全国の商工議所の会報にて、「失敗から学ぶ企業再生」の題で、野口誠一会長の文章が掲載されています。
ネット上から、これらを集め、読みやすくするためにテキスト化させていただきました。
勝手ながら転載させていただいておりますので、転載を希望されない方は、八起会までご一報ください。( yaoki5soku@gmail.com )
※ 下記のサブタイトルをクリックすると、該当の掲載文に移動します。
サブタイトル | 掲載団体、号数、発行日 |
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誠実は最大の力なり | 沼田商工会議所 No.344(2007年5月1日) |
見栄とお人好し | 鹿屋商工会議所 vol.597(2007年9月1日) |
最新情報に敏感であれ | 新発田商工会議所 第300号(2008年4月21日) |
名刺は語る | 別府商工会議所 第345号(2008年10月15日) |
言行不一致は危ない | むつ商工会議所 第130号(2009年2月1日) |
行列のできる工務店 | 習志野商工会議所 vol.273(2009年12月10日) |
経営者の甘さは命とり | 舞鶴商工会議所 No.245(2009年6月) |
人は石垣、人は城 | 舞鶴商工会議所 No.246(2009年7月) |
経済乱世の時代 | 舞鶴商工会議所 No.254(2010年3月) |
生涯顧客の創造を | 別府商工会議所 vol.597(2010年5月15日) |
愛情は過(あやま)たない | 一宮商工会議所 VOL.584 (2010年9月1日) |
とんでもない経営者 | 八王子商工会議所 第627号(2010年10月10日) |
成功体験に益なし | 川越商工会議所 vol.597(2011年1月) |
汗なくして得るものなし | 新津商工会議所 vol.727 (2011年10月5日) |
もみぢ経営 | 廿日市商工会議所 Vol.148(2012年2月1日) |
計数管理は経営者の基本 | 鹿屋商工会議所 Vol.148(2012年2月1日) |
「誠実は最大の力なり」/ 沼田商工会議所 No.344(2007年5月1日)
企業不祥事が後を絶たない。テレビをつけると、連日のように大企業の経営陣が謝罪している。その頻度の多さもさることながら、質の悪化には驚きを禁じ得ない。
ガス器具による一酸化炭素中毒の死者は、この20年間で199人に上るという。まるで殺人器具の製造販売タレ流しである。
かと思えば、信用が命の金融機関にも不祥事が相次ぐ。生損保の保険金不払いは論外だが、メガバンクもこの1年の間に、3行こぞって業務停止や改善命令を受けている。いずれも不誠実経営の結果と言っていい。
八起会の倒産防止15カ条の中に「誠実は最大の力なり」という一条がある。その心は、「誠実は信用の母であり、その信用を失えば中小企業はひとたまりもなく倒産する」という意味である。
誠実がいかに「力」たり得るか、実例を紹介しよう。
彼は宮城県仙台市で2店のスーパーを経営していたが、大手の進出が相次ぎ倒産を余儀なくされた。
負債総額は1億2000万円。免責は下りたが、責任感の強い彼の心から、債権者に迷惑をかけたという痛恨の思いは消えない。
そこで3人の子供を奥さんの実家に預け、夫婦で上京。朝は2人ともに新聞配達、その後自分は宅配、奥さんはレジ係、夜はホテルの皿洗いと、必死に働いた。少しでも債権者に返したいとの思いからである。
彼は半年に一度、債権者全員に自分の近況を添えてわび状を出し続けた。そして3年が過ぎ、500万円ほどたまったところで、夫婦そろってそのお金を持って仙台へ行き、最大の債権者だった元仕入れ先の社長に頭を下げた。
すると、社長から意外な言葉が返ってきた。「苦労したようだねぇ。このお金と残りは私が出すから、もういっぺんやってみないか。大手が撤退して地元も困ってるんだよ」
こうして彼はまた、スーパーの経営者に返り咲いた。彼と奥さんの誠実が、債権者の心を動かしたのである。
引用先:https://www.numata-cci.or.jp/kaiho/2007/5.pdf
「見栄とお人好し」/ 鹿屋商工会議所 vol.597(2007年9月1日)
倒産者に共通する性格がある。「見栄」と「お人好し」である。この二つがそろったら、倒産間違いなしと思った方がいい。
