八起会 12月忘年会 (2015/12/20)
12月は、毎年恒例の忘年会。
今年は、残念なことに野口会長が体調を崩され欠席されましたが、会員25名が集まり、楽しいひと時を過ごしました。
(その様子は、会員HPに掲載しております。)
八起会 11月例会 (2015/11/21)
「定年後は田舎が良いか、都会が良いか」というテーマで、八丈島に住まれるT会員にお話いただきました。
10年前に八丈島で古民家を購入し、リフォーム。囲炉裏、掘りゴタツ、かまどご飯。畑で取れた有機野菜を食べ、時にはウッドデッキでパンやピザ。月に一度は、近所の皆さんとバーベキューを楽しむ・・・
まるで理想的に思える田舎暮らしをしていますが、もちろん、困ることも。
新潟で生まれ、自然に囲まれて育ってきたが、18歳で上京してからは都会暮らし。健康食品の会社に長年勤め、多くの人に健康になる方法を伝えてきた。特に食の大事さ。「一物全体、身土不二」「食保に勝る、薬保なし」と言われるように三度の食事は薬より大事。皆さんにあまり知られていない食の健康法があります。喘息にレンコン、玉ねぎの皮を煎じて飲めば血圧を下げる。トウモロコシのひげを煎じて飲めば利尿剤になど。
健康を進め、健康を売ると言う立場ながら、自分はまるで逆の生活。営業としてトップを目指し、部下を鼓舞して実績は上げたが、食べ過ぎ、深酒、夜更かし・・・56歳で倒れる。
脳血栓の病気。これは惨めな病気で、食べ物はぽろぽろこぼすし、しゃべることができない。その時は死んだほうがマシと思った。
そんなとき、娘に言われた「残りの人生は、景色の良いところでゆっくり生きたらどうか」。「温泉があり、あたたかく、病院があって、不動産が安く、東京都の中」そんな条件を並べて、良い場所を探すことにした。いろいろと探し、最後に見つけたのが、八丈島だった。
最初は快適だった八丈島。しかし、2ヶ月もするとやることがない。農業を学ぶ意味も含め、思い切って地元の八丈高校園芸科に入学した。孫のような同級生と、野菜作り、土壌作り、食品製造、バイオテクノロジー、花の栽培など様々なことを学んだ。卒業後は、シルバー人材センターの紹介で、八丈島の資料館の受付の仕事をしている。
さて、島の暮らしは良いことばかりではない。
一番目に困るのが、悪天候。飛行機でも船でも悪天候になれば、欠航になる。東京で用事があったら、一日前に来ておかないと危ない。帰りが一日遅れることもある。ホテル代が高く掛る。船での移動はとんでもなく揺れて、大きな船でも船酔いを起こす。
二番目は虫。今の季節なら、ヤスデが夜たくさん道にいる。踏んでしまうと油ですべるし、臭い。毛虫も多い。通年入るのが、カタツムリ。野菜をどんどん食べてしまう。撒きたくない農薬を撒かなければいけない場合がある。羽蟻の季節には、夜電気を消して寝ないと、ものすごい数が家にくる。下駄箱に蛇が入ってきて、大騒ぎになったこともある。
三番目は資産価値の下がり方が酷いこと。都会のマンションなら、早々相場は下がらないと思うが、こちらで買った家は半値にしても買う人がいない。こちらで家は買うべきでなかった。東京のマンションを人に貸し賃借料を得て、島では家を安く借りればよかった。
もちろん、良いことも多い。
今日、ゆくところがある。今日、やることがある。島では気候も安定していて、冬も寒くないし、夏も都会ほど暑くならない。自分としては、ずっと島で暮らしたい。ただ、年に2回くらいは東京にくるのが理想。
【野口会長の言葉】
皆さんにお聞きしたいが、
田舎で暮らしたい人、手を上げてください。(結果、0人)
都会で暮らしたい人、手を上げてください。(結果、10人)
(迷っている人 10数人)
都会で暮らす、田舎で暮らす。皆さんが思う意見、それぞれ正しいと思います。
さて、Tさんのお話。田舎に魅力を感じた人には参考になったかと思います。Tさんは、計画的で判断・決断が良かった。特に高校に入ったこと。「還暦過ぎての高校生」は、町でも評判になったことでしょう。自ら宣伝などしなくても、それだけで皆さんが打ち解け、まじめな人だと信用が広がる。そうなれば、何を話しても何をしても大丈夫。信用を作ってゆくのはとても大切なこと。よそ者を嫌う土地柄もある。
私の娘も田舎に嫁いで行きましたが、旦那さんを信頼し、愛しているから、どこにでも行けた。そういう点で女性は強い。旦那さんの兄弟や親戚と仲良く付き合っている。
さて、全国を回る仕事をしている会員のYさん。もうじき定年なので、どこに住みたいですかと聞いたら、東北地方にということでした。気に入った土地があるのでしょう。
私自身は、東京がいい。中学の頃の疎開で良い思い出が無い。住んだところは牛小屋。電気も水道も無い、吉幾三の歌そのまま。東京に帰りたくて仕方ないから、一生懸命勉強して、大学を受験した。虫も嫌い、野菜も嫌い。畑いじりはトンでもない。こんな人間に田舎暮らしは無理。
さて、八起会では、夜逃げをしてきた人にアンケートを取ったことがあります。田舎から逃げた人、ほとんどが東京か大阪に逃げていました。就職できるし、借金取りに見つからないと。東京の人はどうしたかといえば、東京の中で逃げ回っていた。人口が多いので見つからないと考えた。
最近、病気になられたN会員から手紙が来ました。自分は田舎暮らしが理想と思っていたけれど、病気になってみると大きな病院のある都会が助かると。病気の多い人には、都会が良いのかもしれません。Nさんには、一日も早く元気に退院して欲しい。
八起会の事務所ですが、今回、移転することになりました。地主が変わり、立て直すので4月までには出て行って欲しいとお願いされた。ぐずぐず言うのもイヤなので、早速引っ越し先を見つけることにしました。
1つの場所に30年も居続けると、運気が逃げる。今の事務所は33年もたつが、歳をとって動くのがおっくうになっていた。そこにこの話。勿怪の幸いとプラス思考で捉えていたら・・・
上野駅のなるべく近く。下町でやりたいという希望通りの場所が、今の事務所の近くに見つかった。今度の事務所はエレベータがあり、今の事務所よりもずいぶん楽になる。この事務所はKさんが見つけてくれた。
何とか40周年が終わるまでは頑張る。新しい出発に、新しい茶碗や新しいテーブルを寄付させてくださいという会員の申し出があった。素直にありがとうと受け取らせていただきます。
新しい事務所になっても、ぜひ気楽に来てください。
