際に行はれぬことを行はふとするときは、その結果、必ず自己を欺き、他人を欺くことになるのであります。尊の教に背き仏法の掟を守らないとすれば、地獄より外に行く所はないでありませう、まことに悲痛の極みであります。その罪はまことに深いものであり、その咎はまことに重いものであります。親鸞聖人はこの深き罪と重き咎とを自覚したまひて、修行生活を背にして、それと別れねばならぬといふ自己の心のあさましさを考て、悲痛の涙にくれられたことでありませう。  念仏生活  修行生活をなすものの心は、要するに、仏の心を自己の心に従はしめやうとするのであります。それ故に、犠牲や、その他の供物により、或は加持によりて、或は難行を忍ぶことにより、或は祈祷をなすことなどによりて、かかる行動が仏の心にかなふ結果、現世の功徳にあづかることが出来ると考へるに至るのであります。それ故に、外面から見れば厳粛なる行動も、その心の奥には功利的のものが存するのであります。親鸞聖人はかやうな修行生活をなすことの出来ぬ自分の心の醜悪なる相を見て、大にかなしみ、又大に恥ぢられたのであります。たとへて言へば、力なき小児が、自己の咎によりで答にて打たるるときに、自己が悪かつたといふことを自覚して、涙ながらに親の顔を仰ぎ見るといふ有様でありました。かやうにして、飽くまでも自己を空しくして、ひたすら仏の力にまかせ、自己をば全く仏の心に従はしめるのが念仏生活であります。さうして、それこそ宗教としての仏教の極致でありませう。  本願信順  極めて卑近の言葉にて言へば、我々の心の有様は常に煩惱でありますが、その煩惱を向ふへ置いてそれと相撲を取るといふ心持が修行生活であります。しかしながら、朝から晩まで、一瞬時も休まることなくして起るところの煩悶は無限でありますから、それを相手に相撲を取つても無駄でありませう。親鸞聖人はその自分の相を見て、自己の一切を棄てられたところに弥陀の本願といふものを感知されたのでありませう。感知とはその心の上に自から仏の力と考へられるものが浮んで来たものをさとることを言ふのであります。仏の心はかうであると考へるのではありませぬ。自分の心の中に仏の心と言はねばならないやうなありがたい心の起つて来ることをいふのであります。そこで親鸞聖人は弥陀の誓願不思議を仰いで、それに信頼し、その本願に信頼して念仏申さむと思ひ立つ心の起るとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなりと説いて居られるのであります。  摂取不捨  摂取不捨といふことにつきては、親鸞聖人がくわしく説明せられたものがあります。それは次の通りであります。  「たづねおほせられて候、摂取不拾のことは、般舟三味行道往生讃と申すにおほせられてさふらふを、みまいらせ候へば、釈迦如来、弥陀仏、われらが慈悲の父母にて、さまざまの方便にて、われらが無上の信心をばひらきおこさせたまふと候へば、まことの信心さだまることは、釈迦弥陀の御はからひとみえて候へば、往生の心うたがひなくなり候は、摂取せられまいらせたるゆへとみえて候。摂取の上には、ともかくも行者のはからひあるべからず。浄土へ往生するまでは、不退のくらひにておはしまし候へば、正定聚のくらゐとなづけて、おはしますことにて候なり。まことの信心をば、釈迦如来、弥陀如来二尊の御はからひにて、発起せしめたまひ候とみて候へば、信心のさだまると申ふすは、摂取にあづかるときにて候なり。そののちは正定聚のくらゐにて、まことに浄土へむまるるまでは候べしとみえ候なり。ともかくも行者のはからひ、ちりばかりもあるべからず候へばこそ他力とまふすことにて候へ。あなかしこあなかしこ」  これに拠りて見ますと、釈迦と阿弥陀との二尊が父母となつて、われわれをどうかしてたすけやう、どうか自分の心の中に生れて来るやうにといろいろに導いて下さるので、その御心が我々の心の中にあらはれるのが信心であります。さうして、その信心が感知せられたるときが、すなはち仏の心に摂取せられたのであります。すでに、一旦仏の心に摂取せられた以上はどうしても捨てられぬのであるとせられぬのが摂取不拾の利益と示されて居るのであります。仏の心はいかにしてか我々の心をその心の中に取り込まうとするのでありますから、その心から外れることは出来ぬのであります。  念仏の邪義  親鸞聖人が説かれましたのは、かやうに、「弥陀の本願を信じて念仏して浄土に往生すること」でありました。我々のやうな醜い心をもち、しかもその心の力が非常に弱いために教を守ることが出来ず、刻苦して修行することも出来ないものが、円満至高の心の境地に到るには弥陀の本願を信じて念仏することが唯一の道であると説かれたのであります。浄土に往生するといふことは、その内容から言へば、我々の心が円満至高の境地に達するといふのであります。しかるに、聖人が、常陸から京都へ帰られましてから後に、聖人の実子でありまする慈信房善鸞といふ人が関東に居られまして、父の親鸞聖人の教と違つたことを説きました。殊に現世縛りといつて吉凶禍福を祈ることをしたのであります。さうして、これは父の親鸞が秘密に自分に伝へたるものであるといふやうなことを言ひ触らして、しきりに迷信的の説を唱へたのでありました。親鸞聖人が慈信房に与へられた御手紙に「慈信房のくだりて、わがききたる法文こそまことにてはあれ、日頃の念仏みないたづらごとなりと、さふらへばとて、おほぶの中太郎のかたのひとは九十なん人とかや、みな慈信房のかたへとて中太郎入道をすてたるとかや、ききさふらふ、いかなるやうにて、さやうにはさふらふぞ」と詰責して居られるのを見ても、関東の門弟の内に慈信房の説くところによりて思想の動揺したものが多かつたことは、うかがれるのであります。又聖人が真淨房に与へられたる御手紙には「慈信房のまふすことによりてひとびとの日ごろの信たぢろぎあふておはしましさふらふも、詮ずるところはひとびとの信心のまことならぬことのあらはれてさふらふ」「慈信房にみなしたがひてめでたき御ふみどもはすてさせたまひあふてさふらふときとこゑさふらふこそ、詮なく、あはれにおぼえさふらへ」とありますが、これによりて見ますると、関東の人々が念仏のことにつきての理解が十分でなく、従つて念仏に異義が行はれて親鸞聖人の念仏が一部の人に捨てられたことは明かであります。それにかつて聖人の弟子であつた信樂房も念仏の行者は造悪無慚で差支ないといふやうな邪義を唱へたといふことであります。その外にも同じやうな邪義を唱へた人もあります。又その頃、日蓮上人が出でられて念仏をするものは無限地獄に堕つるといふやうなことを盛に唱へられたのであります。それに加へて、浄土宗の人々にの内にも一念義とか、多念義とか、又は有念とか、無念とかといふやうな、種々の説を唱へたものがあつたのであります。かういふやうな次第で、念仏の意義につきまして、関東の弟子の間に、不審が起りましたので、弟子の重なるものが打ち揃て京都の親鸞聖人の許に至りて、念仏の意義を質問するに至つたのであります。  往生極楽の道  そのことが「嘆異鈔」の第二節に載つて居ります。それは次の通ほりであります。  「おのおの十余箇国のさかひをこえて身命をかりみずして、たづねきたらしめたまふこ御こころざしひとへに往生極樂のみちをとひきかんがためなり、しかるに、念仏よりほかに往生のみちをも存知しまた法文等をもしりたるらんとこころにくくおぼしめしておはしましてはんべらんはおほきなるあやまりなり」  今日ならば常陸から京都までは汽車で行けばわけのないことでありますが、その頃の旅行は非常に困難で且つ危険でありましたから、身命をかへりみずして京都へ参つたと言はなければなりませぬ。生命の危険をもかへりみず、一生懸命に道を求めたのであります。真剣に考へて、往生極樂の道を聞くべく京都へ参つたのであります。しかし、その人々たちの心持は察するに念仏の意義を知りたかつたのでありませう。念仏すればどどういふ理由でたすかるのであるか、さうしてお経にはどういふやうに説いてあるかといふやうなことが知りたかつたのでありませう。今の人でもさうでありませう。念仏がどういふ意味で極樂に往生するの道であるか、念仏すればどうしてたすかることが出来るかといふことを知らうとするのであります。さうして得心がいつたらそれを信じて念仏しやうとするのであります。しかるに、親鸞聖人はそれに対して、極めてあつさりと、さういふことは知らぬと答へられたのであります。むしろ、質問をはねつけてしまはれたのであります。甚だ冷淡の挨拶で一向に取り合はれなかつたのであります。しかしそれは多くの人々が宗教を自分の心の上で彼や此やとはからふて居ることを誡しめられたのでありませう。宗教を心で取り上げて、概念的に詮議することは益がなくて害のあることであります。そこで聖人はさういふ質問をはねつけられたのでありませう。かやうに冷淡に、はねつけられたのは人々が概念の上で考をめぐらして居ることを先づ破壊しようとされた深切の心でありませう。  往生の要  念仏の外に往生の道があるかと聞かれても、自分はさういふことを一向に承知して居らぬ。又それに関する御経の説明なども更に承知して居らぬから、何とも答辨することが出来ぬ。若し自分がさういふことを知つて居ると思はれたならばそれは大なる誤であると親鸞聖人は言つて居られるのであります。  「もししからば南都北嶺にもゆゆしき学生たちおほく座せられさふらふなれば、かのひとびとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり、親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よき人のおほせをかうふりて、信ずる外に別の仔細なきなり」  自分としては、ただ念仏して、阿弥陀仏にたすけられるやうにと、善き人の仰せを聞きて、それを信ずる外には何の仔細もないと、かう親鸞聖人が弟子達に言つて居られることは明快であります。往生極樂の道を示して呉れた三国の高僧はみな善き人でありませうが、ここでは確かに法然上人を指したものであります。法然上人は我邦にて始めて専修念仏の宗派を独立せしめた人でありますが、その念仏のことにつきては「一枚起請文」に次のやうに言つて居られるのであります。  「もろこし、我朝にもろもろの智者たちの沙汰し申さるる観念の念にもあらず、また学問して念の心をさとりなどして申す念仏にもあらず、ただ往生極樂のためには南無阿弥陀仏と申して疑なく往生するぞと思ひ取りて申す外に、別の子細さうらはず、云々」  まことにただの念仏であります。元来、念仏といふのは仏を念ずるのでありまして随分古くから行はれて居たのでありますが、それは心の中に仏の相を念ずる(観像念仏)、仏の心を心の中に念ずる(観想念仏)、真如実相の真理を観ずる(実相念仏)、それから仏の名を称へる(称名念仏)のでありました。法然上人は故らに観念の念にあらずと断りて、さういふ観念の念仏を排斥して、ただ南無阿弥陀仏と仏の名を称へるべきであると説いて居られるのであります。しかし、仏の名を称へることも法然上人以前には読誦の一文であるとせられて一種の行でありました。早く言へば、数千巻の御経も、その要は南無阿弥陀仏の六字に尽きて居るのであるから、数千巻の御経を読誦する代りに南無阿弥陀仏を申せば同一の功徳がある位に考へられたのでありませう。  念仏往生  法然上人の前にも固より念仏を申した人は多くありました。中にも空也上人の如きは最も有名でありました。慧心僧都もまた念仏者の一人でありました。しかし、それは、一方にそれぞれ宗派の教を奉じながら、傍ら念仏するのでありました。さうして、この念仏は前にも申したやうに、お経を読誦すると同じやうな意味のものでありました。法然上人の念仏は、これに反してただの念仏でありまして、智慧と慈悲とかといふやうなものをつつかい棒にしないで、ただ仏の名を称ふるのでありました。「念仏は我々のやうな愚痴のものの往生する唯一の道である」と教へられたのでありました。それ故に、その教を受けたものは力を窮めて念仏を申したのであります。さうして、「往生の業は念仏を本となす」といふことが唱へられたのでありました。法然上人の言はれたことは現に、「南無阿弥陀仏と申して疑なく往生するぞと思び取りて申す」とありますから、弥陀の本願を信じて専心に念仏を申すべきであります。  信心と念仏  かやうに考へれば、念仏と信心といふことが問題となり、しかも、「念仏」が大切でなく、「念仏申さむと思ひつ心」が宗教の上から見て大切であります。「念仏」申すことには必ずしも「念仏申さむと思ひ立つ心」は伴はぬのでありますが、「念仏申さむと思ひ立つ心」は常に念仏を伴ふのであります。それは信心と念仏とが本と同一である上に、口にあらはるることはその心のはたらきに本づくものであるからであります。さうして、「念仏申さむと思ひ立つ心」の起るのは自身が愚劣のもので、仏の教に従ふことが出来ず、身命をも抛《なげう》ちて修行することが出来ぬから、地獄一定と自身の心を見かぎり、又自分の力を見かぎつたときであります。どうにかしなくてはならぬにも拘らず、どうすることも出来ぬ我々に取りて、ただ仏の名を称へることによりて往生することが出来るといはるれば、ただ仰てそれに信順するより外はないのであります。これは全く深く深く内観した態度であります。かやうにして、我々のやうなものが真実に生きるの道はこれより外はないと信ぜられるのであります。  金剛不壞  かやうに智慧に依らず、修行に依らず、心を浮くすることにも依らず、心に歓喜をあらすことにも依らず、さういふ我々自身の心を見限りて、弥陀の本願を信じて念仏を申すことが大切でありますから、念仏がどういふ結果にならうとも、それには頓着することなく。ただ念仏しで弥陀にたすけられまゐらすべしと、深く信じて動かぬのであります。それ故に  「念仏はまことに浄土に生るる種にてやはんべるらん、また地獄に堕つる業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり」 と言はれるのであります。更に又  「たとひ法然上人にすかされまゐらせて念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候、その故は、自余の行をはげみて仏になるべかりける身が念仏を申して地獄に落ちて候はばこそすかされたてまつりてといふ後悔も候はめ、いづれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定棲家ぞかし」 と言はれたのでありますが、これはまことに安心の極致でありませう。その心の堅固なることはまことに金剛不壞であります。いづれの行も及び難い身であると、自身の心とその力とを見限り地獄に堕つることが必定であるから、たとひ法然上人にだまされなくても地獄に堕つるのであるから、だまされたために地獄に堕ちたからと言つて、すこしも後悔することはないとまで、善き人の仰せをかうふりて深くそれを信じて疑わなかつたのであります。  宗教上の信  信じて疑はないといひましても、しかし、それが宗教上の信でない限り、ただの決心でありまして、金剛不壞のものではありませぬ。智慧のはたらきにては分らぬことであるから信ずるより外はないといふ。それは全く知識を延ばしたものでありまして、これまでに分つた知識を本としてまだ分らぬことを推定するのであります。宗教の上にて信ずるといふことは、かやうに、知識の不足を補充するといふ意味でなく、全く自分の心のはたらきを離れたときに知られるものでありますから、それはまことに金剛不壞のものであります。親鸞聖人はさういふ場合に感知せられる信心は、仏の心であると言はれるのであります。さうしてそれは沸の心が我々の心にあらはれて、我々はどうしてもそう信じなくてはならぬやうになるものであります。  善人と悪人  おほよそ世の中の多くの人々の心の態度といふものは固より種々様々でありますが、大体これを二通りに分けることが出来るのであります。その一つは我身をたのみ我が心をたのむ人、それでどうにかして自分の心を綺麗にして悪いことをしないやうに、なるべく他の人にも迷惑をかけないやうにまた、自分もその心のよくなるやうに心掛けて、結局仏になることを期待して居る人であります。かやうにして常に仏の心から離れないやうにつとめて行く人であります。これは宗教の意味にていふところの善人であります。しかし、此の如き人は我身をたのみ、我心を頼むことが強くして、自分の心の奥に入つて、自分が悪いと自覚することは極めて少ないのであります。自分をば外に向けて、なるたけ善いやうにつとめるのであります。深く内の方に入つてみれば自分の心の浅間しいことも分るのでありますが、その有様を見るいとまがないのであります。世の中には、かやうに宗教の意味でいふところの善人が多いのであります。  他の一つの方の人は、これに反して、我が身が頼まれない我が心がたのまれない、善いことをしようといふ心はあるが、よいことは出来ない、悪いことをしてはならぬ心もあるが実際は悪いことをする。さういふ自分の心のつたない有様を自覚して、それに悩みながらも、しかも如何ともすることの出来ぬことを知る人であります。これは宗教の意味にていふところの悪人といはるるのであります。  人間悪性  世間の人のいふ善人とは道徳を標準としていふのでありますからあの人は深切である、あの人は悪いことをせぬ、あの人の言ふことは正しい。さういふ人を善い人だ、正しい人だといふのであります。善と悪とをば道徳上の善悪の標準で分けて言ふのであります。しかし宗教の意味で言ふ善人とか悪人とかはさうではありませぬ。前にも言つたやうに、自分の悪いごとを自覚した人が悪人でそれを自覚な人が人とせられるのであります。人間は元来悪性のものであります。一寸考へて見ましても、生きたものを殺すのは悪いことでありますが、しかし、人間はうまれつき殺生をするやうに出来て居るのであります。生きたものを殺さなくては自分が生きられないのであります。又何事も自分の得手勝手にしやうとするやうになつて居るのであります。それを自覚した人が宗教の上でいふ悪人であります。仏の言葉にて修善といふことがありますが、これは道徳の意味でありまして、字の通りに悪いことを癈めて善いことをするやうにと言ふのでありますが、生れながら持つて居る人間の悪性はどうすることも出来ぬのでありますから、ただ悪を転じてとなすべき道を求むべきのみであります。  悪人往生  「嘆異鈔」の第三章に、次のやうに説いてあります。  「善人なほもて往生を、いはんや悪人をや」  この文句の意味は、善い人でさへも真実の世界へ生れることが出来る。それよりも憐なる悪人はなほさら間違なく生れることが出来るといふのでありますが、ここに善人とか悪人とかあるのは宗教の意味にていふのであります。往生は他力の計らひである。自分の悪を自覚せぬ善人でも往生を遂げることが出来れば、自分の悪を自覚した悪人が往生するのは当然であるといふことを示されたのであります。前にも申したやうに、我々が往生するといふことは、その心が至高の地に到ることを指すのであります。至つて円満でない我々の心が円満の境地に到ることは、「嘆異鈔」の第一章にある通りに、弥陀の本願にたすけられてこそ出来るのであります。「弥陀の本願には老少善悪の人を簡ばれず、ただ信心を要とす」とありまして、我々の方でする学間も知識も思考も役に立たず、道徳も助けとならず、慈悲を施し善根を修むことも役に立たぬ、いたづらに念仏を唱ふることも頼みにならず、仏恩を喜び感謝の念が盛でもそれは往生の因とはならず。これ等はみな我々の心のはからいでありますから、それでは真実の世界に生れることは出来ませぬ。それ故に、かやうな自力の計らひをやめてただ、一心に本願を信ずべきであるといはれるのであります。  善人往生  如来の本願は、我々の智慧や道徳などを目当としてあらはれるものではありませぬ。智慧のないさうして道徳に欠げて居るものをあはれみて、そのものをたすけるために、如来の本願はあらはれるのでありますから、そこで、自分の悪を自覚せぬ善人でもその智慧や道徳の心を離るれば、往生を遂げることが出来る。自分の悪を自覚せる悪人はなほさらのことであります。  「しかるを、世の人、常にいはく、悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をやと、この條、一旦それ謂あるに似たれども本願他力の意趣に背けり」  さういふわけであるのに、世の中の人が何時も言つて居る。悪人でさへ往生が出来るのであるから、人は言ふまでもなく往生することが出来ると。この申分は、一応、如何にも道理があるやうに聞えるが、しかし、それは弥陀の本願他力の趣旨には相違して居ると説かれるのであります。固より釈尊の教といふものは、第一に世の中の真相を明らかに知るだけの智慧を磨き、それによりてすでに真理を知つたならば、これを実際に行ふだけの努力がなくてはならぬ。さうしなければ涅槃のさとりを開くことは出来ないと説かれるのでありますから、世の所謂善人でなくては往生することは出来ない筈であります。しかし「涅槃経」などには善根なく、信心を具へないものでも、人間はみな仏性を持つてゐるから、修行をすれば皆仏になることが出来ると説いてありますから、所謂悪人でも一定の條件のもとでは往生することが出来ませう。それだから悪人が往生すれれば善人が往生するのは言ふまでもないと説かれるのであります。  熊谷直実  源平時代のむかし、驍勇の武将として名を得た熊谷直実が、世の中を悲観して頭を刺つて坊主にならうとして法然上人を訪ひ、取次を乞うて待つて居るうちに、庭の石で刀をとぎはじめました。取次のものはびつくりして、法然上人に向ひ面會なされることは危険であるといひましたが、しかし、法然上人はそれに構はず面會せられました。その時熊谷がいふのに、「私は後生のことが気にかかつてまゐりました。自分は度々の戦争に多くの人を殺して、その罪のまことに深いものでありますが、このやうなものでもたすかることでありませうか」と尋ねました。法然上人は如来の本願は一切衆生をたすけたまふのであるから、ただ念仏申せばそれでたすけられると言はれたのであります。それを熊谷は聴きまして涙を流して喜びました。自分はこの手で多くの人を殺し、この足で多くの死体を踏んで来たのであるから、この手と足を切つて来い、それならたすけられると言はれるつもりで刀を磨いだのであるが、かやうに罪の深いものが、そのままで往生ができるとはまことに有難いと申して泣いたと言ふことが伝へられて居ります。単純な性格のやうでありますから恐らくこの話も本当のことでありませう。そこで、法然上人の弟子になりまして蓮生坊と名乗つて修行につとめて居りましたが、後に京都から鎌倉に帰るのに西方の浄土の方に尻がむくからとて馬に逆さまに乗つたといふほど、真面目な純真な人であつたから、如来の本願には痛く感激したのでありませう。   法と機と  しかしながら、熊谷だけでなく、悪いものが往生する筈がないといふやうな道徳の意味での考は、当時の人々の頭の中にひどくこびりついて居つたことでありませう。法然上人の「和語燈録」の中にも  「罪をば十悪五逆のもの、なほ生まると信じて小罪を犯さじと思ふべし、人はみな生まる、いかに況や善人をや」 と説いてあります。「嘆異鈔」には「世の人常にいはく」とありまして法然上人がそのやうなことを言はれたとは書いてありませぬが、法然上人の説によりて、世の人々がさう考へたに相異ありませぬ。しかし、それは本願他力の意趣にそむくと、親鸞聖人は言つて居られるのであります。一寸見れば法然上人と親鸞聖人とはその考が相違して居るやうでありますが、しかし、実際はさうでないと思はれるのであります。法然上人が同じ「和語燈録」の中に  「強く信ずるすがたを勤むれば邪見を起し、邪見を起させじと、こしらふれば信心強からず、術なきことにてはべるなり」 と嘆いて居られるのを見ると、その意味がよく分るのであります。法然上人が言はれるのは、いかなる罪悪を犯したものも、なほ往生することが出来るのであるから、さういふ本願を信じて往生を願ふものは、必ず出来るだけその悪い心を正すべきが当然である。小罪でも、なほそれを犯さぬやう心掛けることが大切である。又必ずさうしなければならぬことである。しかしながら「いかなるものをも漏らさず救ひたまふ」と強く信ずる方を説くと、却てその勤めをば造罪の弁護に用ひ、いかなる罪悪を造つても本願によりてたすけられるから差支へないといふ邪見を起すやうになる。又その反対に、邪見を起さしめぬやうにと、如来のたすけに預かるものは小罪をも避けねばならぬと勤むれば、本願の不思議を疑ふて「我々のやうな造罪のものはたすけられぬであらう」と誤解して、その信心を強くすることが出来ぬ。まことにしやうがないと法然上人は嘆息して居られるのであります。法は如来の本願であり、機はこれを受ける我々凡夫であるが、法を強く説けば機が忘れられ、機を強く説けば法が顧みられないやうになるのが、凡夫の世界でありますから、これを説いて、聴くものをして誤解なからしめることは容易でないといはねばなりませぬ。法然上人は弟子達に向つて、常に法を説かれましたから、法の方を先きにせられたのでありませう。決して機を顧みられなかつたのではありますまい。しかるに、親鸞聖人は自分の心のありさまをそのまま率直に人々に話されたのでありますから、悪を自覚せぬ善人が往生する値であるから、自覚する悪人が往生するのは当然であると説かれたのでありませう。法然上人のは常識的であり、親鸞聖人のは宗教的であると見るべきでありますが、しかしその両方の間に差異があることとは考へられませぬ。  教訓の態度  法然上人は澤山の弟子を持つて居られまして、その説法は常に弟子を教へる態度でありました。しかるに、親鸞聖人は弟子、一人も持たぬ、人の師となる資格がないと自分で考へた人でありました。法然上人は先生でありますから門人に向つて教訓せられたのでありますが、親鸞聖人は自分の心に体験したことを友達と相語るといふ態度でありました。 そこで法然上人の説法では「如来はどんな悪いことをしてもおたすけになるから心配するな、凡夫の罪はいかに深くとも如来の本願は強いから、必ず往生するぞ」と教へられたのであります。親鸞聖人は「小慈小悲もなき身にて、衆生利益は思ふまじ」といふ心持であるから法然上人のやうに弟子に教ふるといふ態度ではなかつたのであります。親鸞聖人は自分の心をかへりみればいかにも愚かで且つ悪いからどうすることも出来ぬものであると全く自分を投げ出して居られるので、悪人なればこそたすけられると喜ばれたのであります。これは全くその説き方が常識的であるのと、宗教的であるとの説法の態度の相違でありまして、その心に於ては法然上人と親鸞聖人との間に差異があるとは思はれませぬ。  自力作善  親鸞聖人は更にそれを説明して、  「その故は、自力作善の人は、偏に他力をたのむ心かげたる間、弥陀の本願にあらず、しかれども、自力の心を翻して、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生を遂ぐるなり」 自力作善の人とは、自分の力で、善行をなし、功徳を積み、さうして涅槃のさとりを開かうとする人であります。さういふやうに自力にて善を作す人は自分の心をたのみ、その心の愚悪なることは考へませぬから、外にたすけを乞はなくてもよいので、他をたのむ心が欠げて居るのであります。弥陀の本願はかやうな人を目当とするのではありませぬ。弥陀の本願は悪いものをたすけるのでありまして、かやうなものは弥陀の本願にかなふものではありませぬ。しかし、かやうな人でも、その自分の心をひるがへして弥陀の他力をたのみ奉れば真実報土の往生をとげることが出来るのであります。真実報土とは、仏が自分の本願によりて功徳を積みそれに報ひられてあらはれた淨土であります。我々の志願によりてあらはれるものは真実報土でなく、普通俗間に言ふ極楽でありましてそれは化士であります。化土といふのは懈慢・辺土とか、疑城・胎宮とも言はれるもので、言はば浄土の辺鄙であります。それは自力作善の人が努力して念仏したる功によりて往生しめられる所であります。これに反して、真実報土は如来の本願によりて我々がどうしても往かねばならぬところであります。真実とは仏の心に報いて出来たといふ意味で言はれるのであります。さういふ所に生れるといふのは、つまるところ、さういふ真実の心の世界に到ることであります。しかし自分の力にてはその目的を達することが出来ないから、必ず他力をたのまねばならぬと説かれるのであります。  