新釈実語教  富士川游 文学博士 医学博士  中山文化研究所  小引  瑞雲院妙弘尼、この世におはせしときの名は中山比呂子さま。太陽堂主中山太一氏の奥方であつた。天資温厚摯実浮華を喜ばず、妙齢にして中山氏に嫁したまひ、家庭の内にしましましてよく夫君の宏大なる事業を抜けたまひ、それをして今日の隆盛を致さしめられた内助の功績のまことに莫大なることは申すまでもない。今から十二年前、太陽堂開業二十年記念事業として中山文化研究所が大阪に創設せられたとき、私はその一部たる女性文化研究所の事業を擔当することとなりて、精神文化主とすべきことを唱へ、婦人精神文化研究會を創設して、精神文化の根本たる宗教の意識を明瞭にすることをつとめやうとした。この時、瑞雲院さまは自からその幹事の一員となり、毎月の例會にも出席して熱心に會員を監励したまふた。その後東京に中山文化研究所が創設せらるるに至りて瑞雲尼さまは陰に陽にこの研究所の事業を翼賛したまふたのであつた。平生から蒲柳の質であつたが、しかし大した病気にはかかられなかつたやうであつた。去年の春、腎臓炎に侵されたまひ、入院治療の間に俄に肺炎を起して俄に他界の客とならせたまふた。まことに悼惜の至である。今茲二月十二日は早くもその一週忌にあたるを以て、私はこの日より筆を執りて、この一篇を稿し、我が中山文化研究所の偉大なる後継者として因縁の深い瑞雲院さまの靈前に捧げることとした。実語教の一書は明治維新前にありては幼童の読物として広く行はれて居つたもので、儒教と仏教との所説を融和し、深切に人人のたましひを育てることを説いたもので、我邦の精神文化に貢献することが多かつたのである。今日では多くの人人からは忘れられて居るやうであるが、これを現在の人人の読物として提供することも決して無益ではないと信じ、殊に瑞雲尼さまが婦人の精神文化の発展にその志が深かつたことを憶ひて、これをその靈前に捧げることが追慕の心をあらはす上に至極のことと考へて、これを世に公にすることにしたのである。刊行に際して、一言このことを陳べて小引とする。  東京中山文化研究所にて  昭和十年三月末日  富士川游記  新釈実語教  富士川游述  山高きが故に貴からず、樹あるを以て貴しとなす。人肥えたるが故に貴からず、智あるを以て貴しとなすといふ文句を冒頭として、児童のために教調の事を説きたる「実語教謡」は、「庭訓往来」、「女今川」などの類と共に、明治維新前には、寺小屋にて児童のための教科書として盛に用ひられたものであつた。その作者は護命僧正であると伝へられて居る。護命僧正は南都元興寺に居た高僧で、嵯峨天皇の弘仁七年僧都となり、仁明天皇の承和元年に八十五にして亡くなられた。平仮名のいろははこの護命僧正が作られたと言はれて居るが、「実語教」がこの護命僧正の作であるかどうかは明瞭でない。或は護命僧正よりもつと後の僧侶の手になつたものかも知れぬ。しかしながら、「実語教」の書が古くから世に行はれて居たといふことは長門本の「平家物語」の中に「山法師の習へる山高故貴とはかやうのことを申すべき」とあるにても知られる。又同じく「平家物語」の中に源三位頼政が山門(叡山)と南都とをかたらひたるに山門が忽ち心変りせしを南都の法師が憤慨して「座主経」一巻、「実語教」一巻を作りてこれを根本中堂に送つた。さうしてその「実語教」といふのは「おりべはいつたんの実、身滅すれば則ち共に破る。恥はこれ萬代のきず、命終れども共に滅することなし。欲はこれ一生の恥、恥なきをもて愚人とす、四大日日に衰へ、三たふ夜々くらし、云々」とありて、戯れに「実語教」の文句に傚《なら》ひて叡山の僧侶を罵倒したものである。稍々後になりて鎌倉時代の末期無住法師の「雜談集」にも「箱根山中葦河宿にて或旅人実語教を誦して曰ふ、山高きが故に不貴、飯大なるを以て為貴云云、家主とりあへず誦して曰ふ、人肥えたるが故に不貴、以賃多貴と、互に入興して飯大にして賃多くしたりけるといへり云云」との笑談が載せてある。これ等の事例によりて見るも、「実語教」の一書は鎌倉時代の末期には既に広く世に行はれて居たものと思はれる。  実語といふ文字は「法華経」を始として、「涅槃経」、「金剛経」、「大般若経」などにも出て居るもので、それが仏教の経典に本づきたることは疑を容れぬことである。従つて「実語教」が僧侶の手になりたることも事実に近いものとすべきである。しかしながら、当時行はれたる所説をも採用して、初学のものに適切の教訓を説きたるもので、しかもその書が近代に至るまで、庶民教育の根本をなして居たことを考ふれば、我邦の精神文化の発展の跡を顧みて、この「実語教」の如きはまことに尊重すべきものであると言はねばならぬ。よりて私はここに新にその意義を解釈して、これを現代の人人に提供し、少なくとも現に家庭の主人たる母親若しくは将来に於て母親たるべき人人に対して、この書を一読あらむことを要求する。  山高きが故に貴からず樹あるを以て貴しとなす  山高故不貴 以有樹為貴  山はいかほど高くても、高いのみで貴しとすべきではない。