そのことは30年にわたる八起会の活動と、その間に何度も実施してきた意識調査、アンケート調査などでも明らかである。
見栄の怖いところは、いったん張ったら縮小できないことである。「交際範囲が広がっていく、服装が派手になっていく、次から次へと車を買い替える、ゴルフ場とネオン街に入り浸る」などはその典型といっていい。
このエレベーターが止まるのは倒産のだが、見栄病は倒産してもなかなか治らないある日、新入会員同士の会話を小耳に挟んで驚いた。
4、5人が集まって負債額の自慢である。「私の負債は1億でしたよ」「そうですか。私は2億でした」「それは少ないですね。私は5億でしたよ」といったあんばい。見栄は重い病である。
一方、業績が伸びるにつれて交際費を増やす、高い家賃のところへオフィスを構える。付き合いだからと業界紙誌に不要の広告を出すなどもやはり見栄。
また、町会長、PTA会長、組合理事長など、「長」の付く役職を手当たり次第に引き受けるのも見栄。こうした見栄に取りつかれないように、現役経営者は常に自己点検を行っていただきたい。
次に「お人好し」だが、これは決して褒め言葉ではない。むろん、人柄の良さを意味するものでもない。経営者ならバカにされたと思った方がいい。
「外づらがいい、断わり切れない、人の話をすぐ信用する」。これがお人好しの3大特徴である。だから儲け話などにうっかり乗せられ、だまされたり裏をかかれたりという結果を招く。
それでも反省して改めればまだ救われるが、「だますよりだまされた方がいい」などと言っているようでは先が思いやられる。やがて倒産の時がやってくる。
引用先:http://kanoya-cci.omega.ne.jp/cci/kankokushi/2007/200709.pdf
「最新情報に敏感であれ」 / 新発田商工会議所 第300号 (2008年4月21日)
中小企業を中心に、また倒産件数が増加しつつある。昨年は一万四千九十一件と、三年ぶりに一万件の大台に乗り、今年に入っても高水準に張り付いたままである。
マクロ的にはIT化の遅れ(生産性の低迷)、グローバ化のしわ寄せ(国際競争力の低下)、原油・原材料高によるコスト増などが原因であろうが、ミクロ的には政策ミスも見逃せない。
日本の企業約五百万社のうち、99.7%は中小・零細企業であり、その雇用に占める割合は七割強である。
マスコミは円高だ株安だと、大企業に影響を及ぼすニュスしか報道しないが、日本経済の中核を担うのは中小企業であり、その九割以上は受注産業(なんらかの形での大企業の下請け、孫請け)である。
とすれば、中小企業の弱体化は大企業の危機であ日本経済の危機でもにもかかわらず、当局は建築基準法を改正して住宅着工戸数を減らしたり、貸金業法を改正して融資パイプを絞ったりしている。
中小企業がつな資金として消費者金融に頼っている実態を知らないのだろうか。中小企業がどんなに倒産しようと、公的資金の注入などあり得ない以上、自立と自衛しかない。
八起会の倒産防止十五カ条の中に、「最新情報に敏感であれ」の一条がある。ひと口に情報といっても業界情報から世界情勢まで、その範囲と量は膨大である。
その中から自社の命にかかわりそうな情報を選択し、分析し、活用し、企業行動に結びつけるとなれば、大な能力と労力を要する。が、そこを怠ると「負け組」を免れない。
例えば「サブプライム問題など中小企業には関係ない」では通らない。現実に、世界的金融不安と信用収縮から、リスクを嫌った大量の資金が原油市場へ投機的になだれ、市況の高騰を招いている。
その原油高が中小企業のコスト増に結びつくことは、見やすい道理であろう。それがグローバル市場経済である。
引用先:http://www.shibata-cci.or.jp/dayori/200804/6.pdf
「名刺は語る」/ 別府商工会議所 第345号(2008年10月15日)
だいぶ以前のことだが、北海道の小都市でスーパーを経営する社長が夜逃げし、八起会を頼ってきたことがある。
その名刺を見て驚いた。表も裏も名誉職名でびっしり埋まっている。教育関係あり、商工関係あり、政治・行政関係ありで、一見して地元の名士だったことがわかる。が、よくもこれだけ「会長」「理事長」「委員長」を集められたものと、半ばあきれもした。
私は皮肉をこめて「こんなに名誉職が多くては、会社の経営に携わるヒマがなかったんじゃありませんか」と尋ねた。
