真実の宗教  文学博士 医学博士 富士川游著  近代社版  真実の宗教 目次  宗教  宗教の意識  宗教の説明  物質的自覚  精神的自覚  道徳的自覚  道徳の規範  道徳苦  宗教的自覚  宗教の感情  自然的宗教  安心立命  最上の帰命  自己の反省  真実の宗教  精神的宗教  仏教の創始  跋伽仙人  阿羅邏仙人  鬱陀羅仙人  成道  初転法輪  初転法輪  八正道(上)  八正道(中)  八正道(下)  心を本とす  心の世界  形は心の成す所  無我の智慧  因縁の法  自在天因  唯円房  業縁  善悪宿業  善悪を知らず  因縁と心  因縁の結果  迦葉  大苦の集合  苦と樂と  自我の成立  優陀夷  浄飯王  業  因果応報  心と業  業と運命  前業の所感(一)  前業の所感(二)  前業の所感(三)  諦めの言葉  治郎右衛門  菱屋了玄  因果の道理  業報を甘受す。  業の意識  愚悪の感知  仏の慈悲  勝鬘夫人  煩惱  見惑と思惑  四聖諦  苦諦  集諦  滅諦  道諦  仏性(上)  仏性(中)  仏性(下)  求道者  業の力  因縁和合  法に隨ふ  業に牽かれる  運  心の声  心の内へ  浄念房(一)  浄念房(二)  浄念房(三)  浄念房(四)  功利的  愚悪の辨護  畜生の徒者  他人の非  堪忍(一)  堪忍(二)  堪忍(三)  堪忍(四)  堪忍(五)  堪忍(六)  道徳の徹底  我を捨つ  直心房  無我の心持  盤桂禪師  我想を離る  慧心僧都  空也上人  横川法語  往生要集  厭離穢土  地獄(一)  地獄(二)  地獄(三)  勸善懲悪  宗教的意義  心の外  責任を仏に譲る  徒に仏を拝む  愚悪の心  機の深信  法の深信  二種深信  妙好人善太郎(一)  妙好人善太郎(二)  妙好人善太郎(三)  妙好人善太郎(四)  妙好人善太郎(五)  妙好人善太郎(六)  人の字  おれがおれがの鬼  慎みの心  足上頭下  順の道に違ふ  機縁あれば  人を責めず  浅間しい心  煩悩具足  人を裁く  助けられる  悪人正機  廢悪修善  業の相続者  戒定慧  貴とき教  正念と正定  南無阿弥陀仏の宗教  自己を依所とす  現実の心の相  自己を求めよ  四苦八苦  綺麗の心  不可思議  一切を包容する  宗教  多くの人々が単に宗教といふのは、たとへば仏教であるとか、基督教であるとかといふやうな既成の宗教の形式を指すのであります。さうして、その宗教の形式の内には宗派といふものが別れて居りまして、それに教義といふものがあります。仏教で申せば、たとへば華巌宗とか、真言宗とか、天台宗とか、浄土宗とかといふやうに種々の宗派がありまして、その宗派に属する人々が信奉するところの教義といふものがそれぞれに決められて居るのであります。それで多くの場合に、宗教の話がせられるのはこの教義の説明でありまして、どの宗派ではどういうことが信條として居られるかといふことが話されるのであります。皆様が平生お聴きになつて居るところの法話といふものも大抵さういふ訳のものでありまして、教義の説明が主になつて居るのであります。さうしていろいろの宗派によりてそれぞれその教義が立てられて居りますから、同じく仏教に属して居りながら互に他を排斥せねばならぬやうになることがあります。何れにしても同じ仏教であるならばたといその説明には相違があつても帰著するところは同じことでなくてはならぬ筈であるのに、他を排斥せねばならぬのは畢竟するに教義といふことを主とするからであります。その教義がわからぬか、又は信ぜられぬかの場合に、直ぐに宗教がわからぬとか、又は信ぜられぬとか、と言はれるのであります。  宗教の意識  しかしながら種々の宗派にありて各別の教義を立てて、その宗教を説明するのは、それによつて宗教の意識を明かにするのが目的でありまして、教義を知るといふことが宗教としての趣旨ではありませぬ。教義を知るといふことは全く学問でありまして、それは決して宗教ではありませぬ。教義といふものが善くわかつて居るにしても、それで直ぐに宗教といふはたらきが起るものではありませぬ。我々が、物を知るといふ場合は客観的のことでありまして、早く申せば我々の心の外を見るものであります。宗教といふのはこの知ることのはたらきを離れて、一定の場合に起るとその精神のはたらきであります。それが一種特別の感情として意識せられるのであります。宗教そのものはこれを言葉にあらはすことは出来ませぬが、その感情にて示されたる宗教意識はこれを文字に書きあらはすことが出来ます。それを統一しようとして教義といふやうなものが出来るのであります。しかしながら宗教そのものの、教義によつて直ちに受けらるべきものではありませぬ。  宗教の説明  それ故に、私は今ここに宗教そのものにつきて説明しやうとするのではありませぬ。まして教義や信條などを説明しやうとするのではありませぬ。ただ如何にすれば宗教と名づけらるるところの精神のはたらきが、我々の心の内にあらはれるものであるかということを種々の方面から説明しやうと思ふのであります。それに先づ自覚ということを説かねばなりませぬ。自分を自分と知ることが始まりて後に宗教のことの問題となるのであります。固よりこの自覚には階段があるもので、動物には自覚といふことはありますまい。人間も生れて間もないときには自分を自分と知る意識はまだあらはれて居りませぬ。  物質的自覚  自覚の第一段としてあらはれるところの物質的自覚とは、自分といふものを物質として見るのでありまして、早く言へば自分の身体が自分であると考へて居るのであります。自分の身体の中には心といふのがはたらいて居るのでありますが、この心をも物質のやうに考へて物質的の我といふものを考へるのであります。かういふ自覚の程度におきましては自分の身体を保つことが肝腎でありますから衣と食と住とを十分にせねばなりませぬ。さうして衣と食と住とを十分にするには金銭や名譽や地位などを必要とするのでありますから、物質的の欲に使はれて生活に齷齪《あくさく・あくせく》とせねばならぬのであります。又物質的の我といふものを考へて居るためにそれに執著して何事にも得手勝手の考を離るることが出来ぬのであります。かういふ自覚の程度では「我」といふものが物質のやうに思はれて居るものであり、その世界は物質の世界であるから、人々は物質上の欲望から離れることは出来ぬのであります。この物質の世界にありては、人々は何事も得手勝手に考へてまかりまちがへば人を押しのけて自分のために都合のよいやうにともがくのであります。  精神的自覚  しかしながら、智慧の進むと共に自覚は向上して、物質上の「我」から離れない精神上の「我」に移るのであります。精神的に「我」といふのを考へるときには第一に「我」といふのは「小我」であると知られる「我」といふものを自分とするのは身体の墻壁があるためで、若しこの墻壁を取り去れば、多くの「我」は皆一処にある筈であります。世の中の人々は皆自分を我と言つて居りますが、それは自分の身体を墻として他の「我」から区別するに過ぎぬのであります。それ故に「我」といふのは宇宙の「大我」の一部分で、それが自分の身体の中にあるものを「我」と名づけるのでありますから、その「我」はすなはち宇宙の「大我」の一部分であるところの「小我」に外ならぬものでありませう。ここに物質的自覚から離れて精神的自覚に移るのであります。何も彼も得手勝手に考へることから離れて、他のためにするといふ考へも起つて来るのであります。  道徳的自覚  精神的自覚の第一歩として見るべきものは道徳的自覚であります。元来道徳といふことは我々がお互に生活を進めて行く上に、便利であるやうに考へて、それを実行して行かうとする心持であります。生物学上から申しますと、我々が自己を保存して行かうとする本能のために都合の善いやうに規範を設くるのでありますから、早く言へば自からを律して行くのであります。自からを律して行くことが社會的に生活して居るところの我々人類には自己の保存のために都合のよいことでありまして、それが又他人のためにも都合のよいことであります。それ故に道徳といふものは精神的自覚の第一歩として「我」の為すべき行ひに注意して、なるべく悪るいことを止め、善いことをするやうにつとむるのであります。さうしてこの目的を達するには自からを律して行かねばならぬことは無論でありますが、自覚が十分でないときにはただ為すべき行為のみを考へて、それが自分に出来るかどうかということを省みないために、道徳といふのは自分の心から離れてただ規範となつて仕舞ふのであります。たとへば人に対して深切にせねばならぬといふことは道徳の規範でありますが、この規範を知つて居るだけで実際に人に対して深切で無かつたならば道徳といふものは全く空文であります。親に対しては孝行なれと教へられて、そのことは善く知つて居つても、実際に親に対して孝行をしないとすれば道徳の意味は皆無でありませう。  道徳の規範  昔の支那人の言に「陰徳あれば必ず陽報あり」といふことがありますが、これは陰に徳を施して置けば必ず陽に善い報があるといふのであります。又『積善の家には余慶あり』といふことがありますが、これは善い事をすれば必ず慶事がそれについて起るといふのであります。陰徳を施すといふことも、善を積むといふことも道徳の上から見て我々が為すべき行為であります。我々は常に心がけて、善いことをせねばなりませぬ。陰徳を施すことをつとめねばなりませぬ。これは確かに道徳の箇條として尊重すべきものでありませう。しかしながら陰徳を施すことが陽報を期待するためであるとすればそれは道徳上に批難すべきことでありまして、陽報を期待して陰徳を施すといふことはまことに功利的の考であります。若し陽報が無かつたときにはその心持は不和を得ることは出来ませぬ。善を積むでも余慶が無かつたならばどうでありませう。昔からの話に『情は人のためならず』といふことがありますが、人に深切にして置くことも自分のためであるから、と露骨に心の内を告白したものでありませう。かやうに道徳の規範は一面から見れば、我々の得手勝手の考によつてこれを都合のよいやうにして行かうといふことになりますから、そこに気がつくと、道徳の規範に背くといふことの苦しみはますます強くなるのであります。我々の精神生活の滿足を得るために、どうしても、この道徳上の苦しみから離れねばなりませぬ。宗教といふ心のはたらきはこれからあらはれて来るのであります。  道徳苦  世の中には道徳というものがあれば我々の精神生活は満足に出来るものであると説く人がありますがむかしの人の歌にも   心だにまことの道にかないなば       祈らずとても神は守らむ  とありまして、我々の心さへ誠であつたならば別に神に祈ることは入らぬ筈であります。これは固より当然のことでありまして、それに間違はありませぬが、しかしながら、『心だにまことなれば』といふ前提があつて、『心のまことなるもの』なれば祈らずとも神が守られるといふのでありまして、『心のまことのないもの』も神が守られるといふのではありませぬから、我々のやうなものは神に守られる筈はありませぬ。道徳的自覚が十分であれば我々はとても自分の心がまことの道にかなつて居るものとは考へられませぬ。それ故に道徳の規範を知れば知るほど、道徳の規範に背くまいとすればするほど、我々は道徳上の苦しみに責められねばなりませぬ。この苦しみから離れるの道は道徳の範囲では決して出来ることでありませぬ。ここに宗教といふ心のはたらきが必要を認められるのであります。  宗教的自覚  道徳的自覚よりももつと自覚の程度の進みたるものは宗教的自覚であります。道徳的自覚の場合でも「我」といふものを物質的に見るのではありませぬが、しかしながら道徳的自覚では「我」といふ意識を固く保存してどこまでもそれをくづすことのないやうにするのであります。さうしてその「我」をどうにかしやうとするとさらに苦しみが起るのであります。ところがこの「我」を否定しやうとするところの自覚があらはれて、それが宗教的自覚と言はるるの自覚に達するのであります。  宗教の感情  かやうにして、我々が宗教的自覚の程度に達して、「我」を否定することが出来るやうになれば、そこに自からにしてあらはれるところの感情が、普通に「我」を通ほしてあらはれるものに反して全く功利的を離れたものとして現はれるのであります。この宗教的感情は固より神や仏を知るといふことのみによりてあらはれるものではありませぬ。単に経説を信ずるといふやうなことで起るところのものでもありませぬ。  自然的宗教  若し智慧が極めて浅いときには、何物でも少しく奇異のものであれば、それを偉大の力を有するものであるやうに考へて、神や仏とするのでありますから、この場合には一切の萬物を皆神や仏とすることが出来るのであります。我々の智慧が浅いために知らるべきことを知ることが出来ず、そこに大なる力であると考へてもそれは実際大なる力では無くしてただ自分が考へた大きな力であるときめて居るのに過ぎませぬ。自分の智慧の足らぬところから不思議と信ずるところに神秘的な考が起きて来れば、何でも蚊でも皆これを神や仏とすることが出来るのであります。さうして、かやうに自分が偉大のものであると信ずるところの神仏に所願して自分の力の足らぬところをたすけてもらふことを念願するものであります。普通にはこれを宗教と名づけるのでありますが、これはすなはち自然的宗教であります。  安心立命  此の如き自然的宗教では絶対に神や仏の力にすがるということは出来ませぬ。ただ苦しいときに神をたのむのでありまして、外に仕方がないから神仏にすがるのであります。神仏の力をたのみて自分の念願を達しやうといふ希望はありましてもその希望は達することが出来ずして、たゞ一時、自己を満足せしむるだけのことであります。自分をみつめてその力を強くするのではなくしてただ自己を欺まして仕舞ふとするのであります。宗教のはたらきとして外なる力を我々の心の内に取り入れて自分の分を強くするといふ場合には絶対にそれを信頼し得るほどの偉大なるものに接するのでなくてはなりませぬ。自分の心の力をはたらかして得手勝手に考へ出すところの力に対しては固より絶対に信頼することは出来ませぬ。  最上の帰命  釈尊の言葉が「法句経」といふ書物の中に集めてありますが、その中に次に載せたるやうな言葉があります。  『或は多く自から山川樹神に帰し、廟立し図像し、祭祠して福を求び、自から帰すること是の如きは吉にあらず、上にあらず、彼れ来たりて我が衆苦を度すること能はず。』(漢訳法句経の和訳文)  この言葉の意味は、恐あるもの、願あるもの、或は山を神として祭り、川を神として祈り、木を神として祭りて、廟洞を立て、図像を置き、それに祈願して幸福を求めるが、これは吉き帰命でなく、又最上の臨命でもない。かういふ神は来たりて我々の多くの苦しみを濟度することが出来ないといふ意味であります。釈尊が世に居られたる当時、印度の人々は自在天(デザア、イスヴアラ)という神の存在を信じて居りましたが、この自在天といふ神は、この世界を造り、人間を造り、さうしてこれを支配するものであるから、その意思に從はねばならぬと考へて居つたのであります。しかしながら、苦しみというものは自分が感ずるはたらきでありまして、それを他の人に願つたところが、祈つたところが、それで痛みがなほる筈はありませぬ。自分の心のはたらきで起つた痛みは自分の心のはたらきによつてこれを直さねばなりませぬ。それを他の人に願つたところがそれによりて痛が直る筈はありませぬ。それ故に、さういふ場合に神に祈ることは善き帰命ではありませぬ。最上の帰名ではありませぬ。かかる神は来りて一切の苦しみを濟度することは出来ませぬ。たとひ自己の外に神や仏であつたにしても、それが何時でも来たりて我々を救はれるということは到底考へ得られぬことでありまして、さういふはたらきの神や仏を尋ねてそれに向つて祈願するというやうなことは釈尊以前の教でも、俗間の信仰に属したものでありました。  自己の反省  智慧が段々と進むで、自分と自分の周囲との関係がわかつて来ると、人間の共同生活を十分にするために自分の得手勝手をのみ為すべきことでないといふことになり、又自分の価値を高くするために悪をやめ善を修むるといふことが人間の道であるといふことになります。これがすなはち道徳の教でありましてこれは全く智慧のはたらきによるものであります。此の如くに智慧が進みまして、自己の内面をみつめるとき、我々の心の力がいかにも弱くして善を修め悪を廢することも十分に出来ず又どうしても得手勝手のことがやまないといふことがわかりますから、そこに苦しみが起るのであります。この苦しみから免れしめるために我々の心の内にはたらく力がすなはち精神的宗教といはれるのであります。前に申したやうな自然的宗教では自分といふものを棚にあげて置いて、ただ勝手な事ばかり念願してその念願がかなふやうにと神仏に祈るのでありますが、精神的宗教では全くそれに反して自分といふものを問題とするのであります。自分といふものを問題として、真面目にそれを見つめるときに自から起つて来るところの心のはたらきが強い力として我々の心を導くのであります。  真実の宗教  我々が今日、宗教といふものはこの精神的宗教を指すのでありまして、外なる偉大の力を取り入れて我々の心の力を強くするところのはたらきをあらはすものであります。彼の自然的宗教でも、それによりて自分をだますことは出来ます、又ただ一時にしても自分が満足することも出来ます。しかしながら自分をだますといふことは或る程度までのものでありますし、又自分が滿足するといふことは本当でありませぬからこの心持では、たとい仏の御慈悲を喜ぶとしたところで、それは喜び得るときだけ喜んで居るに過ぎませぬ。死んでから極樂に往くのであるから安心して居ると言つたところで、それは健康の時に言ふことで、段々と病気が重くなつて、日々死が近づくといふやうな場合になると死んだ先が案じられて、滿足して死を待つといふことは容易に出来ることではありませぬ。それ故に自然的宗教というのは真実のはたらきをあらはすところの宗教ではありませぬ。真実の宗教のはたらきをあらはするのはどうしても精神的宗教でなくてはなりませぬ。  精神的宗教  精神的宗教は今申したやうに、我々の智慧が進み、道徳の考が明かになつてから後に起るものでありますから、宗教のはたらきとしては進歩したものであります。  智慧殊に道徳の意識が十分に達してから後にあらはれるのでありますから、先づ自然的宗教があらはれ、それから智慧の発達に伴なふてそれから精神的宗教が起るものであります。一個人に就て見ましても、まだ智慧の発達が十分でなく、道徳の意識が明瞭でないときには必ず自然的宗教の考が起るのであります。小児の宗教的の考は自然的宗教がありまして、自分といふものを内観せずには、ただ得手勝手の念願を神仏に向つて祈るのであります。それが年齢を重ぬると共に智慧が発達し、道徳が進みて遂に精神的宗教があらはれるやうになるのであります。しかるに文化の進みたる人間が、野蛮人と同じやうに自然的宗教に滿足して居るということは大なる間違であります。巳に成長したる大人が小児と同じやうに自然的宗教の範囲を離ることが出来ないといふこと大なる間違であります。  仏教の創始  仏教は精神的宗教でありまして、今から約三千年前に釈尊が始めて印度に興されたる宗教であります。そこで今、仏教のことに就て御話致さむとするに方りまして、少しまわり遠いやうでありますが、私は先づ釈尊が如何にして仏教を興されたかといふことに就て一通ほり、説明しやうと思ひます。仏教を宗教としてそれを奉ずるといふことは畢竟ずるに釈尊の精神を体驗するのでありますから、釈尊の精神がどこに有つたかといたことを知ることは第一必要であります。釈尊と略していいますが、本当にいへば釈迦牟尼仏でありまして、それは仏としての名前であります。まだ仏となられない前の本名は喬多摩といいまして、迦毘羅城に居つた淨飯王の子であります。兩親から可愛がられて大切に育てられました。耶輸陀羅といふ妃があり、羅喉といふ息子ありまして、何一つ不足のない生活をして居られたのでありますが、自分といふものに当面して、その苦しみの相に驚き、宮殿の中にあつて榮耀榮華にその日を送つて居つたところが世の中の相を考へ、さうして自分の相を考へて見たときにはヂットして居られないほどの苦しみであります。この苦しみから遁れなくてはならぬといふ心持が強く起つたために、遂に妻子を棄て、宮殿を脱け出でて苦を離るるの道を求められました。この時釈尊は年齢二十九歳であつたといふことであります。  跋伽仙人  釈尊は家を出でて、道を求めるために先づ舎離国に赴跋伽仙人の許を訪はれました。さうしてその仙人等が難行をして居る有樣を見られまして、跋伽仙人に向ひてあなた等は一体何のために、かういふやうな苦行をするのであるか』と聞かれた仙人はこれに答へて、『天に生れむがためである』と言つた。釈尊はこの答を聞いて考へられた。天といふところが幾ら樂しいところであるにしてる幸といふものに限があるから、天に生れたところが幸が尽きたならば、又六道にかへりて苦しまねばならぬ。されば仕方のない教であると考へて默つて居られた。跋伽仙人はその樣子を見て『何故に默つて居るか』と言つた。それは仙人等が或は禮を失することがあるために釈尊が不快の感をいだかれたのではないかと心配したためであつた。釈尊は『決して左様なことを気にして居るのではない。あなた等が修行して居るところは苦しみを増すもので、決して苦しみばから離れる道ではない。自分は苦みから離れるところの道を学ばうと思ふのであると言つて跋伽仙人の許を去られました。  阿羅邏仙人  かやうにして釈尊は跋伽仙人の許を去つて阿羅邏仙人の所へ往かれました。阿羅邏仙人は当時印度で有名の喩伽哲学の学者でありました。釈尊はこの阿羅邏仙人に向つて『我々人間の苦しみはどうして起るものであるか』と質問せられました。阿羅邏仙人は釈尊の問に答へて『我々の心の一番の初は冥初といふもので、それから我慢といふのが起り、その我慢から凝心があらはれ、凝心から染愛を生じ、染愛から五微塵気といふものが出来るさうしてこの五微塵気から五大が出来て、五大から貪欲・瞋志・愚癡の煩悩があらはれるのである』と説いたのであります。釈尊はそれを聴かれて『苦しみが出来る訳はそれでわかつたが、自分が聞かうと思ふのはその苦しみから離れるのにはどうすればよいかといふことである」と言はれました。そこで阿羅邏仙人はそれは先づ出家して、戒を持し、行を修し、謙卑忍辱にして空無辺処に住することによつて苦しみから離れることが出来る」と説いたのであります。この説明の六ヶ敷言葉を用ひてありますが、その意味は道徳を堅固にして、心の散乱を防ぎ世の中のものは一切皆空であることを観ずればすなはち苦しみから離れることが出来るといふのであります。これが当時印度に行はれて居つた?伽学派の説くところでありました。これは数論といふ学派が正確なる知識に本づきて迷を去らうとする教から発展して正しい知識と劇しき苦行とによつて悟りを開かうとする教でありました。  鬱陀羅仙人  しかしながら、阿羅邏の教には滿足せられずして釈尊は鬱陀羅仙人のところへ行かれました。鬱陀羅仙人は『一切無所有処を度りて非有想非無想処の成就に遊ぶ』と説きました。