山にはもろもろの樹がある故に貴いのであると、たとへて言ふのである。  人間たるが故に貴からず智あるを以て貴しとなす  人肥故不貴 以有智為貴  前の句に対して、人もただ肥えたるのみでは貴しとせず。智慧があればこそ貴しとすると説く。人食らひ、肥えて智慧なきは飯の袋であるとも言ふべきである。  「大学」に「其身を修めむと欲するものは先づ其心を正しふす。其心を正しふせむと欲するものは先づ其意を誠にす。其意を誠にせむと欲するものは先づ其知を致す。知を致すは物に格るにあり。物格りて而して後に知致る、知致りて而して後に意誠なり」とある。その意味は身をめむとするには、一身の主たる心を正しくすべく、心を正しくせむには意を誠実にせねばならぬ。さうしてその意を誠にするには、先づ自分が接するところの事物につきてその道理を究め、これによりて知を推し究めて善悪・是非の辨別に惑ふことのないやうにすることを要する。しかしながら、かやうに、世間の事物の上にはたらく智慧は仏教にて俗智若しくは後得知と名づけられるもので、この俗智によりて、我我は是を是とし、非を非とし、それを本として生活をつづけて居るのであるが、それは常に我我をして迷執の世界に入れしめるものである。それ故に、仏教にては、かくの如き俗智を排して、真智を貴ぶのである。真智とは諸法の実相を照すところの智慧で、これを根本智又は如理智と名づくるのである。我我は固より性得、かやうな真智を持つて居らぬのであるが、しかし、深く内観してその羸劣にして、如何ともすることの出来ぬところの自分の心を識ればそこに真智の光に照らされることが出来る。儒教でも真の学問は物外のへだてなく、至極無私にして、私案を離れて物に順応することであると説く。李子の曰く「学問の道は多言にあらず。ただ黙坐して心を澄まし、天理を体認し、若し真に見るところあれば一毫私欲の発すると雖も亦退て従はん」とあり、真の学問といへば行を本とし、文学は枝葉であるとせられる。それ故に、智慧といふものをば、深く内省して考へれば、結局、真に自己の心の相を知ることが真の智慧であると言はねばならぬ。ここに智とあるのも、普通に考れば、事物の道理を辨へる智慧のはたらきを指すのであるが、身を修め心を正しうすることの方面から深く内観すれば、真に自己の相を知ることの智慧であるとせねばならぬ。簡単に言へば自覚である。事物の道理を辨へるといふことの中にても自分の身を知り、自分の心を知り、さうして、宇宙に於ける自分の地位を知ることが人間として最も強いことであるとせねばならぬ。  富はこれ一生の財《たから》身減《みめつ》すれば即ち共に減す  富是一生財 身減即共滅  金錢や財産に富むで居るからと言つても、それは人人がこの世にある間だけの財である、命が終れば皆これを捨てて行かねばならぬのであるから、身滅すれば即ち共に減すといふのである。  智はこれ萬代の財《たから》命終れば即ち随つて行く  智是萬代財 命終即随行  智慧はその人が死してもなほ身に従ふものである。人人は皆その身を愛するものであるが、命終はるとき、その身は随はず。人人は皆財物を得ることを喜び、これがために勤苦するが、しかし命終るときに財物は從はず、父母・妻子・兄弟・知人・奴婢なども命終るときに思慕することはあれども随て共に行くものはない。命終るときに常にそれに随ふものはただ意のみである。故に人は自ら心を端しく、意を正しふすべしと釈尊は説かれた。智慧は己の意のはたらきとしてあらはれるもので、身と共に滅するものでないから、智はこれ萬代の財である。金錢財物は固より寶であるが、しかしこれを用ふれば無くなるのである。財寶賤しみ、これを塵埃のやうに取扱へといふのではない。仏教の書物などに金錢を重く見ぬやうに説いてあるのは、それに執著する心を戒めるのである。人間の生活のために必要なる財物を賤しみてこれを排斥するのでは決してない。これに反して、智慧は身に蔵むるのであるから、身があれば常に智慧も身に伴ふものであるから、その方が大切であるといふのである。  玉磨《たまみが》かざれば光なし光なきを石瓦となす  玉不磨無光 無光為石瓦  玉も磨がねば光がない。光なければ玉も石瓦に等しいのである。玉ももとは石の内にあるもので、石を割りみがきて玉となるのである。  人学ばざれば智なし  智なきを愚人となす  人不学無智 無智為愚人  人も生れながらにして物は知らぬ。学問して始めて智慧が出来るのである。学問せぬ人は愚人にして石瓦に同じきものであると言はねばならぬ。「禮記」に「玉磨かざれば器とならず、人学ばざれば道を知らず」とあるもこの意である。ここに学問するといふことも、普通の意味にて言へば、多くの書物を読みて種々の事理を知ることのやうであるが、内省して深く考へて見れば、学問するといふことは善く自分の相を知ることである。親鸞聖人の言葉に「学問せばいよいよ如来の御本意を知り、悲願の広大のむねをも存知して云云」とあるのを見ても、学問するといふとも徒らに文字の末に拘りて、種々の知識を増すことでなく、よく自分の相を知ることを主とすべきことが明かに知られる筈である。