八起会 10月例会 (2015/10/17)
今月のテーマは「ワンマンは善か悪か」。
「ワンマンだから成功した、ワンマンだから失敗した。良い、悪いの分岐点は?」について、皆で話し合いを行いました。
※ 今月はHP担当が休みのため、野口会長の言葉のみお伝えします。
社長にはすぐになれるが、社長のワンマンでは悪。経営者のワンマンこそ善。経営者のワンマンと社長のワンマンは違う。社長のままでは失敗する。これから自分の体験を元に、わかりやすく「悪いワンマン」を説明したいと思います。
① 公私混同。一番悪いワンマン。ゴルフ・酒など何でも領収書に変えて、会社の金を使いまくる。
② 社員教育なし。命令だけで教育なし。ノルマを掛けるだけ。社員の幸福を考えていない。
③ 反省なし。競輪競馬など遊びばかりを反省では良いワンマンになるわけがない。
④ 危機感なし。赤字になっても何とかなるよ。これでは経営者ではない。
⑤ 良質な人との人脈なし。悪友ばかりの付き合い。面白いだけの付き合い。共存共栄の心なし。他人の心配などしない。
⑥ 還元の心なし。経営者の目的は還元であるのに、自分の金は自分のものとガメツイ。私は倒産してようやく寄付などし始めた。
⑦ 怒りっぽい、すぐに喧嘩する。これは失敗を招く元。
⑧ 感謝の心なし。
⑨ 女房の言うことを利かない。うちの家内のように何でもいうことを聞いてしまうのは、経営にはマイナス。必要なときは指摘してくれる女性のほうが良い。妻のいうことを聞く度量が男には必要。
⑩ 志なし。人徳のないワンマン。倒産して当たり前。
私は超ワンマンでこの10項目、全て悪かった。
それでも1つだけ、良いワンマンがあったとすれば子供の教育。自分の親を反面教師にして、子供の教育だけはしっかり行った。良い友人のいる、良い学校を選ぶことは親の務め。毎日車で送るほど遠い学校に入れた。低学年のうちは家内に任せたが、高学年になると学校に行って、PTA会長を務め、先生とも仲良くやった。
二番目の子供がイジメに会ったときは、即転校させた。その途端に明るさを取り戻した。子供と動物園にゆくなら普通は全員連れてゆく。しかし、私は一人ずつ連れてゆく。いつでも子供の自由に好きな動物を見させる。子供を連れて歩くのではなく、子供についてゆく。
子供の教育だけはうまくいったと自慢できる。子供も妻も「お父さんを尊敬している」といってくれる。倒産したけれど、これだけは良かった。
社長の「悪いワンマン」10項目。今は1つもなくなった。
八起会 9月例会 (2015/09/19)
印刷業を営まれ、倒産の危機から復活された Kさんの講演会を行いました。
1935年生まれ、80才。小学生のときから赤面症。さらに目の病気で涙腺が広がりすぎ、涙が出やすい体質なので話は苦手。
中学2年生のとき、壁新聞を勝手に張り出して起こられたことがあったが、自分の印刷人生の一歩であった。高校のときは、米軍相手の新聞社でアルバイトをした。
高校卒業後は、英語の専門学校にいった。家が貧しく学費は全てバイトでまかなった。バイトは進駐軍の使い走り。自転車で都内のどこにも行った。
その後、印刷屋になるため町工場に修行に入った。
ここで、生涯の趣味となる将棋にであう。当時の昼休みは他に娯楽がなく、とにかく将棋ばかり指していた。若い頃は頭の中に将棋版を10個入っていた。3段の腕前までゆき、5段に勝ったこともあった。ある新聞主催の東京代表大会にも参加したことがある。
1964年の東京オリンピックまでは、とても儲かった。印刷屋全盛期の時代。
30代になり、職人としての細かい仕事が嫌になってきた。当時は文字を1つ1つ拾って活版を作り上げる。大変な仕事だった。
35歳で自分の工場を持ったが、オイルショックで紙がなくなるという大きな経営危機に見舞われた。仕方なく、他の工場の工賃仕事で糊口を凌いだ。
第二次オイルショック以後は、活版の時代から平版の時代に。さらにオフセットへと印刷の主役が移り変わり、今までの機会が使えなくなった。追い討ちを掛けるように得意先の倒産。家内のタイプ仕事で行き乗ったが、家賃も給料も出せない状況まで追い詰められた。
その後、思い切ってオフセット印刷に乗り出し、少しずつ復活することができた。
活版印刷を続けた同業の仲間たちは、どんどん廃業・倒産していった。
(文面には載せませんが、その後、Kさんの同級生、Sさんが川柳についてのお話をされました)
【野口会長の言葉】
この時期になると思い出すことがあります。倒産しかかったある私立高校を助けたときのお話。
男子のみの私立高校。積もって借金が2億。コンサルに入って、まず行ったことが合格者300人のところを350人採ることに。先生には反対されたが、統計を見ると毎年夏休みまでに80人がやめていた。それならその分大目に入学させればいい。
次に行ったのが、来年の受験生を増やすこと。中学校を回り、挨拶していった。「理事長と理事が挨拶に来た」「こんなことは初めて」と大歓迎。「うちの学校は、こんな特色があります」と説明してゆき、受験生は前年の倍に。受験料が増えた。後は、どう辞めさせないか。危ない生徒には必ず家庭訪問させた。辞める生徒も激減した。2億の借金は、ほどなく返すことができた。
本日のKさんとご友人の方は、80才。戦前の教育を受けている。戦前の教育とは「修身・道徳」。なんとか復活させて欲しい。教育勅語はすばらしい。愛国心・礼儀作法・親孝行・目上を敬う。新聞雑誌が自殺者3万人という。これを減らすには修身を復活させればいい。NPOが自殺防止をしても、根幹から変えないとダメ。
Kさんのお話、赤面症というがとても上手かった。涙が出るのは武器。客が感動する。
Sさんのお話、川柳はとてもいい。笑顔を作る、家庭円満につながる。自分で作らなくてもいい。他の人のものを覚えて話す。10に1つ笑えればいい。個人的には、将棋がダメ。時間の掛かるものは大嫌い。すぐに勝負が決まるメンコ・ベーゴマばかり遊んでいた。
友達は良いものだが、商売相手だと難しい。お客様や、仕入先、下請け業者。
調子の良いときはいいが、倒産すれば誰も来なくなる。これは本当の友達ではない。
このお二人は良質な付き合いだが、悪友との付き合いは時に人生を破壊する。友達を選ぶのも大切なこと。マイナスになる人なら、付き合いを避ける。学校時代の友人は欲も誤魔化しもない。
ところで、親友ってなんでしょう?その定義は?