この説の意味は物質的の考を去りて一切のものは皆空であると観じ、空の外には何も有る所のものはないといふことを知り、種々の思想から離れて想あるにあらず想がなきにもあらず、一種禅定の境に至るとき苦しみから離れることが出来るというのであります。釈尊はこの説を聞かれて『想あるにあらず、想なきにあらずといふところに我があるか、我はないのか若し我がないといふのならば非有想非無想処といふことが出来ぬではないか、若し我があるとするならばその我には知があるか、知がないか、若し我に知がないとするならばそれは木や石に同じきものではないか。若し我に知があらば則ち染著があるであらう。それでは苦しみから離れることは出来ぬではないか』と反駁して、この法では到底苦を免かる道は得られないと言つて、鬱陀羅仙人のところを去られたのであります。  成道  釈尊は鬱陀羅仙人の許を去つて、象頭山の南方ヴルヴェラといふところに住つて、驕陳如等五人のものと共に苦行を修せられました。釈尊はかやうにして苦行を修することが六年の久しきに及びて、身体は痩せ衰へて、骨と皮ばかりの有様になつた。そこで釈尊は考へられた『苦行は苦を離るるの道でない、道といふものは羸《つか》れたる身体で得らるべきものでない。今から食を受け、諸根を充して後に道を得ることをつとめやう』と思はれて、苦行の座から起ちて尼蓮禅河に至り水に入つて洗溶せられました。ところが身体が痩せ衰へて居つたので、歩行することが出来ず、こまつて居られたところへ難陀波羅といふ牧牛女が来り合せて牛乳を飲ませて呉れたので元気がつき気力が充足したので、それから畢波羅の下に至り、樹の下に端坐して冥想せられたのであります。かやうにして、釈尊は真理を思惟し、世間を観察し、『三界の中には一とつの樂しみもあることなし」といふことを悟られたのであります。まことに世の中の相は苦しみでありまして、何事も真に樂しみとすべきものはありませぬ。年が老いて死ぬるといふことは苦しみの中の苦しみでありますが、それは生があるからでありまして、若し生を離るれば老死の苦しみはありませぬ。さうしてこの生は天から生ずるものでもなく、地から生ずるのでもなく、自から生ずるものでもなく、それは全く無明から、あらはれるのであります。釈尊はこの道理を明かにして、始めてその道を成せられたのであります。  初転法輪  釈尊は既にその道を成じたる後、この事を弘く世の人々に伝へむと欲して、阿羅邏及び鬱陀羅の兩仙人を訪ねようと思はれましたが、惜しいことには兩人共は死亡して空しき人の数に這入て居りました。そこで更に方向を転じてヴェナーレスに至りて、驕陳如外四人のものを訪はれました驕陳如外四人のものは前に釈尊と一処にグルヴェーラで苦行をしたものでありますが、釈尊が中途で苦行を棄て冥想に入られたのを見て、『こればかりの苦行に堪えないで山を出るやうな薄志弱行のものは共に道を語るに足らぬ』と嘲りて釈尊を棄てレヴェナーレスに移つたのであります。そこへ釈尊が来られたのでありますから、頭からこれを軽蔑して、すこしも敬意を拂はなかつたのであります。釈尊は五人のあの様子を見て、其ことを推察せられたのでありますが、じつと默つて五人の私の傍に行かれたところが、その威光の凛然として何ともいはれぬ貴とい趣に感じ入つて、釈尊の前に立ちて、釈尊が説かれる言葉に耳を傾けました。そこで釈尊は驕陳如等五人のものに向ひて『世の中には四苦八苦と言つていろいろの苦しみがある。それは皆我といふものが本となつて起きて来るのである。さうしてこの我というのは色蘊・受蘊・行蘊・想蘊・識蘊といふ五蘊が集まつて出来るものである』と説き、それから『お前等はこの五蘊といふものは常にあるものと思ふか、ないと思ふか』と聞かれました。五人のものもその説を聴いて感服して『なるほど五蘊といふものは無常であります』と答へました。それから釈尊は更に驕陳如等五人のものに向つて説教を進められました。  八正道(上)  この時の釈尊の説教は『道を求めるのは二個の極端を避けて中道を進まねばならぬ』といふことでありました。ここに極端といはれるのは、其一は榮耀榮華の寳澤なる生活でありまして、あくまでうまいものを食ひ、美しい衣服を著て、享樂的生活をすることは極端でありますから、それをやめねばなりませぬ。かういふ生活は道を求める上に害があつて何の役にも立たぬことであります。其二は身を苦める生活であります。苦行を修して身体を痩せ衰へるやうにしてもそれによりて道は得らるものでありませぬ。それ故にさういふ極端の生活は避けねばなりませぬ。道を求むるものはこの二個の極端を避けて中道を進まねばなりませぬ。中道といふのはすなはち八正道であります。八正道というのは正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の正道をいふのであります。釈尊はこの八正道を実践することによりてすべての人々は始めて苦しみから離れることが出来るといふことを説かれました。これが釈尊が成道せられてから第一回の説教であります。仏教の言葉で転法輪といふのは法の輪を転ばすといふ意味で、すなはち説教のことであります。釈尊成道後の初転法輪はヴェナーレスでの説教でありまして、それは八正道の説明でありました。  八正道(中)  かやうに釈尊が成道の後第一回の説教で、驕陳如等五人のものに対して説かれたところは八つの正しい道を践むで、苦しみから離れることが肝要であるといふことでありました。まことにこの教は仏教の心髄とすべきものでありまして、仏教にいろいろの宗派がわかれて居りましてもその根本とするところはこの八つの正しい道を践むで苦しみから離れることを期するのであります。それ故に八つの正しい道のことを十分に飲み込むで置いていただきたいと思ふのであります。  八正道の第一は正見といふのでありますが、これは見を正しくするといふ意味で、すなはち観察を正しくするといふことであります。正しく物事を観察するときには苦しみといふことはない筈でありますが、我々はどうしても顛倒した観察をするのでありますから、苦しみから離れることが出来ぬのであります。一例を残げていいますと、死ぬるといふことを嫌ふのは十人が十人、みなおなじやうでありまして、誰一人として死ぬるといふことを好むものはありますまい。しからばそれほどに死ぬるのが嫌なら、今日は無事であつたとか、今年は無事で暮しましたとかと言つて喜ぶことは間違つて居りませう。よく考へて見れば我々は一日一日に死ぬる方に近くなるので、一日一年生き延びるのではなくして一日一年づつ死ぬる力に近くなるのでありますから、死にいるといふことが嫌なら死ぬることに近づくのを喜ぶことはありますまい。さういふ風に我々には何事にも顛倒の考を持つて居るのであります。又我々は正しいとか正しくないとかといふやうなことをよくいひますが、それが自分といふものを棚にあげて置いて他人のことを判断していふのでありますから、畢竟自分に都合のよいやうに考へて、正しいとか正しくないとかといふに過ぎませぬ。何時も自分が正しくて、他人が正しくないといふことになりまして、それがすなはち顛倒の考であります。かういふ風に観察が正しくないために苦しみといえるのが起るのでありますから、正見といふことにつとむることが正しき道であります。  八正道(下)  八正道の第二は正思惟といふので、考へを、正しくするのであります。観察が正しければ從つて考へも正しい訳でありますから、先づ観察を正しくして、顛倒の考をやめることを正思惟といふのであります。  八正道の第三は正語で、言葉を正しくすることであります。虚言を吐いたり、入らざることを言つたり、又は言葉をかざつたりすることをせぬことをいうのであります。  第四は正業といふので、行為を正しくすることであります。悪を廢し善を修し、その行ひをつつしむことをいふのであります。  第五は正命で、これは生活を正しくすることをいふのであります。銘々その職務に忠実なるべきことをいふのであります。  それから八正道の第六は正精進でありまして、之は一生懸命に正しき道を践むことに努力することをいふのであります。  第七は正念といふのでありまして、これは正しく深思するといふ意味であります。思慮深く世界と自己との相を観察して世界は単に現象に過ぎないものであると知つたるとき愛著は巳みて苦は去るものであり、かくの如き深思を正念といふのであります。  最後の正道は正定といふのでありまして、これは思想の散乱せぬやうにこれを統一することをいふのであります。  心を本とす  此の如くに釈尊は先づ身を苦めて行を修するということによつてはますます心を苦めるのみで、苦しみから離れることが出来ぬといふことを悟られた後に、世間の相につきて冥想せられた末、遂に八正道を践むことによりて我々は苦しみの世界から免かれることを得るものであると説かれたのであります。それは我が心の苦しみを心の外に見て、修行によりて苦しみを去らうとすることの無理であることを悟られたからであります。苦しみといふものは自分の心で造るのでありまして、外界はただその縁となるのであります。それ故に釈寧はその苦しみの起る原因を究めてこれを無明に本づくものであるとせられたのであります。このことにつきては後に追々、くわしくお話を致す筈でありますが、釈尊の教は銘々の心を主とするのであります。自分の心といふものを棚に上げて置いて、さうして山に祈つたり、川に祈つたり、若しくは木に祈つたりしたところが、それによつて苦しみから離れることは出来ぬと説かれたのであります。釈寧の説かれたることに、『一切の法は意志から起る、それ故に意志はそれ等に関して支配者であり作者である』といふことがありますが、ここに法といふのは事物といふやうな意味で、世の中の一切の事物は皆意志が、これを造るものであり、又意志がこれを支配するものであるといふのであります。世の中の事物はみな銘々の意志によりて造られるものでありまして、又銘々の意志によりて支配せられるのでありますから世の中の事物を改むるものは銘々の意志でなくてはならぬ筈であります。それ故に釈尊の教は心の本とするといふことが第一に注意を要すべき点であります。  心の世界  平生我々は眼で物を見、耳で音を聴き、鼻で嗅ぎ、口で味い、皮膚で物を觸れて知るのでありますが、それは皆、我々の心のはたらきによるものでありまして、我々の心のはたらきといふものが無かつたならば、見ることも、聴くことも、嗅ぐことも、味ふことも、觸れることも出来ませぬ。從つて世の中の事物は一とつも有る筈はありませぬ。しかし私が見たり、聴いたりしないでも、世の中には事物が有りまして他の人々はそれを見たり、聴いたりするでありませうが、それは私には関係のない事物であります。私に関係のあるのは私が見たり聴いたりするところの事物でありまして、私はそれを見たり聴いたりしてそれで私の心の世界を造つて居るのであります。この心の世界が常に宗教の上では問題にせらるべきものでありまして、地理学上でいふところの世界とはそのものが相違して、銘々が銘々の心の世界を造つてその心の世界の中に住むで居るのであります。しかるに、それを銘々の心の世界から切り離して物の世界を考へ、我が心の外に物をあがめるがために自分の心や物の一種となりまして、自分自分といいながらそれが自分の心の中から外の方へ出るのであります。  形は心の成す所  釈尊が既に年老いて、死滅に近づかれたときに、阿難を始めとして多くの弟子達に説かれた言葉に次のやうなことがあります。  『比丘等よ、私が今まで汝等に説いたいろいろの教は常にこれを思ひ、これを誦し、またこれを習はねばならぬ。天下の人が自から心を正しくしたならば諸天のために喜び、人間もまた福を受けるであらう。汝等当に欲をおさへて既に克たねばならぬ。身を端し心を端し、言を端しくせよ。怒を捨て、悪を捨て、貪を捨てて常に死といふことに心を用ひ、若し心が邪を欲したならば決してそれに從ふてはならぬ。心が婬を欲したときにも気をゆるしてはならぬ。富貴を欲してもまたそれを聴いてはならぬ。心はまさに人に從ふべきものである人が心に從ふべきものではない。心は天となり、悪趣となり、又聖位を開くことも出来るものである。形は心の成すところのもので、心は諸法のなすところのものである。心は識を作り、識は感情を作り、感情は更に転じて心に入るのである。心はまことに支配者である。心は志を発して行をなし、行は命をなすものである。』(涅槃経に出づ)  この釈尊の言葉は、宗教の上には常に我々の心の世界を問題とすべきことを明かにせられたものであります。このことは宗教につきて考へる上に第一に必要のことでありますから繰返して申し上げて置きたいと思います。さうして皆様が、この心の世界ということにつきて深くお考になるやうに希望いたすのであります。  無我の智慧  釈尊が成道の後、ヴェナーレスで第一回の説教をせられたことは前に申した通ほりでありますが、この時その説教を聴いたものはカウンヂニア外四名のものでありましたが、その一人にアシュバジットといふものが居りました。或日托鉢をして居つたのを舍利弗といふ拝火教の学者が見つけて、いかにもその態度の美しさに感激し、アシュバジットに向ひて、『見受けるところあなたは近頃出家せられたやうであるが、それにも拘らず、あなたの態度はまことに美しく見える。一体あなたは何といふ人に就て修行せられたのであるか』と聴いた。アシュバジットは自分の師匠が釈尊であると答へた。そこで舎利弗は又問い返して『あなたの師匠はどういふことをあなたに教へましたか』と質問した。アシュバジットはそれに答へて『私はまだ師匠に就て学ぶ日数が浅いから、師匠が説かれる全体を知ることは出来ませぬ。しかしながら釈尊が説かれる大体は、世にありとあらゆるものは皆因縁から現はれて居る、一切のものに主がないといふことを知つたとき、真実の道に入ることが出来るといふことであります』と言いました。舎利弗はこれを聴いて大に感心し『なるほどさうである。自分等がこれまで考へて居つたものは邪因であつた、若し邪因でなかつたならば無因であつた。若し無因でなかつたらば自在天因であつた。さう考へることによりて苦しみは増すのみで決して苦しみが消えることはない。今因縁の法を聴いて全く無我の知慧が開けた』と言つて、大喜むだのであります。  因縁の法  この話は「因果経」と申すお経の中に詳しく書いてありまして、一切のものは皆因縁によりて起すといふのであります。因といふのは原因であります。縁といふの助因であります。原因と助因とが集まりて一切のものは出来るのでありまして、造物の主といふものがあるのではないと説くのであります。一切のものにつきてこれを造るところの主があるのではないと知られたるときに我々は迷の心から離れることが出来るのであります。自分が「我」として考へて居るところのものも因縁によつて起つたもので、別にこれを造つた主がある訳ではない。從つて我が心の主とすべきものも無いのでありまして、因縁の法がわかればすなはち「無我」の智慧が開かれるのであります。舎利弗はアシュバジットによりて釈尊の教の一端を聴いて、それに感服して、すぐに五百人の弟子を率いて友達の目?連といふものと共に釈尊の弟子となりましたが、非常に賢明の人で釈尊の弟子の中で智慧第一といはれた人であります。  自在天因  まことに舎利弗が言つた通ほりに、すべての人々は、物事の原因を見ることが出来ずして先づこれを因に帰するものであります。我々の心の外に邪悪の原因があつて、それからして邪悪の結果があらはれるものであると考へて居るのであります。たとへて申せば我々は常に悪るい雨が降つたと言いますが、しかしながらよく考へて見ると、雨が悪るいのでなく、我々の心がそれを悪るいと感ずるのであります。自分に都合のよくない雨が降つたのでありまして、雨には善いも悪いも無い筈であります。しかるに我々は自分の心をば棚に上げて置いて常にその罪を外の物に帰するやうにつとめて居るのであります。それ故に世の中の善いことでも、悪るいことでも、それは皆神の所為であると信ずるのであります。釈尊はその考の誤まれることを指摘し、一切の法は因縁によりて生ずると説かれたのであります。  唯円房  親鸞聖人が弟子の唯円房に向ひて  『唯円房はわがいふことをば信ずるかとおふせのさふらひしあひだ、さんさふらふと申されさふらひしかば』  お前は自分のいふことを信ずるかと尋ねられたので、唯円房は信じまするとお答へ申し上げたのであります。そこで、  『さらば我いはんことたがふまじきかと、かさねて仰せのさふらひしあいだ、謹んで領状まうされさふらひしかば』  それならば、自分のいふことには背かぬかと重ねて問はれたので、決して背きませぬとお答へ致したのであります。さうすると親鸞聖人は唯円房に向ひて、  『たとへば人千人殺してんやしからば往生は一定すべしと仰せさふらひし』  それなら、人千人を殺して見よ、さうすれば往生は必ず出来るぞと申されました。  『仰せにはさからへども一人もこの身の器量にては殺しつべしとおぼえずさふらふ』  唯円房は私のやうなものは一人をも殺すことが出来ませぬと言つて、聖人の仰せに背きました。  『さてはいかに親鸞がいふことをたがふまじきとはいふぞ』  それならばなぜお前は自分の言ふことに背かぬと言つたか。自分のいふことに背かぬと言いながら往生が出来るから人千人を殺せと言へばそれは出来ませぬといふのは何故かと責められました。  思ふ儘ならず  そこで親鸞聖人は仰せられました。  『これにて知るべし、いかなることもこころにまかせたることならば、往生のために人千人殺せといはむにすなはち殺すべし』  これにて自分の心で自分の思ふが儘に振舞ふことが出来ぬといふことを知らねばならぬ。何事も心に任せて振舞ふことが出来るものならば、往生のために人千人殺せと命ぜらるれば直ぐに千人殺すことが出来る筈であるが、さうは出来るものでない。  業縁  そこで親鸞聖人はこれを説明して、  『しかれども一人にても殺すべき業縁なきによりて害せざるなり、我心のよくて殺さぬにはあらず』  かう断定を下して居られるのであります。決心すれば何事も出来るといふやうに考へるのは人々の常でありますから、決心といふことは貴ばれて居るものでありますが、前にも申す通ほりに、決心といふのは金剛のものではありませぬ、又決心したからと言つてそれがその通ほりに行はれるものではありませぬ。人を殺すことは悪るいことであるからと知つて居つて、場合によりては人を殺さぬとも限らぬ、それ故に我が心が善いから人を殺さぬと思ふのは間違つて居る。人を殺すべき業縁がないから人を殺さぬのであると親鸞聖人は説明して居られるのであります。これ明かに道徳を離れたる宗教の心持であります。そこでこの話を記載したる嘆異鈔の著者は、親鸞聖人がかやふに仰せられたのは、  『我等が心のよきをばよしとおもひ、あしきをばあしと思ひて、本願の不思議にてたすけたまふといふことを知らざることを仰せさふらひしなり』  と言つて居るのであります。元来我々の決心といふものは善悪を判断しての後にあらはれるもので、それによりて善を修め、悪を廢しやうとするのでありますが、さういふ決心のあてにならぬことは前にしばしばお話申したとほりであります。さういふ道徳的の考を離れて宗教の心持になつたときに、それは業縁によるものであると考へられるやうになるのであります。  善悪宿業  親鸞聖人はこのことにつきて徹底的に説明せられて居ります。  『よき心の起る宿業のもよふすゆへなり、悪事のおもはせらるるも悪業のはからふゆへなり、故聖人の仰せには、卯毛羊毛のさきにゐるちりばかりも、つくる罪の宿業にあらずといふことなしと知るべしとさふらひき』  と親鸞聖人は言つて居られます。聖人の仰せによりて見れば我々の一切の心のはたらきは皆宿業の致すところでありますから、自分の心によりてこれを決めて出来ることではありませぬ。さうしてその宿業といえるのは自分でこれを造つたものでありますから、その宿業の責任は全然自分にあるのであります。宿業の致すところであるから自分はその責に任じないといふやうな運命説ではありませぬ。どこまでもその宿業の責任をば自分で負はねばならぬのであります。自分の心に任せぬことについて自分が責任を負はねばならぬといふ道徳の概念が強く動くときに宿業のことが考へられるのであります。  善悪を知らず  そこでこの心持を詮じつめれば、我々は自身の業の相続者であり、その業の致すところにつきては責任を負はねばならぬのである。さうして善いといふことも悪といふことも一向に承知して居ないのであるといふことになるのであります。無論道徳、世間普通の道徳の上にて言ふところの善悪はこれを知つて居るのであるのでありますが、それは相対的にいふところの善悪でありまして、真実の善悪そのものではありませぬ。真実の善悪そのものは全く我々の知らざるところであると言はねばなりませぬ。親鸞聖人の言葉が嘆異鈔に載せてあるのを見ると、  『聖人の仰せには善悪の二つ総じてもて存知せざるなり』  とありまして、如来の思召すほどに善と悪とを知つて居れば善と悪とを知つて居ると言つてもよいが、煩悩具足、火宅無常の世界はよろづのことみなもてたはことそらことあることがないと言つて、善悪の二たつは全く知らぬと告白して居られるのであります。かういふ心持は全く道徳を離れたる宗教の心持でありまして、自分のはからひをすて、不可思議の如来に帰順すること、極めて敬虔の態度をあらはするのであります。  因縁と心  我々の心が、他の一切のものと同じやうに、因縁によりて生じたるのであるといふことを知るときは、我々が心の善きをば善しと思ひ、悪しきをば悪しと思うて、いかに極つた主がありてそれに支配せられて居るかのやうに考へて居るのは大なる誤であります。釈尊が説かれたる十二因縁の理屈を推して考へて見ますと、我々の心は無明によりて、仮に造作したものでありまして、さうしてそれが愛著によりて、連続して現はれるものでありますから、我々の心のはたらきは業縁によつて現はれるものであると考へるべきでありませう。親鸞聖人が、唯円房に対して我が心の善くて人を殺さぬのではない、殺すべき業縁がないから殺さぬのである』と言はれたのは全くこの意味に外ならぬものでありませう。因縁の法をかういふやうに考へることは釈尊の十二因縁の説明を徹底的に理解したのであると思はれます。親鸞聖人は更に唯円房に向つて『身に備へざらし悪業はよもつくられ候はじめのを、又海川に綱を引き、釣をして世を渡るものも、野山に鹿を狩り鳥をとりて命をつなぐともがらも、商ひをし、田畠をつくりてすぐる人もただ同じことなり、さるべき業因のもやうせば如何なる振舞もすべしとこそ聖人は仰せ候ひし』と教へて居られます。これは因縁の法といふのを我々の現在の心のあらはれの上に就て考へて、我々の心は我々の心が、むかしから為したるものの結果として現に今あらはれて居るものであると信ずるのでありまして、これが業因又は業縁と言はれて居るのであります。  因縁の結果  此の如き因縁の法は、さう六ヶ敷く考へなくとも、現在の事実につきて考へて見ても知られることでありませう。たとへて申せば、今私がこの演題の上に立ちましてお話を致して居るといふ事実があります。しかしこれは単に私が計画をして私が勝手にお話をするのであるとのことではありませぬ。今私がお話を致すといふことにつきて考へて見ますると、第一に現在の世界が無くてはなりませぬ。この世界の中に我が国が無くてはなりませぬ。我が国の中に東京が有り、この會場が有るといふことを第一必要のことと致します。さうして国家が平和の状態でなければなりませぬ。