他力の意義  かやうに、愚悪の我々が自分の心をはなれて真実の仏の心のうちに入るには他力をたのばねばなりませぬ。ところが、世間では、他力とは他人の力であるとして、他人の力あてにしてはならぬ、我々は何事も自分で処理せねばならぬ、自分の力を捨てて他人の力をあてにするは卑屈であると言つて他力をよくないもののやうに思つて居る人がありますが、しかし、他の力と申しても、それは他人の力ではありませぬ。ここに他の力とはあ仏の願力を言ふのであります。仏の願力によつて仏の心の世界へ行くのですから、決して卑屈ではありませぬ。我々が平生他人の力をたのむといふのは物質的の欲望のためでありまして、金がないと困るからたすけてくれ、病気になるとなほしてくれ、不幸であるから幸福にして呉れといふやうに、皆物質の欲望をみたすためであります。今本願を指して他力といふのはさういふ他人に依頼する心を離れろといふのであります。他の力とは仏の本願のことでありますから、一切の人間がたすけられるべき力を受くるのであります。たすけられるといふことも物質的の欲望が満たされるといふことではありませぬ。宗教の上で、たすけられるといふことは私のやうな愚悪のものが仏の心に入つたといふことを知つたことに外ならぬのであります。自分が自分の力のたのみにならぬことを自覚すればこそ、他力を頼むのであります。自分の力によりて、善いことも出来ると考へて居れば他力を頼むことはない筈であります。自分の心を反省して、悪いと感ずればこそ、これを直さうとする、これを直さうとして直す力のないことを知ればこそ、偏に他力をたのむに至るのであります。それは畢竟、我々が自分の心を進めて行かうとするためでありまして、決して退却するためではありませぬ。  往生の根機  「末燈鈔」に建長七年、親鸞聖人御齢八十三歳の時、笠間の同行にあたへられたる書状が載つて居りますが、それは次の通ほりであります。  「それ浄土真宗のこころは、往生の根機に他力あり、自力あり、このこと巳に天竺の論家浄土の祖師の仰せられたることなり、先づ自力と申すことは、行者の各の様に從ひて余の仏体を称念し、余の善根を修行して、我身をたのみ、我計ひの心をもて、身口意のみだれ心をつくろひ、めでたうして浄土へ往生せんと思ふを自力とまふすなり、又他力と申すことは、弥陀如来の御誓のなかに、選択摂取し玉へる第十八の念仏往生の本願を信樂するを他力と申すなり、如来の仰誓なれば、他力には義なきを義とすと聖人の仰せごとにてありき。義といふことは、はからふことばなり、行者のはからひは自力なれば義といふなり、他力本願を信樂して往生必定なる故、さらに義なしとなり、しかれば、我身のわるければいかでか如来むかへ玉はんと思ふべからず、凡夫はもとより、煩悩具足したる故に、わるきものと思ふべし、また我心よければ往生すべしと思ふべからず、自力の御はからひにては真実の報土へ生まるべからざるなり、行者の各の自力のはからひにては懈慢《かいまん》辺地の往生、胎生疑城の浄土までぞ往生せらるることにてあるべきぞと承りたりし」  往生の根機の方から言つて、他力といふことは如来の本願を信樂することでありまして、何事も凡夫のはからい止めて、如来の御誓に任せたてまつることが他力であります。そうして如来の御誓は不可思議であつて仏と仏との御計らひでありますから、凡夫として計ふべきでないといはれるのであります。そこで我々が如来の本願を信ずることは、実際にありては仏の方からして、さう信ぜしめられると知るべきであります。それ故にそれは決して自力ではありませぬ。他力といふことは、自分の力を全く否定することであると言つた方がよい位であります。単に他の人の力をたのむといふこととは全く違つて我々としては何物をもたのまないのであります。  本願と念仏  かやうな次第でありますから、如来の他力とは阿弥陀仏が智慧の光明と慈悲の壽命とをもつて、我々のやうなあさましいものをして、迷ひの心から悟りの世界へおもむかしめたまふ力であると言つてよいのであります。その仏の力が我々の心の上にあらはれるのを念仏といふのであります。念仏とは南無阿弥陀仏の名を称ふることであります。それ故に弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて念仏申さんと思ひ立つ心のあらはれるときが、即ちたすけられるといふことを知るのであります。愚悪にして何の価値もない我々が、この力によつて生きてゆくことの出来るところにたすけられるといふ意味があるのであります。それでありますから、本願他力とは迷つて居るそのままの生活をどこまでも生かして行かうとするものではありませぬ。我々の物質的欲望を満足せしめやうといふ力でもありませぬ。迷へるものをしてさとりをひらかしめる力であります。本願他力によつて我々は物質的の欲望から何時も人をたのむあの心を離れしめられ、自分の力にうぬぼれて居る心を打砕かれ、さうしてその後に永久に頼となる強き力を得たことを感ずるのであります。近頃の新聞紙上に他力本願ではいかぬ自力更生すべきであるなどとありますが、それは意味が分らぬことであります。どんなことでも自分で自分の心を善くすることは出来ませぬ。自分の力ではどんなことがあつても仏になることは出来ぬことを知つた我々が、我々を取り囲むところの仏の力に頼ることは当然であります。  悪人成仏  「煩悩具足のわれらは、何れの行にても生死を離るることあるべからざるを憐み玉ひて願をおこし玉ふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみ奉る悪人最も往生の正因なり。よて、善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと仰せさふらひき」  あらゆる煩悩を残らず具さに持て居る。あまるだけの煩惱を持つて居る我々でありますから、釈尊が説かれた八正道を奉じて、その通ほりに修行することは出来ませぬ。それ故に到底我々は自分の力にては迷ひの世界をすることの出来ない憐れなものであります。仏がそれを憐れにおぼしめして本願を起して下さつたその本当の趣旨は悪人成仏のためであります。他力をたのむ悪人が往生すべき真の正因を得たものであります。ここに悪人成仏と言ふ言葉が現れたのでありますが、元来人間はみな本性として悪いから人間成仏と言はれてもよい筈であります。それにことさらに悪人成仏としてあるのは、前申したやうに悪いことを自覚してそれに悩で居る。しかも自分の力ではそれを如何ともすることの出来ないもののために如来の本願があらはれたのでありますから、宗教の上でいふ悪人こそ真に如来の本願をたのむものであります。  不思議の世界  我々が現在のやうな生活をして居ることを、よく考へて見ますと、まことに不思議であります。何事も皆ひとり自分の力でして居るやうでありますが、それは決してさうでなく、多くの因と縁とが集まりて、かういふ状態をあらはして居るのであります。一寸考へて見ましても、我々は呼吸をすることによりて生きて居るのでありますが、呼吸をするはたらきも、呼吸する空気も皆、自然のものでありまして、我々が自身に造つたものではありませぬ。飲む水も、食ふ食物も、すべてさうであります。結局自分の力でつくりあげたものはありませぬ。さういふものが巳に出来て居るところへ生れて来て、さうしてさういふもののお蔭にて生きて居るのであります。多数の因と縁とがあつて、さうしてそれによりて生きて居ることは明かであります。まことに不思議の世界であります。我々はこの不思議の世界に生れてまことに不思議の生活をなして居るのであります。  いくらその事を考へましても結局不思議で分らぬと言ふより外はありませぬ。仏の誓願もその実、何のためか分りませぬ。愚悪にして何等の価値のない我々は殺された方がよいのでありませうが、仏が生かして居たい心をはたらかしたまふために、我々は生きて居るのでありませう。さうして、さういふ仏の心のはたらきが、我々に取りては死にたくない心になつて居るのでありませう。兎も角も多くの因と縁とによりてあらはれたる不思議の世界でありますから、我々は単に自分の力を以てはこの世界から離れることは出来ぬのであります。  慈愛  静かに考へて見ると、自分の存在は世のためでありませう。多くの人が集つて形つくつてゐる社会の一員として与へられたものでありますから、その存在は世のためであると考へねばなりませぬ。それ故にその自分といふものを善く育てあげて、何か世のために、人のためになるやうにせねばならぬ筈であります。他の人々と共に一処にこの世に生活して居る以上、自分さへ善ければそれでよいと云ふ訳には行きませぬ。そこで色々と問題になることがあるのでありますが、その中でも我々の日常生活の内で重要なものの一つは他のものを愛する心、すなはち慈愛の心をもつべきであるといふことであります。全体、我々人間は自然といふものにかこまれてゐるのでありますが、その自然が生きたものであると考へますと、自然は萬物を生んでさうしてそれを育てて行くものであると考へねばなりませぬ。それをば儒教の方では天地が萬物を生み、それを育てそれを愛すると説くのであります。天地は即ち自然であります。この天地の心を自分の心としてひろく且つ厚く人々を愛し、又他の一切のものを愛してそれをそこなはないやうにするのが「仁」であると説明して居るのであります。中庸に「道を修むるには仁を以てす、仁とは人なり親を親しむを大なりとす」とありますが、言葉の起りからして仁を講釈して仁とは人なりとするので、すなはち人間全体を結びつけてゆく愛のはたらきが仁であります。この愛のはたらきの内で一番大切なのは自分を生んだ親を愛することであるといふのであります。仁は父母を愛することから始まつて他の血脈に及び、それを広めて全生物に及んでゆくのであります。「論語」に「顔淵仁を問ふ、子の曰く、己れに克ちて禮に復るを仁となす」とありまして、孔子は顔淵に仁といふものは、自分といふものに克ちて人に禮をつくすことだと教へて居られるのであります。又「孔子家語」に「仁は人を愛するより大なるは莫し」と言つてありまして、かういふやうな意味から儒者の方では、仁といふことはよろづの善きことの元であつてその徳が多い。中にも緒の人を愛し、めぐむのが大善の道であると説かれて居るのであります。  真の愛  しかしながら、我々が自分の得手勝手の心を離れて真に慈愛の心をあらはすことはむつかしいことでありませう。舐犢《しとく》の愛といふことがありまして、親牛がその子牛を可愛がつてしきりにそれを舐めるのは慈愛でありませうが、しかし真の愛ではありますまい。子供が望むままに、菓子などをやるのは、そのときには子供の心を喜ばしめることでありませうが、それがために子供の健康を損するやうになれば、本当の意味の愛ではなくなるのであります。むかし、恵心僧都が、庭に来る鹿を追はれた話がありますが、元来恵心僧都は慈悲の心が深く、一切のものを慈愛した人でありましたが、その恵心僧都が庭先に時折遊びに来る鹿を見られて何時でもこれを追はれるので人々が不審がりまして、恵心僧都は一切の生物を愛する人であるのに、折角此処に遊びに来た鹿を無慈悲に追拂はれるとは如何にも不思議であるといひはやしました。恵心僧都としては鹿が人間に馴れて度々庭先などに出て来れば悪いものがそれを殺すかも知れぬ。それでそれを追ひかへすのであると言はれたと伝へられて居ります。これこそ本当の愛の心のあらはれでありませう。しかし我々のやうなものが真に愛する心をあらはすことは容易のことでないことは言ふまでもありませぬ。  愛を受けず  此の如く、我々が真に人を愛することはまことに困難でありますが、又一方愛せられる方のことを考へましても、色々問題があります。全体多くの人々は他の人が、自分のためによくして呉れたと考へるときには、必ず有難く感ずるのであります。しかしながら、それは自分のために都合がよいからであります。自分の心をば他の人から直して貰ふことは自分に利益のあることでありますが、その場合は心持が善くないのが人々の心のつねであります。言葉に飾りがあつて美しく言はれたときには聞く人は必ずそれを喜ぶでありませう。これに反して、つきつめて飾りのないことを言はれる場合には、むかしから、それを苦言と言つてゐるのであります。他の人が自分の言ふことや行ふことの善くない点を挙げて言へば必ず悪口を言ふとして悪まれるのであります。実際を離れて言はれることは心持の善いのが常で、ありのままに直言せられるときは不愉快であります。直言して呉れる人は真に深切である筈でありますが、その深切を深切と思ふことは容易でありませぬ。かやうな心の持主がうざうざと生きて居る世の中でありますから、その間にありて、真に人を愛することは困難であります。人に腹を立てさせてまでも、その心をそだててやらふといふの慈愛の心は起りませぬ。あたらぬ神に祟りなしとばかりに、不深切にも当面を飾つて、その人のために不利益なことをするのが常であります。眼の前に悪いことを見ながら入らざることを言ふて、にくまれて一文にもならぬと、自分勝手に考へるのでありますから、実際我々が慈愛の心をあらはすことは容易なことではなひと言はねばなりませぬ。  慈悲  仏教では慈悲といふ言葉が用ひられて居るのでありますが、慈悲とはは慈は苦を抜くこと、又非は樂を与へることと解釈せられるのであります。畢竟するに愛すること、あはれむこと、傷むことを言ふのであります。しかし、これは宗教の意味でいふのでありまして、普通の意味よりはずつと深い意味のものであります。仏教の上から言へば、慈悲といふは、結局人をして仏たらしめることを指していふのであります。又仏教では慈悲といふことを三つに別けまして、小悲、中悲、大悲として居るのでありますが、小悲とは普通の人のする慈悲、たとへば貧乏人が可愛さうだから金をやる、腹の減つたものに食物をあたへるなど、衆生を縁としてあはれみの心を起して行くのであります。中悲とは、法といふものを縁として慈悲の心をあらす。大悲とは何物をも縁としない、法とか人とかを縁としないであらはすところの慈悲で、所謂平等の大悲であります。丁度、日光が一切の萬物を照すやうに仏の慈悲は一切のものをあはれみたまふと、かういふのが大慈悲であります。  聖道の慈悲  親鸞聖人はかやうな意味に於て慈悲をば我々の日々の生活につきて、どう考へねばならぬかを説明して居られます。「歎異鈔」の第四節がそれであります。  「慈悲に聖道浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり」  親鸞聖人は慈悲を聖道と淨土とに別けて、聖道の慈悲といふは一切の衆生をあはれみ、かなしみ、はぐくむことであると説いて居られるのであります。  ものをあはれむといふ意味は一切の衆生に樂しみをあたへる心をいふのであります。樂しみをあたへるとは心の安樂をあたることでありますから結局たましいが安住せしめられることを言ふのであります。芝居や映画などを見て樂しいといふのとは違ひまして、如何なる場合にもうろたへない、むやみに煩悶しないで、どこまでも安住した心をあたへることを指してものをあはれむと言ふのであります。  ものを悲しむと言ふことは衆生の苦しんで居る心をあはれみて、その悲みの心を自分の心とするのであります。相手が苦しむ、それと同じ心情になることを言ふのであります。我々は人が悲しむとき、その心情に同情することは出来るのでありますが、人が樂を得るのを見て心から歎びの思を感ずることは出来ないことであります。誰でも他の人の貧苦などに同情することは案外容易でありますが、自分の善く知つた仲の善い人でも、その人がひとり栄達するのを見て心から喜ぶことは出来ませぬ。必ずそこに嫉妬の心が起り口には喜ぶといへども腹の中では快くないのであります。  それから衆生を縁として愛情の心が起る、その愛情の心を捨てて、大慈大悲の心をあらすことは、更に一層困難のことでありますが、それが出来なければ人をはぐくむことは出来ませぬ。はぐくむとは人のたましいをそだてることをいふのでありまして、そだてるとは要するに、一切の人間を取りこんでおのおのの持前のものをのばすことであります。仏教の上から考へれば一切のものを仏にまですることが真に人をはぐくむのであります。  慈善の行為  普通に世に行はれて居る慈善といふものは、貧乏のものに金や食物をあたへ、衣服を給してその貧乏をたすけることのやうでありますが、さういふ慈善の行為よりも、そのものの精神をそだてあげて極楽に往生するやうにしてやるのが、本当の慈悲であるといはねばなりませぬ。元来貧乏といひましても一概に金銭や財産などが乏しいだけではありませぬ。財産がありても心の貧乏なるものもあります。これに反して物質的には貧乏でも精神的には貧乏でないものもあります。むかし、支那に曾杉と云ふ人が居て、此人は慈悲の心の深い人でありました、住む家が大変に損じて、壁が破れ、まことに見苦しい、しかし何等それを気にかけない。弟子が心配して、或日曾杉に屋根を葺き壁をぬりませうと言つたところが、曾杉は「これからは段々と冬になる。培や塀の内に澤山の小虫が寒さをさけて居る筈だから、それを殺してまで自分の家を立派にしやうとは思はぬ」と言つて修繕を承知しなかつたといふ話があります。かういふ心持は普通に我々凡夫にあらはれるものではありませぬ。まことにうるはしい心には相異ありませぬが、我々に取りては及びもつかぬことであります。  殺身為仁  むかし印度に寂静王といふ王様がありました。この王様の時代、一人の貧者が病気に罹つていろいろ医者の治療を受けたが癒らぬ。貧乏のため十分の治療が出来ずして方々を流浪をしてこの寂静王の城下へ来ました。或日王様がその病人を見て可哀相に思ひ、医師に命じて病人を診させた。医師は「これを癒すのは容易なことではありませぬ。これを癒すためには貴重な薬が入用であります」と言つたので、王様はその薬は「何か」と問はれました。医師は「それは今日まで一度も嘘を言つたことのない人の血を取つてそれを粥に入れて食する」のであると申した。それを聞いて王様は考へられた。血をやることは訳ないが、今まで嘘を言つたことがあるかないか、先づ家来に聞き、それから乳母に聞き、それから母親に聞き、生れてから今日まで嘘を言はなかつたといふ証言を得て、自分の血を粥に入れて六月ほどその貧者にやられたら、その病が治つたと言ふことであります。治つた時病人は非常に喜んだのでありますが、後になつて王様は自分の悪い血を捨てられたので、ありがたくも何ともないことだと悪口雑言したので、その罰を受けて横死したといふ話があります。かやうに、身を殺して仁をなすことも慈悲として容易に出来ないことであります。むかし、延暦年間に仁耀といふ人がありまして自分の身体をのみ、蚊、しらみなどの食ふに任せて決してそれを殺さなかつたといふことであります。又その頃より少し後に天台宗の僧侶で春朝といふ人がありました。学問はなかつたやうでありますが慈悲心の深い人でありました。天台宗で用られた「法華経」は元来、慈悲をとき一切のものに慈悲をほどこすことをすすめてあるのでありますが、春朝はそれを体験せむとしたのでありませう。学問履歴もなかつたから始はその名も世に聞えなかつたが、慈悲の心の深いことが段々となりまして、上等社會の方へも呼ばれるやうになりました。或時、立派な方のところへよばれて綺麗な座敷へ通ほされました。そこで其処の床にあつた銀の置物を人に知れるやうに盗み取りました。それは、春朝が監獄の前を通ほつて囚徒の様子を見てそれに同情し、自もその監獄に入つて囚徒と同じ境遇に居つてそれをたすけたいと思つたからであります。そこでその志願のとほりに、すぐつかまつて監獄に投ぜられたのであります。監獄に入つてから天性生れつきの美声で「法華経」を読上げた。すると周囲の囚徒は残らず手を合せて拝み出しました。その行為をほめられてしばらくして春朝は監獄を放免せられたのであります。放免せられると又賭博などをして監獄に入れられました。入獄することが七回に及むだので、この人間は悪いことを懺悔する心のなきものとして死刑に処すべしといふことになつた。しかるに幸にも春朝の志のあるところが明かになつたので死刑を免かれたといふことであります。我々より見れば、凡そ監獄に入るやうなものは、悪人であるから、さう可愛いことはないのが常であります。自分が監獄に入つてまで、それをたすけてやることは出来ませぬ。或は監獄に入るものの内には気の毒であると考へられることはありましても、それも自分が監獄に入つてまでそれを助けてやることは出来ぬのであります。  此の如く聖道の慈悲を行ずることは甚だ困難でありまして、親鸞聖人が言はれる如く  「しかれども、おもふがごとく、たすけとぐること、きはめてありがたし」 実際さうであります。自分と言ふものを全く顧みないで人のために尽すといふことは誠に貴いことでありますが、それは容易に出来ることではありませぬ。しかし、仏道に入るものは第一に、さういふことをすべきでありますから、先づ菩提心を起せと説かれて居るのであります。  浄土の慈悲  しかしながら、我々は深く自身の描きことを顧みて、到底出来もしない聖道の慈悲をばさしおいて浄土の慈悲に生きねばならぬのであります。親鸞聖人は浄土の慈悲の説明をして、次のやうに言つて居られるのであります。  「また浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ、仏になりて、大慈大悲心をもつて、思ふが如く、衆生を利益するを言ふべきなり、今生に、いかに、いとをし、不便と思ふとも、存知の如くたすけがたければ、この慈悲始終なし、しかれば、念仏まふすのみぞ、末とほりたる大慈悲にて候ふべしと云々」  我々凡夫の心からすれば、いかほど、いとしい、かあいさうであると思つて情をかけても、かやうな凡夫の慈悲の心は徹底しないのが常でありますから、思ふやうに、たすけられぬことは無論であります。むかし慈悲の心の深かつた人が、生きた蛤が店先に賣られるのを見て不便な心を起して、それを買ひ取つて海に放してやつた。さうすると、夢に蛤が来て嘆いていふやう、自分は折角、人に喰はれて罪を亡ぼうとしたのに、あなたがいらぬことをして呉れたために、その願が無茶苦茶になつたといふて苦情をとなへたといふ話があります。我々凡夫の慈悲の心が末通ほらず徹底しないことはすべてこの類であります。末通ほつた慈悲とは急ぎ仏になつて大慈大悲の心をもつて一切をたすけることであります。さうして、それには念仏するより外ありませぬ。  しかしかういふと、それに反対の考を持つ人がありませう。今日我々は現に生きて居る世界で、精進努力して菩薩の行をするのが本当であるのに、それに、これを捨てて浮土に赴いて、仏になつてからはじめてこの現在の社會に働きかけるやうな慈悲は現在の我々には縁の遠いものであると言はねばならぬ。それは体裁よく現在の世界から離れて、夢のやうな浄土の慈悲を説くものではないかといふ非難であります。それで、たとひ出来なくても、聖道の慈悲をつとめて現在の社会に働きかけるのが、我々のつとむべきことであるといふ説もありますが、しかしこれは深く考へねばならぬことであります。親鸞聖人と雖も、聖道の慈悲は駄目だと言はれたのではありませぬ。さういふ慈悲はしなくても善いと言はれたのではありませぬ。しかし自分には、とても出来ることでない。出来ない。自分の心をかへりみられたとき、ただ念仏を申すより外はない、と自分の心をなげかれたのであります。出来ることを願ひつつ、出来ない自分の心の浅間しさに歎息の声を出して居られるのであります。聖道の慈悲を前に置いて、とてもそれが出来ない愚かな心を痛歎して居らるるのであります。現在の世界から離れて、浄土の慈悲を空想するのではありませぬ。浄土の慈悲が、夢を説くのであると言ふよりも、徒らに浄土の慈悲を説くことが却て夢であるといふことを知らねばなりませぬ。  自力の慈悲  世の中は共存共栄でなければなりませぬ。かういふことは誰でも知つてゐることでありますが、しかしこの世界は現実争闘の世界であります。それ故に「思ふが如くたすけ遂ることきはめてありがたし」と歎かざるを得ぬのであります。これは決して空言ではありませぬ。我々人間はその自力を以て人をたすけることはどうしても徹底せぬのが当然でありませう。そこでどうしても自分の立場が変らねばなりませぬ。自力から他力に移らねばならぬのであります。親鸞聖人は、それ故に  「聖道の慈悲をさしおきて浄土の慈悲に生きる」 と言つて居られるのでありますが浄土の慈悲といふことは、念仏していそぎ仏になるといふことであります。自力を捨てて他力に帰する心であります。内省を強くするとき、我々は仏を呼ばざるを得ないのであります。しかも仏は呼べども来ないのであります。  いかに我々が人々と相抱きて真実の心をあらはさうとしてもそれは実際に出来ぬことであります。法然上人が菩提心を要せずして浄土に往生すべしと説かれたのも畢竟この現実の我々の心の相に直面せられたからでありませう。  しかしむかしから今まで世の中の多くの偉い人々が説かれたところを見ると何時も自から喘ぎながら救ひを求める地上の人をば高き丘の上から教へ導かうとして居られるやうであります。たとへば川を流れつつさうして他の人に向つて救ひをよびかけるものに対して、岸の上から助けてやるぞと大声を放つて居るやうな有様であります。まことに結構でありますが、救ひを求める其人に取りては何の役にも立ちませぬ。親鸞聖人がいそぎ念仏して仏になりて大慈大悲の心によりて思ふやうにたすけると言はれるのは全く仏の心に従ひ、その心の中に入つて行くことであります。親鸞聖人の言はれるところは、岸の上から河の中を流れて居るものに呼びかけるのではなく、自からその人と共に流されながら仏の心のありがたきことを話されるのであります。いそぎ念仏するといふことも、詮じつめれば、おろかでないものが、おろかになり下るのでなく、元来おろかものであるから、その愚かであることを自覚するがために、いそぎ念仏するのであります。自分が苦しみに泣くと同時に他の苦に泣くものと一緒に苦しんで行かうとされるのが親鸞聖人でありませう。春朝が心ならずも罪を犯して囚徒となり、他の囚徒と共に苦しみながら「法華経」を読誦したところに本当の慈悲の意味があることでありませう。我々の生活で聖道の慈悲を行ふことが始終ないのでありますから、親鸞聖人の言はれる通ほりに「しからば念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にてさふらふべき」であります。されば我々が計らひの心をやめて、そこに自ら感ずることの出来る仏の心に包まれて生活することが本当に徹底した慈悲の心でありませう。  孝養  我邦の道徳では、孝行といふことは、百行の本、萬善の源であるとせられて居るのでありますが、支那でも、すべての行のもととして孝といふものが挙げられて居るのであります。それ故に、東洋では、いかなる人といへども、父母に孝行をすべきであるといふことを知らぬものはない筈であります。しかし孝行をする人の少くして不孝の者の多いといふことは世の実情であります。これはいふまでもなく我が心の暗くして父母の恩を深く考へぬ結果であると申さねばなりませぬ。「仏説孝子経」や「父母恩重経」や「心地観経」などの内には、孝行といふことが説いてあるのでありますが、その孝行といふことを説く前に父母の恩の重いといふことが精しく説いてあるのであります。これ等の経典は全然依拠すべきでないかも知れませぬが、何れも父母の恩の広大のことが説いてあります。さうして、釈尊が弟子に向ひて、どういふ風にして、父母の広大な恩に報いなくてはならぬかと聞かれた時、弟子達は、禮を尽して慈心供養をする、さうして親の恩を感謝しなくてはなりませぬ。親の恩は広大であるから、十分に禮儀を尽して、慈しみの心をもつて供養をすべきものであると答へたといふことが書いてあります。常識から言へば、親に孝行をするといふことは第一に親の身体を養ひ、それから親の志を養ふことでありますから、親に対して十分の衣食住を興へ、親が思ふやうにしてその心を喜ばしめ、又親の命に背かず、ただはいはいと従順に仕へることであります。  世間の孝  しかし、今少しく深く考へると、孝行といふことはさう簡単のものではないのであります。孔子の言はれたことが「論語」に載せてありますが、それに拠りて見ますと、「子游孝を問ふ、子の曰く、今の孝は是能く養ふことを曰ふ、犬馬に至るまで皆養ふことを得、敬せざれば何を以て別たん」とあります。