自分流に言えば、病気のとき、心配して何度も来てくれる人。大抵、一度は見舞いに来る。しかし、2度来てくれるほとんどいない。2度来てくれる人が何人いるか。
本日は、お二人に親友とはなにか、教えていただいた。
八起会 8月例会 (2015/08/22)
「遊びの功罪」をテーマにグループ討議を行いました。
提示された5つのテーマについて、4つのグループが発表しましたので、その一部を紹介します。
① 男を磨く遊びとは?
・男を磨くのは、女である。
・酒。単に飲むだけでなく、経営者同士の懇親の場なら、遊びと同時に学び。
② もてる男の遊びとは?
・お金の使い方が上手い人。
・引き際が綺麗。金払いが良い。
・粋な遊び。小唄端唄など。
③ 功ある遊びとは
・マージャンのようにグループで遊び、友達ができること。
・人脈が広がる遊び。
④ 罪ある遊びとは
・女遊び。
・人に迷惑をかける。
・他人の金品を奪う。(仲間同士の賭け事など)
・不倫。
・お金がかかりすぎる遊び。
⑤ 遊びは、功あり?罪あり?
・両方ある。(特に女性関係)
・例えば、スポーツ。健康になる半面で、やりすぎて身体を壊すこともある。
【野口会長の言葉】
遊びについてたくさんの名回答がでました。
遊びですが、私は一切やっていません。倒産してからは八起会一辺倒。
元々、健全な遊びは大嫌い。将棋、囲碁、スポーツなど。
(倒産前は)もっぱら、飲む打つ買う。これは最低の遊びであり、最高の遊び。
とにかく賭け事が好きで、競輪・競馬・マージャン。365日博打と夜遊び。
昔やりすぎたので、もう十分。今、お金と時間にどんなに余裕ができても、やらない。やり過ぎたのがよかった(笑)。
小唄・端唄・長唄・日本舞踊・・・全部やった。しかし、最高だったのはお芝居。
お芝居を赤字でも頑張る役者がいるのも理解できる。
お客さんがたくさん来て、自分の芝居で喜んでくれるのが最高に気持ちが良い。
歌舞伎をやったときは、「まってました!野口大統領」と声を掛けられた。
(写真にある)この羽子板は、その時の歌舞伎を題材にしたもの。一枚一枚手書きで描いてもらった。
こんなことしていたのだから、潰れるのは当たり前。
潰れたからといって後悔はしていない。
反省して悔い改めた。悔い改めれば後悔にはならない。
今の自分は、遊びの反面教師。だから、遊んでいる人を見抜けるし、指導もできる。
やり過ぎがいけない。自分の小遣いの範囲なら問題ないが借金してまでやったら駄目。
酒とタバコのやり過ぎは、身体を壊す。
女遊びのやり過ぎは、家庭を壊す。
ギャンブルのやり過ぎは、全てを壊す。
上手に遊ぶための3要素は、①健康、②人生の師、③良妻。
健康は当然。健康でなければ遊びなどできない。
人生の師。小言をいってくれる人、何でも相談できる人がいないといけない。
良妻・・・これが一番難しい。
良妻の定義は無いから、自分が良い奥さんだと思えば良妻になるが・・・。
うちの家内はいまだに敬語で話す。夫にとってはとても気持ちが良い。
また、やきもちを妬かない。むしろ、浮気相手が妬いても、本妻は妬かない。
今回のテーマは遊びの功罪だが、大切なのは遊びよりも「遊び心」と思う。
遊び心とは「教養」のこと。倒産前は、ただ遊んでいただけで、遊び心がなかった。
遊びすぎて倒産したのだから「罪」になるのだけれど、倒産のお陰で心が変われた。
荒々しい心が、温和な心に変われた。だから結果的に「功」になった。
遊びのお陰で倒産できた。すべては良かったと今は思う。
実際のところ、多くの倒産者は遊んでいて潰したわけではない。
むしろ、仕事一辺倒。それもいけない。
「振り子の人生」と言って、仕事ばかりでなく遊ぶ。
遊びの中で良質な人と出会うこと。同じゴルフ仲間でも、悪質な人との付き合いではダメ。
休日に子供と遊ぶ、夫婦仲良く月に3回くらいは外食する。
今回は「遊びの話など聞いても仕方ない」と来なかった人もいるでしょう。
しかし、来なかった人、おおいに間違い。
Tさんも言っていたが、「粋な人」なることが大切。
粋な人とは、垢抜けた人。歳をとったら粋な老人にならないといけない。
粋でない老人は嫌われる。やかましく、昔のことばかりしか言わない。
それでは長生きする意味がない。若い人の話を聞けるのが、粋な老人。
粋な人の例を2つ紹介します。
電車で立っていたときに、目の前に座っていた若い女性が降りるときに手紙をくれた。
「なんだろう」と読んでみると、「チャックが開いています」と。
直接話すのではなく、手紙でくれる。若いのに粋な女性であった。
次は、新幹線でのこと。東京から一緒に乗った人と話しもせずに、名古屋に着いた。
自分は大阪で降りるのだが、先に下りる隣の人が一言「お先に失礼します」といってくれた。
粋な人、立派な人だ。何か話でもしてどんな人か聞けばよかった。すばらしい挨拶、今度から真似しようと思った。
これからの人生、遊び心は絶対に必要。
家族団らんのため、明るく素直な皆から尊敬される老人として生きてゆきたい。
八起会 7月例会 (2015/07/18)
今月は、八起会の創立37年の総会を行いました。
第一部に、平成26年度の決算報告、会長、役員の選出。
決算報告は無事に承認され、会長は引き続き野口会長。役員は会長一任となりました。
第二部に、入会30年以上、会を支えていただいた3人の会員へのインタビューを行いました。
第二部のインタビュアーは、野口会長。インタビューに先立ち、以下お話されました。
本日の司会Nさんは神戸から、決算報告のKさんは京都から来ていただきました。
大変嬉しい。ぜひ、来年も来て欲い。
さて、本日は入会30年以上の方3人にインタビューします。
赤の他人が30年付き合う。これができたのは、信頼と尊敬に尽きる。言葉はなくても、理解しあえる関係。
八起会のメンバーは、一時は羽振りよく社長業をやっていた。しかし、天国から地獄。そこから出発した。皆、同じ思いをしている。これは経験者でないとわからない。
自分で買った広い家を売り払い、家賃を払う狭いアパートに。生活を縮めるという惨めな思いをした。
なんとかしっかりしたい。お金はないが、なんとか頑張って保証人や債権者に少しでも返したい。
家族に小さな家でいいから建ててあげたい。
そんな思いで元気に明るく頑張ってきた八起会会員を、私は尊敬する。
今回の3人以外でも、30年を越す人もいますし、29年目の人も多い。
八起会を守ってきてくれた人達。感謝のインタビューをしたい。
3人の生き様、生き方。質問する私がどこまで引き出せるか。
インターネットで(会員HPを)見てくれる地方の会員さん達、ぜひ、今回の結果を評価し、意見して欲しい。