この會場が建てられるためには多数の人々の共同作業を要したことでありませう。又私がお話をするといふことにつきましても、先づ私の一身が存在せねばなりませぬ。それには父母兄弟をはじめ多数の人々の恩恵に浴したことであります。私が何事にしてお話致すだけの資料を有して居らればなりませぬ。が、これには多数の学者や著述の力を藉らねばならぬことであります。すべて是等無数の因縁というものが無かつたならば私が如何に努力してもお話することは出来ぬのであります。それ故に、私が私の隨意で、お話を致して居るやうに見えましても、その実、無数の因縁が存在する結果として、私がお話をせねばならぬことになつたのであると考へられます。『さるべき業縁の催せば如何なる振舞をもすべき』と、親鸞聖人が言はれるのはすなはちこの意味を指すのでありませう、かういふやうに考へるところに釈尊の因縁法の説明は徹底して味はれるのであります。  迦葉  迦葉といふは智慧のすぐれた、さうして金の澤山にある人でありましたが、釈尊が出家して千二百五十人の阿羅漢と共に王舎城の竹林の中に道を説きたまふといふことを聞いて、釈尊の許に尋ね来たりて、『私はあなたの弟子になります』と言つた。釈尊は迦葉がその弟子になることを許されて直ちに『迦葉よ、五陰の身はこれ大苦の聚であるといふことを知らねばならぬ』と説教せられました。五陰といふは五蘊のことであります。我々の身心は色蘊、受蘊、想組、行蘊、識額の五つのものの集合から成り立つて居るのでありますが、この五蘊の集合がすなはち苦しみでありますから、五蘊の身は大苦の集合であると考へねばなりませぬ。ところが前の含利弗でも、目?連でも、又今の迦葉でも、我と身とが相違せるものであるとするか、或は我がすなはち身であるとして、それによりて我というものを考へて居つたのであります。つまり我といふものが独立して存在して居るものとして、それにつきて色々に考へたのであります。しかるに釈尊はその迷をさまさうとして『この身はただ衆苦の集合である』と説き示されたのであります。  大苦の集合  釈尊より以前の人々の教は、心を外にして考へたものでありましたから、我々の心が苦しみといふものを持つて居るやうに信じて居つたのでありますが、釈尊の教は心を本として考へるのでありますから、『五陰の身は大苦の衆であると示すのであります、苦しみを感ずるそのものがすなはち我であつて、この苦しみを除きては後にあまるところのものは何にも無いのであります。心を本として考へれば必ずさうでありまして、五蘊が集まつたところに我々の身と心とがあらはれて、我々の身と心とがあらはれるところに苦しみが存するのであります。それ故に『五陰の身は大苦の衆である』と説かれるのでありまして、苦しみを離れて別に我といふものが存するのではありませぬ。苦しみといふものそれ自身がすなはち我であります。迦葉は我を以て身として、その苦しみから免かれやうとしたから、戒を持ち苦行を修め、又因にあらざるものを因とし、又有と無との二つの見に迷はされて居つたのでありますが、釈尊のこの教を聴いて苦しみといふものの真実の相がわかつて始めて苦しみから離れるところの道を知つたのであります。  苦と樂と  これを心の外に考へるときは、我々は何時でも外の物のために苦しめられるやうでありますが、しかしながら苦しみと感ずるのは我々の自分の心であります。さふしてその自分といふのは五蘊が仮に和合したのでそれが苦しみの種でありますから、苦しみといふのはすなはち自分であります。その自分といふことに気がつかないで、外のものが悪るい、それがために苦しみが起るものであると、考へて、その苦しみを除かうと願ふのが人々の常でありますが、これはその苦しみを除くとすればその後に樂しみが残るであらうと考へるからであります。しかしながら苦しみと感ずるのも、樂しみと感ずるのも皆これ自分の心のはたらきでありまして、別に苦しみと感じ、若しくは樂しみと感じ、常に一定して居る処の何物かが存在して居るのではありませぬ。それ故にたとひ苦しみを除いたとしても、樂しみがそれにかはつて存在する訳はありませぬ。同じ心のはたらきが或は樂しみと感ぜられ或は苦しみと感ぜられるのであります、さうして、それがすなはち我でありまして、このはたらきの外に別に何物も存在しては居らぬのであります。  自我の成立  釈尊が迦葉に対して、かやうに「五陰の身は大苦の聚である』と説かれたのは、我といふものを独立のものとして考えることの誤まつて居るといふことを示すためで、ここにも一切の法は因縁によつて生ずるということを説かれたのであります。我と身とを異なれるものとしたり、或は我がすなはち身であるとしたりして、我といふものを独立のものと考えるは誤まりであるといふことを教へられたのであります、苦しみがすなはち我であつて、その我といふのは因縁によりて生じたものであります。釈尊はこのことを明かにするためにかやうに説かれたのでありまして、我といふものは決して偶然に出来たものではありませぬ。又他にそれを造れるものがあつてそのものがこれを造つたものでもありませぬ。何れの場合で原因がありて結果が生ずるものでありまして、種があつてさうしてそれから芽が生じ、実がのるのであります。自分といふものがすなはち苦しみの集まりであるとして、この苦しみは因縁によりてあらはれたるものでありますから、単にこの苦しみのみを自分から取り去ることは出来ませぬ。  優陀夷  釈尊がその家を出られてから六年の間、その父の淨飯王は釈尊の身の上を心配して、どうか一度面會したいと言つて居られた。時に釈尊は衛国から迦毘羅城の方に行かうとせられたのであるが、勝軍王といふものが釈尊に帰依し、釈尊が概に正覚を成ぜる旨を父の浄飯王に申し送りました。淨飯王はその書状を見て、釈尊が成道したことは喜ばしいが、若し使のものを遣ればそれを勘化して出家せしめるのであらう、まことに困つたことであると心配せられた。大臣の優陀夷といふものがあつて、浄飯王に向ひ『私が使に參りませう』と言つて、王の書状を持つて釈尊の許に往つた。釈尊はそのとき父王は御無事であるか』と尋ねられました。優陀夷は『大王は御丈夫でありますが、ただあなたのことのみを心配して居られます」と答へた。それから釈尊は優陀夷に向つて『お前はこの道を樂むかどうか』と言はれたから『甚だ樂しみます』と答へました。そこで釈尊は優陀夷を濟度して沙門とせられました。優陀夷は『自分は淨飯王の使で釈尊を連れて宮城へ帰る約束でここへ来たのであるのに、出家して家へ帰らないとすると王への返事はどうしやうか』と心配したのであります。そこで釈尊は優陀夷に向つて『お前、帰りたければ帰つてもよい、しかし故家に執著することをするな』と言はれました。優陀夷は大に喜び釈尊に向つて『あなたも迦毘羅城にお帰りなりませうか』と尋ねた。ところが釈尊も『自分も帰らう』と言はれました。優陀夷は帰りてこのことを父の浄飯王に申し上げました。  浄飯王  間もなく、釈尊は迦毘羅《カビラ》城に帰られまして、その父の浄飯王に対面せられました。さうしてこのとき釈尊は浄飯王に対して、法を説かれました『世の中の一切のものは皆、自業の果報である。業果の身に業を造りて更に新なる生を受くるのである。それ故に業の因果を知らねばならぬ。つらつら世間を観ずるに、我が良友たるものはただ業のみである。肉身は深く我の愛慕するところであるが、命終るとき肉身はそれに隨はない。親戚は深く我の愛慕するところであるが、命終るとき親戚はそれに隨はない。命終るときただ業のみを良朋として、これに随つて、五趣に輪廻せしむるものである』と説かれた。さうして更に言葉を改めてそれ故に力をつくして身、口の業を浄め、又つとめて修習して乱心を息めねばならぬ。自己を益するものはただこれのみである』と説かれたのである。それから又、『人王の五欲の樂しみは危険であつて恐怖が多いことは毒蛇と同居するやうなものである。知慧のある人は世間を見ること、猛火に囲まれて恐怖してしばらくも安きことがないと知りて速かに生死を離れむことを求むるのである』と説かれました。浄飯王はこの説教に感服して、法を敬まふのあまりに、その子の釈尊を禮拝せられたのであります。  業  釈尊がかやうに、世の中の一切のよい皆自業の果報であると言つて業を説かれるのは、全く、因縁の法に本づくので、それによりて自身をかへり見るときは、我々は自身の業のために生れたり、死んだり、死んだり、生れたりして、苦しみの世界から離れることが出来ないのであると知らねばなりませぬ。それをば生死の苦界を流転するといふのであります。さうして、その業といふものは、簡単に言へば自分の行為であります。我々が何事かを考へるとすると、一旦考へたことは消えることはありませぬ。どんなに訂正しやうと思ふても一旦考へたことは後からこれを訂正することは出来ませぬ。それを取消すことは固より出来ぬことであります。それからその考を口にしたときは言葉となりますが、一度言葉に出したことは後からこれを訂正することも出来ませぬ。又これを取消すことも出来せぬ。すべての行為も皆これと同様でありまして、一度行為の上にあらはしたことは決して消滅するものではありませぬ。さういふ次第でありますから我々の身体でした行為(身業と名づける)と、口でした行為(口業と名づける)と、心の中でした行為(意業と名づける)とは決して消滅するものでは無くて、すなはち業(カルマ)となるものであります、しかしながら業(カルマ)となるといひましても、別に業といふものが独立して存在するやうに考へるべきものではありませぬ。我々の行為といふものは決して消滅するものではありませぬから、「我」といふものが、それによりて保存せられて行くのであります。かやうに「我」が保存せられて行く有様をば釈尊が『業果の身に業を造り更に新なる生を受くる』と言はれるのであります。  因果応報  我々の行為は一度あらはれたる上は決して消滅するものではありませぬ。それが業(カルマ)となるのでありますから、我々はその業に縛ばられて、死んでから又生れ。生れては又死ぬるのであります。それだから、業といふものはたらきを善くすることをつとめねばならぬと、釈尊は説かれるのであります。かういふ風に釈尊の教を分析して考へて見ますると、釈尊の教といふものにどこまでも自分の心といふものを問題とするものであるということがわかるのであります。人間の世界が苦しみであるということは、畢竟ずるに自分の心でそれを苦しみと感ずるのであつて、自分の心の外にある世界の事物が苦しみであるのではありませぬ。つまるところ、自分の心で苦しみの世界を造つて居るのでありますから、その苦しみの世界から離れてゆくとしてもそれは決して出来ることではありませぬ。苦しみを造るところの自分といふものを其儘にして、苦しみといふものだけを取つて除けやうとしてもそれは決して出来ることではありませぬ。さうして自分が苦しみを感ずるといふことも業因の結果としてあらはれるものでありますから、これを除くといふことは容易のことでありませぬ。近頃の人々も、自分の心の苦しいときに、諦らめの言葉として業といふ事をいふのでありますが、釈尊が言はるるところの業といふものは決して諦らめの言葉ではありませぬ。自分が行き詰つて致し方のないときに、これも前世の約束であるとか、又は因果応報であるとかと言つて、その罪をば自分の外にあるところのものに負はして自分の責任を免かれやうとすることが多くなりますが、仏教で説かる、業(カルマ)といふのは、さういふ風に考へらるべきものではありませぬ。かやうに釈尊は法は因縁によりて生ずるといふことを説き、それからして業(カルマ)といふ考が起き、これが仏教の根本となつて居るのであります。  心と業  釈尊の業(カルマ)につきての考によると、命終るときも、業は遂に消滅するものでないといふのであります。よくよく考へて見ますと、我々が何か一とつ考へるとすると、その考へたことは決して消えることはありませぬ。一たび何か行ふたとすると、その行ふたことは決して消滅することはありませぬ。一たび喋舌つたことも消えなければ、行つたことも考へたことも、決して消えるのではありませぬ。それは皆、自分の心のはたらきで、その自分の心といふものは身体が無くなつても決して消滅するものではありませぬ。さういふ心のはたらきをば我々がよく内省して、道徳的に考へたときに、それに業(カルマ)といふ名前が附けられるのであります。普通に心といふのは意識のはたらきを指すのでありますが、さういふ意識のはたきは死ねば無くなつて仕舞ふことは無論であります。しかしながらその意識の内容として、我々が考へたり、しやべつたり、行つたりすることは決して消滅するのではありませぬ。それが集積して業(カルマ)を成すのであります。それ故に業(カルマ)といはるるものは自分の心を道徳的に深く内省して、あらはるるところの心持を言ひ現はすための概念であると言ふべきでありませう。  業と運命  さういふやうに考へると、業(カルマ)といふのは因縁によつて現はることころの結果で、その根本は渇愛に存するものであります。從て自分の行為につきての責任を、自分が強く感じたるときに起るところの心持に外ならぬものであります。然るに、自分の心を内省しないで、考へたときには業(カルマ)といふものは運命と同じやうなのになつて仕舞ふのであります。我々を支配するものは我々の心であつて、決して外から来るところの運命ではありませぬ。仏教を奉じて居ると自称する人々がよく、前世の約束ということを申しますが、さういふ心持は十分に自分を内省しない時に起る心持であります。仏教にて業(カルマ)と名づけられるものはどうしても内省の結果として現はれるもので、自分の責任を護るために考へられたる運命ではない筈であります。我々が道徳的に自分の心を内省するときには、現在の結果は過去の原因に本づくものであるといふことを考へて、我々の心の過去に遡らねばなりませぬ。さうして我々の心の過去に遡つて考ふるときは我々の意思や行為や言語が集積して以て現在の結果をあらはしたのであるといふことに気がつくことでありませう。ここに業(カルマ)といふ言葉が用ひられるのであります。  前業の所感(一)  仏教の学者の中には業(カルマ)を以て一種の力であるかのやうに説く人もあります。又西洋の学者の中には、仏教の業(カルマ)は一とつの「エネルギー」(勢力)であると説いて居る人もあります。しかしながら私はさうでなく、因果の法則をば自分の心のはたらきの上に考へたときに感ずる心持に外ならぬものであると思います。しかるに世間でいはるるところの業(カルマ)といふものが、動もすれば運命と間違つて考へられて居るやうでありますが、それでは仏教の精神が徹底することがないと私は思います。真宗仏光寺派の信曉といふ有名の僧侶が書かれたる「山海里」といふ書物の中に、次のやうな記事があります。  『冬の日雨のそぼ降る夕暮に、あはれげなる乞食の塗れたる菰を著ながらに人の軒にただずみて夜を明さんとしけるを、家の主と見えたる人出あひて、此ところにおかじ、いそぎたちのけとてあらけなくいひはるをとかくわびすがりけれども、ききとどけざる故に是非なくも雨に塗れながら、あてどもなしに立ち去るを見たるにとあり』  と事実を記載して、さうして、それにつきて、  『かる乞食と生れ来て一生をすぎぬるはいかなる前業のなしけるわざなるぞや』  と所感が附記してある。この記事によつて見ると、このあはれなる乞食は前の世の業によつて乞食の生活をして居るのであるが、さてその前の世の業はどういうものであつたらうかと言ふのであります。この文面にあらはれたるところでは前世に業といふものが造られて居つて、それが現在の果を致したものであると説明したのであるやうに見える。  前業の所感(二)  それから又、信曉師の記載に次の通ほりのことがあります。  「又あるとき途中にて、しかも寒かりし日に、四歳ばかりと見ゆる小児の親に捨てられたるものと見えて、なさけにひろひたまはれと書きたる札をつけたるが泣き居たるを往来の人たちかさなりていづくのたれが子なるぞと尋ぬれども親の名をもおぼへざるにや、ただ余事なく、母よ母よとのみいひて、わけなくさまようを見たることあり」  と事実を記したる後に、所感を記して  『やがてくれゆく夜となるにいかがすべきと、おさなき小児ごころにも思ふならむと、その心根をおもひやりければ「他人の身にも不便さのやるかたなきに、捨てたる親の心には、いさぎよき事をしたりとも思ふまじけれども、四五歳まではいだきかかへてそだてたるものを、心強くも捨てけるは身を捨る藪はなしの諺の道理ならんと思へば捨る親も捨てられたるおさな子も、いかなる前業の所感なるぞ』  と記してあります。  次で又、次のやうな話が載せてあります。  「あるとしの極月、雪ふりつもりたる寒夜に大阪の日本橋を通ほりけるに、乞食に施行の者と見えて長町の方なり粥遣ろ粥遣ろと呼び来たる声あり、手代調市《デツチ》出入方ともいふべきもの五六人にて桶に入れたる粥をにないて北へはいるに橋のあたりに寝て居る乞食ども起き上りてその施行を受くるその中に雪しるの氷たるに身を寄せてこごへながらに震入たる乞食の子あり、親あるものと見えたるが、あはただしくゆすり起して粥をもらひて食せよといふ、八九歳と見ゆるもの起き上りて茶碗を出すに施行の若きもの粥をすくひてその茶碗へ山もりになるほど与へおきて急ぎ通ほりて過けるに、この小供兩手こごへてありけるにやはからず茶碗をとりおとし、氷りたる大道にて茶碗割れて粥は地べたへうちあくる、親はあさましき声を出してその小児のあやまりしをしかりける、粥よりは茶碗をわらしたることをいましめける、子供は泣くより外のことなく、そのこぼれたる粥をすこしにてもとちいさき手にていろいろ見れども詮方なく、又うづくまりていぬける』  右のやうな事実を記したる後に、所感を記し  『それ等は施行の善事をうらむるの道理にもあることあり、粥遣るさへ来たらねば、寝入たる目をさまさず、茶碗をわらすこともなく、親の叱りもうけざるものをと思ふなるべし、これらもいかなる業因の然らしむるものどもなるぞや』  と叙べてあります。  前業の所感(三)  信曉師は又、京都にて十四五歳のある女の子が母と共に伊勢參宮して道中にて母に死別れ、路銀も衣類も人に取られ、乞食して市中にありたるものが、寒夜飢餓のために困難して居るといふことを聞きて、そのものを助けて遺らふと、尋ねたところが遂にその女の子に遇はず、翌日に至りてその女の子はこごへ死したといふことを聞いてあはれさ不憫さ今に忘れ難しと記載し、さて所感を述べて、  『定業とはいひながら昨夜我に出會なば蔵屋敷へ通じてなりと兎角して本国まで帰しやることの方便ありたるならんにと思へども、元来親子二人參宮思ひ立ち遠路を參りたる神信仰のものなれども、二人ともに他国にて倒れ死するほどの約束、大慈悲深き神慮にても救ひたまはりがたき前業の所感なれば、昨夜我等に出遇はざるにもよくよくこごへ死する決定業のものなるべし』  かういふ風に、自分の考へられたることが叙べてあります。  諦めの言葉  信曉師の考が果してどうであつたかは、この文面だけでは固よりわかりませぬが、しかしながら、之と同じやうな言葉は多くの人々が口にするところでありまして、極めて悲惨の境遇に合つた場合、その悲惨あることの原因をば前業に帰して、その悲惨なる事実を説明せむとするのであります。乞食が寒夜に追い立てられたるも、頑是なき小児が親にすてられたる者、又少女が街の上でこごへ死したることも、皆これ業因の然らしむるところである、前業の所感であると説明するのであります。どうしても、悲惨なる事実を見て、これをその人の責任に帰することをせずして、その責任を業因といふものに嫁せむとするものであるやうに思はれます。つまり諦めの言葉に過ぎぬものであります。仏教にて説くところの業(カルマ)をさういふやうな意味に取ることは釈迦の精神に背きて、我々の心の外に何物か我々を支配するものがあるやうに考へることになりませう。どう考へても仏教にていふところの業(カルマ)はさういふ意味のものではない筈であります。  治郎右衛門  もう一とつ昔の話を致して置きませう。それは享保の頃、摂津の国摩耶山の麓に治郎右衛門といふ百姓が居りました。浄土真宗の派を汲むで信心堅固のものでありましたが至つて貧乏の生活をして居りました。ところが毎年一二度づつ京都の本願寺へ参詣するので、蕨を取つてそれを町に賣つてその賣代金を本願寺に獻ずるといふやうなやり方でありました。その頃、京都の西陣に菱屋了玄といふ金持が居つて、これも浄土真宗の信者で、毎日本願寺で参詣して居つたので、何時しか治郎右衛門と語り合ふやうになり、互に肝膽相照すといふ有様で、治郎右衛門が上京する度には了玄のところを宿とするやうになりました。ところが或年、毎年一二度は必ず上京する治郎右衛門が京都に上つて来ないので、了玄は不審に思ひ、無事なれば必ず参詣する人であるのに、參詣せぬのは全く病気に相違ない。若しくは往生せられたかも知れない、何にしても気にかかることであるから行つて見よう、この世の友達は随分多いことであるが、未来までの友達はあの人ばかりだ、どう暮して居られるか、行つて見ようと、家来一人を連れて遙る遙る摩耶山の麓の村に至り、さうして村の人に聞いたところが、村の人がいふには『この村に治郎右衛門と申すものは居りますけれども、あなたのやうな富裕の方がおたづねになるやうなものではござりませぬ、その日の煙も立てかねて、口には粗食を食い、身には破れたる衣を著たる乞食体のものでござります』と言つて、治郎右衛門の家を教へました。まことにこの家は貧乏で殆ど人間が住む家ではない。竹の柱に蓬の網戸、壁もまばらに、床とてもない土の上に荒筵を敷いてその上に治郎右衛門は坐つて居りました。  菱屋了玄  そこで、菱屋了玄は『治郎右衛門どの家にか』と訪ねますると、治郎右衛門は挨拶をかへして『さてさて了玄樣におはするか、ようこそおいで下されました、私もこの頃不快で起臥が安らかでありませぬため御本山への参詣も怠つて居ります。あなたは存命にてますます称名念仏喜び申さることこそ目出たくぞんじまする。まづまづこちらへおはいり下さい』と言つて、家に入れたけれども、むさくるしき住家ですはるところない有様でありますが、しかしながら兩人は夜更るまで法義のことなど話し合い互に称名念仏して居りました。召し連れられた家来のものはさういふ事には志のないもので大変に困つて不自由に一夜をあかしたのであります。二人は積る話をして明る朝、別れに臨みて了玄がいふには『これは多分今生の暇乞であらうと思ふ。どちらが前に往生するかも知れぬが、あなたが若し前にお立ちであつたら、浄土で待つて居つて下さい、自分が早く往生したなら半座を別けて待つて居ります』と言つて、互に別を告げるときに、了玄は懐中から金若干を出してそれを治郎右衛門に与へていふには『あなたの体を見るに甚だ貧しいやうだ、この世はしばしの仮の宿であるから、貧しいことは左まで厭い玉ふところではあるまいけれども自分は同行のよしみで見るに忍び難いから、何の忠功もない下僕にでも少しのものを施すのに、まして一味の信を賜はりし身は四海皆兄弟なりと承はつて居るから、持ち合したいささかの金を進上する、せめて風を防ぐほどの戸障子でも、これで求めて下さい』と言ひました。  因果の道理  ところが、治郎右衛門が申すに『存じおよらぬ御事を仰せられる、これまで多年よしみを結び、信心堅固の良教を得たことと思つてうれしく存じて居りましたが、只今の御言葉を聞いて、さてはあなたの御心得も如何かと存じまする。