子游といふ弟子が、孝のことを聞いたのに対して孔子が言はれるのに「今日の人々は孝行といふことは親を養ふことであると考へて居る。しかし親を養ふことは犬にでも馬にでも出来ることである。敬といふことがなかつたら、犬や馬のやうな動物と区別するところがないではないか」と申されたのであります。「孝子経」の中にも、釈尊は弟子に向ひて  「父母に対して美しい食物を供養し、音樂を供養し、衣服を供養し、遊樂を供養し、又奉事供養とて備に参事を弁じ、欲する所は則ち奉し、姿にして違はず、あらゆる私の物を悉く奉る、此の如く形の尽るまで供養をする。それを孝行であると思ふか」 と聞かれたのであります。弟子達は、無論さうであります。親の言ひつけにそむかず、親の志にかなふやうに出来ることは悉くなして仕へることは、親の恩に報ゆる最大のものであると答へたのであります。釈尊はこれに対して「それはまだ孝ではない。さういふのは世間の孝行であるぞ」と教えられたのであります。世間の孝とは普通の道徳の意味の孝であるといふことであります。  孝経  儒教の方では「孝経」といふ書物がありまして、それは孔子の教を説いたものでありますが、それに拠りますと、  「身体、髪膚これを父母に受く、敢て殷傷せざるは孝の始めなり。身を立て道を行ひ、名を後世に揚げ、以て父母を顕すは孝の終也」 とあります。我々の身体といふものは、頭の髪から、皮膚に至るまで全体が父母から受けたものでありますから、あけくれ大切にして、いささかも傷をつけぬやうに心掛けることは孝の始であります。死ぬ時に親からもらつたこの体を産まれた時の儘に何等疵をつけないでこのままお返しすべきであります。又世に立つて人の人たる道を行ひ、名を後世に残して父母の名を顕はすこと、これが孝の終であります。かやうに「孝経」に説いてあります。これによりて見ますと、孝と言へば親からもらつた身体を大切にして、死ぬまで疵をつけない、さういふことから始めて、一生懸命に努力して名を挙げそれによりて親の名は顕すといふことが孝であると説かれて居るのであります。しかし釈尊は、それは世間の孝である。道徳の上からいふところの孝である。本当の孝行はもつと深い意味でなくてはならぬと説かれたのであります。それはもつと深刻に考へねば孝行の真実の意味があらはれるものでないといふことを示されたのであります。  孝を戒とす  かやうに今まで説いたところは道徳の意味から見ての孝行でありまして、すなはち世間の孝であります。宗教の意味からいふところの出世間といふものはもつと深い意味をもつて居るものであります。「梵網経」の中には「孝を以て戒となす」とありまして孝行を以て戒律の一とつとしてあります。戒律といふものは仏教で重く見られて居るもので、つづめて申せば進むで悪いことをしないやうにすることと、又退いて悪いことを止めることが規律とせられるのであります。さうしてこの戒律といふものが先づ説かれるのは、戒律が十分に保たれねば、精神が定まらぬ。精神が定まらなければ真の智慧が得られない。この戒・定・慧の三つを三学と名づけて仏道修行の法則とせられて居るのであります。人間に若し道徳の心がなかつたならば問題はありませぬが、巳に道徳の心があらはれた以上、悪いことを廃し、善いことをする心があつてこそはじめて人間の道があるのであります。さうしてそれによつて散乱し易い心が静まる、煩惱がしづまる。さうすると真の智慧が得られると説かれるのであります。この意味に於て孝行はつまり戒律であるとせられるのであります。  仏教の孝  前に言つたやうに、釈尊は弟子達に向つて、孝のことを聞かれ、弟子達が孝のことを説明したのを聞かれて、それは世間の孝であるといはれました。さうして、釈尊は真実の孝の意味をば次のやうに説かれたのであります。  「世人愚にして、ただ親を敬ひ、養ふのみを孝と知りて未来得説の大法に入らしむるを大孝なりと知らず。三寶に帰し、五戒を保たしむることは、暗夜の燈火の如くなるに、父母をして、闇路をたどらしめ深坑に陥し入ことは不孝なり、若し未来三途に?むべきを諦めず後生の道にすすめ入れずしては真実の孝にあらず」  前にも言つたやうに世間の教としては、禮を尽し、形を尽して親の形を養なひ、楽しましむることを以て孝とするのでありますが、しかしそれは至孝ではありませぬ。もつと深い意味に考へれば孝は、親の心をすくひて仏の悟りを得せしめることが真の孝行であります。親をして仏にならしめることが一番の孝行なのであります。さうして、宗教の意味にていふところの孝は全くこれに外ならぬのであります。  優那跋摩《ぐなばつま》  昔、印度の欝賓国の沙門に優那跋摩といふ人が居りました。非常に仁心の深い人で、宗教の心の強く動いて居た人であります。或時、母親が生きた魚を料理せよと言ひつけましたところ、優那跋摩は殺生の罪を犯すに忍びないのでこれを断はりました。母は大に怒つて、いふやうは、たとひ生きたものを殺して罰を受けても、それは自分が引受けるからと立腹したのであります。優那跋摩は親の言ひつけに従はなかつたのでありますから世間で言ふやうな孝行をしなかつたのであります。さうしてどうにかして、母の悪い心を戒めたいと思つて居りました。或時誤まつて熱い油の鍋に手を入れて大に痛みました。母も共に心配し慰めて呉れました。親の愛の心でありませう。その時、優那跋摩はこの時なりと思ひまして母に向ひてどうか私に代つて下さいませと言ひました。しかし母はお前に不似合なことを言ふ、身代りに立てるものなら立つけれども、こればかりは仕方がないと言ひました。その時、優那跋摩はなるほど自業自得でありますから、親も子に代ることは出来ないでありませう。子も親の代りになることも出来ませぬ。まして未来の苦しみも同じことでありますと言つて、仏の道を懇ろに母親に説いたのであります。さうして、そのために遂に母は道に入つたといふことであります。かやうなところに孝行の意味があると言はねばなりませぬ。「心地観経」に「孝」のことを説いて  「親の恩は無限なり、無限の親恩に報ぜんとすれば無限の功徳をもつてせねばならぬ。人の子たるものはその父母に対して衣食住の供養を欠くことの出来ぬは勿論なるが、なほ父母の心をして深く三寶に帰依せしめ、安心立命の地に住して正覚の妙信に達せしむるをもつて無限の親恩に報ゆる大孝の終とすべき」 とあります。ただ親の意に叶ふことだけでは、無限の親の恩に報いるには足りないと説かれるのであります。  追善  存命の父母に対しては、かやうに、父母をして三寶に帰依し、正覚の妙信に達せしめることが大孝であるとしても、巳に亡くなつた父母に対しては如何にすべきかといふことが問題となるのであります。いかにその身体を養ふとしても巳に身体はないのであります。直接に父母に対してはどうすることも出来ぬのでありますから、何等かのことをして、父母のために善くしやうと心がけるのが当然でありませう。実際、大抵のものはさういふやうにつとめて居るのでありますが、それには感謝の意味ですることもありませう。又謝罪の意味のものもありませうが、冥途に居る父母のために善かれかしと念ずる心持に何かせねばならぬとの心からして、何事をかすることが多いのであります。仏教にてはこれを追善とか、追福とかと言つて居るのでありますが、亡くなつた父母のために施こしたり、お経を読むで貰つたり、又は僧を供養したりすることが、その方法として行はれたのであります。これを追善といふ意味はお経を読むとか、施をするとか、僧を供養するとかの善事によりて死者の冥福を祈るがためであります。平安朝時代には盛にこの追福のことが行はれたのでありますが、その善事の内で、最も善事とせられたのは念仏することであります。伝教大師の如きも、念仏には七難消滅の功徳があると言つて居られるほどで、平安朝時代にありては、一面には現世の祈りをして禍を去り福を求めることをつとめ、一面には亡者の追善供養をなしたのでありました。平安朝時代の仏教といふものは全体がこれであつたと言つてもよろしい位であります。後の代のことでありますが、徳本行者の法孫の徳道といふ念仏行者が書いたものに次のやうなことが書いてあります。  「親は子のために無量の罪を造り、財寶を貯へてのこし行けども、その身に持ちて行くものとては罪業より外はない、されば子たるものは親の恩を思ひて真実に追善せずんばあるべからず親のため先祖のために南無阿弥陀仏唱て居ればつもるなり」  これは江戸時代のことであります。されば追善のために念仏を申すことは平安朝から始まり近時に至るまで行はれて居つたものと思はれるのであります。  孝養のための念仏  しかるに、親鸞聖人は大膽に告白して  「親鸞は父母の孝養のためとて、一遍にても念仏まうしたることいまださふらはず」 と言つて居られるのであります。父母に孝養する意味にて念仏を申したことは一遍もないと言はれたのであります。ここに父母に孝養といふのは父母の冥福を祈ることであります。亡くなられた父母に善いことがあるやうにとて念仏したことは一遍もないと申されたのであります。父母が迷ふて居り、悪道に堕ちて居るならばそれを救ひたいといふさういふ心持にて一遍だも念仏を申したことはないと言はれたのであります。亡くなつた父母の追善のために念仏を申すことが、すぐれたる孝行として一般に考へて居られたる時代にあつて、親鸞聖人は大胆にこれを排斥して、かやうに言つて居られるのであります。元来、念仏は仏の行を自分がさしてもらふのだから、それを道具につかつて、それによりて亡き父母の冥福をいのるべきものではないと親鸞聖人は言はれるのであります。さうして、それを説明して次のやうに言つて居られるのであります。  「そのゆへは、一切の有情は、みなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれもこの順次生に仏になりてたすけさふらふべきなり」 まことに一切の生物といふものは生々世々の父母兄弟であります。「心地観経」に「有情輪転して六道に生ずること、なほ車輪の始終なきが如し、或は父母となり、男女となり、世々生々に互に恩なり」と書いてありますが。「梵語経」にもまた  「一切の男子はこれ我が父、一切の女人はこれ我が母、我れ生々、これより生を受けざることなし、故に六道の衆生は皆これ我が父母なり」 とあります。この世の一生の間の父母兄弟ばかりでなく、あらゆる有情は、世をかへ、生をかへて互に父母となり、兄弟ともなり、永久につながつて居るものであるから、この一生を終つて次に受ける生涯で仏につて、これを救ふことをつとめ、以て広大なる恩に報ゆべしと説かれるのであります。我々は自分の力にては父母を助けることは出来ませぬ。つきつめて言へば自分をも助けることは出来ぬのであります。それ故に、我々としてはただ仏の願力によつて仏となり、それから縁あるものを教ふことを心がくべきであります。  自力の善  しかしながら、たとひ自分の力にては父母をたすけることは出来ぬにしても、念仏は仏の行として功徳広大であるに相異ないからそれによりて追善が出来ると考へることも出来ませう。親鸞聖人はそれにつきて  「我がちからにて、はげむ善にてもさふらはばこそ、念仏を回向して、父母をもたすけさふらはめ」 念仏が自分の力でつとめる善であるならば、それを仏に廻向して父母をもたすけられるであらうが、念仏は仏の行を行ずるので、決して自分の力でするのではないから、それによりて父母をたすけることは出来ぬのであります。  「ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなりと云々」 ただ自力を捨てて、仏のさとりを開くならば、六道・四生、さまざまの境界にありていろいろの業因苦果に沈むで居るものでも、不思議の方便をつくして、まづ有縁のものを済度することが出来るのであるから、いそぎ念仏して淨土に生れるといふことが肝要であります。  六道四生  ここに六道四生といふことにつきて一寸説明をして置きませう。天道とは天然自然樂勝身勝の境であります。人道とは苦樂の境に於てよく安忍するのであります。阿修羅道とは猜忌心を懐き常に闘争を好むの境であります。餓鬼道とは飢えて飲食を得ず、これを求めて苦しむ境をいふ。畜生道とは互に相呑噬して苦を受ること窮なきをいふ。地獄道とは?湯・嶮樹等の種々の苦しみなる境をいふ。この世界の外に、別にさういふ境地が存するやうに思ふのは非宗教的の考でありまして、宗教的の意味から言へば、この六道は全く我々の心の流転の相に外ならぬものであります。それから四生といふのは(一)卵生とて、殻から生出づる(二)胎生とて母胎の中に含蔵せられて月満ちて生れる(三)濕生《しつしよう》とて濕を仮りて生ずる(四)化生とて無くして忽ち有るをいふ。この四生は固より古代の人の考で今日の学問から言へばさうではないのでありますが、それは兎も角も、六道・四生の間といふ言葉は、我々人間が生死の苦界を流転する相を指していふのに外ならぬのであります。此の如く我々が永く流転して居る間に造るところの悪業によりて苦報を得ることは当然でありますが、いそぎ仏になりての後には不思議の方便にて自分に縁のあるものを済度することが出来るのであります。それ故に、父母をたすけるにしても先づ自分が仏になるといふことが第一必要のことであると言はれるのであります。それ故に、父母に対して真実に孝養を尽すといふことは、念仏を申していそぎ仏になることでありまして、それによりて精神を安らかにすることが本旨であります。自分の小さき計の心を問題とず、仏の大きなる心に導かれて、自然法爾の大通を歩むことが大切であります。父母に孝養するといふことも、この念仏生活の中に存するのであります。念仏を道具に使ふことなく、念仏の心に導かれて自力の計を離れたるところに、自から孝養の道が行はれるのであります。  師匠と弟子  鎌倉時代の高僧で、堕落せる仏教を復興することに大に努力せられた明慧上人が言はれた言葉に次のやうなことがあります。  「我は師をばまうけたし、弟子は欲しからず、尋常はいささかの事あれば、師になりたがれども、人に随て一生弟子とはなりたからぬにや、弟子持ちて仕立たがらんよりは、仏果に至るまでは、我心をぞ仕立つべき」  かやうに、明上人の言はれることは、自分は師匠は欲しいが弟子は要らぬ。世の常の人はいささかの智慧があれば、すぐに人を救へやうとするが、人にしたがふて一生弟子となることは出来ぬのであらうか。弟子を仕立てることは容易のことではないから、弟子を持つよりも仏になるまで自分の心を仕立る方がよいと、言はれて居るのであります。元来師匠といへば、一人々々の人間を相手にして、その人の性質やその他、いろいろなで事情に相応してこれを仕立てて行くべきものであります。今日の学校のやうに、大勢の生徒を集めて、教場に座らせて、教師が壇上で喋つて教へてゆくので、は今言ふやうな師匠と弟子との関係はあるべき筈はありませぬ。師匠といはれるものは、弟子がそれに就て聞くことによりて、導かれるものでなくてはなりませぬ。弟子と言はれるものは、師匠に近づいて、それによつて自分のたましいがはぐくみそだてられることをつとめるものでなくてはなりませぬ。今日の学校の模様では、教師と生徒との関係でありまして、生徒はそれによりて物知りにはなりますが、そのたましひがそだてられるといふことは少ない筈であります。  真の師弟  しかしながら、このやうな意味の師匠と弟子との関係は昔から、さう多くはなかつたのでありまして、親聖人の頃も、真の師弟の関係をもつて居たものは少かつたのであります。師匠と弟子とはありましても、その間は、ただ名利でつながつて居たのでありまして、師匠から言へば自己の名誉を先にして、自分は偉いから人を教へることが出来ると思ふのでありまして、従つて澤山に弟子を集め、又従つて経濟上にも利益を得るといふことをつとめるのでありました。殊に仏教の僧侶などでも、さうでありましたのは奇怪のことといはねばなりませぬ。  三の髪  法然上人が専修念仏の教を説かれたときに、九州の方から聖光房といふものが上つてまゐりました。最初は法然上人に會つて直接に話して見て若し異見があれば論判しやうと考へて居たのでありますが、京都に出て法然上人に會つて見ますと、非常に偉いお方で自分などはとても及ばぬと思つたので直ちにその弟子になつたのであります。それか三年ほど勉強し、これで十分、もはや学ぶ所はないと思つて、国へ帰らうとして、法然上人に暇を乞ふみて門外に出やうとするとき、法然上人はその後姿を眺められまして「折角の法師が髪を切らずに行くのは惜しいことじや」と言はれました。聖光房はそれを耳にいたしまして大に驚き、再び上人の許に帰りて、髪を切らずに帰るとは、どういふことでありますかと問ふたのであります。そこで法然上人が聖光房に向ひ「それは名聞、利養、勝他の三つの髯である」と申されたのであります。「お前が自分の教を聞て、それが分つてえらいものにならうと思ふのは名聞ぢや。これが心の中の一つ髯だ。さうして、これならば他にすぐれて居ると思ふは勝他ぢや、これが心の中の一の髪だ。さうしてかやうにして誰にも負けぬやうになつたら、自然利養といふ物質上の利益を受ことが出来るであろう、この三つの髯が心の中で切れて居なければ、折角法師になつても、又学問をしても詮ないことだ」と申されたのであります。聖光房は恥じ入りまして、年来うつし貯へた聖教類を残らず焼き捨てて国に帰つたといふ話であります。この聖光といふ人は法然上人の高弟でありまして、名を辨阿といひ、九州の久留米の在に善導寺といふ寺を建てて専修念仏を唱へ、後ち京都に出でて鎮西流の一派を興した人であります。これは実際にあつた話か伝説かは分りませぬが、真宗の書物に出て居る話であります。  人師を好む  まことに、この名聞と利養と勝他の三つの心はすべての人が持つて居るものでありまして、これによりて師匠と弟子との関係が結ばれて居るのでありますから、若し気に入らねばすぐに師匠をはなれ、師匠の方でも自分に不利益だと思へばすぐにその「弟子を退けるのであります。さういふ髯を切つて、師匠として真にその弟子のたましいを仕立てて行くことは、固より容易のことでありませぬ。明慧上人はたしかにそれを悲しんで、弟子持ちて仕立たがらんよりは、仏果に至るまでは我が心をぞ仕立つべき」といはれたのでありませう。進んで人を教へるよりも退いて教へられるべき自分の態度をかへりみるべきであります。しかしながら、多くの人々は自分の勝手のために弟子が持ちたいのであります。又自分の都合のために師匠となりたいのであります。親鸞聖人の正像末和讃の最後の方に  「是非知らず邪正もわかぬこのみなり。小慈小悲もなけれども、名利に人師を好むなり」 と告白して居られるのを見ますると、いかにも親鸞聖人の内省が徹底して居ることが窺はれるのであります。小さい慈悲もない自分で、正邪も是非も知らぬのであるが、しかし明利のために人の師であるといふことを好むのはまことに嘆はしいことであります。  弟子の争奪  「歎異鈔」の第六章に親鸞聖人の言葉として  「専修念仏のともがらの、わが弟子ひとの弟子といふ相論のさふらふらんこともての外の子細なり」 とあるのは師弟の問題に関して聖人の心持が明瞭に示されたものであります。元来専修念仏といふのは、自分の心のはたらきをはなれて、ただ仏の名を称へるのであります。  自分の智慧をはたらかして、何とか蚊とかしやうといふ計ひをやめて、ただ仏の本願に信頼するのであります。さういふ訳でありますから、専修念仏の心としては、我々はただ一個の愚悪なる人間としてただ如来の前に立つだけであります。自分の力がどの位あらうとも、人の師匠となると考へるべきではありませぬ。人に物を教へやうなどといふ考の起るべきではありませぬ。まして他の人と、弟子を争ふことなどは出来るものではありませぬ。しかるに専修念仏の輩が弟子を争ふなどは言語道断のことであります。仏の本願といはれるのは、一切の人々が仏の光明に照らされて、相共に進むべき道を如来から示された心持であります。しかるに、その弟子を争ふことが親鸞聖人の時代にも行はれたものと見えまして、親鸞聖人はそれをば以ての外のことであると言つて居られるのであります。さうして、親鸞聖人は更に  「親鸞は弟子一人も持たず、そのゆへは、我がはからひにて、人に念仏をまふさせさふらはばこそ弟子にても候はめ、ひとへに弥陀の御催しにあづかりて、念仏申し候人を、我が弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり」  親鸞聖人は自分は弟子一人も持たずと言はれるのであります。それはその人を指導し、その人のたましひをはぐくみ育てるといふことを意味しての弟子の存在を否認せられたのであります。自分の力で仏の本願を考へて、念仏を申し、それを人に勧めて念仏申させるのであれば、師匠でありませうが、しかしながら多くの人々が念仏申すことは、念仏申す人の自分のはからひではなく、申さねばならぬ心が自からひらけたのでありまして、全く他力の念仏であります。我々が念仏申すといふことは、全く仏の御催しにうながされたものでありますから、かやうにして、念仏申すものを自分の弟子と言ふことは甚だ驕慢のことであると言はれるのであります。  信樂房  「口伝鈔」に信樂房といふ弟子が、親鸞聖人の教に背きて親鸞聖人の門下をはなれて下野に帰ることになつたときの話が載せてありますが、それに拠ると、信樂房が国に帰るとき、蓮位房が申すやうは、聖人から信樂房に与へられた聖教には親鸞と外題の下にあそばされたものが多い、しかるに御門下をはなれては定めて仰崇することはないでありませうから、これをとり返さねばなりませぬといふことを申上げたのであります。その時、親鸞聖人は  「本尊聖教をとりかへすこと、はなはだ然るべからざることなり、そのゆへは親鸞は弟子一人ももたず、何事を教へて弟子といふべきぞや、皆如来の御弟子なれば、皆共に同行なり」 と言はれたのであります。念仏を申すといふことは、釈迦・弥陀二尊の方便として発起するものであるから、全く親鸞が授けたのではないのに、何を教へて弟子といふべきぞと断言して居られるのであります。我々としては「念仏申せば往生する」といふ如来の本願を聞くより外は何もないのであります。「念仏するものをたすける」といふ如来の本願は一切の人々と一処に聞くのであります。これを聞いて、その教の前に立つて教はれやうと念願するすべての人々と共に喜ぶのであります。それ故に法を説くと言ひましても、それも同じく本願を聞くのであります。何事をも人に教ふるといふことはないのでありますから、高いところに上つて人に教へるといふやうな、さういふ驕慢な心があつてよろしくない筈であります。さういふ訳でありますから、念仏を申すものが、「さう驕慢ではいかぬ、さう我を募つてはいかぬ」などと、その人の言行を正して行くことが出来るならば、それは師匠でありませう。しかしそのやうな師匠にはなれさうにない自分を顧みるとき、「弟子一人も持たず、何事を教へて弟子と言ふべきぞや」でありませう。さうして此の如き識下の態度にして始めてよく如来の本願を聞き取ることが出来るのであります。  四海兄弟  自から人を教ふる態度で、一段高いところへ上つて、かれこれと、他の人を低く見ることは専修念仏の人々の心にあらはるることではありませぬ。自分も人も共に煩惱具足のものであります。驕慢なことも、我をつのることも、ひがむことも、嫉妬することも、すべて、我も人もみな同じことでありますから、自分を別にして置いて、ひとり他の人々を指図すべきものではありませぬ。かやろなあさましい心の有様を、共々に語り合つて、互にそれを悲しみ嘆くより外はないのであります。実際、それが念仏の生活でありませう。その念仏の生活の上に我々が如来の本願に生きて行く道が開けるのであります。如来の本願を聞いて疑なく念仏申す心は、お互に兄弟となつて、共に如来の御恩を喜びながら、目指す涅槃の世界へ進んで行く相であります。互にたすけられ、互に勵げまされて、一処に旅をして行くところの同行であります。この専修念仏の心が、家庭にあらはるれば、親も子も、夫婦も兄弟も、すべてが互に同行として、互に手を取つて相共に進むことが出来るのであります。同一の目的に向つて、同一の道を歩むのでありますから、互に勵されつつ、お互に助けつつその道を進むべき筈であります。  縁あれば附く  親鸞聖人はかやうな宗教の心にて自力をはなれ、他力を仰ぎて、専修念仏の生活をして居られたのであります。それ故に親鸞聖人はすべてを他力のはからひとして考へて居られたのであります。「歎異鈔」に  「つくべき縁あれば、ともなひ、はなるべき縁あれば、はなるることのあるをも、師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば往生すべからざるものなりなんどいふこと、不可能なり」  かやうに、我々が他の人々と共に手をとつて、一処に生活して居ることもみな、他力のお蔭であると考へられたのでありませう。人と人との間のことも、つくべき縁があればつき、はなるべき縁があれば、離れると言つて居られるのであります。実に自力の計ひを離れて、全く他力にすがつた心持でありませう。一寸見れば、人々が自分の心にて銘々勝手に離れたり附いたりするやうに思はれるのでありますが、それは皆縁あつてのことで、離るべき縁があれば離れ、附くべき縁があればつくのであると申されるのであります。同じやうに念仏申して、親しい間であつたものが、何かの縁によつて他の人の許へ行つたからといつて、それでは念仏しても往生が出来ぬなどとは決して言ふべきことでないと親鸞聖人は深く戒めて居られるのであります。縁によつて離れるといふことを、よく、考へて見れば、人々が集まつて互に親しむときも、それは、自から集つたのではなく、離れた時も、それは自から離れたものではないと考へねばなりませぬ。何れの場合でも、縁によつてつき、縁によつて離れるので、これは全く他力のはからひとしてそれに従順して行くところに、真に仏の広大な慈悲が感じられることでありませう。  師の恩  かやうにして、専修念仏の心から言へば、弟子といふものはないが、しかし、師匠とすべきものはなければなりませぬ。如来の本願によつて念仏して往生するといふことを聞くやうに、我々に示して下されたのは師匠であります。自然のことはりによりて、如来の本願を信ずる身になつて見れば、その恩の広大なこともわかり、又それを我々に教へて下さつた師の恩の有難いこともわかる筈であります。「嘆異鈔」に「自然のことはりにあひかなはば、仏恩をも知り、また師の恩をも知るべきなり云々」とあるのは如何にも徹底した宗教の心であり、この心があらはれることが出来たら実に平和なる心の世界が開かれるでありませう。  自由の生活  多くの人々は金されば、我々の生活は何事も自由であると思ふて居るやうであります。なるほどそれは我々の衣服と食物と住居などを十分にすることだけであれば、金さへあれば出来ることでありますが、しかし、それにはいろいろの好みもありますし、それに萬事自分の意の儘には行かぬものでありますから、それが決して自由であるとは言はれませぬ。身分の高い人や、澤山の金を持つて居る人などが、一寸家を出るにも幾人かつき添ひ、女中が何人もお件をするやうでは、それは少しも自由ではありませぬ。それから日常生活にあつても方位や日の吉凶などに迷ひ、易や卜占などに心をかけて居れば萬事に不自由なることは言ふまでもありませぬ。しかしながら、さういふことが不自由であると八釜敷言ふときは、さう八釜敷言ふことが又不自由の因となるものであります。むかしある禅宗の高僧が旅行の途中、川を渡らねばならなかつたときに、舟が無かつたので若い奇麗な娘をその背に負つて渡してやられた。さうすると、後で連れのものが「和尚は僧侶の身でありながら若い娘を背に負ふとはけしからぬことである」と詰つた。すると、その高僧は「君はまだ娘を負て居るか」と言はれたといふことでありますが、実際我々の心は何事にも執著するもので、常に自由を得ぬことが多いのであります。それ故に、我々は日常生活から言へば、金持にもなれるが、貧乏にもなれる。必要に応じてはどんなことでも出来るといふ心を持たなければ自由の生活をなすことは出来ませぬ。たとひ如何なることに遭ふても、それによりて心の内が惑乱せられぬやうにならなければ真の自由の生活は出来ぬのであります。「菜根譚」の中に  「人は名と位の樂しみたることを知りて、名もなく位も無きの樂しみ最も真なるを知らず、人飢寒《きかん》の憂ひたることを知りて、飢《うへ》ず、塞からざるの憂の更に甚きを知らず」  世の人は名と位との楽しいことは知つて居るのでありますが、位もなく名もなきものの楽しみが真の楽しみであることを知りませぬ。