【続いて、3人のインタビューがありました】(※ 会員の方は、会員HPをご覧ください)
長時間であるため、最後に野口会長が質問された「八起会の魅力について」の回答のみ掲載します。
● Uさん
(八起会の魅力は)会長・会員の皆さんを尊敬できること。出席するのが楽しい。
● KOさん
(八起会の魅力は)八起五則が一番。倒産を思い出し、謙虚に頑張れる。
● KUさん
(八起会の魅力は)心が安すまる。感謝で一杯。心の勉強をさせていただいた。己の実力を理解できた。
【以下、インタビュー後に語られた野口会長の言葉です】
本日お聞きして、3人の共通点が5つあると感じています。
(1)実行力。 思ったことをすぐにやる。ただし、経験を活かして慎重に。
(2)朝が早い。
(3)前向き。
(4)家庭円満
(5)全員が幸せ。
「幸せである」ということに尽きる。金持ちでも、成功者でも、幸せでなければ意味がない。
苦労したから、人の悲しみがわかる、素直になれる。
3人は私の宝。これからもできるだけ長生きして欲しい。
嫌な質問もあえてしたが、すでに克服しているから、答えられる。
今年は37年。八起会も40周年までは頑張りたい。
八起会 6月例会 (2015/06/20)
K会員を司会とし「人脈の作り方」をテーマに学び、語り合いました。
(Kさん)「人脈の作り方」、サブタイトルは「人脈とは何か、なぜ必要なのかを考えよう。人脈はどれだけの人を知っているかでなく、どれだけの人に知られているかである」です。「知られている」とは、信頼されていることを示しています。
誰にお世話になったのか、逆に遠慮して後悔した経験はないのか。自分は人脈に満足してきているか・・・などなど、「人脈」を中心に、自分の人生を振り返り、歩んだ道を書き出してみます。
自分は、昭和7年生まれ、13才で終戦。27年に大学入学、31年に卒業。学生時代までは学友か先生が人脈。31年にN社に入社。ここで当時の社長にかわいがってもらったのが、人生の大きな転機。同じ頃入社した同期の人間で、自分のように80才台で働いている人間はいない。
会社生活20年で独立。その会社は20年後に倒産。自分の場合は20年ごとに大きな節目がある。今年は、倒産から20年目に当たる。来年は八起会入会20年を迎える。
倒産したとき、多くの人との縁が切れた。その中でS社に入社できた。倒産したこともはっきり伝えたが、ここの社長が「Kさんの営業経験を活かして欲しい」と言ってくれた。この社長との縁も、大きな転機になった。
さて、皆さんも人生でどのような人に出会ってきたか、紙にまとめてみてほしい。
(この後、会員各位が自分の人生で出会った人脈・人生の転機を発表しました。)
【野口会長の言葉】
最近は人生相談の電話が多い。先日も65歳の女性から「亡くなった主人の愛人から毎日迷惑電話を掛けられて困っています」という相談を受けた。その愛人は、電話を掛けてくるだけでなく、時々家の前でどなりつける。しかし、いつ来るかわからないこともあり、警察に相談しても聞いてくれるだけという。このような相談に皆さんはどう答えますか?
Nさん「思い切って彼女(愛人)の話をじっくり聞いてみてはどうでしょうか。」それも良い手かもしれない。
私の場合は、一年中留守番電話にしていて、知り合いからの電話だけに出るようにしてる。そうしないと、とにかく売り込みの電話ばかり来る。「マンション売りませんか」と。
先日、広島の講演で例会で「人脈の作り方」を学ぶと言ったら「自分たちの会もぜひそのテーマで勉強したい」という。難しいが、大事なテーマ。
人脈は、健康にも通じる。日本人は全体的に長生きだが、日本人の長生きを研究した研究者が、長生きの秘訣を人脈作りにあると発表した。女性は人脈作りがうまい。最近は「墓友」というのまであるらしい。とにかく外に出ないと人脈はできない。ダンス、マージャン、カラオケなどの趣味でもいい。
人脈作りには3つのコツが必要だと思う。
第一に自己資金。自分の体と少しのお金は必要。ここに来るにも体を運ぶ体力と、投資(交通費)が必要。以前、八起会で入会した動機を調べたが、「入会して再起」に続いて「友人が欲しい」が2位だった。
第二に手紙力。大阪の弁護士で仕事に大忙しな人がいるが、この人の武器は手紙力。手紙やはがきを怠らない。
第三に演技力。演技をしないと人脈は作れない。演技とはどうしたら相手が喜ぶか考えて動くこと。
人脈に反するようだが、人によっては「孤独に生きる」人もいる。思いやり、やさしさ、強さがあり、尊敬されているのに、近寄りがたい人がいる。これは単なる孤独ではない。栄光ある孤独。優れた経営者に多い。友人はいなくても、上下に人がいる。教えるか、教えてもらうかの人脈。
さて、人脈を作るなら、多少のお金を使い、ボランティアをやろう。人脈があれば、心の病にならない。
八起会 5月例会 (2015/05/18)
今回は、「人生を考え、相続を考える」~ 相続が争続にならないように ~ と題して、八起会の顧問を長年勤められておられます、公認会計士のK先生による特別講演会を行いました。
K先生は、岩手県出身の62歳。中学卒業後、ガラス加工の会社で働きながら、定時制の高校に通い、さらに夜学で大学に進学。苦学の末、公認会計士になられました。
以下、概要をお伝えします。
相続税は、2年ほど前からブームがぶり返している。
その前に騒がれたのは、昭和の終わり、バブル時代のこと。銀行・不動産などによる相続税ビジネスが盛んに。
税法が改正され、基礎控除が減って自分の問題になる方が増えている。平均的な家族、奥さんに子供二人の場合、以前は5000+3000=8000万円までが基礎控除されたが、今は3000+1800=4800万円までに減った。
もめるケースも増えているが、社会全体が貧しくなりつつあるせいだと思う。
相続人は誰になるかといえば、基本的には配偶者と血族。
離婚した場合、配偶者は相続の権利がなくなるが、子供は離婚後も相続権が残る。再婚すると子供は両方の親の相続権がある。
養子は実子と同じ権利を有する。内縁の子供は認知されていないと相続権はない。
子供がいない場合は親に、親もいない場合は兄弟に相続権がある。
遺言さえあれば愛人に渡すことも可能となるが、「法定相続割合」の半分までは請求権がある。
例えば「100%愛人に渡す」旨の正式な遺言があっても、「法定相続割合」妻1/2の半分、子供の合計1/2の半分は請求することで受け取ることができるので、請求された場合、愛人は50%のみとなる。
ただし、相続権のある全員が合意さえすれば、どのようなわけ方もできる。