釈尊の言葉が「法句経」に載せてあるのを見ると、「愚者自ら愚と称す。まさに善智慧あるを知るを知るべし、愚人自から智と称す。これを愚中の甚しきものといふ」とある。それ故に智なきを愚人とするといふことも結局、自分が愚であるといふことを知らずして賢いもののやうに思つて居るものが愚人である。まことにそれが真実の智慧を得たるものである。  倉の内の財は朽ることあり  身の内の才は朽ることなし  倉内財有朽 身内才無朽  倉庫内に入れたる財は、その家の衰ふるによりて朽ち果ることがある。身の内にあるところの才はいかほど使ふても朽ることがない。孔子の話に「富は屋を潤し、徳は身を潤ほす」とあるもこれと同じやうな意味である。  千兩の金《こがね》を積むと雖《いへど》も一日の学に如《し》かず  雖積千兩金 不如一日学  前にも言つたやうに、固より財寶には価値がないといふのではない。財寶を塵埃の如くに見よといふのではない。大切ではあるが、しかし速かに無くなるところの財寶に執着して心を迷を深くすることはよろしくない。家が富みても心が貧しくては駄目である。それ故に、千両の金を積むだよりも一日の学問の方が利益が多いと説くのである。  兄弟常に合はず慈悲を兄弟となす  兄弟常不合 慈悲為兄弟  兄弟は共に父母より分かれたものであるが、しかしながら、その志が何時でも同じく行はれるものではない。諺にも兄弟は他人の始まりとある。それはお互におれがおれがの心を強くするからである。そのおれがおれがの心を捨てて、一切のものを愛する慈悲の心となれば、すべての人に対しての交はりは兄弟と同じである。「論語」の先進篇に「君子敬ありて失なく、人と恭しくして禮あれば四海の内皆兄弟なり、君子何ぞ兄弟なきを思へんや」とあるやうに、身の親疎にはよらず、人はただ心を以て親疎の別をなすものである。「漢書」に「意合すれば則ち胡越も昆弟たり、山余子蔵これなり、志合はざれば則ち骨肉も讐敵たり、朱像管祭これなり」とある。骨肉の兄弟でも心がなければ敵となる。慈悲の心を以てすれば天下の人人はすべて兄弟である。  財物は永く存せず 才智を財物となす  財物永不存 才智為財物  財物はかずかずありても、いつのほどにか消失することがある。才智ばかりはいつまでも消失することがないから財物とすべきである。「仏道教経」に釈尊の言葉が載せてある内に「若し智慧があれば貧苦なし、智は真心の体、慧は其用なり。ここに智慧といふは第九識の無碍清浄なる心体の光明をいふ。常に自から気をつけて深切に智慧を失ふことなきやうにすべし、しかれば解脱の法が得られる。実智慧は老病死海を渡るの船、又無明黒暗の大明燈なり、一切病者の良薬、煩悩の樹を切るの斧なり、この故に聞思修の慧を以て実智慧を増益せよ」と説いてある。  四大日々におとろへ心神夜夜暗にくらし  四大日日衰 心神夜夜暗  「円覚経」に曰く「我れ今、此身、四大和合す、所謂髪、毛、爪、歯、皮、肉、筋、骨、髄、脳、垢、色は皆地に帰し、唾、涕、膿、血、津液、涎沫、痰、涙、精気、大小便利は皆水に帰し、暖気は火に帰し、動転は風に帰し、四大各離れば今は妄身まさに何れの所にかあるべき」此の如く四大とは地・水・火・風の四を指していふ四大は宇宙の根本の元素である。この元素が集まりて人の身を成すのであるが、その四大は日日に衰へて遂に分散すれば死に至るのである。心神とはたましひのことである。人の身が日日に衰ふるに従ひて、根気もつかれ、たましひも次第に暗くなるものである。  幼《いとけな》時勤学《きんがく》せざれば老《おひ》て後恨《うら》み悔《く》ゆと雖《いへど》も尚《な》ほ所益《しよえき》あることなし  幼時不勤学 老後雖恨悔 尚無有所益  されば、幼きときに学問しなければ、老いて後に恨みともその甲斐がない。少壮にして努力せざるときは老大にして徒らに傷悲せねばならぬ。若きときよ勉励せざるときは年よりて悔ても所益あることなしといふのである。  故《ゆへ》に書を読《よ》みて倦《う》むことなかれ学文に怠《おこたる》時なかれ  故読書勿倦 学文勿怠時  それ故に、物を読み学問するときには殊にはげみて退屈することなく、又怠ることなかれと教ふるのである。  眠《ねむり》を除いて通夜に誦《じゆ》せよ飢《うゑ》忍びて終日に習へ  除眠通夜誦 忍飢終日習  夜ねふたくともねふらずして書を読み、晝の中は空腹をもこらへて、晝夜たるみなく、ものまなびせよとすすむるものである。  師に會ふと雖も学ばざれば徒《いたづら》に市人《いちびと》に向ふがごとし  雖會師不学 徒如向市人  市に立つ人はただ利潤に世を渡るものであるが、師匠に遭ふても、道を聞かざれば、彼の市人にまじはるが如くにして無益である。真の師は弟子から物を習はざれば何事も言はぬのであるから、師匠たる人に物を言はせず、師匠から善きことを聴かぬのはまことにつまらぬことである。  習読《ならひよ》むと雖《いへど》も復せざれば只隣《ただとなり》の財《たから》を計《かぞふ》るがごとし  雖習読不復 只如計隣財  学問をして、習読するも、いくたびも繰返してよまざれば、たとへば隣家の財寶をかぞへたてると同じことにて何の用にも立たぬ。