衣食に乏しいものが、飢えたり凍えたりすることの心配を知つて居るのでありますが、しかし、飢えざるものの心配がそれよりも更に甚しいもののあるのを知りませぬ。実際に、豪富貴顕のものの生活の内部は日夜煩悶しなくてはならぬことが多いのでありまして、その不自由は貧民のものの生活よりも一層甚しいものでありませう。  無碍の一道  「念仏者は無碍の一道なり」 とあるのは、心の自由が十分に保たれて、何事にも惑乱せられぬことを言づのであります。念仏者といふことは、固より念仏する者といふ義でありますから、それが無碍の一道なりといふのは文章としてはいかがかと考へられます。しかし、大体の意味から言へば念仏者は無碍の一道を体得したといふほどの意味でありませう。言ひ換へれば、念仏は念仏する者のためには無碍の一道であるといふことを説かれたのでありませう。  念仏の法  念仏者は、前にも申したやうに、自力のはからひを止めて自然法爾の大法に信頼するものでありますから、それは無碍の法であります。言ふまでもなく、念仏は我々の心の内へ内へと深く進み入りて始めてあらはれるものでありますから、決して障碍に遭ふことはありませぬ。何時も障碍に遭ふのは、我々の心が外へ外へと出て行くときであります。心が外へ行くのは自我が外向くのでありますから、それが外にあるところの一切のものと衝突するのであります。自我といふものが強くなつて、外に向へば、それが種々の対象に接して、或は憂ひ、或は不満足となり、或は瞋かり、或は愚痴を言はねばならぬやうになるのでありますが、自分の心の奥に深く入るとすれば、ただ仏の心を対象とするのみで、何等我々の心を煩はすべき対象はありませぬ。それ故に、いささかも障碍のない大道を歩むことが出来るのであります。元来、念仏の心といふものは、自分勝手や貧欲の心の満足を得るためでなくして、自己の真実の自由を願ふために、あらはれるのであります。若し自分の苦しみを除かうとするならばそれは貧欲の心であります、貧欲の心は決して自由を得るものではありませぬ。若し真に、自分の苦しみを除かうとするならば、先づ他の一切の人々の苦しみを除かなくてはなりませぬ。世の中にはただ自分一人のみが存在するのではありませぬから、自分一人だけよいことをすることは事実出来ぬことであります。仏教で菩提心といふのは、正に此の如く一切の人々の心を救はむとする心であります。さうして、それは仏に心であります。我々としては如来の本願によつて、この菩提心を戴くのでありまして、念仏はここにあらはれるのであります。それ故に、念仏するものは人間の心を離れて真に自由の道を歩むものであります。  信心の行者  それを「歎異鈔」に説明して次のやうに言つてあります。  「そのいはれ、いかんとならば、信心の行者には、天神地祗も敬伏し、魔界外道も障碍することなし、罪悪も業報も感ずること能はず、諸善も及ぶことなきゆへなりと云々」  信心の行者は即ち念仏者であります。信心とは、如来の心が我々の心の上にあらはれたのでありますから、その念仏はただの念仏であります。ただといふのは、念仏するといふ意識もなく、南無阿弥陀仏の名號を称ふるのであります。仏からしてさう行ぜしめられるのであります。我々としてはただ本願の有りがたきことを信じて居るので、それが信心の行者であります。ただ口に仏の名を称へるからとて念仏者であるといふのではありませぬ。如来の本願を聞いて、それに信頼する人が念仏者であります。それ故に、念仏者を指して信心の行者といはれるのであります。かやうにして、まことに念仏は念仏者にとりて無碍の一道であります。「嘆異鈔」にはそのいはれ如何となればとありまして、その因由が説明してありますが、そのいはれは、第一に念仏は天神地祇も敬伏せられるといふのであります。それは、それが天神地祇の御心にかなふからであります。第二には悪魔、外道などの誘惑に迷はされるやうなことはないからであると説いてあります。又第三には、元来、罪悪は業報を感ずるものであり、諸善は修行せねばならぬことが仏教の法則として信ぜられることでありますが、念仏の行者にありては、罪悪も業報を感ずることが出来ず、又諸善を修するにも及ばぬといふのであります。かういふ意味に於て念仏者は無碍の一道であります。  罪悪と念仏  全体、我々が、念仏申さんと思ひ立つ心の起るといふことは、我々が真面目に人生を考へ、又真面目に自分の相を見やうとする心があらはれたのであります。若し人生を異面目に考へて見れば、我々が棲む世の中は適者生存の世界であります。生物の数はまことに雑多でありますが、その強いものは弱いものをいぢめ、自分が生きて行くためには、何物もかへりみることが出来ないのでありますから、かういふ場合に、人々の多くは念仏の力に縋《すが》つて、その罪悪を消して貰ふと念願するのであります。かういふ考の上に行はれる念仏は、罪がきえるやうにと貧欲の心を起すのでありますから、決して無碍の一道ではありませぬ。固より道徳の心の起るのが善くないと言ふのではありませぬが、さういふことは決して無碍の道ではありませぬ。かくの如きは、早く言へば、念仏によつて人生の苦悩を離れやうとすることは、まことに得手勝手の心であります。  他力をたのむ悪人  人生の苦悩は固より人生あらん限の事実であります。苦悩が人生の全体であります。苦悩の心の外に別に私といふものが存するのではありませぬ。苦悩そのものが人生であり、それ全体が罪悪でありますから、私が罪悪を持つのではなく、罪悪そのものが私の相であります。それも、この世で仮に善し悪しを別けていふ言葉を用ひて言ふのでありますから、悪といふのでありますが、固より善は一つもなく、一切が悪であるといはねばなりませぬ。かういふやうに人生を見、自分の相を見るときに、他力をたのみ奉る悪人といふことが適当でありまして、実際、我々は如来の本願に救はれつつある悪人であります。これを自覚するものが念仏者といはれるのであります。さうしてかやうに悪いものが悪いままに仏の本願にたすけられつつあることを知つたものが、始めて無碍の一道を歩むことが出来るのであります。「罪悪のあるものが、念仏によつて他力にすくはれる。さうしてこれによりて罪悪がなくなるのである」と考ふべきではありませぬ。人生は苦しみであり、悩みであります。仏教では四苦八苦などと苦情の状態をあげて説くのは、人々をして明かにそれを自覚せしめやうとするのであります。さうして、その苦悩を自覚することにより我々は自己の相をよく見ることが出来て、自己の相が全く苦悩に外ならぬことがわかるのであります。仏教では苦悩は決して我々の心の外に存するものではなくして、自分の心がそれを集め上げるのであるとするのであります。我々の心の貪・瞋・痴の三毒が苦悩を生ずるものであると知るとき、さうして、それが自己の相として如何ともすることが出来ぬと知るとき、ここに、我々の心に現れるところのものが、宗教であります。しかも、それはその苦悩を忘れるやうにと、望むものではなく、却て苦悩を苦悩と知つて、その浅間しさに泣かしめるものであります。  自然の大法  誰人にしても、深く心の内に入つて内省するとき、自分の周囲にあるところの大きな力を感じ、それが一切のものを自分に取込まんとして居ることを信ぜずには居られぬでありませう。さうして、世の中のものはすべてその大きな力にまとめられて、ある目的に向つて進んで居るものと思はれるのでありますが、その大きな力の中につつまれて生活して居ることを信ずるものが念仏者であります。この意味からして言へば、如来の本願といふのはかくの如き、自然の大法のはたらきに外ならぬものでありまして、我々はその自然の大法に信順せねばならぬのであります。自覚が徹底して自己の相が煩惱具足であるといふことを知るとき、しかもそれを如何ともすることの出来ぬ我々は、ただ自然の大法のはたらきに信頼するより外はないのであります。言葉を換へて言へば、自然の大法の前にありては我々の自我は価値を失なひ、自から頭が下るのであります。暑いと言ひ寒いといふのは固より自然の法則でありますからそれに従はなくてはならぬのであります。得手勝手の心をつき出して順境を喜び、逆境を憎むのでありますから、自然の法則に従ふことは容易ではありませぬ。世の中のすべてのことが皆さうでありまして、実に始末におへぬ心であります。しかし、自然の法則はさういふ人間にもその法則の中に取込むで居るのであります。かふいふことを考へるとき、我々は時には自然の法則に反抗しながら、しかも、その自然の法則の中に取り込まれて生存して居るのであります。腕白の小僧の振舞をしながら親の慈愛の中に抱かれて居ると同じ状態であります。かくの如くにして、我々が自分は如来の本願に救はれつつある悪人であるといふことを自覚するとせば、それは必ず天神地祇の喜ばせ給ふことでありませう。さういふものに対しては、天神地祇も敬伏せられるでありませう。天神地祇といふ言葉の中には、我々祖先なども含ませても差支ありますまい。これ等の天神地祇は固より我々の自覚を喜ばれることでありませう。それ故に念仏者は無碍の一道を歩むものであります。又それは全く如来の本願に従ふものでありますから、その心にあつては、罪悪も業報を感ずることが出来ぬでありませう。諸善もこれに及ぶことがないでありませう。それ故に、罪悪があると言つて心配するにも及ばず、又諸善を修めやうと努力するにも及ばず、無碍の大道を悠々と進むことが出来ると説かれたのであります。  非行非善  元来、念仏は、我々が、如来の本願を信じて、仏の名を称へやうと思ひ立つ心が起つたときに、感ぜられるところの如来の心のあらはれでありますから、それは要するに仏の仕事をするのでありますから、大善であり大行であります。「末燈鈔」の中に  「寶號経にのたまはく、弥陀の本願は行にあらず、善にあらず、ただ仏名をたもつなり、名號はこれ善なり、行なり、行といふは善をするについて言ふことばなり、本願はもとより仏の御約束と、こころえぬるには善にあらず行にあらざるなり、かるが故に他力と申すなり」  まことに、如来の本願は、ただ仏の名を持せよとすすめられるのであります。仏の名號は固より善であり、行でありますが、しかし、その名號を称ふる行者の方から言へば、自分の行でもなく、自分の善でもないのであります。それ故に「歎異鈔」に  「念仏は行者のために非行非善なり」 と言つてあるのであります。宗教の上から言へば、心を修めることが大切なのでありまして、如何に外見が立派でも、その心が空虚であれば何等の価値がないのであります。仏教にありて「行」といふことは、躬行実踐の行を指すのでありまして、願に到達するための修行、仏の教に対する実行、結局、我々の煩惱を対治するための行為であります。煩悩の数が多いから仏教ではこれに相応して諸善萬行といふのであります。又仏教で善とは、善・悪・無記の三性の一とつで、大乗仏教では、現在・未来の二世に亘つて自他を利益するものを「善」とするのであります。この「行」も「善」も、共に我々がこの世界に於て自分の希望を達するためにつとめねばならぬものであります。我々の心では固より善し悪しの価値をつけるのでありますが、それも、自分勝手の儘に善し悪しの価値をつけてはならぬといふ利他の心もあるのであります。それ故に、いろいろと考へて、それが適当と考へるものを実行するのであります。そこで、たとへば、念仏が善い行であり又善を積むことが善いことであると知るときには、行をはげみ、善を修めることに努力するのであります。しかしさういふ行も出来ず、善も修められぬといふ自分の相を見た時には、最早や如何ともすることが出来ないのであります。善し悪しの価値をつけることも出来ず、どうすればよいかと言ふことも考がつかず、最早や力及ばぬといふ時にあらはれるのが、念仏申さんと思ひ立つ心であります。行をしやうとするのでもなく、又善を修めやうとするのでもなく、ただ念仏するばかりであります。行も出来ず、善もすることの出来ぬ悪人が、ただ他力をたのむのであります。他力をたのむ悪人であることが自覚せられるのであります。それ故に、かかる信心の行者にありては、念仏は行にあらず、善にあらずであります。「嘆異鈔」にはそれを説明して次のやうに言つてあります。  「わが計にて行ずるにあらざれば非行といふ。わが計にてつくる善にあらざれば非善といふ。偏に他力にして、自力を離れたるが故に行者のためには非行非善なりと、云々」  かやうに念仏申すものは真実の意味に於て、全く自我の計ひを離れたものでありまして、他力であります。それ故に名號は善であり行であるが、念仏するもののためには行にあらず、善にあらずと言はねばなりませぬ。  自力の計度  しかるに仏の名號そのものが大善大行であるからと言つて、自分は常に念仏を申して居るから、たすけられるのであると、驕慢の心を起したり、又自分はどうしても念仏が申されぬと不安の心を起したりするといふことは、自力の計度でありまして、真正の意味の生活といふべきものではありませぬ。江州の了信が香樹院講師に向つて  「私はこれまで持ちこたへて居りました信心も安心も何処へか、いつて仕舞まして、ただもう御呼声一つが枝とも力とも、たのみきらるるばかりでござります」 と言つたところが、香樹院講師の仰せに  「それが仕おせたのじや、それでもうよいと捨てて置くのではない、聞いては喜びして聞いては喜びして居るのじやほどに」  これが本の意味の念仏でありませう。又「蓮如上人御一代聞書」の中に  「人の心得の通ほり申されけるに、我心はただ籠に水を入れ候やうに、仏法のお坐敷にては難有くも辱くも存じ候が、やがてもとの心中になされと申され候処に、前々住上人仰せられ候、その籠を水につけよ、我身をば法にひてて置くべき由仰せられ候萬事信なきによりて悪しきなり」本願すなはち仏の心の中につかつて居ればよいのであります。  往生の不審  念仏を申す心正しく言へば念仏申さんと思ひ立つ心、その心が、如来の本願によりて浄土へ生れさせられることを願ふ心でありますから、喜ぶ心より外に念仏といふものが有るわけはありませぬ。前にもしばしば説明しましたやうに、念仏の心は只、如来の本願を信ずるより外はありませぬ。さうして、如来の本願を信ずるといふことは、罪業の深重なる我々が、如来の願力によりて淨土へ生れさせられるといふことを疑はぬことであります。それ故に念仏を申すといふことは、浄土に生れんことを願ふ心のはたらきであり、淨土に生ることを喜ぶ心としてあらはれるものであり、浄土に生れたいと、それを楽しみにして待つ心であります。いかなる罪悪にも妨げられず、如何なる善行もこれに及ばぬといふほどに偉大なる本願の恵みによりて、永劫の苦悩から救ひ上げられることを知れば、常に喜びの心が起るべきことは当然であります。しかるに、我々は口には念仏を唱へながら喜びの情が起らず、又如来の本願を信じて念仏申すものは現に正定聚の位に住し、死ぬるときは苦惱のなき淨土に生れさせられるといふことに疑はありませぬが、しかしそれでも、死ぬるといふことが嫌で急いで浄土に生れたいといふ心は起らぬのが常であります。これはどうしたことでありませうか。此の如き疑問は念仏行者の多くが懐くところの疑問でありませう。唯円房といふお弟子があるとき、親鸞聖人に向つて、かやうな質問をしたのであります。親鸞聖人はこの質問に答へて、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじ心にてありけり」と言つて居られるのであります。「自分も嘗てそれとおなじやうな疑問を持つて居つたが、唯円房、お前も同じやうな疑間を持つて居るか」といふやうな意味の返答であります。  自責の念  高尚院超然師の「俚耳談」の中に  「羞を知らねば恥かいたためしなし、真暗《マックラガリ》には納戸も座敷も埃だらけでも、やれ取りみだれたることかなと、客人に恥しうは思はぬ。あかりを燃してみれば気の毒になる。大道を素裸で飛び歩行ても、恥かしうないは狂人なり」  真暗がりで、醜いのを醜いとも知らぬものに、どうして醜いことを悲しむことがありませう。唯円房は、自分が智ない、行なく、如何ともすることの出来ぬことを自覚して、念仏を申して淨土に生れたいと願つて居つたものでありませう。親鸞聖人の言はれるところの他力をたのみ奉る悪人であつたのでありませう。それ故に、念仏申しながらも早く往生したくないといふやうな懈慢の心を悲しんで、これはどうしたものであらうかと親鸞聖人に質問したのでありませう。多くの人々は本当の心持で念仏も申さないで、さうして喜ぶ心が起るやうにと望むのであります。無論、往生を信ずることがないのに、浄土に生れたいと願ふ心は起らぬのでありますが、しかしながら、我々は、何にしても喜ぶ心の起ることを望むのでありますから、自分の方は一切捨てて置いてただ、喜ばれるやうにと望むのが常であります。如来の本願と名づけられるやうな仏の慈悲の心のはたらきに気がつかなかつた間は、すこしも自分の内面を省みやうとはしなかつたが、如来の慈悲といふやうなことに気がついて見ると、自分の心の懈怠さ、執着の強さ、愚かさがしみじみと自分に感ぜられることでありませう。そこで、我々は此の如き広大の如来の慈悲を喜ぶべき筈であるのにそれを喜ばず、又理想すなはち往生浄土に向つて進むことの希望も持つて居ないことが知られてまことに、自分の懈怠のあさましい心を自ら責める心が起ることでありませう。唯円房はかやうな自責の念から、親鸞聖人に向て質問したのでありませう。親鸞聖人はそれに対して、自分も甞てさういふ疑問を持つて居つた、お前も同じ心であるかと申されたのであります。これが普通の人ならば一段高い所から、下の方に向つて、「それはお前の修行の足らぬためである」と驕慢な答をするのでありますが、親鸞聖人は、さういふ高い所に居つて低いところを見下すのでなく、同じ高さの所に下りて来て、「自分も甞てさういふ疑問を持つて居つたが、唯円房、お前も同様の不審を持つて居るか」と、同情の態度で、暖い言葉を出して居られるのであります。  聞法不十分  法然上人と親鸞聖人とはかういふやうな場合に何時でも互にちがつた態度をとつて居られるのであります。法然上人の言葉が「拾遺和語録」に載せてあるのを見ますと  「本願の疑はしき事もなし、極楽の願はしからぬにてはなけれども、往生一定と思ひやられで、とくまいりたき心のあさゆふは、しみじみともおぼえずと、おほせ候事、まことによからぬ御事にて候、浄土の法門を聞けども聞かざるが如くなるは、このたび三悪道より出でて、罪いまだつきざるものなりと、経にも説かれて候、又この世を厭ふ御心うすくわたらせ給ふにて候、そのゆへは、西国へくだらんともおもはぬ人に、船をとらせて候はんに、船の水に浮ぶことなしとは疑ひ候はねども、当時さしているまじければ、いたくうれしくも候まじきぞかし、さて、かたきの城などにこめられて候はんが、からくしてにげてまかり候はんみちに、大きなる河海などの候て、わたるべきやうもなからん折。おやのもとより船を設けて迎へにたびたらんは、さしあたりていかばかりかうれしく候べき、これがやうに、貪瞋煩悩のかたきにしばられて三界の梵籠にこめられたる我等を弥陀慈母の御心ざし深くして名號の利劔をもちて生死のきづなをきり、本願の要船を苦海の波に浮べて、彼の岸につけ玉ふべしと思ひ候はんうれしさは歓喜の涙たもとをしぼり、湯仰の思ひ肝にそむべきにて候、云々」  まことに至極のことであります。しかし、唯円房は、親鸞聖人に従ふて、念仏の法を聞て本願の念仏を申して居るのであります。それでもその喜びの心が続かぬ。又人生は苦悩の世界であるから、これを離れて、安養の浄土へ生まれることを願ふことは人間の最大の理想であるべき筈なるに、とくに浄土へ参りたいといふ心が起らぬ、これはどうしたことであらうと、自分の心をのぞいて、その心をためして居るのでありませう。この心は、誰人の心にもありまして聞法の十分でないためだと言はるれば、それまででありますが、親鸞聖人はその疑問に対して、人間の心其儘を見て、次のやうに言つて居られるのであります。  「よくよく案じみれば、天におどり、地におどるほどに喜ぶべきことを喜ばぬにて、いよいよ往生は一定と思ひ給ふべきなり」  「喜ばれぬものは救はれないのである」と言はれるならば、当然のことでありますが、親鸞聖人の答は全くそれに反して「喜ばれぬので、たしかに往生一定と思へ」と言はれたのであります。一寸奇異な感じがするのでありますが、しかしながらよくよく考へてみれば、喜ぶべき筈のものが喜ばれぬので、たしかに往生一定であると知られるのであります。  信心歡喜  「聞其名號、信心歓喜」といふ言葉が「大無量壽経」の中にあります。それは如来の名號を聞て信心歓喜するといふことでありますが、如来の名號はすなはち南無阿弥陀仏で、如来の本願を表現したものであります。如来の本願は、我々人間をこの苦惱の世界から離れさせやうといふ力であります。我々をして淨土に往生せしめんとする至大なる力であります。重い石を船に乗せれば沈むことがないと同じやうに、我々のやうな重い罪業を持つて居るものでも、本願の船に乗れば、生死の海に沈むことなく必ず浄土に往生せしめられるのであるといふことを信ずるによりて歓喜の心があらはれると言ふのであります。我々人間は自分の得手勝手から、現在でも又未来でも、いろいろの考をするものでありますが、さういふ考を持つたまま、それが如来の本願と名づけられる所の大なる力に包まれて居るのであるから、その偉大なる力を信ずればその力に随順せねばならぬのであります。さうならねばならないやうに如来の本願と言はるる力は始終はたらいてゐるのでありますから、それを信じて淨土に往生することは喜ばしいことであります。  喜と信心  しかしながら、歓喜といふものが往生浄土の條件であるとすべきではありませぬ。元来、我々が喜ぶといふことは得手勝手のもので、所謂自力のはからひでありますから、あてにはなりませぬ。喜ぶのは自分の心のたむのでありまして、必ずしも真実に如来の本願の不思議をたのむのではありませぬ。昔の妙好人の中には踊り上つて喜んだものがあつたといふ話もありますが、さういふことは我々の生活にありて常に役に立つ心持ではない筈であります。前にも挙げた超然師の「俚耳談」の中に 「人、物の道理を感ずれば、情に逼《せま》りて涙を流し、心の悄然となるものなり。哀につづりたる浄瑠璃、或は梨園の芸を見て、忠臣孝子、義夫節婦の分野《ありさま》をうつすに至れば、狂言綺語と知りながら、不覚涙を落とし、胸の逼るもあることなり。それも女童は、ただ恩愛別離などの愁ひの、顕露なる処にて涙を流す。物の辨へあるものは、女童の取乱したる愁ひのありさまは、さもなけれど、忠臣義士の難に臨みて身をも命をも惜まず、堪へしのぶ操を見て落涙することなり。佐野天徳寺と言ふ勇将は、盲人に平家をかたらせ宇治川の先陣の処を聞きて、さめざめ泣きたるは、さのみ哀なる処とも覚へぬに、若先陣に後れたらば、必ず討死すべしと思切たるに武士の志を感ずるなり。箇様の類なほ有べし。然らば仏法を聞くにも、法蔵因位の苦行を感じ、涙を流すものあるべし。又譬喩因縁の、哀なるに催さるる涙もあらん。其感涙を認て、直ちに信心なりと思はば、これ己が心をたのむになるべし。さればとて物の哀にも感ぜさるは、木石の類なり、その理に感じて、たのむべき大悲をたのみ、往生を決得し、慶喜報恩の思ひのふかからんこそ、信心歓喜の人なるべし」  法然上人の「和語燈録」にも、 「心のそみぞみと、身の毛もいよだち、涙の落るをのみ、信の発ると申すは僻事にて有る也、それは歓喜、随喜、悲喜とぞ申すべき。信といふは疑に対する意にて、疑を除くを信とは申すべき也、見ることにつけても、聞くことにつけても、其事一定さぞと、思ひ取りつることは人いかに申すとも不定の思ひになることはなきぞかし。是をこそ物を信ずるとは申せその信の上に、歓喜、随喜など発らんは、勝れたるにてこそあるべけれ」 喜ぶ心が、たすけられて浄土に往生するところの條件でないことは勿論であります。たすけられたことを知つて喜ぶのは固より当然でありますが、しかし、それがおどり上がるほどに喜ばれぬのは、全く我々の心があさましいためであります。小さい慈悲でも直接にそれが感じられば随分喜ぶのでありますが、広大な恩恵には喜びの心の起らぬのが常であります。これが煩悩と言はれるものであります。この煩悩を具足したものを目当に如来の本願があらはれたのでありますから、喜ぶべきことを喜ばざるにて往生一定と思ふべきであると言はれて居るのであります。親鸞聖人は更にそれを説明して  「喜ぶべき心をおさへて喜ばざるは煩悩の所為なり、しかるに、仏かねて知ろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたる事なれば、他力の悲願はかくの如き我等が為なりけりと知られて、いよいよたのもしく覚ゆるなり」 と言つて居られるのであります。尊尊の言葉が、観無量寿経に「汝は是凡夫、心想羸劣《しんそうるいれつ》なり」と出て居るのでありますが、一切の衆生は煩悩具足してゐる、さうして其心が弱い、何事も出来ないのであります。如来の本願は此の如き凡夫のために起されたのであると説かれるのであります。それ故に喜ぶべきこと喜ばざるやうな煩悩具足の我々であることを自覚すれば、本願に随順して浄土に往生することは、一定と信ぜねばなりませぬ。  暗黒と光明  如来の本願とは、かやうに、仏の慈悲の力が我々の周囲にあらはれて我々を摂取するのでありますから、譬喩的に申せば我々の心の暗黒を照すところの光明であります。夜になれば燈火を要すると同じやうに、暗黒の我々の心は輝きたる光明を望むのであります。これを宗教の言葉にて我々の心の暗黒なる様を煩惱具足の凡夫といひ、輝きたる光明を指して如来の本願とするのであると考へてもよいでありませう。親鸞聖人はこの暗黒の方面を説明して、次のやうに言つて居られるのであります。  「また浄土へ急ぎまいりたき心のなくて、いささか所勞のこともあれば、死なんずるやらんと、心細くおぼゆることも煩悩の所為なり、久遠劫より今まで流転せる苦悩の舊里は捨て難、未だ生れざる安養の浄土はこひしからず候こと、まことによくよく煩悩の興盛に候こそ、名残おしく思へども、娑婆の縁つきて力なくして終るときに、かの土へは参るべきなり、急ぎ参りたき心のなきものを疎にあはれみたまふなり、これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしくは往生は決定と存じ候へ」  暗黒の方面を煩悩とし光明の方面を浄土とするのでありまして、浄土は理想であり、煩悩は現実であります。それ故に、我々が浄土へ往生するといふことは現実から理想の世界へ、暗黒から光明に至ることであります。それにも拘らず早く往生したくないところに我々人間の煩惱の興盛が認められるのであります。  人間性  暗黒といひ、煩悩といひ、まことに善くないものには相異ありませぬが、しかしながら、それが我々人間の本性であります。我々人間にかやうな本性があればこそ、その本性の醜悪に気がつきて、ここに宗教の心があらはれるのであります。「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の舊里はすてがたく、いまだむまれざる安養の浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛にこそ」とあるのが人間の本性でありませう。苦悩の舊里を棄てないところに人間の本性があるのでありませう。浄土といふものは我々の心が理想の世界に到りて円満となる境地であることを知つても、今すぐそこに往くことは願はしくありませぬ。これは言ふまでもなく我々の心が現在に執着するためであります。現在の世界の娑婆はまことに苦悩にみちては居るのでありますが、それが我々の郷里でありますから、それから離れることは出来にくいことであります。まことに煩惱の興盛なることに驚かざるを得ませぬ。  断除煩惱  念仏の生活をしつつ、この世に生きてゐる縁が尽きて、死ぬることになれば、必ず浮土に行かねばなりませぬが、それにも拘らず、死にたくないのは人間の本性であります。若しそれを取り除いたら人間ではありませぬ。現世にありて真に煩悩を断除することが出来れば、すなはち仏であります。それ故に  「踊羅歓喜の心もあり、いそぎ浄土へ参りたく候はんには、煩悩のなきやらんと、あやしく候ひなましと云々」 と言はねばなりませぬ。若し飛び立つほどに喜ぶ心があつて、急ぎ浄土へ参りたいと思はれるときには、却て煩悩がないのではないかと、それが危ぶまれるのであります。