子供がいない場合は、相互に遺言状を書くことで、100%配偶者に相続させることも可能になる。
そうしないと、法的に1/4は兄弟に持ってゆかれることになる。
配偶者に100%相続させる場合は、1億6000万円まで無税となる。(3億2000万円超の場合は、その半額まで無税)
遺言状は、公証役場にお願いする場合と、自筆の場合があるが、自筆の場合、パソコンで書いたものは認められない。全て自筆する必要がある。
相続にはマイナスの場合、すなわち借金が存在する場合がある。
会社を経営している場合には、借金の個人保証を背負う可能性がある。借家の保証人や借金の連帯保証なども、相続の対象になるので注意が必要。
この場合、財産放棄で回避することができるが、問題は借金が後から分かる場合。
財産がプラスの場合のみ相続する「限定承認」にし、1年以内なら対応可能になる。
生前譲与という方法もあり、年間合計110万円を渡すことができるが、子供の名義の預金にしているだけでは駄目。
子供が実際にその預金通帳を持ち、口座を管理する場合のみ、認められる。
不動産の場合、基本的に共有する形での相続は争いの元。止めたほうが良い。相続金額は、土地の場合は路線価で決まる。
税金ばかり気にして、分割しすぎた結果、残された奥さんの生活がままならない状況になることがある。
奥さんの生活を第一に考えた相続でなければならない。
【野口会長の言葉】
相続の争いが一番多いのは、300万円の場合だと言う。たった300万円で兄弟が仲悪くなるなど馬鹿馬鹿しい限り。
八起会は、相続も負の相談ばかり。
64歳で倒産したが、破産はしていない。1500万円の借金を信用保証協会にしており、毎月5000円払っている。当然返せる金額ではないので、子供に残るのが心配という。
こう回答した「子供が3ヶ月以内に財産放棄すれば問題ない」。
それよりも目の前にもう1つの問題がある。給料20万円と年金20万円を貰っている今は良い。しかし、生きている間にも返せなくなるときが来る。病気になったり、老齢で雇ってもらえなくなるときが来る。
その場合は、破産するか、そのまま放置するしかない。保証協会は無理には取り立てない。
会員の相続の実例を2つ。
Aさんの場合、倒産後に始めた新商売があたり、家も建てられた。子供もそれぞれ会社を持ち、家族皆、順調であった。
そこに、両親の遺産話が持ち上がった。面倒見た妹に全額渡したいと両親は言い残したが、本人はどうしても法律分を貰いたいと言う。
私は「よしなさい。すでにお金は十分にあるでしょう。お金はほどほどで良いではないか。」と言ったが、聞かずに弁護士を立てて、遺産を受け取った。
「バチが当たらなければ良いが」と心配したが、案の定62歳で肺がんになり亡くなった。お金は取れたが、命がとられた。
私の年代では、「バチが当たる」と言われて育ったから、それを信じている。
最近、仏像を壊した人間がいて住職が「報いが来る」と言ったが、そうなるだろう。
Bさんは、倒産後、営業の仕事で頑張っていた。千葉に家を建てるというので、頑張った成果と思っていたが、実は親の遺産であった。
3ヵ月後「自分は長男だから、もっと貰えるはず」と言うので止めたが、こちらも弁護士を立てて争った。
その3年後、Bさんは再び借金まみれになり、2度目の自己破産。千葉の家もなくなった。
やはり、欲をかき人と争うとバチが当たるのだと思う。
K先生の話は大変分かりやすいが、それでも税金や法律の話は、わかりやすいようでわからない。
最後は、個々に相談すべきこと思う。
K先生は、苦労苦学したから、人の痛みが分かる。
八起会はたくさんの税理士さんをお迎えしたが、皆ボランティア精神がなく、最後は私と意見が合わずに辞めていった。
K先生だけが残った。ボランティアで相談に乗っていただく上に、毎年ご寄付もいただいている。
本当に感謝、ありがとうございます。
八起会 4月例会 (2015/04/18)
八起会の最長老、毎回金沢から参加されているKさんの講演会を行いました。
八起会は、欠かさないように参加してきたが、心臓の病気でドクターストップが掛かり、冬に来れないことが多くあった。しかし、ペースメーカーを入れてからは調子がよく、冬もOKとお墨付きをいただいた。
なぜ、心臓が悪くなったか。自動車に頼りすぎて歩いていなかった、これが原因と考えた。ドクターに「一日、一万歩を目標に歩きたいがいかがなものか」と聞いた。「大変結構なこと」といわれた。それ以来、万歩計を持って歩いているが、東京に来るときはいつも以上に歩ける。今日はすでに1万6千歩。
私は金沢の人間ですが、金沢の人は冷たい。元々江戸時代に、徳川と加賀で軋轢があったためで、加賀には徳川から嫁に入った娘は、藩を潰す目的であったと言われている。京都でも「あがって食べてゆけ」と言われたら、本気にしてはいけない。「もう帰ってくれ」という意味。金沢と京都に共通すること。
そんなことで、金沢だけにいたらいけないと思っている。月に一回は八起会に参加することで、他の地方の人とのふれあいをしている。
八起会五則は、すばらしい。中でも、「いい出会い」がとても重要。
「鐘の鳴る丘少年の家」設立者の品川博さんに会ったときは、無償で本を500冊印刷し、寄付した。「金沢の人はうそをつかない」と喜んでもらえた。
野口会長を知ったのは、NHKラジオ、人生読本。三日連続で放送された。
「事業経営の失敗者です」から始まり、「八起会を育て、八起会に育てられ」で終わった。すごい人がいる。会ってみたいと思った。
その当時、銀行から金を借りすぎていた。言われるままに借りて、機械や人を増やしすぎた。
野口会長と出会ったことで、倒産は早いほうがいいと決断できた。
倒産したときの弁護士さんが中小企業同友会の地方の会長さんで、「倒産し自己破産したら、会社役員にはなれない」「ただし、自営業として続けるなら問題ない」と教えてくれた。結果、今は個人として印刷業を続けられている。
【野口会長の言葉】
日本は今、老人の国になっている。ただし、老人天国と老人地獄の2つあるように思う。国民年金だけでは家賃も払えない。政治家に老人天国にしてほしい。
老人向けのビジネスが花盛り。サプリメント、介護、食事サービス、保険が使えるマッサージ(整骨院)。どんなに需要があっても、大手から中小まで業界同士の戦いがある。
ここ二ヶ月で整骨院から、同じような相談を相次いで3件も受けた。一人で開業し、一年から一年半。500万円の資金を国金から借りているが、患者が少ないので、手持ち資金がなくなった。年齢は40前後、一日の患者は八名程度という。
皆さんなら、どう回答しますか?