貧福苦樂は前世の業因からあらはれるものでありますから、あなたのやうに富裕であるのも前業であり、自分のやうに貧賤であるのも宿業であります、業力といふものは聖者も免かれ給ふことでないのに、あなたはそれを救はむとせられまする。因果の道理を辨へぬためにさういふことをいはれるのでありませう』と言ひました。了玄それを聞いて『まことに驚きました、私のいやしい心にくらべてあなたを助けやうと思つたのは間違いでありました、仰ぎ願くは、もとの如くに、交はりたまはば浮生の思ひ出、この上ないことでありますと懇にわびて、もとのやうに、打ち解けて、この後もますます交を厚くして居つたということであります。この話は仰誓師の「妙好人伝」に載せられた話でありますが、よほど善く考へて見ねばならぬ話であります。  業報を甘受す。  了玄が未来までの友達であると許して居る治郎右衛門が貧乏の様子を見て、金をやつて寒さを凌ぐやうな用意の出来るやうといふ親切はありがたい心であります。普通の人々は下さいと頼むでも呉れるものではありませぬのに了玄は頼まぬ治郎右衛門に金を遣らうとするのであります。いはゆる博愛の心のあらはれでありませう。勿論人間の善事でありますが、しかしながらこれは親鸞聖人が言はれる聖道の慈悲でありまして末とほらぬものであります。治郎右衛門が言ふやうに、貧福苦樂は宿業の致すところでありますから、聖者であつてそれを助けることは出来ぬ筈であります。自分の宿業であると自覚したるところに貧苦は甘じて自からこれを受くべきでありますからこれを苦にする筈はありませぬ。貧乏でないものが、貧乏のものを見て、さぞ苦しからうと推測するのはいやしい自分の心にくらべて他の心をおしはかるためであります。宿業のことはりをば徹底して、考へて居る治郎右衛門には貧乏は何の苦しみを覚えぬのであります。まことにその心が宗教の本質をあらはして居るのであります。了玄も固より宗教の心のはたらきをあらはして居るのでありますから、治郎右衛門の言葉を聴いてすぐに自己の愚悪を見ることが出来るのであります。普通ならば折角親切に恵むでやらうとするのを辞退するばかりでなく、却て悪口をいふなどは以ての外であると立腹するのが常であります。しかるに了玄はさうでなく、治郎右衛門のために宿業のことはりを説かれて、それによりてすぐに自己の態度の間違つて居つたといふことに気がついたのであります。二人共に得手勝手の自己中心の心を離れて不可思議のものに動かされて居るのであります。  業の意識  釈尊は省みねばならぬことの五つを奉げて居られます。それは釈尊が王舎城外の竹林精舎に居られたるとき、弟子等に向つて説かれたる言葉に、  『比丘等よ、男でも女でも家に住むものでも、出家したものでも、常に省みねばならぬ五つのことがある』  と言つて、一切の人間が反省せねばならぬことが五つあると説かれた。その五つとは次の通ほりであります。  『私は老いゆく身であり老を超ゆることは出来ない。私は病むべき身であり病を超ゆることは出来ない。私は死にゆくべき身であり、死を超ゆることは出来ない。』  生きて居るものには年をとるということ、病気をするといふこと、死ねるといふことがありますがしかしながら私としてはそれを超越することが出来ぬから、それをばよく省みねばならぬのであります。それから、  『私の愛するもの、好むもの皆転変無常のものである。』  諸行は無常でありますから、私が愛するのも好むもの皆転変するものであるといふことは深く考へねばならぬことであります。常住でないのを常住のものとし、あてにならぬことをあてにするところに色々の迷ひがあらはれるものであります。かやうに、釈尊が内省すべきことを挙げられた最後のものは「業」のことであります。  『私は私の業の相続者であり、私の積んだ業の相続をせねばならぬ』私は私の業の相続であるといふ意味は、業と申すのは我々が心で思ふたこと口で言ふたこと身で行ふたことはどうしても消えるものではありませぬ。それが積つたものを指して私の業とするので、固より道徳的に内省しての後にさういふのであるから、『私は私の業の相続者である』といふ意味は自分の現在の境遇は自分が自から造つたのであると痛感することをいふのであります。あなた方もこれまでどれほど喋つておいでになるか知れませぬが、それはどうしても消えるものではありませぬ。一旦思つたことも決して消えるものでなく又後からそれを打ち消すことも出来るものではありませぬ。行つたこともまた同じやうに決して消えて無くなるものではありませぬ。そこで考へて見ますと、自分といふものは思ふこと、言ふこと、行ふことの外には何にもありませぬからそれが私の全体であります。それ故に私が思つたこと、言つたこと、行つたことが続いて現在に及むで居るのであると考へるときに『私は私の業の相続者』であります。從て私は私の積むだ業の相続をせねばならぬのであります。  愚悪の感知  かやうに『私は私の積むだ業の相続をせねばならぬ』のでありますから、決してその責任を他に嫁することは出来ませぬ。苦しいならば苦しまねばなりませぬ。煩悶するならば煩悶しなければなりませぬ。自分の一切の責任は自分で負はねばならぬのであります。自分が悪るいと知つてもその悪るいものを、自から直ほすことをしないで他人に頼むで直ほしてもらふといふことは無責任であります。自から悪るいと知つたならば自からそれを直ほすやうにせねばなりませね。しかるに自分ではどうすることも出来ぬと知つたときどうすることも出来ませぬ。ただただ自分の悪るいといふことを痛切に感知するより外には致方はありませぬ。人間の世界は苦しみの世界であると言いますが、それは全く自分の苦しみであります。自分で苦しみの世界を造つてそれに住むで居るのでありますから、その苦しみから離るることは出来ませぬ。自分が造つた苦しみの世界であるといふことに気がつけば、我々は苦しむで苦しみ抜くより外は致方はありませぬ。さうしてこそ我々は始めて自分の業を相続することが出来るのでありませう。  仏の慈悲  かやうに徹底的に『自分の愚悪を感知する』ときにのみ我々は得手勝手の考から離れることが出来るのでありまして、そのときに起る心持が宗教と言はれるのであります。その心持がどんなものであるかということを言葉にて示すことは六ヶ敷いのであります。到底我々の言葉にて言ひあらはすことは出来ぬと言つた方が正しいかと思はれます。しかしながら、その心持を我々が感知することから言いますと、得手勝手を離れて一切の状況に満足する心持であると言ふことも出来ませう、又すべての場合に喜びの心持があらはれるものであると言ふことも出来ませう。それを指して仏の慈悲を考へるところに宗教の心持がハッキリとして来るのであります。ところが得手勝手の心を離れないで、たとひ仏の慈悲といふやうなことを考へたにしてもそれは自分の心で勝手にきめた慈悲でありまして、全く自分の都合のよいやうにあらはれて来るのであります、それ故に若しそれが自分の心にかなはぬときには『仏も無慈悲である』と言ふのであります。『この神様には利益がないとか、利益がある』とかいふのであります。何といふにしても、それが自分の心で勝手にすることでありますから、そこに宗教という心持のあらはれることはありませぬ。かういふ次第でありますから、さういふ我々のはからいの心を離れなければ仏の慈悲の心はあらはれて来ぬと説かれるのであります。まことに漠然としてとりとめのつかぬやうなるのであるやうに思はれますが、とりとめがつかぬやうに思ふのはその人のはからひがあるためでこのはからいの心を離れたときには何時でも仏の慈悲を感知することが出来るのであります。  勝鬘夫人  この前に、波斯匿王がその祖母の死なれたときに、大臣の不奢密の心づかいによりて人間が死ぬるといふことの真の相を明かにして法に入られたといふことをお話致しましたが、この波斯匿王の娘に勝鬘夫人という女性がありました。波斯匿王は既に釈尊の教を聴いて仏法に帰依して大に喜びて居られましたが、ある時、その夫人の末利と相談して言はれるには『娘の勝鬘夫人は智慧がすぐれて會得の早い生れつきであるから、若し釈尊の教を聴くときは直ちにその法を合点するに違ひない、それで使を遣つて娘の勝鬘夫人に道を求める心を起さしめやうではないか』と言つて、夫婦で相談をきめて使を阿踰闍国の勝鬘夫人の処へやり、委細のことを書いて申し遣はされました。勝鬘夫人はそれを読みて『かねて釈尊のことは承はつて居つたが、この書き物の通であれば釈尊はまことに貴とい法を説く御方であるから、どうかお目にかかつて見たい』と念願せられました。その念願が届いて到頭、勝鬘夫人は釈尊に遇はれました。さうして釈尊と相対して法の上につきて問答をせられました。  煩惱  勝鬘夫人が釈尊に向つて言はれたことは固より種々の方面に?りて居りましたが、今はその中の一部分を拔てお話を致すのであります。勝鬘夫人が言はるやう『凡そ煩悩といふものには二た通ほりありまして、一とつは根本煩悩、一とつは起煩悩であります。根本の煩悩といふのは見惑と思惑とに本づくもので、見惑といふのは道理に迷ふことをいふので、物の道理がわからないと心が迷ふ、心が迷ふによつて煩悩が起るのであります。思惑といふのは実際に事物に遭遇したときにその事物に迷ふのであります。事物に遭遇してそれに関して如何にすべきかに迷ふよりして煩悩が起るのであります。この見惑と思惑とから根本の煩悩からしてまた種々の煩悩があらはれるのであります。しかしながら、その根本となるものは無明でありました。早く申せば智慧が無いといふことが一切の煩悩の本であります』勝鬘夫人は煩悩の根元をばかういふ風に言つて後に、更に言葉を続けて、釈尊に向つて言はれました。  見惑と思惑  『偉い人の言はれることを守つて、それによつて自分の心をよくしやうとする人、それから自分の力によりて自分一人で証《さとり》を開かうとする人は、精進努力の結果、見惑と思惑とを断ちて煩悩を少なくすることが出来るでありませう。しかしながら無明といふものを断つことが出来ないために法といふものを充分に知ることが出来ませぬ。法といふものを充分に知ることが出来ぬために結局、断つべきものを断つことが出来ないのであります。それ故に本当の証《さとり》といふものが開けるのではない、ただ涅槃といふものの一部分を得たに過ぎないのであります。これに反して、すべての苦しみといふものをよく知つて、その苦しみの本であるところの一切の煩悩といふものを断ちて、さうして道を修めるといふことになれば証を開くことが出来るのであります』と言はれました。自分の心が悪るいからと気がついてその悪るい心を善くしやう、自分の心がムシヤクシヤして困るから、このムシヤクシヤした心持を直さうと、一生懸命に努力しやうとする。固より努力の結果としてその悪るい心、ムシヤクシヤした心は善くなることはありませう。しかしながら善くなつたと言つたところがその場限りのもので、心の本が改らざる以上、その心のあらはれが止むといふことは無い筈であります。海辺に居て波の音がうるさいから、にげて山の中に這入るとすれば、波の音のうるさいことは止むでありませうが、うるさく思ふ心が止まない以上は、山の中に居りても風の音が同じくうるさいことでありませう。  四聖諦  それから勝鬘夫人が言はれるには『あなたのお説きになる苦・集・滅・道の四諦(真理)といふものはただ仏のみがそれを知られまして、さうして無明の殻に覆はれて居る世間の人々に説き示したものでありますが、それを聴くものも容易に合点することが出ないのであります」と言はれました。苦・集・滅・道の四諦につきては釈尊が成道の後、ヴェナーレスにて第一回の説教(転法輪)をせられたときに説かれたところがあります。その時の釈尊の説かれたことは『道を求めるものは二個の極端を避けて中道を進まねばならぬ。二個の極端とは一とつは榮耀榮華の贅澤なる享樂生活で、一とつは身を苦しめる生活である。この兩個の極端なる生活を避けて中道を進むべきである』ということでありまして、その中道を進むということにつきて更に四個の聖諦(真理)が説かれたのであります。  苦諦  四個の聖諦(真理)の第一は苦諦であります。人生に目がさめて、自己の精神生活を見つめたるときには、一切が苦であるということを知るべきであります。生れること。苦であります。老ゆるといふことも苦であります。病むことも苦であります。死ぬるといふことも苦であります。愛せざるものに會ふことも苦であります。愛するものと別れねばならぬことも苦であります。求むるところのものが得られざることも苦であります。すべて我々の身体のはたらきによりてあらはれるのは皆苦であります。まことに苦は人生の真実の相でありますから、我々は反省してその苦の相を明かに知らねばならぬのであります。人生の相を苦であると知るときに道を求むるといふことが現はれるのであります。  集諦  かやうに、人生の真の相は苦でありますが、しからばその苦は如何なる原因によりて起るものでありませうか。それが我々を試練するために与へたるのであると考へるのは釈尊当時の人々の間に行はれた説でありましたが、それは愚なる考であります。苦は人間の運命であると考へることはあまりに捨鉢であります。釈尊はこの苦の原因を自己の心の内に求め、一切の苦は渇愛と執著の心とによるものであると説かれました。渇愛といふのは願ひ求むる欲望でありまして、執著とは既に得たるものを失なふことのないやうにとの心であります。この渇愛と執著とが我々に苦悩を与えるものでありますから、それが集めて苦を作るものであるといふ意味で、集諦と名づけられるのであります。  滅諦  人生の相が苦であると知り、又その原因が我々の心の内にあることを知れば、更に進みてその原因たるところの渇愛と執著とを滅ぼすことの大切であることが知られるのであります。通俗の言葉にて言へば渇愛・執著等不合理の欲望を滅ぼすことであります。これを滅諦といふのであります。さうしてさういふ境地は涅槃でありますから、滅諦といふのは涅槃に至りて感情の平和なる世界に住むことをいふのである。  道諦  しからば如何にして渇愛と執著とを滅ぼして涅槃に至るべきかといふに、それは八正道を歩むことによつて達せられると釈尊は説かれるのであります。それが道諦でありまして、正しい道を修めて精進努力するところに滅諦が成就するものであるといはれるのであります。この四個の聖諦は釈尊の教の心体でありまして、釈尊の教はこの四個聖諦を基礎として立てられたものであります。  仏性(上)  勝鬘夫人は更に釈尊に向いて『苦・集・滅・道の四聖諦は仏を除ぃた他の人々には知られるものではありませぬ。ただ仏のみそれを知つて世の人々に説き示したまふのであるが、その義理が深く細かいので、世の人々はそれを信ずることが六ヶ敷のであります。それは何故かというと奥深い仏性を説かれるからであります』と言つて仏性のことに就て話されました。それに拠ると『仏性とは仏となるべき力で、本から人々に具はつて居るところの本性である。それは仏より外のものにはわからぬのでありますのに、その処に四聖諦が説かれるから人々にわからぬのであります』『智慧のある人々は四聖諦の説を聞いて、他の事柄に就て、苦を知り、その原因を断ち、滅をさとり、道を修めるのでありますが、それは智慧に限がありてその事物を究め尽すことは出来ませぬ。自分の心の中に備はれるものとして、苦を知り、その原因を断ち、滅をさとり、道を修めるということになれば一念に一切を具へて居りますから絶対のものであります。しかしながら、この絶対の四諦はただ仏のみの究めたまふところであります』。『如来の法身(真理の根本)は煩悩とまつはりてそれと離れず、不思議の状態にて存在するものでありますが、この如来の法身が煩悩と離れざるところを指して仏性というのであります』  仏性(中)  勝鬘夫人は更に言葉を続けて申されました。『仏性には空と不空との二つの方面がありますが、空に就ていへば仏性はすべての煩悩の中にありながら、煩悩と離れ、煩悩と異なるのであります。不空に就ていへば、仏性は限りない煩悩にまつはりて離れず、異なつて居ない不可思議の法であります。さうして智慧のあるものは、ただこの世の苦である。無常である、空である無我であるなどと考へて空を知ることは出来ますが、不空を知ることが出来ませぬから、真に仏性をさとることは出来ませぬ』『仏性は生死の底に横はつて居ります。生死といふのは機能がなくなつたり、あらはれたりすることであります。この生と死とはそれがそのまま仏性であります。生といふも、この世の言葉だけで感覚のあらはれたのが生であり、それが壊れたのが死であります。さうして仏性には生死がない、常住にして変ることのない不可思議の法であります』。『仏性はもとより清きものでありますが、しかしながらこの清き自性が煩悩に汚されるのであります。さうしてそれを明かに知るのは仏の智慧によるのでありまして、仏より以外の人々にはわかることでありませぬ。』  仏性(下)  釈尊は勝鬘夫人の言葉を聞いて、『まことにあなたの言はれるやうに、自性として清き仏性が煩悩のために汚がされるといふことはまことに知り難いものである』と言はれました。釈尊は更に言葉を続けて、  『しかしながら、このことは勝れたる法を具へたる菩薩のみが聴いて保つことが出来る。その他のものはただ仏の語を信ずるのみである』  と言はれました。さうして、仏の語を信ずるということにつきて、くはしくそれを説明して、次のやうに説かれました。  『もし我が弟子にして、教を信ずるもの、又は信の進めるもの、又は信の心明かにして法の真理に隨ふ智慧を有するものは証《さとり》を開くことであらう。法の真理に隨ふといふは、五官と、意と、その対象たる境界とを考へ、業の力、業の報を考へ、煩悩の根本たる無明を考へることである』  求道者  勝鬘夫人はこの釈尊の言葉を聞いた後に釈尊に向ひて『仏の智慧を得て、奥深い理を會得するものは三種の求道者であります。その第一種のものは自分で深い法の真理を体驗して我物とする人、第二種のものは法の真理に隨ふて智慧を得たる人、第三種のものは深い法の真理を知ることは出来ないが、それは仏の知りたまふところであると知つてただ仰いで仏を信ずる人であります』と言はれました。釈尊はそれを聴いて『あなたは善き方便によりて深い法の真理を護る方である』と賞讃せられたのであります。三種の求道者の中で法の真理を我物とするのは別にして、法の真理に隨ふて智慧を得ること、仰いで仏を信ずることとは、多くの人々が道を求むる手段として、現にあらはれて居るものでありまして、むかしからその甲の方を解信といひ、乙の方を仰信といはれて居るのであります。しかしながら仰信と言つた処で一も二もなく、言はるるが儘を信ずるといふのではなく、法の真理を聞いて、疑はないのでありますから、仰いで信ずるということになりても、自分の真の相を見るといふことが第一であることはいふまでもない次第であります。  業の力  釈尊はこの場合に『法の真理に從ふ』といふ言葉を用ひて居られますが、法の真理に隨ふといふことは、自分の心とその心の対象となるところの一切の事物とを考へ、そこに業の力を知ることに帰著するのであります。業といふことにつきては前にも御話致したことがありますが、自分の思ふことと言ふこと、行ふことのはたらきが集まりて、その善悪ともに結果を自分が受けることを指していふのであります。それ故に今の自分は前の自分の業の結果としてあらはれたるものと考ふべきであります。自分は自分の業の相続者としてここに現はれたるものであるとすべきであります。普通には我々の行為が集まりて業を成すものであると説いてありますけれども、しかしながら業といふものが我々の心を離れて別に存在するのではありませぬ。内省を深くして自分の真の相を見つめるときに、それはどうしても自分の業の結果であると考へねばならぬほどに痛感する心持であります。つまり自分の真の相を見たるときに考へられるところの心持であります。  因縁和合  たとへて申せば、今自分が寒いと感ずるとき、それは自分の業の結果であると言はねばならぬのであります。さう申すと『いやそれは理屈に合はぬことである、寒いのは外界の温度が冷却したのである。それが自分の業の結果であるとは受取られぬと言はれるのでありませう。固より外界の温度が冷却するために寒いといふことを感ずるのでありますが、しかしながら寒いと感ずるのは自分の身体があるためでありまして、自分の身体があるのは全く前の業の結果に外ならぬものであります。業といふことをば他の方面から説明しますと、業といふものは全く因縁和合によりて出来るところの結果に外ならぬものであります。凡そ物事には必ずその本となるところの原因があるもので結果と原因とは密に相関係するものでありますが、その因と縁とはまことに無数のものであります。その無数の因と縁とが集まりて、それが結果をあらはして居るのでありますから、一寸見れば簡単のやうでも、それは中々複雑のものでありますから、我々の心は無数の因縁の集まつたものであると考へねばなりませぬ。それを宗教的に考へて業といふのであります。さうしてさう考へるときに我々は始めて法の真理に隨ふことが出来るのであります。  法に隨ふ  今ここに多勢の御方がお集まりになつて居られますが、皆様は私の講話を聴かうといふ心を起してここにおいでになつたのでありませう。さう考へるとまことに簡単のことで、皆様は御自身の意志によりてここへお集りになつたまででありますが、深く考へて見ますと、あなた方が此席へおいでになるといふ一とつの事実の上にも、因と縁とは無数のものであります。一寸それを数へ上げて見ても第一に日本帝国がありてその国家が平和でなければなりませぬ。今日といふ時日がなくてはなりませぬ。この會場がなくてはなりませぬ。交通の便がなくてはなりませぬ。開會の世話をする人々が無くてはなりませぬ。天気其他の事情が好都合でなくてはなりませぬ。相当の衣服や下駄や草履等が無くてはなりませぬ。それには又多数の人々の努力が存して居るということを考へねばなりませぬ。又あなた方の身体が健康で外出に都合がよくなくてはなりませぬ。それには衣食住を始めとして身体の健康を保つための事柄が十分でなくてはなりませぬが、その奥には無数の人々の努力があるといふことを考へねばなりませぬ。それはただあなた方御自身の方面からのみ見たのでありますが、講話をする私の方面から見ても私がこの講話をするといふ簡単の事実の上に、無数の因縁があるといふことを考へねばなりませぬ。第一に私の身体がなくてはなりませぬ。それには兩親から始めて祖先のことまでをも考へねばなりませぬ。私自身の健康から講話をすることが出来るまでの事情を考へて見ればまことに因縁は無数であります。かやうに表面的に見ればまことに簡単の事実でもその奥にある因縁は無数でありまして、その因縁和合して御出席になつたといふ事実があらはれたのであります。さうすると、それは単純にあなた方の意志によるとのみは申されませぬ。あなた方は無数の因縁のために講話を聴くべくここへおいでになることを余儀なくせしめられたのであると考えるのが正当でありませう。さうしてその無数の因縁はすべて自分に関係するものでありますから、それが自分の業の報であると感ずるところに、我々は得手勝手の考から離れて法の真理に隨ふことが出来るのであります。  業に牽かれる  それ故に、宗教的に深く内省して考へるときは、あなた方はあなた方の業に牽かれて、今この講話の席においでにならねばならぬやうな余儀なき状態になられたのであります。まことに業の力が重大であり。