彼の答えは「いえいえ、それだけの名誉職があったから、会社が今まで持ったんです。その信用があったから、銀行も農協も目いっぱい貸してくれたんです。その融資がなかったら、会社はとっくにつぶれていましたよ」というものだった。
これには驚いた。信用を逆手にとって借りまくり、あとは夜逃げというのでは、詐欺も同然である。しかも、彼にはまったく反省の色がなかった。
そこでやむなく「あなたに夜逃げされて、債権者はさぞ困っていることでしょう。連鎖倒産や責任問題が発生するかも知れません。みんな、あなたを助けてくれた人たちですよ。早く帰ってきっちりと整理しなさい」と諭さざるを得なかった。
しかし彼は「戻るくらいなら夜逃げなんかしませんよ」と、まるで聞く耳を持たなかった。
ときにこういう猛者もやってくる。が、しょせん夜逃げは「世逃げ」である。逃げた分、再起の道は遠のく。
その後、彼がどうなったのか知らないが、それ以来、私は名刺をいただくと、つい裏返しにして見る癖がついてしまった。
人には多かれ少なかれ、名誉欲というものがある。名誉職を頭から否定するつもりはないが、経営者に限っては「ほどほど」にとどめておくべきである。
経営は片手間にできる仕事ではないのだから。
引用先:http://www.beppu-cci.or.jp/beppucci/newspdf/345_346.pdf
「言行不一致は危ない」/ むつ商工会議所 第130号 (2009年2月1日)
私は常々「ときどき不況はあったほうがいい」と言っている。懸念に努力されている経営者にはしかられるかもしれないが、不況はバブル経営者をふるいにかける絶好の機会だからである。
規模の大小にかかわらず、企業が社会の公器である以上、社会に貢献できない企業や、社会に迷惑をかける企業には退場してもらうしかない。
この淘汰(とうた)を通じて偽装や談合などの不祥事を撲滅し、健全な企業社会をつくる必要があろう。
米国発の金融災害に巻き込まれ、わが国の企業倒産が急増している。八起会の相談件数も急増中だが、どうも経営以前の問題が少なくない。
このところ「百年に一度の危機だというのに幹部が動かない、社員が働かない」「取引先が現金でなければ取引しないと言いだした」などの相談が少なくないが、よくよく話を聞けば、大方が経営者の言行不一致に原因がある。
約束通りにボーナスを出さなかったら、どんな社員だって怒る。支払期日を守らなかったら、どこの取引先だって腹を立てる。当たり前のことである。
ところが言行不一致型の経営者は、その当たり前のことがわかっていない。だから「10%ぐらい我慢してくれたっていいじゃないか」「1カ月ぐらい待ってくれたっていいじゃないか」と認識が甘くなり、信用を失っていく。
そういう経営者に対しては、次のようにアドバイスするしかない。
「おそらく、完全に言行の一致する人間など一人もいないでしょう。その点では、一人の人間としてみれば社長も社員も、役員も政治家も似たり寄ったりかもしれません。
しかし、トップやリーダーと呼ばれる人たちに限っては、言行の不一致が命取りになります。それは彼らの言が多くの人たちを左右しているからです。
いったんそこに不信が生ずれば、誰もその言に従いません。経営者ならたちまち倒産です」
言行不一致の経営者は危ない。
引用先:https://www.mutsucci.or.jp/kaiho/pdf/kai130.pdf
「経営者の甘さは命とり」/ 舞鶴商工会議所 No.245(2009年6月)
昨年度の企業倒産件数は、前年度比12%増の1万6146件と高水準に達した。
米国発の金融危機だから、100年に1度の世界不況だからと、まるで「天災」のような論調が目立つが、真の原因が天災のあり得ること、それに備えることを忘れた経営者の「甘さ」にあることは言うまでもない。
私は常々「倒産はすべて経営者の甘さから起きる」と言っている。
八起会の中にも、だまされたり詐欺にあったり、安易にもうけ話に乗ったり連帯保証人になったりと、甘い体質を突かれて倒産を余議なくされた会員が少なくない。
そこまででなくても、社員教育やリストラに腰が引けたり、手形や借り入れに無警戒だったりと、小さな甘さが大きな墓穴につながるケースは枚挙にいとまがない。
ただ、ひと口に甘さといっても、甘い経営者は自分を見つめる目も甘いので、なかなかその甘さに気付きにくい。