我々は現実の相に目が覚めれば、覚めるほど現実の暗黒が感じられ、理想によりてこれを明るく照しはじめるのであります。我々が自分の心の中に入れば入るだけその暗いことを知りますます恥じなくてはなりませぬ。そこに理想の光明はますます強く照して来るのであります。それを宗教の言葉にて表現して「いよいよ大悲大願はたのもしくおぼえらるる」のであるといふべきでありませう。現実の暗黒がなくして光明の理想は入りませぬ。我々の今日の人間の生活の現状は煩惱具足でありますから理想の光明らしい如来の本願があらはれるのであります。若し煩惱がなかつたら光明は全く不要でありませう。かやうにして我々が自分の心の暗黒に気がつけば往生は一定であると言はれるのであります。  現実に生きる  喜ぶ心が起らねば、喜ぶ心が起るやうにせねばならぬぞ、浄土へ往生したい心が起らねば浄土へ行きたい心を起すやうにつとめねばならぬぞと教へるのが普通の人の態度でありませう。それは全く道徳の心でありまして、宗教の心ではありませぬ。せねばならぬことが出来ぬといふ現実の相に目がさめて起るものが宗教の心であります。我々人間の現実の心は、浄土へ往生したいやうな心は起さず、この娑婆に長く居つて生活したいのが山々であるが、生きてゐたくても生きられないやうになつて死ぬれば力なくして浄土に行かなくてはならぬ筈であります。我々は現在の生活に於て毎日毎日地獄行きの種を播いて居るといはねばならぬほどに煩悩に充ちた生活をして居るのでありますから、我我にして深く内省して現実の相をみれば、何と言つても暗黒であります。さうしてそれは人間の本性として如何ともすることの出来ぬものでありますから、暗黒に目をつける事が我々の力の限であります。若し現在の煩悩から離れるといふことであれば、それは我々の現実の生活を止めるといふことであります。さういふことは出来ないことであります。何と言つても現実が、我々に与へられた人生でありますから、我々はこの与へられた人生に生きて行かねばなりませぬ。さうして、現実の人生は此の如く煩惱に充ちて居るものでありますから、真に現実の人生に生きて行くには、どうしても、現に我々の心の上にあられるところの光明に導かれねばなりませぬ。それは我々の理想とすべきものでこれを如来の本願とするのでありますから、その光明に照されることによりて我我の暗黒の生活は始めてあかるいものとなるべきであります。それは真に喜ぶべきでありますが、それを喜ばぬのは煩惱の所為であります。すなはち我々人間の生活そのままの相でありまして、又それが如来の本願の不思議にたすけられる原因でありますから、此の如き煩悩に入り悲しむところに、我々が如来の本願に接する唯一つの道があると申すのであります。固より煩惱に充ちて居るのが我々の心の現実でありますから、内観を深くすればどうしてもそれに気がつきて、恥ぢまた悲しむべきであります。若しいくら内観しても煩悩が無いとすればそれは人間の生活を離れたものでありまして、如来の本願などを必要とするものではありませぬ。それ故に現実に生きねば我々としては煩悩に充ちたる相に目をさまして如来の本願のありがたさを考へねばなりませぬ。  無義を義とす  前にも申したやうに、我々に取りては念仏より外に往生の道はないのでありますが、その念仏は本願を信じて、ただ口に南無阿弥陀仏を称ふるのであります。「嘆異鈔」の第十章に  「念仏に無義をもて義とす、不可称、不可説、不可思議の故に、と仰せられ候ひき」  親鸞聖人はかく言はれたと書いてあります。義とは宜に随ていろいろとさばいて行くことで、つまりはからふことをいふのであります。念仏ははからはないのがはからひだと言つてあるのであります。親鸞聖人はこのことを説明して、次のやうに言つて居られるのであります。  「如来の御誓なれば、他力には義なきを義とすと、聖人の仰言にてありき、義といふことは計ふことばなり、行者の計ひは自力なれば義といふなり、他力は本願を信楽して往生必定なるが故に更に義なしとなり」  これは親鸞聖人が門人の問に対して答へられたのでありますが、念仏といふものは、言葉にて称讃することも、説明することも出来ぬことは勿論、心にて思ひはからふことも出来ぬものでありますから、我々としては念仏に対して兎角のはからひをせぬのが、そのまま、仏のお計ひであると言はれるのであります。前にも申したやうに他力といふのは、我々がかれこれとはからはぬ心を申し、自力といふのはいろいろとはからふ心を言ふのであります。自力は自分の力、他力は他人の力といふやうに考へると混雑しますから、さういはないで、他力ははからはぬこと、自力はかれこれとはからふ心であると知るべきであります。それで「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんと思ひ立つ心のおこるとき」とあります。その弥陀の誓願不思議といふことを聞くと、一体それはどういふことであらうか、又念仏を申せばたすかるぞといふことを聞けば、念仏を鄭重に、一生懸命に又なるべく多く申す方がよいのであらうと念仏といふものを自分の功徳と心得て念仏を申すのが普通であります。かやうなことをはからふといふのであります。すなはち自分の心であるといふのであります。一体、たすけられるといふことは普通に人々がたすけられるといふ意味でたとへば災難のときにたすけられるといふやうなことでなしに、我々人間の小さい心が、その心の本であるところの大きな心の内におさめとられることをいふのであります。  我々の心は元来、宇宙の根本であるところの真如から出て、迷つた我々の心となつてあらはれて居るのであります。さうして、宇宙の大きな心は、われわれの迷ひの心のやうに、かれこれとはからはぬのでありますから、真実なる心であります。我々はそれを仏の心と感ずるのであります。しかるに、その我々の心が真如の心と一処であるといふことがさとられるときには我々の心にて造り上げたる苦しみからはなれることが出来るのであります。それをたすけられるといふのであります。これを仏の方からいへば摂取せられるのでありまして、大きな心の内に小さな心をおさめ取られるのであります。 「歎異鈔」の第一章に  「弥陀の不思議に助けられまいらせて、往生をば遂ぐる也と信じて、念仏申さんと思ひ立つ心の起るとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめ給ふなり」  かういふやうに説いてあるのであります。弥陀の誓願を信じて念仏を申すといふことは、自分の計ひをやめて、ただ念仏申すといふ意味に外ならぬのでありますから、かれこれとはからはず、ただ念仏申すといふことが、すなはち如来の誓願不思議を信じたのであります。普通信ずるといふことは、我々が弥陀の誓願に向つてその心をはたらかすことをいふのでありますが、ここの意味はさうはからふ心をばはなれたことをいふのであります。その故に信ずるといふことは如来のはからひであつて、我々のはからひではありませぬ。従つてその誓願を信じて、念仏申すといふことは、我々のはからひでなくして、全く如来のはからひであります。それで、念仏は義なきをもて義とすといはれるのであります。  念仏の異議  親鸞聖人が、かやうに説かれた本願の念仏もその意義が、多くの人々のために誤解せられて、漸次に、その真実の精神から離れるやうになつたのでありますが、「歎異鈔」の著者はそれを歎いて居るのであります。すなはち、次のやうに「歎異鈔」の第十章に説いてあります。  「そもそもかの御在生のむかし、同じ志をして、あゆみを証拠の洛陽にはげまし、信をひとつにして、心を当来の報土にかけしともがらは、同時に御意趣を承はりしかども、そのひとひとに伴ひて、念仏申さるる老若、そのかずを知らずおはしますなかに、聖人の仰せにあらざる異義どもを近来は多く仰せられあふてさうらふよし、つたへうけたまはる、いはれなき、條々の子細のこと」 親愛聖人がこの世に生きて居られましたその昔、同じ志ではるばる京都へ上ぼり、一味の信心を頂いて、未来は浄土へ参りたいと願つた弟子達は一緒に聖人の御心持を承つたことであるから、別に異つたことを言ひ立てるものはなかつたが、しかし、その弟子達に従つて念仏申す人々は段々とその数が多くなつて、その中には親鸞聖人の仰せにならなかつたことなどを近来は多く申し合ふてゐることを伝へ聞いてゐるが、今、それらは全く理由のない不都合の條々であるといふ仔細をこれから述べやうと、かう書いてあるのであります。ひとり「歎異鈔」著作の時代のみでなく、今日にありても親鸞聖人の教に背きたる異学異見は固より多く行はれて居ることでありませう。  難信の法  全体法を聴いてこれを信ずるといふことは実際容易のことではありませぬ。親鸞聖人の言葉にも  「邪見と驕慢と悪の衆生とは信樂受持すること難し」 と言つてあるのであります。仏の本願のことを聞いてもそれを信じて、さうしてそれをたもつことはむつかしいことであります。勿論、「法」そのものは難かしくないのでありますが、正直にその法を聞いてこれを自分のものとすることが容易でありませぬ。故に法を信ずるといふことは六ヶ敷いと言はねばならぬのであります。  越後の貞信尼は、香樹院師の御前に出る度毎に、念仏申せ念仏申せと仰せられる。或時念仏申せとの仰せは聞かいでも、念仏申して居るから、少し有難いことを聞かせて頂きたいと思つて、師の前に出たときに、師はその心を見ぬかれて  「お主が何程聞き度と思ふても、外からの障りと、内からの障りと無量の障りがありて聞くえぬのぢや、念仏申せばその障りがなくなるで、それで俺が念仏申せといふのぢや哩《まいる》」 と仰せられたといふことであります。平凡なことのやうでありますが、実際自分の内を省みて、宗教の心の起きて来るまでに徹底することは容易ではありませぬ。驕慢といふものが内からの障りとなつて、しかもそれが無量でありますから、到底法は聞えませぬ。貞信尼は若い時から有難い心を持つた人で普通ならよく法を聞いて居るといふべき人でありますが、それに向つて香樹院師は「念仏せよ」と言はれたのであります。それはどこまでも内省しろといはれたのでありませう。  誓願と名號  そこで、念仏につきてもいろいろの異義が行はれたのでありますが、その第一に挙ぐべきものは念仏は誓願を信じて申すのか、又は名號を信じて申すのかといふことでありました。「嘆異鈔」に 「一文不通のともからの念仏申すに遇ふて、汝は誓願不思議を信じて念仏申すか、また名號不思議を信ずるかと、いひ驚かして、ふたつの不思議を仔細を分明に言ひひらかずして人の心を惑はすこと、この條かへすがへすも心を止めて思ひわくべきことなり」  一文不通、一字も文字を知らぬやうな愚かなものが念仏を申すのに対して、「お前は誓願不思議を信じて念仏するか、名號不思議を信じて念仏するか」といふやうなことを言つて、そのものをおどろかし、誓願・名號の二つの不思議を明かに説きしめさずして、徒らに人の心を惑はすものがある。かやうなことは、よくよく心をとめて、善くないことであると知りわけねばならぬといふのであります。これはその当時、さういふ異議があつたのであります。誓願は本願のことで、「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんと思ひたつ心の起るとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」とあるから、本願を信ずるのだ、念仏は本願を信じて申すのだ。それ故に本願を信ずれば念仏を申すことはどうでもよいといふ考と、これに対して念仏申すといふことは名號の不思議を信ずるのであるから念仏を申すといふことが大切であるといふこの二つのが当時にあつたのであります。  ただ不思議  かやうに、本願を信じて念仏申すのであるか、又は名號を信じて申すのであるかと、議論をするのは全く自力の計ひであります。親鸞聖人はさういふことについて、関東の弟子から質問を受けられて、それに返事をせられたのが「末燈鈔」に載つて居りますが、それは  「誓願名號同一の事  誓願名號と申してかはりたること候はず、誓願をはなれたる名號も候はず名號を離れたる誓願も候はず候、かく申し候もはからひにて候なりただ誓願を不思議と信じ、また名號の不思議と一念信じ唱へつる上は何條我が計ひをいたすべき、ききわけ、しりわくるなど、わづらはしく仰せられ候やらん、これみな、ひがことにて候なり、ただ不思議と信じつる上はとかく御はからひあるべからず」  ただ信ずればよいのでありますが、計らはなくては信じられませぬ人々は、不思議と信ぜねばならぬといはればさう考へるのであります。故にいつでも「はからひ」なき信心に「はからひ」を加へることが行はれたのであります。  南無阿弥陀仏  名號といふのは南無阿弥陀仏でありまして、それは如来の本願に基づいて出来たものでありまして、我々はこの名號によつて始めて如来の本願を知ることが出来るのであります。それ故に、我々としては、南無阿弥陀仏の名號を信ずることが、念仏申す心でありまして、すなはち如来の本願にたすけられることであります。決して両者を離して考へるべきものではありませぬ。  「誓願の不思議によりて、保ち易く、称へ易き名號を案じいだし玉ひて、この名字をとなへんものを迎へ取らんと御約束あることなれば、まづ弥陀の大悲大願の不思議にたすけられ参らせて、生死を出づべしと信じて、念仏申さるるも、如来の御計ひなりと思へば、すこしも自からの計交はらさるが故に、本願に相当して真実報土に往生するなり」  善導大師の「往生禮讚」にも「弥陀世尊はもと、深重の誓願を起して、光明名號を以て十方を摂化し玉ふ」とあります。それ故に「弥陀の誓願は、この名號をとなへんものをば迎へ取らんと御約束あることなれば」と言はれるのでありますから、弥陀の本願を信じて、念仏申すといふことは如来の計はせ玉ふ所であると知れば、そこには何等自分の計ひはない筈であります。それ故に、本願に相応して、真実の大慈悲心に報いてあらはれた世界へ往生することができるのであります。そこで「これは誓願の不思議をむねと信じたてまつれば、名號の不思議も具足して、誓願名號の不思議、ひとつにして更にことなることなきなり。」と説かれるのであります。南無阿弥陀仏といふことは仏に南無せよといふことであります。すなはち念仏申せといふこと、それが如来の本願であります。さうすると南無阿弥陀仏と申すことは仏の心がわれわれの心にあらはれたのであると言はねばならぬので、南無阿弥陀仏は仏の心が我々の心にあらはれで、それが我々をして南無せしめやうとするのであります。親の心が子にあらはれてその子が親の慈悲を知ることができるのであります。それを誓願、名號ひとつにして、更にことなることなきなりと言はれるのであります。  自行の念  それから第二には、念仏を申しても、誓願の不思議をたのまず、自分の力にて、往生すべき行をはげむものが多いのであります。これも異義であります。  「つぎにみづからのはからひをさしはさみて、善悪ふたつにつきて、往生のたすけさはり、二様におもふは、誓願の不思議をばたのまずして、わがこころに往生の行をはげみて、まうすところの念仏をも自行になすなり」  たとひ、口には念仏となくへても、心に自力の計ひがあつては、善は往生のたすけになり、悪は往生のさわりになると考へて居るのは「善も悪にあらず、悪も恐れざる」といはれる誓願の不思議を信ぜずして、自分ひとりで往生の業をつとめて居るのでありますから、その念仏は自力の善行であると思はれて居るのであります。かやうに「自分の斗ひをさしはさみて善悪の二つにつきて往生のたすけ、さはり二様に思ふ」といはるるのは全く道徳の心が強くして、善悪の価値を別ける考が著しくあらはれるのであります。しかし、道徳の世界と宗教の世界とは全然相異したものでありまして、道徳の心が全く駄目であると知らるるに至りて、宗教の心があらはれて来るのであります。善し悪しの価値を別ける道徳の心が強い間は、宗教の心は起る筈はありませぬ。宗教の心はこの道徳の心が行き詰つてからあらはれるのであります。しかし、もし道徳の心がなければ従つて宗教の心もあらはれる筈はありませぬ。道徳は善し悪しの価値を別つものでありますから、その心が起これば自身の心のはたらきの善くないといふことがはつきりと分つて来てそれを如何ともすることが出来ぬことが知られるのであります。そこでそれを始末するものが宗教の心としてあらはれるのであります。それ故に道徳はよしあしの価値を別つことであり、一切のよしあしの価値を超越して、そこに自からにしてあられる心を宗教といふのであります。自分の力をはさんで、往生のたすけになると思ふたりするのは、自分の力で往生が出来ると考へるのでありますから、かやうな心にて申す念仏は自分の行にすぎないのであります。これは結局、道徳の心のはたらきでありまして、宗教の心のはたらきではありませぬ。  他力念仏  如来の本願でたすけられるものならば、それを信ずればよいではないか、念仏申すことも善いであらうが、念仏を申さなくても差支ないではないか、つまり、念仏を申す必要はないであらうといふ考が起る。又これに対して念仏申すことによつてたすけてもらふのであると考へて本願を信ずることは抜きにして、ただ念仏を申しさへすればよいと考へるものもあります。かやうな考の起るのは全く本願と名號の関係を明かにせぬためであります。念仏を申せば助かるといふのは、さういふ本願であるからであります。自分が念仏申したからたすかるのではなく、如来の本願は念仏申すものを助けるといふのでありますから、本願を信ずれば念仏は自から申さるべきものであります。念仏を申せばよいとか、念仏を申さぬでも善いとかいふことは、皆、自力のはからひであります。念仏を申さなくてもよいとか、申さなくてはならぬとかといふことは言ふまでもなく邪見・驕慢であります。我々の心のあさましいことが十分にわかると、念仏申すものをたすけるといふ本願は信ぜられるのであります。念仏するものを仏がたすけるといはれるのであれば、その声は人間には聞えないでもよい筈であります。しかし、我々としては、もし称名念仏するといふことが仏の思召なら、その称名念仏をすることが出来なかつた場合には、邪見の心が、如来の本願をよく信ずることが出来ぬことを自から懺悔すべきであります。かやうに懺悔する所に口に称名念仏すると、同じ心のはたらきがあらはれることでありませう。この場合、念仏は仏に聞えれば善いのでありますから、高声に唱へなくてもよいと言ふことも出来るのであります。しかし、何と言つてもそれは人々の計ひの心であります。他力の念仏はこの計ひの心を離れた所に自から起るのであります。 「歎異鈔」の著者はそれ故に  「これは誓願の不思議をむねと信じたてまつれば、名號の不思議も具足して、誓願名號の不思議ひとつにして、更に異ることなきなり」 と言つて居るのであります。我々が真実の道に入るといふことは、われわれの考へや、行を善くすることや、智慧をはたらかせるなど、かれこれの計ひによつて出来ることではありませぬ。如来がわれわれをして真実の道に入らしめやうとの本願を起されて、修行の結果、出来上つたのが名號であるとするならば、本願を信ずればすなはち名號を信ずると同じであるから誓願と名號とは一つであつて別のものではないと言ふべきであります。  名號不思議  「嘆異鈔」には更に名號不思議が説いてあります。  「この人は名號の不思議を信ぜざるなり。信ぜざれども、辺地懈慢、疑城胎宮にも往生して、果遂の順の故に、報土に生ずるは名號不思議の力なり、これすなはち誓願不思議の故なれば、ただ一つなるべし」  念仏を自力の行とする人は固より名號の不思議を信じないのでありますが、しかし、名號そのものは不思議でありますから、たとひそれを信じないものでも、念仏を申せば極樂世界の片ほとり、所謂化士に往生して、さういふものをも、遂には往生せしめる第二十の願によつて、到頭報士に生ずることが出来るのであります。真実報土とは我々が希望するとせざるとに拘らず如来の本願によりて、往かねばならぬところであります。懈慢界とは、辺地とは浄土のかたほとりで親鸞聖人は懈慢界と同じものとして居られるのであります。懈慢界とは雜行雜修の人が時々起滅する自力の信心をあらはすものが生れる所であります。疑城胎宮とは、疑城とは、お経に疑城に生まるること五百歳とありまして、仏智を疑ひ、さとらぬものの生まるるところであります。胎宮とは外から見れば胎内にあるやうに不自由の世界、しかし内に居るものからいへば宮殿の如く美しいといふのであります。この懈慢・辺地も、疑城・胎宮も、共に化士のことであります。それは仏が仮りにあらはし設けられたる方便の浄土といふ意味であります。一切の衆生を淨土に往生しめることを果し遂げるといふ願のために本願を信ぜぬものも遂には往生する、それは名號に不思議の力があるからであると説かれるのであります。  凡夫の宗教  仏教が我邦に伝はりてから長い間、聖者の仏教として、学問して修行をするといふことを第一として居たのであります。しかるに平安朝時代の末期に至りてその聖者の仏教に対して、凡夫すなはち愚悪のものの仏教が起つたのであります。凡夫の仏教とは学問して修行することの出来ぬものは念仏申して往生すべしといふ教であります。さうして、この凡夫の仏教を始めて唱へたのは法然上人でありますが、この凡夫の教が段々と流行して、学問せず、修行せず、ただ仏の名を称へることによつて往生するといふことが広く世に伝はるに従つて、多くの人がそれに帰したのであります。しかるに中には深く考へることをせぬ輩もありまして、愚悪を却て自慢するやうなものも出て来たのであります。それは愚悪である故に学問も修行も出来ぬことを恥づべきであるのに、すこしもそれを恥ぢないで却つて愚悪であることを自慢にして、学問は往生のためには何の役にも立たぬ、修行をしたところが仕方がないと言つて、放逸無情の心と行とを恣にして、専修念仏の意味を誤つて考へたものが多く出て来たのであります。  放逸無慚  親鸞聖人が関東の弟子に与へられた手紙の中にも、次のやうなことがあります。  「念仏を申して、久しくなりて、おはしまさん人々は、後世のあしきことをいとふしるし、この身のあしきことをばいとひ捨てんと、思召すしるしも候べしとこ覚え候へ」  凡夫の教は念仏申して往生すると説かれるのであるが、その教をよくきいた後にこの世がいとはれるのだから、そこで自分の身の悪いことをば厭ひすてるといふ心が起きなくてはならぬのであると言はれるのであります。それから  「はじめて仏の誓を聞き始むる人々の我身のわろく、心のわきを思ひ知りて、この身のやうにては、なんぞ往生せんずると、いふ人にこそ、煩悩具足したる身なれば、我が心の善悪をば、さたせず、迎へ玉ふぞとは申し候へ」 自分の身も心も悪い、このやうに悪くては往生は出来まいといふ人こそ、煩惱具足であるから、さういふ凡夫が往生が出来るのであると示されるのであります。つづいて  「かく聞きてのち、仏を信ぜんと思ふ心深くなりぬるには、まことに、この身をもいとひ、流転せんことをも悲しみて、深く誓をも信じ、阿弥陀仏をも好み申しなんどする人は、もとも、心の儘にて悪事をも振舞ひなんどせじと、思召し合はせたまははこそ、世を厭ふしるしにても候はめ」  煩悩具足の凡夫であるから往生することが出来ると知れば放逸無懈であつてはならぬ、心をいましめ、行をつつしんで深く仏の本願を信ぜねばならぬのであります。親鸞聖人はさういふことを長い手紙をお弟子に与へてくれぐれも放逸無懈をいましめて居られるのであります。  不学に誇る  しかるに専修念仏の教を聞いた人々の中には、自分等は愚かであるゆへに、とても学問することも出来ず、修行することも出来ぬのであるから、愚悪のままに念仏申して往生するのであるから愚悪であることが善いのだとただ浅く考へて「学問して何の役に立つか」と学問する人を却つて悪く言ふやうになつて不学に誇るものの多かつたことは実際であります。この「歎異鈔」の出来た時代は正にさういふ状態でありましたので、それを抑へるために、反動的に、「経釈を学ばぬものは、ただ念仏したのみでは往生が定まらぬ」といふものが一方に出て来たのであります。これも当然のことでありませう。しかし乍ら、これも不学に誇ると同様の誤で、学問せぬでも善いといふことも、学問せねばならぬといふことも、共に間違つた考であります。「歎異鈔」の第十二章はこのこと説いたのであります。  「経釈をよみ学せざるともがら、往生不定のよしのこと、この條すこぶる不足言の識といひつべし」  ただ念仏を申すのみで経典や註釈を読みて学問をしなくては、往生がしつかりしないと、かういふことを言ふ人があるよしである。しかしながらこれは論ずるに足らぬことだと説いてあるのであります。  学問の要  学問と言ふも徒らに理屈を考へ、入らざることを論じ合つて、それを学問と考へて居るのでは、宗教の真実の意味とは関係のないことであるから、それは全く愚論である、歯牙に掛けるに及ばぬと排斥したのであります。さうしてその理由を説明して、  「他力真実の旨をあかせるもろもろの聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏になる、そのほかなにの学問かは往生の要なるべきや」  経典も多くあるのでありますがその経典を読むといふことは、その中の真意を汲み取らんがためであります。さうして仏教の経典の真意は本願を信じ念仏を申さば仏になるといふことより外にないのであります。それ故に、この真意を忘れて聖教を粗末にすることは固より誤りでありますが、この真意を汲み取りて念仏申すものを見て、お経を読まねば仏になることが出来ぬといふのは間違つたことであります。学問は如来の本願を信ずるために必要のものでありまして、その学問に由つて信を開き、又信の生活をするために学問せねばならぬのであります。詮じつめれば、宗教の上から言ふところの学問とは、自分の相を明らかにするといふことに帰着するのであります。それ故に本当の学問とは自分の相を内観して、その罪悪深重なることを知り、それをめあての本願であることを明らかにするためのものでありまして、決して学問によりて仏になるといふことではありませぬ。  知と信  実際多くの人々が如来の本願といふことを聞けば、まづその本願のわけが知りたい、さうして如来の本願によりて往生するといふことを明かにしたいのであります。それ故に経典や註釈を読むのであります。学問とは普通にさういふやうにするので、全く智慧のはたらきをつとめるのでありますから、学問することによりて一とつ一とつ新しいこを取り込むのであります。それ故に一つ取りこめばそれだけ面白く愉快になる、さうしてますます多く知りたくなるのであります。仏の本願といふことを聞いて、それにつきていろいろと穿鑿する、それが普通に学問と言はれるのであります。しかしながら、さういふ知のはたらきは宗教の上には無用のもので、宗教の主旨とするところは信ずるのである、如来の本題を信じて念仏申すのが主であるから、考へることも入らぬ、学問することも入らぬ、ただ信じさへすればよいといふのであります。かやうにして知と信とが八釜敷言はれるのでありますが、それは注意せねばならぬことであります。  受教と発心  法然上人が或る人に対して言はれた言葉がその伝記に載つて居るのでありますが、それは受教と発心とといふことであります。受教とは学問のことで、発心とは信心をいふのでありまして、宗教の心の起きることと、宗教のことを知つてえらくなるといふこととは全く別であるといふ説明であります。  「上人かたりての給はく、浄土の法門を学する住山者ありき。示云われすでに此教の大旨を得たり。しかれども信心いまだおこらず、いかにしてか信心おこすべきとなげきあはせしにつきて、三寶に祈請すべきよし教訓を加へて侍しかば、かの僧はるかに程へてきたりていはく、御をしへにしたがひて祈請をいたし侍しあひだ、あるとき東大寺に詣たりしに、おりふし棟木をあくる日にて、おひたたしき大物の材木ども、いかにしてひきあぐべしともおぼえぬを、轆轤《ろくろ》をかまへてこれをあぐるに、大木おめおめと中にまきあげられてとぶがごとし、あなふしぎと見る程に、思ふ所に落し据へにき、これを見て良匠のはかりごとなほかくのごとし、いかにいはんや弥陀如来の方便をやとおもひしおりに、疑網たちどころにたえて信心決定せり。これしかしながら日比祈請のしるしなりとかたりき。其後両三年をへてなん、種々の靈端を現じて往生をとげける。受教と発心とは各別なるゆへに、習学するには発心せざれども、境界の縁を見て信心をおこしけるなり。