又それが自身の身と口と意とのはたらきの結果であると知るときに我々は業の重いといふことに自身を省みねばならぬのであります。しかるに、それをただ表面的に極めて疎略に考へ、『自分が講話を聴きたいと思ふたからここへ来た』。と考へるときに、ただ得手勝手の考のみが起まして、決して法の真理に隨ふといふことは出来ませぬ。その得手勝手の考を離れて、『業に牽かれてここへ来た』のであると考へるところに、あなた方は業に牽かれて、どうしてもこの講話を聴かねばならぬ余儀なき場合に立ち至つたのであるといふことが感じられ、得手勝手の考から離れられるのであります。あなた方は私の講話でも辛棒して聴かねばならぬやうな業をつくられたので、その業の報として今ここにおいでになつたのでありませう。さう考へるところに我々は何時でも法の真理に隨ふことが出来るのであります。  運  我々人間はどうしても自分勝手の考を起するのでありまして、自分といふものを独立して存在するものやうに考へ、渇愛と執著から離れることが出来ないために他非我是の心はどうしても己むときがないといはねばなりませぬ。「日用心法鈔」といふ昔の本の内に「運」といふことの話が載せてありますが、その文は、  『在家出家儒者神道者上下共に運々といへども運の字の義理を知らず、運とは、はこぶといふことにして過去の善悪によりて、今生の福と禍とを運び出すなり、又今世の仕方によりて其善悪を未来へ運び出すなり、是運の字の義理なり』  運といふものを一とつの大なる權力として、それを心の外に置いて、それによりて自分の他非我是の心を守らうとすることは人々の常でありまして、動もすれば運が善いとか、運が悪るいとかと言ふのであります。しかしながらそれは自分の得手勝手にいふことで、運といふものは全く自分の業の結果と考ふべきものであります。  『然れば運といへば不意に来たやうに思へども左様にあらず、作し置いたることのあらはれ出でたるなら、何に不意に来たといふ義理の字にあらず、皆是我なしたる業の運び出であらはれたといふものなり、一たびなしたる業のむくはずといふことなし、之によりてかりにも悪はすべからず、かりにも善をなすべし、その善悪の出で来るところを運といふなり』  自分の業の結果であれば、自分はその全責任を負はねばならぬこと勿論であります。さうして自分が全責任を負ふところに他非我是の心から離れて、法の真理に陥ることが出来るのであります。  心の声  「やしない草」の中に鮹薬師のことが載せてありますが。それは次の通であります。  『京極の巷に医王堂あり、人これを鮹薬師といふ、耳の通ぜざる憂あるものは石に穴のあきたるを持ち行きて供ふ、乏れ耳の通じがたき事石のごときも能く通ずるやうにと願をかくることなるべし』  病気といふものは苦しみを感ずることが甚しいものでありますから、從つて、得手勝手の考が起ることも多いのであります。石に穴のあきたるものを供へて自分の声のなほるやうにと祈願するなどは其一例であります。  『おもふに耳の通ぜざるに二種あり、一つは天然の声二つは自作の聾なり、彼天然の声といふは或は生れながらにして声、或は疾に侵されて声となる類是なり、これ等は不自由なりといへども、書きて見せしかたすれば通ずるなれば憂ふるに足らず、唯憂ふべきは自作の声なり』  耳の聴えざることは不便でありますが、それはまだよいとして、心の声はまことに憂ふべきものであります。  『人諫るに嘉言善行をもつてすれど、これをはばみて聞かず、或は主君父母用事ありて召せども唯諾せず、その外、我勝手あしければ其命賤しといへどもかぶりをふりて聞かぬなり、これ等は薬師の御手にもなどか及んや、然るに此疾ある人、これを憂ふることを知らずして偶ま逆上などして少しく耳遠くなればはや不自由なりとて、或は服薬し、或は薬師に願をかけなどす、形の不自由あることを知れども心の不自由なることを知らぬこそ愚といふべし』  他非我是の得手勝手の心は即ち心の声であるということを説いたのであります。これは昔の心学一派の言ひ方ですが、自分の心を省みて得手勝手を離れねばならぬといふことは宗教的に説く所と同じことであります。  心の内へ  『やしなひ草』の記事の後に狂歌が載せてあります。  何ほどの薬師の慈悲も及ぶまじ       我といさめをきかぬ聾は  直にきく薬ぞ我に立かへれ       ただ一言の人のいさめを  内省の極めて必要であるということを示したものであります。自分の心を外へ外へとはたらかすときには、それは何時でも得手勝手になるものであります。宗教といふ心持はそれに反して自分の心を内へ内へと顧みて行くときにあらはれるものでありまして、決して心の外に何かを求めやうとするものではありませぬ。たとひ心の外に何物かがありましてもそれによりて自分の心がすくはれるといふことはありませぬ。世の中には自分の心の外に神や仏などを見出してそれに信頼し、それに祈願し、それによりて自分の心を安らかにしやうとつとむる人があります。又さういふことを宗教であると考へる人もあるやうでありますが、私が前から度々申し上げたやうに真実の宗教といふものは決してさういふ心持を指していたのではありませぬ。常識で考へて明かなることでありますが、さういふ風に自分の心をその儘にして、自分の望むところのものを神仏に祈願して成就して貰ふといふことは得手勝手の甚しいものでありまして、さういふ目的が達せられるといふことは考へられぬことであります。自分の心を外方へとはたらかして、それが不満足を感じたるときにそれを満足せしめるやうに計らひ、又はそれが悪るいと感じたるときに外面からそれを、かくさうとすることを宗教といふべきではありませぬ。さういふことは全く他非我是の心でありましてその心を離れたるときにあらはれて来るところの感情によりて始めて宗教はあらはれるものであります。  浄念房(一)  しかし江州の坂本に浄念房といふ人が居りましたが、この浄念房は宗教の心持のよくあらはれた坊様でありました。方々の家へいつてお経を読むのが常でありました。ある日ある金持の所に行つて御経を読みましたが、その日は親の月忌日であるのでその家の主人は布施を上げる積で錢二百文を包むで仏壇の側に置いた。浄念房は仏壇の前で何時もの通ほりに御経を読むで帰りました。後で浄念房に渡さうと思つて包むで置いた錢二百文が見当らぬので、主人は不審を起し、たれか錢の包みを浄念房に渡して呉れたかと聞いた。ところがだれも皆忘れてそれを渡したものはなかつた。そこで主人は大に腹を立て、これは必定あの坊主が持つて行つたに相違ない、遺らうとも言はないものを案内なしに持つて帰るということは不都合だ、全く泥棒だ、急いで浄念房の所へ使を遣はして、『今朝仏壇の側に置いてあつたの包を持つて帰つたのであるか』と談判して来るやうにと命じた。昔から七たび尋ねて人を疑へといふことがありますが、しかしながら我是他非の心持の人々は尋ねて後に疑ふのではなく、疑ふて尋ねるのであります。自分は善くて他人が悪るいといふ考へを持つて居るのでありますから、何か無くなつたら直ぐに他人を疑ふのであります。  浄念房(二)  主人の命を承けた使のものは浄念房の所へいつて、その旨を話したところが浄念房はそれを聞いて何とも言はず、少し待つて下さいと言つて自分が寝る部屋に入つて、二百文の錢を持つて来て紙に包むで笑いながらこれを持つて帰つて呉れと言つた。使のものは此を持つて主人の家に帰つて、主人に渡した。主人はそれを見て『果してあの坊主が取つたのであつた。殊勝な坊主と思つて毎月御経を読むで貰つて居つたが、あれは泥坊であつた。以後あの坊主を寄せつけてはならぬ』と威張つたのであります。さうすると、その時座敷を掃いて居つたものが、ここに錢の包みがありましたと言つて主人に渡した、これは不思議と主人が取つて見ると、それは自分が今朝こしらへて置いた錢をしらべて見ると、これは綺麗な錢で全く別のものでありました。そこで主人は使のものを呼んで、『浄念房が何と言つてこの錢を返したか』と聞くと『何とも言はずただ笑いながら錢をかへしました』と使のものが答へました。主人はますます不思議でありますから浄念房から返した錢二百文と、自分が包むで置いた錢二百文と合せて四百文を持つて浄念房の所へ往つて、先づ浄念房に向つて『今月は親の月忌日であるから布施を上げやうと考へて錢二百文を紙に包むで仏壇の側へ置いたが、あなたはそれを取つたか』と聞きました。そこで浄念房は『旦那から頂かないものを私は持つて帰りは致しませぬ』と言いました。さうすると主人は『それなれば私の方から使のものを寄越したときに何故二百文の錢をかへされたか』と詰問しました。そこで浄念房が言ふやう『使のものが申すに、旦那が殊の外、腹を立てて瞋恚の焔を燃やして居られる、と言はれたので、それで私はその瞋恚の焔をしづめて、さうして悪念を拂ふて、仏縁を結ばうと思つて幸に昨日或家で貰つた錢があつたのをお返したのである』と言ひました。  浄念房(三)  主人は浄念房の言ふことを聞いて大に驚きました。『まことに慈悲の深い、殊勝なお志とも知らず、まことに失体なることを致した、あなたは生き仏であらう、今まで申したことは一切水に流して赦して頂きたい、又これから後は後世のことをお願ひする』と言つて浄念房を拝み、四百文の錢を取り出してそれを浄念房に呈上した。浄念房はそれを聞いて『自分を生き仏と言はれるのは何事か、凡そ世の中に生き仏と言はれるものは釈尊の外には無いということを聞いて居る。又後世を頼むとは何事を言はれるか、釈尊でさへ三世不可得と説かれたものを、まして我々凡夫の身で学問もなく修行もないものがどうして後世の道が知られやう、後世の道がわからぬためにかうして道心を起して坊主になつたのである。自分に後世を知らずして人の後世といふものを受取られることはない、今頃世間には偉い人も隨分多勢居られて、仏道を修行し、自分の後世をも究めたまふた知識達も多いことであるから、さういふ人は人の後世を受け取られることであらう、しかしながら思へばそれさへ心許ない次第であるのに、まして自分のやうな無智文盲の僧侶は座禅三昧の道にも至り難いものであるから、どうすることも出来ない。そこで僧侶となつて心の中にただ阿弥陀仏を修め奉り、他念を起すことなく、穢土を厭い、浄土を欣び、仏の御教に委してただ一向に他力を頼み奉りて名號を唱へれば定めて浄土に往生せむずることと思ふばかりである。後世はただただ銘々の励みで、人頼みにするものでないと聴いて居る。「約束の念仏は申すまでに候よ引かう引かじは弥陀の計ひ」と蓮如上人も詠まれたと聞いて居る、自分達も全くその通ほりである』と言つて大笑をしたと言ふことであります。  浄念房(四)  疑をかけたときには泥棒であつたものが、疑が晴れたときには生仏となつた。しかしながら泥棒と言はれた浄念房も、生仏と言はれた浄念房も、浄念房にはすこしも変りもないのであります。すこしも変りのない浄念房をば自分の都合によりて泥棒としたり、又自分の都合によりて生仏とするのは皆主人の得手勝手の心のはたらきであります。浄念房はそれ故に泥棒と言はれて驚かず、生仏と褒められてもすこしも喜ばないのであります。これが尋常の人であつたならば必ず泥棒と呼ばれて腹を立て、生仏と云はれて大に喜ぶことでありませう。自分は盗まないのである。それは仏の知らし召すところである。しかしながら主人はそれを疑ふて腹を立てて居るのである。弁解しても得心はせぬだらう、默つて錢を返して瞋恚の焔をしづめて仏縁を結ぶ程にしやうとするところに浄念房の宗教の心持は美しいものであります。すなはち自分の愚悪を知るといふことに徹底して居るのであります。自分の愚悪を知るといふことは、これを宗教上の言葉にて言へば自力のはからいをやめるといふことに帰著するのであります。自力のはからひのやみたるときに善し悪しの考が無いのでありますからこれこそ真の愚悪であります。  功利的  誰人ですこしく心を落ちつけて自己の内面を見つめるときには自分が愚かであり、又悪い心に満ちて居るといふことには気がつくことでありませう。ところで仏の慈悲はかやうに愚悪であるものを助けられるのであると聞いて自分は愚悪のものであるから必ず助かると考へたところでそれは畢竟ずるに自分の得手勝手の心でありまして、愚悪なるものが助かると言はれるから自分を愚悪のものとするのでありまして、若し愚悪が助からぬと聞けば愚悪でないと考へる心持であります。それ故に愚悪であるから助かると聞いて自分を愚悪のものとする人々は必ず道徳の教に背くやうなことをしてそれを愚悪の看板とするのであります。これでは宗教にならず、道徳にもならず、浅はかなる自力のはからひによりて自己の滿足を得やうとするばかりであります、これに反して愚悪ではいかぬと聞いて愚悪を離れやうとする人々は自力をはたらかして努力して愚悪を離れやうとするのでありますが、それはどこまでも進むでも人間の道徳でありまして、それによりて宗教の心があらはれることは決して無い筈であります。  愚悪の辨護  たとひ自分が愚悪であると、口で言つても、けれども愚悪は凡夫なるが故に巳むことを得ないと考へたり、なるほどそれは悪るかつた、しかしながら最善をつくしたのだから仕方がないと言つたりするのでありますから、どうしても徹底して愚悪であるということは出来ませぬ。自分が愚悪であると言いながらその自分といふものが「我」でない第三者であることが多いのであります。真に愚悪であるならば、何等善し悪しの判断も出来ぬ筈であり、又一面から見れば一切が悪るい筈であります。しかるにすべてのことにつきて善いと悪るいとの判断をして、しかもそれは自分の都合を基本として他を裁くのでありますから、よろづのことにつきて我是他非の心を離れることが出来ぬのであります。  畜生の徒者  明慧上人といふ御方は華厳宗の高僧で、学徳共に秀でた古今高僧中の第一流に位する人でありますが、この明慧上人の書かれたものの中に次のやうなことがあります。  『我常に志ある人に対していふ、仏になりて何かせむ、道を成しても何かはせむ、一切求め心を捨てて徒者になり返りて、兎も角も私にあてかうことなくして飢来れば食し寒来れば被るばかりにて一生果てたまはば大地をば打ちはづすとも道を打ちはづすことはあるまじと申すを』  愚悪の自分をよく知れといはれるのであります。求め心を捨てていたずらものになれといはれるのは兎角のはからいをやめろと言はれるのであります。  『傍に人聞きて、宿は徒者になりたるが善きことござんなれと、我の左様にならむと思ひて、飽まで食し、飽まで眠り、或は雑念に引かれて時を移し、或は雑念を述べて日を暮し、衆のため墓なき益をもなさず、寺のため扶けにならぬ、明ぬ暮ぬと過ぎ行きて、我こそ何もせずして徒者になりぬと思はば、これは畜生の徒者になり返りたり、是の如くなれば必定して地獄の数となりぬべし』  いたづらものといふても、道徳に背き、人間の人間たる道をつくさずともよいと言ふのではありませぬ。かういふことはどうしても愚悪の内省が十分でないために起る誤りであります。  他人の非  明慧上人は又人の非を言はぬやうにすることに就て次のやうに言つて居られます。  『人の非を心に思ひ、口に言ふて人の生涯を失はむことを顧みず、人の恥辱たるべきことを顕はす、これ何の科ぞや、人の非あらば其人の非なるべし、然るを傍にて言へばやがて我身の罪となるなり、詮なきことなり』  これは道徳の教として説かれたることでありますが、他人の非を挙げるといふことは、我是他非の心のあらはれでありますから、その奥には宗教の心のはたらきがあることも、察せられるのであります。それで明慧上人は、  『若し世のため、法のためならば諸仏諸神世にまします、その誠にまかすべし、敢て我と心を発していふことなかるべし』  と説いて居られるのであります。結局仏教でいふところの「無我」であることを要する、我是他非の心をあらはす「我」を捨てるところに何時でも宗教はあらはれるものであります。  堪忍(一)  今から百余年も前に出来た「提燈灯」と題せる書物の中に堪忍のことについていろいろ面白いことが書いてありますが、古い書物は禅宗の僧侶が著はしたので、その最初に問ふて曰く、此方より腹を立てねども向ふより無理非道をいひかけた時どう堪忍しませう。  これはよく人のいふことであります。こちらから腹を立てまいとして、向ふの方から無理非道のことを言つて来るから腹が立つのである。それをどうして堪忍することが出来るかといふ質問であります。  答へて曰く、向ふよりいふことが無理非道と知れば腹は立たぬ筈、こなたの我慢の身びいきがそこへ出てはやそれに取りついて了簡ならぬなどといふは大なる誤であるまいか、兎角身びいきして堪忍せず、向ふの無理にこなたの腹立を調合していよいよ無理算段になり、終には其身も無理の同行となつて、無分別の我儘のと人にうとまれくらさうよりは五度七度無理をいひかけても取あはず、こなたの腹立を調合さへせねば、終には無理もつきはてて道理の人となるのでござる。  理屈は如何にもそうであります。向ふの方が無理非道であると、知つて居れば腹の立つ筈はない、然るに向ふの無理非道にこちらの立腹を調合するからますます迷ひが深くなるのであります。それで結局、こちらも無理非道の同行となり、向ふが無理非道といふものが遂に自分も無理非道になつて仕舞ふのであると説くのであります。  堪忍(二)  問ふて曰く、おぼへなきに打擲にあふたとき、これ堪忍しませうか。  答へて曰く、こなたが意趣をうくる覚さへなければみだりに打擲する人もなきものでござる、若し無法者ありて覚へなきに打擲し悪口雑言いふとても、これまた出あふたが、こなたのふせう、兎角相手にならずあやまつて居さしやれ、人は萬物の靈此上もなき大切なものを打擲してたのしむものは狂気の人じや、気ちがひを相手にして腹を立て修羅になる、たとへ勝つてから気ちがひ相手で、手がらにもならず道ある人がほめもしませぬ。たとへば町中で人あやまりて水をかけることが間々あることでござる、幾筋もある道を水をかける所を通ほりかかりますは水をかかる時節で向ふが待つて居てかけたのではござらぬ。若しまた途中で大雨降りあたまよりぬるるとて天をにらみ雨を怒かりませうか、雨具をもたぬが手前のあやまりでござる。石でも投げかけたのならば腹をたてませうが、山より自然と大石が落ちかかり怪我をしたとて石をとらへて怒りませうか。  堪忍(三)  問うて曰く、親を殺され主人をうたれたとき、堪忍のしやうがござるか。  答へて曰く、故なく親主人をうたれましたら、侍なればそのかたきを取まする、町人ならば御上よりかたきは取てくださる、……これは相手のあることじやが、若し途中で雷が落ちかかり死ましたらその一門一家督をとらへ敵と怒り腹立てませうか、舟にて死したる人、海を敵と怒り難風をののしりませうか、かくの如き果敢なき、今ありて今なきかすかなる夢の世に有ながら樣々に迷い、念より念を起し、かなはぬことを神仏に祈りをかけ勝手ばかりをいひたて、欲より欲に身を苦しめ一日安心することなく向ふ人に恨をふくみ悪道へおち入ること親へは不幸君には不忠かぞへがたき無分別にあらずや。  堪忍(四)  問うて曰く、伜が不孝故勘当せうと思ひますが、堪忍の修行で孝行になりませうか。  答へて曰く、それは子の不孝ではござらぬ、こなたが教へて不孝にしられるのでござらぬ、なぜといはしやれ、人は萬物の霊、神仏の相にして生れし所は聖人にもなるべきものでござる、それ故孟子も性は善なりといはれました、こなたが寵愛すぎておさなき時より身分にすぎたおごりを教へ、家内でも堪忍の法をたもつ人なく、いささかにも我慢の身びいきして無分別を見ならはせ聞ならはせたとがでござる、……子の不幸もこなたの誤でござるほどに勘当せうより、こなたが今日よりあらためて身びいきを取てのけ一切事を平等に堪忍の法を修行さしやれ。  堪忍(五)  問うて曰く、母と女房が中が悪うござる故離縁せうと思ひまするが、これ堪忍でむつまじうなりませうか。  答へて曰く、これはきついはぢなことでござる、母女房が其様に愚痴になるといふはこなたの行がわるいからでござる、そのわけを言いませう。女房がこなたの所へこぬさきに母と中わるくせうとたくらんではきませず、母も亦嫁が来たら喧嘩せうと思ふては居りませねども、こなたの不孝さを女房が見ならひ、母もこなたが孝行にない故、不足の心から其様に愚痴になります、すりや女房の不孝も、母の愚痴も皆こなたの誤でござる。  堪忍(六)  かういふやうな教は全く道徳の教でありまして、「我」といふものが身びいきで頭を上げるのを押へつけるやうにしやうとつとむるのであります。人が石を投げかけた為めに怪我をしたとすると、腹が立ちませう、しかるに山から石が落ちかかつて怪我をしてもそれは天災であるとあきらめることが出来ませう。それ故に、人が石を投げた場合でも山から石が落ちたのであると思へば腹の立つことは無いと教へるのであります。教へとしては道理至極のことでありますが、しかしながら大抵の人は、人が石を投げかけたのを、山から石が落ちたのと同じやうに考へることは出来ませぬ。まことに道徳の教といふものは知ることが容易でありますが、それを実行することは決して容易でありませぬ。このことは昔から人々のよく知つて居つた事実でありまして、諺にも『論語よみの論語知らず』といふことがあります。「論語」を読むでその文字の意味を知ることは容易に出来ますけれども、さてその意味の通ほりのことを実行するといふことになると到底出来ないことが多くあります。それ故に「論語」は読むでも「論語」は知らぬといはなければならぬことになるのであります。  道徳の徹底  前にも巳にお話致したやうに、我々が何等かの行為をするといふことには、それをすることが心持のよいといふ感情を伴なはなければなりませぬ。それ故に、人に石を投げかけられて心持の善いといふ感情が起るとすれば腹が立つことはありますまいが、大抵の人はさういふ場合には不快の感情を起すのでありますから、どうしても腹は立つのであります。それを災難と諦めて我慢しやうとするのは全く道徳的の考で、「我」といふものを押へつけるのでありまして、それによりて安心立命が出来るのではありませぬ。どうしてもこの道徳の心持から今一層進歩して宗教の心持にまで到らねば精神の平和を得ることは出来ませぬ。かやうにして宗教は道徳の不徹底なることに気がつくによりて促がされる。内省の段段と進歩するによりて遂に到達すべき境地であるといふことが出来ます。從て道徳の徹底は宗教のはたらきによりて始めて成就するものであると言ふことが出来るのであります。  道徳といふものは「つとめてこれを為す』ものでありますが、宗教では、『どうしてもさうせねば気がすまぬ』といふ心持になるのであります。  我を捨つ  芸州の広島に風律といふ俳諧師が居りました。芭蕉の門人の野坡を師として関西では可なり高名の人で、識見もあつた人でありますが、「世捨人に戲る辞」といふ戲文を造つて居ります。その全文は次の通であります。  『市朝を去りて山林に住む人の世を捨てたりと思ふは大なる誤なり。身山林に入るときは世も亦これに從ふ、きのふは市朝の人、今日は山林の人にして其名のかはりたるまでなりさらに捨たる話なし』  自分の心にて自分が造り出したる世界はどこまでも自分につき從ふたのでありますから、町を厭ふて山に這入つたからとて世を捨てたということは出来ませぬ。  