そこで必要になるのが自分の甘さを指摘してくれる「他人」である。私が「師匠をつくること」「自分よりレベルの高い人たちと交わること」と強調するのもそのためにほかならない。
わが会員で見事に自分の甘さを克服した二人の例を紹介しよう。一人は倒産経験者だが、もう一人は創業から順調な経営が続いている。
前者は倒産後、その原因が自分の計数管理の甘さと、数値をすべて経理マンに丸投げしていたことにあったと気付き、倒産してから夜間の簿記学校に通って自らの甘さを克服し、見事に再起を果たした。
一方、後者は毎晩「甘さ日記」を付けている。その日あったことをすべて反省し、その中に経営者として甘さがあればそれをメモに残し、二度と同じ過ちを繰り返さないように自戒している。
例えば「社員のミスはその場で注意すること」とか、「今日は得意先に妥協しすぎた。次は改めるべし」というようにである。
この「甘さ日記」は大いに参考とすべきであろう。
引用先:https://www.kyo.or.jp/maizuru//05_kaiho/245/245-04.pdf
「人は石垣、人は城」 / 舞鶴商工会議所 No.246 (2009年7月)
今年の正月、東京・日比谷公園のテント村の光景が、何度となくテレビ画面に流れた。自動車や電機関連の企業から放り出され、行き場を失った非正規労働者たちのテント村である。
それは図らずも、企業(経営者)の労働者に対する愛情のなさを浮き彫りにした。もっとも派遣社員の給料は、人件費ではなく物品費だというから、初めから人間扱いされていなかったのであろう。
続いて今年の春闘。ベア・ゼロ、定昇凍結が相次ぎ、日本の昇給率はほぼゼロ。世界の平均昇給率4.7%に遠く及ばない。ついに企業(経営者)は、正規社員にまで愛情を凍結したようである。
八起会に「危ない経営者十ヵ条」という虎の巻がある。その中に「社員・従業員に愛情のない経営者」という一条がある。
ローテーションで経営者が代わっていく大企業の場合は、愛情のなさもさほどの禍根とはならないが、中小企業の場合は命取りになる。
八起会へ相談に来るのは経営者だけではない。ときどきサラリーマンも来る。
先日も若いサラリーマンが相談に来て、「うちの社長は社員を自分の使用人ぐらいにしか思っていません。平気で私用を言い付けるし、土・日は当番制で社長宅の掃除です。去年お盆休みには墓掃除までやらされました」と言う。
とんでもない社長もいたものである。が、私はそれほど驚かなかった。似たり寄ったりの経営者を多く見ているし、そのほとんどが倒産を余儀なくされた事実も知っているからである。
「社員・従業員に愛情のない経営者」は、ほかならぬそのことによってつぶれていく。
武田信玄ではないが、「人は石垣、人は城」だからである。「人」という石垣に穴があれば、あとは落城(倒産)しかない。
大企業といえども、今回の大量派遣切りは著しく企業イメージを損なった。やがて景気が回復したとしても、果たして彼らが戻ってきてくれるかどうか分からない。
八起会 会長 野口誠一
引用先:https://www.kyo.or.jp/maizuru//05_kaiho/246/246-06.pdf
「行列のできる工務店」/ 習志野商工会議所 vol.273(2009年12月10日)
私は常々、会員に「心で稼げ」と指導している。心で稼ぐとは、顧客・費者の立場に立ってモをつくる、販売する、サービスを提供する、という意味にほかならない。
言うなれば、顧客本位、顧客第一主義である。このスローガンを社是・社訓の中に掲げていない会社まずあるまい。が、その精神が社員の一人ひとりにまで浸透しているかといえば、なかなかそうはいかない。
最終的に企業を支えるのは顧客である。とりわけ自社商品・サービスのファン、リピーター、生涯顧客は会社にとってかけがえのない財産である。それは新規顧客の獲得に要する時間とコストを考えれば明らかであろう。
いまやあらゆる商品・サービスの価値と価格決定権は、顧客つまり消費者側にあるといっていい。
そうした時代に生き残り、勝ち残っていく最大の条件は、いかにして生涯顧客を創造していくかにある。とすれば、徹底して消費者の立場から、「心で稼ぐ」しかない。
一例を紹介しよう。八起会の会員で、「行列のできる工務店を目指す」と目標を掲げ、徹底して「心で稼ぐ」を実行している経営者の例である。
彼の会社は注文住宅の建築が7割、リフォームが割である。社員は1人にすぎないが、3人の事務員以外はすべて大工、技術者である。