さればただ習読するのみにて、これを我が物とせねば駄目であるといふ意味に取るべきである。ただものを知りたるだけにてそれを体験せざれば人の財をかぞへるとおなじである。  君子は智者を愛し小人は福人《ふくじん》を愛す  君子愛智者 小人愛福人  君子とは善人である。小人とは悪人である。君子は智者をすき、小人はただ金銀を持つ人と親しむ。「論語」に「君子は徳を懐ひ、小人は土を思ふ、君子は刑を思ひ、小人は恵を思ふ」とある。  富貴《ふうき》家に入ると雖《いへど》も財なき人のためには者なほ霜の下の花のごとし  雖入富貴家 為無財人者 猶如霜下花  富とは財が足れるものをいひ、貴とは位の高きものをいふ。富貴の家に入りて、俄かに金銀を得ることがありとも、その任に当らざるものにありては、霜に花がきゆると同じである。白楽天が詩に「富貴来ること久しからず、條として瓦溝の花の如し」とある。  貧賤の門に出《い》づと雖《いへど》も智ある人のためにはあたかも 泥中の蓮の如し  雖出貧賤門 為有智人者 宛如泥中蓮  たとひ貧賤に生れても、智慧のある人は、蓮花の泥の中より生じて泥にしまず、清く直なるが如したとへていふ。  以上、物質的の財寶に執著することをやめて、ひとへに精神的の財寶を重視すべきことを説く。すべての物質的の財寶も固より貴といには相異ないが、しかし、それは常にその身に添ふて居るものではない。それに反して智慧は精神上の財寶として不滅のものであるから、それを貴ふべきであると示すのである。  父母は天地の如く師君は日月如のし  父母如天地 師君如日月  父母は我を産みたまふ。天地が萬物を生ずるに比ぶべきである。天地は大父母であり、父母は小天地である。天地に次ぐものは父母の徳である。父母は天地に受けて我を生じ、しかしながら父母が子を得むと欲しても得ることが出来ず、子も亦生れむと欲して生れることは出来ぬ。それは人事の及ぶ所でなく、全く自然の妙機の致すところである。そこで、天地のことはすべて天と人と和合致して成るものであると言はねばならぬ。さうして、子が父母に対する道は孝道は即ち天地を畏敬することに外ならぬのである。師と君とは恭敬・恩愛の心を以て下に臨むもので、その人を教へ導き、養ひおさめたまふことは日月が萬物を恵みたまふと同じことである。これより人に対する道を説く。  親族はたとへば葦の如し夫妻はなほ瓦の如し  親族譬如葦 夫妻猶如瓦  親族は葦の群がり生ずるが如くに多い。夫妻は父母・師君に比すれば、いやしきこと瓦に比すべしといふのである。これは禮を立てて上下の分を定むべきことを説くのである。  父母には朝夕に孝せよ師君には晝夜に仕へよ友に交りては諍ふことなかれ  父母朝夕孝 師君晝夜仕 交友勿諍事  父母には朝夕に孝せよとは定省の孝をいふ。孝とはよく父母に仕へまつるをいふ定省とは本と「禮記」に見へたることにて、人の子たるものは冬は父母の床をあたため、夏は父母の床を涼しくし、夕には定《しづか》にして朝には省みるのである。すなはち朝夕ゆだんなく孝をつくせといふことである。又次の句は師と君には晝夜いとひなく仕へまつれ、友と争ふこと勿れといふ。  巳より兄には禮敬を尽し巳より弟には愛顧をいたせ  巳兄尽禮敬 巳弟致愛顧   我より兄たる人には禮を尽して敬まひ、我より弟たる人には憐み思へと説く。  人としての智なきものは木石に異ならず  人而無智者 不異於木石  人として智慧がなければ無情の木石に異ならず。人たる道を知らねば何ぞ木石と撰ばむ。  人として孝なき者は畜生に異《こと》ならず  人而無孝者 不異於畜生  人は萬物の靈にして、忠孝の道は正しかるべきものである。しかるに左なくして忠孝の道を欠ぐものは犬猫と同じきものである。  以上、父母・師君・兄弟・朋友に対する道を簡単に説いたのであるが、しかもその根本とするところは孝である。人の子たるものは、その父母に対してこれに衣・食・住の供養を欠ぐことの出来ぬは勿論、父母より受けたる身体を傷つくることなく、命終ときはこれをその本に帰さなければならぬ。まことに父母の恩は無限である。無限の父母の恩に報ゆるには無限の功徳を以てせねばならぬ。それには父母の心をして深く宇宙の真理をさとらしめ、安心立命に地に住せしむることが無限の父母の恩に報ゆる孝と終とすべきものであると仏教にて説くのである。父母に対して禮を尽し、食物・衣服等を供養し、その心を喜ばしめ、又その命に従ふことは世間の孝行である。真実の孝行といふべきものは、父母をして悪を去り、善をなさしめて、遂に涅槃のさとりを開かしめることであると説くのである。  此の如き意味の孝は、まことに宗教的の心である。さうして、かういふ宗教的の意味の孝といふものが、我我の平生の道徳の本となることによりて師君・兄弟・朋友に対して真に忠・誠・信・義のはたらきをなすものである。たとひ「実語教」の文句の表面には、此の如き意味はあらはれて居ないにしても、その内奥には必ず此の如き宗教的の深い意味が存することを考へねばならぬ。