『西行法師は官を捨てて歌仙と変じ、遍昭は苔の衣よとよみ玉へど僧正の號は捨玉はず、法然上人の捨ものは日蓮聖人の拾ひものなり、捨子は人となりて父を慕ひ、筆捨松はすてぬさきより其名は十倍せり、むかし金は身の後の害なりとて、北海に捨たる人あり、又これを拾ふ人あり、拾ひて貧民に与へ、一村大に潤ふ、捨るにも益あり、拾ふにも益あり、ただおのれおのれが物好にして、捨たる詮は更になし、世を捨て身を捨てんよりは唯我を捨つべし』  世を捨てると言つたところが、心が捨てられない以上は何の詮もないことであります。  『我なきときは天下に敵なし、我ある時は我一人なり、天下の人にからまる、聖人には我なし、都には都を行ひ、鄙には鄙を行ふ、貧しき時は貧しきなり、富めるときは富めるなり、戦場に向ひては馬を飛ばし、家にありては算盤をはぢく、鍬をとりては畠に打ち込み、?を取りては天下を治む、汝元来我なし、かの小児を見ずや、痛ければ泣き嬉しければ笑ふ、あら玉の年を重ねて、我といふものをこしらへ、はてはこしらへたる我に持ちあぐむこと迷惑なれ、かかる不自由不自在の境目をせざらんよりは速かに我を捨てて自由自在の場所に住むべし、捨てる神あれば拾ふ神ありといへど、我を捨てるときは拾ふ神更になし、寶暦二年十一月風律』  戯れに造つた文章でありますが『我を捨てる』といふことにつきては宗教的に徹底した考を言ひあらはして居ります。世といふも、身といふも、皆これ心からして造られるものでありますから、世を捨てると言つたところで、その世を造り出すところの心を捨てなければ何の甲斐もないことであります。さうしてこの「我」を捨てるときに宗教といふものが始めてあらはれるのであります。  直心房  むかし美濃の国に一人の坊さんが居りましたが、この坊さんは村落を廻けつて人のために仕事をして居りました。その志が殊勝なので人々は我も我もとその坊さんを傭つて仕事をして貰つて居りました。ところがこの坊さんは一箇所で二三日続けて仕事をしてから、他の処へ転じ、一箇所に長く居ないで、すぐに何処かに行つて仕舞ふのであります。その性質が正直なのでこれに正直坊又は直心房といふ綽名をつけてその綽名で通ほつて居りました。五年ばかり経て後に、或日のこと、直心房は居なくなりました。影も形も見えなくなりました。そこで村の人々が方々を尋ねました所が、或る山の麓に、ちやんと坐つて、西の方を向て手を合せて死亡して居りました。その側の木に書きつけがしてありました。その書き附は『保延二年十月十五日ゆがみ坊まがりながら往生す』とありました。周囲の人々は正直房とか直心房とか綽名して居つたのでありますが、本人はゆがみ房と言つて居ります。そのゆがみ房がまがりながらに往生すと書き附けてあつたのであります。さうしてその側には帷衣《かたびら》が一とつと笠が一とつ置いてあつた。これが直心房の一生の財産でありました。この坊さまは日頃から無欲であり正直であると人々から信頼せられた人でありますが本人はその無欲と正直とをたのみとせず、ゆがみ房まがりながらに往生すと書いたのは、いかにも善く「我」といふものに執著する心から離れて、釈尊が言はれるところの因縁の法に順応したものであるといはねばなりませぬ。  無我の心持  直心房の如きはまことによく釈尊の因縁の法の真の意味を理解したものであると言ふベきでありませう。一切の法は因縁によつて生ずるといふことをよく理解すれば「我」といふ仮の相に執著することなく、無我の心持になることが出来るのであります。無我の心持になりて、自身を見れば実に自身は罪悪生死の凡夫であります。煩悩具足のゆがみ房であります。他の人から見れば正直・無欲のものでも本人は罪悪深重。煩悩具足と信知するのであります。さういふ内省の極致に達して始めて、まがりながらに往生すと安心する事が出来るのであります。仏の慈悲によりて自分の心を善くして頂かうと努力するところに、我の内観は出来ずして、「我」といふものをその儘にして仏の慈悲にすがらうとするのでありますから、若し喜びの心が起きたとすればそれはそのことが自分の都合に叶つたときであります。固より無我の心持ではありませぬから、どうしても功利的の考を離るることは出来ぬのであります。  盤珪禪師  元禄の頃、播州の潮干に盤珪禅師といふ禅宗の大徳が居られました。方々を巡回して仏教の講話をして居られたのでありますがある年伊予の大洲で、講話をして居られたときのことであります。その講話會場の近処のものでそこから一里あまり隔つた村落の某家へ嫁にいつた女子がありました。その女子がどういふ訳か夫や姑と喧嘩をして、腹立ちまぎれに悪口雑言をしてその家を退き、急いで我が家へと帰る途中盤珪禅師の講話の會場の前まで来ましたところが多くの人々が集まつて禅師の講話を聴いて居るのを見て、何事かと思ひふとその講話を聴いて見やうとする心が起り、席に上つて聴聞したところが、それが、『身びいきのために迷の心が起る、お互に得て勝手の心を振りまわすによつて世の中の騒動が起る』という意味の講話であつたので彼の女子は身にしみじみと、聴き取つて内省することが出来ました。講話がすんでからその席に居つた自家の近隣の人々に挨拶をしました。ところが近隣の人々はどうしてここへ參られたかと聞くので、彼の女子は事の始末をかくさずに話をしてさていふやう『元来私はこれまでも寺へ參つたこともない、法話を聴く気も起らなかつたのに、今日夫婦喧嘩をして自家へ帰る途中、講話會場の前まで来て、ふと法話を聴かうといふ心持になつたのは実に不思議である、それに禅師のお話が私の一身のお話であつたのに驚き、身びいきが我身に迷の種であると聴いて私は真に悪るかつたことを知りました。これから直ぐに引返して私の夫や姑に謝罪しやうと思います』といふのを近隣の人々が、口を出して『一と先づあなたのお内へお帰りなさい、喧嘩をして逃げて来たのであるから、都合によつては私等が附添つていつて謝罪して上げてもよろしいから』と言ふのを彼の女子は『どう致しまして、私が悪るかつたといふことを私が知つたのでありますから、私が私の罪を謝するのが当然であります』と言つて、近隣の人々の止めるのも聞かず、その場より直ぐに嫁入先の家へ引き返しそのことの次第を話して姑や夫にわびをしました。夫や姑は固より追い出した訳ではなく、嫁の方が腹を立て飛び出したのでありますから、その謝罪の言を聞いて快く承諾しました。それから嫁のすすめによりて親子三人打ち揃つて日々盤珪禅師の講話會場に赴きてその法話を聴くやうになつて一家歓喜の生活をするやうになつたといふことであります。  我想を離る  盤珪禅師が身びいきといはれるのは全く我想といふものに本づいて起るところの得手勝手の心であります。この身びいきの心を離れない限りは、いかなることでも皆、自身を中心として、気に入るやうにつとめるのでありますから、萬事が得手勝手であります。それ故にたとい言ふことは正しくて、それを聴くものが真実にそれに応ぜないのであります。これは言ふものが我想を離れないから聴くものも亦我想を離れないためでありまして世の中の人々の心は皆この通りであります。しかるに彼の女子は盤珪禅師の法話を聴いて内省したる結果身びいきが迷の本であるといふことを知つたので、我想を離るることが出来たのであります。さうして我想を離れたる彼の女子の謝罪は姑や夫の心を動かして我想から離れしめたのであります。我想を離れたる所には何時も歓喜の感情があらはれるのでありますから、一切を包容することが出来るのであります。腹立ち紛れに悪口雑言をしてまで退却した女子が、その怨敵と考へた夫や姑をも包容してそれと親しむことが出来るのであります。悪口雑言せられたる夫や姑も彼の女子の罪を許してこれを舊の如くに一家の内に包容することが出来るのであります。宗教といはれる心のはたらきは全くかういう意義を持つて居るものであります。  慧心僧都  慧心僧都は浄土真宗の七高僧の中の一人で、天台宗から出でられた高僧であります。その名を源信和尚と申して叡山に居られて念仏の教を唱道せられたのであります。大和の国の当麻の生れで、七つの時に父親に別れ、母親一人で育て上げられたのでありますが、此お母さんも偉い人でありました。父の遺命もありましたので小児の時から叡山に登ぼり横川の良源和尚に就て仏道を修行せられました。ところが生つき頴才の人であるのに辛苦勵精の功があらはれて、その名声が四方に轟くやうになり、朝廷へ召されて度々恩賜の光榮に溶せられました。そこで朝廷から拝領した御衣を揃へてお母様の許へ贈られたところが、お母様の言はれるやう『贈らるる志はうれしいが、山林苦行こそ元より我が願ふところである。法師の子を持てば後世までもたのしと思つたのに、愚なる女人に信施物を贈つて、地獄の業を重ねさしたまふことは夢にも思はなかつたと言つて、さめざめと泣かれました。慧心僧都は本より偉い人でありましたからこのお母様の言葉に驚きて、自身の心の相をみつめて、ますます努力せられたといふことであります。  空也上人  この頃、空也上人と申して念仏の法門を以て有名の高僧が居られました。慧心僧都はあるとき、この空也上人に面會して『自分は極樂を願ふ心が深かうございますが往生は出来るるのでありませうか』と聞かれました。ところが空也上人はそれに答へて『自分は無智のものでありますから、さういふことを説き明かすことは出来ませぬ、しかし智者の申されたことを聞いて考へて見るに往生は必ず出来ることに思ひます』と言はれました。慧心僧都はそれを聞いて涙を流し、掌を合せて帰りたまふたといふことであります。慧心僧都が後に著はされた「往生要集」はこの空也上人の言葉に動かされて書かれたものと認むべき点があります。  横川法語  「往生要集」は漢文にて書かれた大部の書物であるが、その要旨は次の仮名書きの法語に尽きて居ります。  夫れ一切衆生三悪道をのがれて人間に生ること大なるよろこびなり、身はいやしくとも畜生におとらむや家まづしくとも餓鬼にはまさるべし、心に思ふことかなはずとも地獄の苦しみにはくらぶべからず、世のすみうきはいとふたよりなり、人かずならぬ身のいやしさに菩提を願ふしるべなり、このゆゑに人間に生ることを悦ぶべし、信心あさくとも本願ふかきが故に、頼めば必ず往生す、念仏もうしけれども唱ふれば定めて来迎にあづかる。功徳莫大なり。この故に本願にあふことをよろこぶべし。又妄念はもとより凡夫の地体なり妄念の外に別の心もなきなり、臨終の時までは一向に妄念の凡夫にてあるべきぞと心得て念仏すれば来迎にあづかりて蓮臺にのるときこそ妄念をひるがへしてさとりの心とはなれ、妄念の中より申し出したる念仏は濁にしまぬ蓮のごとくにして決定往生うたがひあるべからず、妄念をいとはずして信心のあさきをなげき、こころざしをふかくして常に名號を唱ふべし。  この法語は本より専門的の用語を使つてありますから、説明をせねばわからぬ点もありませうが、さういふことは今の問題でなく、今ここに問題とすることはこの法語の全体が自身の心の相を内観して、よしあしのはからひを離れることが出来るまでに至ればそこに仏の本願に遇ふといふ喜びの心(すなはち宗教の心のはたらき)がたちまちにしてあらはれるといふことを申されたことが明かであります。  往生要集  慧心僧都が著はされた書物に、「往生要集」と題するのがありまして、有名なものであります。この「往生要集」の最初の処に、この書を著はされた要旨が書いてありますが、それは、次の通であります。本とは漢文でありますが、仮名交りに訳しますと  『夫れ極樂に往生するの執行は濁世末代の目足なり、道俗貴賤誰か躬せざらむ、ただし顛密の教法、其文一に非ず、事理業因其行催れ多し、利智精進の人は未だ難しとなさず、余が如き頑魯のものは豈敢てせむ、この故に念仏の一門に依る』  とあります。往生極樂の教行には顕密二宗が行はれて居るから、智慧がありて精進する人には敢て難事ではないが、自分のやうに頑魯のものには、それが出来ぬから念仏の一門によるの外はないと言はれるのであります。かういふ意味からして、この書は経論の中から往生に関する要文を集められたのでありまして、その内容を十門に別ち、第一に厭離穢土といふ部門が、挙げてあります。  厭離穢土  厭離穢土とは汚穢の国土を厭ひ離れるといふ意味で、次のやうに説明してあります。  『第一厭離穢土とは、夫れ三界は安きことなし、最も厭離すべし、今この相を明にせば総て七種なり、一に地獄、二に餓鬼、三に畜生、四に阿修羅、五に人、六に天、七に総結』  かういふ風に厭離穢土といふことが説明せられて居るのであります。元来、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天は六道又は六趣と言はれ、生死展転相通ずるものであり、又罪悪の衆生が死して趣くところであるとせられて居るのであります。慧心僧都はこの六道を穢土の相としてそれを厭ひ離るべきことを第一にすすめられるのであります。  地獄(一)  恵心僧都は、仏教のお経の中から地獄に関する説明を、拔き出して、種々の地獄の相を記載して居られるのであります。それを見ますと、地獄には八つの種類があります。その一は等活地獄、二に黒縄地獄、三は衆合地獄、四は叫喚地獄、五は大叫喚地獄、六は焦熱地獄、七は大焦熱地獄、八は無間地獄であります。  第一の等活地獄というのは殺生したもの、貪欲のもの、人を悩したものが墜つる所であります。この中に居る罪人は互に常に害心を懐き相遇ふときは鐵爪を以て互に掻き破り、肉も血も尽きて骨が残るばかりである。さうすると涼風が吹き来ると、それが再び活き返りて前の如くに苦を受けるのであります。  第二の黒縄地獄というのは殺生、偸盗の罪を犯したものが墜つるところであります。この地獄にありては獄卒が罪人を執りて熱鐵地に臥さしめ、熱鐵の縄を以て縦横に身をしばり熱鐵の斧を以て繩に隨て切割し、又は鋸を以て引き切り、或は刀にて屠る。又は熱鐵の縄を無数に懸けて罪人をしてその中を走らしめる。又は左右に大鐵山ありて、その山の上に鐵憧を建て、憧の頭に鐵縄を張り罪人をしてその縄の上を行かしめる。縄の下には熱鐵がありて、罪人はそれに落ちて摧けて煮られる。  地獄(二)  第三の衆合地獄といふは殺生、偸盗、邪淫の罪を犯すものが墜つるところであります。前の方に鐵山がありて兩山が相対して居る。牛頭馬頭等の獄卒が手に器杖を執りて罪人を驅て山の間に入らしめる。この時兩山が迫り来りて罪人は押し潰される。又鐵山が空から落ち来りて罪人を碎き潰ぶす。或は罪人を石の上に置き大巖石を以てこれを押しつぶす。或は鐵臼に入れ鐵桿を以て之れを搗く。さうすると極悪の鬼までが来てこれを喰ふ。又は火の河し中に投げ入れられる。  第四の叫喚地獄といふは殺生、偸盗、邪淫、飲酒の戒を犯すものが墜つるところであります。この地獄の獄卒は頸が黄色で、眼の中から火を出し、赫色の衣を著け、手足が長大で疾走すること風の如くである。罪人が哀願するをも聴かず、鐵棒を以て頭を打ち、又は熱鐵の地を走らしめ、又は熱釜の中に入れて煮る。又は猛炎の鐵室の内に入れる。或は鉗子にて口を開き熱銅液を注ぎ入れて五蔵を焼爛せしめる。  第五の大叫喚地獄というは殺生、偸盗、邪淫、飲酒、妄語の戒を犯すものが墜るところであります。熱鐵の針を口に刺して啼哭することが出来ぬやうにして前のやうに苦しめる。又獄卒が熱鐵の鉗子にて舌を拔き出す。これは妄語の果報であると呵責して、拔きたる舌の跡にまた舌が生ずる。又それを抜く。  地獄(三)  第六の焦熱地獄といふは殺生、偸盗、邪淫、飲酒、妄語、邪見のものが墜つるところであります。獄卒が罪人を熱鐵の上に投げて、大熱鐵棒にて全身を打ち板のやうにする。又は大鐵鍋の上に置きて猛炎にてこれを炙ぶる。又は大鐵串にて身体を貫串し、これを火にて炎ぶる。  第七の大焦熱地獄といふは殺生、偸盗、邪淫、飲酒、安語、邪見のもの、及び浄戒の尼を汚がすものが墜つるところであります。焦熱地獄に比して一切の苦しみが十倍する。  第八の無間地獄は一に阿鼻地獄といふもので、欲界の最底のところにありて、五逆罪を犯し、因果を撥無し、大乗を誹謗するのが墜つるところであります。この地獄の苦しみの相は前の七つの地獄と同じやうでありますが、この苦しみの度は一千倍ほど多いと言はれるのであります。  これは「往生要集」に記載してある地獄の相の大略を挙げたのでありますが、これだけでもまことに身震いのするやうにおそろしい状況があります。  勸善懲悪  そこで、かやうな地獄が果して実際に存在するものであるかといふことが問題になります。悪因があれば悪果があり、善因があれば善果があるということは争はれぬことであるから、悪るいことをすれば地獄に墜つるぞと恐れしめて悪るいことをしないやうに地獄を説くことも必要であるといふ人もあります。地獄の相として説かれるやうなことは実際には無いが、しかしながら無学文盲のものを教導するにはかういふ勘善懲悪の方便も必要であると主張する人もあります。  宗教的意義  しかしながら地獄がこの世界の下方にありて、それに獄卒などが居りて罪人を苦しめるといふやうなことは、無智文盲のものでない限り、それをこの儘の実説として信ずるものはありますまい。今日のやうに科学的智識の進歩したる時代にはさういふことは、荒唐無稽の説として一概に排斥せらるるでありませう。そこで地獄は勧善懲悪の方便の説であるからと言つても、その価値は至つて少ないものでありませう。恵心僧都が説かれたる地獄といふものはさういふ意味の地獄ではなくして、これは言ふまでもなく、宗教的の意義を有するのであります。厭離穢土といふこと説明するに方りて、この穢土の相を説き、その第一に地獄を挙げてあるのでありますから、地獄が穢土の相であるといふことは議論のない筈であります。全体穢土といふことは、浄土に対して言はれるもので、我々凡夫が造りたる世界を指して言はれるのであります。浄土といふは仏が造られる世界で、それに対しで穢土があるのであります。穢れたる土地が巳に有りてその土地に我々が生れたのではなく、我々の穢ない心が穢土をつくるのであります。すはなち穢土といふのは、煎じつめて言へば、我々の心の相であります。我々は我々の心で自身の世界をつくつて、その中に住むで居るのであります。穢士といふものが別に存在するのではありませぬ。現に我々が住むで居る世界が穢土であるといふのは我々の心が穢土であるからであります。さう考へるとき、地獄といふものは全く我々の心の相に外ならぬものであります。我々の心の相が、地獄として説かれるやうな、醜悪のものであることを知ればそれを厭い離れることに心を向けねばなりませぬ。  心の外  地獄を我々自身の心の相として見るときには全く宗教的の意義をあらはするのでありますから、それは決して想像のことではありませぬ。いい加減なことを作り出した架空のものではありませぬ。勸善懲悪のために考へ出したる方便でもありませぬ。全く我々の心の相が、かやうに恐ろしいまでに醜悪のものであると考へねばならぬのであります。しかるにこれを心の外にあるのとして考へるときには第一に地獄といふものが何処にあるかと問はねばなりませぬ、地獄にいつて帰つて来たものが有るのではないから、そんなところが有るか無いかわからぬではないかと言はねばなりませぬ。我々の現在の知識ではこの世界の地の下にそんなところがあるとは信ぜられぬといはねばなりませぬ。  しかしながら、かやうに我々の心の外に地獄があると考へるのは宗教的ではなく、ただ知識の上に属するものであります。宗教の上から見れば、地獄は我々の心の内面の有様であります。親鸞聖人が『何れの行も及びがたき身なればとて地獄は一定すみかぞかし』といはれる心持に外ならぬものであります。  責任を仏に譲る  自分は自分の業の相続者であるから、自分が積むだ業に関しては全責任を負はねばならぬといふことを明かに自覚するときに宗教の感情が起るものであるということは、上段に例話を挙げて申した通ほりでありますが、しかしながら自分が積むだ業に対して自分が責任を負ふといふことは余程深く考へなければその意味がわからぬであらうと思はれます。我々は自分といふものを善いものとしたい心持で居りますからたとい悪るいと自分で承知が出来てもどうしてもその悪るいということを他のものの責任に嫁したいのであります。  それ故に悪るいと考へてもしかしながら人間だから仕方がない、神や仏でない凡夫であるから仕方がないといふやうに悪るいといふことの責任を人間といふものに嫁して仕舞ふとするのであります。そのために我々は苦しみながら免かれることが出来ぬのでありまして、この心持から離れなければ宗教の感情が起ることがない。悪るいことは自分がして、その責任を神や仏に譲るといふことは得手勝手の甚しいものであります。  徒に仏を拝む  宗教を求むる人々の多くが、かやうな心持で、得手勝手に仏をおがみ、自分が造つたところの業の結果を取り除いて貰うとするのはつまり出来ない相談であります。これまで繰返して申したやうに、宗教といはるるものは自分の相に目がさめて、その愚悪が明かに知られたときに心の中から自から湧いて出るところの感情であります。得手勝手の願をかなへて貰ふとして徒らに仏を拝むといふやうなことで湧いて出るところの感情ではありませぬ。自分の愚悪を知りて、どうすることも出来ず、手も足も出ない心の有樣に到達したときに心の中から不思議に湧いて出るところの喜びの感情が宗教といはれるのでありまして喜ばれると考へて喜ばれるものでなく、愉快にならうと思つて愉快になれるものではありませぬ。どうしても自分といふものを内省してその真実の相に当面して、愚悪の自分はどうすることも出来ないことを知つたときに、始めて自分の地位を明かにし、それによつて喜びの心が起るのであります。まことに不可思議の力のあらはれであるといはねばなりませぬ。徒らに仏をおがむだところで、それによりてここにいふやうな宗教の感情が起るものではありませぬ。自分の責任を仏に嫁して仕舞ふといふ得手勝手の望から仏を拝むといふことも結局不可思議の力に頼らうとするのでありますが、しかしながらその不可思議といふのは我々が不可思議と思議するところのもので、我々には思議することの出来ぬところの不可思議ではありませぬから、それによりて宗教の感情が起ることはありませぬ。  愚悪の心  かやうに、我々の心は愚悪のもので、責任を他に嫁することをつとむるものであるといふことを自覚することが大切でありまして、その愚悪の心を除き去るということは問題ではありませぬ。自分が悪るいといふことを知つたならばそれを直さねばならぬといふことは宗教の上で言ふことではありませぬ。してならぬことを故意にするといふことは固より善くないことでありまして、苟《いやしく》も道徳の心のあるものは故意に悪るいことをしないやうにつとめねばならぬのでありますが、持つて生まれたる愚悪の心はそれをどうすることも出来ぬのであります。持つて生まれたる愚悪の心は、どうすることも出来ぬといふことを明かに知つたときに我々は手も足も出ないのであります。しかるにそれをどうにかしやうと努力するのは全く道徳の心持でありまして、その心持は苦しみを増すばかりで決して苦しみから離れる道ではありませぬ。道徳の教は固より人間に必要なものでありまして、世の中を渡つて行く上には大切の教でありますから、ますますそれをつとめねばならぬものであります。しかしながら自分の心ではどうすることも出来ぬところの生れつきの愚悪の心は道徳の教によりては如何ともすることが出来ぬために宗教のはたらきを必要とするのであります。故意に悪るいことをする、わざとすまじきことをするといふことは固より道徳の教によつてこれを正すことが出来るのであります。從つて道徳の教に背きて悪るいことをするといふことは甚だよろしくないことでありますが、我々の心は日常それに背くことが多いのでありますからそれに気がつくと苦しみの心が強くなるのみで道徳の教はその苦しみを除くものではありませぬ。