人なみなみに、浄土の法門をきき念仏の行をたつとも、信心いまだおこらざらん人は、ただねんごろに心をかけてつねに思惟し、また三寶にいのり申へきなりとぞ仰られける」  かやうに法然上人は、学問しても、それで信心がおこるものではない、境界の縁によりて信心をおこしたといふ例を挙げて受教(知)と発心(信)との各別なることを説いて居られるのであります。法然上人は「人なみなみに浄土の法門をきき念仏の行をたつとも、信心いまだおこらざらん人は、ただねんごろに心をかけてつねに思惟し、また三寶にいのり申へきなり」と、つねに思惟すべきことを言つて居られるのでありますが、その思惟とは仏の本願を信じて念仏申さば仏になるといふことを思惟するより外にはありませぬ。さうしてそれは己を空しうして三寶に祈るべきであります。念仏すれば助かると教へられても、彼此の計ひがありては、それがすぐに信じられることは難かしいことであります。本願を信ずることが出来ずして、ただ念仏を申のみでありますから、いくら念仏申しても助かるといふ心がおこらぬのであります。それは全く本願を信じないでただ念仏申すばかりであるからであります。さういふ次第であるから本願を信じ、念仏申せば仏になるといふことを知らせるために何百巻の経典が存して居るのであります。宗教の上にて学問といへば、この経典の真意を知るだけのことであります。  「まことに、この理に迷ひはんべらん人は、いかにも、いかにも学問して本願の旨を知るべき也、経釈をよみ学すといへとも聖歌の本意を心得ざる條、もとも不便のことなり」  浄土に往生するには本願を信じて念仏申す外に、学問といふことは別に必要のないことで、いくら学問をしてもそれが浄土往生の要にはならぬのであります。それで、この道理がわからぬ人々は、どこまでも学問して如来の本願の趣旨を知るべきであると説かれるのであります。しかるに学問しても聖教の本当の意味のわからぬといふことは気の毒のことであると言はねばなりませぬ。「歎異鈔」の前の方(第三章)に  「煩悩具足のわれらは、いづれの行にても、生死をはなるること、あるべからざるを、あはれみたまひて、願を起したまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり」  如来が本願を起したまふ本意は悪人をして成仏せしめるためのものであるから、本願をたのみたてまつる悪人が往生する正因であるといふことが聖教の本当の意味であります。しかるに聖教を読んでも尚ほ、この本願を心得ぬといふことは、まことに気の毒のことであります。言ふまでもなく、凡夫が学問によつて助けられるのでなく、如来の本願によりて助けられるのであります。それ故に学問することよりも、如来の本願を信ずる心の起るやうにすることが肝要であります。助かるための学問は入らぬのでありますが、信に入るためには学問が必要であります。大智度論に「仏法ノ大海ハ以信為ニ能入以智為能度」とありまして、仏法の大きな海には信をもつて入り、智で渡ると説かれ居るのであります。よく人の言ふことでありますが、すべて淨土の教といふものはただ如来の本願を頼むばかりである、如来に任せて置けばよいのである。それ故に理屈を聞いても仕方がないと言ふのでありますが、しかしながら、その理屈を聞いても仕方がないといふのは智慧のはたらきであります。自分は信じて居ないのに、愚痴になつて信ずれば善いのであるとその人の智慧によりて彼此と計ふて居るのであります。又いろいろの理屈をつけて彼此を考へて見て、本願のことが少しわかるときは、それを信じたのであると思ふやうになるのでありますが、理屈が分つたのとそれを信じたのとは全く別であります。受教と発心とはどこまでも各別であるといはねばなりませぬ。  難行と易行  「一文不通にして経釈のゆくちも知らざらん人の称へ易からんための名號にておはします故に易行といふ、学問を旨とするは聖道門なり、易行と名つく、あやまて学問して名聞利養の思に住する人、順次の往生いかがあらんずらんといふ証文も候ぞかし」  文字ひとつも知らぬ愚かのもので経釈のすぢみちが分らぬものにも、称へ易いやうに工夫して下された名號であるから、それを称へて救はれる浄土門をば易行と申すのであります。念仏を申すことに対して学問を証りの大切な條件とするのは聖道門であります。さうしてそれは困難のことでありますから、これを易行と申すのであります。  しばしば申す通り、我々人間の苦しみは全く我々の悪業に由るのでありますが、それが本となつて惑が起り、惑が起るために苦しむのであります。それ故に自分の悪業に気がつけば、修行して惑を破る智慧を得て、真実の道理が分かるやうにつとめねばなりませぬ。我々にして若し苦悩を去らうとすれば智慧を研き、実行をつとめなければなりませぬ。かやうにして、学問と修行とによりて悟を開くといふことは当時仏教を奉ずるものの信条でありました。さうしてそれを自身につとめるものが難行の教と言はれるのであります。しかるに、さういふことは到底自分には出来ぬと痛切に自分の愚劣を感ずるものは、智慧を研き、修行をつとめることの出来ぬものを浄土に往生せしむる如来の本願を信じて、念仏を申すときは、仏の智慧と修行とが与へられてすなはち往生することが出来るのであります。これを易行といふのであります。  法論  「当時専修念仏のひとと、聖道門のひとと、法論を企てて、我宗こそすぐれたれ、ひとの宗は劣りたりといふほどに法敵もいで来り、謗法もおこる也、これしかし乍ら自から我法を破謗するにあらずや」  法論をして、自分の宗は善い、他人の宗は悪いと言つて他の宗旨をおとすといふことは、よくない考へであり、それは畢竟ずるに我法を誇り破るものであります。自分が仏の道を求めるといふことを離れて、ただ学問して得たる知識を法論の利器としたいと思ふがために、自分の考を尊重し、それに執着して、他人の欠点を見てそれを排斥せむとするのであります。さうして自分の宗旨が他にまさつて居ると主張するがためにそこに争論が起るのであります。古の道歌に  「負けてのく人を弱しと思ふなよ 負くる力のあればなりけり」  釈尊は一番強い力は何かといふ問に対して忍耐が最も強い力であると言はれたのであります。自分が弱いから争はぬのでなく、教法が劣つて居るから争はぬのでなく、自分の愚悪をよく知つてゐる為に、如来の本願を信ずるより外にないからであります。宗論はまことに無益のことであります。  最上の法  かやうな次第でありますから、「嘆異鈔」には次のやうに説いてあるのであります。  「たとひ諸門こぞりて、念仏はかひなき人のため也、その宗あさし卑しといふとも、更に争はずして、われらごとき下根の凡夫、一文不通のものの、信ずればたすかるよし承りて信じへ候へば、さらに、上根の人のためには卑しくとも、我等がためには最上の法にてまします、たとひ自余の教法すぐれたりとも、自からがために器量及ばざればつとめ難し、我も人も生死をはなれんことこそ諸仏の御本意にておはしませば、御妨げあるべからずとて、にくい気せずば、誰の人かありて仇をすべきや、かつは諍論のところには、もろもろの煩悶おこる、智者厭離すべきよしの証文候にこそ」  前の段のところでは、たとへこの法を誇るやうなものがあつても、それに反抗するやうなことを戒めてありましたが、このところでは、その誹謗を縁として自分の心を強くせよと積極的に勧めて居られるのであります。「教行信証」にも「信頼を因とし、疑謗を縁として信樂を願力に彰はし、如来を安養に彰はさむ」と、親鸞聖人の言葉が載せてあります。説明しなくてもわかることでありますが、それは誰が何と言つても、本願を信じて念仏することが自分のための最上の法であると心を仏地にたてて居るべきであります。  「故聖人の仰には、この法を信ずる衆生もあり、謗る衆生もあるべしと仏説きおかせたまひたることなれば、われは巳に信じ奉る、又人ありて謗るにて仏説まことなりけりと知られ候、しかれば往生はいよいよ一定と思ひ玉ふべき也、あやまて謗る人の候はざらんにこそ、いかに信ずる人はあれども謗る人の無きやらんとも覚え候ひぬべけれ、かく申せばとて、必ず人に謗られんとにはあらず、仏のかねて信謗共にあるべき旨を知ろしめして人の疑をあらせんと説きおかせ給ふことを申す也とこそ候ひしか」  たとひ此法を信ぜぬものがあつて、これを疑ふのを見ても、ますます随喜の心を深くすべきと説かれるのであります。これは、宗教としての仏教は本願を旨とし、学問を要とせぬのでありますから、どうしてもさういふ心持になるべきでありませう。  学問の功  「今の世には学問して人の謗りをやめ、ひとに論議問答を旨とせんとかまへられ候にや、学問せばいよいよ如来の御本意を知り、悲願の広大の旨をも存知して、いやしからん身にて往生はいかがなんどあやぶまん人にも、本願には善悪浄穢なき趣をも説き聞かせられ候ばこそ、学生の甲斐にても候はめ、たまたま何心なく本願に相応して念仏する人をも、学問してこそなんど言ひおとさるること法の魔障なり、仏の怨敵なり、自から他力の信心かけるのみならず、あやまて他を迷はさんとす、似て恐るべし、先師の御意に背くことを、かねて憐むべし、弥陀の本願にあらざることを」  世の中には学問していろいろ理屈を言つて、他を負かすことをつとめて居る人もあるが宗教の上から見れば学問は如来の本願を信ずるためにするのでありますから学問をすればいよいよ本願の広大なわけがよく分るのであります。そこで学問せねば往生ができぬといふ人があつても、本願はさういふもののために起されたといふそのわけをよくとき聞かせることが学者の本分でおります。しかるに何心なく本願に対して念仏するものに対しても、学問すべきであるといふのは法の魔障であります。自分が他力の信を欠ぐのみならず、他の人をも迷はす、さういふことは先師親鸞の教にそむくことであるから慎しんで恐れるべきであります。又さういふことは弥陀の本願でないから、さういふことを説くのはまことに気の毒であると言ふのであります。  内省と宿業  深く自分の心の相を省みて、自己の悪性に打勝つことは容易ではありませぬ。王陽明の有名な言葉に「山中の賊は平げ易く、心中の賊は平げ難し」とありますが、その平げ難い心の中の賊はすなはち仏教でいふところの煩悩であります。その煩悩が言葉や行為に現れて、罪悪を重ねるのであります。さうして、それは我々に取りて、如何ともすることの出来ないものでありますから、そのことをよく考へて見ると、どうしても我々は宿業といふものに動かされて居り、その宿業といふものは実に根強いものであるといふことを感ぜざるを得ぬのであります。「歎異鈔」の第十三章に  「弥陀の本願不思議におはしませばとて、悪をおそれざるは、また、本願ぼこりとて往生かなふべからずといふこと、この條、本願を疑ふ、善悪の宿業を心得ざるなり」  かやうに述べてありますが、弥陀の本願は必ず悪人を正機とするものであるから、我々は悪いことをするが故に助けられる。それ故に悪いことは思ふ儘に振舞ふべきである、それが本願に叶ふものであるとするものを排斥して、それは本願ぼこりといふものである。本願に得意になり、本願を自慢するものであるから、それでは往生はかなはぬと言ふものもあるが、それは間違つて居る。この本願ぼこりといふ言葉は「歎異鈔」著作の頃広く通用した言葉で「悪いことをしてとめどもない造悪無碍の徒が、如来の本願の広大であるのに勝ち誇つて、自分で悪いことをして恥としない徒を指す」のでありますが、親鸞聖人の教を受けて、真実の念仏をするものをも、本願ぼこりであると非難したものがあつたのでありませう。「嘆異鈔」の著者はそれに対して、辨解して「それは本願を疑ふものである。又善悪の宿業を心得ざるものである」と説いて居るのであります。  善悪の宿業  「善悪の宿業を心得ず」と「歎異鈔」にあるのは、我々が行ふことの善いとか悪いとかいふことを深く考へて見るにそれは全く宿業といふものに縛られて居ると言はねばなりませぬ。いかに我々が努力しても浄土に往生することは困難であります。それは我々の心によつて善いことをしやうとしても、思ふ通ほりに善いことをするわけには行かず、又善いことをしたと自分で思つたことも、よくよく考へれば善導大師の言はるる雑毒の善に過ぎぬものであります。しかしながら、これ等の善悪の業は仏の本願が凡夫を救はれるといふことについては何の関係もないから心配するには及ばぬといふことを心得いがために間違つた考を生ずるのであると説かれるのであります。さうして「嘆異鈔」の本文には善悪のことについて次のやうにくはしく説明がしてあります。  「よきこころのおこるも宿業のもよほすゆへなり、事のおもはれせらるるも悪業のはからふゆへなり、故人のおほせには兎毛羊毛のさきにいるちりはかりも、つくるつみの宿業にあらずといふことなしとしるべしとさふらひき。またあるとき唯円坊はわがいふことを信ずるかとおほせのさふらひしあひだ、さんさふらうとまふされさふらひしかば、さらばわがいはんことたがふまじきかと、かさねておほせのさふらひしあひだ、つつしんで領條まふされてさふらひしかば、たとへばひと千人ころしてんや、しからば往生は一定すべしとおほせさふらひしとき、おほせにてはさふらへども、一人もこの身の器量にてはころしつべしともおぼえずさふらうと、まふされてさふらひしかば、さてはいかに親鸞がいふことをたがふまじきとはいふぞと、これにてしるべし、なにごとも心にまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんにすなはちころすべし、しかれども一人にてもころすべき業縁なきによりて害せざるなり、わがこころのよくてころさぬにはあらず、また害せじとおもふとも百人千人をころすこともあるべしと、おほせのさふらひしは、われらがこころのよきをばよしとおもひ、あしきことをばあしとおもひて、本願の不思議にてたすけたまふといふことをしらざることをおほせのさふらひしなり」  いかにも宿業の強いことを十分に示してありますが、元来、宿業とは宿世の業、過去世の業といふ意味でありまして、それは現在の一念に至るまでの長い間、一切の過去の自分の身・口・意の三業を総計したものを指していふに外ならぬのであります。  宿業と宿命  この宿業といふことは、一寸考へると「人間の善悪の行為を何も彼も過去の業ときめて、ただ宿業の儘に流れて行けばよい、それより外には仕方がない」といふことのやうに思はれるのでありますが、それは宿命といはれる考で、親鸞聖人の宿業の説は決してさういふ意味のものでないことを知らねばなりませぬ。言ふまでもなく、誰しも自分の意志は自由であると思ふのが常であります、自由であると信じて居るがために、自分の思考や行為に対して自分の責任を感じ、若し悪いことをした後には後悔するのであります。自分の意志が宿命の下にありて、自由でないものとするならば、たとひ悪い事をしても、それは宿命の致すところであるとして、自分には責任を感ずることなく、懺悔することもなく、致し方がないとするでありませう。たとへば、何事も神の為さしめ玉ふところ、如来のなさしめ玉ふところ」と考へれば、我々の為すことは神や仏の責任に帰して、自分達の責任ではないといふことになり、道徳は無視せられることでありませう。しかしながら親鸞聖人の宿業の考はさういふやうな宿命の説ではなかつたのであります。すべて世の中のものは因果の法則に支配せられて居るのでありますから、それを突破して一切が自由になることは出来ませぬ。自分の身体は一番自分の自由になるべき筈でありますが、それも自分の自由にはならぬのを見れば、我々の意志の自由の範囲は限られたものであることが明かであります。我々の身体にしても精神にしても、自分の意志によりて造り上げたものではありませぬ、巳に出来上つたものをば、自分に与へられたのであります。出来上つたものといふこともよく考へて見れば因果の法則によりて曠却《こうごう》のむかしから現今の一念に至るまでの長い間の我々の身・口・意のはたらきが総計せられたものとして、現れたものでありませう。自分の心でありながら、それを自由にすることの出来るのは一定程度までのことで、それより以上は全くこれを自由にすることが出来ぬのであります。しかもそれは宿命とかいはれるやうなものが自分の心の外にあるのではなく、全く自分がこれまで永い間、思つたり、しやべつたり、行つたりしたことが集まつて、それが因果の法則によりて現今の自分の心をなして居るものであると知れば、宿業に対しては固より自分が責任を負はねばならぬのであります。しかも、それが、現に我々の心を縛つて自由を妨げて居ることを思へば、我々はまことに自分の宿業の根強きことを痛感せざるを得ぬのであります。かやうに考へて、宿業といふものが実に強く我々の心の中にはたらきて、自由にこれを動かすことが出来ぬことがわかり、又その宿業の源が無明・煩惱から流れ出でたものであることを思ふとき、我々はどうしても  「よき心の起るも宿業のもよほす故なり、悪き心の起るも悪業のはからふ故なり」 と考へざるを得ないのであります。宿業といふものは、これまでの長い間の自分の行為の総計に外ならぬものでありますからその責任は自ら負はねばならぬことは前に述べた通ほりであります。しかも、現今の自分としては、その責任に対して如何ともすることの出来ぬ愚悪のものでありますから、我々はただ自分の宿業の強きに泣かざるを得ないのであります。親鸞聖人が長い間、随分みぢめな生活をされ、その苦しみを自ら忍受して、さうしてその苦しみを背負つて歩まれたことを思へば、聖人が宿業と言はれる言葉は単に安価なるあきらめではなく、御自身で人間の生活の底にまで深く徹底せられた体験の声であると言はねばなりませぬ。  業の説  業の説は、仏教の書物の中にはくわしく載せられて居りますが、夢窓国師の「夢中問答」の中には、次のやうに説明があります。  「業に種々の品あり現生にやがてむくふをば順現業となづく次生にむくふをば順生業といふ順生の後にむくふは順後業なり若しこの三種よりも軽き業なるはいつにても便宜の時むくふべし、かやうなるをば不定業と名付づけたり、軽重によりて遅速ありといへどもつくりおきたる業のむくはずしてただやむ事はあるべからず、仏力法力にあらずばいかでかこれを消滅せんや、仏力法ありといへども衆生若し求哀懺悔の心なければ消滅すること能はず、たとへば耆婆扁鵲《きばへんじやく》は名医なれども人の病をおさへてなほすこと能はず病者もしその教へに随て療治すれば病者の苦しみ怨にやむがごとし、仏もまた此の如し衆生の業報をおさへて転ずること能はず三世了達の智慧をもつて衆生の種々の業報の因縁を知見して貧苦は慳貧《けんどん》の業因により短命は殺生の業報なり、形容の醜陋《しゆうろう》なるは忍辱ならざる故なり、種姓の下賤なるは他人を軽劣したりしむくひなりと説き玉へり若し人此の教に随て前非を悔てながくかやうの業因をやめなば何ぞ定業とて転ぜざる事あらんや今時の人を見れば朝夕内には悪念をたくはへ外には愚行のみなしてさすがに福分もねがはしく壽命もながらへたきままに仏にいのり神にまうづるばかりなり若しかやうならばいかでかしるしもあるべきや」  かういふ風に業を分けて説くやうになつたのは、仏教の学問が段々開けた後のことでありますが、かういふ説明を一寸聞くと業はどうしても我々の心を離れて居るもののやうに聞えるのであります。たとへば現在貧乏なのは過去の世界の慳貧《けんどん》の報として今世に貧乏であるとせられる類のものであります。そこで業といふものは苦しい時のあきらめに使はれる場合が甚だ多いのであります。  善に誇る  親鸞聖人が説かれたやうに宿業の考は、道徳的に深く自己を内省して、自分でその責任を負はねばならぬことを痛感した心の上にあらはれるものであります。我々は真に善事と認めらるべきほどの善い事は出事ぬにしても、随分善いと思はるることをすることが出来る。この場合、それは自分の心が善いからであると、すぐに善に誇るのであります。宿業の考はこの場合、善に誇ることが甚だ恥づべきことであることを教ふるものであります。たとへば人を殺すといふやうなことでも、自分の心が善いから、それで人を殺すといふやうな悪事をせぬのではなく、自分に人を殺すべき業縁がないからであると、善を誇る心を戒めるのであります。自分の心が善いからそれで人を殺すといふやうな悪事をしないのであると驕慢の心を恥づべきでありませう。世間一切の人間は皆、その宿業によつて動いてゐるのでありますから、「さるべき業縁の催せばいかなる振舞もすべし」とかやうに内省を深くしてこそ、はじめて人間は自らを戒めることが出来、又他人に対して暖かい同情の心をあらはすことが出来るのであります。  悪を畏る  宿業の説は、かやうに善に誇る心を求めるのでありますが、又悪を畏るる心を深くせしむるものであります。「歎異鈔」に  「そのかみ邪見におちたる人ありて、悪をつくりたるものをたすけんといふ願にてましませばとて、わざとこのみて悪をつくりて往生の業とすべきよしをいひて、やうやうにあしざまなることのきこへさふらひしとき、御消息にくすりあればとて毒をこのむべからずとこそあそばされてさふらふは、かの邪執をやめんがためなり、またく悪は往生のさはりたるべしとにはあらず、持戒持律にてのみ本願を信ずべくば、われらいかでか生死をはなるべきや、かかる浅ましき身も本願にあひたてまつりてこそげにほこられさふらへ、さればとて身にそなへざらん悪業はよもつくられさふらはじものを」  親鸞聖人の在世のむかしに、邪見に堕ちたものがあつて、悪い事をするものを救はうといふのが本願の趣旨であるからと言つて、故らに悪いことをして往生の因としやうとするやうなことがありました。その時に親鸞聖人は、阿弥陀仏の薬があるからと言つて、好んで毒を呑むやうなことがあつてはならぬと申されたのであります。悪は往生の妨げとはならぬといひましても、固より悪をするのが善いといふのではありませぬ。戒律を保つて本願に救はれるといふ信心ならば、我々はいかにして生死をはなれることが出来るでありませうか。このやうなあさましい身であつてこそ、本願に遭ふて救はれるのでありませう。しかしながらそれであるからと言つて、悪事をなすべき業縁がなければ、悪を勝手にすることも出事ぬのであります。業縁とは、過去の業因に縁が附くことでありますが、我々の生活はすべて過去の業因に縁がついて現れたものであると考へられるのであります。  罪業深重  我々として考へて見れば、過去の業因は我々の身・口・意の悪業であります。それが曠劫《こうごう》の昔から現在の今日に伝はるのでありますから、実に罪業深重と言はねばならぬのであります。その深重な業の上に、いろいろの縁があつてそれで悪いことをも又善いこともするのであります。彼の妙好人の大和の清九郎が、盗賊に入られて物を取られた時に、如来の御慈悲にて盗まれる方に廻されたと喜んだといふことは、まことに、この宿業のことをよく体験したものであらうと思はれるのであります。そこで「歎異鈔」には  「願にほとりてつくらんつみも宿業のもよほすゆへなり、さればよきこともあしきことも業報にさしまかせてひとへに本願をたのみまゐらすればこそ他力にてはさふらへ、唯信鈔にも弥陀いかばかりのちからましますと知りてか、罪業のみなればすくはれがたしとおもふべきとさふらうぞかし、本願にほこる心のあらんにつけてこそ他力をたのむ信心も決定しぬべきことにてさふらへ」 念仏者が本願にほこりて悪い事を敢てするのは宜しくないと非難するものが有るにしましても、よく考へればその本願に誇つて罪を作ることも、また宿世の業の致すところであると知られるのであります。さうして見れば、善い事も悪い事も、宿業の報――宿業の因から報ひあらはれる結果――の儘に任せて、只一筋に本願をたよりとするのが他力の救にあづかる所以でありませう。我々が自分の力にてその宿業をどうすることも出来ぬといふことに気がつけば、我々はますます本願を仰ぐべきであります、さうして本願を仰げばますます我力にてその宿業をどうすることも出来ぬことが知られるのでありますから、これによりて他力の信心がますます堅められるのであります。他力の信心がますます堅めらるれば罪業深重の感はますます強くなるのであります。  念仏と滅罪  念仏する人々の心にはいろいろの相異がありまして、一様に言ふことは出来ぬが、親鸞聖人が説かれた念仏はただの念仏で、智慧によらず、修行によらず、心を浄くすることによらず、歓喜するといふことにもよらず、さういふ自力の計らひを一切やめて、ただ念仏してたすけられると信ずる外はないのであります。このことにつきて、法然上人の言はれたことが「和語燈録」に載つてゐるのでありますが  「口には経を読み、仏を礼拝すれども、心には思はじことのみ思はれて、一時もとどまることなし、然れば我等が身をもつて、いかでか生死を離るべき、かかりける時に、曠劫《こうごう》よりこのか、三途八難を住家として烱燃猛火に身をこがして出づる期なかりけり、悪いかな、善心は念々に随ひて薄くなり、悪心は日々に随ていよいよまさる、されば、古人の言へることあり、煩悩は身に添へる影、去らんとすれども取られず、此故に阿弥陀、五劫に思惟して建て玉ひし深重の本願と申すは、善悪をへだてず、持戒破戒をきらはず、在家出家をもえらばず、有智無智を論ぜず、平等の大悲を起して、仏になり玉ひたれば、ただ他力の心に住して、念仏申さば、一念須臾《いちねんしゆ》の間に南無阿弥陀仏の来迎にあづかるべきなり」  どうにかせねばならぬのに、どうすることもできぬ我々は、ただ念仏して弥陀にたすけられるより外はないと言はれるのであります。それ故にそれは少しも功利的でないところの念仏であります。しかし、念仏といふことは、古くから行はれて居つたもので、それは法然上人や親鸞聖人の言はれることと違つて、無論功利的のものでありました。我国に奈良朝時代に伝はつて、平安朝時代に広く行はれた「金光明最勝王」の中に  「若し犯罪ありて清浄を求めんと欲せば、心に愧恥を懐き、未来に於て必ず悪報あることを信じて大恐怖を生じ、是の如く懺すべし」 かやうに懺悔して業障を滅せねばならぬといふことが強く説いてあります。それから、室町時代の著述の「元享釈書」の中には  「念仏は読誦の一支なり」 と説明がしてあります。読誦の一支とはお経をよむことの一類だといふのであります。お経には文字が多くあるが、そのお経の意味を極く短く縮めれば南無阿弥陀仏の六字であるから、南無阿弥陀仏と申すことは百千字を並べ記したるお経をよむことと同じことになると考へたのでありませう。「観無量壽経」の中にも「十悪五逆を犯した罪人で、しかも平常は念仏を称へないで居つたものが、臨終にせまりて始めて善知識の教によりて、一声念仏申せば八十億劫の間、迷はねばならぬ罪が滅び、十声念仏申せばその十倍の罪――十八十億劫の間、迷はねばならぬ罪が滅びて浄土に往生することが出来る」といふやうな意味のことが説いてあるのであります。十悪といふのは、殺生・偸盗、邪淫。妄語、綺語、、悪口、両舌、貧欲、瞋恚、愚痴でありまして、五逆といふのは、父を殺すこと、母を殺すこと、阿羅漢を殺すこと、和合僧を破ること、仏身から血を出すことなどを言ふのであります。かやうに「観無量壽経」に説いてある意味は念仏に具はつてゐる滅罪の利益を示したもので、一声の念仏に十悪の軽い罪が滅し、十声の念仏に五逆の重き罪が滅ぶといふことであります。伝教大師の説かれたものの中にも、念仏は七難消滅の法であるとしてあるのであります、七難といふのは(一)一切の人民、其善心を失ひて、唯、繋縛、瞋恚、闘争、互に相破壊す(二)諸の疾病多し(三)星宿常度を失ふ(四)大地震動(五)暴風雨(六)飢饉凍餓(七)怨賊ありて其囲を侵掠することでありますが、念仏はかやうな七難を消滅する功徳があるとせられたのであります。  滅罪の思想  かやうに「金光明最勝王経」の伝つた時から、ずつと後まで、自己の罪を滅するといふことは重要のことであると考へられ、さうして念仏は功徳の広大なるものであるから、念仏によりて罪が滅びるといふ思想は広く行はれたのであります。親鸞聖人在世の頃はそのやうな思想が盛であつたことでありませう。その滅罪の思想に対して「歎異鈔」の著者は第一に反対の意見を発表してゐるのであります。  