野口会長への哀悼メール 会員 I様 2016/4/1
拝啓、野口会長に訃報に接し、ミサ子夫人はじめ、ご遺族に方々のご心中いかはかりかと推察申し上げ、深い悲しみとともに、心からご冥福を申し上げます。
野口会長との出会いは、平成5年7月に東京で会長の講演を聴講した時でした。当時、私は先代社長の夢であった新規設備を実現する為、多額な借入れを実施し、落成と同時に社長を引き継いだばかりでした。技術者あがりの私は、相談できる相手もなく、講演の後、いつか、お世話になることもあるかもしれないと思い、名刺を交換させていただきました。
案の定、思ったように受注は伸びず、ご相談しようと八起会の前まで行ったものの、2階の事務所へ上がる勇気がなく、引き返したこともありました。結局、電話にてご相談することができ、平成6年の暮れに、数名の社員に退社していただき、不動産の売却などで時間稼ぎをする中で、何とか事業を持ち直すことができました。
野口会長には、その後も何かと気にかけていただき、2度の講演会をこちらで実施していただいた他、ミサ子夫人同伴で来られ、観光名所をご案内したことが懐かしく思い出されます。別件で来られた時も、わざわざ立ち寄りっていただき、お声掛けを頂きました。いつもお元気で、今更ながら、会長の訃報が残念でなりません。
八起会の今後について、ご案内を頂きましたが、30周年に参加した程度で、毎月の例会にも参加したことがありませんので、云々と言える立場ではありませんが、野口会長亡き後は、会は解散されるのが良いと考えます。
では、いつ解散するべきか、ということについては40周年でも構わないと思いますが、確か30周年が平成20年でしたので、40周年はあと2年以上あります。決して短期間ではありません。会長亡き後、ゴールと、それまでの会の意義と運営の仕方をよく検討されないと、まとめ役の方は大変だと思います。
元気な野口会長のお話も聞くこともできるホームページも継続いただければと思いますが、会の運営同様、無理のない範囲で検討されればと願います。
はがきのアンケートの八起会への参加は、遠方故、なかなかできていないのですが、最後の会合には参加させていただきたいと思っています。
最後の、締めくくりに向けて方向性を決めていただければよろしいのではないでしょうか。
勝手ながら、今回の臨時総会に出席できませんので、書中をもちましてお願い申し上げます。
平成28年4月1日
敬具
野口会長への哀悼メール 会員 K様 2016/3/26
私が初めて八起会を知ったのは1980年代の頃でした。NHKか何かの番組だったと思います。その時、父が社長だった会社は2回目の不渡りを出しており、父も入れるのだろうか、と云っても入れてもらってどうにかなるものなのだろうか、と云う様なことを思った記憶があります。その10数年後に、私自身が入会させて頂くことになるとは、その時は思いもしませんでした。
その時は、信金に割り引いて貰った受取手形が不渡りになって、買戻しの猶予を打ち合わせている最中に、自社の振出手形の決済のために入金した当座預金の資金が信金に強制回収されてしまったのが原因だった様です。
その後、銀行取引停止処分が解け、浮き沈みあり、社長であった父の晩年は脳梗塞と糖尿病で歩行が不自由でありましたので、八起会に相談に伺った時は、下谷神社の近くの会事務所の細くて急な階段を、やっとのことで昇って入室致しました。その後、私が入会させて頂いたのが27歳の時で、社長であった父が他界したのが28歳の時でした。野口会長と父は3歳違いでしたので、私は野口会長のことを父の様に慕い・・・・、と云うことはありませんでした。
と言いますのは、当時は野口会長は講演に飛び回っており、その時は会の相談受付けは相談員の方でした。私が入会前に父と共に相談に伺った時はその相談員の方でしたので、初めて野口会長を御目にしたのは、当時の著書にも記載のある、秋葉原の月例会でした。ですので、野口会長とは話をしたことがなく、テレビに出たり本を書いたりする雲の上の様な人が、目の前にいる、と云う様な感じでした。ですので野口会長も、私がどの様な素性の者か、永らくご存じなかったと思います。
私の会社は零細企業の製造業で、外部との接点もあまりなく、私の八起会への参加は、外へ向けての窓でもありました。いろいろな方の講演をお聞きし、世間を知る大きな情報源ともなり、また、会や野口会長を頼もしく思っておりました。
でも、他の方の倒産の体験談の講演を他山の石とすることは出来ず、当社責任ではないとは言え、納入製品の他機悪影響(具体的には電気製品のノイズ波及障害)で検収拒否を受けて代金の支払いを留保されたこと等から私の会社の経営も厳しくなり、消費者金融から借りまくって手形を落としたり、債権者に工場を占拠されたり、家賃が払えなくなって追い出されたり、3回目の不渡りを出したり、常総市(当時、石下町)に移転したら2009年台風18号突風で曲がった引き戸から盗賊に侵入されたり、大震災で積荷が崩壊したり、2012年石下筑波竜巻に遭ったり、拡張型心筋症と診断されて入院治療したり、癌を摘出したり、役所から差し押さえを受けたり、2015年鬼怒川決壊で水没したり、洪水の治安維持にあたる(?)地回りヤクザに連れて行かれそうになったり、水害後の略奪団の来襲を受けたりしましたが、七転び八起き(或いはそれ以上?)の精神で・・・・・、野口会長、私は何度でも起き上がります。