殊に生れつきの愚悪はその真実の相を明にすればするほど道徳でそれを始末することが出来ぬということに気がつくのであります。ここに宗教の必要が起るのでありますから、宗教は道徳のやうに自分の心を善くするやうにつとめやうとするものではありませぬ。  機の深信  自分は正しい道を踏むで居るから自分は善い、しかるに先方は自分に関して理不尽のことをする責任は全く先方に在りと考えるときはどうしても自分の心に苦しみを生ずるのであります。先方の事情を明かにせず無暗に腹を立てたのは自分が悪るかつたと責任を負ふときには自分の心の苦しみは消えるものであります。自己を善しとするところにはどうしても相手を裁いて、何でも相手の方を悪るくしやうとする心持がはたらくのであります。そこで自分の心の相をよく知つて、自分は常に自分を善しとするものであると自覚したときには自分は実に愚悪のものであると認めねばなりませぬ。すなはち自分の責任は自分にこれを負はふとする場合は自分といふものは愚悪であると自から信じたときであります。仏教ではこれを機深信と名づけてあります。機といふのは器のことで仏法を受ける器といふ意味で、すなはち我々自分のことであります。その自分が愚悪であるといふことを知ることを機の深信と名づけるのであります。かやうに我々自分が愚悪のものであると信じたときにはすなはち宗教の感情があらはれるものでありますから、機深信が出来たときには法深信が出来ると説くのであります。自分の愚悪に気がつくときは法の貴さがわかるといふのであります。  法の深信  この法の深信と機の深信とを併せて二種深信と名づけるのでありますが、固より機と法とが互に別れて居るのではありませぬ。機を深く信ずるところに法が深く信ぜられるといふのでありますから、我が機が煩悩具足罪悪深重のものであると信ずる。それがすなはち法の力のあらはれたのであると知るのであります。更に約めて言へば、我々が自分の愚悪を知るといふことはすなはち不可思議の法の力であると信ぜられるのであります。それ故に仏教では機法一体といふ言葉を用いてこの意味を示してあります。機と法とが一体で別々に離れたものであるのならば機法合体といふべきであります。機と法とを別けて言ふのは機と法とを説明するためでありまして、固より別々に離れて居るのではありませぬ。機の自分と法の阿弥陀仏とが別々に離れて居つて、阿弥陀仏をおがむことによつて法が機と合体するのであれば合体であつて、一体ではありませぬ。さうしてさういふやうに機と法とが離れて居るのではそれによりて宗教のはたらきがあらはれることは容易でありませぬ。  二種深信  よく考へて見ますと愚悪といふことは愚悪でないのに対して言はれることでありますから、自分の愚悪がわかるのは愚悪でないものが自分に加はつたからであります。愚悪でないものはすなはち仏でありますから、仏の力によつて自分の愚悪がわかるのであります。自分が自分の愚悪を知るといふことはかやうにして仏の力が外から加はつて来るためであります。これを自分の心の内の方からして言へば、自分が自分の愚悪を知るといふことは外なる仏の力が加はつて来たためであります。機の深信が出来ればすなはち法の深信が出来るといふのは正にこの意味であります。私がこの講話の最初に申したやうに宗教といふものは外なる力を取り入れて自分の力を強くするものでありますが、外なる仏の力が我々の心の内に取り入れられるのは自分が自分といふものの価値を否定したときであります。すなはち自分の愚悪を知りて手も足も出ない場合であります。さういふ場合には我々は常に直ちに仏の慈悲を味ふことが出来るのであります。  妙好人善太郎(一)  むかし石州の有福村に善太郎といふ妙好人が居りました。或時道中のとき、小さい仏樣を首にかけてそれに花を供へてあるいて居つた。さうすると一緒にあるいて居つた或寺の奧さんが梅の花の枝の小さいのを呉れた。善太郎は奥さんに向つてこの花は誰からお貰ひになつたかと聞いた。ところが奥さんは道の傍に咲いて居つたのを折つたのであると言つた。善太郎がいふには梅といふものは実を結ぶのを人が待つて居るのであるからそれをだまつて折り取るといふことはよろしくない必ず主に断つて貰ふやうにしなさいと言つた。  或時或人が有福村の入口に来て善太郎同行のことを聞いた。聞かれたその人が善太郎であつたので善太郎といふのは自分であると答へました。さうするとその人はお前の御住居は何処であるかと聞いた。ところが善太郎が言ふやう、私は家を持ちませぬ、それを聞いて合点が行かぬ、さうすれば誰かの家を借りて住居して居られるのでありますか、と問い返したところが善太郎は私は如来樣の家に置いて貰いますと答へました。その人はこれを聞いて驚いて土の上に手をついて感涙を流したといふことであります。固より自分の家でありませうから自分の家といつてよろしいのでありますが、よく考へて見ればひとり自分の力で造りたものではありませぬ、大工やら、左官やら、屋根屋やら、多くの人々の努力によりて出来上つたものでありますから、如来様の家に置いて貰いますといふのはまことに敬虔の態度であります。自分の愚悪であるということに徹底した人の心持は常にかうであります。  妙好人善太郎(二)  この善太郎が住んで居る近傍に弘法大師の八十八箇所が建立せられて大に繁昌して、そこに大勢の人が参詣することがありました。ある時その八十八箇所に参詣する人々が善太郎の家に宿を求めたところが善太郎は快く承諾してその人々を泊めて遺り、その人々に向ひて弘法大師の御利益よりももつと難有いものがあると言つて、善太郎は自分が予て聴聞したる弥陀教のことを懇々と説き示したのであります、その人々はそれに動かされて八十八箇所へ参ることをやめて念仏の教に入つて大に喜んで家に帰つたといふことであります。人を教へ導かうとする聖者の心持でなく、相共に手を携へて真実の道を進まうとする愚悪の善太郎の言葉に多くの人々が感動したのでありませう。或日の?若いものが善太郎の家の外に干してあつた柿を盗みにやつて来ました。善太郎は家の中でそれを知りて大きな声を出して、『若い衆怪我をせぬやうに取つて御帰りなさい』と言つたので若いものは大に恥ぢ入り柿を盗むことをやめて帰つて仕舞ました。こういふ言葉はさういふ人の心持によつて意味が相違するものでありまして、『取つてはならぬ』という意味を皮肉に言ひあらはしたとも考へられますが、善太郎の場合はさうではなくして、『怪我をせぬやうになさい』と若いものの身体を心配して、それが自分の所有の柿を盗むのであるといふことを念頭に置いて居ないのでありますから、その言葉を聴いた若いものも恥ぢ入らねばならなかつたのであります。  妙好人善太郎(三)  或時善太郎の家へ泥棒が這入りました。善太郎は息を殺して黙つて知らぬ振をして居りました。泥棒がいい加減に盗むで今やその家を出やうとする時に『私が前生で借りたものを取りに来て下されたは御苦労である』と言ひました。さうすると泥棒はあきれて、盗み取つた品物を残らずそこへ置いて帰つて仕舞つたのであります。盗まれて感謝することは馬鹿らしくて普通の人々にはとても出来ることではありませぬ。前にも大和の清九郎の話を、挙げて盗賊に禮を言つたことをお話致しましたが、盗みたるものによく盗むで呉れたといふことは普通の人々には馬鹿らしくてとても言はれることではありませぬ。しかしながらそれは多くの人々が愚悪でないからであります。盗賊が自分の家に這入つたのは決して自分の責任に帰すべきものではないといふことを知るからであります。しかるに自分の愚悪を知ることに徹底して、盗賊が這入つた、自分の品物を取られたことにまで自分の責任を負ふ心持になれば盗賊に対して禮を言ふことは実に真面目の挙動であります。決して巫山戯《ふざけ》た真似《まね》をして居るのではありませぬ。善太郎の言葉は仏教の上に用ひられる前生で自分が盗むだものを取り返しに来て下さつて御苦労であつたといふのでありますが、これを普通の人々の言葉に直ほして言へば、盗賊の行為の上に自分の相を見出したのであります。自分の心にも人の物を取るといふ悪るい心はあるのを、現に盗賊の行為を見せしめられてそれによりて自分が反省することが出来るのは大に喜ばしいことであると感謝して居るのであります。まことに美しい宗教的の心の態度であると言はねばなりませぬ。  妙好人善太郎(四)  善太郎に養子がありましたが、この養子は仏法に心のうといものでありました。善太郎はその養子に向つて手をついてお辞儀をして、どうかお寺に參詣して下さいと頼みました。又自分がお寺に参詣をして帰つたときにはあなたのお蔭で参らして貰ひました難有ございます、と養子に禮を言ふのでありました。社會的の生活は自分ひとりで出来るのではありませぬから、何事をするにもみな人々のお蔭を考へねばならぬのでありますが、愚悪でないものは自分のひとりのはたらきと考へますから、自分がしたことに関して、他人に向つて禮を言ふことはありませぬ。善太郎は酒を好み、時々酒を飲みて醉ひますと、口癖に、  『生々世々の初ごとに、私は全体悪太郎なれど、御蔭で善太郎といふ』と小踊りをしたといふことであります。まことに善太郎といふ人は、一切の事柄に対して感謝することが出来たのであります。安政三年の三月に七十五歳で死んだのでありますから、さう古い時代の人ではありませぬ。かういふやうな人の話をお聴きになればただ馬鹿らしいといふ感じが起るだけでありませうが、それは善太郎につきての話を伝記の上の話として聴かれるからでありまして、自分の心を反省する資料として善太郎の話につきて考へるときには決して馬鹿気たる話としておろそかに看過することは出来ぬ筈であります。  妙好人善太郎(五)  善太郎は無論学問のない田舎の農夫でありまして、煩悩具足・罪悪深重である自分が阿弥陀仏の慈悲の力に救はれるといふお説教を聴いただけのことでありませうが、それによりて徹底的に自分の愚悪を信知することが出来て、すなはち機の深信がたしかでありましたから、そこに法の深信が出来たのであります。つまり前に繰返して申したやうに自分のしたことは自分がその責任を負ふ、決して自分のことを他に嫁することをしないという心持にまで到達したのであります。かやうの心持によりて当然あらはれるところの宗教の感情に動かされて、外観には馬鹿気たやうに思はれるところの態度をなすのであります。外の人々がその態度を見て、馬鹿らしくて真似が出来ないとするのは智慧の世界に住むで居るからであります。智慧のはたらきによりて他人の態度を批判して居るために。善悪邪正を判別することにその心がはたらいて、人格の全体を投げ出して事に当るといふことが出来ないためであります。しかるに智慧の世界は案外にその領分の狭いものでありまして、到底智慧のはたらきでは解決のつかぬ場合がありまして、智慧の世界を離れて宗教の世界に這入らねばならぬのでありますが、宗教の世界に這入つて考へて見れば、それは決して馬鹿気たこととして一笑に附し去るべき筋合のものではありませぬ。  妙好人善太郎(六)  善太郎は貧乏の人でありましたが、お寺に参詣するときには梨や柿などの果物を集めてこれをお寺に参詣するときに持參して寺の庭に店を出し、その側に代価の錢を入れる筒を置いて梨や柿を取つた人に相当の代価を筒の中に入れさすやうにして置くのでありました。自分は寺の中に這入つてお説教を聞いて居るのであります。さうして筒の中にたまつた金を三つに別けてその一分は本山に納める。その一分は檀那寺に納める、その一分は自分がお寺に参つたときのさい錢にするのでありました。その心がけはまことに特別であります。世の中には他力の教を奉ずるのは卑屈に流れて進取の気力に乏しくなると論ずる人がありますが、自覚の度が浅くして自分の愚悪であることを知らず、無暗に聖者振つて大言壮語するといふことは一寸見れば進取の気力に富むだやうでありますが、それは虚偽の生活でありまして、我々の学ぶべきものではありませぬ。愚悪なることを知つたならばその愚悪を直ほすことが人間のつとめとするところではないかといふ人もありませうが、それは前にも言つた通ほりに道徳の教でありまして、宗教の世界にありていふべきことではありませぬ。宗教の世界にありては善悪邪正を論ずることなく、ただその真実の相を真直に見ることにとどまるのであります。  人の字  奥田頼杖が著したる「心学道乃話」の中に、或処の百姓の嫁が姑を殺したる話を挙げて教訓の資料としてありますが、口語体の文章でありますから、今その本文を読みませう。  『近頃或国の在郷に小百姓の嫁が姑を殺した事がござりました、これも始からそのやうなおそろしい嫁ではござりませぬから、はじめ嫁入して来たときには姑へ手をついて、私は何もぞんじませぬ、不調法もの、さぞ不都束《ふつつか》なることばかりでございませう。たらぬ所はどうなりといふて聞かして可愛がつて下さりませと、我身を引さげ、順の道を守つて居たに違いはあるまいから、そこで姑も又、身に立ちかへつて、いいやのふ、わしも此やうに歳はよる、愚痴にはなる、若い衆の厄介がち、どうぞ面倒見て下され、たのみますといふたに違ひはあるまいから、人といふ文字の形が誠によく出来て居るものじや』  人といふ文字は陽の長い棒と陰の短い棒とが相擁して立派の形をして居るもので、陽は上に居り、陰は下に居り、相互にその分を守るのが人の道であると説くのが所謂心学の主要とするところであります。  おれがおれがの鬼  それから話がつづくのでありますが、  『そこで婆さまはやさしい声で、こふ嫁丈、今朝はゑろふ寒いから、まあ来て炬燵へあたらしやれいといはるると、嫁も又やさしい声で、はいはいありがたふ、ぞんじます、わたしはどうで若いもの、あなたさまは御老年、どうぞお冷なさらぬやう御用心なされて下さりませといふ。そこで又婆さまもおおよくいふて下さるのふ、しかしおまへ若ふても用心するがよいぞにどうぞ煩はぬやうにさつしやれと、いはるると嫁も又、はいはいありがたふぞんじますで、始の程は相互の胸の中おれがおれがの鬼が居らぬゆへ、睦しい、これが兩鏡相対して影像なしといふ活仏の寄合じや』  お互の胸の中におれがおれがの鬼が居るときはお互に人を責めて己を省みることのないものであります。その鬼がお互の胸の中に居ないときは、清らかなる二たつの鏡を相向けたやうなもので、何もうつるものはないのであります。  慎みの心  それから又、言葉を進めて  『夫婦の中でもそのとほり、どんな我慢な夫婦でも、婚禮の盃をつかみ合ふてするものではない、その時は相互ににこにこで、夫は女房可愛のたつた一とつゆへ女房も又夫大事の一心不乱、これも陰陽合体の人といふ字がまことによふ出来て居る、此やうなことを自然、傍から犬や猫が見て居たら何と思ふであらう、偖《さて》も偖も人間がたといふものは尊ひものじや、あれから見れば、おれ等がやうな畜生は浅間しいものじや、あのとほりに知らぬ同士、一の所へ寄合と、相互に歯をむいたり、飛びついたり、ふうふう、わんわんの噛み合するが、人間方はあのやうに知らぬ同士が寄合ても、互に禮儀が正しうて夫婦の盃なさるれば、直ちに夫婦の禮があり、嫁姑の盃なされば直に親子の禮儀があると感心するに違いはあるまい、そんなら此嫁姑も始終この人といふ文字の形をくづさぬやうにして、犬や猫に笑はれぬやうにして居ればよいに、月日のたつに從ふて、段々つつしみの心が薄くなると、つい言葉づかひもあらくなつて、互にいいたい事をいふやにもなり、したいままをするやうになる』  感情が強く動くときは理性の力はどうともすることが出来ぬやうになります。慣れるに從ふて感情のあらはれが違つて来ますから、遂には慎みの心が薄くなるのであります。  足上頭下  『さうなると、この人といふ字が我他彼此我他彼此と動き出して姑は嫁を呼ぶにも大きな尖り声して、こりややい嫁丈といふやうになり、嫁も又大きな声してゑい喧しい何じやいなと、いふやうになる、そこで何喧しいとは誰にいふのかと咎めると、そりやお前の呼やうがあんまりじやからと、互に角を出しかけると、はじめに言ふた事が皆嘘になつてしまふ、始には何も知らぬ不調法ものといふた嫁が頓に発明になり出して、わたしも美目は十人並、まんざら塵塚から拾ひあげられたものでもない、何屋何兵衛といふ聢《しか》とした親里もあるもの、おまへの儘にもなりますまいといふと、姑も又始にはわしも歳はよる、眼はうすしといふたものが頓に達者になりだして、おれはんまだ眼もよく見へる、手足達者なゆへ、まんざらそなたに寝せ起しをして貰ふやうにもござらぬ、やれやれおそろしい嫁の面つき見るも嫌じやと、かの人といふ字の長い方の陽点の姑が短かい陰点の嫁の後へ行きすぎると、陰点の嫁も又順の道を失ふて、陽点の姑の天窓《てんまど》の上へあがるやうになるさうなると、この人といふ字が逆に引くりかへるから、始に感心した犬猫を見てあきれる、やあやあ始は貴ひ人であつたが、はや逆にひつくりかへつてわんわんの噛合がはじまつたから、もうおれ等の仲間入したといふのであろう、何とまあ浅間しいことじやないか、それを足上頭下といふて大道を逆立してあるくやうなものゆへ、よいことはよい筈じや。』  いかにもさうであります。家庭にても銘々が得手勝手のことを言ひ募ればその家庭の平和を保つことは出来ませぬ。  順の道に違ふ  そこでかの百姓の嫁は次第に邪見になる、姑は段々愚痴になつて朝から晩までがみがみ噛み合つたのでありますが、到頭姑は眼が見えなくなりました。年を取つて眼が見えぬのでありますから、それをいたはるのが嫁の道でありますが、感情が悪るくなつて居るので眼の見へぬのを幸に無禮の振舞をするといふ風でありました。或日のこと、麥を搗《つ》きてそれを筵にひろげて干して置いて家内のもの一同は田植へ行きました。俄に夕立がしたので留守番をして居つた眼くらの姑さんがその麥を濡してはと思ふから不自由の体ながらさざりさざりに麥を干したる筵を内庭へ引き込ふとして麥をこぼしました。そこへ嫁が帰つて来て、眼くらの姑がいらざる指出さつしやるから麥がこぼれたと怒鳴つて暴力を用いて姑をつき倒しました。しかるに姑さんは打ちどころが悪くてそれがために卒倒して遂に亡くなりました。それが官に聞こへて死刑に処せられたという事実を挙げて、嫁が姑に事へるといふ順の道を誤まつてはならぬといふ心学者一流の教訓が説いてあります。  機縁あれば  私が今この嫁の話を引くのは、その事実を例として道徳の教を示さうとするのではありませぬ。又姑と嫁との間の道は孝順であるといふことを心学者風に説かうとするのでもありませぬ。私がかういふ話を例に挙げるのは、前にお申した通ほりに、我々の感情は自分を中心に得手勝手にあらはれるものでありますから、それに任《まか》すといふと、常に真実の道から離れるものであるといふことを示さうとするのであります。おれがおれがの鬼と言つてあるのは全く自分を中心に考へるところの感情に本づくものでありまして、この感情が動くと、道理は十分にわかつて居る人でも、その感情に動かされて思はず邪の道に踏み入るものであります。嫁入して来た時には実際まだその自分中心の感情を動かすべき機會がないために平和を保つことが出来るのでありまして、真実にその心が平和であるのではありませぬから、平和を破ぶるやうな機會があれば直ぐにがみがみ噛み合ふのであります。それを慎みの心が薄くなつたと言はれるのでありますが、それは我々の心を道徳の上から見て言はれることでありまして、実際の心のはたらきの上から見れば、自分を中心とする感情の動く機會が多くなつたのであります。それ故に自分は道徳の教を守つて居るから、さういふ悪るいことはしないといふ風に極めて表面的に薄つぺらな考をして居る人々には何時でもこの嫁のやうな過ちが起るのであるといふことを申し上げたいために私はこの例を引いたのであります。  人を責めず  「法句経」に次のやうな釈尊の言葉が出て居ります。   不好責彼務自省身、如有知此、永滅無患  この言葉は人を責むることをやめて自らを省みよ、さうすれば苦しみはないといふ意味であります。『彼れを責むることを好まず、務めて自から身を省みよ、もし此を知ることあらば永く滅して患なけん』といふのであります。元来、人を責むるといふことはおれがおれがの鬼がはたらくためでありまして、自分のことは棚に上げて置いてただ人のことばかりをいふのが我々の心の常であります。前に読みました書物の中にもある通ほりに如何なる人間と雖も婚禮の席で抓み合をするものはありますまい。後になつてお互に自分を棚に上げて置いて人を責めるやうになつてから夫婦の抓み合も始まるのであります。それ故に人を責めることをやめて務めて自分を省みるといふことは我々の第一に心がくべき道であると言はねばなりませぬ。人を責むることを好まずして、自からその身を省みることが十分であつたならば、我々の心の苦しみといふものは永く滅して仕舞ふものでありますからそれによりて真実の平和が得られることは疑のない訳であります。  浅間しい心  かういふことは誰人にも考へのつくことでありませうが、しかしながら実際に人を責むることなくして、我が身を省みるといふことが行はれるかどうかといいますと、それを実行して居ると答へることは出来ないでありませう。なるほど人を責むることなく、自分を省みるといふことは我々の常に心がけねばならぬものであるといふ道理はよくわかつて居るにしても、実際にさう実行して居るかと問はるれば、どうも思ふ通には行かぬと返答せねばなりませぬ。ただ思ふ通に実行することが出来ぬばかりでなく、我々はむしろ進むで人を責むるということに理屈をつけ、又我々を省みるといふことには制限をつけ、人の悪るいと思ふことは容赦はせず、自分の悪るいことをばどこまでも弁護してその悪いことをかくさうとするのであります。まことに浅間しい心であると言はねばなりませぬ。  煩悩具足  道徳の心が強くあらはるれば、あらはれるほど、自分の心が道徳の規範に背くものであるといふことに気がつくのであります。人を責むることなく、自分を省みることを第一にせねばならぬといふ教はよく理解して居つても、どうしてそれを実行することが出来ぬといふ自分の浅間しい心を見つめたときに、まことに自分の心は煩悩具足であるといはねばならぬのであります。仏教でいふところの煩悩は、かやうに自分の心の内面を見て、まことに浅間しい心であると自分に気のついたときに、その意味があるものでありまして、ただ我々の心が悪るいからそれを煩悩と名づけるのであるといふやうなことではありませぬ。人間の心は悪るいからそれを煩悩といふのであると、人ごとのやうに考へるときに、そこに宗教上の意味は無い訳であります。宗教の心持にていたところの煩悩具足といふものは、自分を内省したときの心持でありまして、単に心が悪るいといふやうなことをいふのではありませぬ。嫁入して来たときの当座は所謂慎しみの心が強くしてよく姑に事へたものが、段々に自分の我儘を言い張るやうになつて来たが、それはまことに浅間しい心であると自覚したときに始めて煩悩具足であると感知することが出来るのであります、ここに自分のやうな煩悩具足のものは人を責むることが善くないといふ道理を知りながら、人を責める自から省みなければならぬといふ教を知つて居りながら、真に自分を省みるといふことの出来ないものであるといふ自分の内面を見るときに、我々は煩悩具足と痛感せざるを得ないのであります。  