「一念に八十億劫の重罪を滅すと信ずべしといふこと、この條は十悪五逆の罪人、日ごろ念仏を申さずして命終のとき、はじめて善知識の教へにて、一念申せば八十億劫の罪を滅し、十念申せば十八十億劫の重罪を滅して往生すといへり、これは十悪五逆の軽重を知らせんがために、一念十念といへるが、滅罪の利益なり、いまだわれらが信ずるところに及ばず」  一声の念仏によつて八十億劫の間、生死の苦を受けなければならぬ重罪が滅すると信じて、一声でも多く念仏せねばならぬと説くものがあるが、これは十悪五逆を犯した罪人で、平常念仏を称へなかつたものが、臨終に迫つて、善知識の教によつて、一声の念仏を申せば八十億劫の間迷はねはならぬ罪が滅し、十声の念仏を申せば十倍の罪である十八十億劫の間迷はねばならぬ罪が滅びて、浄土に往生することが出来ると説いてある経文を本としたものであらう。しかし、この経文の意は十悪と五逆との罪の軽重を知らせん為に、一声の念仏によりて十悪の軽い罪が滅び、十声の念仏によりて五逆の重い罪が滅ぶといふことを示したのである。一声といふも、十声といふも共に念仏に具つてゐる滅罪の利益を言ふ、しかし、かやうに念仏に滅罪の利益があるといふことにかはりて念仏することは私達の信ずるところの他力の念仏には及ばぬのであるといふのであります。巳に前にも言つた通ほりに、他力の念仏は念仏をたのみにするのであります。念仏を滅罪の道具に使ふのではありませぬ。しかしながら滅罪の思想は仏教のみならずその外の宗教にもあることであります。懺悔滅罪はどの宗教にもやかましく言はれて居るのであります。  懺悔と祈祷  我々人間は、善いと悪いと言ふことの判断が自分でつくやうになると、自分の為したことにつきて、それは悪るかつたと懺悔せねばならぬのであります。すぎ去つた長い過去を考へて見て、悪るかつたと気がつけば、どうにかしてその罪を消さねばならぬのであります。又将来を考へると、どうか善い生活が出来るやうにと祈る心が起きるでありませう、そこに懺悔と祈祷は我々の心のはたらきの主なるものであります。我国の昔のことを考へて見ると、平安朝の頃、宮中で行はれた仏名の會は一ヶ年間の罪障消滅のために行はれたものでありました。さういふ思想が日常の生活にも織り込まれて、腹を立てて恥しくなると念仏したり、殺生した後に念仏したり、苦しいにつけ、恐ろしいにつけ、念仏を申して、罪障を帳消しにしやうとする思想が根強く世の中に人の心に存してゐるのであります。祈祷も同様であります。けれども、それは本願をたのまないからであります。悪いものをたすけるといふ本願でありますから、それをただたのめばよい筈であるのに、本願をだしに使つて自分の力にて罪を滅ぼさうとはからふのは全く自力の念仏であります。本願をたのめば念仏によつて罪がほろびるかどうかは考へなくてよい、却て如何なる罪が我身の上に起つても、他力本願をたのめば何等の不安もないのが当然であります。  報恩の念仏  つらつら過去の深い罪を思ひ、現在の甚しい罪を省み、又将来に造るべき罪の重きとを考へるにつけて、必ず救いたまふ本願力を仰げば、ただありがたいと感謝すべきのみでありませう。「歎異鈔」にはそれを説明して、次のやうに言つてあります。  「その故は弥陀の光明に照らされまいらする故に、一念発起するとき、金剛の信心をたまはりぬれば、すでに定聚の位におさめしめ玉ひて、命終すれば、もろもろの煩悩悪障を転じて無生忍をさとらしめ玉ふ也、この悲願ましまさずば、かかるあさましき罪人、いかでか生死を解脱すべきと思ひて一生の間、申す所の念仏は皆悉く如来大悲の恩を報じ、徳を謝すと思ふべきなり。」 弥陀の光明に照されて、二心なく弥陀にたよつて念仏申さうといふ心の起つた時に、すなはち金剛の信心を頂くのでありますから、それによつて、正しく浄土に往生することに間違ひない身分におさめ取られるのであります。それ故に、この壽命が終れば直ちに浄土に往生して、すべての煩悩も悪障もそのまま転じて無生無滅の涅槃をさとらしめたまふのであります。無生忍の無生は不生不滅、忍とは思証で、明らかに見きはめることで、すなはち涅槃のさとりであります。若しこの慈悲深い本願がなかつたら、我々のやうな罪の深いものが、どうして生死の世界からのがれて、煩悩の束縛を解き、生死の苦を脱して解脱することが出来やうかと喜ばざるを得ぬことでありませう。かうした心から壽命のある間申す念仏は、すべて如来の恩徳を謝するばかりであると説かれるのであります。蓮如上人はこの事を誰人にも分るやうに説いて居られるのであります。「御一代聞書」に  「名號をただとなへて仏にまいらする心にてはゆめゆめなし、弥陀をしかと御たすけへ候へとたのみまいらすればやがて仏の御たすけにあづかるを南無阿弥陀仏とまうすなり。しかれば御たすけにあづかりたることのありがたさよくよくとこころにおもひまいらするを口に出して南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とまうすを仏恩を報ずるとはまうすことなり」  実際、御たすけにあづかりたることの難有さよと思ふ心の口に出たのが、念仏でありますから、それは報恩であると言はねばなりませぬ。  滅罪と往生  それから又「歎異鈔」には  「念仏申さんごとに、罪を滅さんと信ぜんは、すでにわれと罪を消して往生せんとはげむにてこそ候なれ、もし、しからば一生の間、思ひと思ふことみな生死のきづなにあらざることなければ命つきんまで念仏退転せずして往生すべし、ただし業報限りあることなればいかなる不思議のことにもあひ、また病悩苦痛をせしめて、正念に住せずして終らんに、念仏申すことかたし、その間の罪をばいかがして滅すべきや、罪きえざれば往生はかなふべからざるか」  念仏申す度に、その功徳によつて罪を滅すのであると信ずることは、自分で罪を消してから往生しやうとする自力の計ひであります、さうして、それならば我々の罪は次から次へと起るものでありますから、一生涯退転せぬやう念仏を申さねばなりませぬ。しかるに、我々の生涯は過去の業因により報果が定められてゐるのでありますから、何時どんな思ひがけないことが起るか知れぬのであります。それ故に何時も正念で念仏することは六ヶ敷いことであります。それに罪が消えなければ往生が出来ぬといふことであれば、我々の往生はまことに不安なることであります。前にも巳に言つたやうに、過去のことを考へて、悪かつたと思ふことは、どうにかして消滅しやうと自力のはからひをするのでありますから、滅罪の方法はいろいろ考へられるのであります。戦国時代にはそれが多かつたのであります。戦争が終りて後に考へて多くの人を殺して悪かつたと思ふ心から多くの武士が剃髪して仏門に帰したのであります。又は伽藍を建て、お経を写し、施餓鬼をなし、死者を弔ひなどして、過去の罪を消して未来をよくしやうとすることは盛んに行はれたのであります。  罪は障らず  他力の念といふものは、自分勝手のかれこれの計ひをやめたときにあらはれるのでありまして、他力の信心を得た結果であります。さうしてこの場合罪が消えやうが消えまいが、我々としてはそのやうなことを考へる必要はありませぬ。それは如来の本願には罪は障りとならぬからであります。「蓮如上人御一代聞書」に  「順誓まうしあげられ候、一念発起のところにて罪みな消滅して正定聚不退のくらゐにさだまると御文にあそばされたり、しかるにつみはいのちのあるあひだ、つみもあるべしとおませささふらふ、御文と別にきこえまうしさふらふやとまうしあげ候とき、仰せに一念のところにて罪皆きえてとあるは一念の信力にて往生さだまるときは罪はさはりともならずされば無き分なり、命の娑婆にあらん限りは罪はつきざるなり、順誓ははや悟て罪はなきかや、聖教には一念のところにてつみ消えてとあるなりと仰られ候、罪のあるなしの沙汰をせんよりは信心を取りたるか取らざるかの沙汰をいくたびもいくたびもよし罪きえて御たすけあらんとも、つみ消さずして仰たすけあるべしとも弥陀の仰はからひなり我としてはからふべからず、ただ信心肝要なりとくれぐれ仰られ候なり」  まことにその通りでありませう。罪のあるものをたすけるといふ本願であれば罪は障りとならぬ筈であります。さうしてその本願を信じて念仏を申せば、罪の消える消えぬなどの詮議をする必要はないのであります。しかるに、その罪の詮議をして、自分で罪をほろぼしてたすからうとするのは自分の念仏であります。念仏をだしにつかふて自分の利益を求めやうとする心であります。元来、摂取不捨といふことは、どんなものも、いかなる罪の深いものでも、おさめ取つて捨てないのであります。弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて往生をば遂ぐるなりと信じて念仏まうさんと思ひ立つ心の起るときすなはち摂取不拾の利益におさめしめたまふなりとある通りに、自分のかれこれの心の計ひをやめて仏の心に接することが出来たら、一切のものを取りこんで行かうといふ仏の心の中におさめられるのであります。  平生業成  前に言つたやうに、すべての宗教にありて滅罪と祈祷とは重要のものとせられるのでありますが、しかし、滅罪と祈祷とを主とするのは真の宗教の心ではありませぬ。自分の心の相はつきり見て、そのいささかでもよい心が起きたと思つた時は自分の心の高慢を恥ぢる、悪いといふことが知られたらそれを痛感する、それによつて始めて自由の心が出て来るのであります。そこでその心を口に出したのが南無阿弥陀仏であります。ところが普通では滅罪祈祷の心が強いのでありますから、臨終正念と言つて、臨終に於て心を正しくせしめて、乱さず、一心に念仏することを最も肝要なこととしたのであります。親鸞聖人はさういふことは全く他力の心ではない、他力といふのは仏の本願を信じて念仏すれば必ずたすけられるといふことを疑はないことであるから、念仏申さんと思ひ立つ心の起つた時、それが摂取不捨の利益にあづけしめたまふのであるから臨終正念は必要のないことであると説かれたのであります。蓮如上人は、それへ名をつけられて平生業成とは言れたのであります。平生に極楽へ行く仕事が出来上つて居るといふ意味であります。親鸞聖人は一念発起のとき即得往生が出来る。前念後命終・後念即生と言つて前の念で命が終り後の念で即ち生れるといふのであります。生れると言ふのは心の上のことで、我々の心が仏の心の中に生れるといふほどのことであります。  人間の苦悩  我々の生活は、まことに苦悩に満ちたものであります。生れては死し、死しては又生れ、生れては又死ぬるのでありまして、その生と死との間は苦悩の生活であります。そこで生死の苦海を流転するといふのはまことに善い言ひあらはし方であります。しかしながら、その苦悩と名づけられて居るものが我々人間の生活の全体でありまして、若しその苦悩を除くときには、後に何物も残らないのが実際の状況であります。仏教で煩悩具足といはれるのは、全くこの苦悩の生活そのものを指して居るのでありますが、その煩悩となづけられる人間の心がすなはち苦悩を作るのでありますから、煩悩が具足するといふのは、余るだけ煩悩がある、実に沢山の煩悩があるといふことであります。しかしながら、その頬を除き去るとすれば、我々人間の生活は全く無くなるのでありますから、煩悩具足は我々人間の特徴であります、若し煩悩がなかつたら人間ではありませぬ、人間でなければ仏でありませう。しかるに、多くの人々が念願して居ることは、その苦悩をなくするやうに、その苦悩が消えてなくなるやうにと希望するのであります。しかしながら、前にも言つたやうに、苦悩は人間の生活の全体でありますから、これを除き去らうと、もがけばもがくほど、ますます苦悩は強くなるものであります。多くの人々は仏教でも聞いて、その宗教のはたらきによつて、苦悩を除き去るやうにとつとめるのでありませうが、しかしながら、それは出来ない相談であります。宗教は決して苦悩を断絶すべき道具に使はるべきものではありませぬ。これに反して、宗教はその苦悩を起す心を見て行くところにあらはれる一種の感情でありまして、それによりてその苦情は安楽と代るのでありますが、しかし、始めから苦悩を起す心を除き去るために用ひらるべきものでは決してありませぬ。仏教で悟を開くといふことは、苦悩を苦悩とすることのない心の状態をあらはすに至ることを言ふのであります。苦悩の起る心を改造して苦悩に左右せられない心の状態をあらはすに至るのであります。  未来に期す  かやうに、我々が悟りを開くといふことは、未来に期すべきことで、我々としては現在に於ては、その目的を達することが出来ぬのであります。しかし、さう言ふと、未来では我々に何の役にも立たぬ、現在に於て悟を開くのでなければ、まことに迂遠であるといはねばならぬ。我々には今の今が大切である。これを未来に期することはあてにならぬ。我々はどうしても現在の生活に於て悟を開き、苦悩から離れなければならぬ、あてにならぬ未来のことを考へるのみでは実際何の役にも立たぬではないかと言つて、現在のこの世に浄土を建立することを期するものが多いのであります。親鸞聖人の時代にも無論そのやうな考の人は多かつたと見えまして、「歎異鈔」にはそれを排斥して、「煩悩具足の身をもて、すでにさとりを開くといふこと、この條、もての外のことに候」と言つてあります。あらゆる煩悩をそなへて居る此の身のままで、現在に於て、直ぐに仏の悟りを開くといふことは我々の身にありては到底出来ぬことであります。  即身成仏  仏教の上から言へば、終局の目的とするところは涅槃を証を開くといふことにあるのであります。涅槃の証を開くといふことは、迷の世界から離れて悟の世界に入るといふことであります。印度の龍猛菩薩が著はされた「菩提心論」の中に「若し人、仏慧を求めて菩提心に通達すれば父母所生の身に速かに大覚位をさとる」とありますが、父母所生の身とは我々の現在のこの身体を指すのであります。すなはち、即身成仏が出来るといはれるのであります。それから、我邦の弘法大師が著はされた「即身成仏義」の中には「六根無碍常瑜伽、四種曼茶各不離、三密加持速疾顕、重々帝網名即身」とありまして、弘法大師もまた、三密加持によりて即身成仏が出来ると言はれたのであります。三密とは身密・口密・意密の三密であつて、手に印を結び、口に真言を唱へ、意に本尊を観ずることによりて、大日如来の身・口・意の三業と、我々行者の身・口・意の三業とを相応せしむることによりて三密加持が成就するのであります。印を結ぶとは両手の十指を曲折屈伸して、諸仏の自内証の徳を標示するところの「印」相をなすのであります。真言とは大日如来の秘密語をさして言ふのであります。かやうにして三密加持によりて、父母所生のこの身が仏になることが出来るといふのが、弘法大師によりて興されたる真言秘教の教であります。  六根清浄  それから、「法華経」には、すべての人々が皆、同じやうに仏になることの出来る道が説かれて居るのでありますが、かやうに、すべての人々をば迷の岸から、悟の岸へ乗せて行くので、法華一乗と言はれて居るのであります。しかし仏に成るといふことには條件がありまして、「法華経」には六根清浄と言つて、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が、清浄で無垢となり、仏の無碍自在のはたらきを起すやうになるに至りて始めて悟が開かれると説かれるのであります。さうして、それには四安楽行と言つて、身・口・意・誓願の四種の修行が出来ねばならぬのであります。その四安楽行といふのは「法華経」に説いてあるところを、「法華文句」に説明してあるのを見ると、次の通ほりであります。  「謂く身に危険なし故に安、心に憂悩なし故に楽、身安心樂、乃ち能く行を進む、故に安楽行と名づく。  一、身安楽行 謂く、今まさに十種の事を遠離すべし。   一に豪勢を遠離す、二に邪人邪法を離す、三に凶険嬉戯を遠離す。四に旃陀羅《せんだら》を遠離す、五に二乗衆を遠離す、大乗の行を修するを妨るが故、六に欲想を遠離す、七に不男の人を遠離す、八に危害の処を遠離す、九に譏嫌の事を遠離す、十に蓄養を遠離す、既に遠離し巳りて常に好みて坐禅し其心を修摂す、是を身安樂行と名づく。   二、口安楽行 謂く、口まさに四種の語を遠離すべし。    一に人及び経典の過を説くを楽まず、二に軽慢せず、大乗に依りて小乗を軽蔑せざるを謂ふ、三に他を讃せず、亦他を毀らず、四に怨嫌の心を生ぜず、善く是の如き安楽心を修するが故に是を口安楽行と名づく   三、意安楽行――謂く意まさに四種の悪を棄つべし。    一に嫉諂せず、二に軽罵せず、大行を以て小行の人を訶罵せざるを謂ふ、、三に悩乱せず、四に争競せず、一切衆生のために平等に法を説く、是を意安楽行と名づく。   四、誓願安樂行――謂く、衆生不聞不知不覚により、於是、慈悲心を起し、誓願して為に説く、故に経に曰ふ、我れ阿褥多羅三藐三菩提を得るとき、随て何地にあるも、神通力智慧力を以て之を引て是の法の中に住するを得せしむ、是を誓願安樂行となづく」  かやうに行ずれば身に危険なく、心安樂なるべきことは固より疑のないことであります。しかしながら、真言の即身成仏も、法華の六根清浄も、我々のやうに心の弱いものに取りては修行し難い行でありまして、ただ上根と言れる根機の極めて勝れた人にのみ出来ることであります。  観念成就  此の如き、難行を修めて、その目的を達するがためには、どうしても、心を凝して真理を見きはめることが必要であります。それを観念と名づくるのでありまして、秘密を主とする真言宗にては、阿字観、法華一乗を主とする天台宗にては一心三観をすすめるのであります。  阿字観といふのは、「あ」といふ言葉が人間の言葉のはじめでありまして、それが宇宙の根本であるとする。さうしてこの「あ」といふ音は人間が考へ出したのでないから阿字本不生といふのであります。つまり宇宙人生を一個の阿字として観念するのであります。それには第一に声を観ずるのでありまして、出る息毎に阿字を唱へ、一声毎に心を託して怠らざれば、妄念は自ら止んで真如をあらはすとするのであります。次に心の中に阿字を書いて、常に之を観じて余の念を交へなければ、妄念尽きて本覚の仏があらはれるといふのであります。それから、又実相を観ずるのでありますが、実相を感ずるとは、一切萬有は無始無終の存在であつて、一切諸法は本と不生の義であるといふことを知ることであります。  一心三観といふのは、世の中のものは一切空である、一切空であるがしかしながら実際に世の中にある。それは仮である。しかし、真実のものは空でもなく仮でもなく、その中道にある。それ故にこの空、中の三諦が円融して萬物をあらはして居るといふことを観ぜねばならぬのであります。  観念成就とは、かくの如き教が単に理解せられるのみでなくして、これが体得せられることをいふのであります。さういふ次第でありますから、我々のやうな下根のものには、さういふやうに観念を成就することは到底出来ることではないことを知らねばなりませぬ。そこで我々のやうな下根のものが、説き聞かされて理解することが出来、又これを体得することの出来るものは来生開覚の教であります。  来生開覚  来生とはこの身体が死んでから後に来る生であり、開覚とは仏の覚を開くことを指していふのであります。さうして、この来生開覚は、信心が決定するときは、必ず淨土に往生して仏になるといふことを説くのであります。それ故に、その教を聞いてそれを自分の心にあらはすことは容易なことであります。善い人も悪い人も、少しも簡ぶことなく、一切を救つてそれを仏の国に導いて、そこで仏のさとりを開かしめることを説くのでありますから、それを聞いて信ずることは難行ではありませぬ。智慧をみがいて修行する必要もなく、ただその教を聞いて疑はないといふことでありますからこれを易行の教といふのであります。そこで「歎異鈔」の本文に  「おほよそ、今生に於ては煩悩悪障を断ぜんこと、きはめて、ありがたきあひだ、真言法華を行ずる浄侶、なをもて順次生のさとりを祈る、いかにいはんや戒行慧解共になしと雖も、弥陀の願船に乗じて生死の苦海をわたり、報土の岸につきぬるものならば、煩悩の黒雲はやくはれ、法性の覚月すみやかにあらはれて、尽十方の無碍の光明に一味にして一切の衆生を利益せんときにこそ、さとりにてはさふらへ、この身をもて、さとりをひらくと候なる人は、釈尊の如く、種々の応化の身をも現じ三十二相八十随形好をも具足して、説法利益さふらふにや、これをこそ今生にさとりを開く本とは申し候へ」  この身その儘にて、さとりを開くといふことは釈尊のやうな勝れたお方に出来ませうが、我々のやうなものには、とても出来ることでないと知らねばなりませぬ。  理想の実現  我々が現在の自分の相に目が醒めて、その心の弱きことがわかり、戒も、定も、慧も、共に我々には実践不可能であることが知られて、しかも我々が現実の自分の相を醜悪として、更に向上の道に進まうとすれば、どうしても、希望を未来にかけなければならぬのであります。すなはち理想を現実にすることを未来に期せねばならぬのであります。誰にしても自分はもとより、他の人々をもなるだけ向上さして、世界を浄化し、苦悩のない、争闘のない、自由円満の境地を造りたいと願ふことは山々でありませう。しかしながら、自分の力としては、それはとても出来ることではありませぬ。殊に人間の生命は電光朝露のごとく短かく果敢ないものでありますから、このやうな大業が現在になされるべきであるとは考へられぬことであります。若し、我々が、かやうな自身の相を考へて見ると、いかにも心が弱く、智慧もまた足らぬのであります。それ故に、どうしても希望を未来にかけて、理想を現実にすることを未来の生活にせねばならぬのであります。未来の生活といふのは、現在の生活の続きでありまして、我々は過去より現在に及びて生活を続けて居るのでありますから、現在の続きは必ず未来として考へられることであります。その未来に希望をかけて一歩一歩とその道を進み終局に於て自由円満の心の境地に至ることを指して未来の往生を期するといふのであります。すなはち理想の実現を未来に期待するのであります。  現在と未来  かやうに、未来に於て浄土に往生することを願ふと申しますと、この現在の生活はどうでもよいと考へる人もありませう。しかしながら、未来に於て浄土に往生することを願ふといふことは現在の自分の心の相の醜悪なることに気がついて、それを善美のものにしやうとの念願のあらはれでありまして、決して、この現在の生活はどうでもよいといふやうな捨鉢の心ではありませぬ。むしろそれと反対に、現在の生活を善くしやうとする念願に本づくものであります。若し我々が向上の希望を将来にかけないで、現在の生活をその儘に進めるならば、いふまでもなく、我々の生活は酔生夢死と言はるべきであります。しかしながら、又若し将来の希望にのみ心をかけて現在を顧みないとするならば、それは煩悩生活を其儘に肯定するもので勝手気儘の生活となるのであります。  心光照護  親鸞聖人の教は、前にもしばしば述べたやうに、我々人間は仏の他力のお蔭にて、現実の自己がいかにも愚かなもの、いかにも悪いものであるといふことを知らしめらるるのでありますから、そこでかやうな愚悪なものを救ひたまふ仏の本願を信ぜよと説かれるのであります。さうして、その仏の本願に信順するとき、そのとき仏の心の中に摂め取られたのでありますから、何時死んでもかまはぬと心を安んずべきであります。しかし、さういふと、これを聞く人が間違つた考をすることがあります。そこでその間違につきて「歎異鈔」に、次のやうに、書いてあります。  「和讃に曰く金剛堅固の信心の定まるときをまちえてぞ、弥陀の心光照護してながく生死をへだてけると候は、信心の定まる時に一度摂取して捨て玉はざれば六道に輪廻すべからず、しかれば長く生死をばへだて候ぞかし、かくの如く知るをさとるとは言ひまぎらかすべきや、あはれにや」  「弥陀の心光照護して永く生死をへだてける」と親鸞聖人の和讃にある。それを間違つて考へて、信心の定まるとき、直ちに摂取せられて、永久に生死の迷から離れるのであるならば、現世に於て仏のさとりを開くといふことになると論ずるものがあつたのであります。しかし親鸞聖人の説かれることは阿弥陀仏の光明に摂められて居れば、どんなことがあろうとも必ずたすけるといふ誓願である、それ故にその本願の力によつて永久に六道輪廻することから離れることが出来るのであるから、何時死んでも淨土に往生することが出来ると知るべきであります。われのやうな悪いものを本願によつてたすけられると聞いて、有難く感ずるのでありまして、決して現世に於て悟りを開くといふべきではありませぬ。  廻心  仏教にて廻心といふことは、悪るい心をひるがへして、善い心にすることを指して言ふのでありますから、懺悔と同じ意味のことであります。仏教以外の宗教でもこの廻心といふことをば八釜敷言ふのでありまして、自分が悪いといふことに気がついたら、その悪いことを改めてよい心にしなければならぬと説くのであります。そこで親鸞聖人の遺教を奉じて念仏を申した人々の中にもさういふ考へのものが多かつたものと思はれます。「歎異鈔」の第十六章の冒頭に、次のやうなことが書いてあります。  「信心の行者、自然にはらをもたて、あしざまなることをもおかし、同朋同侶にもあひて、口論をもしては、かならず廻心すべしといふこと、この條、断悪修善のここちか」  阿弥陀仏を信じて、念仏を申す信心の行者が、若し腹を立てたり、悪いことをしたり、また同信の友などに遭ふて口論するやうなことがあるとき、その誤りに気がついて、廻心せねば往生は出来ぬといふことを説くものがある。これは悪業を断ち善業を修めねば救はれぬといふ考に囚はれたものであらうといふ意味であります。念仏はいかなる悪にも妨げられないから、どんな悪いことをしてもよいといふ異義に対して、戒められたと、併びて念仏は功徳があるから罪を滅す力があるとする考に対しても、それは間違つた考であることを説明せられたのであります。これ等の異義に併びて懺悔すれば罪が消えるといふ考に本づいて廻心・懺悔することが大切であると説くものがありました。知らず知らず自然に、身・口・意の三業によつて為すべからざることを為すことがある、その度毎に廻心せねばならぬといふのであります。少し考が進むと、我々が悪いことをするといふことは止むを得ぬことで、罪を作るのは仕方がないが、信心の行者になれば廻心は自ら出来て、それで罪が滅せられるのであると考へるものもあつたのであります。しかしながら、それは全く断悪修善の思想に外ならぬもので、他力本願の念仏の意に背くものであると言はれたのであります。  断悪の心  悪いことをしながら、それを悪いことと知らず、更にそれを恐れることのない人は、無論論外でありますが、悪いことをした時にそれに気がついて、いかにも悪かつたと思はれたとき、そこに起る所の心は、その罪悪を自分でどうにか始末せねばならぬとするところの道徳の心であります。固より道徳的の内観によりて悪と知るのでありますから、自分の力にてその悪をなほさうとする心の起るのは当然であります。そこで念仏の教を奉ずるものでも、或は「念仏の力によりて罪を消さうとしたり、或は廻心によりて罪を消さうとしたり、或は他力本願の力によりて自然に廻心が出来るやうにならねばならぬ」と考へるのであります。固よりこれは念仏の教を奉じて起る心でありますから、殊勝ではありますが、その心の底には断悪の心が動いて居るのでありまして、どこまでも道徳の範囲に属し、進みて宗教の心にはならぬのであります。「嘆異鈔」の著者はそれは断悪修善の心に外ならぬものであらうと、柔かに説いて居るのでありますが、実際かやうな断悪の心は到底道徳の範囲を出づることが出来ぬものであります。  廻心と本願  他力本願を信ずる心の上からして言へば廻心とは悪心をひるがへすのではなく、ただ本願をたのむやうに心を廻すのであります。  「一向専修の人々においては廻心といふこと、只一とたびあるべし、その廻心とは日ごろ、本願他力宗を知らざる人、弥陀の智慧をたまはりて、日頃の心にては往生かなふべからずと思ひて、もとの心をひきかへて本願をたのみまいらするをこそ廻心とは申し候へ」  一向に専ら念仏を修する人、すなはち全く宗教の心を現はす人にありては、廻心は只一回あるだけであります。それはこれまで他力本願によりて救はれるといふことを知らなかつたものが、弥陀の智慧をいただいて、自力の心にては往生することが出来ぬことに気がつきこれまでの自分の心を改めて本願をたのむ心になる、これを廻心といふべきであります。自力を捨てて他力に帰する。この精神の方向転換が廻心であります。それ故に廻心は生涯にただ一度あるのみであります。親鸞聖人が述べられました「唯信鈔文意」の中に  「廻心といふは、自力の心をひるがへしすつるをいふ也……自力の心をすつといふは、やうやうさまざまの大小の悪人、善悪の凡夫のみづからが身をよしと思ふ心をすて、身をたのまず、あしき心をさかしくかへりみず、また人をよしあしと思ふ心をすてて、ひとすぢに具縛の凡夫、屠沽《とこ》の下類、無碍光仏の不可思議の誓願、広大智慧の名號を信楽すれば、煩悩を具足しながら、無上大涅槃に至る也」  かやうに、道徳と宗教の心とをはつきりと別けて説明してあるのであります。