(Mさん)国金は回収が厳しい。その仕事が生きがいなら別だが、自分なら見切りをつけてやめる。
(Yさん)世の中の流れで患者も増えているが、ライバルも増えている。よそと違うことをし、差別化する。
(Tさん)マッサージで順調なところもある。口コミが重要。顧客のターゲットを調べ、専門的な部分に特化すべき。
こういうものは、開店前から相談を受けられれば良いが、切羽詰ってからはなかなか良い方法がない。
私なら、一人で独立せず、仲間を集めて、2・3人で開業する。一人ではすぐに手一杯になり、客を待たせる。私も待ちたくはない。一人でやっていれば、玄関に客が来たとき、治療をストップして迎えねばならない。それとお客が年寄りなら話し相手になる。聞いてあげる先生になれば、患者は喜ぶ。新規開業するなら、最初は土日もやること。そこまでやって半年駄目ならやめたほうがいい。
八起会への相談で多いのが、「お金を貸してくれませんか」「お金を貸すところを紹介してくれませんか」。八起会はお金もないし、万が一あってもお金を貸すような指導はしないと心に決めている。
今日のKさんのお話、参考になりました。
1万歩はなかなか歩けない。また、夫婦二人して80歳を超えているが元気。
良い言葉があれば、どこでもメモするKさんに感心している。商売にも人生にも参考になる。
体は年をとっても、心は年をとらない、Kさんは心で生きている。八起会五則で満ちている。
【最後に配られた野口会長の書】
八起会 3月例会 (2015/03/15)
K会員を司会とし「失敗と大失敗の違い」(失敗は最高の教育なり、されど大失敗は? 倒産は大失敗か?)をテーマにお互いの失敗談を語り合いました。
(Kさん)まず、自分の失敗談と体験談からお話したいと思います。
山梨に生まれたので、小さい頃から富士山を毎日拝んでいた。昭和32年に富士山に登ったが、頂上の手前で女子社員が動けなくなり、背負って頂上まで行った。富士山の世界遺産登録のときに、この思い出を投稿したら、NHKの深夜便で放送された。
第二の人生は、30歳のときのアクセサリーのメーカーとして独立したこと。順調に商売は伸びた。翌年は東京オリンピックで景気がよく、全国展開できた。
昭和55年。ソ連がアフガニスタン侵攻。金や銀が大暴騰した。その結果、取引先が次々と倒産し、その影響でついに自社も倒産せざるを得なくなった。
倒産後、第三の人生のスタート。翌年56年、債権委員会が解散となると同時に、八起会に入会した。再スタートを切るに際し、神田にある簿記学校に通い、会計の勉強をした。
倒産する2年前、中小企業倒産防止事業団に2000万円借りていた。この返済の一部を返すのに、受け取っていた手形1200万円分を渡したが、手形の発行先が半分払って倒産してしまった。このときの借金は今でも少しずつ払っている。この借金に利息がつかないことで助かっている。
明治29年以来、民法が改正される。企業融資の個人補償は原則禁止になり、未払い金の時効も5年になると新聞に書かれていた。今は年金生活。健康で元気にやってゆきたいと思っている。
それでは次に皆さんに「受験、恋愛、就職、病気、離婚、子育て、社員教育、相続争い、借金、決断、酒、趣味」などの項目を掲げますので、各会員に失敗談を語ってもらいたいと思います。
【以降、各会員が語られた「失敗談」から抜粋します】
● 最初に入れた社員を育てるのに失敗したと思う。もう何十年も前だが忘れられない。朝1時間近く遅刻してきた。その時に皆の前で大変な剣幕で怒ってしまった。その後、会社を辞めてしまった。一度は呼び戻し、20年勤めてくれたが関係を修復できなかった。皆がいる前で酷く怒ってしまった。これが失敗だったと反省している。
● 倒産は当然大失敗だが、失敗と言うより残念なのは息子が亡くなってしまったこと。もう50回忌になる。今も生きていれば、自分の人生も変わっていたと思う。83歳になるが、未だに働いている。家は借家なので、やはり不安はある。
● 振り返れば、自分の人生失敗だらけ。そのとき、そのときに決断したことが失敗することもあったが、前しか見ないようにしてきた。そういう性格。自分はすぐ忘れる。これは欠点でもあり長所。プラス思考で前向きに生活したほうが楽だと思う。
● 私は3つの失敗がありました。社長になった後、営業部長が只で仕事を請けてきた。無料で現場に行き設計図を描いたのに、その後貰える約束だった有料の仕事を他の業者に発注されてしまった。性能試験をする際に、機械装置のボタンを押し忘れてしまった。結果、とても良い結果が出た。それを信じた父が性能のでない装置を大量に作ってしまった。大家から「次の契約はしないので事務所を出て行って欲しい」と言われたとき、父が800万円という高い保証金の事務所を決めてしまった。これを何とかしようと融通手形を発行し、結果1000万円の不渡りが出てしまった。
● 倒産という大失敗が次の人生につながった。パソコンを高齢者に教えてくれることになった。300時間無料で失業保険を貰いながらできるという。1ヶ月通い、パソコンを覚えることができた。
● 日本は多くの赤字国債を抱えている。何かあっても失敗しないように勉強したい。
● 12個のうち、7項目の失敗がある。どの失敗を話せばいいか、迷う。会社としてみれば、倒産は大失敗。しかし、個人として考えれば「失敗してよかった」と思っている。個人から見れば失敗ではないと思う。
● 肉屋をやっていたが、倒産した。一緒にやっていた弟に只で店舗を上げた。倒産したとき、その弟たちが100万円用意し、住むところも準備してくれた。
倒産が良い経験になり、小さな収入になったが、その中からコツコツ貯めた。そのお金で一度、居酒屋をやったが、結果的にまた倒産してしまった。肉屋に戻り、またコツコツやっている。
● 決断の失敗。自己中心で相手のことを考えなかった。長男も同じようにしているようで心配。失敗は、次の世代につながってしまうこともある。
● 会社の社長を受けたことが失敗。勤めているとき「子会社の社長をやらないか」と言われた。その条件として「親会社に金を貸して欲しい」と言われた。銀行から個人補償で借りた金を貸してしまった。結果、親会社がつぶれ、自宅もとられる結果になった。経営を勉強せずに社長になった甘さが失敗。名誉にあこがれてしまったし、借金が重なる中、妻に止めろと言われたのに、そのまま続けてしまった。
● 倒産は大失敗だと思う。社長復帰を目指したが、結局できなかった。1/3を占める得意先の担当者からバックマージンを要求された。景気の良かったころは、それで上手く行っていたのだが、うちの番頭に判子を預けてしまった。この男が競馬好きで、仮払いを悪用し会社の金を持っていかれた。判子を渡したのは大失敗だった。
● アメリカでは倒産した人間を「良し」として見ている。失敗は勉強になったと思う。倒産した原因を見つめなおす良い機会。自分は社長の器か、社員を使える能力があるか。自分はそうでないと気づいた。トップでなく2番目が良いと気づいた。今は裏方に徹し、牛乳屋で働いている。