人を裁く  あれは善い、これは悪るいと、人を裁《さば》くことは至つて上手でありますけれども、自分を裁くことは決してすることのないのが我々の常であります、たとひ自分が悪るかつたと思ふことがあつても、どうにかしてそれを繕《つく》ろふて善いやうに取りはからはうとする、どうにかしてその悪るいことの責任を免かれやうとし、又どうにかしてその悪るいことをかくして仕舞ふとするのであります。自分では最善《べすと》を尽したのであるが、まことに致方のない次第であると言つて見たり、神や仏でない限、人間としてはこれ以上出来ることではないといふやうなことを言つて、どうしても一切の責任を自分で負ふといふことをしないのであります。人を貶《おと》すことには十分つとめますけれど自分をば決して貶すことはなく、どこまでも弁護する心持でありますから、そこに人と人との間に不和が破られるのであります。かういふ心の有様をありのままに見つめたときにあらはれる心持が煩悩具足といはれるのであります。  助けられる  かやうに内省したときに、我々は我々の心を以てしては教を守ることも出来ず、身を修むることも出来ないという浅間しい心の有様に当面するのであります。さうして我々は我々の心のはたらきを以ては我々の心をば、どうすることも出来ぬといふ実情を知ることが出来るのであります。そこに我々の思慮分別を離れた、不可思議の力があらはれて、我々の心はそれに導かれて真実の道に入ることが出来るのであります。仏に助けられるといふのはまさにこの心の有様を指していふのであります。我々が我々の心の内面を見て、その悪るい有様と、どうすることも出来ない有樣とを知つたときには、我々の思慮分別はすこしもそのはたらきをあらはすことが出来ないのでありますから、そこに我々の思慮分別を離れたる不思議の力がはたらきて我々はそれに導かれて真実の道に進むことが出来るのであります。それ故に、その心持を簡単に約めて言へば煩悩具足の心持が真にあらはれたときに我々は邪なる道から離れることが出来るのであります。  悪人正機  右のやうな次第で、如来のお助けは悪人を正機とすると説かれるのであります。正機といふのは救濟の正しき目当てといふほどの意味でありまして、仏の方より言へば煩悩具足のものであるから、それをたすけねばならぬのであります。我々の方より言へば煩悩具足であるから助けられるのであります。それでありますから、本気で説教を聞くと、お互は煩悩具足の故にたすかる、仏は煩悩具足のものを殊にあはれみたまふと説かれるから、悪るいことをした方が余計たすかるのだと、考へ違ひをして、悪るい行をしないやうに慎しみの心を起すことは入らぬと考へるものがあります。親鸞聖人が世に居られたときにさういふ誤解をしたものが多かつたと見へて、聖人の御手紙の中にそのことが委しく説き示してあります。それは前にお申したやうに、煩悩具足といた事をば自分の心から離してただ悪るい心とのみ考へるためでありまして、全く内省が足らぬ結果であります。  廢悪修善  親鸞聖人のお手紙に、次のやうに書いてあります。   凡夫ナレバトテ、ナニゴトモ、オモフサマナラバ、ヌスミヲモシ、人ヲモ殺シナンドスベキカハ  煩悩具足の凡夫であるからといつて、何事も自分の思ふやうに振舞えてよいと言つて、人の物を取つたり、人を殺したりするといふことは決して為すべきことではありませぬ。   モトヌスミゴコロアラン人モ、極樂ヲネガヒ、念仏ヲマフスホドノコトニナリナバ、モトヒガウタルココロヲモ思ヒナホシテコソアルベキニ、ソノシルシモナカラン人々ニ、悪クルシカラズトイフコト、ユメユメアルベカラズ候。  もと悪るい心のある人でも、宗教の心持があらはれたときには自分の心を内省するのであるから、悪るいことをしてもよいとは決して言ふべきことではありませぬ。   煩悩ニクルハサレテ、思ハザルホカニ、スマジキコトヲフルマヒ、イフマジキコトヲイヒ、思フマジキコトヲモ思フニテコソアレ  煩悩は我々の心の真実の相でありますから、思ふまじきことをお思ひ、いふまじきことをもいい、すまぢきことをするのでありますが、その相に当面して道徳上の苦しみが起りそこに煩悩具足の感があらはれるのでありますから、我々の心は決して道徳上の規範を離れるべきではありませぬ。   サハラヌコトナレバトテ、ヒトノタメニモ、ハラツロク、スマジキコトヲモシ、イフマジキコトモイハバ、煩悩ニクルハサレタル儀ニハアラデ、ワザトスマジキコトヲモセバ、返々アルマジキコトナリ。  煩悩は仏のたすけを受けるさはりとはならぬといはれても、わざと悪るいことをするといふことは善くないと懇切に説かれたのであります。このお手紙はまだ長いのでありますが、その要旨は悪を廢し、善を修めるといふことが、仏道を修むるものにも大切であるといふことを教へ示されて居るのであります。  業の相続者  さういふ次第でありますから、自分は煩悩具足のものであると感知することは内省を十分にするときに始めて出来ることでありまして、ただ自分は悪るいものであると口だけでいふのではありませぬ。そこで内省といふことが何時も宗教の問題となるのでありますが、釈尊が内省に就て説かれた中に、誰人でも省みねばならぬといふことが五つあるとして、第一に自分は老いて行く身であり、老を超ゆることが出来ぬといふことを省みねばならぬと挙げてあります。それから第二に自分は病むべき身であり、病を超ゆることが出来ぬといふことを省みねばならぬ。第三に自分は死に行くべき身であり死を超ゆることが出来ぬといふことを省みねばならぬ、第四に自分の愛するものも好むものも皆転変無常であるから取とめのないものであるといふことを省みねばならぬとあります。これ等は宇宙及び人生に対しての思索によりて自分といふの相を見るのでありますが、第五の自分は自分の業の相続者であり、自分が積むだ業の相続をしなければならぬといふことを内省せねばならぬといふことは実に自分のありの儘の相を見て行くものでありまして煩悩具足といふこともさういふ風に内省するときに真に宗教的の意味を有するに至るものであります。  戒定慧  かやうに我々の心の現実の相を分析して考へたる後私は最初に挙げたる八正道のことにつきて、更にこれを説明するの必要があると思ふのであります。その故は、今我々が仏教と名づけて居るところのものは釈尊の精神に本づきて起りたるもので、釈尊の精神は八正道を修めて、涅槃の境地に到ることを期するのでありますから、我々にして仏教を奉ずる以上、この八正道の考を離れることは出来ないからであります。八正道とは巳に上章に説明した通ほりに、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八つで、後の代にはこれを約めて戒・定・慧の三学としたのであります。戒とは禁戒の義で、身・口・意の作るところの悪業を防止することであります。正語・正業・正命・正精進はまさにこれに属するのであります。定とは禅定の義で、能く教を摂し、神を澄し具性悟道することであります。正念正定はまさにこれに属するものであります。慧とは八智慧の義で能く煩悩を断除し本性を顕発することであります。正見・正思惟はまさにこれに属するものであります。  かやうにして、釈尊の教は八正道を履みて、涅槃の境に到りて、苦しみから離れることを期するのであります。  貴とき教  釈尊のこの教はまことに貴とき教であります。しかしながら、我々にしてただその教を知るのみにして、これを体驗せざるときには、その教は我々に取りて、何の価値もないものであります。それ故に、我々は先づ釈尊の貴とき教に対して自己の心の相を反省せねばなりませぬ。さうして、我々が自己の悪悪の相を見るとき、釈尊の教は、一とつとして我々が実践することの出来るものはないということが感ぜられるでありませう。親鸞聖人が『何れの行も及びがたき身なればとても地獄は一定すみかぞかし』と告白せられたのはまことに、この釈尊の八正道の教に対して、自己の愚悪の相を明かに認められたるものであります。かやうにして、八正道の教を聴きてひたすらにその道に進むとするものは、真実に自己の相を見ることなく、教はただ教として自己の外に在るのであります。それに対して自己を内省し、八正道を修することは到底愚悪なる自己の能くするところでないと痛感するときこそ、釈尊の教はまさに自己のものとなつて居るのであります。すなはち釈尊の教に対して、我々は我々の愚悪を明かに感知することが出来るのであります。  正念と正定  かやうに『何れの行及びがたき身』と知れたるときは、全く「身」の力と価値とを否定したるときで、正見も正思惟も正語も正業も正命も正精進も正念も正定も一切が自分には出来るものでないと知りて、『何れの行も及びがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし』と痛感するときに、そこに自からにしてあらはれるものは正念と正定とであります。さうして、この心持がすなはち宗教といはるべきものでありますから、釈尊が八正道として説かれたるものが、我々の心にはたらいて、それが我々の宗教となるものに正念と正定とであります。親鸞聖人はそれが南無阿弥陀仏であると言つて居られるのであります。それは「教行信証」の行の巻の所に、諸仏称名之願と題して『謹しみて往相回向を案ずるに大行あり、大信あり、大行といふは則ち無碍光如来の名を称するなり、斯の行は即ちこれ諸の善法を摂し、諸の徳本を具せり』と説き、しかも斯の行は大悲の願より出でたるによりて諸仏称揚の願と名づくと説明して居られるのであります。さうして更に『しかれば、称名は能く衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ、称名は則ち是れ最勝真妙の正業なり、正業は則ち是れ念仏なり、念仏は則ち是れ南無阿弥陀仏なり、南無阿弥陀仏は即ち是れ正念なりと知るべし』と説いて居られるのであります。  南無阿弥陀仏の宗教  かやうな次第でありますから、ここに説くところの精神的宗教は、すなはち南無阿弥陀仏の宗教であると言つても差支はありませぬ。独逸のアレキサンデル、バイエル氏は宗教の心のはたらきの根本に二種の差別があることを説き、一は現在を肯定し、保守的で、感傷的で、個人的の幸福に著目するものであるとし、又他の一は現在を否定し、絶対価値を欣求し、個人的の幸福に重きを置かず、ただ精神的実在を知り、解脱を切望するものであるとして居る。さうして、その甲種の方は美学的で、此土の宗教である他律的のもので、神に救はれて其子たらむことを期するもので、これを感情的宗教と名づくべきである。その乙種の方は倫理的で、彼土の宗教であり、自律的で、自己の力を意識してそれに依るのであるが、これは意識的宗教と名づけらるべきである。  感情的宗教は純精の生物学的価値を絶対化し、又廉価に理想化するものであるが、意識的宗教はこれに反して精神的生活をば意識して理想的価値の上に置かうとするのである。  アレキサンデル、バイエル氏の説くところに拠れば、この兩種の宗教の中で、意識的宗教はこれを感情的宗教に比較して高等の階級に属するものであるが、しかしながらそれは感情的宗教に比較して高等に位するといふだけのことで、究竟的のものではない。この兩種の宗教にあつては、ただ人間の自己を知りて、しかも自分の自己そのものを知らないのであるから、その宗教はこれを自然的宗教と名づくべきものである。  精神的宗教はこの自然的宗教に比較して、その根本に於て全く相異するところがある。感情的宗教にありては、身体の健康や、名譽や、財産や家族の安全等を神に対して祈願するのであるが、精神的宗教にありてはそれを度外におき、それを価値なきものと見るのである。意識的宗教にありても亦、すべての浮世の繋縛から離れやうと欣求するのであるが、それは企図であり、傾向であり、努力であり、解脱の境には至らぬのである。精神的宗教はそれに反して、実際の滿足であり、解脱であり、濟度である。ただ企図するのみでなく、又理想の実現に向つて努力するのでもない。  自然的宗教の場合では、我々の醜悪の行為が止むだときに始めて神聖なる宗教の世界があらはれるので、その宗教の世界は常に存在するものでなく、たとへば神を拝むか、祈祷するか、又はそれを念ずるときにのみ宗教の世界があらはれるのである。精神的宗教にありては、宗教の心をあらはして始めて高等の存在の状態に入るのではなく、巳に早くその状態の中に入つて居るといふことを自覚するのである。それ故に、精神的宗教では何時でも絶対・無限の中に生活して居るので、時々思い出して、宗教の世界をあらはすのではない。  かやうに、精神的宗教は我々が、絶対・無限の中に生存するということを、自覚するによつて成立するものであるから、自から進むで、絶対・無限に向いて求むることを要せぬのである。自分が現に絶対無限の中に安息して居るということを自覚することによりて、無限が新しい精神となつて我々の心の奧底にはたらくによつて、我々はこの新しい心に導かれて自然法爾の大道に進み行くことが出来るのである。  これがすなはち南無阿弥陀仏の宗教である。  自己を依所とす  前にも度々沿話致したやうに、宗教といふものは普通に多くの人々が考へて居るやうに自分の心を全く打ち捨てて置いて、さうして外の方の何物かにすがつて行かうといふやうな心持ではなく、全く自分の心を修めて苦しみから離れることを求むるのであります。宗教といふとすぐに神や仏のことが考へられて、さうしてその人間が考へ出した神や仏にすがつて自分の願ふところを達しやうとする。それに祈つて幸福を求めやうとする、さういふ考がすぐに起きて来るのでありますが、しかしながらさういふやうなことはよく考へて見ると役にたたぬものであります。それで、釈尊はこのことを説いてさういふ神や仏といふものが、たとひ有つたにしても、それが自分の心の上にあらはれて自分の苦を除くといふことは決して無いから、さういふものを依所《よりどころ》とせず、自分の心を依所とせよと説かれたのであります。常識で考へて見ても、自分で自分の心を修めて行くといふ事は一切のことでありまして、大抵の人ならば、たとひ自分には気がつかなかつたことでも、話を聞けば成程自分が悪るいといふことに気がつくことでありませう。自分が悪るいといふことに気がついたならば、それを善い方に改めやうとする志は誰にでも起つて来る筈であります。どうしてもさふういふ心が起きて悪るいことを止めて善いことをするやうにしなければならぬと考へるのであります。しかるに悪るいことは自分がしたのであるけれど、それを止めることは他の人に頼むといふ訳は決して無いのであります。  現実の心の相  自分が悪るいことをして居りながらその始末を他の人に頼むということは無責任のことでありますが、それは兎も角も、それで自分がする悪るいことが止むことはありませぬ。すべて世の中の一切の事は原因と結果との結び附きでありますから、原因が悪るければ結果悪るいにきまつて居ります。蓋し善い結果を得やうとするならば必ず善い原因をつくらねばなりませぬ。かういふことはまことに見易い道理で、誰人にもわかることでありませう。しかるに普通に宗教といふと、悪るいことは自分ですこしもやめないで、ただ得手勝手なる自分の望みがかなふやうにと神や仏に祈るのであるといふやうに考へて居る人もあります。これは大なる誤りで、さういふ誤つた考からして宗教を求めても、その宗教は決して苦を除くことのはたらきはありませぬ。宗教といふものはこれまで繰返してお話したやうに自分の心の問題でありまして、簡単に言へば、自分の心の現在の相を見つめるときにあらはれるところの感情であります。誰人で現実の自分の心の相を見つめるときに、自分の心の奥底から湧いて来るところの心持が宗教といはれるのでありますから、宗教といふものは要するに、自分が探がすのであります。決して自分の得手勝手の欲望を達するために努力するものではありませぬ。  自己を求めよ  釈尊が或時ある林の中に居られましたときに、その林の中に三十人ほど男が居つて、それが皆友達で、二十九人のものには妻があつたが、ただ一人まだ妻のないものが居つた。それで二十九人の友達が、そのもののために適常の女房を探して遣つたけれどもどうも思はしいものが居らない。しかしながら一人のものを一人ぼつちにして置くのは気の毒でならないから或処から娼女を雇つて来てそれをそのものの人妻にした。ところがその雇はれて求た女房が少し性根の善くないもので、二十九人のものが寝て居る間にそこらにあつた品物を引さらへて出奔してしまつたのであります。二十九人のものが起きて見たところが自分の大切なものがないので驚いて逃げた娼女を探しあるいて、丁度釈尊が居られたところに来たのであります。二十九人のものは釈尊に向ひて、今ここにかういふ人相の女が来はしなかつたかと尋ねました。さうすると、釈尊はお前達が尋ねる女はどういふ女で、どちらからこの方に来たのであるかと聞かれました。二十九人のものはその娼女のことを有りの儘に話しました。釈尊はそれを聞かれて、それならばお前達に聞きたいことがあるが、『その女を求めるのと、自分を求めるのと、どちらがよいとお前達は思はれるか』と問はれました。二十九人のものは釈尊のこの言葉を聞いて考へました。なるほど逃げた女を探し廻るよりも先づ自分といふものを見つける方が大切であつた。釈尊は二十九人のものが自分を求めることの方が大切であります。と答へたときに、よろしい、さういふことに気がついたならば、そこにおすはりなさい。お前達のために法を説かうと言つて一坐の説教をせられた。  四苦八苦  この時、釈尊が説かれたる要旨は、人間といふものにはいろいろの苦しみがある。第一生れるといふことが苦しみ(生苦)、第二に年をとるといふことが苦しみ(老苦)、第三に病気の苦しみ(病苦)、第四に死ぬるといふことの苦しみ(死苦)、これがいはゆる四苦であります。それから、愛するものと別れるといふ苦しみ(愛別離苦)、自分の怨み憎むものと一処に居らねばならぬ苦しみ(怨憎會苦)、求めるものが得られぬといふ苦しみ(求不得苦)、それから自体があるために起るところの苦しみ(五盛陰苦)。この四苦を前の四苦と併せて八苦といふのである。さうしてこの四苦八苦は、我という想が本となつてあらはれるものであるから、その我想を滅ぼすやうにせねばならぬ。それ故に人々は先づ自己を求めなければならぬ。自己を求めて我想といふものが由て来るところを明かにして、その我想といふものを除くことをつとめることによつて苦みから離れねばならぬと説かれました。二十九人のものはそれを聞いて始めて苦しみが出て起るところを明にし、自己を求めるということが何よりも大切であるということをさとつたのであります。  綺麗の心  かやうにして、宗教といふものは自己を求めるといふことに帰著すると言つてもよろしいのであります。我々が自分の心の現在の相を見つめたるときに起るところの感情でありまして、自分の心をその儘にして置いて、外方から何物かを心の中に取り込むといふやうなことではありませぬ。さう申すと、宗教といふものは何だか雲をつかむやうなものではないか。パットしたもので何とも蚊とも訳のわかららぬやうになるではないかといふ人もありますが、これは考へ方がよろしくないのであります。宗教といふのは固よりパットしたものではありませぬ。我々の心を導いて正しき道に進ましめるところの強い力をあらはするのであります。それを今申したやうにパットしたもののやうに考へるのは人々の考へであります。その考へを止めなければ宗教といはれるところの感情は起つて来るものでありませぬから、それで何だかパットしたもののやうに思はれるのであります。何か自分の心の中にシッカリとしたものをつかみ、胸の中がスットするやうなことを予想して、どうかさういふサッパリとした心持になりたいといふ念願で宗教といふのを求める人多いやうでありますが、宗教といふのはさういふ予想によつて到達せらるべきものではありませぬ。宗教といふものは前にも申したやうに自分の心の現実の相を見つめるときに起る感情でありますから、現実の心の相を見つめたるときに綺麗の心であるとは言はれない筈であります。我々の心は我想といふものに本づいて、得て勝手のはたらきをするために四苦八苦をあらはすのでありますから、さういふ現実の心の有様は綺麗なものでない筈であります。  不可思議  宗教は決して予想ではありませぬ。神や仏を予想してそれに助けて、貰はふといふやうな心のはたらきがすなはち宗教であるということは出来ませぬ。予想といふことは未知の事物を推測によつて考へることでありまして、この考から離れたるときに宗教といはるる感情が始めてあらはれるのであります。神や仏といはれるのは我々の考の上に上ぼるものではありませぬ、どういふ不可思議のものがそこに出て来るか我々にはわからぬが故に、不可思議といはれるのであります。さうしてこの不可思議のものに動かされて現はれるところの感情が宗教でありますから、宗教の本質は不可思議のもののはたらきに対する我々の心の態度であると言つて差支が無いのであります。この不可思議といふことは固より心も及ばず言葉もたえたりといふべきもので、我々の認識の形式では思考の上にあらはれて来ないといふ意味でありまして、我々には到底解釈することが出来ないから不可思議とするの外はないといふやうな意味の不可思議ではありませぬ。これを考へることも説くことも出来ませぬが、しかしながら感情として意識の中に出て来るのでありますから、それを不可思議といふのであります。この不可思議のものに動かされて、宗教と名づけられるところの感情が我々の心の奥底から湧いて来るのであります。  一切を包容する  宗教と名づけられる感情は一種特別のもので、これを説明することは容易でありませぬが、概括していふときは、宗教といふ感情があらはれるときには一切を包容することが出来る心持になるのであります。たとひ自分の好かぬものでも、又悪るいものでも、自分と反対のものでも一切これを自分の心の中に取り入れることの出来る心持をあらはすのでありまして、簡単に申せば歓喜の感情であります。如何なる場合にも喜びの心が起りてそれによりて一切のものを包容することが出来るのであります。普通の場合に我々が喜びの心を起すのは我想というものが本となつて起つて来るのでありますから、平生我々が歓喜の感情をあらはすのは何時でも自分に都合の善い時に限るのであります。畢竟得手勝手の心持でありまして、気に入つたら喜ぶ、気に入らなければ喜ばないのであります。たとへて申せば、何か他の人から忠告を受けたときでも、まことに御親切ありがたうと口には言ひますが、腹の中に喜びの心が起ることはない。すべての人がさうでありませうと思はれますが、欠点といふものは他の人からはよく見えるものでありますから、忠告せられることは親切であり、又たしかにさうであるとは考へられますが、しかしながら忠告が気に入つて喜びの心が起るということは普通の心には無いものであります。それは前にも言つた通ほりに我想に本づくものでありますから、釈尊が説かれるやうにこの我想を除き得手勝手の自分の考といふものを取り去つて始めて、善きも悪しきも一切を包容することの出来るのであります。これは全く気に入らぬことでも喜ぶことの出来るためでありまして、宗教といはれるものはこの感情によりてあらはれる心のはたらきであります。  昭和六年十二月一日印刷  昭和六年十二月十日発行  『真実の宗教』  定価一円二十錢  著者富士川游  東京市京橋区築地三ノ一  発行者 中尾哲雄  東京市本?区湯島六ノ十一  印刷者 成P義治  東京市京橋区銀座西五丁目対鶴ビル内。  発行所 近代社