八起会 40周年記念式典

野口会長が亡くなられる二日前、託された唯一の遺言。

それがこの「40周年記念式典」の挙行でした。

本ページでは、40周年記念式典の全てをお伝えいたします。


八起会 40周年記念式典・映像記念 (2018/7/8)

式典で撮影された映像、および当日見ていただいた映像です。

開会の言葉

 

35周年、野口会長の言葉

 

八起会の解散と、新八起会の発足
発表された資料をお読みいただく場合は、ここをクリックしてください。

 

40周年記念動画 「生きてこそ」

 

小松先生のご挨拶と、閉会の言葉

 

八起会声明 (昭和54年1月)

40周年では、この声明文が司会の中西氏により、読み上げられました。

【八起会声明】

私達は、昭和初年の一大恐慌以来、五十年にして到来した日本経済不況の嵐吹き荒ぶ最中、
倒産又は休業の憂い目に遭い、死の苦しみと戦いつつ、

尚、再起への信念と努力を互いに寄せ合い、自らの非を反省し、修養と親睦を図り、
諸々の情報を寄せ合い、再起へのエネルギーを蓄えると共に、互いに励まし合い助け合い、

現状打開の為に全力を尽くし、一日も早く立ち上がり、再起の目的を達成せんが為に、
結成された会である。

「倒産」。人生に於いて、これ程、苛酷非情なドラマはない。

債鬼の容赦なき取り立てに泣き、債権者の追跡に苦しみ、裁判の重圧に戦い、
子供の学校間題に悩み、収入の葛藤と戦う。

これら、人生敗残の吹き溜まりに温かい陽は容易に当らない。

この現実への前に将来に希望を失い、人生の脱穀となって薫発し、
或いは死を選ぶ人は後を絶たない。

私達はこの試練を如何に乗り切るか。

倒産、自殺等の人柱はもう結構。

我々は友人、知己を失いしが心寂しさを相補い、再起への導き合いをなし、
倒産後の応急処置を為し合い、家族との円満化を計り、社会復帰まで世の試金石となり、

政治、経済、教育の再検討への先駆を勤め、微笑みの世情を作り出す捨石となり、
この苦しみに喘ぎ、途方に暮れている人々の真の相談者になり得べく努力し、
再起への杖ともなれば本望である。

昭和五四年一月 代表世話人 野口 誠一 / 八起会一同

八起会 40周年記念式典に寄せられた手紙と写真

会員の皆様より、40周年を記念して、寄せられた文章や写真を以下に掲載いたします。

【野口会長との思い出】
お世話になった思い出の一つで、平成9年2月のある日会長より突然電話をいただき、2日間八起会事務所で電話相談役をして欲しい・・・との事。
とても未熟な私に人様の相談事など対応出来ないとお断りしたのですが、強引に押し切られ渋々受けることにいたしました。
事務所での2日間には6~7人の方が電話相談あり、2件かなり難しい返答を求められました。
その相談内容の件で後にかなり私個人として考えさせられた事を記憶しています。
今振り返ってみれば、会長より私に「もっと成長しなさい」と言われているような気がいたします。
会長、いろいろ有難うございました。
      平成29年9月7日           山口 俊雄

会長、奥様、八起会40周年おめでとうございます。
私は福島から毎月、八起会で会長の話を聞くのが好きでした。
経営者としての心構えは、会社の柱となり、次世代へと伝えております。
ありがとうございました。感謝
よろしくお願い致します。  中島正喜