営業マンは一人もいない。技術の無い営業マンでは、その場その場の顧客ニーズに即応できないかである。従って技術者全員が営業マンであり、チラシも全員が自ら配って歩く。
そのチラシには、「私たちの三つの約束」が書かれてある。
「一、お客さまの立場に立って提案させていただきます」
「二、お客さまとの縁を大切にします」
「三、お声を掛けていただくまでは訪問致しません」
以上の三つである。
この徹底して顧客サイドに立つ姿勢が信用を呼び、目下、彼の受注の8割は「顧客紹介」によるものである。
引用先:https://www.narashino-cci.or.jp/images/saishin/kaihou/pdf/kaihou_2009_12.pdf
「経済乱世の時代」/ 舞鶴商工会議所 No.254(2010年3月)
政府がデフレを宣言することは、そのアナウンス効果を考えれば異例のことである。しかし実態的にはデフレであり、今はそのスパイラルに陥るかどうかの瀬戸際といっていい。
中小企業にとっては当分厳しい経営環境が続く。だが、そうした中にも変化の兆しはある。政権交代は政治だけでなく、経済の流れも変えていく。そのキーワードが「コンクリートから人へ」である。
これは、従来型の公共事業はどんどん減っていく、代わりに医療・介護・健康関連のサービス産業が伸びていく、という経営者なら聞き捨てならないメッセージである。
加えて食料自給率50%、木材自給率50%を目指すとあれば、完全に内需主導型の成長戦略といっていい。これは経済構造の転換、もっといえば経済乱世の到来を意味する。
乱世なら中小企業の出番である。意思決定が素早く小回りが利くからである。
日本の歴史に戦国乱世の時代がある。それまでは日の本六十余州といわれ、67人の守護大名が全国を支配していた。
しかし、応仁の乱をきっかけに国中が乱れ、戦国乱世へ突入していく。その戦いの中で守護大名(大企業)は、地方の豪族(中小企業)にことごとくつぶされ、残ったのは島津、細川、佐竹の3家のみ。
ほかの64家はすべて倒産を余儀なくされ、勝ち残った地方豪族が戦国大名として歴史の表舞台に躍り出ていく。それが信長、秀吉、家康である。
なぜこんな奇跡が起きたかといえば、中小企業の社長(戦国大名)が、常識にとらわれぬ発想と素早い意思決定、そして小回りの利いた行動を展開したからである。
経済乱世は中小企業にとって望むところ、チャンスといっていい。
このようなことを書いたのは、先日ある地方で講演した折、地元の土建業の社長から「土建国家はもうおしまいです。うちはいま介護事業に取り組んでいます」と聞かされたからである。
引用先:https://www.kyo.or.jp/maizuru//05_kaiho/254/254-10.pdf
「生涯顧客の創造を」/ 別府商工会議所 vol.597(2010年5月15日)
昔、新入社員の研修といえば、「これから皆さんは、誰から給料をもらうことになると思いますか」という質問から始めなければならなかった。
「会社から」や「社長から」が圧倒的に多く、中には「経理から」などという珍答もあって、「お客様から」という正答はなかなか出てこなかったものである。
会社自体も、社是・社訓に「顧客本位」や「顧客第一」をうたっていても、その精神が組織の隅々に、社員の一人ひとりに浸透していたかどうかは疑わしい。
それは会社の人事組織図を見ればよく分かる。一番上に社長が座り、以下、取締役、幹部、一般社員と連なるピラミッド型が大半で、顧客の文字はどこにもなかった。
顧客第一なら、社長の上に顧客があってもおかしくないのだが、そんな組織図は見たこともない。
私は常々、「心に汗をかけ」「心で稼げ」とアドバイスしているが、それは顧客・消費者の立場に立ってモノをつくり、販売し、サービスを提供しなさいという意味である。
最終的に会社を支えるのは顧客だからである。とりわけ、自社商品・サービスのファン、リピーター、生涯顧客は、会社にとってかけがえのない財産である。
それは、新規顧客の獲得に要する時間とコストを考えれば、おのずと明らかであろう。その最大の財産を組織からはじき出し、いくら経営企画室や経営戦略室などをつくっても意味はない。
デフレ、グローバル化時代の価格決定権は、顧客・消費者側にある。そういう時代こそ、いかにして生涯顧客を創造し、いかにしそれを組織の中へ取り込むかが「勝ち組」の決め手となる。