それは、これより以下に、仏教の所説をその儘に挙げてあるのを見てもよく知られることである。  三学の友に交はらずんば何ぞ七覚の林に遊ばむ  不交三学友 何遊七覚林  三学の友にまじはらざれば七覚の林に遊ぶことが出来ぬ。その意味は、三学の修行が出来ねば七覚の林に入りてさとりを開くことが出来ぬといふ。全く仏教の所説である。三学といふのは戒学と定学と慧学との三学で、仏道を修行せむとするものが通じて学ぶべきものである。戒学とはよく身・口・意にて作る所の悪業を防ぎ、又積極的に善業をなすこと。定学とはよく慮を静め心を澄ますこと。慧学とは真理を観じて妄惑を断ずることである。七覚とは七種の覚法で、これによりて思惑を断ずることが出来るのである。七種の第一は擇法覚とて智慧を以ての法の真偽を知る。第二は精進覚とて勇猛の心を以て邪行を離れ真法を行ずる。第三は喜覚とて心に善法を得て歓喜を生ずる。第四は軽安覚とて心身の鹿重を断除して心身をして軽利安適ならしめる。第五は念覚とて常に定覚を明記して忘れずそれをして均等ならしめる。第六は定覚とて心を一境に住して散乱せしめざる。第七は行捨覚とて緒の妄診を捨て、一切の法を捨て、平心坦懐、更に追憶せざる。この七種の法によりてさとりを聞くことが出来るのである。  四等の船に乗らずんば誰れか八苦の海をわたらむ  不乗四等船 誰渡八苦海  四等といふのは仏教の説に、慈・悲・喜・捨の四無量心が平等に起ることをいふ。又一には宇等とて仏の名が同等、二には語等とて仏の詞が同等、三には身等とて仏の身が同等、四には法等とて仏の法が同等であるともいふ。この四等の船に乗らざれば八苦の海を渡ることが出来ぬといふ。その八苦とは一に生苦とて生まれる苦しみ。二に老苦とて漸漸と年を取る苦しみ、三に病苦とて病気にかかる苦しみ。四に死苦とて死ぬる苦しみ。五に愛別離苦とて親愛するものと離れる苦しみ。六に怨憎會苦とて憎悪するものと會合する苦しみ。七に求不得苦とて欲求するものを得ざる苦しみ。八に五陰盛苦とて心身の燃盛生長するにつきての苦しみ。これを併せて八苦といふ。それが我我の現在の心の世界であるが、それをたとへて海といひ、その海を渡るには四等の船に乗らねばならぬと説くのである。  八正道は広しといへども十悪の人はゆかず  八正道雖広 十悪人不往  八正道は釈尊がさとりを開くために必ず修行せねばならぬものとして挙げられたものである。その一は正見とて正しき見解を有すること。二は正思推とて真理を究めて思推を正しくすること。三は正語とて、妄語・邪語を断ち、非理の語を用ひぬこと。四は正業とて行為を正しくすること。五は正命とて、生活を正しくすること。六は正精進とてその道に精進して怠らぬこと。七は正念とて邪念を捨て正法を思念すること。八は正定とて身心寂静にして乱想を離れること。この八つを指していふのである。この八正道を正しく修むることによりて涅槃のさとりが開かれるその道はまこと広いのであるが、十悪の人はその道に往かぬといふのである。十悪とは殺生・倫盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・・貧欲・瞋恚・愚癡の十種の悪のことで、この十種の悪を待つて居る人は八正道には往きがたしと説く。  無為の都は樂しと雖も放逸の輩は遊ばず  無為都雖樂 放逸輩不遊  無為の都といふのは涅槃界のことである。浄土・極楽といふのも同じことである。無為とは仏教の言葉にて造作のないことで、因縁によりて何事かを造ることがないといふ意味で、法性とか実相とかといふものと同じである。親鸞聖人は法性の都とも言つて居られる。その無為の都はこの世のやうに苦楽がなく真に楽しいところであるが、放免にして、心の儘に振舞ひて悪事をつくるものはそこへ行つて遊ぶことは出来ぬのである。  不交三学友より以下、この句までは、仏教の所説をその儘に挙げて、人人がそのたましひを養育するための教を示したのである。まことに簡単であるが三学、七覚、四等、八苦、八正道、十悪、無為都など、仏教の所説の重要なるものが挙げてある。著者の用意の深きことが窺はれるのである。  老いたるを敬《うやま》ふは父母のごとくし幼きを愛するは子弟のごとくせよ  敬老如父母 愛幼如子弟  年よりたる人は我が父母の如くに敬まひ、幼少なる人は我が子弟の如くに愛せよ。「孟子」に「吾老を老として以て人の老に及ぼし、吾幼を幼として以て人の幼に及ぼすときは天下をば掌にめぐらすべし」とあると、同一の意である。多くの人人と共同して生活する上に於て、他の人人に対する道を説くのである。  我他人を敬《うやま》へば他人また我を敬ふ  我敬於他人 他人亦敬我  「孟子」に曰く「君子の人に異る所以のものは、其心に存するを以てなり。君子は仁を以て心に存し、禮を以て心に存す。仁者は人を愛す。禮あるものは人を敬ふ。人を愛するものは人垣に愛し、人を愛するものは人垣に愛し、人を敬ふものは人恒にこれを敬ふ」。