● 自分はメンタルで強くない。どうしてこうなったのかと塞ぎこむ。細かいことで悩んでいる自分を変えるために、明るく振舞うようにしている。失敗かどうかは個人の考えで変わる。エジソンが電球を発明したとき、何千回と失敗したが「失敗はしていない。この方法がダメと分かった【成功】なのだ」と言われた。
● 倒産したとき、全てを失った。当初は大失敗したと思った。生きている価値もない、死んでしまおうかと思った。母親が夢に現れ「お前はこんなことで死ぬのか」と怒られた。失敗したまま終わるのは無念。その後、必死に働いた。倒産した翌日から働いた逃げなかった。私の中で「取り返しのできる失敗」だと思えるようになった。人生は前向きの決断力と、人に対する愛情・思いやりと思うようになった。マイナスになることは全て捨てる。
【野口会長の言葉】
倒産110番で経営者の相談を受けてきた。
相談のうち、2割はまだ続行できると感じた。8割にはゼロから再出発したほうがいいとアドバイスした。
20年経ったら、2割が経営者の人生相談になった。親子、夫婦、兄弟のいざこざ。中には隠し子の相談。
30年経ったら、半分が人生相談になった。しかし、前の人生相談と違う。個人の心の病という相談。最初は「経営相談の番号」と断り、逃げていた。
ここ2,3年前から考えが変わってきた。85年生きている経験がある。それを生かして電話がかかってきたら、自分なりに応える様になった。
22歳の女性。会社勤めが3年間。突然会社に行くのが嫌になった。朝起きれない、外に出れない。どう答えるか、正解はないと思うが、こんな風に話した。
「目標を持って、その目標を達成しなさい。」
「どんな目標ですか?」
「ハローワークに行き、どんな仕事があるか楽しんで探してきなさい。遊び気分でいい。それが目標で良い」
一歩でも外に出て欲しいと思ってそんなことを言ってみた。
電話をかける勇気はある。ただ、電話魔になっているかもしれない。
今は真剣に心の病の人の相談を受けている。
失敗でも大失敗でも、心の病になるのが問題。
倒産なんてどうにでもなる失敗、心の病こそ本当に大変。
長女が短大を卒業したとき、当時のPTA会長に新宿の大病院を勤め先として紹介された。3ヶ月したら家内に「長女がおかしい。お父さん話を聞いてみて欲しい」と言われた。娘に1つだけ質問した。「病院に行くのが嫌か」「はい、嫌です」
紹介してくれたPTAの会長に手をついて謝った。「せっかく紹介していただいたのに申し訳ない」その上で、娘に言った。「明日から病院に行かなくて良いよ」。元の明るい娘に一度に戻った。これは子育ての成功例だと思う。
大統領になるような大成功もあるが、こんな小さな成功を重ねること、(心を患う)病人を作らないことが大切なのではないか。
ある会員が入院した。「会長、失敗した、失敗した」という。とても慎重な人だったのに、どこかで慎重さに欠けてしまったのだと思う。人生、健康1つにしても気をつけないといけない。
本人しかわからない苦しみがある。精神力の強い人、弱い人がいる。失恋しただけ、就職に失敗しただけでノイローゼになる人、自殺する人もいる。ちょっとしたことで身体の倒産を招く。
失敗は七転び八起きどころでない。100回転んだら、101回起きる。
失敗しない人は、悲しい人。
私の場合は、失敗したことで成長してきた。
倒産という失敗は宝物。倒産したから八起会が生まれた。八起会で感動の人生を知った。「失敗に財あり」という本も出したが、失敗は良いものだと思う。
日本はアメリカと言う大国と戦い、大失敗した。しかし、今の日本は素晴らしい。戦争に負けるという失敗が原因になった。失敗から人生を掴む、幸せを掴む。
70歳になって「幸せ」と感じられたら、それが成功。「幸せ」と感じない人は、過去を悔やんでいる人、悩んでいる人。そういう生き方はしたくない。生きていて良かったといえる人生を過ごしたい。
八起会 2月例会 (2015/02/21)
(Nさんの講演資料の一部)
精密機械の測定機を、アメリカやドイツから輸入し販売する会社を経営するNさんに「リーマンショックでまなんだこと」をテーマに講演いただきました。
Nさんは、会社を潰さず立派に経営を続けている経営者。
Nさんは、昭和28年大阪生まれ。50年から航空機など機械の開発に従事。
58年から半導体の製造装置の開発に従事。平成6年、MBOという形で部門を独立させ、現在経営の会社を設立。
八起会に参加し始めたのは、業績が悪くなったからではないという。サラリーマンから経営者になり、どのように会社を経営していいか悩んでいた頃、たまたまアメリカ行きの飛行機の中で、野口会長の本を手に取った。その後、すぐに不安と悩みを相談するため、八起会に電話し会員になった。
現在、事務所は埼玉県に移動した。元々工場であった場所なので、広さは十分。15名の社員では広すぎるくらいだという。測定装置で検査する部品は、精密なものばかりであり、中には髪の毛ほどの細さのものもある。このため、事務所にはクリーンルームも装備されてあり、機械を試すために顧客に来社いただき、その性能を確認してもらう。
この装置は医療用で使われるCTスキャナーと同じ原理で、部品の測定を行う。実際には医療用のものよりも遥かに高度で繊細な測定ができるもの。測定結果は3DのCADで作成したものと同じ結果が得られると言う。
非常に高価な機械であり、3000万円から3億円程度の金額になる。悩みは、売上の差異が大きいこと。売上がバラバラで注文から納品まで3~7ヶ月も掛かり、試算表を作っても意味がないという。
経営は順調だったが、最大のピンチは、リーマンショックだった。商談が一気になくなった。何とかしようと、それまで年に2回の展示会を、10回に増やして営業した。結果、多くの評価以来を受けることができ、忙しくなった。ところが、評価ばかり来るが、売上につながらない。評価といっても簡単でなく、技術者が3日貼りつく。当然コストもかかる。
やり方を間違えたことに気づいた。それを反省し、プッシュ営業からプル営業に変えることに決めた。とにかくお客様を厳しくチェックした。「顧客付加が高いか?
予算はあるか? 業界No1か? 測定データが重要か?」。お客様を見極めた。経営の難しさを改めて知らされた。
HPにも力を入れることにした。それまで業者任せだったが、内部の技術者に作らせた。どのようにしたら、分かりやすいか。どうしたら、検索エンジンで上位にゆけるか。メルマガも発行した。今や読者は3500人いる。
リーマンショックを何とか乗り越えられたのは、
1)八起会に学び、内部留保をためていたお陰。
2)運の良さ。前々から決まりそうで決まらなかった3億円の商談が、良い時期に実った。
しかし、これからは売上がなくても1年半は生き残れる体制を作りたい。1年半あれば、新しい体制作りはできると確信している。
野口会長からNさんに質問をされました。
Nさんは月に本を何冊読みますか?