とすれば、経営の選択肢はただ一つ、徹底して顧客・消費者の立場に立つことしかあり得ない。すなわち、心に汗をかき、心で稼ぐ、そのことである。
食品偽装や企業の不祥事が相次ぐ昨今だが、そういう「心で稼げない」会社は「負け組」どころか、真っ先に淘汰(とうた)を免れまい。
引用先:http://www.beppu-cci.or.jp/beppucci/newspdf/364_365.pdf
「愛情は過(あやま)たない」 / 一宮商工会議所 VOL.584 (2010年9月1日)
「愛情は過(あやま)たない」 / 一宮商工会議所 VOL.584 (2010年9月1日)
八起会へ相談に来る経営者は、たいてい夫婦同伴である。中には、奥さんに伴われて、というケースも珍しくない。どうも男は、特に経営者は、日ごろ威張っているせいか、恥かきベタのようである。
そうしたご夫婦の訴えを聞いていると、苦境を招く経営者には、どうも共通のタイプがあるように思われる。
それは、「ワンマン」「独断専行」タイプであり、「人に相談しない(あるいは相談する相手を持たない)」「人の忠告に耳を傾けない」タイプである。
そういうタイプだけに、ほとんどの奥さんにとって、倒産(およびその危機)は寝耳に水といっていい。
八起会では、「奥さんがNOと言ったらやめましょう」と指導している。それは、奥さんの判断の方が優れているという意味ではない。
ご主人の資質、性癖、能力を一番よく知っているのは奥さんであり、ご主人の成功と幸福を一番願っているのも奥さんだからである。
従って、奥さんはそういう大局的見地や愛情から判断を下す。世の中で一番間違いのない判断は、愛情に基づく判断といっていい。
八起会のメンバーの中に、素晴らしいご夫婦がいる。
奥さんは倒産したご主人を責めもせず、2 人の子どもを前に、「今まではお父さんにぜいたくさせてもらったんだから、今度は私たちがお父さんに恩返しする番ですよ」と説き、自ら進んでパートに出て働き始めた。
それを見て、2 人の子どももそれぞれにアルバイトを始め、3人で 生活を支えた。
その間、ご主人は家族の愛情に包まれながら心の傷を癒やし、やがてかつての仲間と共にITの関連会社を立ち上げ、再び経営者に返り咲いた。倒産からわずか2年後のことである。
何かといえば「会社のことに口を出すな」式のワンマン・独断タイプの社長では、こうはいかない。
「夫のすべて」を知る妻を遠ざけるのは、あまりにももったいない。
引用先:https://www.ichinomiya-cci.or.jp/images01/1009gatu.pdf
「とんでもない経営者」/ 八王子商工会議所 第627号(2010年10月10日)
だいぶ以前のことだが、若いサラリーマン風の男性が相談に来たことがある。聞けば、彼の勤める会社は総勢20人ばかりの鉄工所で、経営は以前から苦しかったという。
ボーナス期になると、社長が全社員を消費者金融へ走らせて個人的に借金をさせ、その金をまとめてボーナスに充当。その返済は社長が行っていた。
ところがその夏、例のごとく社員が消費者金融から借金してきたところ、社長がその金(500万円)を持って夜逃げしてしまったという。
「その借金は自分たちが各自で返さなければいけないでしょうか」というのが彼の相談だった。とんでもない社長もいたものである。私は驚きを通り越して呆れてしまった。
私は、銀行などが貸し渋りだしたら経営は「赤信号」、消費者金融に手を出したら「倒「産への一里塚」、違法な金融業者に足が向いたら「地獄の一丁目」と定義している。
経営者が安易な借金や高利の借金に手を染めるとき、それは倒産の予兆といっていい。もともと、資金に行き詰まっての借金なのに、高利など払えるわけがないのである。
大方の倒産者が「銀行の融資さえあれば潰されずにすんだものを」と銀行を恨むが、そうではあるまい。経営者の「まだ」よりも、銀行の「もう」のほうが正しい場合が少なくない。
私は常々「中小企業の経営者にとって、銀行の融資態度こそ自社の健全度を測るパロメーターです」と言っている。
この鉄工所の社長も、銀行に見放されたから、社員を消費者金融へ走らせたのであろう。いずれ倒産は免れなかったに違いない。