我れ人を愛すればすなはち人これを愛し、人を悪めばすなはち人これを悪む。人を敬ふは禮の至れるものである。人ありて若し横逆を我に加ふるものがあるときは自から反省して、仁と禮とがいまだ至らざることを考ふべきである。若し仁と禮とが至れるものに尚ほ横逆を加ふるものがあればそれは妄人である。  己人《おのれひと》の親を敬《うやま》へば人亦己《ひとまたおのれ》が親を敬ふ  己敬人之親 人亦敬己親  我れ人の親を愛すれば、人も亦我が親を敬ふものである。「孟子」に「人を愛して親まざれば其仁に反る。人を治めて治らざれば其智に反る。人に禮して答へざれば其敬に反る」とあるが、若し人を愛して、その人が親しまざれば自身の仁の至らぬことを反省すべきである。人に禮をして其人が答へなければ自身の敬がまだ十分でないことを反省せねばならぬ。  己が身を達せんと欲《ほつ》する者は先づ他人を達せしめよ  欲達己身者 先令達他人  これは「論語」の「仁者は己を立てんと欲して人を立つ、己達せんと欲して人を達す」とあるに本づくものである。我身を善くせむと思はば人の善くなるやうにすべきである。石田梅巌の説に「己れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達すとのたまふ、これ仁の道なり。此語を以て只今までは人に譲ることのみを思ひ、その譲る所に仁ありと、ただ軽く思ひしが、よく考へると己れが欲する所を人に施すばかりと心得るは浅間敷、己とは我心なりと心得その我を退けて人を立つときは天下のことなり」とあるが、かやうに深く考へてこそ、自分を達するために人を達することの意味が徹底することであらう。  他人の愁《うれひ》を見てはすなはち自から共に患《うれ》ふべし  見他人之愁 即自共可患  人の愁を見ては気のにおもひ、共にかなしみの情をいだくべきである。これは、人の情である。さうしてこの同情によりて人と人とが互に結合することが出来るのである。  他人の喜びを聞いてはすなはち自から共によろこぶべし  聞他人之喜 則自共可ス  人の愁を見て、共にこれをかなしむことは、人の情として常に起り易いものであるが、これに反して人の喜びを見て、共にこれを悦ぶことは、普通に容易ならぬことである。人の幸福の様を見てこれを嫉む心が起りて、ただうらやましいのみにて、同慶の心が真に起り来るやうになることは容易でない。我我はそれを反省せねばならぬ。  善を見ては速《すみや》かに行ひ悪を見てはたちまちに避けよ  見善者速行 見悪者忽避  人の善き行を見ては我も速かにこれを行ひ、他の行の悪しきを見てはこれを避けて行はぬやうにつとめねばならぬ。「論語」に「三人行ふときは必ず我師あり、その善きものをゑらびてこれに従ふ、その善からざるものはこれを改む」とある。前の教章に於て人に対する道を説き了りて、これより以下自己を修むるの道を教ふ。  善を修するものは福を蒙むるたとへば響の音に応ずるが如し  修善者蒙福 譬如響応音  善い事をするものは福の報が来る。たとへば響が音に応ずるが如くである。  悪を好むものは禍をまねくあたかも身にしたがふ影の如し  好悪者招禍 宛如隨身影  悪を好みてなすものは禍を招く、あたかも身に影の沿ふが如くである。  「世説」に「陰徳あれば必ず陽報あり」とありて、陰にても人のために善きことをすれば必ず陽にその報があると説く。因果応報の理にて、善悪の行には、それに相応して、必ず陽のあることは仏教の教典に常に説くところにして、「法句経」に載せられたる釈尊の言葉にも、これに関することが多い。「悪は自から罪を受け、善は自から福を受く、亦各熟すべし、彼れ相代らず、善を習へば善を得る。亦甜を植ゆるが如し」(己身品)行不善をなせば退て懺悔を見、涕流の面を致さむ、報は宿習に由る。行徳善なさば進で歓喜を観む」往来福を受け、喜笑悦習せむ」(愚闍品)。善行には善報あり、悪行には必ず悪報がある。しかるに「妖怪に福」を見るは、其の悪未だ熟せざればなり、其悪熟するに至りて自から罪虐を受ける。?に福を見るは其善未だ熟せさればなり、其善熟するに至りて必ず其福を受ける」(悪行品)。 と説かれて居る。  富むといへども貧しきを忘ることなかれ貴しといへども賤しきを忘ることなかれ  雖富勿忘貧 雖貴勿忘賤  物には盛衰がある。たとひ富みたりとも貧しきことを忘れてはならぬ。たとひ富裕なりとてその心が驕者なればたちまちに貧困に陥ることがある。驕者の心を生ぜざるときはよく貧を守ることが出来る。若し貧に陥りてもそれに堪へ易い。又その心であれば貧困に陥ることがないであらう。  或は始は富みて終りに貧しく或は先に貴《たつと》くして後に賤し  或始富終貧 或先貴後賤  始め富みたるものが終に貧しくなることがある。或は先きには貴とくして後には賤しくなることがある。仏教にてはそれは自業自得に外ならぬものであるとするのである。それ故に、貴きときにも賤しきことを忘れず、賤しきときにも貴きを羨まず。足ることを知ることが第一の樂みとせねばならぬ。