成功を導く「倒産学」序説
倒産を恐れよ、
されど
倒産しても恐れるな。
先頃、中小企業庁の倒産防止相談室というところに呼ばれ、三日間にわたって「倒産学」をレクチャーしてきた。
そのときつくづく感じたことは、等しく「倒産防止」を見すえながらも、私たちのような民間のボランティア組織と官製の相談室では、目のつけどころがまるで違うということだった。
その違いをひらたく言えば、官が倒産防止ネットを経営の外側に張ろうとするのに対し、私たちは経営者の心のなかに張ろうとする違い、とでも言えようか。
たしかに、経済環境の整備は経営にとって重要なファクターである。
規制の緩和や税の優遇、何にもましてスムーズな融資は倒産防止の絶対条件であろう。が、そうした外堀作戦だけでは倒産を防ぎ切れない。
それは、私たちがこの二十五年間、日々目の当たりにしてきたところである。
日本経済はこの二十五年間、円高ありバブルあり失われた十年ありと、激しい環境の変化にさらされてきた。
しかし、その間、円高不況時であろうと空前のバブル好況時であろうと、倒産は常に絶えることがなかった。
そのことは倒産駆込み寺たる「八起会」の活動が、いまなお続いていることからも明らかであろう。
つまり、好・不況にかかわらず(ということは経済環境の良し悪しにかかわらずということだが)、世に倒産は絶えないということである。
とすれば、 いくら経済環境を整えたところで、倒産の根絶は不可能であろう。
それならば外よりは内、それも経営者の心のなかにネットを張ったほうがより効果的ではないか、というのが私たちの倒産学である。
その根拠も倒産学のなかにある。
「倒産の因子は外部から侵入してくるのではない。それは知らぬ間に経営者の心のなかに芽生える。」これが倒産学の認識である。
以下、「倒産の原因ワースト10」をご覧いただきたい。
1.経営者の高慢、経営能力の過信
2.社員教育の不備、欠如
3.事業目的・目標・計画性の欠如
4.業界情報の不足と環境変化への対応
5.新商品の欠如、技術開発の遅延
6.家庭不和、同族経営の弊害
7.公私混同、経営哲学の欠如
8.決断力・実行力の欠如
9.計数管理不足と勉強不足
10.ワンマン、反省心の不足
これは八起会会員 500名に「あなたの会社はなぜ倒産したか」をアンケート調査した結果である。
一目瞭然のように、ここには不況やバブル崩壊などの外的要因は一つもない。
すべて経営者の「心のゆるみ」が原因である。
とりわけ第一位の「経営者の高慢・経営能力の過信」は、まさしく「倒産の因子は経営者の心のなかに芽生える」ことを証明している。
とすれば、倒産防止ネットは経営者の心のなかにこそ張るべきであろう。
この「失われた十年」というもの、経営者のモラルは著しく低下した。
企業不祥事が相次ぎ、大企業や上場企業の経営陣でさえ、入れかわり立ちかわりブラウン管に登場しては詫びたり頭を下げたり、なかには土下座するケースも多々あった。
バブルが煽った金儲け主義、拝金主義の後遺症といっていいが、おそらく後世はこの十年を「乱脈経営の時代」と大書するに違いない。
目下、企業倒産は年間二万件と未曽有の高水準にあるが、いましばらく高這いが続こう。
しかし、それはデフレ不況や構造改革が長引くからというよりも、むしろ、経営者のモラル低下が招く倒産増と見るべきであろう。
少なくとも「倒産の因子は経営者の心のなかに芽生える」という倒産学からすれば、そういう方程式にならざるを得ない。
私たちはこうした現状を、単なる倒産増というよりも、企業淘汰として捉えるべきではないか、と考えている。
つまり、社会的有用性を失った企業、保護や規制などの既得権にしがみつく企業は、速やかに市場から退出すべきではないか、という認識である。
そういう観点に立てば、二万件という数値もおのずと別の意味合いを帯びてくる。
淘汰は自然の摂理であり、企業としてその運命は免れない。
むしろ、それによって企業も経済も発展してきたと言っていい。
企業淘汰のメリットは第一に、それによってバブル企業、バブル経営者が退出し、健全な企業が残存者メリットを享受できることである。
第二に、日本経済の宿病ともいうべき設備過剰、供給過剰が解消できることである。
東京の百貨店が久々に売上げを伸ばしたのも、日本橋東急やそごうの撤退がもたらしたメリットではなかったか。
こう言うと、いかにも「倒産のすすめ」のように響くかもしれないが、それは違う。
淘汰とは、生き残ってしかるべき企業と、消えてしかるべき企業の交通整理のようなものである。
どうあっても生き残り組に入りたいと願うなら、先に挙げた「倒産の原因ワースト10」の項目を、一つひとつ克服するしかあるまい。
十項目をすべてクリアできる経営者は、間違いなく淘汰を免れ得る。
私はこれまで「倒産を恐れよ」と、口をすっぱくして言ったり書いたりしてきた。
その心は、倒産の悲惨さもさることながら、わずかな心の油断、ゆるみが倒産に直結することをイヤというほど知っているからである。
しかし最近は、「倒産を恐れよ。されど倒産しても恐れるな」と説くことにしている。
年間二万件もの倒産を前にしては、そう説かざるを得ないのである。
言うまでもなく、倒産は経営上の失敗であって、人生そのものの失敗ではない。が、この当たり前のことが、倒産者にはなかなか理解できない。
それだけ経営にすべてを賭けていた、と言えば聞こえはいいが、要するに視野がせまいのである。
だから夜逃げ、自殺、ときに一家心中も辞さないのである。が、それは明らかに間違いである。
誤解を恐れずに言えば、倒産は一つの勲章である、と言ってもそれほど誤りではない。
なぜなら、倒産したということは、ひとたびは経営に携わったということであり、何事かをなしたという証しだからである。
結果や失敗を恐れて何事もなし得ないことに比べれば、はるかに価値のあることと言っていい。
誰もが経営者になれるわけではない。
企業多しといえどもその99.7%は中小・零細企業である。その数およそ500万社。
それが雇用の71%を占め、日本の経済、労働市場に大いに貢献している。
倒産したとはいえ一時なりともその貢献に参画できたことは大いに誇りとしていい。
失敗はなんら恥ずかしいことではない。
真に恥ずべきは、その失敗から立ち直れないことである。
失敗は成功の母であり、成長の父である。倒産は経営上の失敗にすぎない。
その失敗を反省し、見つめ直すことによって再起は可能である。
そう信じればこそ、私たちは毎月例会を開き、再起と真の経営者を目指して研鑽(けんさん)を重ねているのである。
七つ転んでも八つ起きればいい。
やり直しのきくところに人生のすばらしさがあろう。
昨年、八起会は創立二十五周年を迎えた。が、それはほんの一里塚にすぎない。
年間二万件の倒産と、モラルハザード(倫理欠如)だらけの経営を前にして、とても私たちの使命が終わったとは思えない。
最後に、現役経営者には「倒産を恐れよ」と言いたい。
逆に、倒産者およびその予備軍には「倒産しても恐れるな」と言いたい。
矛盾するようだが、八起会はまさにその矛盾のまっただなかに身を置き、日々活動しているのである。
今後とも、私たち八起会にあたたかいご支援をお願い申し上げます。
平成十五年九月
八起会会長 野口 誠一