私は相談に来たサラリーマン風の男性に「これは詐欺です。犯罪です。すぐに警察に届けなさい。会社は倒産したも同然です。早く社長を見つけて整理しなければいけません。従業員の取り分が第一に保護されますから急ぎなさい」とアドバイスして帰した。
その後どうなったかは、報告がないので分からない。
引用先:https://hachioji.or.jp/wp-content/uploads/2019/11/201010.pdf
「成功体験に益なし」/ 川越商工会議所 vol.597(2011年1月)
武田信玄は「勝ちすぎてはならない」と旗下の武将を戒めたという。大勝しすぎると、その成功体験にとらわれてしまうからである。
同じ戦法がいつまでも通用するはずがないし、敵も次には対策を講じてくるに違いないからである。
にもかかわらず、息子の勝頼は、古いビジネス・モデル「騎馬軍団」で長篠の戦いに臨み、織田・徳川連合軍の新しいビジネス・モデル「鉄砲軍団」の前に惨敗を喫し、滅亡を余儀なくされた。
経営も同様である。過去の成功体験にとらわれている限り、「ジリ貧」を免れない。そのことは、日本経済の長期低速、失われた20年が如実に証明している。
最初の10年はGDP世界第2位、一人当たりでは米国を抜くまでに成功した「日本的経営」を捨てきれず、時代の求める市場経済、グローバリゼーションへ向けた構造転換が遅れた。
そして次の10年、いくら待っても新しい成長がない限り、地価も株価も元へ戻らないと気付いたか、ようやく新しいビジネス・モデルの構築に乗り出した。
だが、その矢先、折からの輸出の好調と円安に支えられ、製造業から徐々に回復が始まり、新しいビジネス・モデルの構築は中途半端に終わった。
そして今、リーマン・ショックにギリシャ・ショックが重なり、日本は20年来のデフレと15年ぶりの円高の中で、出口を見失いつつある。成功体験にこだわり、経済の構造改革を怠ったツケといっていい。
経営にとっては、当分、冬の時代が続くかもしれない。
大企業は150兆円もの手元資金があるというから、そこそこ持ちこたえられるかもしれないが、金融円滑化法や緊急保証制度頼りの中小企業は、かなり危ない。
危機感を持って経営の方向を定める必要がある。海外に目を向けるなら新興国、国内なら医療・介護、教育、農業、観光、環境などの成長分野であろう。
国内にしろ、海外にしろ、大企業が手を出しにくい分野がいい。
引用先:https://www.kawagoe.or.jp/wp-content/uploads/2019/11/c2011_01.pdf
「汗なくして得るものなし」 / 新津商工会議所 vol.727 (2011年10月5日)
人は成功しようと思えば、(誰でも)忍耐と努力を強いられる。中小企業の経営者の場合、それが一生続くと言っても過言ではない。
会社を維持、継続、発展させていくのが彼らの仕事だからである。
徳川家康は「人の一生は重荷を負うてき道を行くが如し」といったそうだが、まさしく名言であろう。
私は常々、「倒産者は人の倍も3倍も忍耐・努力しなければならない」と戒めているが、そこには2つの意味がある。
一つは、人の何倍も忍耐・努力して、一日も早く再してほしいと願うからである。もう一つは、謝罪と反省の意味においてである。
言うまでもなく、倒産は多くの人に迷惑を掛ける。家族はもちろん、社員や取引先、金融機関など、多くの債権者に累が及ぶ。
たとえ破産、免責になったとしても、その道義的責任は免れない。とすれば、謝罪と反省の心を込めて、人の何倍も忍耐・努力するのは当然であろう。
ところが、いつのころからか、そうした道義的責任を感じない倒産者が増えている。八会の「倒産110番」にも、「倒産寸前です。何とか財産を残す方法はないでしょうか。
有利な整理の方法を教えてください」とか、「財産を妻の名義にして離婚すれば、債権者に取られずに済むと聞きましたが、本当でしょうか」などという相談がひっきりなしである。
今にして思えば、大手銀行に公的資金を投入して救済したあたりから、モラルハザード(倫理欠如)が横行し、倒産者から道義的責任を奪ったようである。
だが、世の風潮がどうあれ、忍耐・努力の継続が再の条件であることに変わりはない。
プロ野球の選手だってスランプに陥れば、「もう一度、体をいじめ直してきます」と言って2軍へ落ちていくではないか。
まして、倒産者はなおさらである。
「汗なくして得るものなし」。中小企業の経営者にとって、忍耐と努力の「汗」は経営資源と言っていい。むろん汗は体だけではなく、心にも頭にもかくべきであろう。