「易経」に「君子は安じて危を忘れず、存して亡を忘れず、治まりて乱を忘れず、是を以て身安くして国家保つべし」とあるが、国を治るのも身を修むるのも同じことである。金銀を多く持てども、おしみて使はず、欲の深きものは貧に異ならず、仏教の書物に有財餓鬼と見えて居る。貧なりとも欲心少なく、心に足ることを知らば、外に求むべき患がなく、心が安穏であるからこれを富人とすべきである。「論語」に「子曰く、貧にして諛《へつら》ふことなく、富にして驕ることなきは何如、子曰く、可なり、まだ貧にして楽しみ富にして禮を好むものに若かざるなり」とある。常人は貧富の中に溺れて自から守る所以を知らぬから必ず諛《へつら》と驕の二病を生ずる。この諛《へつら》ふことと、驕ることを無くすればすなはち自から守ることが出来る。しかしながら、それではまだ貧富の外に超脱したとは言はれぬ。たとひ貧乏でも心が広く、体が胖《ゆたか》かにしてその貧を忘れるやうになり、又富裕の身でも禮を好みて善に処することに安んじて理に循ふことを樂しみ、その富を知らぬやうになるのが上樂であると孔子が説かれたのである。  夫れ習ひがたく忘れやすきは音声の浮才  夫難習而易忘 音声之浮才  音声の浮才とは謡、浄瑠璃、小歌、笛、太鼓などの、すべて浮きたるを芸を指していふ。かくの如き浮才は習ふことが困難で、忘れることが容易である。これより以下、数章は誰人にも学問の重要であることを説く。  また学び易く忘れがたきは書筆の博芸  又易学難忘 書筆之博芸  書筆の博芸とは読み書きは博き芸なりとしてむかしから幼童にすすめられたのである。実際生活の上に重要の学芸といへば読むことと、書くことの二であると言つて差支ない。さうしてそれは学ぶことが容易で忘れることが困難である。それ故に、学び難くして忘れ易く、日常生活に重要でない音楽の浮才に励むよりは実際に必要を感ずべき読み書きの博芸を学ぶことに努むるべきであると説く。  但し食あれば法あり亦身あれば命あり  但有食有法 亦有身有命  食物がありて身を養ひ、身は命がありて立つものであるが、その根源を知つて大切にせねばならぬ。食物をただ身を養ふるのであると軽く考へてはならぬ。身のことでもその根本たる命のことを深く考ねばならぬ。これ等はすべて、学問によりて始めてよく知られることである。聖人であれば生れながらにしてこれを知ることが出来るが、尋常の人は学問して始めてこれを知るのである。  猶ほ農業を忘れず必ず学文を廢することなかれ  猶不忘農業 必莫廢学文  百姓の農業に辛苦することを常に思ひ合せて、学文することをやめぬやうにせねばならぬと説く。百姓が農業に辛苦するは我々の食物を造るためである。その辛苦を忘れることなく、常にそれを想ひ起して、学文をつとめねばならぬ。  故に末代の学者先づこの書を案ずべし  故末代学者 先可案此書  それ故に、後世の初心の学者は、この「実語教」に説けるところを思案して出精せねばならぬ。儒教にも、又仏教にも、その他百家の書にも、学問の道が説いてあることはまことに博いのであるが、初心の輩が、これを会得することは容易でない。この「実語教」は諸家の教調の肝要の文句を抜萃して説いたのであるから、先づこの書を思案するがよいといふ。  是れ学問のはじめなり身をはるまで忘失することなかれ  是学問之始 身終勿忘失  この「実語教」に示すところのものを学問の始として、日日新たに志を勵まして身を終るまでこれを忘せぬやうにすべしと教ふる。  人間には智慧がなくてはならぬ。身体や財産は一代にて消えるものであるが、智慧は萬代の財である。さうして智慧は世間萬般の事物を知るためのものであるが、それは俗智といふべきものである。真実の智慧は自分の相を知ることである。世間の事物はよく知つて居ても自分の相を知らざるものを愚人とする。人間の寿命は限あるが故に、幼時につとめて学び、又常に勉勵せねばならぬ。無論、師匠に就て学ばねばならぬが、師匠は聴くものに答へるのであるから、師匠に従つて常に聴かねばならぬ。人間生活の状態を見れば貴賤・貧富の別があるが、それはただ表面の相で、裸一貫になれば人間は皆同一のものである。それ故に、さういふ表面の相よりも、内面の心が問題とせらるべきである。その心は利己的のものであるから、兄弟といへども和合せぬことがある。この利己の心を離れて慈悲の心を以てすれば何れの人とも和合して四海兄弟である。一切衆生・悉有仏性であるから、その心を以てすれば、君に対しては忠、親に対しては孝、人に対しては敬となり、兄弟に対しては悌となり、同友に対しては信となるのである。  人間が畜生と異ることは此の如くに、自からその心を修むるところにある。それ故に、三学を修めて七覚のさとりを得、四等の船に乗りて八苦の海を渡り、八正道を行きて無為涅槃の都に至ることを期せねばならぬ。さうして、実際には老を敬ひ、幼を愛し、己が身を達せむとすれば先づ他人を達し、人の愁と喜とを共にし、善を見ては学び、悪を見ては省み、富貴なりとて驕らず、貧賤なりとて不平を言はず、自から足ることを知るべきである。