八起会の講演に関して

(野口会長の講演会は、全国で多数開かれ、八起会の代名詞ともいえる活動の1つでした。本講演は、2014年7月のものです)

設立時は、講演をするなど考えたこともなかった。

八起会設立後3年目に講師派遣業の会社から連絡があり、講師をしてもらえないかとお願いがあったが、最初は断った。

まだ、自分自身が再起できていなかった。収入も無い。

なぜ潰れたかと言えば、私は甘い、馬鹿でした、能力が無かっただけのこと。講演は恥を晒すだけと思った。

しかし、相談を受けながら気がついた。
自分の失敗談が倒産防止に役立つのではないか。

それまでは相談を受けても、すでに倒産を止められない状況まで悪化している場合が多く、弁護士を紹介するしかなかった。

そんな相談者に自分の失敗談が心のケアにもなっていた。
安心を与えられていた。

一年後、同じ会社(講師派遣業)からまた声が掛かった。
今度はやってみると伝えた。

それまでもテレビ、ラジオに出演し、新聞に載っていたので、誘われたのだと思う。

講師派遣業者が使う人は、99%以上が有名人。1%が無名。こういう人は、一回やらせてみて、受けたら次も使う。

最初は商工会議所や商工会を廻らせる。
大抵の講師は1~2年で使い捨てにされる場合が多い。

一番最初に講演をしたのが千葉の小さな商工会。
来たのはたったの10人だけ。

最初のうち、少ない人数だったのは逆に良かった。
そのうち、本も売れるようになり、人数も増えていった。

会も講演も順調だと思っていたころ、八起会に大きな問題が起きた。

講演で事務所を留守にする間、留守を預かってくれていた会員の一人が、詐欺師のような男であった。

八起会の金をくすねるだけでなく、会員も騙していなくなってしまった。

八起会を設立するとき、1つの決意をしていた。
それは「どんなことがあっても会長である自分が責任を取る」ということ。

この決意を実践するために、騙された会員の分まで自分が借金を背負う決意をした。

月々の返済が30万円にもなった。
講演を重ね節約することで、返済をしてゆくことになる。

まずは会として雇っていた人間を全て解雇。
代りに家内を事務員にした。

講演は、宿泊費を減らすためにある地域を一週間で、4~5箇所まとめて行った。

九州に行けば、鹿児島、熊本、宮崎、大分、福岡を4泊5日で廻る。
食費も浮かす。昼も夜も立ち食い蕎麦専門。
4日間を3000円で過ごした。

あるとき長野県で領収書にサインを求められた。
そのとき初めて講演料が10万円であることを知った。

それまで、自分が受け取っていたのが3万円・・・派遣会社は7万円を懐に入れていた。

「一体、講演料とはいくらが妥当なのか?誰がそれを決めるのか」悩んでいたころ、俵孝太郎に電車で偶然であった。

必死な思いで声をかけ、この疑問を素直に聞いてみた。
答えは「いくらでも自分が欲しいだけを自分で決める」であった。

さらに、俵氏は「倒産防止の専門家はあなたしかいないのだろう?ならば、もっと取れ。」と励ましてくれた。

この答えを聞いたころ、講演の依頼は直接来るようにもなっていた。
そこで思い切って「20万円!」といってみたところ、「わかりました」との返答をもらえた。

それから、ずっと講演は20万円に決めた。
そう決めたときから、講演も増えてゆき、泊まる場所も講演主催者が良い場所を用意してくれ、良い食事もいただけた。

平成11年から14年までは、年間100回以上。
最高では164回行い、ようやく借金も全て返済できた。

そんな中で忘れられない出来事がある。
東京の某団体での講演の際、講演料として30万円をいただいた。
多すぎるので、10万円返そうとしたが受け取ってくれない。

そこで、この30万円を東京都に全額寄付した。
「寄付とはこんなに素晴らしいものなのか」。
寄付をした清清しい思いに自分自身が感動した。

その後、毎年のように自分の誕生日には東京都に寄付をしている。
八起会に飾られている東京都や台東区の感謝状が多いのは、このような理由がある。

なお講演料は、金婚式を機に半分の10万円で受けることにした。
予算の少ない団体でも、自分の話を聞いて欲しいと思ってのことである。

実際に講演を行う中で、思ってもいなかった問題に出会うこともある。

ある経営者には自分の会社が潰れそうなのに、経営者の会で名誉職を受けていたので辞めるように指導した。

その会の名前を出したら、会の関係者から「うちの会は悪い会ではない」「変なことを言わないでくれ」と言われた。

もちろん、悪い会ではないと思う。
問題は見栄を張って潰れそうだから辞めるよう指導しただけ。

しかし、会の関係者から見れば、会の悪口を言われたと思ったのだろう。
それから会の名前は出さないようにした。

とにかく苦労しないと本当の意味で、良さがわからないのだと思う。
自分の場合、講演では最初に苦労した。
人数も少なく、泊まるところも食事も悪かった。

徐々に人が増え、講演料も増えた。
高級ホテルに泊まり、良い食事もいただけるようになっていった。
そう考えれば、最初に苦難を経験させてくれた派遣会社にも感謝である。

逆に言えば、好況のとき、儲かっているとき、楽なときが一番危ない。

埼玉で高級花のランを生産者する農家の二代目が、儲かって仕方ないという。
だからこそ、講演で喝を入れて欲しいといわれた。

調子の良いときに、危機を感じるその精神がとてもうれしく感じた。