引用先:http://niitsu.or.jp/hot/backno/hot2011/hot727-3.pdf
「もみぢ経営」/ 廿日市商工会議所 Vol.148(2012年2月1日)
もっぱら「衣食足りて礼節を知る」というが、それだけでは人生あまりにももったいない。
「経営の目的は還元なり」をモットーとする私にとっては、「礼節を知って奉仕へ赴く」とならなければ、とても充実した経営、充実した人生とは言い得ない。
誰しも自分の人生、自分の経営には全力を尽くす。しかし、それは人生の半面、経営の半面に過ぎない。
世のため人のために何ができるか、すなわち人生の「裏」が輝かなければ、充実した人生とは言い難い。
同様に、経営も規模や利益の拡大のみをもって評価するわけにはいかない。いかに社会へ貢献したか、還元したか、そこが問われねばならない。
こういうと、まず大抵の人は「余裕ができたら奉仕でも何でもしますよ」と言う。大抵の企業は「儲かったら貢献でも何で「もしますよ」と言う。が、それでは順序があべこべであろう。
その人の中に、あるいはその企業の中に、奉仕の精神が根付ていない限り、いくら余裕ができても、いくら儲かっても、おそらく社会還元をする日はあるまい。
一代で渋沢財閥を築いた渋沢栄一は、「余りあるを待救わんとするは、ついに人を「救う日なし」と言っている。余り(利益)がなければ社会に奉仕できないというのは、しょせん言い訳に過ぎない。
金儲けは難しいが、金づかいは簡単だと誰もが思っているに違いない。が、本当は逆だ。金の使い方ほど難しいものはない。それによってその人の本質、その企業の体質が暴露されてしまうからである。
よほど心しないと、金を使っているつもりが、いつしか金に使われていた、などということにもなりかねない。
私が常々「経営者は生きた金の使い方を知り、倒産者は金に振り回される」と言っているのも、そのことにほかならない。
良寛さんに「裏を見せ表を見せて散るもみぢ」と、味わい深い句があるが、私たちもそうい「もみぢ」になりたいものである。
引用先:https://cci201.or.jp/2021/wp-content/uploads/2021/05/201202s1.pdf
「計数管理は経営者の基本」/鹿屋商工会議所 Vol.148(2012年2月1日)
これから中小企業経営者の皆さんとともに、「倒産しない方法」「倒産しても再生できる方法」などについて考えていきたいと思う。
私たち八起会は、足掛け30年にわたる活動で蓄積したノウハウを「経営虎の巻」としてその都度公表してきた。
その中には「倒産防止15カ条」や「再起の条件15カ条」などの虎の巻もある。本欄では、そのあたりを中心に紹介していくこととする。
言うまでもないが、経営者の最大の仕事は会社を倒産させないことである。そのためには、経営の実態を的確に把握しておかなければならない。それを映す鏡が、財務諸表の数字である。
にもかかわらず、その数字に無頓着(むとんちゃく)であったり、なかには数字そのものが読めない経営者も少なくない。
それでは車の無免許運転同様、いつ事故(倒産)が起きても不思議はない。これまでにも計数管理を怠って倒産した例は枚挙にいとまがない。
例えば、「商品が売れているからもうかっているはず」「受注が途切れていないから利益も上がっているはず」などと、どんぶり勘定でアバウト経営を続けて倒産した企業もあれば、計数管理を税理士や経理マンに丸投げした結果、ごっそりと穴を開けられて倒産した企業もある。
かと思えば、そうした危険をいち早く察知し、ひそかに夜間の簿記学校に通って数字に強くなり、順調に業績を伸ばしている経営者もいる。
「計数管理」は経営者の基本であり、最低条件である。会社の目標も計画も、正確な数字をつかまずして立てられようはずがない。
数字に相談なく、忙しくなったから人員を増やす、人員が増えたからオフィスを広げる、などというのは場当たり経営である。それでは順風のときはともかく、逆境のときにはひとたまりもない。
経営の実態はいや応なくバランスシートに表れてくる。そこを読む、読めることが経営者の第一条件であろう。
「経営は数字である」と言いたいゆえんである。
引用先:http://kanoya-cci.omega.ne.jp/cci/kankokushi/2007/200703.pdf