又自身生活のためには食が与へられ、命が与へられ、天地自然の恩恵の中に生きて居ることを感謝せねばならぬ。さうして、その業務には忠実にして、又学門をしてよく自分の相を知ることに心掛けねばならぬ。これ実に学門の始である。  尚ほ重ねて一言すべきことがある。それは外のことでない。孔子の教は、己を修め、人を治めるといふことが主で、先づ自己の徳を修め、その一身を以て天下の儀表となり、これによりて家を斉へ、国を治め、以て天下を平にするといふことが、その教の目的とするところであつた。さうして、実際にありて、身を修めるには道を以てし、道を修むるには仁を以てすることを重要とせられた。「中庸」にその意義を説明してあるのを見ると、宇宙の本体は唯一の誠である。「誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり」とありて、誠は天から人に賦興せられ、人はこれを受けて性となり、この性は人人に自然に備はつて居るのである。それ故に、人人は生れながらにして惻隠と羞悪と辞譲と是非との心を持つて居るので、これを仁・義・禮・智とし、それに信を加へ五常とするのである。かやうにして、誠は人人の心の奥にありて、自己をしてその道を完からしめるものであるが、それは又、自から外方に出でて人を動かすものである。しかしながら、それは決して他から加へられたる力によりて動くのではなく、全く自己の力によりて、感情の繋縛から離れて、自由の活動をなすものである。仁といはるるものは、本と自己の徳であるところのものを人に推し及ぼして相親しみ、相愛するところの仁慈の道となるのをいふのである。  儒教にありては常に五常の教を説き仁・義・禮・智・信と立てて、仁を第一に説くのであるが、この「実語教」にありてはこれに反して智を主として説いてあるのを見ると、それは明かに仏教の説に拠つたものであると言はねばならぬ。  既に前にも説明したやうに、智慧のはたらきは固より事物を明かにして是非を辨別するものであるから、これを排斥すべきものではない。しかしながら、小智は常に自己の非をかくし、他人の諫を拒むことをつとむるものであるから、老子も「聖を絶ち、智を捨てる」と説いたのであらう。上智はそれと異にして常に聖人にあらはれ。「上智は教へざれども成る」といはれるのである。今ここに「実語教」に説かるるところの智は、前にも言つたやうに仏教の説に本づくのであるから、これを普通にいふところの俗智と見るべきではなく、仏教にて説くところの真智とすべきである。仏教にては真理を語る智慧を修むることを慧学とし、身・口・意に犯すところの悪を防止する戒学と散乱心を一境に止めて静めるところの定学と併せて三学と称せしほどに智慧をば重く見て居るのである。それ故に智慧に関する所説は精細を窮めて居る。本文の中にも一寸このことにつきて叙述したのであるが、仏教にて普通に行れて居るものは五智にて、其一は法界体性智、すなはち寓有の体性たる智慧である。其二は大円鏡智、すなはち森羅萬象その儘に影現して欠ぐることなき円満の智慧。其三は平等性智、すなはち差別の現象界にありて彼此の相をなくし、自他平等なりと観ずる智。其四は、妙観察智、すなはち諸法の実相を真妙に観察して正邪を辨別する智慧。其五は成所作智、すなはち五官によりて自利・利他の種々の作業をなす智慧である。今この五智の意味を考へて見れば、智慧の本体は法性である。この智慧の本体の上からしていへば、宇宙の事物は皆、法性の顕現であと知る。それ故に、その形相は千変萬化であるけれども悉く皆平等のものであると知る。かやうにして諸般の事物の真相を明かにして以て正邪を知る。さうして、それに本づきて為すべきことを明かに知るといふのである。これは固より仏の智慧であるから、一概にこれを名づけて仏智とし、又不思議の智慧とするのであるから、この智慧がはたらきが我我の心の上に慈悲と感ぜられるところに宗教のはたらきがあらはれるのである。  それ故に仏教にて説かれるところの智慧をば、その宗教の意味の上から云へば、我我のやうに智慧のないものは、偏に仏智不思議を仰ぎて、それによりて自己の相を明かに知らしめられるより外はない。ここに我々が智慧を修めて自己の徳を成ずる道がある。  世間に普通にいふところの智は、偏智にして、円智にはあらず。謀略をめぐらして人と闘ふなどの智は権智にして、実智にあらず。棄てなくてはならぬと説かるるところの智は小智にして、大智にはあらず。ここに智といふものは円智、実智、大智を指すもので、これを宗教上の意味にていふときは、全く自己の相を明かに知るの智慧に外ならぬものである。この「実語教」に説くところの智慧がこの種のものを指すものであることは十分これを明にして置かねばならぬのである。  新釈実語ヘ終 昭和十年四月九日 印刷 昭和十年四月十二日発行 東京市町内山下町東洋ビルヂング四階 中山文化研究所 著者兼発行者 富士川游 東京市小石川区高田豊川町三〇番地 印刷者 長宗泰造 東京市小石川高田豊川町三〇番地 印刷所 厚徳社 東京市町内山下町東洋ビルヂング内 発行所 中山文化研究所