野口会長、お疲れ様でした。安らかにお休みください。
野口会長は予てより、企業倒産をしても、「体の倒産」をしないように、と仰っておられました。私の心筋症での入院の退院後の、会の月例会で、私が「体の民事再生」を申し上げたことがございました。経営、健康の両面で、今後も頑張っていきたいと考えております。野口会長、力を与えて下さり、ありがとうございました。
茨城県常総市の会員(電気機器製造業・盤屋)
野口会長への哀悼メール 会員 I様 2016/3/19
八起会様。
私は、21年前朝日新聞系の販売店を始めました。
新聞業界の景気がよかった事もあり、夢も希望も山のようにありました。
開業してまもなく、会計士の先生から八起会の講演を聞きに行こう、と、誘われ行きました。
八起会について尋ねると、倒産者の集まりというではありませんか、
社長になったばかりで、もう倒産の話かよ、そんな軽い気持ちで出かけました。
場所はハッキリ覚えていませんが、藤沢市だったかも知れません。
野口会長の講演が始まりますと、面白い話から恐ろしい話に変わっていき
呑気な気持ちは、どこかに飛んで行きました。
自分が大変な責任の中にいることを知ったのが、この講演でした。
そのとき本も一冊買いまして、帰りの電車中、帰宅しても読みました。
社長だから、高級車、時計、自社店舗、自宅、結局私の夢などは、
このようなものだと気づき、人財育成を第一にする経営を
方向付けとして持つことができました。
新聞店に入ってくる人たちは、色々な意味で問題を持つものが多かった。
心が倒産している人がほとんどでした。
サラ金、離婚、多くが住み慣れた街を絶望のまま、バツク一つで電車に乗り、
行先も決めず、どこで死のうか、そのうち腹が減って当社の募集に応募。
もちろん、働く意思などありませんから、事業所としては苦労しました。
そんな人たちに八起会の話をして、時間をかけて、やり直せることを説いて
説いて説きまくりました。
以来、新聞販売で身を起こそう、独立自営を目指す、そんな気になる人も
出てきたのです。
〝使命を持ち、明日への希望も新しく〟
このような言葉も社内から発生し、21年間で4名が独立しました。
1名はお金を貯め、他業種に転向しましたが、現在も3名の
独立者は、八起会会長のCDを時々聞き、著書を読んでいます。
野口会長が亡くなられたことは残念でなりません。
あの時、会計士が私を公演に連れて行かなかったら、私も倒産していたはずです。
まして、独立者を養成するなど思いも寄りません。
本当に残念です。
しかし、八起会活動は再起して頂きたい、その思いから文を書きました。
現状の新聞販売は、毎年十数名の販売店経営者が自殺しております。
紙の新聞が売れない、折込チラシ収入の減少、新聞社からの圧力等、
これに人手不足も加わり、地獄の様相です。
借金だらけとなった友人に八起会の本を渡しても読みません。
無口になったと思えば、いきなり元気よく笑いふざけもみせる、
そうかと思えば、グッタリと椅子にすわり、金をかしてほしい、と、言い出す。
廃業を薦めましたが、大丈夫の連発です。
彼だけではありません、新聞店の大半がこのような事態です。
野口会長がいれば、八起会があれば、心の倒産だけは防げる、そう思います。
八起会 会員の手紙 結城様
野口誠一会長 様
日々ありがとうございます。すっかりご無沙汰致しております。
毎月ご案内のお葉書を頂戴し、誠にありがとうございます。残念ながら今年は例会には一度も参加できませんでしたが、八起会のホームページを拝見して皆さまの活動のようすをうかがっています。
いつも感じることですが、野口先生の笑顔と会見の皆様方のやる気に満ちたはつらつとしたお顔を拝するたびに力をいただきます。皆さんは年齢を感じさせません。ほんとうに人間は「八起五則」にあるように素直で笑顔を心がけていると、毎日が造ってくるのですね。
さてこちら秋田も師走に入り、さすがにこのところは冬の様相を帯びてきました。雪が降り、積もり始めています。先日は吹雪も舞いました。朝夕寒くなり、道も凍って滑りやすくなって歩くのが困難こなってきますと、散歩に出たくなくなり、運動不足になります。これがいけないのですね。秋田県や青森県、岩手県、新潟県はガンの死亡率が高いそうですが、原因の一つはしょっぱい物を食べることと運動不足だといいます。なるほどとうなづけます。
私はおかげ様で健康で今年もやってこられました。地方の人は純真で、やさしいです。皆さんに支えられ、盛り立てていただいてお役をまっとうさせていただいています。足りない者ですが、日々さまざまな問題や苦を持った方の相談にのらせていただています。野口先生に教えていただいたことがお役に立っていて感謝しております。
今年もあますところ二週間となりました。野口先生のところには暮れも正月もなく、深刻な相談がきていることでしょう。ほんとうに頭が下がります。先生、また奥さまがご健康で、尊いお役にご活躍なされますことをこちらから祈念申し上げております。
簡単ではありますが御礼の挨拶に代えさせていただきます。
合掌
平成25年12月16日
秋田 結城利之拝