悪いことに気がつけばどうにかしやうとするのは道徳の心のあるものには当然のことであります。しかしながら、それが人間の本性でありまして、罪悪はこれをどうすることも出来ぬのであります。そのどうすることも出来ぬ悪いことに恥づるといふ心、それを仏教の言葉では厭ふと言ふのであります。そこに自から感じられるのが「かやうなものをたすけるとそこにあらはれた仏の本願に信頼する心」であります。固より自分の心が道徳の規範に反いて居るために苦しみが起るのでありますが、それを断つことは更に一層の苦であります。しかるに、それにそのまま直面すれば、そのまま自から道徳の規範に従ふやうになるのであります。蓮如上人の言葉に「心中を改めんとまでは思ふ人あれども、信を取らんと思ふ人はなき也と仰せられ候」とありますやうに、心中を改めやうといふ道徳の心は起きますから、罪悪を感じて、それを正しくしやうとつとめる、誰でも心中を改めやうとまでは思ふのでありますが、その自分のはからひを捨てて、かかるものを助けやうとせらるる仏の本願を信ずる人は少ないのであります。それから又「歎異鈔」の著者は次のやうに説いて居るのであります。  「一切のことに、あした夕に廻心して往生をとげ候べくば、人の命は出づる息、入るほどを持たずして終る事なれば、廻心もせず、柔和忍辱の思に住せざらんに、命つきなば、摂取不捨の誓願は空しくならせ、おはしますべきや」 自分の思ふこと、言ふこと、行ふこと、一切の悪いことを廻心して往生することがはじめて出来るとするならば、人間の生命は脆いものでありますから、廻心することが出来ぬ内に死んだら往生出来ぬことであらう、さうすれば摂取不捨の誓願は何の役にも立たぬであらうと言ふのであります。かやうに言つたとて、無論慚愧が無用であるといふのではなく、むしろ、慚愧の心が強くして、いくら慚愧しても、慚愧しつくすことの出来ぬほどに、罪悪が深く重きことを痛嘆して、ひとへに如来の本願を仰ぐに至るべきであります。  願力を疑ふ  「口には願力をたのみ奉ると言ひて、心にはさこそ悪人を助けんといふ願不思議にましますといふとも、さすが善からんものをこそ助けたまはんずれと、思ふほどに、願力を疑ひ、他力をたのみまゐらする心かけて、辺地の生を受けんこと、もとも歎き思ひ玉ふべきなり」  口先では仏の本願におたより申すと言ひながら、その心の底では、いかほど悪人を助けるといふ本願が不思議であると言つても、やはり善い人の方を助け玉ふのであると思ひ込んで居るのでありますから、本願を疑ひ、ひとへに本願をたのむ心にはなり切れず、それがために浄土に往生するにしても、辺地といふ方便の化土に止まりて、真実のさとりを開くことが出来ぬのであります。まことに嘆かはしいことであると言はねばなりませぬ。  「信心定まりなば、往生は弥陀にはからはれまいらせてすることなれば、わがはからひなるべからず、わろからんにつけても、いよいよ願力を仰ぎまいらせば、自然のことはりにて、柔和忍辱のこころも出でくべし」  一たび信心を決定した上は、弥陀のはからひにより往生するのでありますから、我が自力のはからひがありてはならぬのであります。自力のはからひをすることは、すなはち如来の本願を疑ふて信ぜぬことであります。我が身の悪いことが知られるにつけて、いよいよかかるものが助けられることを信じて、願力を仰ぐやうになれば、その本願の力によりて、自然に柔和忍辱の心が起きて来る筈であります。自然のことはりとは、「末燈鈔」に「弥陀仏の誓の、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏と、たのませたまひて、迎へんと、はからはせたまひたるによりて、行者の善からんとも、悪しからんとも思はぬを、自然とは申すぞと聞きて候」とあるやうに、願力それ自らのはたらきがそこにあらはれるといふ意味であります。如来の御計らひに任せて、自分が善いと思つたことをも自慢せず、悪いと思つたことにもおそれ悲しまず、ただひたすらに仏の誓願を仰ぐ時は、自から柔和忍辱の心が出て来るのであります。身・口・意の三業の一切のことにつきて、常に廻心すべしといふことは、畢竟、信心の定まらぬために生ずるあやまちであります。  自然  親鸞聖人が自然と言はれるのは我々が自力のはからひを止めたときに、感ぜられるものであります。「行者の悪しからむとも善からむとも思はぬを自然と申す」のであります。我々の思慮詮索を止めたところに感知せらるるものが自然であり他力であります。  「しかるを、自然といふことの別にあるやうに、われ物知り顔にいふ人の候よし、うけたまはる、あさましく候」 願力のはからひによりて、すべてが、よくなされるので、われわれのはからひのない所が自然であり他力であるのに、別に自然といふものがあるかのやうに、物知り顔に言ふ人があるさうであるが、まことにあさましいことであると言はれるのであります。  釈迦教と弥陀教  むかしから、仏教を二た通ほりに分けて、一釈迦教、一は弥陀教と言はれて居るのであります。釈迦教とは釈尊が説かれた通ほりの教をそのままに信奉し、先づ菩提心を越し、それから戒と定と慧との三学を修め、法の如くに修行して、遂に涅槃のさとりを開くをいふのであります。釈尊が始めてその道を説かれたのは八正道でありまして、すなはち、正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定であります。すべて事物の観察を正しくし、その真相を明かに知り、それによりて思考を正しくし、言語を正しくして虚言せず、入らざることを言はず、両舌せず、言葉をかざるやうなことをせず、それから正業と言つて、行為を正しくし、正命と言つて生活を正しくし、正精進と言つて、一生懸命に努力して懈怠せず、念慮を正しくして、心の動乱をせぬやうにとつとめる。この修行によりて真実の智慧が得られて、迷ひの心から離れることが出来るのであります。かやうな釈尊の教を奉じてその教の言葉のままに修行して涅槃のさとりを開くといふのが釈迦教であります。涅槃のさとりを開いたものは仏でありますから、釈迦教といふのは我々人間が修行の功を積みて仏になる教であります。弥陀教といふのは釈尊が説かれたる教の精神をつかむで阿弥陀仏の本願をたのみ、来生に涅槃のさとりを開くのであります。釈尊の教のままに、菩提心を起すことも出来ず、法の如くに修行することも出来ない自分の心の羸劣をかへりみて、阿弥陀仏の本願をたのみて、未来の世に於て、涅槃のさとりを開くことを期するのであります。阿弥陀仏を略して弥陀といふのでありまして、その阿弥陀仏の本願をたのみ、阿弥陀仏の国に生れて、そこでさとりを開くといふのが弥陀教であります。親鸞聖人が説かれましたのは弥陀教でありまして、阿弥陀仏の本願を信じて疑はず、それを頼みにするものは阿弥陀仏の精神にかなふから、その仏の国に生れさせてもらふことが出来て、そこで涅槃のさとりを開くことが出来ると説かれるのであります。  報土の往生  弥陀教とは、かやうに、阿弥陀仏の本願を信じて疑はず、それを頼みにするものは阿弥陀仏の精神にかなふから、その仏の国に生れさせられるのであると説くのでありますが、仏の国といふのは、真実報土と名づけられるものであります。これは阿弥陀仏の本願に報ひられて現はれたる国といふ意味でありまして、浄土とも言はれ、又極楽とも言はれ、いろいろの名称が行はれて居るのであります。阿弥陀仏の本願とは、一切の衆生が阿弥陀仏を信じて、その名を称するものを必ずたすけるといふ大願をいふので、その大願に報ひて現れたる国といふ意味で報土といふのであります。さうして、さういふ国が何処にあるか、現在の我々にはわからぬことでありまして、愚悪なるこの身が亡くなつてから、その国に往きて生れるといはれるのであります。しかしながら、我々の心としては、さういふ国が地理的に何処にあるかといふことは問題とするには及びませぬ。実際、さういふ国に生れるといふことは、我々の心が円満の境地に達して無上の幸福を得るのでありまして、これを報土往生といふのであります。親鸞聖人の教は、すべての人々に対して、阿弥陀仏の本願を信じ、それをたのみて真実報土の往生を遂げよと勧められるのであります。  辺地の往生  しかるに、阿弥陀仏の本願を疑ふて信ぜず、自分の力を頼みにして、努力するものは、いかに善いことをしても、又一生懸命に阿弥陀仏の名を称しても、そのものは真実報土に、生まるることが出来ずして、僅かに辺地の往生をするに止まると説かれるのであります。辺地とは淨土の辺鄙といふ意味でありまして、「大無量壽経」に出て居る名前であります。親鸞聖人はこれを化土とも言つて居られるのでありますが、化土といふのは阿弥陀仏の本願に報ひてあらはれたる真実の報土に対して仮に設けられたる世界といふ意味であります。これは前にも言つたやうに報土といふものを一とつの場所として言ふのでありますから、それに対して辺地とか化土とかといふのでありますが、その心持から言へば本当のさとりが開けないといふことに外ならぬのであります。辺地には別に疑城・胎宮・懈慢界などといろいろの名称がありますが、疑城とは阿弥陀仏の本願を疑ふものの行くところ、胎宮とは、胎生の宮殿といふ意味で、胎内に居る子は母の慈悲に包まれてゐながらその慈悲を知らぬやうに、阿弥陀仏の慈悲に包まれながら、真の光明を見ないものの行くところ、懈慢界とは心の怠たり勝ちのものの行くところといふ意味で、皆同じやうに、真実のさとりが開けぬといふことを示すものであります。  辺地往生の排斥  報土とか、辺地とかといふことを地理的のものとして考へず、報土に生れて真実のさとりを開くといふことから報土を精神上の国として考へれば、報土に生まれるといふことは真実の智慧を得て、迷の心から離れ、無上の幸福を得るといふ意味に外ならぬものであります。これに反して、辺地に生まれるといふことは真実のさとりが開かれぬのでありますから、親鸞聖人は辺地の往生を排斥せられ、どうしても真実報土に往生せねばならぬと言はれたのであります。それ故に、その説を聞いたものの中には辺地の往生は非常に悪いものやうに思ひ込んで、辺地の往生したものは遂に地獄へ堕ちて仕舞ふなどと言ひ伝へるに至つたのでありませう。「歎異鈔」の第十七章に次のやうに述べてあります。  「辺地の往生をとぐる人、遂には地獄に落つべしといふこと、この條、何の証文に候ぞや、学生たつる人のなかに、言ひ出さることにて候なるこそ、あさましく候へ、経論聖教をばいかやうにみなされて候やらん」 辺地の往生を遂ぐるものは、終には地獄に堕るといふ人があるが、しかしさういふことは経典には見えず、聖教にも書いてないことである。それは学者めかす人から言ひ出されたことで、浅間敷いことである。さういふ人は経論の教をどんな風に読むだのか、要するに、これは辺地往生の意味を誤解したのであるといふのであります。  淨土三経往生  真実報土といひ、方便化土といひ、共に我々人間が往生するところとして説かれて居るところのものでありますから、そのことをよく理解するためには先づ往生といふことの訳を善く知らねばなりませぬ。往生とはその文字の示すとほりに往いて生れるといふことであります。往いて生れるとは阿弥陀仏の国に往いて生れるといふ意味であります。さうして、それは阿弥陀仏の国といふことをば一つの形をつけて言ふので、実際に於て形はないのであります。その意味から言へば、阿弥陀仏の心の中へ入ることで、我々の醜い心が仏の浄き心へ入ることが、仏の国に往生することなのであります。それに形をつけ、仏の国を地理的に考へて我々が死んでから後に、その国へ往いて生れると信ずるのであります。宗教の感情があらはれることによりて、さう考へさせられるのであります。親鸞聖人はそれについて淨土三経往生といふことを説いて居らるるのであります。三経往生とは大経往生、観経往生、弥陀経往生でありまして、それは、「大無量壽経」と、「観無量壽」と「阿弥陀経」とに説いてあるやうな心にて、往生を願ふ人々が、往生するところを示されて居るのであります。「大無量壽経」に説くところの阿弥陀仏の本願は、不可思議のもので、念仏する衆生をして必らず悟りを開かしめる。その本願を信ずるものは、この世では正定聚に住すると言つて、何時にても真実報土に往生することが出来る身分となる。その阿弥陀仏の本願を信ずるのも、自分の力によるのでなく、阿弥陀仏の廻向の力によりて、仏の方からして信ぜしめられ、念仏申さしめられるのであるから、その結果として必ず真実の報土に生まれることが出来るのである。すなはち、煩悩具足の凡夫が、その煩悩を断ずることなく不思議の他力の計によつて涅槃のさとりを開くことが出来るのが大往生であります。その次は先づ無上菩提心を起して、一生懸命に仏を念じて、その人の力に感じていろいろの善事をなし、五戒を保ち、寺を建て、像を造り、沙門を供養し、燈を燃じ、華を散し、香を焚きなどして、それを仏に廻向して仏の国に生まれたいと願ふものに対しては、その人の臨終に、無量壽仏がその身を現はして、諸の大衆と共に、その人の前に現はれるから、それに随つて仏の国に往生することが出来る、かくの如きは中輩であります。上輩のものは、家を捨て、欲を捨て、沙門となり、菩提心を起して懸命に仏を念じ、多くの功徳を修して仏の国に生れたいと願ふ、さういふものに対しては、その人の臨終に、無量壽仏は諸の大衆とともに現はれるから、その仏の国に往生することが出来るのであります。下輩のものは、諸の功徳をなすことは出来ないが、菩提心を起し、一向專心に念仏すれば、臨終の時に彼の仏を見て往生するのであります。これらを観経の往生といふのであります。しかし、その往生するところは化土であつて真実の報土ではないのであります。  更に他の一つは、南無阿弥陀仏の名號は善本であるから、まことに、善根功徳が多い、しかるにこの不可思議の仏力を疑惑して信せず、その善本の尊號を自分の善根としてそれをもつて仏の国に生れんとする、半ば他力で半ば自力で、言はば他力の中の自力である。尊號を称するために疑城・胎宮に生れるが、不可思議の他力を疑ふ罪が重いからその牢獄にいましめられてそこに五百歳の命をすごさなくてはならぬ。さうして、この疑城・胎宮に居るときは、常に仏を見ず、経を見ず、法をきかず、菩薩声聞聖衆のやうな道をよく修める人にも会ふことが出来ない、これを弥陀経往生といふのであります。  方便化土  阿弥陀仏の慈悲は広大で、一切のものをたすけねば置かぬのでありますから、たとひ、その本願を信ぜずして疑の心を持ち、自力のはからひをするやうなものがありましても、いかにもして、それ等のものをして、自分の国に往生して、無上の幸福を得せしめやうとつとめられるのであります。そこで、それ等のものは固より真実の報土に生れることは出来ぬが、その辺鄙に生れて、五百歳もたつ内に、仏智の不思議を知ることが出来たら、いつでも、真実の報土に生れることが出来るのであるから、辺鄙の浄土をば方便化土と言はれるのであります。これは真実の報士に生れしめるための方便としてのところであるといふ意味であります。それは阿弥陀仏の本願を疑ひ、自分の心にて行くべくつとむるのであるから実際から言へば、我々が行くべく希望して、しかも行くことの出来ぬ処でありませう。  三願転入  阿弥陀仏の本願は、前にもしばしば言つたやうに、それを信じて念仏を申すものを必ず仏の国に生れしめる誓願でありますが、「大無量壽経」には阿弥陀仏の誓願が四十八ほど挙げてありまして、人々の根機に従ふて、それに相応する方便によりて、一切のものをたすけるやうに願はれて居るのであります。観経往生のやうに、自力の執心の固いもので、いろいろの功徳を積みて、仏の国に生れやうとする人々のために起されたのが第十九願で、善行をなし功徳を積みて居ればその人の臨終に必ず仏があらはれて浄土へ迎へ取ると誓はれるのであります。弥陀経往生のやうに念仏の功徳を仏へまゐらせてその徳によりて浄土へ生れやうとする人々に対しては第二十願が起されて、さういふ人々の臨終に必ず仏があらはれて、それを迎へると誓はれるのであります。大経往生のやうに、全く自力の計ひを捨てて、阿弥陀仏の本願を信ずるものは臨終を待たず、信心を得たるその時から仏の心の中におさめられて身が終れば必ず浄土に生れしめると誓はれるので、それが第十八願であります。親鸞聖人はこの三願を併べて阿弥陀仏の本願の主意は人々をして第十八願によらしめるのであるが、人々の機根に応じて素直に第十八願によることの出来ぬもののために、第十九願と第二十願とを起して、さういふ人々を第十八願に誘引せられるのであると説明せられたのであります。それを三願転入と言はれるのでありますが、要するに、第十九願の対象たる観経往生と、第二十願の対象たる弥陀経往生とはまだ道徳の心を離れることの出来ぬもので、それが漸次に進むで、遂に第十八願の対象となるやうになつたのが、すなはち宗教の心のあらはれたのであるといふべきであります。  同一信心  此の如く「歎異鈔」には親鸞聖人の教に異義があつたことを挙げて、一々それにつきて辨明してありますが、それは何れも根本の信心が間違つて居たためであるといふことに帰著するのであります。法然上人の在世の時にも念仏の信心につきてはいろいろの異議があつたのでありますが、その中にて「師匠の法然上人の信心と弟子たる銘々の信心とは決して同一であるべき筈はない」といふことが問題となりまして、親鸞聖人は他の人々の説に反対して「師匠法然上人の信心も自分の信心も同じものである」と主張せられまして、勢観房・念仏房などの人々と争論せられたのであります。そこで結局、その判断を法然上人に願ひましたところが、法然上人の仰せに  「源空が信心も、如来よりたまはりたる信心なり、善信房の信心も如来よりたまはらせたまひたる信心なり、さればただひとつなり、別の信心にておはしまさんひとは、源空がまいらんずる浄土へはよもまゐらせたまひ候はじ」 とあつたといふことが伝へられて居ります。源空とは法然上人のことで、善信房とは親鸞聖人のことであります。親鸞聖人の考によれば、信心が異なるといふことは自力の信心に取りてのことである。それは人々の智慧各別であるがために信心が各別であることは勿論であるが、他力の信心は善悪の凡夫共に仏より賜はるところの信心であるから、すべての人々にありて皆同一であると言はれたと伝へられるのであります。  信心の表現  しかしながら阿弥陀仏の本願を信ずる心のあらはれることは、人々によりてその状態に相異するところがあります。感情の強い人であれば泣いて喜ぶこともありませう、これに反して感情の強くないものは冷静に考へてじつと仏の心を味ふことでありませう。しかしながら、それは表現の形式がちがふのみのことで、弥陀の本願をたのむといふことは同一でありますから、その信心は一味であると言はなければなりませぬ。さうして、その信心といはるるものは自分の計らひをやめたときに自然法爾と感ぜられる心であります。それは必ず宇宙に存するところの真実の心に照らされて自分の心の相をよく見ることが出来るために感ぜられる心であります。それを宗教の意味にて信心と言ふのでありますから、我々の心としては、弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて往生をば遂ぐるりと信じて念仏申さむと思ひ立つ心が大切でありまして、そこにあらはれて来るところのものは全く仏より賜るところの真心である、さうしてそれが信心といはれるものであります。若し弥陀の誓願を理解して、信ずべきであるならば信じ、信ずべからざるものであれば信じないといふやうなことであれば、それはその人々の智慧に相当してあらはるべきことでありますから人々によりて相異すべき筈であります。  機の深信  かやうに考へて来ると、宗教の心は全く自分一己の心の上に感ぜらるべきものでありまして、全然主観的・精神的のものであります。きりつめて言へば、宗教は全く自分の心一とつの問題であります。「歎異鈔」にはこのことにつきて親鸞聖人が平生言はれた言葉を記して、それに関して著者の考が述べてあります。  「聖人のつねのおほせには、弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけり、さればそくばくの業を持ちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけさよと、御述懐さふらひしことを、いままた案ずるに善導の自身は罪悪生死の凡夫、曠劫《こうごう》よりのかたつねにしづみつねに流転して、出離の縁あることなき身としれといふ金言に、すこしもたがはせおはしまさず、さればかたじけなくもわが御身にひきかけられて、われらが身の罪悪の深きほどをも知らず、如来の御恩のたかきことをもしらずしてまよへるを、おもひしらせんがためにてさふらひけり、まことに如来の御恩といふことをばさたなくして、われもひともよしあしといふことをのみまうしあへり」  親鸞聖人が平生言はれたことに、阿弥陀仏が五劫の間思惟して罪悪のものを助けむとせられたのは親鸞一人のためであつたといふのであります。まことに我々は愚悪のものでありまして、すべての仏から捨てられる筈のものでありますが、それをたすけて下さるのは阿弥陀仏のみである。如来の本願は此の如き愚悪のものをたすけんとの本願であります。親鸞聖人はそれをば、自分一人の本願であると受けられたのであります。さればそくばくの業を持ちける身にてありけるを助けんと思召したちける本願のかたじけなさよと、述懐あらせられたことは、善導大師が「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常に沈み常に流転して出離の縁あることなき身と知れ」と言はれたのに少しも違はぬと「歎異鈔」の著者が言つたのであります。善導大師は機の深信と法の深信との二種を別ち、自分の罪のいかにも深重であることを信ずることを機の深信とし、如来の本願力のいかに広大なることを信ずることが法の深信であると説いて居られるのであります。如来の本願力を仰ぐとき、いよいよ我身の罪悪の深重であることが知られるのであります。我身の罪悪に気がつくときますます如来の本願力のかたじけなさが知られるのであります。しかるに、我々はそれをば常に他人の事のやうに思つて、それをば自分に引き当てて味はふとはしないのであります。従つて如来の御恩の高いことをも知ることが出来ぬのであります。それ故に親鸞聖人はかやうに御自身に引きよせて、我々が自分の罪の深いことをも知らず、それを憐みたまふ如来の御恩の高いことをも知らず、うかうかと迷つて居ることを思ひ知らせんがために、此の如く述べられたのであると言つてあるのであります。  自力計度  思へば我々はまことに愚悪窮まりなきものであります。如来の御恩の高大なることは喜ばないで、我も人も、只善いとか悪いとかといふことばかりを口にして兎や角と計らふて居るのであります。俳諧寺一茶の発句に「山櫻人をも鬼と思ふべし」といふのがありますが、これは山の中に櫻が咲いて居る、誰も見てくれなくとも苦情は言はず、それ見て誉められやうとも思はず、人々の見ると見ないとには頓著せず、時が来れば咲き時が来れば散るのであります。これが若し人間であつたら、人が見て呉れぬのを不平に思ひ、これからは咲くことをやめやうといふでありませう。櫻は天から与へられたる自分の仕事をそのまま正直にやつてゐる、あの櫻が人間を見たら人間を鬼と思ふであらうといふ意味でありませう。我々は櫻の花を見て、ただそれが奇麗であるとか、ないとかいふやうなことをのみ彼此と言ひ合ふて居るのであります。ただ自力計度のみに走りて如来の御恩といふやうなことはすこしも考へぬのであります。  人間虚仮  親鸞聖人は又、「善悪の二つ総じてもて存知せざるなり」と言はれたといふことであります。さうして、その故は  「如来のこころによしとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、よきを知りたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、よきを知りたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、あしきをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはしますとこそおほせはさふらひしか」  若し真理にかなつて居ることならば善である、若し真理にかなつて居なければ悪であるといふことは考へられるのでありますが、さて如何なることが真実にかなふかかなはぬかは、我々には分らぬことであります。それ故に我々は善悪の二つ総じてもて存知せざるなりであります。しかしながら、それは善悪の二つが分らぬから、いかなることをしても善いといふやうな捨鉢の心ではありませぬ、又我々にはわからぬ善悪の道徳的標準に囚はれて彼此と考へて居る必要はないといふのでもありませぬ。又念仏してさへ居れば善悪といふやうなことに頓著することはない、如何なる悪人も念仏すれば助けられると、平然とすまして居るのでもありませぬ。親鸞聖人の心は、善いことをしやうとしてもすることが出来ず、悪いことを止めやうとしても止まず、結局、何が善か何が悪か、総じて以て存知せざるなりと言はねばならぬやうに自分の愚痴を慚愧せられたのであります。この慚愧の心が深く親鸞聖人の心の底に潜むで居ればこそ「煩悩にみちた我々が火宅無常の世界に居るから世の中のことはみなそらごとたわごとで一つも真実のことはない、ただその中に如来より賜はつた信心だけが真実である」と感ぜられたのであります。「世間虚仮唯仏是真」といふ聖徳太子の御言葉と同じ心の有様であると思はれるのであります。如来は我々に対して、その真実を知らしめんために南無阿弥陀仏の名號を示されたのでありますから、我々はこの名號によつて始めて如来の心を信じ、この名號を称ふるときにのみ、この虚仮の世界から離れて真実の世界に到ることが出来るといふ喜びが起るのであります。  真実の生活  我々がかういふ世界に生れて、周囲の一切のものの恩恵によりて人間の生活を為すといふことは、しかしながら一大幸福であると言はねばなりませぬ。それが仏の教に遇ふて、精神を修むることが出来て、真実の生活をなすことは更に一層の幸福であります。この幸福の境遇にありながら、自力の計度に誤られて、仏の心の中に入ることが出来ず、現世にありては物に使はれて無益に心配を重ね、未来にありては、真実の報土に生まれることが出来ず、辺土にとどまり、懈慢の生活をなすといふことは、まことに歎はしいことであります。久しく法を聞いて、道を求め、僅に自力の無効に気がついても、なほ永い間の自力の習慣から離れることがむつかしく、親鸞聖人と一味の他力本願の信心を獲得することが出来ぬのは不幸の苦しきものであります。「歎異鈔」の著者はこの有様を見て、黙つて居られず、泣く泣く筆を執て、念仏の異義を歎くと題して、この書を作つたと述べて居るのであります。自分が親鸞聖人と一味の信心を獲て、真実報土に生まれることが出来るといふ喜びの心をあらはし、自身の幸福を喜べば喜ぶほど、まだ他力の信心を獲ずして、迷ひ苦しむ人々を見て、悲しまざるを得ないのであります。曇鸞大師の言葉に「同一に念仏して別の道なきが故に、道を通するに四海の内、皆兄弟なり」とありますが、知ると知らぬとの区別なく、すべての人々をして、悉く他力本願の不思議を信ぜしめ、等しく如来の子となりて共に円満の理想の境に向つて進むで行きたい。さうして、これが我々人間が生きて行くべき真実の道であるといふことを広く世の人々に知らしめるといふ念願をもつてこの「歎異鈔」は造られたのであると記されて居るのであります。私が今この書に拠りて親鸞聖人の生活の上にあらはれたる宗教的のものを挙げて、これを範としての宗教生活を示さうと試みたのは、この書がこれまで割合に広く志ある人々の間に行はれて居るからであります。極めて要旨を挙げたに過ぎませぬが、しかしながら、宗教生活の意義はこれにてある程度まで十分に説明し得られたことと信じて居るのであります。 (「宗教生活」富士川游医学博士) 昭和十二年三月十二日 印刷 昭和十二年三月十五日 発行 東京市?町区内山下町一丁目一番地東洋ビルヂング四階 発行者 中山文化研究所 右代表者 秋山不二 厚徳社