「20冊ほど読みます。最近はキンドルという電子ブックも読んでいます。」
どのような本を推薦しますか?
「最近は人口知能関連です。「機械との競争」という本は人間から、コンピュータが職をとりあげてゆくという内容を紹介しています」
続いて、野口会長のお話がありました。
世の中、景気が良い。株が上がる。倒産は減っているといっています。
しかし、廃業などの隠れ倒産は実数の30倍。まだまだ倒産する会社は尽きることがありません。
食品問題で様々な混入事件がありましたが、恵方まきに豚の生肉が入っていたそうです。その会社、今も倒産せずに生き残っているそうですが、倒産した私たちは、それ以上に悪かったんでしょうか?
結論を言えば、それ以上に悪かったのだと思います。
私の場合は、目的・目標・経営理念。何もありませんでした。その上、公私混同、教育もなし。
要は経営者でなかったと言うこと。社長は誰でもなれますが、経営者になれない。
Nさんは立派な経営者です。
例えば、本。私などは、競輪新聞ばかり。それで勉強し、競輪場に行く。
本は読まない、セミナーは行かない。Nさんとの大きな違いです。
経営者は失敗者から学ぶ人。成功に学ぶのは当たり前のことです。松下幸之助さんは、年末になると売れない店を歩いた。「なぜ、この店は売れないのか」研究して、次の年のテーマにした。
Nさんは、リーマンショックと言う苦しみに学び、それをバネにした。悪いときばかりでなく、良いときも人材育成や新商品開発など、商売繁盛に苦しむ。
一言、苦しみといっても、こういうのは「明るい苦しみ」。私は良い時には何の苦しみもしていない。苦しんだのは、借金を返せなくなってから。同じ苦しみでもこれは「暗い」のです。
Nさんは経営も順調ですが、長男と言う後継者もきちんと育てている。
今日も家族の皆さんが一緒に来ている。家族の仲が良い。これは一番の幸せ。
八起会 1月例会 (2015/01/17)
「七転び八起き九拝」というテーマで行い、野口会長は次のように語られました。
皆さん、八起五則を実践されていますでしょうか?
簡単なことですが、実践するのは難しいものです。
まず、笑顔。赤ん坊の笑顔は周り皆を喜ばせますが、なぜか大人になると周りを喜ばせることが、なかなかできません。朝起きたとき、練習しないと良い笑顔はできません。自分も毎日「いい顔、いい顔」と言いながら、鏡の前で笑顔の練習をします。朝、一時でもいいから笑顔に。これが大切。八起会に集まるときは、皆本当に良い笑顔です。
さて、今年はどんな年になるでしょうか。
大地震が来ると専門家が言っています。せっかくなら、いつどこであるのか言ってほしい。20年前まで、神戸は地震が無いと思っていました。だが、甘かった。
普段からの備えが必要になります。これは、地震だけではなく、普通に歩いているときも、ケガや事故、強盗にあうかもしれない。
それから、景気はどうなりますか?と聞かれることがあります。私には答えられない。評論家でもないのでわからない。それでも、大手は景気が良いようです。しかし、中小はまだまだ良くなっていません。
世の中の景気の問題はともかく、自ら不況を招いている場合があります。最近では食品業界、特にマクドナルド。零細ならとっくに潰れています。いつの世も、油断大敵。マックを反面教師にしましょう。
ところで、正月といえば、何千万人も神社に行き、お参りしています。そこで入れるお賽銭の平均は、なんと16円だそうです。たったの16円で商売繁盛や家内安全、健康祈願などの願いを叶えてくれるものでしょうか。
私は、神様は素直な人から、その願いを叶えてゆくのだと思います。だから、私は毎日反省。素直になろうと思っています。お願いを聞いて欲しいからです(笑)。
今年は未年ですが、元々羊は日本にいなかったそうです。貢物にするために、日本に持ってきたそうです。「みつぎ」が、「ひつじ」になったとの話もあります。捨てるところが無いので「羊の十徳」と言われています。
「羊の十徳」
1)ラム・マトンとして、西洋では豚や牛より高級な食材。
2)革はなめして、衣服・テント・スリッパ・手袋。
3)骨はナイフ、歯ブラシの柄
4)脂肪は石鹸
5)糞尿は肥料
6)脳は歯痛の特効薬
7)角は飾り
8)乳は発酵乳で美味しい
9)毛は織物として、服地やホームスバン
10)腸やひだは、バイオリン・ギター・ラケットなどの糸
このように、羊は利用価値が高く、人間にずいぶん貢献しています。我々も羊にあやかり、お客様の役に立つ、有用な人間になりたいものです。
羊はほとんど鳴かない。鳴くのはヤギ。殺されるときでも鳴かない。それほど忍耐強いのです。このような羊を見習い、粘り強く忍耐強い人間を目指しましょう。
今回のテーマの「九拝」で、両親を思い出して欲しいのです。
8分間目をつぶり、両親と自分の関係を思い出し、2分程度で書き出します。小学校まで、大学まで、就職以降の3段階に分けて思い出し、最後に結論を書いて欲しい。
結論とは、親をどう思うか。尊敬しているか、憎んでいるのか。普段は真剣に親を思うことはないと思います。深く思い出してみましょう。
(この後、会長の言われたとおりにワークを行い、それぞれ親に対する思いを発表しました)
(ワーク後、次のようなお話がありました。)
ある本にこんなことが書かれていました。「本当の親孝行には2つある。1つが親より長生きすること。もう1つが先祖供養すること。」
これを読んでほっとしました。親よりは長く生きていますし、幸い倒産後は、一生懸命先祖供養させていただいています。ああ、亡くなっても親孝行できていたんだなあと感じました。これから死ぬまで先祖供養し、親孝行して行きたいと思っています。
ところで今回のワークはやってみて、いかがでしたでしょうか。今年一杯何をやっていいのか、どうしていいのかわからないのです。会費をいただいている以上、毎回例会はしていますが、結果がわからない。来年は、こんなことをして欲しいなど、お手紙、FAXなどで反響がぜひ欲しいのです。そうでないと、やってよかったのかわからないのです。
ぜひ、協力してください。お願いします。
(九拝とは・・・
1 天皇に拝賀のときや高僧を恭敬するとき、立ったり座ったりひざまずいたりして9回拝礼すること。
2 何度もおじぎをして深い敬意を表すこと。親に九拝するという意味で、今回のテーマになったと思われます。 ※HP担当者補足)
※ 野口会長の言葉は、会員専用HPにアップしています。